月に吼える   作:maisen

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第二十三話。

「いい加減落ちんかいっ!」

猿神が繰り出した金剛棍。樹齢数百年を数える杉の大木と見まがうばかりの太さを誇るそれは、激しい音を立てて堅い筈の鱗を意に介さず衝撃を透して竜神王を揺さぶる。

「ぐわっ! なんのぉぉぉっ!!」

 

 負けじと竜神王の口から吐き出される灼熱の炎。しかし猿神の体毛を少し焦がした所で

 

「甘いわぁぁぁっ!!」

 

「なんじゃそりゃぁぁぁっ!!」

 

 猿神の振り回した金剛棍があっさりと吹き散らす。竜神王の叫びもむべなるかな。

 

「うわわわわわっ!!こっち来たーー!!」

 

「あじゃじゃっ!!」

 

 吹き散らされた炎は、周りで見守っていた家臣団を直撃。何人か黒焦げではあるが、所詮ギャグ時空的な何かが支配しているので担架で運ばれるだけで済んでいる。。

 

「やはりこのままではっ!」

 

「ふふふ…とうとう諦めたかの?」

 

 流石に武神として名高い猿神。焦りの表情を浮かべた竜神に対して、余裕の笑みを浮かべながらじりじりとその間を詰めて行く。

 

「ならばっ!!」

 

「むっ?!」

 

 大きく息を吸い込む竜神王。猿神は警戒し金剛棍を構えた。

 

「――犬塚殿ォォォッ!!」

 

「おおおおおおおっ!」

 

 が、竜神王の口から放たれたのは焼き尽くすような白い焔ではなく、連れの人狼への合図であった。その声に答えて突如猿神の背後、その足元から飛び出してきたのは犬塚父。

 

「おりゃぁぁぁっ!」

 

「うおっ?!」

 

 よくよく見れば出現地点から先程親父達が密談していた所まで、モグラが穴を掘った後のように土が盛り上がっていた。ここまで穴を掘って来たのであろうか。その地点に誘い込んだ竜神王の策略を見事と褒めるべきか、上が焔の吐息で焙られようが2大怪獣大暴れで踏まれようが揺らされようが我慢しきった犬塚父の勝利への執念に呆れるべきか。

 

「はっはっは! 竜神王の装具の力を見せてやるわぁぁぁっ!」

 

 新しい玩具を手に入れた子供のような目をして、手首と足首、そして頭に光り輝く輪を身に付けた犬塚父は、驚きに一瞬動きを止めた猿神の背中を飛び越え、背後から大上段に刀を振りかぶり、吶喊。

 

「小癪なっ!」

 

 しかし相手は武猿神。不意打ちに対し体勢を崩しながらも、一瞬で状況を把握すると迎撃の一撃を放ち、振り下ろされる刀と金剛棍は空中でぶつかり合う。

 

 さて問題です。豪速球がバットで的確に球を捉えたバッターを吹き飛ばす事はできるでしょうか?

 

「あーれー」

 ホームラン! 快音と共に絶対的な重量差で物理法則に敗北した犬塚父は、そのままお空の星になっていしまったのだった。

 

「……あちゃー」

 

 戦友が飛んで行った方を見上げながら、呆けたような声を出した竜神王。その背後から、目を怪しく光らせた袁神が、金剛棍で肩を叩きながら竜神王の肩を掴む。

 

「……で?」

 

「げ。」

 

 竜神王、ぴーんち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

GS試験会場、その場所は、今まさに人魔決戦の様を呈していた。

 

「横島君、マリア。あんた達はメドーサを足止めしておいて。カオスは勘九朗とか言うのを。ピートは雪ノ丞をなんとかしとめて頂戴。私は先ずあの陰念を相手にするわ」

 

「了解っす」

 

「イエス。ミス・ミカミ」

 

「やれやれ、老人を扱き使いおってからに」

 

「わかりましたっ! 決勝戦の勝敗、此処でつけてやる!!」

 

