月に吼える   作:maisen

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Q感想で、霊力は妖怪の本能を押さえる為に使われているとありましたが?

Aどの辺りが本能を抑えていたように見えましたか?



第二十一話。

「わーっはっはっはぁ!!」

 

「もうちょっと自分の家臣に対して思うことは無いのか?」

 

「あれは天竜と私の敵だァァァッ!!」

 

「お、これは中々良い剣じゃないか。もーけもーけ」

 

 既に目の色を変えて追手たる家臣とその部下達をその圧倒的な武力で弾き飛ばしながら、ひたすら逃走――というか既に殲滅戦――を繰り広げる竜神王。

 

 そしてその後ろで貴重品の保護と言うお題目で火事場泥棒をやりながら散発的に襲ってくる武装した兵士達をあっさりと叩きのめす犬塚父。時折飛んでくる流れ弾を見もせずに叩き落しているのは流石なのだが、使い方に問題があるのは人狼の里のデフォルトなのだろうか。

 

「くそうっ!! 第二装甲歩兵団前へーっ!」

 

「将軍っ! もう捕獲用麻酔弾が切れそうです!」

 

「ええいっ! あの馬鹿殿はぁぁっ!! 麻酔弾じゃなくて実弾もってこい実弾!」

 

「はっ!了解しました!」

 

 えらくあっさり自分の主に向かって実弾の発砲許可を出す将軍と、迷わず従う部下。なかなかセメントな関係である。彼らの日頃の苦労が垣間見えているとも言うが。

 

「発砲は任意!全力でいけぇぇぇぇぇっ!!」

 

「「「日頃の恨みぃぃぃぃっ!!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

「な~んで、こうなるかなぁ…。はふぅ」

 

 やや日の傾き始めた時刻、横島はテンションの低いまま友人達と一緒に歩道を歩いていた。何処となくやつれた雰囲気と、面倒くさげな表情が物語る様に、今、彼の方には先日まで考えてもいなかった重圧がかかっている。

 

 彼の所属するGS事務所の看板と、その所長のブランドと、彼に期待を寄せる竜神族の少女の想いだ。それを意識せざるを得ない状況に陥った原因には責任は無い、とも言い切れない部分もあるが、特に看板とブランドに関してはとある老人の意趣返しも含めた悪戯けの要素も大きい。

 

 が、だからと言って、じゃああっさり負けても良いわ、と言ってくれるほど甘い女傑では無いのだ、彼の勤め先の所長は。

 

「後一回…後一回勝てばGSになれる! 僕だってやればできるじゃないか!」

 

 むしろ今となっては隣を歩きながら気炎を上げる、真っ直ぐに試験に挑戦している立場のピートが羨ましく感じてしまう横島である。

 

 朝までは確かにプレッシャーを感じて緊張していたピートを気楽に眺めているだけの立場だった筈なのに、今ではこちらも必死こいて試験に挑まなければならなくなった。

 

 思わずため息の一つや二つくらい、口を突いて出よう。

 

「相変わらずの温度差ジャー…朝とは事情が違うがノー」

 

 そんな対照的な二人を後方から眺めながら、タイガーは思わず笑いを零した。

 

 第二次GS試験一回戦終了後、忠夫、ピート、タイガーらは揃って会場を後にしていた。今回のお仕事の策が、最初から潰えてしまったと思っている横島はともかく他の2人の心には自信と言う形で良い影響を与えているようである。

 

「いいよなー。お前らはさー。頑張ったら褒めてくれるからさー」

 

「えっ? だって美神さんはともかくとして、おキヌさんが居るじゃないですか」

 

「そうジャそうジャー」

 

「その美神さんが目茶苦茶怒ってそうだから困ってるんじゃないか…」

 

「「ああ…」」

 

 かなり深刻である。せっかくメドーサを警戒させない為に事務所の名前を隠してまで――事務所の名誉を守るため、というのも大きな理由だったが――試験を受けたのに、あっさりバレる、無茶苦茶な勝ち方をする。悪目立ちもいい加減にして欲しい。とか思ってるに間違いない。と言うか思ってる。そんで怒ってる。

