月に吼える   作:maisen

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第三十九話。

 

「――よしよし、これでしばらくは大丈夫、っと」

 

 その日、お仕事休みの忠夫は朝から山へと出かけていた。目的は言わずもがなの食糧確保。ここ最近は色々とごたごたしていたのでしばらくぶりの狩りであった。

 

 獲物としては量が少ないが、調理の手間を考えるとこんなもんだろうといわんばかりに、収穫は兎が2匹に猪一匹。

 

 川原に火を起こし、ついでに魚も2,3匹確保。手早く捌いてその場でいぶして燻製を作り、余った分はその日の朝食兼昼食となった。

 

「よっこいせっ!」

 

 風呂敷で包んだ大量のお肉と、腰にぶら下げた狩りの途中で見つけた幾つかの山芋。

 

 無駄にサバイバルな半人狼の青年は意気揚揚と家路に着こうとした。

 

 着こうとした所で。

 

「・・・なんだありゃ?」

 

 妙な物を見つけた。

 

 どれくらい妙かと言うと、メキシカンな帽子とぼろぼろの布が、川をどんぶらこ、どんぶらこと流れてくると言う非常に微妙な光景だ。

 

「・・・・・・」

 

 それを眺める忠夫の前で、その帽子とぼろ布は川岸に流れ着くと、むくむくと起き上がる。

 

「・・・・・・・」

 

「ぐぇほっ!げほっ!」

 

 立ち上がったそれは、小さな体、顔には隈取のような模様、がま口の財布を首から下げたばさばさの髪の子供のように見えた。口から水を垂れ流しながらよろよろと乾いた川原の石の上に座り込むと、膝を抱えて嘆きだす。

 

「・・・ううう、すまん小鳩。自然は大きなスペクタクルや・・・」

 

「あー、河童?」

 

「誰がじゃ?!わいはれっきとした貧乏・・・が・・・み・・・」

 

 思わず声をかけた忠夫に、それまでのおちこみっぷりは何処へやら。素早く振り向き突っ込みを入れる推定・河童。

 

「・・・むっ!」

 

  自称貧乏神は、背後に立つ忠夫の姿を一目見るとその背負った荷物と腰にぶら下げた山芋に鋭い視線を送る。

 

「ん?欲しいのか?」

 

 忠夫が山芋を腰から外し、貧乏神に向かって突き出す。彼は、その突き出された芋と忠夫の顔の間に視線を往復させると。

 

「・・・おおきにっ!おおきにぃぃぃっ!」

 

 突如がばっと忠夫の手に抱きついたのであった。

 

 

「成る程。つまり、その・・・貧乏神?」

 

「ええ。貧乏神の貧ちゃんです。家族みたいに思っていたのに、ご飯を取ってくるって言って居なくなっちゃって・・・もう4日になるんです」

 

「その神様を探して欲しい、と言う事でいいんだね?」

 

 美神の事務所の隣にあるビルの1フロア、そこを丸々と使い、新しく設置された機関、ICPO超常犯罪課、通称オカルトGメン。

 

 その一室にて、高校の制服を来た三つ編みの少女と、長髪のなかなかにハンサムな好青年が机を挟んで話し合っていた。

 

 辺りにはまだ新しいロッカーや机などが整然と設置され、使われた様子もない新品の設備が埃一つも被らずに使用されるのを待っている。

 

「・・・貧乏神が憑いていれば、民間GSに依頼するだけの資金は無いだろうからね」

 

「はい。警察の方に頼もうにも、普通の人たちには貧ちゃんは見えませんから」

 

 青年は、少し考えるように顎に手をあてた後。

 

「良し。いいだろう、オカルトGメンとしてはそういう方の問題を解決する事も大事だからね」

 

 安心させるように笑顔でそう述べる。三つ編みの少女は顔を綻ばせ、安心したように頷いた。

 

「そうと決まればまずは君の家へ。見鬼君を使うにも対象に関連のある物があったほうがありがたいからね」

 

「あ、はい」

 

 少女と長髪の青年は立ち上がり、そのままオフィスの扉に向かって歩いていく。

 

 その途中で大体の彼女の家を聞き出し、またその貧乏神がどの辺りに行きそうかを聞きながら扉を開くと。

 

 

 

「――と分かれば一発ガツンとかましてやるわ!よりによって私の事務所の隣に何の連絡も無しに!」

 