「相手が厄介だと思ったら時間稼ぎに徹すること。相手に連携させないこと。それから、やれそうならさっさと倒してほかの所に援軍に行くこと。いいわねっ!」

 

 周りの仲間にそう号令し、構えた神通棍に更に霊力を注ぐ美神。

 

 対して白竜側は―――

 

「作戦会議はもう良いのかい?」

 

「あら、待って頂いてたみたいね」

 

 既に冷静さを取り戻したメドーサは余裕の表情でGS陣営を眺め、その前に構える3人組は、全くの無表情のままただ構えを取っている。

 

「その余裕が命取りだって事、教えてあげるわっ!」

 

「はっ!! やれるもんなら――やってみなぁぁぁっ!!」

 

 その声と共に、素早く左右に分かれる白竜3人組。右に勘九朗、雪ノ丞。左に陰念。そして彼らの隙間を縫うように、中央からはメドーサの抜き打ちの魔力砲がGS陣営に向かって放たれる。

 

 が、それは誰にも当たる事無く床板を抉り、着弾と共に巻き上げられた爆炎は、戦いの狼煙となって燃え上がる。

 

「さて…私の相手はあんた達だったね」

 

「あ~、手加減してくれないかな?」

 

「ノー。横島・さん。メドーサ・魔力値・急激に・上昇しつつ・あり。余計な・希望・持たない方が・貴方の・精神衛生上・よろしいかと」

 

 爆炎を物ともせず、その只中を歩み出る忠夫とマリア。

 

「はあぁぁぁ。いっちばん厄介な所とか~~バンダナはもう閉じたままだし」

 

「問題・ありません。対GS試験用・装備・順調に・稼動しています」

 

「ふん。天竜姫の時の借り、返させてもらうよ…」

 

 呟いたメドーサは、両の掌を胸の前で合わせると、その手を押し広げるようにして、其処から二股に分かれた槍を取り出す。そして具合を確かめるようにそれを一振りすると、斜めに構えてこちらを睨み付けた。

 

「あんたの命でねっ!!」

 

「お~、怒ってる怒ってる」

 

「ノー。横島・さん・もう一度・言います。全く・問題・ありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてさて、マリアの方はあやつがついとる限り…いや、ち~と心配じゃな」

 

「グルルルル…」

 

 悠然と立つカオスの前に、唸り声を上げながら構える、魔装術を発動させた勘九朗。

 

「ふん。意識は獣に落ちても、体で覚えた技術だけは無くさんか…哀れな」

 

「グアアアアアッ!!」

 

 その声に反応したのかは定かではないが、勘九朗は大きく声を上げるとカオスに向かって飛び掛る。

 

「聞こえてはおらぬだろうが、一つ、講義をしてやろう。錬金術師の戦闘の本領は、な」

 

「ガッ?!」

 

 カオスに向かって右手を振り下ろすが、それはカオスを素通りし、会場の床を抉るのみ。

 

「己の生み出した道具を使った、戦術支配にある」

 

 声が聞こえてきたのは、勘九朗の足元に転がるゴツゴツとした、機械でできた小さな球から。その球は、勘九朗が気付いた途端に破裂し、凄まじい光を溢れさせる。

 

「グギャァァァァッ!!」

 

「ゆえに。狂った獣では、人の知恵には及ばんのだ」

 メドーサによって起きた爆煙に紛れて身を隠していたヨーロッパの魔王は、哀れみを籠めた視線を向けながら、静かに勘九郎の背後に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「雪ノ丞…あなたとは、こんな形でなく、ちゃんとした試合をやりたかった」

 

「……」

 

「だけど…いや、だから。――これが貴方と僕のGS資格を賭けた戦いだ」

 

 右手で十字を切りつつ、左手は拳に変えて握りこむ。

 

「ルォォォォン…」

 

 確かに魔族の術によって意思を奪われながら、雪ノ丞はまるでそれに答えるかのように、低く満足げな一鳴きをした後、自然に構えを取ってピートの眼を見つめる。

 

「始めよう。GS試験、第2回戦だっ!!」

 

