魔都、とその領域は呼ばれていた。
風水という独特の理論に基づいて作られた建築物。一都市として存在しながら同時に様々な特権を持った、混沌たる、人の集落。そして、地脈と言う、星の命の流れ集う一つの血塊。
香港。彼らは、その地を踏んでいた。
「うっひゃー・・・。すっげー」
「馬鹿でけえ癖して、細かな所まで人の意思ある、まさに人の生んだ怪物、さ」
「ふわー。あ、美味しそうな匂い」
「お、どれどれ・・・こりゃ、きっと美味いぞあの店」
「はいはいはい!観光に来てるんじゃないんだから、さっさと動く!」
「「はーい」」
「まるで引率の先生ねぇ」
「ちげぇねぇ」
「先生・・・僕は頑張ってますよー!」
だからと言って彼らが彼らであることを辞める訳でもなく。そもそもこの都市は、在るものを在りのままに受け止める、そんな雰囲気に満ちていた。
―――昨夜、東京、GS美神除霊事務所
「ただいまー」
「遅かったじゃない。ほら、さっさと荷造りしなさい!」
「へーい。行き先は何処ですか~?」
「・・・あの子、驚かないわね」
「そりゃーそうよ。あんたらに配達頼んだ辺りで、説明することも折込済みだろうし、ね。遠出くらい考えてたんじゃない?」
その答えを聞いた勘九郎は、流石に其処まで考えていたことなのかと、苦い顔をする。
「・・・雪之丞。あんたあの子の爪の垢でも貰ってきなさい」
「はっ! 逃げ足と立ち回りにしか能の無い奴なんざ興味ねぇな!」
「・・・ふぅ。この正面衝突馬鹿は」
相棒の戦闘力は認める。認めるが。
「そんなだから陰念なんかに――いや、あれも少しは考えるようになってきたわね」
「・・・何のことだ?」
「・・・魔装術を使う瞬間は、極限まで集中し、その反動を押さえ込む必要があるのは分かるわね?」
魔装術。魔を纏う、人の編み出した技にして、人を人外の化生と化す業。その使用者には強靭な精神力が求められる。
喰われるから、だ。魔装術が契約すると言われる魔族。その正体は定かではない。魔へと堕ちたかっての使い手達も、その姿は千差万別。共通点があるとすれば、角。鬼の如き、それ。
そして、人がもっとも簡単に変化してしまう妖怪も、その心に棲むとされる化生も鬼なのだ。
だからこそ、彼らには強い心が求められる。意思、執念、殺意、信念、闘争心。何であっても構わない。己を御する事のできる力と、ソレを押さえ込む精神。それらがあってこそ、魔装術は、魔を持って、魔を制する術となる。
「そりゃな。伊達にアレを使いこなしちゃ「使いこなす?笑わせないで」っ!」
勘九郎の眼には、失望と、孤独の色がある。
「真の『魔装』とは、人にして、人に非ず。あんたはまだまだ半端者よ」
「・・・てめぇ」
「文句があるなら、せめて顔ぐらい覆えるようになりなさい。「面」を「被る」とは、己を捨て、他の何かになるという事。その境地に立ってこそ、初めて基礎を終えたと言わせてあげるわ」
面を被ると言う行為は、己を捨て、他の者をその身に宿す。明け渡す、という行為と同一視される。神楽舞う舞手が、面を被るのは、そういう意味があるからだ。
「・・・・・・・・・・・・・」
「ま、そんな事は今はいいわね。言いたかったのは、その極限の集中の時、私たちには絶対的な隙が生まれるわ」
「・・・つまり、奴は其処をついたっつー事か」
「魔を鎧うのでなく、其処から魔、その物になった陰念だからこそ、の『魔装術相手の戦い方』ね。ふふん、なかなか美味しゴホンッ!面白そうな奴になったじゃない」
「面白くなってきたって所にだけは、同意してやらぁ」
「あら、其処だけなの?」
「ったりめぇだっ!!」