「――さん、穏便に穏便に!」

 

 

 

 その隙間から洩れ出てくる女性の声2人分。

 

「騒がしいな。・・・おや?」

 

 扉を開いた青年と、扉の前で騒いでいた女性。はた、と目を合わせて軽く衝撃を受けたような表情になると、二人とも驚いたように相手を改めて眺める。

 

「令子ちゃん?!ひょっとして令子ちゃんかい?!」

 

「お、おにいちゃん?!」

 

 美神と西条、実に数年ぶりの再会であった。

 

 

「あ、どうもすいません。うちの所長が・・・」

 

「あ、ご丁寧に・・・あ、あの、私はここの者ではないんですけど・・・」

 

 その後ろで何となく和やかな雰囲気も生まれていたりするが。

 

 

「へー。居候先っつーか、そこに食料を持って帰るつもりだったんかー」

 

 とりあえず貧乏神を引き剥がし、改めて焚き火を起こして魚を焼いて。

 

 がつがつと4匹目の魚をそのおなかの中に収めた貧乏神は、どこからとりだしたやら爪楊枝で歯と歯の間を掃除しながら答えを返す。

 

「まぁ、わいかて好きでとり憑いとんのちゃうからな。あそこの親子は貧乏神のわいをまるで家族みたいに扱ってくれる。それが嬉しゅうて、でも申し訳ないとも思ってな。なんとか食い扶持くらいはと思ったんやが」

 

「失敗して、川を流れてきたと」

 

「・・・小鳩ー!不甲斐ないわいを許してくれー!」

 

 青空に向かって叫ぶ貧乏神。腕を組んでその様子を苦笑いしながら見ていた忠夫だが。

 

「そういう事ならちょっとは協力できるぞ?なんてったってうちの所長は超一流のGSだからな」

 

「そりゃありがたいが・・・にーちゃん、貧乏神やぞ、わいは?」

 

「それが如何した?」

 

 にやり、と笑う。

 

「うちの里で、お金なんて使う事ないっつの」

 

 傍らに置いておいた燻製肉の詰まった風呂敷を片手で担ぎ、もう一方の手で貧乏神を抱え込む。

 

「んじゃ、ちょっと走るぞー」

 

「ちょ、ちょっ――うっぎゃー!」

 

 手足をばたつかせた貧乏神を無視しつつ、全力で駆け出す忠夫。

 相変わらずのスピードに抱え込まれた物体が悲鳴をあげるも聞き流し。

 

 一路事務所へと駈けて行く半人狼。

 

 

 しばらくすると悲鳴も途絶え、後には静かな森と川のせせらぎが響くのみ。

 

 

「ちわーっす!」

 

「あ、横島さん」

 

 元気良く挨拶をしながら事務所の玄関をまたぐ。どうやら来客中であるらしく、おキヌの手にはお盆があり、その上に何人分かのお茶の入った湯のみが湯気を立てている。

 

「おキヌちゃん、美神さんいる?」

 

「えっと・・・その・・・そ、それより横島さん、その手に持ってるの、なんですか?」

 

 微妙に視線を泳がせながら、話を誤魔化すおキヌ。手に持ったお盆がなんとも言えない。

 

 話を逸らされながらも忠夫がとりあえず手に持った貧乏神を持ち上げて、おキヌに差し出す。

 

「あー。拾い貧乏神」

 

『―――排除っ!』

 

「うどわっ?!」

 

 未だに目を回す貧乏神を受け取って、「は?」という呆れたようなというか、困惑したような表情で固まるおキヌを余所に、背中の風呂敷を置いた忠夫に向かって飛び掛る全身鎧の一撃。

 

「くぉら人工幽霊一号!何考えてやがるっ!」

 

『私の中に妙な物を持ち込まないで下さい!しかも貧乏神?!あんた商売を舐めとるんですかっ?!』

 

「ほーう!なら何で俺に切りかかるかなぁっ?!」

 

 ギリギリと西洋剣と霊波刀で鍔迫り合いをしながら騒ぐ二人。

 

 おキヌは額を押さえて溜め息だ。

 

『・・・ついでに?』

 

「・・・ばらっばらにしたる!」

 

 高い金属音をたてて弾き合う霊波刀と剣。

 