 

 そこまで考えて、横島はこれから報告と明日の相談に事務所に向かっていた足が、とてつもなく重くなるのを感じてしまう。

 

「今日帰りたくないの…」

 

「「キモっ!!」」

 

 しなを作ってまで逃げ場所を確保しようとするも、友人らにはいたく不評のようである。当然だが。ともあれ全く何の解決にもならない事態の先送りにも失敗した所で、横島がもう一回溜息を吐いて事務所へ向かおうとした、その矢先。

 

「あら、だったら家に来ない?」

「「「うおっ?!」」」

 

 まさかの成功である、が、別に本当にお誘いがあったことに驚いた訳ではない。横島達三人が驚きの声を漏らしたのは、その声の主があまりにも予想外だったからだ。

 

「お前、逃げた方がいいと思うぞ! わりとマジで!」

 

「雪ノ丞。あいつが捕まったら開放されるとか思わんのか?」

 

「動くな逃げるな俺の為に!!」

 

「ま♪だったら2人一緒に「「断るっ!!」」あら、そお?」

 

 どう贔屓目に見ても善人とは言い難い3人組の中でも、一番ごっつい男性の声だったからである。雪ノ丞と呼ばれた小柄な男は助言のような物をしたものの、あっさりと最も小柄な男の提案に乗ってるし、物ともせずに最初の男性は2人纏めてとか戯けた事を言い出す始末。

 

「…ああ、まぁ、その、あれだ。何か用ですか?」

 

 横島は微妙にと言うか確実に逃げる体勢。おそらく目の前のオカマっぽい発言をした男が再び同じような行動に出れば、友人二人を囮に逃げる気である。無論友人達もそれを察知している為、やや牽制し合うような視線が三人の間で交わされているが、タイガーと横島の間ではピートを囮にする事がアイコンタクトで即決された。

 

 ピートもピートで何となく二人がそう言う行動に出るのが分っているので、もしそうなったら即行で霧になって逃げる腹積もりである。

 

 と、横島達三人の思惑はともかくとして、舐めるような視線だったオカマ男の視線が、ふと何かに気づいたように鋭くなった。

 

「あら? 貴方達はもしかして…」

 

「一応、明日の対戦相手の顔を見に来たんだがな」

 

 疲れたように隣の大男を見上げながら、溜息を洩らして雪ノ丞と呼ばれた男が呟いた。当初の目的を忘れて何をやっているんだと内心同僚に毒づくも、それを表に出す精神力はもう無いようだ。

 

「まさか、お前ら全員うちの道場とかち合う可能性があるとはな」

 

 もっとも小柄な男が横島達を睨みつけながら言った。

 

 ちなみに明日からの試合では、順調に勝ち進めば全員が誰かとぶち当たる。間に自分達側の人間とのぶつかり合いを挟まずに、だ。運命の神とやらも、結構洒落が分かってる様である。

 

「…お前らとは、よっぽど縁があるようだな。俺は陰念。明日、其処の半虎人、お前と一番にやり合う予定だ」

 

「んで俺が雪ノ丞。俺の相手は其処の半吸血鬼。お前だ」

 

「私は勘九郎。ま、あんた達が勝ち進んだら戦うことになるわね」

 

 自己紹介に混ぜた宣戦布告。だが見た目に反して全員楽しみだと言う感情以外は伝わってこない。

 

「へー。こちらの情報は全部バレバレってか?」

 

「その通り、と言いたい所だけどね。あんただけは名前と所属以外全くわからないのよねぇ」

 

 探るような視線と流し目を同時に送るという、とてつもなく器用で同時に全く意味の無いことをしながら視線を忠夫に送る勘九郎。背筋に走った戦慄に慄くばかりの半人狼は、とりあえずピートの後ろに隠れてみた。

 

「あれ、それじゃあ、横島さんとは誰も戦わないんですか?」

 

 ピートはピートで田舎の純朴さ丸出しなのか、既に警戒は解いてしまっている。彼らの纏う雰囲気がその必要を感じさせなかったと言うこともあってか、すっかり同じ目標に向かって競い合うライバルを見る視線を向けていた。

