月に吼える   作:maisen

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第十八話。

 

 黴と埃の匂いが鼻をつく。長い間人の手が入っていなかったのであろう室内は全体的に埃っぽくなってはいるが、涼しいと言える程度の室温と乾いた空気が淀んでおり、全く光りが入らないことから考えておそらく保管庫として使われていたのだろう。

 

 部屋の全ての壁には棚が備えられており、本や小箱、何かの液体が詰まったフラスコや乾燥させた正体不明の薬草らしき物、最早用途不明の機械の塊があったかと思えば、片隅には図面だろうか、複雑な直線と手書きの文字がぎっしりと書き込まれた大きめの紙束が転がっている。

 

 しかしそれらは時間の経過を感じさせる様子でありながら、不思議と黄ばみや劣化等は見られず、押し並べて表面を覆う埃さえ取り除けば状態は良さそうに見える。

 

と、光の無い部屋の一角が、切り取られたように長方形に開いた。

 

  見た目はただの木の扉に見えるそれは、がたつく事も音を立てる事も無くスムーズに開く。

 

 久しぶりの空気の流れに乗って、開かれた扉の向こうに気流に巻かれて舞い上がった埃が飛んでいく。

 

 その先にいるのは、不快気な表情で口元を布で押さえている老人と、全く動ずる事無く立っている女性に見えるアンドロイドだった。

 

 老人が指を弾く。

 

 音が保管庫の中に響き渡ると同時、空気の流れが逆転した。それまで中から外へと流れていた空気が、まるで巻き戻しのように逆流していく。

 

 暫く待ち、その流れが止まったのを見計らって老人が一歩目を踏み入れた。が、今度は暗さに思い出したように足を止める。先程鳴らした指を、扉の近く、室内側の壁に探る様に這わせていく。

 

 その指先が、ぱちりと音を立てて何かを押した。

 

 途端に明るくなる室内。換気は指を鳴らしただけで可能なのに、照明は何処にでもある壁の普通のスイッチだった。

 

「ふーむ、何処へしまったかのう?」

 

 辺りをぐるっと見渡し、目的の物を探しながら歩みを進めていく。が、それは見つからないようで、首を捻って困惑したように首を捻った。

 

「ドクター・カオス。捜索範囲を・広げ・ますか?」

 

「そうじゃのう…今度は、あっちの方じゃ」

 

 全く日も入らない、光源といえば天井の切れかかった白熱球に見える光る石の様な物のみ。此処はドクター・カオスの製作物が大量に収納してある倉庫。自称『ヨーロッパの魔王秘密基地』。

 

別に基地としての機能があるわけでもないのだが、ここを知る人間が他に居る訳でもなし。

 

「おかしいの…この辺だと思ったんじゃが。おーい、マリアー?」

 

「……」

 

「その惚れ薬は実は未完成品でなー?」

 

 何かの薬品が入った瓶と、その表面に書いてある『惚れ薬』の三文字、それを食い入るように見つめていたマリアは、頭一つ分長身のカオスが上から自分の手元を覗きこんでいる事に気づき、両肩を一瞬震わせた。

 

「………なんで・しょうか。ドクター・カオス」

 

「まぁいいが。探し物を探すんじゃぞー」

 

「イエス。ドクター・カオス」

 

「……わーるい影響ばーっかりうけおって」

 

 無表情ながら、何処となくしょんぼりとした雰囲気で瓶を棚に戻すマリアを横目に、カオスは小さく呟いた。

 

 

 しばし後。

 

 

「――? ドクター・カオス。これは・一体・なんで・しょうか?」

 

「ん? おお! 懐かしいのー。これはな、お前の妹の設計図だった物、じゃよ」

 

 部屋の隅に積み重ねられていた紙束の群れ。そこから零れ、縛っていた紐が解けたのか中身を晒していた一枚を手に取り、マリアは尋ねる。人体を模していながら、しかしその中身は機械と錬金術、そして魔術の三つで構成されている事が彼女には分る。

