月に吼える   作:maisen

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第二十五話。

「・・・・・・だめだったの?」

 

「いや、駄目だったと言うか、最後の最後でちょっと楽しみすぎたと言うか、の」

 

ここは神界、竜神王の城、の謁見の間。玉座に座るは自筆の竜神王代理と書いた襷をかけた天竜姫。その目の前で困ったように頭を掻いているのは先日人界にて竜神王と大暴れをかました猿神ハヌマーン。

 

「・・・・・・猿神おじいちゃんならって思ってたのに」

 

「ま、待て天竜!もう一回チャンスがあればっ!」

 

「・・・・・・おじいちゃんの馬鹿」

 

「ぐふぅっ」

 

 天竜姫の失望に満ちた視線と素気無い言葉のダブルアタックで膝をつく猿神。何気に真っ白にも見える。

 

「ま、悟空坊の詰めの甘さは今に始まったことではないからのぅ」

 

「ぶははははっ!!なっさけない顔!!」

 

 その様子を天竜姫の傍らから眺めて苦笑いしているのは先代龍神王妃。その横で爆笑しているのは先代天竜王。共に現竜神王がその座につくまで名君の名を欲しい侭にした夫婦である。

 

 ちなみに現竜神王、あれで賢帝とか言われている。マジで。

 

「・・・ハク、てめぇ・・・」

 

「ぶははははっ!!」

 

 ギリギリと音の出そうなくらい歯を食いしばりながら、爆笑する「ハク」と呼んだ先代竜神王を見据える猿神。この二人、色々あって長く苦しい旅を共にした戦友同士なのだが、二人揃うと気持ちが若返る為、周囲はほとほと扱いに困っているのだ。

 

「・・・馬野郎」

 

「ぶはは、は、は。・・・猿の漬物」

 

「「表に出ろやっ!!」」

 

 ・・・色々あったのである。

 

「ふははははっ!!猿爺消えたあと、怖いものなどないわぁぁっ!!」

 

「空を飛ぶっつーのも中々にオツなもんだなぁ」

 

「あの空飛ぶ馬鹿を打ち落とせーー!!」

 

「速すぎて捕捉できません!」

 

 こちらは人界、竜神王サイド。いまだに逃走を続ける彼らが都市部に入っていないのは理性が残っている為か。いや、半分からかっているからに違いないのだけれども。

 

「結界部隊呼んで来い! 地上に押さえつける!」

 

「はっ!」

 

 将軍の指示に従い続々と集結する法師風の格好をした角のある人影たち。

 

「あいつ等の頭から結界を張って地上に誘い込む。できるか?!」

 

「やれと言うのならやりましょうが、我らにもあっさりと結界発生装置を壊された恨みがありますので、他の手段を取らせて頂いてもよろしいか?」

 

 

 将軍の質問に答えたのはその中でも一際豪華な格好をした竜神。ちなみにあっさり2人組に叩き壊された結界発生装置、製作年月約10年。彼の額に浮かぶ幾つもの血管はおそらくその為である。

 

「よかろう! 好きなだけやれい!」

 

「委細承知っ!! 者ども、我らの血と汗と涙と他諸々の結晶をあっさりとぶち壊されたのだっ!! この恨みはらさで置くべきかぁぁぁっ!!」

 

『おうっ!』

 

「いくぞっ!!」

 

 

 隊長と思われるその竜神の涙混じりの絶叫に、こちらも半泣きで答える隊員達。その恨みの力は凄まじく、空を行く二人の上からかぶさる様に、お椀の様な形状の結界が二人を上空から押さえつける。

 

 その結界は竜神王の一撃でも破れなかった。正確には、破った瞬間に新たな結界をその外側に瞬時に作る、というまさに神業を見せてじりじりと竜神王達を追い詰めてさえいる。

 

「ぬぅぅっ!これはちょっと骨が折れるなっ!」

 

「しょーがない。下に降りて森にまぎれるか」

 

「よしっ!」

 

 だがしかし、地上に降りようとするその行動こそが、彼ら結界班の目的だった。引き込まれたと承知しつつも、竜神王達は、罠の中に取り込まれていく。

 

「いまだっ!結界・硬式・弁慶!」

 

 

 2人組が潜った森は中々に深く、足元も暗い木々の影に覆われていた。その中で、それは静かに発動する。

 

 

「・・・なにか嫌な予感がする」

 