 

「――いや、その子の相手は私ですよ?」

 

 その女性が現れるまでは。

 

彼女が現れた途端に、緊張感がありつつもどこか和やかさを含んでいた余裕は、吹き飛んだ。

 

 彼らの人外としての本能が告げている。あれは、普通ではない、洒落にならない存在だ、と。

 

「そんなに警戒しなくてもい、よろしいのですよ?」

 

 気付けば彼ら人外達は全員戦闘態勢。意識を割いてやったことではない。その空気に反応しただけだ。

 

 眼前の同じ胴着を着た三人の男達は手強そうではあれど十分に理解の範囲内だった。こちらの情報は殆どノーマークだった横島を覗いて把握されているが、それでもピートとタイガーは一流に名を連ねるGSの弟子としてそれなりに情報は出回っている。少しGS協会にコネがあればなんとかなる程度の情報でしかないし、二人ともその事は師匠達からも聞いてはいる。

 

 そして、事前に情報が出回っていても合格できる程度に成長したからこそ試験への参加が許可されたのだ。

 

 対して白竜道場とは知らない名で、つまり情報が少ない相手との試合になる事は間違いない。

 

 つまり、情報が無い事が問題にならないほど、横島達全員がその危険性を感じ取ったのだ。

 

あれは普通の相手ではない、と。

 

「ピート、タイガー」

 

「「応」」

 

 一瞬のアイコンタクト。それだけで彼らには十分。

 

 カウントダウンどころか合図さえ必要とせずに彼らは、揃って決断を下す。

 

「「「あっ!」」」

 

「「「「へ?」」」」

 

 横島達が同じ方角を指差した。思わずそっちを向いた白竜の面々が訝しげに顔を戻すと、其処には風だけが通っていた。

 

おそらく半吸血鬼の霧化で三人一緒に逃走したのだろう、と目星を付けた女性と勘九郎はともかく、残りの二人は状況が把握できずに呆然としていた。

 

「…これは、中々梃子摺りそうですねえ?」

 

 目上の相手に話しかけるように、見た目は同年代の女性に声を掛ける勘九郎。だが、女性は返事をする事無く鼻を鳴らして宵闇へと歩き去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 GS美神除霊事務所の応接室、其処は今大量の資料と複数人の疲れ交じりの吐息に占領されている。

 

「うーん、めぼしい奴らの資料には怪しい所は無し、か」

 

 何度も目を通した資料を再び捲りながら美神が呟く。会場帰りで本人も一試合はこなしている筈なのにそのまま資料捜索まで行う辺り、流石のタフネスであろう。

 

「メドーサがそんな所でミスを犯すとも思えませんし、やはり直接育成所に向かうのが最も有効でしょうか」

 

 こちらはあまり慣れていないせいもあってか、こった肩をほぐす様に動かしながら小竜姫が美神の呟きに答える。

 

「しかし、これだけの量ともなると…」

 

 早朝から弟子であるピートを試験会場に送りだし、それからGS協会に資料を要請し、それを小竜姫と二人で片っ端から調査し、更には不慣れな小竜姫のフォローも行い、と精力的に動いていた唐巣神父も、流石に外がすっかり夜に染まる頃となっては疲労の色も隠せず、眼鏡を取って眉間を揉んでいた。

 

「それじゃ~、私の式神達を使って~急いで回りましょ~~? 私、暇なの~」

 

「冥子さんの式神なら、凄く便利ですからね」

 

 そんな三人を余所に、偶々手が空いていた――と言うほど仕事が入る頻度は高くないのだが――ので唐巣神父経由で協力を要請された冥子がおキヌが淹れたお茶をのんびりと飲んでいる。

 

戦力としては本人という巨大な不安要素を除けば、その式神達の能力の高さと汎用性もあって申し分ないのだが、いかんせん資料を漁るのに便利な式神など居なかった為、今はごく潰し状態である。

 

「…あんまり手持ちの戦力を消耗させるのもねぇ」

 

 冥子のあっけらかんとした言葉に、どうしたものかと頭を悩ませる美神であった。

 