そんな彼らはさておいて。荷造りと言っても着替えはいきなりの遠出の事を考えて、ある程度事務所に置いてある。――空き巣にやられて全滅はもう勘弁だし。入れているのは、いつぞやの里抜けの時に持ってきたリュックだ。
「んで、あいつ等の本拠地は何処っすか?」
「んー、香港よ」
「南っすかね? 漁港? そりゃ楽しみ」
「おしいっ! 南よ。あ、これいつもの荷物に入れといて」
そう言いつつ忠夫に予備の神通棍を渡す美神。
「当たってるじゃないっすか」
「だ・か・ら。おしいっていったじゃない」
荷物袋に向かって、ごそごそと中身を確認する。美神の声は背後から、だ。
「へ?」
と、気配を感じて振り向こうとした忠夫の首元に、チクリと何かが刺さった。
「飛行機に乗るから、ちょっと静かにしててねー」
それが、睡眠薬を首筋に打たれた忠夫に聞こえた最後の言葉だった。
「それじゃ美神君、私は少し情報を当たってみる事にするよ。上手くドクター・カオス辺りが捕まってくれれば楽なんだがね」
「先生っ! いいんですか、貴方の弟子は助手に睡眠薬を?!」
「ピート君・・・君は私の希望だよ・・・」
「先生・・・」
其処は感動する所ではない。
「しっかし、あいつほんとに良く寝てたわねー」
「美神さん・・・もうちょっとまともな手段は無かったんですか?」
「いいのよ、ピート。荷物もちならガタイのいいのと威勢のいいのが揃ってたんだし」
「そういう問題では・・・」
「さて、此処ら辺りの地下がおそらくあいつ等の本拠地だ」
「原始風水盤なんて、強力な地脈の力が無い限りまともに動くどころか構成さえできないわ。条件がそろってるのは――此処、この一点ね」
そう言って地図を箸で指す勘九郎。彼らは、人狼の鼻で見つけ出したおそらく美味いであろう店、の中で、昼ご飯を食べていた。
「こりゃうまい! こりゃうまい!」
「あっ! 手前そりゃ俺が狙ってた最後の一個っ!」
「うるへー! ここは速い者勝ちだろうがっ!!」
「横島さん・・・雪之丞も・・・いい加減にしないと――」
「横島君、少し黙ってなさい」
「雪之丞、お願いだから静かにしててね」
ピートの制止の声を遮るように、二人の脳天に同時に堅い衝撃が走った。
「「おおおおおっ?!」」
「保護者が怒りますよー。って、遅かったですかね」
「ピートさん、なんだか達観してません?」
「はっはっは・・・ふぅ」
溜息をついても楽にはならず。
「ふうん・・・香港島の、地下ねぇ」
「此処に何の伝も無い私たちでさえ、簡単に特定できたわ」
「あー、そりゃ罠の匂いがぷんぷんしますね」
「大丈夫だろ? 此処にトップクラスの霊能力者が4人もいるんだぜ?」
「4人?」
「まず俺だろ? 勘九郎に、俺を倒したピート、名実とも一流のGS美神令子、ほら、4人じゃねぇか」
「「・・・ああ!」
「そこに自分を入れる辺り、お前も中々の自信家やなー」
「ったりめぇだろ?氷雅――いや、メドーサの妙なちょっかいがなけりゃ、ピートにだって負けねぇぞ?」
食事が終わってお腹も落ち着いたせいか、和やかに話す忠夫と雪ノ丞。その会話を聞きながら美神達は忠夫の戦闘力を知らない雪ノ丞に伝えるべきかどうか少し迷う。
「ほら、あの時の記憶無いですから・・・」
「そう言えばそうだったわねー。あいつがメドーサに勝ったなんて、いまだに私でも信じられ無いくらいだし・・・」
雪之丞のその意見に、というか、4人の辺りで違和感を感じたものの、その後の言葉で納得したピートと美神。おキヌは蚊帳の外だったから知らないし、勘九郎も記憶は無い。知っているのはメドーサと、あのメドーサが話していれば、だが、陰念くらいだろう。
「へー。そうなの」
「しっ!声が大きいわよってあんた!」