 

 なぜなら、それは彼女自身を構成している物でもあるからだ。

 

「イモウト・ですか?」

 

「然り。ただ、やはりメタソウルが安定しなくてなー。結局あいつに任せてほったらかしじゃ」

 

「ドクター・カオス。協力者が・居たという・情報・ありませんが。やはり・とは?」

 

「ん? んー、まあ知らんでええじゃろ。もう会う事も無かろうて…ほれ、そんなことより、ほれ、此処に惚れ薬の完成品が」

 

「…………ノー。ドクター・カオス。マリアには・必要・ありません」

 

 えらく長い間――驚くべきことに――迷った風であったが、しばらくしてはっきりとそう言い残し、何かを振り切るように歩いていくマリア。

 

「――ふん。「やはり」とはな」

 

 確実に彼女の耳でも聞こえない距離に遠ざかった事を確認し、呟くカオス。

 

「お前のメタソウルには、彼女の魂の欠片、と、いっても、その残滓のような物じゃが、それが使われておるのじゃよ」

 

 マリアが歩き去っていった方向を眺めながらそう呟いたカオスの目には、懐かしむような色と、過去を遠くに見る物特有の遠い視線がある。

 

「つまり、お前は、真実マリア姫とわしの娘、なのだよ。少なくとも、私はそう想っているとも」

 

 呟く老人の声には張りがあり、若さがあった。例え昔の、未だ青年と言えた頃の事を思い出した事で蘇った僅かな間とは言え、苦さと、情熱と、そして限りない優しさがあった。そしてその父性が、娘の幸せを――只、願う、父としての想いが宿っていた。

 

 突如マリアが歩き去った方角から響くまるで何かが何かと正面衝突してその上やら中やらから中身が全て落ちて来たような轟音。

 

「…敵襲。格闘戦モード・起動・します」

 

「まていっ! …ええい、妙な所まで姫に似らんでもいいものを!」

 

「ノー。ドクター・カオス。動揺など・ありえませんし・悔しくも・ありません」

 

 語るに落ちるとはこの事か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も今日とて美神除霊事務所は繁盛している。新しい事務所も無事手に入り、ますます大車輪のように依頼を受けまくっていた。

 

 本日の依頼は―――首都高荒らし退治。

 

 夜な夜な高速道路に現れては、高価なスポーツカーを突如後ろから現れ追い抜き、高笑いを上げながらそれをぶっ壊すという、実にはた迷惑なモノの除霊依頼であった。

 

「ひー! 速いっす怖いっすー!」

 

「やかましい! あんただってこれぐらいで走ってるでしょうが!」

 

「んなわきゃないでしょーがー!」

 

「…そーですかね?」

 

 そんな訳で夜の首都高を愛車で流してみれば、実にあっさりと犯行現場を目撃。そのまま横で喚く半人狼とのほほんとした幽霊少女を無視して時速250kmでのカーチェイスに突入する美神であった。

 

「美神さん! 後ろから何かがきます!」

 

「うそっ?!首都高荒らしは2匹いたっての?!」

 

「キャインキャイーン!」

 

 前を行く怪しい影を追いかける美神たちの車の後ろから、これまた異様なスピードで追いかけてくる影。そしてとうとう助手席で丸くなって頭を抱える忠夫。

 

 そちらに意識を取られていた隙に、前方の影は突然速度を落とし美神たちに並ぶ。その影は2本の角と4つの目をもつ、いかにも凶悪な面構えをした鬼であった。

 

「悪いが、勝負はお預けだっ!!」

 

 そう美神たちに一声かけると、助手席で丸くなっていた忠夫の襟首を掴み、後ろの影に向かって投げつける。

 

「―――へっ?」

 

「横島くんっ!」

 

「横島さんっ!」

 

