月に吼える   作:maisen

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第二十話。

 

 

「ふぁ~あ~~~あぁ。さ、さっさと落ちてお仕事お仕事っと」

 

 半人狼の青年が欠伸をしながらてくてくと歩き。

 

「頑張らなきゃ駄目だ頑張らなきゃ駄目だ頑張らなきゃ駄目だ…」

 

 半吸血鬼の青年が追い詰められた暗い表情でふらふらと歩き。

 

「この温度差は何ですカイノー」

 

 半虎人の青年がその後方から呆れたように呟きながらどすどすと歩く。

 

 GS試験第一次試験会場。そこに三人の姿はあった。何処までもやる気の無い半人狼と、やる気があり過ぎて空回りしている半吸血鬼。そして他人事のように眺める半虎人。

 

 異様といえば異様なメンバーであるが、実際の所、周囲に全く危険性とか恐怖感とか、悪感情を感じさせない彼らの雰囲気が最も異様なのであろう。それが余裕が故か無知が故かはておき。

 

「うわー。皆殺気だってんなー」

 

「そりゃそうですジャー。競争率の激しいGS試験ですカイノー。周りは全部敵ですジャー」

 

「頑張らなきゃ頑張らなきゃ頑張らなきゃ…逃げちゃだ「「パクリ禁止っ」」」

 

 

 

―――暗転。

 

 

 

「ううう、試験開始前から何でこんなボロボロに…」

 

「さぁ?」

 

「何でですカイノー?」

 

 精神的に追い詰められて沈んじゃいけない所まで精神汚染されそうになった友人を体をはって助ける(物理)。素敵な友情である。

 

 そんないつものゴタゴタをやり合いながら辿り着いた第一次試験会場。三人同時に受付に行ったために受験番号も連番である。そして、案内されるままに試験監督の前に一列に並ぶ三人。

 

「なぁピート。これから何やるんだ?」

 

「…喧嘩売ってますか?」

 

「まぁまぁ」

 

 まさか試験のその時になってまで内容を把握していなかった横島のあまりの能天気さにちょっと怒りゲージ的な物が振り切りかけた半吸血鬼を余所目に、タイガーが説明する。

 

 要するに、自分の霊気を放射して、それなりに危険な試験に参加する資格を、つまりは最低限の実力を見せろ、という事らしい。

 

 まさか眼の前で今から行う試験の内容の説明が行われるとは欠片も思っていなかった試験管たちも流石に呆れの表情が隠せない。

 

「…なんだ。結構簡単に落ちれそうだな」

 

「宣戦布告ですね?」

 

「まぁまぁまぁまぁ」

 

 今度こそゲージが振り切った半吸血鬼の友人を羽交い絞めにして押さえるタイガー寅吉。苦労人である。

 

 そんな一部で盛り上がる殺気を削ぐように、それまで空気を呼んで長めに待っていた試験監督から開始の合図が投げかけられた。

 

「それでは、始めてください!」

 

『はぁぁぁっ!!』

 

 それぞれの気合の声と共に周囲から一斉に吹き上がる霊気の渦。しかしそんな技能持っちゃ居ない忠夫はただ鼻をほじっている。

 

「15番、25番、32番、47番。失格だ。帰っていいぞ」

 

 そんな彼を余所にどんどんと脱落していく周りの受験生達。流石の友人達は他の受験生達よりも一、二回りは大きな霊気を放射しているようだ。

 

「…ふぁ。さっさと失格にしてくれんかなー」

 

 呑気だ。だが、運命はそう簡単には彼を離してはくれなかった。それまでその余裕に何か隠し玉でもあるのか、と注目されてはいたが、全くやる気を見せない横島の様子に痺れを切らした試験官が失格を告げようとした、まさにその時。

 

『……ちょっとだけお手伝い。夫の手伝いは妻の役目』

 

 そんな声が頭に響いた。あとすっごく嫌な予感も。

 

 たちまち彼から吹き上がる、いや間欠泉のように噴き出す巨大な霊気――竜気。余りの巨大さに右隣の受験生は吹っ飛んでいる。左からはタイガーとピートの驚愕の視線が。

 

「…へ?」

 

 その中心から、いまだに鼻を穿って失格待ちだった筈の、忠夫の間の抜けた声が聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後としては、まぁ、当然のごとくそんな物を見せ付けられた――本人の力かどうかは関係なく――監督官達が失格にする訳も無く、何故か第一次試験を突破『してしまった』忠夫。