と、コソコソと話し込んでいた二人の間に、何時の間にか勘九郎出現。
「やっぱりねー。どーせ、まともに力押しした訳じゃないんでしょ?」
「・・・ま、確かにね。相手が引いてくれたからって言うのもあるわね」
「それでも、メドーサ相手に2対1とはいえ負けてないんですから・・・」
「そーいうとこ、うちの雪之丞にも見習って欲しいんだけどねぇ・・・」
「や、そりゃ無理でしょ。あいつ喧嘩馬鹿っぽいし」
「・・・あんたも唐突に入ってくるわね」
「良かれ悪しかれ、半分ですから」
「・・・それも面白そうな話ではあるわね」
今度はコソコソ話し込んでいた3人の隙間に忠夫侵入。人狼の耳はしっかりと内容まで捉えていたらしい。雪之丞はおキヌが運んできた御代わりに夢中だ。
「ま、おいおいと、ね」
「ふん。仲間でしょ?それぐらい話してくれてもいいんじゃない?」
「今は、っすけどね」
「・・・ますます気に入ったわ。どう?今夜辺り「全力で拒否します!!」・・・あらあら」
そう言い残して再び忠夫は食卓へ。
「あの子、私にくれないかしら?」
「たっかいわよ?」
「・・・えらく気に入ってるみたいね?」
「あれは私の助手なの。文句ある?」
「・・・ぷっ!あっはっは!いーわよ、「今は」諦めましょ。雪之丞にはあの子の事、秘密にしといたほうがいいかしら?」
そして、勘九郎も戻っていった。雪之丞に話さないと言う事は、つまり―――
「・・・気に入らないわね」
「何がですか?」
「何もかもよ」
美神の気持ちは本人どころか神さえ知らず。
「まぁ、原始風水盤が本格的に発動するには満月の夜である事と、この針が必要な訳よ」
「それなら、これを壊してしまうというのは?」
「それもいいけどねー。時間稼ぎにしかならないし――」
「それやると、かなりの人間が死ぬ事になるぞ」
ピートの提案に、軽く返す勘九郎と雪之丞。内容はとても軽い物とはいえないが。
「うあー。ってことは、その針についてるすっげぇ血の匂いは・・・」
「貴方が思っている通りよ。―――この針は、優秀な風水師の生き血なんていう、悪趣味な物を生贄に捧げられているのよ。大量に、ね」
「ま、あちらさんとしては、壊されたら壊されたで、新しく作ろうとするだろうな」
「まーた、厄介な物を・・・風水師全部が人質みたいなもんじゃない」
風水の力を使うための触媒として、というよりも、風水師の地脈への干渉能力が必要なのかもしれないが、今大事な事は針を壊すと言う事は、おそらく無用の血を流すと言う事。
今壊せばしばらくは大丈夫だろうが、ここまで強力なモノをそう簡単に諦めるとは思えない。下手をすれば風水師が全滅するまで続けられる可能性さえあるのだ。分の悪い賭けなんて物じゃない。
「つまり、こっちもさっさと動かないと・・・」
「そういうこと。助手が助手なら雇い主も雇い主ね。説明が早くて助かるわ」
つまり、こうしている間にも新たな針が作られる可能性がある、と言う訳だ。こうなると、美神たちが持っている針は、交渉のカードとしてはちょっと弱い。
「それでも、あんまり騒ぐと神界の連中に干渉されちゃうから、メドーサとしてもその針はやっぱり貴重品よ?」
「多少は、っつーことか」
「・・・よくもまぁ、こんな依頼受けたわねー」
「こっちにも事情があるんだよ。色々とな」
「それじゃ、どこから入りましょうかね・・・」
方針は決定した。目標は原始風水盤。目的は破壊。後は、其処に至るまでの経過の方だ。
「僕が霧になって―――」
「没。あんたらの情報は駄々漏れだったの忘れたの?誘い込まれて各個撃破が落ちよ」
「正面突破! これしかないだろっ?!」
「馬鹿。あっちはこっちより強いのよ?せめて私か美神令子級の霊能者をあと10人連れてきなさい」