 美神除霊事務所では、現在作戦会議の真っ最中。議題は、と言えばもちろんメドーサの息のかかったGS養成所の特定である。ところが流石にあちらもやり手。いくら神族と一流所のGSが集まった所でそう簡単には尻尾を掴ませてはくれない。

 

 ああでもない、こうでもないと言いながら既に手詰まりの様相を見せ始めていた会議に終止符が打たれたのは、とある三人組の乱入のせいだった。

 

『マスター。横島さん達がお帰りになられ…あっ、こら、ドアはもっと丁寧にーっ!』

 

 事務所に宿る人工幽霊の悲鳴じみた叫びを押しつぶす様に、横島がドアを蹴破りながら突入してくる。その後ろには他二人も息を荒げながら胸を押さえ、どうやらかなり急いで帰ってきた事が見て取れた。

 

「美神さん美神さーん小竜姫様ぁー!!!」

 

と、横島はそこで応接室に予想していなかった人影が二人ほど追加されているのに気付いた。

そして、その内の一人の影が盛り上がっている事にも、気付いてしまった。

 

「あれ、唐巣神父と冥子ちゃんってうわ待てお前らああああっ!!」

 

「あらあら~久しぶりに会えて~~、ちょっと興奮してるみたいね~~」

 

―――キャインキャイ―ン!

 

「あああっ!横島さーーーーん!!」

 

『…外でよかった。本当に良かった』

 

 六道冥子の影から出てきた興奮状態の十二神将に追っかけられて、ドアを開け放った瞬間にUターンして再び外に出て行き。そしてその泣き声が外から聞こえたのを残った全員が見送ったのだった。

 

 室内の何処からともなく、それを見ていた人工幽霊一号の安堵のため息も聞こえたのだが。流石にあの数で室内で暴れられてはたまらない、と言ったところか。

 

 とは言え、聞いたことだけでなく実際にその迫力を見た事で、自分のお腹の中に爆弾を抱えている事に気付き恐怖に慄くまでそう時間はかからなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね…白竜道場、か。確かに出場者全員が此処まで突破してきているって言うのはちょっと臭いかもね」

 

「いや、男連中はそんなに危ない奴ら…いや、別の意味で危ないか。ともかく、別に悪い奴らじゃなさそうでしたけど、後から来た女の人が…」

 

 と、流石にズタボロになった横島が回復するまで待つよりは、とピートが先程試験会場からの帰り道であった事を報告する。タイガーはとりあえず雇い主であり師匠でもある小笠原エミの所に唐巣神父からの協力要請を持たせた上で帰らせた。

 

 どうにもきな臭さが強くなってきている、と小竜姫達は感じていたからだ。まぁ、美神は凄まじく不機嫌であったし、その関係を知る唐巣神父もエミもそんな美神がいる所にノコノコ参加しに来るとは期待していなかった。やはりこの業界の者達は、基本的に独立独歩、自分のケツは自分で拭くという風潮が強いのだ。

 

 だがしかし、何せ事が事なだけにタイガーも巻き込まれる可能性がある。そんな状況で全く何も知らなかった、では流石にメンツが立たないであろう、という唐巣神父の判断である。

 

「…貴方達の本能に訴えるだけの何かを持っていた、と言う訳ですね。美神さん、どうやら…」

 

「ええ。第一目標、決定しても良さそうね。――とりあえずあんたはそれを降ろしなさい」

 

「いや、別に俺が捕まえてる訳じゃ・・・」

 

「わ~! すっごい力持ち~~」

 

「横島さん、よく懐かれてますから…」

 

 シリアスな会話の横では、新しく身体強化に目覚めたという横島の力を見たがった冥子のために、何時の間にやら復活していた彼が十二神将全部を担いでいたりする。というか初めはバサラ1匹だけのつもりだったが、後から後から乗ってきたと言うか。既に不気味なブレーメンの音楽隊である。

 

 その陰できしみ始めた床に悲鳴を上げそうになり、だが暴走が怖くて止めさせる事の出来ない事務所憑きの幽霊が泣きそうになっていた。

 

