月に吼える   作:maisen

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切りの良い所が無くてチョイ長め。


第十五話。

「一体これはどういうことなのですかっ!」

 

「さぁ、全く分かりませぬ…美神殿達に、何かあったのでしょうか?」

 

「そんなことは見れば分かります! 鬼門達は周辺の捜索を! 私はあそこを見てきます!」

 

「「はっ!」」

 

 天竜姫の情報を基に探しに出た小竜姫達が目撃情報のあった場所に到着した時、既にそこには天竜姫どころか人影すらも碌に無く、辺りには静寂が広がるばかりであった。

 

それでも一縷の望みにかけて探し回るも全くの無駄骨となり、肩を落としながら一旦美神の除霊事務所に戻ってみれば、そこにあるのは無残にも黒く煤けた残骸と、その周辺を走り回る警察官と消防士達、そして僅かに立ち上る白い煙。

 

 しばらく唖然としていた彼女らだが、小竜姫は二人の鬼門に指示を出すと、周囲の人間達に見つからぬように注意を払いながら、ビニールテープの張られ、封鎖されたそこに飛び込んでいく。

 

「…酷い」

 

 数時間前の姿はそこに無く、あるのは只黒く煤けた瓦礫ばかり。美神と対面に座ったソファーも、おキヌがお茶を入れていたポットも、ただの黒焦げなゴミとして転がっている。

 

 ふと、火災現場には不釣り合いな気配を感じた。

 

「…これは」

 

 僅かな残り香だった。しかし、それは火事場の匂いに紛れ込んではいたが、彼女にとっては見逃す事の出来ないものであった。幼い、だが高位の竜族の気配と、邪悪な力ある者の気配。

 

「一体何者が…」

 

 その気配に集中していた小竜姫の背後から、瓦礫を突き崩す音とともに何かが這い出てくる。武神らしく凄まじい速度で反応し、神剣を構え振り向く小竜姫。果たして現れた者は。

 

「いてて…ふう、何とか助かったようだな」

「あ、熱かったんだな~~」

 

 イームとヤームの竜族凸凹コンビであった。

 

 あちこちに火傷を負い、爆発に巻き込まれたのか服は破け、その身体にはいくつかの傷を残してはいたが、生来の丈夫さのおかげか動く事に支障はないようだ。

 

 この先も、その首が繋がっていればの話ではあるが。

 

「何者ですか。名を名乗りなさい」

 

「「うわっ!」」

 

 掛けられた冷たい声に顔を上げた二人の前に神剣を抜き、完全に戦闘態勢に入っている小竜姫の表情の無い顔が入る。

 

巨大な竜気と、その名を知られた妙神山管理人のいきなりの登場に仰天する2体。

 

「「げっ!!」」

 

 今の立場はどう考えても不味い。そのまま回れ右をして逃げ出そうとするが、眼前の武神はそれをやすやすと見逃すほど甘くは無かった。

 

「そこより一歩でも動けば、そのそっ首叩き落されるものと思いなさい」

 

 首に添えられる冷たい感触と、それより冷たい小竜姫の言葉。本気である。マジである。首は落とさなくても手足の一本くらいは持っていく。そんな気迫の籠った視線だった。

 

「「あ…う…」」

 

 こりゃもうダメだ、と両手を高々と上げながら、死出の旅を覚悟した彼らを責められる者などいはしない。

 身体全体に感じる冷や汗に塗れた服の感触とは別に、二人とも股間のあたりにちょっと冷たい感じがしたのは、触れないでそっとしておいてほしい事であった。

 

 

 

 

 

 

 

「つまり、その『怪しいフードを被った竜族のお偉いさんらしき人物』に騙された、という訳ですね?」

 

「「…はい」」

 

「馬鹿ですか貴方達は!」

 

「「ひぃぃっ!!」」

 

 怒声とともに苛立ちを堪えながらもなんとか抑えていた竜気が再び爆発する小竜姫の目の前で、土下座しながら、ひたすら萎縮するイームとヤーム。

 

「…ふぅ。それで、何で今更こんな所に?」

 

 ここで怒りを爆発させてもしょうがない、となんとか己の心を宥める事に成功した小竜姫が、その竜気を収めたのを感じ、恐る恐る顔を上げる二人組。

 

 小竜姫の質問に対し、顔を見合わせた二人だったが、彼女の神剣が地面に勢いよく突き刺さる音に飛びあがり、慌てたように話し出した。

 

「そっ、それは――」

 