「諦めて観光を楽しむってーのは?」
「「今すぐあの世でも観光したいのかしら?」」
「ごめんなさい」
「んじゃ夜襲だ夜襲!」
「夜目が効かない相手ならいいけど、相手は真っ暗な教会を荒らした相手よ?こっちだけ不利になるのは御免だわ」
喧々囂々というかどん詰まり。結局、
「ふぅ・・・情報が足りないのよね・・・」
「せめてあの兵隊と陰念、メドーサ以外の戦力と、兵隊達の正体くらいは知りたいんだけどね」
「あー! もうっ! まだるっこしい!」
「・・・そうっすね。んじゃちょっと調べてきましょうか?」
「「「「・・・へ?」」」」
唐突にそんな事を言い出したのは忠夫。
「・・・まぁ、あんたなら斥候としては適役だけど・・・」
「ま、やばそうだったら直ぐ逃げますから」
「無茶よっ! 助手を見捨てるつもり?!」
「大丈夫大丈夫。こう見えても気配を殺すことと逃げ足には自信があるから」
「相手はあのメドーサよ?! 保障も無いのに――」
「一回だけど、成功したから何とかなるだろ」
「・・・あんた、ほんとに何者よ?」
「何処にでもいる半人狼ッス」
――忠夫偵察隊、出動。といっても一人だが。
――いや
「ふっふっふ! そんな面白そうな事ほって置けるかってんだ」
追加、一名。
「ま、満月も近いし、この程度の暗闇なら」
真っ暗な山道。おそらくこの辺りだろう、と当たりをつけて探し回る。目的は―――
「お、あったあった」
全く同じサイズの足跡。しかも複数、新しい。狩りに秀でた彼の感覚と今までに積み重ねてきた経験は、そこらの猟師顔負けである。
「・・・な、なんつー速さだ・・・勘九郎とタメ張る体力馬鹿だな・・・」
その後を必死で追いかける雪之丞。
――追いかけていったみたいだけど、いいの?下手すれば帰ってこないわよ?
――うちの雪之丞は馬鹿だけど、其処まで優しい扱きはやってないわ。
――相手が、メドーサでも?
――死んだら死んだで、其処まで。何処でも一緒でしょ?
――以外にあっさりしてるじゃない。
――信頼してるって言って欲しいわね。
「ふ~ん、ここか」
やがてその足跡は一軒の屋敷に辿り着く。アレだけの大人数、正門みたいなのがあるだろう、と思っていたが、ここまであっさり見つかるなんて。不自然さを感じながらも、そろそろと慎重に進む。
「う~ん、やーな匂い。腐った死体みたいだなぁ」
「――そりゃそうさ。あれでもゾンビ。腐っててあたりまえ、だろ?」
玄関前まで辿り着いた忠夫の頭上から、今最も聴きたくない声が響いた。
「・・・あっちゃー。ボスが玄関にいるって反則でないかい?」
「おやおや、そんなに余裕で大丈夫かい?」
「んにゃ。これでも結構焦ってる」
メドーサ。いつかの姿のままで、屋根の上で、槍を抱えて月を眺めている。
「いい月だ・・・そう思うだろう?半人狼の坊や」
「まぁな。ムードのある場面だこと」
ふ、と笑い忠夫に目線を向ける。
「お前ら流に言えば、これも月の導き、だろう?」
「あー、月まで俺が嫌いなのかなぁ・・・」
「狸が」
「狼だっての」
いつかの繰り返しのような最後のフレーズ。
「さ、て」
蛇は鎌首をもたげる。
「やりあう予定は無かったから、逃げたいなぁ」
狼は姿勢を低くする。
「ふん。だったらとっとと逃げりゃぁいい物を」
「あんたみたいなタイプは、ぜってー逃げ道に罠を仕掛ける」
「正解」
「だったら、逃げ道は、あんたの後ろだ」
「正解」
「見逃してくれる?」
「不正解」
「はぁぁぁぁ」
「ふふふ・・・」
楽しげに見つめるメドーサ。獲物を前にした愉悦か。待ち焦がれた再会ゆえか。
「――さぁ、始めよう。月下のダンスだ」