「オッ!!」

 

 互いに繰り出した右拳は、互いの左頬にぶち当たり、互いを後方にぶっ飛ばした。

 

 

「…さて、と。どうやらあんたが3人の中で一番厄介みたいね」

 

「へっへっへ。あんなメドーサ様の下僕に乗っ取られた奴等と一緒にするなってんだ」

 

 静かに対峙する美神と陰念。だが、この不細工な魔装術に鎧われた青年だけは、他の二人とは明らかに雰囲気が違った。

 

「ふーん。ってことは、あの二人は利用されただけみたいね」

 

「ケッ!少しばかり強いからって、いい気になってるからさ!」

 

 陰念は気付かない。

 

「あら?じゃあやっぱり貴方が一番弱いのかしら?」

 

「――キサマッ!」

 

「だ~ってそうでしょ?どう見てもあんたの鎧がいっちばん不細工だし」

 

「…黙れ」

 

 戦いは、殴りあうだけが戦いではない。

 

「その魔装術ってーの? 他の二人に比べて迫力も無いし、見っとも無いし」

 

「黙れ!」

 

「なんと言っても顔がチンピラって感じよね~」

 

「黙れ黙れ黙れェェェッ!! あいつらなんかよりも、俺が、俺が一番強いんだぁぁっ!!」

 

「あんたが意識を保ってるつもりなのも、どうせ取り憑いた眷属が少なかったからじゃないの?」

 

「っ!」

 

「あーらあら、図星みたいね。少し揺さぶっただけでこんなカマに引っかかってるようじゃ、まだまだよ」

 

 情報を得ることも戦いだ。そして――

 

「このくそアマァァァァツ!」

 

「さ~て、ちょっとキツメのお仕置きタイムと洒落込みましょうか」

 

――GS美神令子。その超一流のブランドは、伊達や酔狂では、断じて、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着きたまえ冥子君っ!」

 

「きゃ~!きゃ~!きゃ~!」

 

「何ですのこの方はぁぁぁ!!」

 

 一方その頃白竜道場では、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていた。

 

「ちょっと手裏剣が掠めたくらいで何でこんなことにぃぃぃっ!!」

 

「忍者なら戦う相手と依頼人くらい調べておきたまえぇぇぇっ!!」

 

「きゃ~!きゃ~!きゃ~!きゃ~!きゃ~!きゃ~!」

 

 響く二人分の女性の泣き声と、一人分の苦労人っぽい男性の声。そして揺れる地面と響く爆音。何があったかは推して知るべし。

 

「大丈夫でしょうか、唐巣さん達は…」

 

 そして小竜姫は神父達に後を任せ、会場に向かってまっしぐら。大丈夫ではないが死にはしない、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウガァァァッ!!」

 

 鋭い爪の一撃が向かう先は、既に興味を失った様子で詰まらなさそうに勘九郎を見ている老人の首。

 

「それも外れ、じゃよ」

 

 が、それが貫いたのは幻影の首。空気に溶けるように消えた影の足元に転がる、幾つもの小さな丸い物体が、勘九郎の足元で閃光と共に轟音を撒き散らし破裂する。

 

「ガッゥッ!!」

 

 最早、幾度繰り返したであろうか。カオスの幻影を殴りつけ、その度に放たれる衝撃や爆発、閃光に轟音。その様は正に獣と猟師の如く。罠にかけるカオスと罠ごと食い千切らんとする勘九朗の戦いは、傍から見れば至極単純な物であった。

 

「ふむ。やはりベースは人間、か。しかし半分霊的存在と化しておる」

 

「グルルルル…」

 

「だが、飽いたな」

 

 呟くカオスの眼には失望が。飛び掛る勘九朗の目には狂わんばかりの怒りが。しかし、それまでの展開とは異なる事態が発生する。

 

「ゲハハハハッ!」

 

 眼に頼ることを諦めたのか、魔装術の口元を歪めた勘九朗は、己の周囲にいくつもの魔力を凝縮させた球体を作り始めた。

 