「ところで、「心眼」はどうでしたか?」

 

「へ?」

 

 とまれ美神の指示に従ってどんどんと冥子の影に勝手に式神達を突っ込んでいた横島だったが、小竜姫の言葉に何のことやらと言った表情を浮かべて振り向いた。

 

「貴方の額の布当てに宿っている者ですよ」

 

「…ああ! そういえば静かなままですねぇ。ガス欠でも起こしたかな?」

 

 その存在を思い出したが、しかし試合以来全く発言もその瞳を開く様子も無かった事ですっかり忘れていた心眼の眼の辺りを人差し指でつつく横島。しかし、反応は無い。

 

「天竜姫様の竜気が切れる事は考えにくいですが…。心眼?」

 

『……ああ、小竜姫様ですか』

 

「どうかしたのですか?」

 

 小竜姫の声に、漸くと言った様子で薄く心願の瞳が開く。しかし、その眼は今にも閉じそうであり、また言葉にも張りが無く、今にも眠りそうな声であった。

 

『…竜気を一度に大量に消費したせいか、意識が飛びがちで…』

 

「妙ですね? そんな事例は聞いたことが…」

 

 訝しげに眉を顰める小竜姫の言葉が続けられる間も、心眼の瞳は再びゆっくりと閉じられていく。

 

『すいませんが、少々眠らさせて頂きたく…』

 

「心眼?心眼っ?!」

 

『………』

 

 結局、その後の数度にわたる小竜姫の呼びかけに答えは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。既に人毛の無くなった筈の試合会場に、怪しく蠢く人影が二つ。

 

「ドクター・カオス?」

 

「――おお、マリアか。一体どうした?」

 

「現在時刻・午前3時・です。これ以上の・滞在は・不測の事態を・招きます」

 

「ちょっとまっとれ…ここをこうして…よしっ! さてさて、後は仕掛けをごろうじろ、じゃな」

 

「イエス。ドクター・カオス」

 

 そして二人は会場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が昇り、次の日の試験会場。会場入りしたのはハーフ3人組と少し遅れて変装済みのミカ・レイ。白竜道場の面々の姿も離れた位置にある。

 

 そして、今から試合に臨もうと言う横島の視線の先には、既に結界の中でこちらを待ち受ける白竜道場の胴着を着た、昨日の女性がいた。

 

「なるほど…あの女ね」

 

「なんか変なんですよねー、匂いもおかしくないんですけど、違和感があると言うか」

 

「あんた、しっかり戦って少しくらい情報を集めてみなさい」

 

「無茶言わんといてくださいよっ!戦う以前の問題でしょーがっ!!」

 

 匂いはおかしくない。昨日と全く同じ、いたって普通の人間の女性の香りだ。だが、何か違和感がある。しかも、昨日よりは弱まっているとはいえ相変わらず本能は危険を訴えている。だが、足りない。決定的な何かが足りないが故に、今は泳がせている状態だった。

 

「18番! 横島忠夫君。試合開始地点へ」

 

「んじゃ、行ってきます」

 

「危ないと思ったらすぐ降参するのよ、いいわね?」

 

 流石に眼の前で見れば美神の霊感にも何か訴える物があったようで、彼女としては珍しく心配そうな声を掛けていた。しかもギブアップの許可も出している。唐巣神父や小笠原エミが見れば悪い物でも食べたのか幻覚でも見ているのかと思うであろう。

 

 しかし、逆に言えば、美神もそれほどまでに警戒しているのだ。

 

「そりゃもちろんっすけど…まぁ、一応こいつと打ち合わせはしましたし」

 

 審判の掛け声に応じて結界内へと歩みを進める忠夫。バンダナの真ん中、心眼の瞳の辺りを指でつんつんしながらのその態度は、もう半分開き直ってもいるようであった。

 

「緊張していらっしゃるようですけど、大丈夫ですか?」

 

「はぁ、それなりに」

 

 余裕の笑みを浮かべつつ、待ち受ける女性。

 

「では、GS第二次試験、第2回戦」

 

 そして、戦いのゴングは打ち鳴らされる。

 

「はじめっ!!」

 