 あっという間に流れていく視界と、美神たちの声。そして、凄まじい速さでこちらに衝突するコースを取りながら突っ込んでくる頭に鉢巻を巻いた、まるで作り物のような顔をしたもう一体の影。

 

 そこまでを確認した忠夫は、おもむろに身体を伸ばし、両足を揃え、その怪しい影に綺麗に一直線に体勢を保ったままで突っ込んで行く。

 

「人狼! サイクロン・ドロップ・キィィィィィック!!」

 

 空中で無駄のない無駄に完璧な身体制御を見せつけると、見事な捻りの効いたいわゆるドロップキックがその影の顔面に突き刺さった。

 

 そのままの勢いで後方に飛んでいく横島と、前方から来た不意打ちを全く予想できずに直撃された影。

 影は綺麗にのけ反り、だが慣性の法則には逆らえずあっという間に不自然にねじ曲がった格好で高速道路の中央分離帯を破壊しながら転がって行く。

 

 横島はと言うと、地面との摩擦で煙を上げながらも影との衝突で勢いが殺された事もあって、何故かポーズを決めながらきっちり着地に成功していた。その様はまさに、往年の昭和のバッタヒーローをどこか彷彿とさせる。再放送か特集でも見たのだろう。

 

前方で激しいブレーキ音がしたかと思うと、慌てた様子で車を降り、走りよる美神とすっ飛んでくるおキヌ。だが、「おもわず殺っちゃったー♪」てな顔をしている無傷で平気そうな横島を発見し、

 

「「なんで生きてるのよ(ですか)!」」

 

と、なんとも理不尽な叫び声を上げたのは仕方あるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――つまり、あんたもあいつも韋駄天なわけね?」

 

「はい、そして私は仏の道を踏み外し、鬼へと落ちたあいつを捕まえに来た八兵衛という者…だったのですが」

 

「…あー。不幸な事故って事で一つ」

 

「…えぇ、避けそこねた私にも確かに非はあるのですが…ですが…!」

 

 とりあえず忠夫を一発しばき――『心配させるんじゃないわよっ!』という心の叫びは当の本人さえ聞こえていないようであったが――昏倒した方の影を呪縛ロープで簀巻きにした後の事情聴取で、あっさり今回の件の裏は分かった。問題は。

 

「しかし、これでは…」

 

「あんたの協力はちょっと無理ねー」

 

――ほとんど真上を見上げるような状態で固まった首を、なんとか体を折り曲げて会話しているという今の状況であろう。

 

「ほらほら、おキヌちゃん、あれ気持ち悪いよなー」

 

「すぷらったですよねー」

 

「だよなー。よくあれで生きてるよなー。神様って凄いと初めて思ったよ」

 

「でも、あれくらいならいつもの横島さんだって」

 

「反省の色、見せてあげたら?」

 

「「え、なんで?」」

 

「しくしくしく」

 

「「「うわ、キモ」」」

 

 膝を抱えて体育座りの体勢を取ると、顔が自動で正面を向く素敵仕様である。

 

 自称正義の韋駄天を名乗った眼の前の怪しい神様、八兵衛曰く、現在自己修復中だが、かなりの時間がかかる事が予想され、次に現れた場合にはおそらく対処しきれない、ということ。何せ前が見えないのだ。確実に事故る。前方不注意で。

 

 と、いうわけで――

 

「君なら、できる!」

 

「がんばってねー。横島君」

 

「ふぁいとです! 横島さん!」

 

「なんでじゃー!!!」

 

 まだまだその霊力で増幅された身体能力を使いこなせていない忠夫がその力を使いこなせれば、あのスピードくらいは出るんじゃないかという美神の案が現時点で決行可能な最も効果的な作戦として採用されたのである。…作戦成功率が10%前後になりそうな採用理由である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして―――

 

「今日はまずバイクが相手よッ! と、いうわけで最近事務所の前を走る暴走族に生身で勝負してもらってきてね♪ ちなみに修行だから出来るだけ攻撃しないで、ちゃんと道路を走ること♪」