「ほう、獣とはいえ学習はするか」

 

「ガァァッ!!」

 

 勘九朗の咆哮と共に全方位に向かって放たれる光の球。それは一瞬にして周囲を抉り、弾け、炎の華を広げる。

 

「ゲハハハッ!!」

 

 その中心で焔にまみれ、己の魔装術にもダメージを受けながら、だが勘九郎は痛みも意に介さず高笑いを上げた。

 

「所詮は獣、か。…先も読めずに、只、力押しで『ヨーロッパの魔王』に勝つには」

 

 だが、カオスの声は途切れない。そして、勘九朗の足元には、何時の間にやら先程から痛い目を見させられ続けた機械仕掛けの球体達が、幾つも、幾つも――百を超えるそれらが、まるで自分の意思を持つように、先ほど勘九郎が放った光球の軌道をなぞるように、全方位から転がってきていた。

 

「ガァァァッ?!」

 

「――900年程、遅かったのう」

 

 そして、その一言を最後に、今までの”実験結果”から確実に意識を断てるように調整された閃光と爆音と衝撃を万遍なく全方位から受け、獣は傷付く事無く意識を根こそぎ剥ぎ取られたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおおおおっ!!」

 

「オオオオオッ!!」

 

 ピートの右拳が雪ノ丞のどてっ腹にぶち込まれれば、苦痛の声を上げながらも雪ノ丞はその手首を掴み、痛みを堪えて人間の幅を超えた膂力でピートを振り回す。

 

「なっ!」

 

「オウッ!」

 

 数回も振り回して完全に平衡感覚を失った瞬間、雪ノ丞に投げ飛ばされ、受け身も取れないまま地面に叩きつけられるピート。。

 

「がはっ! っこのっ!」

 

 即座に跳ね起きたピートは、追撃の拳を振り下ろす雪ノ丞の一撃を擦り抜けるように交わして背後にでると、勢いそのままに周り蹴りを背中に向ける。が、野生の獣じみた勘で察知した雪ノ丞は素早く前転して回避し、そして二人は再度向かいあう。

 

「ガッ!」

 

 そして再び始まる乱打戦。いったい何発殴ったか。何回殴られたか。もう、数えちゃいられない。そんな暇があるのなら、息をつく間があるのならば、その時間に拳を相手に叩きこめとばかりに互いに防御を捨てて殴り合う。

 

「ぜりゃあっ!」

 

 だが、魔装術で防御力は高められようとも、元々の体力では半吸血鬼であり、雪ノ丞程まではいかずとも、本人の性格もあって十二分に鍛えていたピートにわずかに軍配が上がった。

 

「ガッ!」

 

 ほんの一瞬の呼吸を求め、意識が息を吸う事に逸れた雪ノ丞の眼前に、愚直に相手を打倒する事にほんの少しだけ長く注力出来たピートの拳が見えた。それは、意識の隙間を抜け、抉りこむように酸素を求めて膨らみ、緩んだ雪ノ丞の腹筋を強かに打ち据える。

 

 綺麗に決まったピートの拳。踏みとどまる事も出来ずに吹っ飛んだ雪ノ丞は、そのまま壁に叩きつけられた。

 

「っはあっ! はぁっ! はぁっ!」

 

「ごふっ、ごふっ。ゴルルルル…」

 

 だが、それでも雪ノ丞は立ち上がり、腹部を押さえながらもふら付く足で破壊された壁を抜け出す。

 

「オオオオン…」

 

 壁から抜けた彼は、悲しそうな、いや、悔しそうな一声を上げた。

 

「…そうです。貴方も僕も、もう限界だ。終わりですよ、次でね」

 

「オオオオオオオン…」

 

「…残念ですか? 僕も少し残念です。でも…」

 

「……」

 

「貴方が「こちら側」に戻ってこれたら、また、いつか、やりましょう」

 

 その言葉が終わると同時に、余力を全て注ぎ込み、凄まじい勢いで駆け出すピート。雪ノ丞は動かず、ただ拳を握り最後の力を蓄え、待つ。

 