 立ち上がりは静かなものだった。

 

「昨日は自己紹介する暇も無く帰られましたので…改めて、氷雅と申しますわ」

 

 そう言いつつ動いたのは氷雅と名乗った女性。その腰に挿した刀を引き抜き、青眼に構える。鞘から抜かれた瞬間、その刀は明らかに霊刀特有の見る者を引きこむような波動を放っていた。物理攻撃のみでは相手に届かない状況で、それ自体が霊的攻撃能力を持つ霊刀を持ちだす。

 

 間違いなく正答の一つであり、だが、それ故に横島にとってはそれが幸運でもあった。

 

「うわぁ…やっぱり霊刀か。しかも結構な業物だし」

 

 一目見ただけでその格が分かるのは、人狼の里で散々扱いなれている性もある。が、問題は別の所にある。

 

「いっ、痛そうやなぁ!」

 

 人狼だろうが人間だろうが、斬られれば普通に逝くだろうと言う事だ。

 

「んと、よし。では、参ります」

 

 使い慣れていない刀なのか、どこかぎこちない動きでそれを構える。霊刀がそこらに転がっている訳も無いので新しく手に入れたのかな? と思いつつ、こちらも応じて構える。むしろ相手が刀を持ちだした事で、昔から染みついた父親とその友人相手の鍛錬を思い出し、逆に落ち着いた風な横島を見て、氷雅はかすかに眉を顰めた。

 

「応っ! 死なない程度に加減してねっ!」

 

「保証しかねますわ」

 

 先攻は氷雅。

 

 一閃。一足飛びに間合いを詰めてきた氷雅の横薙ぎをしゃがんで避ける。

 

 二閃。しゃがんだ忠夫めがけて瞬間で切り返された刀を後ろに跳躍して回避。

 

 三閃。振られた刀の勢いを無理やり止めて頭部に向かって刺突、首を捻って皮一枚。

 

 四・五・六突。着地した瞬間を狙って再び突き。しかも三連、狙いは掠っただけで危険な首、避けにくく当たれば即死の胴体中央の鳩尾、大量の血管が集中しており、骨の守りもないため非常に狙いやすい腎臓。掌で刀の腹を叩き、そのまま正中線上を狙った物は体を無理やり捻って避け、腎臓を狙った一撃は、捻った勢いで振り上げた足で再び刀の腹を蹴り飛ばす。

 

 全ては瞬きのうちに起こった。

 

「あっぶなー。全部急所狙いとは、えげつないなぁ」

 

「それをあっさりかわすや…御仁に言われたくはないですわね」

 

 ――おおおおおっ!!

 

 一拍おいて会場から湧き上がる歓声。その内の何人が今の攻防を見切れただろうか?それほどに双方凄まじいまでの技量であった。

 

「えげつない突きの錬度に比べて、お粗末な斬撃。忍者らしいって言えば忍者らしいけどやな…」

 

「まだまだ慣れていない物で」

 

 お粗末と横島は言うが、それはあくまで彼が今までよく見ていた人狼の里の連中の錬度が高すぎるだけの話である。彼が見続け、受け続けてきたのは、生まれてすぐから彼らが最も馴染む武器が己の霊力を使った霊剣であり、古来より磨かれ続けた人狼流とも言うべき刀技だ。

 

 故に、その真っ只中で、人狼の里でも一、二を争う男達に付き合わされた彼の眼が肥えているだけの話であろう。常人の眼では見切る事も難しい、それだけの早さは十分に備わっていた。

 

「そーじゃなくて、今の、どっかで見たような気が…」

 

「…? 貴方とは初めて会ったばかりの筈ですが」

 

「だよなー? ま、いいか。んじゃ今度は…」

 

 言葉が途切れると同時、氷雅は己が眼を疑った。直前まで踏み込んで切りつけても突いても届かない程度の距離を見切って離れていた横島の姿を、一瞬で完全に見失ったのだ。

 

「なっ?!」

 

「こっちの番な?」

 