「はっはっは!力技で打ち壊せる結界なぞ、恐るるに足ら――」

 

 高笑いしながら駆けだす竜神王。それを訝しげに警戒しながら走りだす犬塚父。その足元で、具体的に言うと脛の当たりで堅い物同士がぶつかり合う鈍い音が響く。

 

「「・・・・・・・・・・ふぉぉぉぉぉ」」

 

 真っ暗な森の中で、ちょうど脛の辺りに来るように一直線に発動された、その真っ黒なかったぁぁい結界は、2人組の脛を直撃。その痛みに、最早恥も外聞も無く脛を押さえて転げまわる二人。まさに、弁慶も泣く急所。「弁慶の泣き所」であった。

 

 結界造りの、匠の芸である。流石に全力で駆け出していた為か甚大なダメージを受けた二人は、しばらく悶え苦しむ事となったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁぁぁっ・・・いー天気だ」

 

 ぽかぽかとあったかい陽射しの降り注ぐ昼間。忠夫はアパートから出て近くの河川敷にてねっころがっていた。

 

「美神さんも小竜姫さんからぶん取った報酬で買物に行っちまったし・・・」

 

 前回の依頼を達成した美神は、ほくほく顔で3日ほど留守にすると言う伝言を残し、そのまま精霊石のオークションに出かけていってしまったのである。急に暇になったものの、タイガーは前回の騒ぎで入院中。もう見舞いには行ったし、ピートは唐巣神父と除霊に。その他の知り合いGSも殆どが出かけていて捕まらなかった。よって日向ぼっこに興じることになったのである。

 

「すかー。すぴー。むにゅむにゅ・・・・」

 

 全く持って平和な日曜日であった。忠夫の目を、降り出した雨が覚ますまでは。

 

「うおっ?!」

 

 それからしばらく後、日も大分傾き辺りが夕闇に包まれ始めた頃。

 

日は既にビル街の向こうに消え、空には雨雲がその領域を広げ始めていた。しとしとと降る雨粒は寝息を立てていた忠夫の上にも平等に降り注ぎ、その穏やかな眠りの邪魔をする。

 

冷たさに跳ね起きた彼の目に入ったのは、天から降り注ぎ始めた数多くの雨粒であった。

 

「雨か・・・帰ろ」

 

 霧雨の中。ぽつぽつと点き始めた街灯の明かりを頼りに歩き出す。太陽の恵みで十分に暖まった空気はまだまだ快適と言える。むしろ、ちょうど良いお湿りと言った風だ。

 

「んー。たまにはこういうのもええなー」

 

 上機嫌でねぐらに向かって歩きつづける。まだまだ雨雲も空を覆いきれてはおらず、雲の隙間からは綺麗な月が覗けている。

 

「♪~~」

 

 TVで聞いた最近流行りとか言う歌を口笛で奏でながら、ふらふらと歩く。

 

「・・・ん?」

 

 ふと空を見上げる。遠くの空に光る閃光。他の部分に比べて暗く熱いその雲の向こうに、一瞬の稲光が走って消えた。

 

「雷様? そんな天気には思えんのになー」

 

 山中で育った忠夫の天気に関する勘は中々の物である。だが、幾らなんでも彼には分からなかったであろう。その雷の一条が、まるで意思を持つかの様に突然降り注ぐなどとは。そして彼の言う通り、不自然な雷雲から出現した青天の霹靂とも言うべきそのただ一本の雷は―――

 

「・・・え゛」

 

 まるで意思在る物のように、電柱や人家ではなく、忠夫を直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!しまった!雷に関係の無い人を巻き込んでしまうなんて――」

 

 直後、いまだ着弾の余韻の残る落雷現場に、女性の声が響く。

 

「・・・ええと、通報はしておくから不幸な事故だと思っ「あー、ビックリした」ってこっちが驚くわよっ?!」

 

 その呟きに入り込んだのは忠夫の声。確かに雷は直撃したのに、ちょっと焦げているだけでぴんぴんしている。その焦げた不条理に突っ込む謎の女性。

 

「あれ、あんたさっきまで居なかった・・・それより―――嫁に来ない・・・か?」

 

「ママに手を出すなー!」

 

「子持ちの人妻か・・・ちぇ」

 

「え、さっきまで焦げてたのに、雷に打たれたのに何でそんなに元気なのっ?!」

 

 女性が抱えていたのは少女。年の頃まだまだ一桁の、亜麻色の髪を持った、一目で親子とわかる子供であった。

 