「「がぁぁぁぁぁぁっ!!」」

 

 先に繰り出されたのは雪ノ丞の拳。カウンター狙いのそれは、間違いなくピートの鳩尾に突き刺さる軌道であった。そして、ピートは避ける事もせず、一直線に己の腹部めがけて襲いかかる致命的な一撃を一瞬だけ確認すると、迷うことなく最後の一歩を踏みこみ、拳を相手より一瞬遅く繰り出した。

 

 しかし、雪ノ丞が叩いたのは空気の壁と、霧に変わったピートの体。胴体だけを霧と化し、雪ノ丞の拳を無効化したピートは、僅かに笑ったようにも見えた顔に、クロスカウンターをぶち込んだ。

 

「ガぁ…」

 

 意識を断たれた雪ノ丞は、何処か満足げに、だが納得いかなそうにも見える表情を解けて行く魔装術の下から曝しながら、大きな音を立てて膝から崩れ落ちた。

 

「ふぅ…切り札は最後まで取って置くものですよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んで?まだやるつもりなのかしら?」

 

「…ち、ちくしょう」

 

 神通棍、破魔札、精霊石等々。様々な攻撃手段。そしてそれを活かしきる頭脳。十分な威力。ともすれば器用貧乏と呼ばれるその多彩な戦術全てを高いレベルでこなす事が出来る。まさに彼女の戦い振りは万能のGSと言うに相応しいそれであった。

 

 殴りかかっても神通棍でそらし、受け流し、的確なダメージを必要なだけ霊力を籠めた一撃で与え、切り返される。

 

 魔力砲は結界符であっさり防がれる。

 

 残り少ない魔力を使った、破れかぶれの連続魔力砲も、精霊石で防ぎきられた。

 

勝てない。陰念の脳裏に、その言葉が過って、もう何度目の攻防になるだろうか。

 

「化け物め…!」

 

「しっつれいねー。妖怪みたいな見た目になった奴に、化け物呼ばわりされる筋合いはないわよ」

 

「なんっでだっ! なんでそんなに強い?!」

 

 陰念の喉から迸ったのは、怒り。化物になっても強い力を得たい。魔族に利用され様がそれでも構わない。強く、強く、もっともっともっともっともっと!!!

 

「それが馬鹿だって事」

 

「なっ?!」

 

「その意味がわからないようじゃ…強くなっても、弱いままよ?」

 

「どういう意味だ?!」

 

「自分で考えなさい。私はあんたのママでも先生でもないの。其処まで優しくする理由が無いわ。ま、大金積まれたら話すかもだけど♪」

 

 その瞳から覗くのは、自信。自分に対する絶対的なまでの信頼。そして、大きな欲望と情熱。其処にあったのは、非常識なこの場で非常識なまでに余裕を持った、どこまでも美神令子である女性であった。

 

「…いまさら、だ」

 

「…そう。駄目みたいね」

 

 もしかしたらそれは、最後に垂らされた一本の蜘蛛の糸だったのかもしれない。踏み止まるべき、最後の一線だったのかもしれない。

 

「今更そんなこと関係ねぇよっ!!」

 

 だが、彼は迷わずそれを引き千切り、踏みにじった。そして、それらに背を向け、再度自分で線を引く。

 

「なら、どうするのかしら?」

 

「力、だ。お前も、あの蛇女も、誰でも、何もかも! 全てぶっ殺せる、そんな力があればいい!」

 

 己の求める物のみを信念とし、新しく引いたラインは、決別の一線。叫びと共に溢れ出す魔力。しかし、それはさっきまでの魔装術といった偽りの魔力ではない。

 

「…魔道に堕ちた、わね」

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオっ!!!」

 

 陰念本人から溢れ出す物。そして陰念はその姿を変貌させる。獣を超え、鬼を超え、ただの化生へと魂から変貌していく陰念。

 

「グガァァァァッ!!」

 

「…情けない。あんたよりはまだ横島君のほうが分かってるわよ。きっと、ね」

 