 

 のっけから計画が崩壊していた。ちなみにピートたちは一緒に突破している。普通に素質に恵まれ、また一流のGSを師匠に持つ彼らが懸命に努力をした結果であるから、当然と言えば当然なのだろう。

 

 ピートに関して言えば横島が意図したもかどうかはともかく、事前の会話で緊張も何もかも吹っ飛んでいたのが功を奏した形であるが。

 

「どーしよ…やばいよなぁ。天竜~~、あれは作戦なんだぞ~~い」

 

 頭を抱えた横島が、妙神山の方角へと向けて声をかける。聞こえる筈も無いのだが、しかし返事は意外な所から聞こえて来た。無論、聞こえていない天竜姫の物ではないのだが。

 

『知らぬわ』

 

「うおっ!」

 

ある筈の無い返事の出所はすぐ近く、忠夫の額から発せられた。

 

「ななな、なんだっ?!」

 

『落ち着け、たわけ。我は天竜姫様の竜気をきっかけに生まれた、お主のバンダナに宿る存在じゃ』

 

「…へー」

 

『特に驚いておらぬ様子じゃな』

 

「いや、もう、なんてーか。天竜がくれたもんだしなぁ」

 

 というか、そんな事は今はいい。バンダナが生きていようが、先程の試験に受かったのが天竜のお陰だとか、今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。

 

 とりあえずの最優先事項は、どのようにして美神と小竜姫から逃げるかである。はっきり言って、マズイ。天竜姫からの届け物を持ってきた小竜姫むしろ被害者な気がするのでともかくとして、作戦を最初の一歩で躓かせた忠夫に対して美神がどのような態度を取るか。予想できるというかしたくないというか。

 

「美神さんか…。逃げきれるか? いや、このバンダナを上手く使えば」

 

『残念だが、先程のあれで竜気の貯蔵は底を付いた』

 

「…え?」

 

『そして、おそらく美神殿とやらはお前の後ろの人物だ。考える暇も無し』

 

「え゛」

 

「――よ~こ~し~まぁぁぁぁっ!!」

 

 冷静沈着に結論を出す辺り、助けになるやらならないやら。突如背後から猛烈な一撃を受けて、「今日も空は青いなぁ」と思いながらも吹っ飛んでいく横島であった。

 

 着地というか墜落から一連の折檻の後で。

 

「んで?説明しなさい」

 

「ういっす!」

 

『…主よ。お前は本当に生物か?』

 

 あっさり復活を遂げた忠夫に対し、おそらく周囲で惨劇を見ていた受験生達の心の叫びを代弁するも、「邪魔するなっ!!」という感情の篭った、もはや邪眼を通り越してバロールの魔眼といった美神の視線を受け、余波で途端に逃げ出す受験生達。

 

 そして逃げ様にも逃げられないバンダナは―――

 

『ままま、まぁ、な、何でも無いぞ。うん。問題無い』

 

 びびった。力一杯。もしも小竜姫が見たら一応竜族の力を受けた存在の情けなさに泣く位には。

 

 そんなこんなで10分少々。経緯と結果報告を受けた美神の額に更に追加で2個ほど井桁が浮き、忠夫の頭にたんこぶが2つほど追加で増えた程度で、何とか命は助かった。

 

「…あの天竜姫様が原因なのね…。しょーが無いわね。あんた、このまま試験受け続けなさい。てきとーに途中で降りていいから」

 

「…棄権するって言うのは」

 

「却下。あんだけやってりゃ他の受験生も警戒するわよ。当然潜入しようとしてる相手も気付いたでしょうね。ま、直接対決して怪しそうな奴の反応でも探ってみなさい」

 

「直接対決!?」

 

「ああ、第二次試験は受験生同士の試合だからねー」

 

「逃げていいでしょうか?」

 

 明らかに腰の引けた横島の問いに、美神は指を一本立ててとある神様の名前を出した。

 

「小竜姫もあんたのバンダナが原因だって分っているわよ。でも、天竜姫様から授かったバンダナを持っていて試合とはいえボロ負けしたら…どんな反応するかしら?」

 

 もはや退路は塞がれた。雇用主の意見に逆らう気力も無くしたか、半泣きで第二試験会場へと歩いていく忠夫。その背中は煤けていた。

 

「…ま、ちょっと位動ける機会を作ってやれば、あのお姫様も満足するでしょーし。追加の報酬くらい出ないのかしら」

 