「はっはっは! この程度、美神さんの神通棍に比べればっ!」

 

「・・・もしかして、令子の知り合いの方?」

 

「へ? 令子って・・・美神令子さんですか? あの人の所でGS見習いやってる者ですけど・・・」

 

 女性は、いや、母親はその眼に一瞬だが逡巡を浮かべ、しかしそれを振り切って忠夫に少女を、娘を託す。

 

「この子を、お願いします。必ず令子に、私の娘の所に―――」

 

 だが、その言葉を遮るように、再度の雷が降り注ぐ。しかし今度は忠夫に直撃する事はなく、彼の目の前の女性に向かって落ちてきたそれは、言葉も視界も奪い去りながら、周囲に衝撃だけを振りまいた。

 

「うおおっ!」

 

「きゃあっ?!」

 

 懇願めいた言葉さえも途中で吹き飛ばし、再び雷が降り注ぐ。その残響が消えた後には、何の後も見当たらない。

 

「消えた? ・・・て、ああっ!美神さん居ないんやったーー!!」

 

「うえーん!ままー!!」

 

 後には、大事なことを伝え忘れた半人狼と、一人の少女の泣き声が響くばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、言う訳なんだわ」

 

『・・・だから、しょうがなく此処に連れて来た、と』

 

「その人の娘さんですか・・・そして、この子の名前も令子」

 

「そうだよっ。私美神れーこっていうのっ!」

 

「・・・謎は全てとけたっ!」

 

「『・・・で?』」

 

 とりあえず、泣く子を壁も薄くまともに着替えやタオルも無いアパートに連れて行くわけにもいかず。忠夫はGS美神除霊事務所へと一旦その子を連れて飛び込んだ。

 

 雨でずぶ濡れの女の子をおキヌに預け、着替えさせた後、出てきた名前が美神令子・・・少女の名前であった。人工幽霊一号と3人?で悩むこと数秒。いきなり声を張り上げた忠夫に、なんとなく胡乱な目つきで先を促すおキヌと人工幽霊。

 

「美神さんは俺の嫁候補第一号!そしてこの子は美神令子!つまり俺の娘「人口幽霊さん。やっちゃって」「らじゃ」」うおおおおおおっ!!」

 

 どっからともなく沸いて出た、いつかの全身鎧が、一人盛り上がる馬鹿に向かって、その剣の冴えをアピール。全部避けてる辺り流石だか無駄にと表現されるべきか。

 

「なんのっ!」

 

 しかしその連撃を繰り出す鎧も、忠夫の「ファング・オブ・グローリー」一閃で再び鉄屑へと成り果てる。

 

『ちっ! ますます手強くなりおって!』

 

「ちょっと待て其処の何とかに刃物っ!」

 

『貴方にだけは言われたくないですっ!』

 

「二人とも・・・」

 

「・・・わー! すっごい! お兄ちゃんすっごいねー!!」

 

 そのまま、あわや第二次事務所大戦勃発かと思われたが、その二人の間に、れーこの声と拍手が鳴り響く。

 

「・・・え?あ?その」

 

「お兄ちゃんってGS?! すごいすごーい!」

 

「いやははは・・・照れるなぁ」

 

 そのれーこの声があまりにもストレートだった為か、思わず照れて頭を掻く忠夫であった。

 

「・・・結局何も分かりませんでしたね」

 

『次はどうやって攻めましょうか』

 

「いい加減諦めた方が」

 

『ふふふ』

 

 おそらく言うだけ無駄であろう。

 

「とりあえず、美神さんが帰ってくるまで事務所で預かっておきますから」

 

「ん、頼むわおキヌちゃん」

 

 なんだかれーこに懐かれたが、彼女が寝付いた所を見計らって事務所を出る忠夫。

 

「まーた、なんだか厄介なことになってる気がするなぁ」

 

――その予感は大当たりであった。

 

「もし、其処の方」

 

「へ?」

 

 事務所から出て直ぐ。ちょうど人工幽霊の作り出す結界から出た辺りだろうか。忠夫の背後からかけられるまたもや女性の声。忠夫が振り向けば其処には20歳頃のスーツに身を包んだ女性の姿。

 

「先程、女の子を連れていらっしゃった方ではないですか?」

 

「嫁に来ないか?」

 

「ひっ?!」

 

「うわわっ?! そんな怯えんでも・・・」

 