 

「それ、ぜってー関係ないでしょ?!」

 

「いいから、私の安眠の為にとっとと行けー!!」

 

 と、深夜に玄関から蹴りだされる横島。

 ごろごろと勢いのまま転がって行き、道路まで移動した彼の真横でブレーキ音とエンジン音が響き、そして若い男達の荒っぽい怒声とバイクのライトが彼に当たった。

 

「おうおうおうっ!? なんだにーちゃん? 俺らのロードの邪魔をするってーのかオイ!?」

 

「貴方達ー。その人があんなトロい走りじゃ俺が走ったほうが速いぜ!って言ってたわよー」

 

「「「「「「なにいっ?!」」」」」」

 

「ひぃ?!」

 

「がんばってねー」

 

ひらひらと全速力で走り出す忠夫と、その後ろを追いかけていくバイクに乗ったいかにもな人々を笑顔で手を振りながら見送る美神。

 

「鬼―! 悪魔―!」

 

「しっつれいねー。ふぁぁっ…さ、煩いのは居なくなったし寝ましょーか、おキヌちゃん」

 

「横島さん、大丈夫でしょうか?

 

「危なくなったら適当に切りぬけて帰ってくるでしょ。それくらいできるわよ」

 

 次の朝、ボロボロになって帰ってきた忠夫の手には、何故か大切そうに握り締められたバイクのキーがあった。向こうの空間を一緒に覗いたことで、友情が芽生えたらしい。

 

そして彼女達の安眠は守られる事となった。

 

「んじゃ次は車ねっ! という訳でしっかり付いて来るのよー」

 

「車と俺の手を手錠で繋ぐ必要があるかー!!!」

 

「だって困るじゃない。逃げられると」

 

「逃げる逃げない以前の問題でしょーが!!」

 

「除霊ってことで特別許可も取ってあるから大丈夫。行くわよー!」

 

「お願いだから話を聞いてぇええええ!!」

 

 忠夫の必死の抵抗も何のその。呪縛ロープと美神の念入りの手錠は横島の手首をがっちりと掴んで放さない。それでも必死に着いていく横島。段々と速度が上がっていき、それに吊られてロープの遊びも徐々に少なくなっていく。このまま行けば現代版西部劇、馬で引きずられる男の出来上がりとなる。

 

「死ぬー! 絶対死ぬー!」

 

「もしこれでついてこれたら、嫁の話、少しは考えてあげても良いわよー」

 

「おっしゃあああああああっ!!!!」

 

 だがしかし、美神の一言で忠夫、フルパワー。

 

もはや爆音のような強い踏み込みは、アスファルトに忠夫の足型を残してへこみ、そしてその反発は忠夫を一気に美神の車へと押しやった。

 

 トランクに着地する忠夫。

 

「うっしゃぁぁぁぁっ!!!」

 

「うん、この調子ならいけるかもしれないわね…てな訳でもう一回♪」

 

つん。

 

 トランクという物の、美神の車のその部分は結構丸い形をしている。そんな所でガッツポーズをとっていた忠夫。当然その足元はひじょーに不安定である。そんな所を神通棍でつつかれれば当然。

 

「…ゑ?」

 

落ちる。

 

 ガッツポーズのままで落ちていった忠夫は、何とか一回転して地面に着地。

 

 だが、それをバックミラーで確認した美神は鼻歌交じりにアクセルを思いっきり踏み込んだ。

 再び張りつめるロープ、引っ張られる横島。

 

 その光景は、彼がとうとう体力を使い果たして地面に(摩擦で)熱いキスをするまで続けられたのだった。

 

「さて、とうとうあの韋駄天からの挑戦状が来たわ。相手は新幹線だけど、ね」

 

 そんなこんなで1週間。忠夫は限界に挑戦しつづけ――そしてその都度ボロボロになりながらも立ち上がっていた。その目に光るのは自信の光…にしてはやけにドロドロしている。