 先ほどの回避行動などは比べるのもおこがましい、瞬間移動のようなその速度。驚きに目を見開いた氷雅が背後から聞こえた声に振り向けば、その目の前には悪戯っぽく片目を瞑った横島の顔。

 

「一回」

 

「くっ!」

 

 そのまま優しく首筋に触れて、そのまま散歩にでも出かけるような動きで振り向く動きに合わせて背中側を通り過ぎる。

 

「二回」

 

「っ!!」

 

 振り向いた氷雅の背後から、再び首筋に触れてそう囁く。この時点で、横島の言いたい事に気付いたのであろう氷雅の表情が怒りに染まる。激情のままに持った刀を再び横島が現れるであろう背後に向かって振り下ろして、その違和感に気付く。

 

「んで、三回」

 

「…そんな、馬鹿な!」

 

 そして彼女の目の前に現れた忠夫の手にあったのは、先ほどまで確かにこの手にあった霊刀。しかし手元に目を落としてみても、感じた違和感通りに、その手の中には何も握られてはいなかった。

 

「さて、どうする?」

 

 余裕の笑みを絶やさぬまま、刀を弄びながら横島は徒手空拳となった氷雅に問いかける。

 

「……まぁいいでしょう。審判!」

 

 少々どころでは無く不服そうな表情であるが、忠夫の言いたい事は十分に理解したようだ。

 

「あ、ああ、なんだね?」

 

「ギブアップ」

 

「は?」

 

「降参、と言ったのです」

 

 眼前で行われた手品じみた一瞬の早技に呆然としていた審判は、氷雅の言葉で自分の職務を思い出した。

 

「しょ、勝者、18番横島忠夫! GS資格取得!!」

 

 会場からは、もはやざわめきの一つも聞こえなかった。

 

「…おめでとう、と言うべきなのでございましょうね」

 

「ま、運が良かったかな」

 

「人を三回も『殺して』おきながら抜けぬけとよくもまぁ」

 

 刀を返してもらいながら横島を睨む女性の眼には、しかしGS資格取得を目前に不合格になったにもかかわらず、不思議と余裕が見て取れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 試合が終わってトイレの中で。

 

「――やばかったやばかったやばかったぁぁぁぁっ!!」

 

『……ハッタリもあそこまで行けば見事だな』

 

「アホか!! こっちは冷や汗ダクダクじゃっ!!!」

 

 霊的な攻撃ができない忠夫が取った策はといえば、只のハッタリと脅迫、それとこけおどしと言った所か。

 

 こちらに攻撃力が無いことがばれればアウト。最初の攻撃を凌ぎきれなければアウト。霊刀が開いてしか使えないならばアウト。そして相手が武器に攻撃力を頼っていなければその後の展開は手詰まり。実際の所、霊刀が奪えたのは運よく相手が使い慣れていなかった事と、驚きと怒りで相手の意識が逸れた事も合わさって生まれた純粋な幸運であった。

 

 なんとも運に頼った作戦である。試合開始直前に起きた心眼と相手が腰に刀を下げていた事を見て急遽打ち合わせた結果であるが、これはもう作戦では無く運試しと一緒である。

 

 と、横島は思っていたが、心眼自身はそれほど分の悪い賭けとも思っていなかった。彼の眼で見れば鞘に入っていようとも微かに漏れ出す霊力は把握できていたし、横島の身体能力についてもある程度はサポート役として把握済みだったからである。

 

「あー、あの姉ちゃんがギブアップしてくれて助かったー」

 

『とはいえ、まだまだ色々とあちらには切る札があったようだが、な』

 

「ま、なんか別に未練も無かったみたいだし。正直あの突きは洒落にならんかったな」

 

『ギリギリだな』

 

「だからさっきからそう言っとるだろーが」

 

 トイレの一室で会話する、というのも知らない人が見れば結構ギリギリだ。

 

「さて、美神さんのところにでも行くか」

 

 手に汗かきまくった両手を洗い、とりあえず雇用主の所に報告へ、とことこと歩き出した忠夫。だが、会場に出たところで見えたのはよくやった、とお褒めの言葉を多少は期待していた雇い主の姿ではなかった。

 

「ぐああああああっ!!」

 

「はーっはっはっは!! でかい体してその程度か!」

 

 体中から流血し、悲鳴をあげるタイガーと、その前で昨日の雰囲気は欠片も無く高笑いをあげる陰念。そしてそれをこちらも同様に昨日の印象の全く無い、苦しむタイガーを見て薄笑いを浮かべる勘九郎と雪ノ丞がそれを眺めているという光景だった。

 

 何が起きているかなど理解できる訳も無い。だが、目の前に展開しているのは己の友がたった今、危険に曝されているというその事実。

 

 何を、やっている?

