ぼちぼち長くなりますので。
「里から抜けたものがいるぞっ!」
「誰だっ!? 誰が抜け出したんだ!?」
「忠夫だ! 犬飼さんとこの忠夫だよっ!!」
「なにぃ!? あの野郎、親子揃って外で嫁を見つけるつもりだなっ!」
「くそッ! …させてなるかぁ! 只でさえポチさんのときは悔しい思いをしたんだ!」
「そうだ! ずるいぞ犬飼家! と言うわけでポチのところに殴りこみだぁ!」
「「「「おうっ!!」」」」
そのころ、里の中、犬塚宅では長老と犬塚家の父が差し向かいで盃を交わしていた。外の喧騒が聞こえぬわけでもなかろうに、いたってのんびりとした様子である。
長老は、なみなみと注がれた酒盃をちびり、と一舐めすると、聞こえるかどうかと言った小さな声で対面の男に話し掛けた。
「…ようやく決心しよったか。あやつに通行手形を渡したのが1年前。よもやここまで待つとは思わなんだよ」
40代半ばの、引き締まった相貌に太い笑みを浮かべて、静かに杯を空ける男と、小柄で背中を丸めた齢80とも90とも見える老爺。その二人が交わす言葉も少なく、只、杯を重ねる様子は一種儀式にも似た雰囲気を感じさせる風情があった。
「…分かっておったとも。あやつが里を出たいと願っていたことは。しかし、しかしだ。あの子もやんちゃではあるが可愛い孫のようなもの。せめて群からはぐれても生きていけるだけの力を持つまでは、と、そう思っておった」
それまで能面のようだった表情を僅かに綻ばせ、
「3年前じゃ。迷子になって、やっと見つけ出して、ひたすら怪我の一つくらいはこさえているものかと思えば…」
とうとう堪え切れずに吹き出しながら、老人は目を輝かせていた少年の言葉を思い出した。
『楽しかった! 友達もできたし、それにずっとずーっとひろいんだよ!? なんで皆外に出ないの?』
「あの時、感じたものよ。もはや、この子は絶対に止まらんし止められんと、な」
それでも瞳に隠しきれない寂しさを秘めながら。
「この年になって、ああいう輝きを見せられると言うのは堪えるの。まるで、自分が化石のように思えてしまった。もはや変わらぬ、過去に自分が、ああは成りたくないと思っていた頭の固い御老体になってしまったと、な」
更に、その奥にまた別の感情を秘めながら。
「寂しくもある。じゃが、楽しみじゃよ。老い先短いこの身に、いったい何を見せてくれるのか。もはや、ワシ等では想像もつかん。…先が見えないことを楽しみだと思うのは、何時振りかな?」
人は、それを
「頑張れよ、我が――」
憧れ、と言うのだろう。
「――可愛い孫よ」
「…どうした、犬塚。お主、この酒を楽しめんと言うのは酒に対する冒涜じゃぞ?」
「……ヒック。」
「…お主、酒に弱いにしても今日は豪く下戸じゃの」
犬塚と呼ばれた男は、口元に笑いを浮かべたままひっくり返った。
「シロぉ~~、お前は嫁になぞ出さんぞ~~。ぐしぐし」
「……しかも泣き上戸か」
そのまま一緒に倒れた空の酒瓶を抱きしめて涙を流す男から目を背けた老人は、大きく溜め息を一つ吐いて別の酒瓶を取り、手酌で杯に注ぐと静かに傾けた。
が、その縁から口内に美酒が流れ落ちるその寸前、襖の向こうに数名の慌てたような大きな声と走る足音が響いてくる。
「ん?」
「ヒック?」
けたたましい足音と共に、先ほどまで「犬飼家に殴り込みじゃぁ~~!」と気炎を上げていた青年たちが襖を勢い良く開けてなだれ込んできた。
「どうした、騒がしい。一人の若者の旅立ちくらい静かに見送ってやらぬか」
そう言って、老人は満たした酒を呷り静かに諭す。
「長老っ! 犬飼さんが玉葱食べて死にかけてますっ!」
ブホッ
長老の口先からアルコールの霧が生まれ、泥酔してぐでんぐでんの犬塚がその霧に包まれる隣の家で。
「沙耶…今逝くよ…」
1匹の人狼が亡き妻と再会を果たそうとしていた。
「わーはっはっは!! 平安京にエイリアンの術ー!!」
ざくざくざくっ!
「ぎゃー! こらー! 忠夫ーー!! 後で覚えていろよーー!!!」
一方その頃、人狼の里に程近い森の中では、忠夫と追手の熾烈な?戦いが繰り広げられていた。
「引っかかる方があほなんじゃー!! ここまで来て捕まってたまるかいっ!!」
「ばっかやろーー!!」
至近に迫った追っ手を発見した忠夫は、ゲリラ顔負けの罠の数々と、その機動力でひたすら追っ手を翻弄していた。
―――時には落とし穴に引っ掛け
―――時には暗闇の中に真っ黒に塗ったロープを足元に張り
―――時にはタッパーに詰めて置いたカレー粉を風上から撒いて追手の鼻をつぶし
―――時には干し肉の中に匂いが漏れないように背脂で包んだ玉葱を仕込み、まるで逃走中に落としたかのように振る舞う。
この様々な罠に引っかかり(特に最後)、追っ手はほぼ壊滅状態となっていた。
「ふっふっふ。情報を制す俺は戦いを制す! 鼻が鈍いからって自分達の場所がわからんと決め付けたお前らの負けじゃーー!!」
「クゥーン」
「おお、ありがとな、タマ。お前の鼻のおかげで助かったよ」
その傍らには1匹の獣の姿があった。
何を隠そう、3年前にできた「友達」とはこの獣である。 迷子になって、一人で途方にくれていたとき、何処からともなく現れて、慰め、食べ物を探してくれて、分け合って食べ、一緒に寝て、里まで心を守ってくれた忠夫の恩人なのだ。
「さーて、あとはあそこに行って最後の仕掛けをしたら完璧だな」
そういって、獣を肩に乗せ歩き出す。
「さぁ、もう一頑張りだ!」
「コン!」
その獣のお尻からは9本の金色の尾がたなびいていたとか何とか。
はてさて3度目の対面となりましたか。改めまして自己紹介を。「シュレーディンガー」と申します。偽名ですが何卒よろしくお願いいたします。
ご安心を。少なくとも今は私はただの観客にございます。干渉せず、及ぼさず、只、只観測する。
いや、見て楽しむ、と言った方が私としても「楽しい」。
何処でも相変わらず彼の周りには人外が自然と集まってくるようで。偶然が、はたまた必然か。
とは言え一番正解に近いのは当然、なのでしょうがね。
ああ、それではまた会える時まで
―――良い夢を―――
今日はここまで。