 

「ふ、ふふふふふ…」

 

「美神さん、横島さん大丈夫なんですか?」

 

「さぁね? まぁ、やることはやったわね!」

 

 こちらは自信満々に言い切る美神。

 

「不安だ…」

 

そう呟くのは未だ首の曲がった八兵衛。

 

やるだけやったというより、やっちゃった感が否めないのである。

 

 何はともあれ挑戦状の指定した日。美神たちはグリーンシートで体を伸ばしながら、ゆっくりと鬼の到着を待っていた。

 

「来ないわね。怖気づきでもしたかしら? ところで横島君は?」

 

「ええと、さっきまでおっきなバッグをごそごそやってましたけど、八兵衛さん連れてどっかに行っちゃいました」

 

「昨日からなんだか色々やってたみたいだけど…秘密特訓でもやってたのかしら」

 

 いや、姿があるのは美神とおキヌのみ。半人狼の少年の姿は無い。どうやらこの車両には居ないようである。とはいっても、挑戦状が届けられた時点でこの依頼は同時に鉄道会社からの依頼ともなり、今は美神たち以外に客の姿は無い。

 

「――来たわね」

 

 しばらく後、美神の霊感に反応があった。そしてそれは確かにあの夜感じた物と同じ。

 

「勝負だァァッ!!」

 

 そう雄たけびを上げつつ走って来るのは、やはりあの鬼であった。しかし、

 

「その勝負、まったぁぁぁっ!!」

 

その気迫に水を差す叫び。

 

「む、何奴!」

 

その声に導かれてそちらを見れば、新幹線の上に仁王立ちする忠夫。とりあえずスピードに対する恐怖は無くなったようだ。

 

「何のつもりだキサマッ!」

 

「勝負に入る前にこれを見るがいい!」

 

「九兵衛、もうこんな事はやめるんだっ!」

 

 そう叫びながら忠夫に引きずり出されたのは、ロープでぐるぐる巻きの韋駄天八兵衛。

もちろん首は真上を向いたまま。

 

「……へっ?」

 

 そのあまりにも意表を衝かれた光景に、以前凄まじい速度を維持しながらも唖然とする鬼。そして、その意識がそれた一瞬で全ては片付いた。

 

 瞬きするほどの間に、三つの音が連続して響いた。

 

 初めの音は、忠夫が投げつけた真っ黒に塗られた呪縛ロープ鋼線入り(両端に石が括り付けてあって足に巻きつくようになっている。いわゆるボーラ。)に新幹線の横を走っていた九兵衛が足を引っ掛けた音。

 

 次の音は転んだ彼が凄まじい速度のまま線路の下に敷いてある砂利へと枕木をぶち折りながら突っ込んだ音。

 

 最後の音はあまりの勢いに止まらなかった鬼がやっと止まり、崩れ落ちた音である。

 

 いつか人狼の里を抜け出すときに使ったトラップの応用であるが、今回はそれに加え視覚的なショックを与えることにより一時的に隙を作り、その後視認し難い黒塗りのボーラとして簡単に切れないように加工した縄ですっ転ばす。あとは勝手に自爆してくれる、というわけである。

 

 そして仕上げに―――

 

「駆けっこがしたいなら人様に迷惑のかからん所でやらんかいっ!!」

 

「うわわわわわぁぁぁっ!!!」

 

 新幹線から高く跳びあがり、眼下で沈んでいる九兵衛に向かって人質に取っていた八兵衛を投げつける。

 

 高高度から高速で投げつけられた韋駄天は、流石に受け身を取ることもかなわずそのままボロ雑巾のようになった元韋駄天にぶち当たる。

 

 辺りに轟音と砂煙が広がった。

 

「「…げふ。」」

 

 こうして、元凶と役立たずは一まとめに片付けられて、いっちょ上がり、となったのだった。

 