 その呟きが聞こえなかったのはおそらく久方ぶりの幸運ではないだろうか。こんな幸運しか来ない辺り、彼の運命はよっぽど平穏とかが嫌いのようだ。憑いてる神様が天竜姫だしトラブルには恵まれるのだろうけれど。

 

 ともあれ、美神は当初の予定を変更する事無く、案の定目立つだけ目立ってしまった横島を囮に、予定通り自分は本命として探りを入れる事に決めたのだった。

 

 いくら面が割れていないとは言え、どうせトラブルを起こして目立ってしまう横島は最初から陽動だったらしい。が、日頃が日頃なだけに、その事を横島に隠れて打ち合わせをした際には小竜姫も何度も頷いて賛成の意を示していたので、妥当な判断と言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うああああ…今回は裏でコソコソやるだけの筈だったのに」

 

『大丈夫であろう。お主の霊力は捨てた物ではないぞ?』

 

「使えなきゃ意味ねーだろがっ!」

 

『………は?』

 

 バンダナは思わず絶句する。

 

『そんな馬鹿な事があるか。お前の内には確かに大きな霊力が渦巻いておる』

 

「だから、内側だけだろーに。外に出なきゃ霊波刀も作れないっての」

 

『それが馬鹿な事だというのだ。…よいか?』

 

 バンダナ曰く、霊力が大きければ大きいほどその制御は難しくなる。まぁ、当然である。言ってみれば今の忠夫は10tトラック用のエンジンを積んだひたすら丈夫な軽自動車。今まで霊力を扱えていなかったのだから、その運転は有り余る馬力に押されて、下手というか何時事故を起こすか分からないような物だという。

 

 そして、霊力を完全にその内に秘めるというのは、その扱いに熟達した者がようやく辿り着ける高みである。高みである筈なのだが…

 

「んじゃ、どっかから霊力出てるか?」

 

『…む。確かに』

 

 よくよく見てみれば、確かに全く漏れていない。全てが体内で循環し、そして完璧に封じ込められている、と納得の声を上げたバンダナの感覚に、何かが引っ掛かった。僅かな違和感、溢れる筈のコップになみなみと注がれた液体が、未だに注がれ続けているのに零れない。

 

『いや、これは――』

 

零れる分が、底なしの穴に吸い込まれているような。

 

「ん?どうしたバンダナ?」

 

『…まさか、な。いや、気のせいだろう』

 

「そっか。まぁいいや、そろそろ目的地だぞー」

 

 何処までも呑気にそう伝える忠夫。バンダナの疑問を押し込めつつ、彼らは試験会場へと入っていく。

 

 

 

 

 そして、その背中に木陰から視線を送る三人組がいた。

 

「あれだ、アレ。第一次試験で馬鹿でかい霊気を出してた奴。どうだ、勘九郎、見た感じ」

 

「そおねぇ…。雪ノ丞と同じくらい『美味しそう』ではあるはねぇ」

 

「…おい、陰念。殺るしかねぇんじゃねぇか?あいつ」

 

「俺は狙われてねぇしな」

 

 三人組の内の一人から危険な視線を送られ、決して背中を向けまいとしながら防御策を練っている眼つきの悪い、横島と同年代くらいの雪ノ丞と呼ばれているどちらかというと小柄な男性。

 

彼に頬を染めながらなんだか熱い視線を向けているおねぇ言葉の大柄な男性が勘九郎。

 

そして我関せずというか絶対に関したくないという感じでそっぽを向いている雪ノ丞より更に小柄な男性が陰念である。

 

 彼らはそろって黒い胴着に白地で「白竜」と胸に刺繍がしてある所を見ると、どうやら3人共同門と言ったところか。

 

 そして、彼らが見送っていた横島が完全に会場にその姿を消すと同時、音も無く彼らの背後に姿を露わしたもう一人がいた。

 

「…あれは霊気じゃない」

 

「なんですって?」

 

 その3人の後ろから、まるで1枚の絵が突如その中に黒い絵の具で塗られたように。

 

 影が溶け出すようにして現れたのは、女性。豊かな肢体と、全身を覆う黒い、忍者服といわれる其れを見に纏い、胸の所には他3人と同様に白糸で白竜の文字。勘九郎の言葉に喜悦で歪んだ微笑で答える女性。

 

「あれは、竜気。人間が、いや、竜族以外の存在が生まれ持つ物では、ない」

 