 しかし、その一瞬の間隙を狙って、忠夫の側面から一本の先が丸まった鋼鉄の矢が襲いかかる。ちなみに丸めてあるのは壁とかに傷が付くのが嫌なだけだ。

 

 

「うわっ?!新手かぁ?!」

 

『ふふふふふっ!一体で駄目なら二体でどーだっ!』

 

 何時の間にやら現れた、もう一体の全身鎧がその手に持ったボウガンで狙撃する。慌てて弾くが体勢崩し、よろめく忠夫に向かって振りかぶる一体目。

 

『取ったー!』

 

「いーかげんにせんかぁぁぁっ!」

 

 しかしその一撃も、応接室の扉を蹴り開けて出てきた美神がそこらにあった何かを掴んで投擲し、全身鎧に直撃させる事で強制停止。

 

 そして何かは跳ね返り、バウンドしたそれは忠夫に向かって一直線。

 

「なんのぉぉっ!」

 

 しかし忠夫も然る者、それに向かって拳を霊力で固めて迎撃する。

 

 彼の目に最後に映った物は、テンガロンハットをかぶった貧乏神に拳がめり込む光景。そして、爆発したような衝撃と共に何か重い物がのしかかってくる感触だった。

 

「「ぐぇぇぇぇぇ・・・」」

 

「横島さーん!」

 

「・・・あれ?」

 

「び、貧ちゃん!」

 

「令子ちゃん・・・もうちょっと周りを見たほうがいいと思うよ?」

 

 

「はっ?!」

 

「・・・で、説明しなさい」

 

「・・・・ぐ、ぐー」

 

 がばっと起き上がり、辺りを見回す彼の目に最初に映ったのは鬼女だった。夢だと思いたい彼は、即再び寝に戻ろうとする。

 

 

 しっかり拳で叩き起こされたが。

 

 

 ちなみに人工幽霊はとっくの昔に避難して、今はそ知らぬ振りして窓を磨いていたりする。全身鎧で。

 

「へぇ・・・」

 

「な、何よ西条さん・・・」

 

「いや、生き生きしてるなって思ってね」

 

「そ、それはともかく!」

 

 何となく赤くなりながら、美神は忠夫の首根っこを掴んで引きずり起こす。

 

「うちの事務所に貧乏神なんて連れ込むとは・・・いい度胸してんじゃないこの助手は~~~!」

 

「堪忍やー!仕方なかったんやー!」

 

 ちょっと泣きが入りながらも必死で説明する忠夫。

 

 それを聞く美神の額に浮かぶ井桁が減らないどころか少しずつ圧力を増している辺りがなんともはや。

 

 

「・・・で?私に依頼でもしたいのかしら?」

 

「誰ですかそんな無謀な事を考えるのは」

 

「・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・えと、その」

 

 

 びりびりと空間が歪んでいるような気さえする。更に増した視線の圧力に必死で目をそむけながら助けを求める視線を送る。

 

 おキヌは辺りの掃除をしながら知らない振りをしているし、知らない長髪の男はこちらをにやにやしながら眺めているだけ。 

 

 貧乏神は未だに気絶したまま―――なんだか大きくなってる。しかもさっきの10倍くらいには。

 

 その巨体に嬉しそうにしがみ付いているのは。

 

 

「―――嫁に来ないか?」

 

「きゃっ?!」

 

 結構可愛い三つ編みの女の子。いい感じ。

 

「何処までも本能に忠実かおのれはっ!」

 

 振りかぶられた神通棍は、狙いあたわず求婚する半人狼の後頭部を直撃し、床に沈めたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも再び復活し、ようやく事態は沈静化。

 

「あー、まだぐわんぐわんする」

 

「自業自得だと思いません?」

 

「きっついなー、おキヌちゃん」

 

 ダンッ!とおキヌによって勢い良く置かれた湯飲みのお茶を啜りつつ、対面に座った所長に目をやる。

 

「貧乏神って成長するんですね」

 

 拳一閃。

 

「・・・あれは成長じゃないわ。より強く括られちゃったのよ、あんたの霊力で。全く・・・どーすんのよ、あれ」

 

 美神が指差した先には、窓の外を眺めながら強く生きようとしている制服姿の女の子と貧乏神が。

 

「西条さんに一応貧乏神について調べてもらってるけど、あれは結構厄介なのよ?」

 

「横島さんだけじゃなくて原因の半分は美神さんにあるような気も・・・」

 