 目からは理性の色が消え、まるで空腹の獣のごとく涎を垂らす彼を見て、美神は、懐から破魔札を数枚取り出し、陰念に向けた。

 

「マダダッ!モット、モットチカラガッ!!」

 

「うそっ?!」

 

 しかし彼の執念は其処で終わらなかった。一端下級魔族へと変わった陰念は、更にその姿を変えていく。させてなるかと破魔札を投げる美神。だが、それは威力を発揮する事無く、彼の周囲に漂う魔力に吹き散らされ、辺りに紙屑となったそれらが、まるで祝福の様に舞い散った。

 

 変容は、静かに終わりを告げた。其処に居たのは、陰念の姿に戻った…いや。

 

「喰らったのね。あんたの中にいたメドーサの眷属を、その魔性を」

 

「ああ。もう、戻れねぇみてえだがな」

 

 その皮膚のあちらこちらは鱗で覆われ、瞳は蛇眼と化している。なによりも、その存在から溢れ出すのは――強力で、純粋な魔力。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シュッ!」

 

「なんのっ!」

 

 メドーサの繰り出す槍を、右の拳に霊力を纏わせ弾き返す。反動で槍を振り払い、一気に懐に飛び込む。

 

「おらぁっ!!」

 

「甘いねぇっ!!」

 

 隙だらけに見えたボディに一発ぶち込んでやろうと踏み込むも、待っていたのは迎撃の膝蹴り。もろに喰らって仰け反る。

 

「喰らえっ!」

 

「ノー。その行動は・不可能・です」

 

 其処を狙って引き戻した槍をガラ空きの喉に突き出すも、槍の穂先を正確に狙ったマリアの銃撃がそれを押し留める。

 

その隙にメドーサの膝を踏み台に後方へ跳んでマリアの傍に忠夫は着地した。

 

「いたたたたっ!」

 

「大丈夫・ですか?横島・さん」

 

「お~。マリア、ナイスフォロー」

 

「ノー・プロブレム」

 

「ちっ! 人形風情が厄介なっ!」

 

 舌打ちと共に再び構えるメドーサ。それに呼応するかのように霊力を高めていく忠夫と―――マリア。

 

「…マリア、何時の間にそんな事できるようになったん? 俺より使い慣れてない?」

 

「ドクター・カオスは・陳腐な表現・ですが・まぎれも無い・天才です。一週間・ほどで・プログラムと・システムの構築を・ボディの・変更と共に・仕上げられました」

 

 驚いたように尋ねる忠夫に対し、マリアはどこか誇らしげにカオスのことを伝える。いつぞやのカオスの秘密基地捜索で、色々と探していたのはこの為であったようだ。

 

「ボディの変更?」

 

「イエス。この・用に」

 

見た目全く変わらぬマリアの何処が変わったんだろう?と思っていると、マリアはその手を忠夫の頬にあてる。

 

「うぇっ?!  …あ、や~らかい」

 

「霊力を・より効率的・に循環・できるように・有機物メインの・ボディに・換装・してあります」

 

 いきなりのマリアの行動に驚くも、その手から伝わるのはあったかさと柔らかさ。つくづくあのカオスのやることには驚かされっぱなしの忠夫である。

 

「これからも・バージョン・アップを・随時・施す予定です。期待して・お待ちを」

 

「いや、期待って…」

 

「…期待、して・いただけません・か」

 

「いやいやいやいや!! 期待する! 期待するから!! 楽しみだなーもう!」

 

「ありがとう・ございます」

 

 何処となくしょんぼりしたようなマリアに、慌ててフォローする忠夫。その返答を聞いたマリアはやはり何処となく嬉しそうで。

 

「………で、もういいかい?」

 

「うおっ!!」

 

「……」

 

 そしてすっかり忘れていたのに、律儀に待ってくれていた冷たい視線のメドーサの突っ込みで慌てて振り向く忠夫。マリアはなんだか不満そうであった。

 

