月に吼える   作:maisen

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第一話。

 

時は夕食時、場所は人狼達の住まう里のとある家。

 

やや小さめのちゃぶ台の上に、良く言えば素朴な、率直に言えばただ切って焼いて適当に調味料をかけました、といった風情の漂う塩気の強めなおかずと、山盛りになった御飯が鎮座ましましている。

 

それをテレビを横目に見ながらがつがつとかき込む男が二人いた。

 

一人はそろそろ40代に差し掛かろうかという、着込んだ和装の袖から伸びる鍛え抜かれた腕、胸元には鋼のような肉を纏った身体が見て取れる男だ。しかもその目つきの悪さと顔の造詣の怖さから、泣く子も逃げると近所でも評判の男性である。

 

その目の前にもう一人、口の中に残った焼き魚の骨をばりばりと齧りながら、古めかしいテレビに向かって足を伸ばしているのは10代半ばか少し超えたか、と言った年頃の青年だ。

 

しかし疾風の如く抜き打たれた刀の峰で頭を叩かれ、頭を抱えて悶えている印象で言えば、どこか抜けていて、なんとなく若さというか色々と持て余していそうである。

だが、青年の行儀の悪さを(物理的に)咎めた壮年にどこか通じるように、まだ細さは感じられる物の身体はそこそこ引き締まっており、発展途上、伸び代があるというイメージが強い少年だった。

 

あまり似ていない親子だ、とか。

 

父親に似なくて良かったな、とか。

 

あいつ子種まで尻に敷かれてたんだなぁ、とか。

 

近所ではそんな感じに語られるこの二人は、有体に言って血のつながった親子であり、その一部だけを見れば普通の父子家庭の父と子であった。

 

 

 

 

 

 

「忠夫よ」

 

「っつあ~!? なんだよクソ親父!」

 

ゴキン、と金属物が少し柔らかめの物に当たったような音、はっきり言えば金属の塊でそれなりに重い刀の峰が、人の頭部に落ちる音がした。

 

『いやいやいや! そんなわけあらへんやろ!』

 

「ふぉぉぉぉ…!」

 

テレビから流れるあまり売れていない芸人の滑り気味な漫才と、人が一人畳の上を転がりながら悶える声を聞き流しながら、クソ親父と呼ばれた男性はなんでも無かったかのようにお茶を一啜り。

 

しばしの間を置いて。

 

「お前ももうすぐ大人だ。霊刀は出るようになったのか?」

 

「おー痛て…。欠片も出る気配がねーなぁ」

 

頭を摩りながら、しかし何時もの事なのか、僅かに眼の端に涙の後を残しながらも、忠夫と呼ばれた少年は最後の一口をお茶で流し込み、空になった食器を重ね、そのままテレビに向かって座り込んだ。

 

父親はいたって真剣な声音で話しかけるも、上の空と言うか聞いちゃいないというか。

まるで学校の事を聞く父親と、面倒くさそうに一応答えは返している子ども、と言った何処にでもあるような食後の風景である。

 

『なるほどなーってそんなわけあるかい!』 『ワハハハハハ』

 

テレビから聞こえる関西弁の甲高い声と、合成された笑い声だけが虚しく二人の間を上滑りしていく。

 

「刀の腕は少しは上達したのか?」

 

「おう、犬塚のおっちゃんの居合は避けれるようになったぞ。反撃した瞬間カウンター喰らって意識飛んだけど」

 

「犬塚が?珍しいな、あやつが稽古とはいえお前が気絶するほどの…」

 

「…いや、その、まぁ、な!」

 

「またサボっておったか」

 

冷や汗まじりに誤魔化そうとした少年の後頭部に、呆れの多分に混じった視線が突き刺さる。溜息まじりながら、とりあえずまた攻撃されることはなさそうだ、と安堵して、忠夫は小さく息を吐いた。

 

「…まぁいい。それよりも忠夫よ」

 

「なんだ、親父」

 

声の重々しい雰囲気に、思わず振り向いた忠夫の目に、真剣な表情の父が写り込んだ。腕を組み、目を逸らさぬままにじっと熱のこもった視線を向けられた忠夫は、だがしかし、怯むどころか、またか、と言った表情を浮かべる。

 

そんな息子の視線なぞ屁でも無いわ、と父親は懐から小さな黒い箱を取り出し、

 

「野球の時間だ。そこを退け」

 

「断る」

 

だがテレビをめがけて放たれる筈のリモコンの赤外線は、息子が何時の間にか電池を抜き出していた事で不発となる。

懐から電池を取り出す息子に対し、昨夜の内に電池が抜かれていた事に気づいていなかった父は、愕然とした表情でリモコンの蓋を開け、そこにある何もない空間を見て、舌打ちをしながらリモコンをゆっくりと置いた。