 腕組みしながら、ソファーで顎をさする忠夫を半眼で睨みつける。おキヌが突っ込むがスルーしつつ、それでも冷や汗が一筋流れている辺りなんともはや。

 

「っててて。んじゃ、どーしよーもないって事っすか?」

 

「そりゃ困るで!わいも、もう少しで小鳩達を困らせないで済むように、さくっと消えられるところやったんやぞ!」

 

 会話を聞いていたらしい貧乏神が、小鳩とらしい女性を連れてやって来る。

 

 その手を引かれた少女は、少々困った様子だが、安堵の気持ちの方が大きいようだ。

 

「で、でも貧ちゃんが消えちゃうくらいなら私はこのままでも・・・。それに、貧ちゃんが大きくなったんだからもうちょっと一緒にいられるんでしょ?私はそっちの方が嬉しい」

 

 

「「ええ子や・・・ほんまにええ子や・・・」」

 

 小鳩の言葉に思わず涙ぐむ忠夫と貧乏神。美神はそれを見て「しょうがない」と言った風に書斎に歩き出そうとし、おキヌはその後をくすくすと笑いながら着いて行く。

 

 しかし、彼女達がドアをくぐる前に「彼」はその扉を開けて言い放った。笑いを堪えるような表情で。

 

「まぁ、簡単な方法ならあるよ。横島君・・・でいいのかな?君と花戸さんが結婚しちゃえばいいんだよ」

 

「「え」」

 

 固まる小鳩と忠夫。

 

「ちょ、ちょっとお兄ちゃん?!」

 

「横島さん!早まっちゃ駄目ですよ!」

 

 慌てる美神とおキヌ。

 

「・・・その案、いいかも知れんな」

 

「だろう?」

 

 頷きあう西条と貧乏神。

 

「ちょっと待て!こういうのは本人同士の気持ちと言うか愛というかラブ、そうラブが、お前誰だっ?!」

 

 西条に掴みかかりながら忠夫が叫ぶ。掴みかかった相手の名前さえ知らない事にようやく気がついたようだ。

 

 その手をやんわりと離しながら西条は笑顔で答えを返す。

 

「ああ。僕は西条輝彦、ICPOの超常犯罪課、通称オカルトGメンに所属する・・・まぁ、令子ちゃんの兄みたいなもんかな?」

 

「よろしく義兄さん!妹さんに求婚中のい――横島忠夫と言いますじゃなくって何でそういう事になるんだよ?!ですか?!」

 

 盛大に混乱しながら貧乏神を指差す。西条はそれでも余裕の笑みを崩さずに。

 

「まぁ、要するに今彼は花戸家に括られた力に、外部からの力が加わって――つまり、君の霊力によってより強く括られてしまった状態なんだ。ちなみに令子ちゃんと結婚したかったら僕を納得させてくれよ?」

 

「つまりやな、小鳩とお前が結婚してしまえば外からの力はちゃらになる、つまり元どおりの大きさになって万事オッケー、ちゅうことや。わいは結構気に入ったで」

 

 笑顔で釘をさしながら説明する西条と、乗り気な貧乏神のダブルアタックが迫るも忠夫はめげずに更に詰め寄る。

 

「だーかーら!こういう事は本人の気持ちがっ!」

 

「小鳩、どうやこのあんちゃんは。わいが言うのもなんやが、悪くない縁やとおもうで?」

 

 後ろでおろおろとしている小鳩に、振り向きながら話し掛ける貧乏神。その体の大きさも手伝って中々に邪魔である。

 

「・・・そうなの?貧ちゃん」

 

 小鳩は目の前で展開される話の流れにおいていかれそうになりながらも、忠夫の目を見て貧乏神に話し掛ける。

 

 見られた忠夫はすまなさそうな視線を向け、手をたてて軽く謝るような仕草をしている。

 

「おう!ちーとお人よしやが、こいつならわいの後でもしっかりおまえ達を守れると思うで。わいだけじゃあ精々あと2,3年が良い所やったからなぁ・・・」

 

「貧ちゃん・・・」

 

 二人で見詰め合って目を潤ませる。視界の外で忠夫が手を振って声をかけているがすっかりと世界を創っているので届かない。

 

 

「西条さん?本当に他に方法はないのかしら?」

 