 九能市 氷雅、という名前で登録された女性であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「み、美神さんっ!」

 

「今の私はミカ・レイよっ! …全く。人狼の鼻にはせっかくの変装も効果無しね」

 

 チャイナドレス姿の眼鏡の女性に叩き落とされ、横島は会場の床に熱い接吻を交わす。が、次の瞬間には何事も無かったように起きあがって再び女性に詰め寄って行く。

 

「そんなことよりっ!」

 

 第二試験会場での詳しい説明の後、慌てた様子で美神を探していた忠夫は、スリットの深い「せくしー」な格好をした眼鏡をかけた女性に掴みかからんばかりの勢いで話し掛けた。

 

 実際、その正体は変装した美神であったわけだが、当然その意味を守るためにしばかれ無理やり沈黙させられた横島であったが、一瞬後にはあっさり復活。呆れた視線を半眼で飛ばす美神だった。

 

「なんですかあれッ!! 霊力以外無効の結界なんて聞いてないっすよー!!」

 

 試験会場での試合場所では、それぞれの場所に物理攻撃のみでのダメージを無効化する結界が張ってある。霊的戦闘能力を見るための試験であるから当然といえば当然の処置である。

 

 というか、肉体的な戦闘能力のみで人間が悪霊なんていう物騒な物に太刀打ちできない為、「こう」せざるを得ない、というのが事実の一面でもあるが。ともあれ、慌てたのは忠夫である。彼の攻撃力は物理系――というか、霊力が身体強化にしか活かせていない――のみである為、はっきり言ってこの場では微妙な戦力にしかならないのである。

 

「ああ、言ってなかったわね」

 

「美神さぁぁぁはぶろべしっ!!」

 

 本名を思いっきり叫んだ部下に、上司は冷静に霊力の持った全力の拳で突っ込んだ。再び床に沈む横島。

 

「ミカ・レイよ」

 

 学習能力は相変わらず行方不明だった。

 

 とまれかくあれ、「そのバンダナがあればだいじょーぶでしょ」と言い残しひらひらと手を振りながら去っていく美神を見送ったのはバンダナのみ。

 

『…これを如何しろと』

 

 流石の彼もこの状況では手の打ち用がないのだろうか?そんな彼の悲哀を巻き込みつつ、とうとう振られる審判長による組み合わせ抽選の為の「ラプラスのダイス」。

 

このダイス、全く他からの影響を受け付けず、正に運命を示すダイスである、というのは解説者の説明による。解説者がいる辺り、GS協会は商売っ気でもあるのだろうか?

 

「…はっ?!」

 

『流石に今回は長かったな…ほれ、そこの8番コートらしいぞ?』

 

「え? は?! なにが?!!」

 

『いいからとっとと逝け。我はもう疲れた…』

 

「18番!横島忠夫君!早く結界に入りなさい!!」

 

 未だ状況を理解しきれずに戸惑う横島に、試合会場に張られた結界の中から審判の呼び声がかかる。

 

「ああもうっ! とりあえずギブアップはOKなんだから適当にやってさっさと終わるぞ!」

 

 と、情けない決意を籠めて横島は立ちあがり、もうダメージも無いようでしっかりとした足取りで結界の中へと歩みを進めていく。

 

 が、甘い。苺の無い苺大福並にその決意は甘いとしか言いようが無い。

 

「ごほんっ!それでは」

 

 試合の開始を宣言しようとした審判の声を妨げるほどのざわめきが、一気に観客席と会場から広がった。

 

 思わずそちらに視線を向ける横島。と、周囲の観客、いや、それまで全くこちらに注意を向けていなかった筈の選手達まで何やら驚愕の面持ちで横島を見ているのに気付いた。

 

 何事か、とざわめきが広がるその中心点を探して、その人物に気付いた横島は硬直した。

 

「ほうっ!では彼はあの美神除霊事務所の!」

 

「うむ。あそこで助手として働いておるらしいの」

 

「ほほ~、なるほど! では、あの! 美神令子の直弟子というわけですね?!」

 

「そう思って間違いは無かろう。何せ、このわしを! ヨーロッパの魔王を! 一度は引かせた男じゃからなァ!」

 

「ヨーロッパの魔王をですか! いや~これは中々期待のできる新人の出現です!」

 

 解説者と実況者と書かれたプレート、実況者の方はたまにテレビで見かけるかもしれない、と言った程度には見覚えのある顔である。流石に霊視能力まで持っているとは意外と言えば意外だったが、問題はそちらでは無かった。