 

「なぜだっ!」

 

「何故もクソもあるかいっ! ボールが飛ぶたびに尻尾振るな! 埃が舞うんじゃ!」

 

「…むぅ」

 

ああ、男所帯の切なさよ。

 

妻を亡くしてからというもの、それなりに気を使って掃除はしているつもりではあるし、幼い息子の喉に悪いと近所の女傑達にお玉で追いかけ回されてからは、天気の良い日は布団も自分できちんと干すようになった。

 

しかし、やはりというかなんというか。

 

一昔前のドラマなら、姑あたりが窓の桟を指でついっとやれば、うっすらと埃が積もる程度の掃除でしかない。男一人、息子が長じてからは男二人でもそれが限界だったのだ。

 

顰め面で沈黙した父に向かって、やれやれ、と忠夫は肩をすくめて見せた。

 

「全く…そんなだから狼じゃなくて犬だとかいわれる――」

 

瞬間、忠夫の第六感とか生存本能とか慣れとかそのあたりの感覚に、はっきりと未来が見えた。宇宙世紀なら額のあたりに閃光が走っていたかもしれない。

 

本人も意識しない動きで跳ね上げられ、重ねられた両の掌は、その間に見事に刀を挟み込んでいた。今度は峰ではない、しっかり刃が向けられている。

 

「――うおおおおっ!いきなり切りつけるんじゃねぇクソ親父!!」

 

「犬ではないっ!!誇り高き狼だー!!」

 

「だぁぁっ!聞いちゃいねぇー!」

 

 

月の明るい夜。犬飼家の食卓は、騒がしくもドメスティックなバイオレンスが飛び交う戦場と化したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

しばらく後、ボロボロになっている居間で。

 

「っててて。ちくしょー! 親父の奴、本気でやりやがって。ってあー! TV壊れてるじゃないかっ!」

 

 ガサリ、と音を立てて瓦礫の中から動き出したのは、何処にでもいそうな――といっても、少々見た目は奇異に写るのは間違いない。彼には大きな白い尻尾と犬の耳…いやいや、狼の耳がついているのだから。

 

 とまれ、ボロボロの格好のまま彼は意外と元気に歩き出すと――やはり、その歩みは全くなんの傷も負っていない健康そのものに見えた――彼の部屋の襖を空けた。 

 

「あ~あ、これで外と中を繋ぐ最後の線も切れちまったか。さーて、どうすっかなぁ~」

 

 畳の上にもう何年もそのままです、と言った感じに置いてある草臥れた座布団の上に寝転びながら、彼は、忠夫は考えていた。

 

(母上が死んでからもう何年経ったかな。母上の妹の百合子さん――おばさんと言ってマジで殺(や)られかけた。叔母じゃん、間違ってないのに。何でだ?―― ともかく、連絡はついた)

 

布団に寝転がったままで、部屋の隅にちょこんと置いてあるバッグに視線をやる。

 

(出て行く準備はできてる。外の人間が着てる服も手に入れたし、少しだけどお金もある)

 

 

視線を天井に戻し、そのまま屋根を突き抜けて高く、高く――

 

 

そこにある月を見るかのように――

 

 

(決行は次の新月。明け方にこそっとでてくのが一番楽やな)

 

 体が疼く。正直な所、今から楽しみでしょうがない。外の世界、2度目の世界。初めて覗いたのは母に連れられてであった。百合子さん以外の「母の家族」とやらは、こちらを見る目が不審に溢れてて、二度と会いたくないとしか思えない人たちだと子供心に思ったものであったが。

 

(それでも、外は外だ。狭い里じゃなく、1日中歩いても端っこになんかつかないくらい広い場所。)

 

 なんとなく体の中で湧き上がる思いが溢れそうで、布団から起き上がると頭でも冷やすつもりで縁側に立ってみる。

 

 

(そして――)

 

 

まだ幼かった頃、目的は違えど今考えている事と同じことを全く計画性もなくやろうとして、あっさり迷子になった3年前の自分を思い出す。

 

(あんときゃほんとに怒られたっけかー。親父に、犬塚さんと奥さん。長老や他の皆も)

 

――狼は群れを大事にするものだ!その仲間が大変なことになっているのかもしれないのだぞっ!心配しないわけがなかろうがっ!!

 

(流石にそッこーで謝ったんだよなぁ。長老のあの言葉も効いたけど――)

 

――兄上、置いていくの?シロを、おいてっちゃうの?

 

(あんな目で見られちゃあなぁ――年上としては、謝らん訳にはいかんだろ)

 

 記憶に残るのは、3年前の隣の夫婦の子供の顔。2歳年下の元気いっぱいの人狼の子だ。

 

昨日も散歩に誘いに来たが、あの顔が一番印象的だ。

 

(すまんな、シロ。だが、今回お前を連れて行くわけにはいかんのだっ!)