 普通数歩先を行っていた人物がいきなり目の前に現れて手を握りながら迫ってくればビビる。その肩まで髪を伸ばしたスーツ姿の美女は、怯えた声でその手を振り払う。と言うか、まるで、

 

「し、失礼しました!何でもありません!」

 

「・・・そんな凶悪な顔してるんかなぁ」

 

 そう、狼に睨まれた獲物のような、走り去るその女性が見せた表情は、忠夫をとっても傷付けたのだった。

 

「な、なんだってんだ?! あの眼、体がふるえたじゃん?!」

 

 その女性は、走り去った後ビルの陰で本来の姿を取り戻す。人の顔に鳥の体、翼と羽根と手足。その名を「ハーピー」と言う魔族である。

 

「ちっ!此処は一旦出直しじゃん!」

 

 彼女は、そのまま都会の夜へと飛び去っていった。

 

 

 一夜明けて朝。GS美神除霊事務所。

 

「奥義、大根の桂剥きっ!」

 

「わー! すっごい! うすーい」

 

「便利ですねぇ」

 

 もはや宴会芸に近くなった霊能を余すことなく発揮する忠夫と、無邪気に喜ぶれーこ、美神の言いつけどおりご飯代の代わりに下働きとして下ごしらえをさせるおキヌ。

 

『負けませんよっ!こちらは秘技人参の飾り切りっ!』

 

「えー。人参嫌いー」

 

『そんなっ?!』

 

「わーっはっはっは!お子様の好物を分かっていないことがお前の敗因だぁぁっ!」

 

「好き嫌いは駄目ですよ?」

 

 そして、全身鎧に人参を細かく花形や星型、家型に切らせるも、れーこの一声で敗北を悟る人工幽霊一号が居た。

 

「んー、んまいっ!」

 

「おいしー!」

 

「ありがとうございます♪」

 

 しばらく後に、えらく煌びやかな朝ご飯となった食卓。

 

「んで、美神さんとは――」

 

「ええ、全く連絡が取れませんでした。携帯の電源切っちゃってるみたいで」

 

「そーかー。どうしよっか?」

 

「もうしばらくしてから、電話してみますね」

 

 昨日のおキヌの成果を聞く。残念ながら出張中の令子は掴まらなかったようである。

 

「そんじゃ、今日はちょっと買物にでも行って見るか」

 

「れーこ、玩具が欲しい!」

 

「大丈夫でしょうか?」

 

「まぁ、預けていくくらいだし、安全だろ?じゃなきゃ預け様なんて考えないと思う」

 

「お兄ちゃん! 早く行こうよー!」

 

「はいはい、今行きますって」

 

 あの女性が何者かは、いまだはっきりとしない物の、預けられたものが小さな女の子となれば、とりあえず保護しておくのが必須。名前も美神令子だし、おそらく美神の関係者。となれば雇い主の機嫌を取る為にもちょっと位サービスしてもいいだろう。多分経費で落ちる・・・はず。といいなー。落としてくれないかなー。美神さんだし無理かなー?

 

 そんな事を考えながらも、やはり忠夫としては女子供に優しくすることは母親に――文字通り――叩き込まれた事な訳で。

 

「んじゃ、いってきまーす」

 

「いってきまーす!!」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

 今日の予定はデパートで買物と洒落込む事になったのである。

 

 

『えぐえぐ・・・負けた・・・アレに負けた・・・えぐえぐ』

 

 

「うわー、でっけー」

 

「ふわー」

 

 彼らの前には巨大な、それこ横倒しにした高層ビル一つ分ほどの、面積が丸々ショップというショッピングモールであった。何でも揃うが代価はそれなり、が歌い文句のデパートチェーンの一店舗である。商売する気があるのやら無いのやら。

 

「ねね、あそこいこっ!」

 

「はいはい、しょーがねーなぁ」

 

 元気一杯のお子様に、苦笑いしながらも付き合う忠夫。妹みたいなのも居たことだし、そもそも子供は結構好きなのだ。

 

 

「みつけたじゃん!」

 

 

「なんだっ?!」

 

「そのガキを渡すじゃんっ!!」

 

 月曜日の昼前。客の入りの余り無いデパートの騒がしさは、一瞬にして悲鳴と怒号に摩り替わる。

 

 

「な、なんだありゃっ?!」

 

「ば、化物っ!」「妖怪だっ!GSを呼んでくれッ!」

 

「きゃぁぁっ!化けものよっ!!」

 