 そいつは、あのタイガーだぞ?

 体格と顔は別として、人畜無害な草食の虎みたいな奴だぞ?

 

 しかしその困惑さえも吹き飛ばす圧倒的な暴力の傷痕。何度も吹き飛ばされたのだろう、紅い色は、結界内のそこかしこに見て取れる。まだまだ動けはするようだが、このままでは、確実に不味い事になる。

 

「タイガァァァッ!!」

 

 横島は友人の名前を呼びながら駆けだす。

 

『不味いっ!! 止めさせろっ!』

 

「どうやって?!」

 

 分りきった心眼の言葉に、焦り混じりであるも足を止める事無く横島が問い返す。

 

『審判は何をやって…なっ?!』

 

 心眼が試合を止める事のできる審判の様子を見るも、試合場の隅で床に転がったまま虚空を見上げて固まるばかりで息があるのかどうかも分からない。美神、いや、ミカ・レイとピート、他数人がかりでなんとか結界を破ろうとしているものの、その堅固さは簡単には破れてくれそうに無い。さらにその周りでは試験に携わる職員達が結界を解除しようと動き回っているが、どうにもうまくいっている様子が無い。

 

 

『止めをさす気かっ!!』

 

――間に合わない。そう、思った。

 

―――その脳裏に浮かぶいつかの光景。

 

―――『ガキが』と、そいつは言った。

 

あいつは。

 

 そこで走った一瞬の回想。その答えは最初から準備されていたかのように、ピッタリと忠夫の中で組み合う。竜神の姫は言った。あの影法師は忠夫の中身を取り出したものである、と。

 

 ならば。

 

「あいつに出来て、俺に出来ない道理があるかっ!!」

 

 思い出すのはあの光景。結界の中にいた美神の影法師を助けようとしたあの時、横島の中から顕現した影法師は、強固な筈の妙神山の修行場に張られた結界を、一瞬で破っていた。

 

 そう、たった一つの行動で、その咆哮で。

 

「――ゥウオォォォォォォンッ!!!!」

 

 横島の喉から全てを搾り出すようにして放たれた咆哮は、周囲の空気を激しく揺さぶりながら結界にぶち当たる。

 

 結界に集中していた為、不意打ち気味に後方から襲いかかったそれは、誰の目にも止まる事無く、だが会場中の眼を集めるよりも先に大きな変化をもたらした。

 

 結界を破ろうとしていた者達の最後の一押しとなったのか。或いはそれ自体にもそれを打ち破れるだけの効果があったのか。それは不明であるが、確かにそれは効果を発揮した。

 

 結界が砕け、更にその先まで咆哮は貫いていく。

 

「がぁぁぁっ!!」

 

 巻き込まれ、体勢を崩す美神達の眼の前で、咆哮の衝撃波の直撃を受けた陰念がその小柄な体躯を浮かせて吹き飛び、壁にぶち当たる。

 

「何でジャァァァッ!!」

 

「ちょ、まっ、ぐはあああああっ?!」

 

 ついでに至近距離で巻き込まれ、若干踏みとどまったお陰で陰念を追いかけるようにタイガーも吹き飛び、壁に身体を埋めていた彼をさらに背中で押しつぶす様にプレスした。

 

 がくり、と血塗れのタイガーの首が傾く。その背中にいる筈の陰念の声はもう聞こえない。

 

『あ』

 

「やべっ」

 

 横島は、ダッシュで逃げだした。

 




ヨーロッパの魔王と店長は昔から突っ込みと一部ファンの方が居るんですよね。不思議!

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