「・・・はっはっは。在るには在るが、ちょっとばかり難しい方法でね。しかも僕にはそれが出来ないんだよ。彼なら可能だけど、彼の人柄なんか知らないからね。安全策をとったのさ。・・・方法、知りたいかい?」

 

「ええ。見せてくれる?」

 

「あ、私も見たいです!」

 

 苛ついたような表情の美神を楽しげに横目で見ながら、スーツの内ポケットから書類袋を取り出す。

 

 引っ手繰るように受け取った美神はそれを睨みつけるようにして読んでいき、おキヌはそれを美神の頭上から眺める。

 

「・・・ふん、成る程ね。知った者には参加権なし。しかも一発勝負・・・結構なギャンブルじゃない」

 

「無茶ですよ、こんな条件!」

 

 呆れた顔の美神は、西条にその書類を投げ渡し鼻を鳴らす。おキヌは困惑したように浮かぶばかりだ。

 

「ま。あれでも神様だからね。無理を通そうとすればそれなりの代価は必要になる。・・・あれ?横島君は何処にいったんだい?」

 

『現在、屋根の上で遠吠えを繰り返しています』

 

 耳を澄ませば聞こえてくる、忠夫の物と思しき、まるで悲鳴のような狼の遠吠え。

 そして、その声が止んだと同時に階段を駆け下りてくる音が聞こえる。

 

「だから!そう言う貧乏がどうとかで結婚するんじゃなくて!そう言う取引みたいなのが嫌だっつーの!愛が欲しいの!愛が!!」

 

「せやから悪い話じゃないっていっとる。わいが言うのもなんやが、ええ子やで、小鳩は」

 

「・・・あの、お嫌でしたら無理して頂かなくても。わ、私はその貧ちゃんのこと信じてますし、優しそうだから、あ、あの、よ、よろしくお願いします・・・」

 

 ふらふらっとそちらに行きそうになり、ぐぐっと堪えて伸ばしかけた両手を引っ込め、血が出そうなくらい唇を噛み締めながら勢い良く振り向き駆け出す忠夫。

 

そのまま階段を駆け上がり。

 

 再び響く遠吠え。

 

「・・・馬鹿ねぇ」

 

「・・・でも、羨ましいです」

 

「なんか言った?おキヌちゃん」

 

「いいえ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、話も決まった所で「なんも決まっとらんわー!!!」・・・往生際が悪いなぁ」

 

 笑顔で手を叩きながら場を閉めようとした西条に、階段を駆け下りてきた忠夫が突っ込む。

 

 まるでとてつもない問題に直面したかのように凄い形相になっている。具体的に言うと後一押して額の血管が切れそうだ。

 

「それじゃあどうするんだい?あの子に御免なさい、なんて謝っても貧乏神が小さくなる訳じゃないんだよ?」

 

「ほ・か・に・なんか方法はないんかー!!」

 

 西条は、ちらり、と不安そうにしている小鳩とその横で成り行きを見守っている貧乏神を見やる。

 

 そして迫る忠夫をもう一度見ると、溜め息をついて手を突き出し、押し止める。

 

「・・・えーと、貧ちゃんでいいのかな?」

 

「せ、せめて貧乏神と言わんかい」

 

「それじゃあ貧乏神くん。彼に、試練を受けさせる気はあるか」

 

 ぎくっとした表情になると、その首からさげたがまぐち財布を慌てて背中に隠し、西条を睨み付ける。

 

「本気か?!失敗したら後戻りは効かんのやぞ?!」

 

「それじゃ聞くが、今のままだと君が消えるまでどれくらいかかる? 横島君はこんな形の結婚は嫌のようだし、ここらで一つ八方丸く治めてみる気はないかい?・・・それに、上手くいけば小鳩さんとも一緒にいられるんだ」

 

 腕組みしながら貧乏神に語りかける西条。

 

 痛い所を突かれたか、貧乏神は言葉に詰まるも背中に隠した財布を出そうとはしない。

 

「横島君、聞いてのとおり上手くいけば皆が幸せになれる方法がある。失敗すれば少なくとも君と彼女はずっとお金に困るが、それでもやるかい?」

 

 

 話し掛けられた忠夫は、意表を付かれたように考え込み、しばらくして顔を上げると、小鳩に向かって。

 

「いいかな?」

 

 とだけ声をかけた。

 