「ちっ! せっかく『くれいもあ』とか仕掛けたのにあっさり一発目で倒れるんじゃないっ!!」

 

 どうやら、まだちょっと黒い。

 

「あらら、あの神様死んだかしら?」

 

「むちゃくちゃしますねー、横島さん」

 

「そうねー。もう少し先にせっかく仕掛けた落とし穴とか地雷とか虎バサミとかよく滑る油とか、全部無駄になっちゃったじゃない」

 

「…美神さんもじゅーぶん同類ですよね」

 

 結局似た物同士な雇主と従業員だった。

 

その後纏めて縛ってダンボールに詰めて妙神山へ送りつけ、今回のお仕事、無事終了となったとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、その韋駄天達が送りつけられ、段ボールの中から出現した韋駄天二人が絡み合った余りにもおぞましいオブジェを目にした鬼門達の悲鳴を上げた日より日付は幾分か戻り、妙神山の入り口。

 

 小竜姫と鬼門は、ようやく帰り着いた我が家を懐かしむように見上げていた。

 

「天竜姫様。ようやく戻ってこれましたね「天竜ぅぅぅぅぅっ!!」…竜神王陛下!?」

 

 感傷はさておき、とりあえず天竜姫をくつろげる場所に案内しようとしたその矢先に、門の中から駆け出てくるのは確かに竜神の王。

 

「天竜! 無事だったかっ! 父は、父はっ!」

 

 感極まって抱きつこうとする竜神王を余所に、天竜姫は

 

「……お父さん。ちょっと」

 

 入り口に入ってすぐの少し広くなっている所で父親を手招きする。

「ん、なんだい天竜?」

 

「……竜神の王たる血を持って、開け天界の門」

 

 おもむろに祝詞を唱えると、それに答えて開く竜神族の王族専用門。天界と人界の両方の窓口として存在する妙神山だからこそ存在が可能な、天界への直通路である。

 

「天竜っ! まさかもう大人に!」

 

「……はやく」

 

 その光景を見て、娘の成長を喜ぶべきか、早すぎる成長に寂しさを覚えるべきかと戸惑う父親の手を引っ張りながらとてとてと入っていく天竜姫。それを呆然と眺めていた小竜姫たちは、なんとなくいやーな予感がびんびんにするのであった。

 

 その門の出口は竜神王の城にある一室だった。そのまま父親の手を引っ張り人の気配のある方向へと歩いていく天竜。行きつく先はとある大きな会議室だった。

 

「へ、陛下。お早いお帰りで」

 

「いや、娘がな…」

 

 ざわめく家臣たちに本人も良く分らないと言った表情で生返事を返しながら、野球でもできそうなほどに広い空間の一段高い場所に拵えられた立派な椅子、常ならば家臣たちの話し合いを竜神王が座って聞いている場所まで歩いていく親子。

 

そして、自分達の主のあまりに唐突な登場にざわめきがだんだん収まって行く。それもその筈、今回の妙神山で行われる予定の会議は、それ自体が竜族全体に対する竜神王の権威と支配を確たるものにするという重要な役割を持つ上に、付け加えて天竜のお披露目と婿探しも予定されていたので、これほど早い期間で戻ってくるとは予想していなかったのだ。

 

そして、たまたま何かの会議の途中だったのか、周囲に集まる家臣たちを見回した天竜姫は、

 

「……証人は十分」

 

と呟くと、もそもそとその服の袖に手を突っ込む。

 

「……というわけで、くーでたー」

 

「「「「「「「「「「へ?」」」」」」」」」

 

 いきなり父親に袖口から取り出したごっつい銃を向けた。

 

「……私と犬飼君の結婚を認めるならこのままお父さんが王」

 

「て、天竜?」

 

「……認めないなら私が王で犬飼君を嫁にする」

 

「いや、あのだな?」

 

「……どっち?」

 

「その、犬飼君ってのは誰なんだい? ちょっとお父さんに教えてくれないかなー? なんて」

 