「うるさいじゃんっ!!」

 

 騒ぎながらも必死で避難しようとする群衆。其処に打ち込まれるハーピーの羽根。間違いなく、命を奪う一撃であったろう。

 

「な、なんじゃん?!」

 

 その、突如跳んできた看板に羽根が打ち落とされなければ、の話であるが。

 

「ま~ったく。美神さんが居ないときくらい静かにさせてくれっての」

 

「お兄ちゃん、何で隠れるの?」

 

「・・・ん、ま、色々だ」

 

 あの魔族、確かにこちらに向かって子供を――おそらく、れーこを渡せ、と言っていた。狙いはこの子。と、言うことはこの子が預けられた経緯からして、かなり突発的な事態のはず。・・・いや、もしかしてこれは何時か起こりうる事態、だったのか?でも、それなら美神さんが予想してても・・・いやいや、美神さんさえ知らない事だとしたら?

 

 

 其処まで考えて、頭を掻き毟る。そのままれーこに隠れておくように言いつけると、頭を掻きながら隠れ場所から出て行く。

 

「あ~! わからん! わからんが!」

 

「そこかっ!」

 

「とりあえずあんたは悪い奴!俺の前で子供を狙うなんざ―絶対にさせねえぞっ!」

 

 吼えることで、戦意を一気に引き上げた。

 

 

「何も知らない小僧が!」

 

「何も分からなくても、やって良い事と悪い事くらい分かるっての!」

 

ハーピーの放った羽根が、床に幾つもの穴を穿つ。

 

「な、なんて速さじゃんッ!」

 

「まだまだっ!」

 

 そう叫び、手足の先に霊力を集中させる。

 

「新技!壁走りっ!」

 

「そ、そりゃ反則じゃん?!」

 

 その霊力を爪のように変化させ、壁に引っ掛け天井近くに浮かぶハーピーまで一直線に駆けて行く。

 

「はっはっは! 心眼曰く、霊力の使い方は想像力で決まるってな!」

 

「これだから馬鹿って奴はっ!」

 

「馬鹿って言うなーー!」

 

「うわきゃっ!」

 

「ちっ!」

 

 そのままの勢いで跳ね、ハーピーに思いっきり蹴りを食らわせようとするも、やはり純粋な空中ではあちらに分がありすぎる。鼻先でかわされ、落下。

 

「チャンスっ!」

 

「おにいちゃんっ!」

 

「――そこかぁぁっ!!」

 

 落下地点めがけて羽根を飛ばそうとするハーピー。だが、そこに聞こえてきたのはれーこの声だった。直後、狙いは其方に変わる。敵を倒す事ので無く、目的を果たす為に動く事に迷いはなく、これはチャンスだと彼女も分かっている。

 

 故に、一瞬でも敵から目を離した事が、結局は目的を果たせなかった事に繋がった。

 

「死ねぇぇっ!」

 

 羽根を飛ばす。

 

「きゃ――」

 

 

 それに気付いたときには遅かった。目の前に迫る羽根。母の顔、父の顔、唐巣おじちゃんの顔。知り合いの顔。幽霊だけど美味しい料理を作ってくれた人の顔。慰めてくれて、優しくしてくれたお兄ちゃんの顔。浮かんでは消え、浮かんでは消え、そして全てが――轟音と土煙に消え、白く煙る。

 

 

「・・・させないって、言っただろ?」

 

 だが、その煙が晴れた後には、頭から血を流す忠夫と、その手腕の中にかばわれたれーこの姿が確かにあった。

 

「貴様も、人外か・・・」

 

「・・・お、お兄ちゃん、そのお耳」

 

 ギリギリで駆けつけた忠夫が、れーこを地面にして倒込むようにして避ける。だが、元が小さな女の子。その狙いは低く、忠夫の背中と、バンダナを僅かに削って壁に突き刺さった。そして、解けるバンダナと―――飛び出す、その下に押さえつけられていた狼の耳。

 

「はっ! 笑わせるじゃん! 自分の連れの正体も知らなかったのかい?!」

 

「そんな、だって、GSだって・・・」

 

「嘘じゃない。見習だけど、ね」

 

 背中から、頭から血を流しながらそれでも微笑む半人狼。

 

「ふんっ! あんたもあたしも化物じゃん! さっきの逃げていった人間達に、怯えられ、恐れられる! 所詮は化生じゃん!」

 

「・・・・・・・・」

 