 

 にやにやとからかうような笑みで横島を見ながら持ち上げているのが、ドクター・カオスだった事。

 

 そして、その発言から周知されたトップクラスとして名高い『美神令子』の弟子というブランドは受験者達、関係者達が一次試験会場から感じた巨大な力の説明として納得できる物だったからで、当然のことながら忠夫に注目を集める物だった事。

 

 あまりにも、いっそ見事なまでに、忠夫の退路はたった二言三言で消し飛ばされた。

 

「あんのくそ爺…満月と新月の夜は気を付けろよ…!」

 

 頭を抱える忠夫。もはやコソコソと偵察にのみ従事するのは不可能だ。此処まで注目されては―――注目?

 

 そこまで考えて動きが止まる忠夫。

 

 冷や汗を目一杯流しながらおそらく居るであろうあの女性を探す。

 

 ――居た。

 

 チャイナ姿のミカ・レイは、「わかってるわよね?」という感じの笑顔を見せている。

 

 目が全く笑っていないそれを笑顔というのならば、だ。

 

「無理っすよ!!無理無理!!」

 

 慌てて駆け寄り、笑顔のままの美神に、縋りつく様に訂正を促す横島。が、美神はそんな彼を一蹴し、試合場へと追い出していく。

 

 美神の笑顔は崩れてはいない。無論、その背後から噴き出す威圧感もそのままだ。

 

「仕方ないでしょー。事務所の名前が出ちゃったでしょうが。分ってるでしょ? あんた、うちの看板背負っちゃったのよ」

 

「勝てるわけ無いじゃないっすか!」

 

 が、弱気な横島の発言も聞き流し、美神はその顔の下半分を神通棍によく似た雰囲気の霊具、神通扇を開いて隠し、横島を殺気さえ滲ませる表情で睨みつける。

 

「勝ちなさい。負けたら…捻じ切るわ」

 

 その言葉を最後に、横島は試合用の結界の中へと蹴り飛ばされた。

 

「何をっ?!」

 

 思わず起きあがって問いただす横島、しかし美神の姿は既に周囲を取り囲んだ観戦者達の群れに隠れて見えなかった。

 

 雇用主と労働者の間で交わされた短い会話である。しかし、当然時間は流れている訳で、とっくに試合開始されているにもかかわらずよそ見してる相手を攻撃しない手はないわけで。

 

 

 

「おいっ! 何をよそ見してや「うるさいっての!!」」

 

 不意打ちでもすれば良いものを、態々声をかけて無視されたことに対する怒りをぶつけようとした対戦相手――筋肉ムキムキのグラサンまっちょめん――は、振り向きもせずに放たれたその一撃に思わず慌てた。

 

 それは横島が懐に幾つか忍ばせてるいつぞやの「神父特製聖水」を掛けて陰干しした石ころであるが、それは、その一個だけは何時もとはちょっと違った迫力を持っていた。

 

 己の弟子の部下、微妙に違うかもしれないが孫弟子の様な横島が、切っ掛けはどうであれ自分の弟子であるピート仲の良い彼が、ピートと同じ時期にGS試験を受ける。これもまた神の啓示かと唐巣神父がちょっと気を利かして念入りに祈りを捧げながら聖水に漬け込み、霊力を注いだ逸品であった。

 

 流石に試験の内容も知っているだけに、あまり一人だけ贔屓するのも唐巣神父も気が引けたのか、一個だけ製作してこっそり彼が漬け込んで陰干ししていた石達の中に混ぜていたのだ。

 

 それが今、霊力で身体強化された横島によって、彼が初めて投げたときとは比べ物にならない速度で投擲された。

 

「なっ!」

 慌てて迎撃しようとするも、不思議な回転が掛かって器用なことにフォークボール。不幸な事にすとんと落ちた。ということは。

 

 いつかの如く、柔らかい物に堅い物体がめり込む音が、会場に響く。思わず腰が引ける者、蒼褪める者、額に手を当てる者、何が起きたのかよく分っていない者、笑いを堪えて肩を震わせる老人など様々な反応が返ってきたが、共通していたのは誰ひとり声を発していない事だった。

 

「…………」

 

 無言のまま、白目をむいて亀のように丸まって崩れ落ちる横島の対戦相手。そして何かから剥がれ落ち、地面に落ちて微塵に砕け散る唐巣神父特製の石。

 