 そして、その問いに小鳩は

 

「はい」

 

 とだけ言って意思を篭めて頷いた。

 

 

「貧ちゃん、お願い。ずっと、一緒にいよ? 家族、でしょ?」

 

「・・・・・・・・・・・あ~~~~、もう!知らんぞわいはっ!」

 

 小鳩の願いを聞かない事もできた。あいつならもしかして、とも思った。それなら最後の2,3年は楽しく暮らせるだろうとも思った。

 

 

 でも、目の前の少女の言葉が、嬉しすぎた。

 

 

「頼んだで!あんちゃん!」

 

「おうよっ!!」

 

 

 そして忠夫はがまぐち財布の中に消えた。

 

 

 傍から見ていた美神は呆れたような、苛ついたような表情でソファーに座っており、おキヌはその横で少し拗ねたように浮いているし、西条は上手くいったと言わんばかりにニヤニヤしているが。

 

 

「赤貧のドアと裕福のドアねぇ・・・」

 

「・・・大丈夫ですよね、横島さんなら」

 

「ま、大丈夫でしょ。あいつ馬鹿だし、きっと正しい答えを見つけるわよ」

 

 それでも、おキヌはやっぱり心配のなかに信頼が顔を出していたし。

 

 美神は美神で不満げながらも僅かに心配そうで、そしてほんの少しだけ嬉しそうだったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちがなんだか豪華な飯食ってる俺で・・・あっちが貧乏そうな俺と小鳩ちゃんか・・・」

 

 財布の中に入ってみれば、辿り着いたのは二つのドアと二つの窓、そして二つに分かれた道があるだけの不思議な空間だった。

 

 窓から覗けば片方は、執事らしき人物が居る部屋で、小奇麗な服を着た忠夫がリッチなご飯を食べている。

 

 もう一方ではぼろぼろの服を着た忠夫が同じくぼろぼろの服を来た痩せこけた小鳩と一緒に一杯の掛け蕎麦を啜っている。

 

「・・・どっちかを選べってことやろーなぁ」

 

 腕組みをして悩む事しばし。

 

「・・・とりあえず」

 

 そして拳を握って一つのドアへと歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「腹が立つなぁ」

 

 ドアノブをぐっと握り締め、それを捻るとゆっくりと開いていく。

 

「・・・あんな可愛い女の子、そんな姿にするか?」

 

 最後に握りこぶしを振りかぶり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――金が無いからって女の子がそんなに成る程困らせる奴ぁ俺じゃねぇっ!だから一発殴らせろぉぉぉっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が開いたのは―――

 

 

 がまぐちがひとりでにかぱっと開き、忠夫をその中から吐き出す。

 

「え?!」

 

 吐き出された忠夫が握りこぶしを振りかぶったまま顔面から事務所の床に着地し、痛そうな音を立てると同時に。

 

「やった!これでわいは・・・!」

 

 ぽんっ!と音を立てて貧乏神がその姿を変えていく。そこに現れたのは、エジプトのファラオのような黄金作りの飾りをつけ、小槌を持った福の神。

 

「小鳩っ!」

 

「貧ちゃん!」

 

 喜びを表し抱き合う二人。

 

「中々やるじゃないか、彼」

 

「・・・うちの助手よ?当たり前」

 

 何かを仄めかすような視線を美神に向ける西条と、その視線から顔を隠すように背ける美神。その唇の端がほんの少し持ち上がっているのが西条からははっきりと見えるのだが。

 

「だ、大丈夫ですか、横島さん」

 

「こんなんばっかりか、俺」

 

 力尽きたように横たわる忠夫に、あたふたと声を掛けるおキヌ。そこに

 

「ありがとうございました、横島さん」

 

「おーきに、あんちゃん」

 

 貧乏神――いや福の神に変わったのだが――と小鳩が声を掛けてくる。

 

「よしっ!」

 

 その二人を前にして、やおら忠夫はがばっと立ち上がると。

 

「嫁に来ないか?」

 

「え、あの、えっと。もち「懲りろこの馬鹿っ!」きゃっ!」

 

 凄まじい勢いで飛んで来た美神の神通棍に黙らされる。

 

 果たして、彼女が突っ込まなかったらどうなっていたのやら。その光景を見て腹を抑え、肩を震わせながら必死で笑いを堪える西条辺りは分かってそうだが。

 


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