 

「それがどうしたってんだ?」

 

「ここまで言っても、分からないのかい?」

 

 ハーピーは、むしろ優しく、囁くように告げる。

 

「その子からしたら、あんたも化物、さ」

 

「――っ!」

 

「それでも、いーんだよ」

 

「・・・え?」

 

 れーこの頭を撫でながら。

 

 

「こんな可愛い子を見捨てたら、犬飼忠夫の沽券にかかわるってーの」

 

 

「はっ!馬鹿がっ!」

 

「馬鹿だって、譲れないモノぐらいあるっ!!」

 

 そう言い残し、忠夫は再び霊力をその身に纏う。

 

 

「届かないなら――打ち落とす!」

 

 

「―――――――――ッ!!」

 

 それは、GS試験で見せた物よりも、更に霊力が高く。澄んだ残響を伴った、完全無音の大音声。

 

「な、なんじゃんっ!! ぎゃァッ!」

 

 その咆哮は既に物理的な破壊力さえ持って――ハーピーの右羽根と、その後ろの壁を打ち砕く。

 

「ば、化物がぁぁっ!!」

 

「それがどうしたぁぁっ!!」

 

 錐揉みしながら落ちてくるハーピー。そこに躍りかかる忠夫。空中で縺れ、至近距離で飛ばされた羽根を両手で撃ち払い、薙ぎ払われた左手をかちあげた膝で吹き飛ばし、頭突きの様に勢いよく忠夫の頭がハーピーの喉元に抉り込む。

 

 ごきゅり、と生々しい音と共に、妖鳥の吐息は絞られ消えた。

 

「は、あ―――」

 

「鳥が逃げずに狩りで狼に勝とうなんて、無理通りこして無謀ってーんだ、よ」

 

 言葉を最後に、霊波刀は、もう一度獲物を噛み砕いた。

 

 と、同時に砕けた窓ガラスの向こうに、巨大な雷が降り注ぐ。

 

「ん?お迎えか、な?」

 

 その、惨劇の場に、三度落ちる光の柱。

 

「れーこちゃん?」

 

 

「・・・・・・・あ」

 

「・・・ごめん、怖がらせちゃったね」

 

「・・・・・・ち、ちが「令子っ!!」」

 

 そして現れるのは、少女の母親。

 

「この惨状は一体…あなたっ、人狼!?」

 

「うっひゃ~、怖い怖い。母親って言うのは、何処でもあんなもんか」

 

「令子、こっちへ!!」

 

 彼女は、駆けて来た勢いのままれーこを抱き上げる。

 

「・・・ハーピーを仕留めるなんて」

 

「ん、んん~」

 

「間に合ってよかったわ。今は対悪魔護符の持ち合わせが無いけど、逃げるだけならなんとでもなる!」

 

「ま、待って!ママ!」

 

「行くわよ!令子!」

 

「あ、あのっ! あり――」

 

 その声を遮るように響いた爆音は、母娘の姿を攫って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、横島さん。れーこちゃんは?」

 

「ん?ああ、母親が迎えに来たよ。えらく慌しく帰ってった」

 

 事務所に帰った忠夫は、いつもの定席でぐったりと仰向けになる。着替えは済ませたし、バンダナも一応まだ使える。その顔は、疲れきっていながらも、どこか――

 

「・・・なんだか嬉しそうですね?」

 

「・・・・・ありがとう、って、言ってくれたんだ」

 

「へー、よかったですね♪」

 

 ―――嬉しそうで。どうやら少女の声は、落雷の音越しでも聞こえたらしい。

 

「・・・意外だったかな?」

 

「そんな事言っちゃ可哀そうですよ」

 

 忠夫は、もしかすると、今までで一番、人狼の血に感謝しているのかもしれなかった。

 

「令子―。どーしたのよ・・・」

 

「知らない! ママの早とちり!」

 

「だから、何が・・・」

 

「ママのバカァァッ!」

 

「は、反抗期! 反抗期なのね?!もうそんな歳になったのね~~!」

 

「違うもん!」

 

「令子ったら、すくすく成長しちゃって・・・ママ、感無量」

 

「もう・・・お兄ちゃん、また会えるかな」

 

子供の頃の記憶は、得てして直ぐに失われる物だ。どれほど大切な物でも、その後に続く衝撃が大きければ、容易く上書きされてしまうだろう。それが、心を荒らすほどに悲しい思い出であれば、なおさら――

 


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