 あまりに酷い扱われ方だったせいか、それとも横島の膂力が元々はただの拾った石であるそれの耐久力を超えたせいだったのか、原因は定かではない。

 

 しかし、会場の者達は、それがまるで横島の対戦相手の、男として大切な物が砕け散った様のように感じ取られたのだった。

 

「しょ…勝者、横島忠夫」

 

 そして、沈黙の満ちた会場に、崩れ落ちた男性(?)の意識を確認した審判の声が響き渡る。流石の横島も思わずやってしまったとはいえ想定外の威力と予想外の結果が起きた事で、戸惑うように助けを求める様な視線を周囲に送る。

 

 が、半分の者達は眼を逸らし、さらに半分の者達からは「やりすぎだろう」と言った非難の視線を向けられ、解説席からは堪え切れなくなった老人の笑い声が届き、殺気を感じて見れば雇い主が首を掻っ切るジェスチャーをしていて、と。

 

「ちっ、ちがうんやぁああああああああああっ!?」

 

 悲痛な悲鳴が響き渡ったが、担架で運ばれていく対戦相手が背後に見えていては、その言葉を信じた者がどれほどいた事だろうか。

 

 彼の額から聞こえた溜息の主くらいは、呆れ半分に事実を悟っていたのかもしれないが。

 

「え、えぐい事するわねー」

 

「そ、そういうお前にもまだ引く腰があったんだな」

 

「お、俺もそっちが驚いたぜ」

 

 とは観戦していた白竜道場の男性陣のコメントである。皆何故か腰が引けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――とある赤提灯――

 

屋台のカウンターでは、一升瓶を抱えて泣き上戸モードに入った人狼と、それに絡む竜神王。そして屋台の厨房には追加のつまみを作り始めた親父の姿があった。

 

「えええい!! 辛気臭い奴っ! のめのめーー!!」

 

「……しろぉぉぉ」

 

「のめー。…てんりゅうぅぅぅ」

 

「見つけましたよ竜神王閣下!」

 

「「ん?」」

 

 と、赤提灯をぶっ飛ばして屋台の暖簾をくぐって、立派な髭を蓄えた巨漢、角付きが乱入してきた。

 

「早く宮殿に戻って辞めるなり続けるなりしていただきたいっ!!我ら家臣一同迷惑しております!!」

 

「で?」

 

「…へ?」

 

 真っ赤な酒に酔った風情で、眼の座った竜神王が絶句した家臣に向かって言葉を続ける。

 

「私が戻ったら天竜が結婚しようとするに決まっておるじゃないか」

 

「…まぁそうでしょうなぁ」

 

 戸惑ったように返事を返した家臣の前で、隣で呑んでいた犬塚の肩に手を回し、竜神王は口の端を吊り上げた。

 

「この御人と気が合ってな。話し合った結果、いっそのこと何もかんも投げ出して逃げちゃおうか、と」

 

「閣下ァァッ!!」

 

「征くぞ犬塚殿!!」

 

「えぐえぐ…おう~~」

 

 屋台を爆発に巻き込んで、彼らの逃走劇は幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「店長?」

 

「…今日は只の屋台の親父だ」

 

「…まぁ、良いっすけど。それより、どうするんすか、これ」

 

 彼らの目の前にあるのは既にガラクタと化した元屋台。

 

 と、数十本の金の延べ棒。家臣たちを蹴散らした竜神王が、詫びと酒代といって返す間もなく置いていった代金だ。

 

 店長と呼ばれた、少し前に来日したばかりのドクター・カオスと小笠原エミの悪企みの舞台となったカフェの経営者は、タバコを咥えて懐を探る。

 

 が、目当ての物が見つかる前に横から無言で差し出された火の付けられたライターに軽く礼を言い、先端を近づけ、深く息を吸った。

 

「フゥ…。ま、貰っとけ。次からはタダで呑ませりゃいいさ」

 

「呑み切れますかねー。と言うか、屋台壊れたのにまた来ますかね?」

 

「大丈夫だろうよ」

 

 もう一度吸い込み、吐き出す。苦さの無い、楽しげな笑いを浮かべた親父は、不思議そうな店員を横目に、夜空を見上げた。

 

「参拝でもミサでも、なんならそこらの寺でもいい。後で伝言しておけばいいさ」

 

 余計に混乱した風な店員の肩を叩いて歩き出す。

 

「またのご来店、お待ちしております、ってな」

 


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