 途端に頬を赤らめ、恥ずかしそうにもじもじとする天竜。彼女のそんな様子は、父親であっても、いや父親であるからこそ何でも言う事を聞いてしまいそうなインパクトがあった。

 

額に押し付けられたままピクリとも動かない銃口が無ければ。

 

「ま、まさかぁぁぁああああああっ!!!」

 

「……お婿さん(ぽ)」

 

「て、天竜のおませさんー!!!」

 

「へ、陛下―!!!」

 

 やけに情けない捨て台詞を残しながら、祝詞どころか最低限の言葉さえ唱えずに緊急脱出用のゲートに向かって走り去る竜神王。そのまま、その姿は俗界へと消えていった。

 

「陛下?!」

 

「どー、どーすんだよおいっ!」

 

「いや、だって!」

 

 喧喧諤諤。そう表現するのがふさわしい。

 

「だいたい犬飼ってのは誰なんだ!」

 

「そうだ、そんな何処の馬の骨とも――キットスゴイヤツナンダロウナー」

 

「アア、オレモソウオモウヨ」

 

 迂闊な一言を放ったばっかりに、下顎に銃口を突き付けられた家臣の口調が途端に棒読みになった。

 

 その光景を見た周囲の者達も同様に、冷や汗を流しながら、見た目に似合わない威圧感を放つ少女の迫力に押され、腰が引けている。

 

 この騒がしいなか、その一言を聞き分ける辺り、さすが竜神王の娘というか、恋する乙女は無敵というか。

 

 そして、物音一つ無くなり、針の落ちる音さえ聞こえそうなほどの静寂に支配された

 

「……お父さんが王なら犬飼君お婿さんだし、嫌なら私が王になる」

 

 手に持ったままのごっつい銃と、未だ収まらぬ王としての風格を纏ったまま、少女は花開くようなほほ笑みを家臣たちに見せた。

 

「……どっちに転んでも犬飼君は私のなの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜。事情をよく知らない者から見ればクーデターで王の座を追われた竜神王、実質はいい歳した大人の家出だが、ともかく彼は人界のとある赤提灯の屋台で泣きながらやけ酒をかっくらっていた。

 

「うおおおおおおん!親父、もう一杯!!」

 

「お客さん~。そろそろ止めといた方が…」

 

「うるさい! いいから早く持ってこーい! 金ならあるんだぞ! 客だぞ、俺はぁっ!」

 

 そう言って懐から取り出した金塊を屋台の親父に投げつける。

 

 かなりの速度で風を切り裂いて投げつけられたそれを事も無げに受け止めた親父は、溜息をつきながら足元に転がした。既にそこには数本の金の延べ棒が転がっていて、これだけで残りの余生は十分すぎる程に暮らせるだろう。

 

 が、親父は興味無さげにそれをひとまとめにすると、一升瓶と一緒に竜神王に差しだした。

 

「…まぁ、長い人生辛い事もあるだろうさ。今日はとことん付き合ってやる。が、これは返す。やけ酒に多すぎる金は不粋さね。あんたが酔い潰れられるだけの分は貰ってるよ。まぁ…飲もうや」

 

 そう言って、親父は前掛けを外しながら屋台を周り、竜神王の横にコップと酒瓶を持って座る。

 

「おお。こういうのもいいな」

 

 と、其処に屋台の暖簾を掻き分け、犬塚が訪れた。

 

「おや、今日はもう店じまいだよ」

 

 親父はそう言って振り向きながら入ってきた男を見て、軽く謝罪の言葉を投げる。

 

「そりゃ残念だ。それではまたの機会にでも…」

 

 しかし、再び暖簾をくぐって出ていこうとした人狼の背に、手酌で酒を注ぎながら、肩越しに親父が再度声をかけた。

 

「違う違う。金は要らんからあんたもこのおっさんに付き合いな、って事よ」

 

 手招きする親父の前には、コップが三つ並んでいた。

 


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