「はんっ! 全く。機械なら機械らしくしてりゃいいものを。なに色気づいてんだか」

 

「……」

 

 メドーサのその一言に、マリアは無言でブーツに仕込まれたブースターを吹かして突撃する。

 

「マリアッ?!」

 

「へぇ! 機械人形が、図星を付かれて怒ったのかい?!」

 

 嘲弄するメドーサと視線を合わせながら、マリアは更にブースターの出力を上げた。

 

「ノー。これは・只の・敵への・攻撃です」

 

「中身は小娘かっ!」

 

 勢い良くメドーサの前まで突っかけて行ったマリアは、メドーサの突き出した槍を、直前で、そのままの勢いで左足を後ろに振り上げ縦に一回転。胴体を狙って突き出された槍は、逆さまになったマリアの頭の下を掠めるようにして通り過ぎる。空中に浮かんだままで遠心力を活かした踵落し。

 

「がぁっ!!」

 

 流石に目の前で背中を向けられたことに一瞬動揺したのか、槍を引き戻す暇も無く、頭は避けたものの左肩に強い一撃を喰らうメドーサ。マリアは肩を踏んでメドーサの後ろへ。慌てて振り向くメドーサ。

 

「こ、この小娘がぁっ」

 

「これでも・製造されてから・700年・経過して・います」

 

「人形の癖にっ!」

 

「…羨ましい・のですか?」

 

「――っ!」

 

「貴方には・そういった・存在がいなかったの「だまれぇぇぇっ!!」」

 

 その一言が、何に触れたのか。

 

「機械が、それ以上囀るなァァァッ!!!」

 

「これは――」

 

「砕け散れ!!」

 

 メドーサの手に蓄えられたのは、それまでとは比べ物にならないほどの巨大な魔力。一瞬の間さえも無く放たれたそれはマリアに向かって突き進む。回避するには速度がありすぎる。距離が近すぎる。されとて直撃すればその言葉どおりマリアは砕け散る。

 

――しかしその顔に焦燥は無い。

 

「――ォォン!!」

 

 そして、それは観測していたデータ通り、マリアを傷付けない。疾風の如く割り込んだ影が、高密度に圧縮された退魔の咆哮と共に、その力を真っ二つに切り開く。

 

「おお、ほんとに出来た。初めてだったけど何とかなるもんやなー」

 

「ありがとう・ございます。横島・さん」

 

「ふ…ふざけるなぁぁっ!!」

 

 渾身の魔力を籠めた一撃を、感情の乱れで多少収束が甘かったとはいえ、横合いからとあっさりと切り裂かれ、無効化された。その事実に、そして忠夫の手に光るそれに、メドーサは激昂の声を上げる。

 

「まじめだっつーの。これ以上無い位」

 

 その台詞とは裏腹に、何処までも軽い口調で返すのは半人狼の青年。その右手には、青く光り輝く霊波刀。バンダナに開いた獣の目が最後に伝えた技は、人狼としての霊波刀の作り方。

 

ブッツケ本番で試すことになるとは思わなかったが、結果オーライ。

 

「便利だなー、これ。まさに栄光を掴む俺の牙、『ファング・オブ・グローリー』ってか」

 

「…ノー・コメント」

 

「あれ? 不評?」

 

「ノー・コメント・です」

 

 軽く振り回しながらマリアに問い掛けるも、マリアは視線を逸らして批評せず。

 

「……もう、いい。認めてやる。お前らは、確かに厄介だ」

 

 そのどこまでもぺースを崩さない目の前の二人に、そう告げる。辺りの喧騒も、何時の間にか静まり返っている。どうやら完全にこちらの陣営は沈黙したようだ。―――いや

 

「メドーサ様」

 

「陰念か。随分と変わったようだね」

 

「ここは一端引くべきだと思いやすが」

 

「…ふん。これ以上は時間がかかりすぎる、か」

 

 メドーサの傍らには、何時の間にか姿を現した陰念。そして、辺りからは美神やカオス、ピートがこちらへ駆けて来る音が聞こえる。

 