なぜならば―――俺は・・・俺はっ!

 

「嫁が欲しいんじゃぁああああーーーーー!!! ってはぁっ!!思いっきり声に出してもうたー!」

 

 

…若さゆえのあやまちと言うか、正直、色々と持て余す。お年頃だもの。

 

「まずっ!決行か?しらばっくれるか?ちくしょー!失敗し「ワオーン・・・」・・・ん?」

 

どこからともなく響いてくる遠吠。いや、何処からともなくではなく――

 

 

「拙者も!!」

「拙者もー!!」

「腹減ったー!」

「嫁が欲しいぞー!!」

「嫁さん持ち爆発しろー!!」

「なんで人狼は女性が少ないんだー!!!」

「ばっきゃろー!!」

「肉くいて―!」

「ワオーン!!」

「嫁が欲しいよー!!」

 

 

里中の独り者達の家からであった。

 

(…ああ、同士達よ)

 

なんとなく涙腺が緩んでしまう忠夫である。

 

所々に混じっている食欲優先の遠吠えは綺麗に無視されてはいたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして月日はあっという間に流れ。

 

「―――さて」

 

 

 あの後里中で近所迷惑の題目のもとに、妻子持ち男衆VS独身が開催され、さらに煩くなった所で女衆が参戦して独身勢が鎧袖一触に蹴散らされ、いちゃいちゃする夫婦達を地べたに這いつくばった(色んな意味で)負け犬たちが血涙を流しながら呪詛と共に睨みつけたりと色々あった。

 

 

その次の晩。空は新月。忠夫は最後の準備をしていた。

 

「それじゃ、行って来るよ、母上」

 

 返事は返らない。この世界、よっぽどの例外でもない限り成仏した者には会えない。

 それでも、挨拶はしていくべきだと思った。していきたいと思った。

 

「何時帰ってくるか分からないけど…それでも、帰ってくるから。来年の命日には帰れないかもしれないけど、許してくれよな」

 

 最後まで、本当に最期の最後まで笑顔で逝った母であった。それ以外を思い出に残したくないと言った母であった。

 

「…行ってきます」

 

 だから。

 出かける挨拶は、精一杯の、笑顔を見せて。

 

 

 

 

 

 

「さってと。長老は犬塚さんちで今朝送ったお酒でも飲んでるはずだし」

 

 ちなみにそのお酒、彼の父が床下に、天井に、壁の中にと隠していたもの全てを見つけ出してこっそり長老宅の前に「おすそ分けです、犬塚と一緒にどうぞ 犬飼より」と手紙をつけて置いてきた物である。

 

 一言も嘘は書いてないし。彼も犬飼だし。別に嘘ではない、が、彼の実父にばれたときが…まぁ、それは置いておこう。どうせしばらく帰るつもりもないし、帰ってくる頃にはほとぼりも冷めているであろう。

 

「という事は、シロには暫くばれない、筈」

 

もしくは、とっとと布団にもぐりこんでいるか。大人の酒盛りなんて子どもにとっては煩いし酒臭いしで面白いことなど殆ど無いのだ。

 

彼女には申し訳ないという気持ちはある。が、今回ばかりは、そう、今回ばかりは彼女もいっしょに、と言う訳にはいかないのだ。主にコブつきは勘弁と言う意味で。

 

「親父は玉葱食わせたからしばらく動けないはずだし」

 

下手すればそのまま動かなくなりそうではある。

 

 

※犬がタマネギを食べると、赤血球が破壊されて、急性の貧血や血尿などを引き起こす場合があり、場合によっては命にかかわります。間違って食べちゃった時はすぐに獣医まで!

 

 

「今日の見張りの位置は確認済み、と」

 

見回り組の人狼の超感覚が最も恐れるものではあるが、守るものである里の中には自分の匂いが残っているし、身体能力も(逃げ足限定ではあるが)自信はある。最初のスタートで突き放してしまえば、追いつけない公算が高い。

 

 

「…よし、いくぞっ!嫁探しじゃぁっ!! ひゃっほー!」

 

――おい、何か聞こえたぞっ!!

――あっちだ!あっちからだぞ!

――良し、回り込め、挟み撃ちだ!!

 

「ぎゃーっす!!またやってもうたーっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

皆様、ご機嫌いかがでございましょうか? 

 時の流れは早い。今は彼が16歳、…そう、少年から青年と呼ばれ方が変わるくらいには成長した頃のようです。

はてさて、どんな騒ぎが起きることやら。なんと言っても、彼は何処まで行ってもトラブルに巻き込まれる「存在」ですからねぇ。

もう暫くは、見てみる事にしましょうか――。

 


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