「…ちっ!」

 

 心底悔しげに舌打ちすると、ふわり、と浮き上がる陰念とメドーサ。そして陰念は会場の天井に向かって魔力砲を放つ。

 

「…次は、必ず、殺す」

 

「美神令子。あんたのお陰だ、ありがとよ。お礼にその命、しばらく預けといてやらぁ」

 

 メドーサは、もはや手の届かない高みで、懐から四角い板のような物を取り出すと、それについているボタンを押し込む。だが、何も起こらない。

 

「…壊れたのかいっ?! 最後の最後までケチの付きっ放しかっ!!」

 

 そう捨て台詞を残して、会場にあいた穴から飛び出していくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「はぁぁぁぁっ」」」

 

「なんじゃなんじゃ。若い者が揃って溜息なんかつきおって」

 

「ドクター・カオス。お怪我は」

 

「おう、マリア。ぴんぴんしとるよ」

 

「なんでそんなに元気なんだこの爺は」

 

「さすがドクター・カオスさんですねぇ」

 

「…そういう問題かしら」

 

 安堵の溜息をつく美神たちに向かって情けない、と言う感じで説教するカオス。マリアに向けた表情は只の好々爺なのだが。

 

「美神さん!!」

 

「遅いっすよ小竜姫様ぁー」

 

「メドーサならついさっき逃げちゃったわよ」

 

 疲れて座り込む美神たちの前に、メドーサが開けた穴から飛び込んできたのは小竜姫。

 

「えええっ!そんなぁ」

 

 今度は完全にすれ違った事を知って、流石に落ち込む小竜姫の肩を叩くカオス。

 

「そんなお前さんにプレゼント。これを押してみい」

 

「へ?」

 

「ほれ」

 

 戸惑う小竜姫の手を握り、懐から取り出した何処からどう見てもTVのリモコンなそれの赤いスイッチを押させる。――と、同時に遠く離れた空からごッつい爆音が響いた。

 

「おお、成功成功」

 

「あ、あのー」

 

「いやなに。昨日怪しい装置を見つけたのでな? 遠隔操作のようじゃったから、少々弄くって本来使用される筈だったエネルギーがリモコンへ流れ込むようにちょちょいっとな?」

 

「リモコンってそういうもんじゃないでしょ…ってーことは、あの爆発は」

 

「うむ。物持ちが良い相手で助かったわい」

 

「え? え?」

 

 呆れた様に尋ねる美神と、泰然と答えるカオス。そしていまだに状況把握のできていない小竜姫。

 

「爺いっ!俺の嫁さん候補の手を気軽に握るんじゃ「あ・スタンガンが・暴発・しました」―――あびゃびゃびゃびゃびゃびゃっ!!!」

 

 いまだに小竜姫の手を握るカオスに向かって突っかける忠夫に、どこまでもざーとらしい台詞をのたまいながら、いつぞやの電撃を二割増でかますマリア。

 

「あだだだだ…体中が痛いぜ…」

 

「あ、元に戻ったみたいですね」

 

 隅っこに適当に放り投げて――いや、一応安全の為に避難させたのだが、若干粗雑に扱われていた雪ノ丞と勘九郎が、頭を押さえながら起き上って歩いてきた。

 

「む、そこの半吸血鬼!なんだかお前と勝負する!!」

 

「えーと、幾らなんでも直ぐは嫌かなぁ…またの機会で」

 

「あら、それじゃ雪ノ丞は私と寝技でも「いらんっ!!」ま、つれない事」

 

 雪ノ丞と、それに話し掛けた途端に勝負を挑まれるピート。そしてこちらはカオスが体にダメージを与えずに意識を刈り取った為、意外に元気な様子でその背後から怪しいお誘いをかける勘九朗。

 

――天井からは、真昼の月が、薄っすらと姿を見せていた。

 

 

 

 

「…けほっ」

 

「…ごほっ」

 

「…一体何だってんだい。…もうやだ、帰って寝る」

 

「…そうですね」

 


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