 フードを被った怪しい影が窓から飛び出した直後。すぐさま意識を取り戻した二人組は脱出を考えたが、窓の下には人間が一杯。

 

 ビルの内部に逃げ出そうにも、そちらは既に何に引火したのやら火の海であり、どこかに良い出口は無いか、と探してみれば、衝撃で崩れたらしい本棚の裏に緊急脱出用らしきモノ。慌てて飛び込むもビルの一フロアを吹き飛ばす衝撃は伊達ではなく、既に途中で崩れ落ち頭は通る位の隙間はあるものの行き止まり。下手に崩せば二次災害があるために手も出せず。

 

しょうがないのでほとぼりが冷めるまで隠れていた、というわけである。

 

 そして二人は吐かされる。

 

 なぜ、こんな事をしたのかを。

 

 下っ端とは言え、竜族のはしくれであり、それなりに力を持った彼らが、どうしてわざわざリスクの高い、竜神王の娘の誘拐などと言う、成功してもその後の人生に展望の描けない、しかも失敗すれば即処刑間違いなしの犯罪を犯したのかを。

 

 まぁ、それ自体は仕事をさぼってたら上司に首にされたので逆恨みしてました、というなんとも情けないを通り越してどうしようもない理由であったが。

 

 そして、その話を持ってきたのが誰なのかを。

 

「…やはり黒幕が居ましたか」

 

「へ、へい、その霊格といい、まんざら嘘ではない、と思ったもので、すっかり…」

 

「…よいでしょう。貴方達、理由はともかくとして、まだ更生の余地はあります。こちらに協力しなさい」

 

「許して頂けるんで?!」

 

「あっ、ありがとうなんだなっ!!」

 

「これからの働き次第では、ということです! 『鬼門! 聞こえますか!』」

 

 性根が甘いのか、二人組に利用価値を見出したのか。それともこの際使える者は何でも使おうと言う美神的なものに染まりでもしたか。

司法取引を持ち掛け、その二人を手駒にくわえる小竜姫。そのまま鬼門達に念話で話し掛ける。

 

『鬼門?どうしたのです?』

 

 が、返事が無い。

 

「ど、どうかしたのかな?」

 

「いえ、おかしいですね…鬼門たちと連絡が「あいつらなら外でおねんねしてるよ」ぐっ!」

 

 小首をかしげながら、外の様子を見ようとした小竜姫。

 だが、その言葉の半ばで彼女の姿は瓦礫を巻きこみ吹き飛ばされ、イームとヤームの視界から一瞬で外されていた。

 

 そして、小竜姫の立っていた場所の背後に、先程までの話に出ていたローブ姿の妖しい人物がたっている。

 

 おそらく小竜姫を襲ったであろう武器、刺又を振りぬいた格好の人物は、瓦礫の向こうに姿を消した、しばらくは動けないであろう彼女を鼻で笑ってその武器を何処かにかへと収める。

 

「く、うっ…!」

 

 土煙の中から僅かに聞こえる小竜姫のうめき声、だが止めを刺す事が目的ではないのか、動けない事を確認しただけでローブの人物は興味を失ったように視線を外す。

 

「…ふん。音に聞こえた武神も、不意を衝かれればこんなもんさね」

 

「貴様はッ!」

 

「…こんな所に隠し通路かい。さて、鼠を炙り出すとしようかねぇ」

 

 ヤームの声を、いや二人の存在自体を歯牙にもかけぬまま、先ほどまで彼らが隠れていた通路に向かって片手を上げた。

 

その服の袖から滑り出るようにして、大口を持ったヘビにも似た化物たちが何匹も飛び込んでいく。

 

「さ、さっきは、よ、よくもやってくれたんだな!」

 

 今気付いた、と言うように、ローブの人物はそこで漸く二人に目を向けた。

 

 視線に温かみなど欠片も無い、まるで蛇のようだ、と二人は思う。

 

 が、しかし、その視線がすぅと細められ、蛇のようだ、と言うのは間違いだったと二人は悟る。

 

 眼前にいるのは、紛れも無く化け物だ。

 

「・・・雑魚どもが意外にしぶとい。いや、利用価値はまだあるか?」

 

 何かを思いついたようにそう呟くと、そのフードを体から落とす。中から現れたのは、予想もしなかった姿で。

 

「「――っ!!」」

 

 彼らを驚愕させた。

 

 

 

 

 

 

 

―――それより数分後―――

 

 地下下水道をエンジン音をけたたましく響かせながら、滑るように進む一隻のボート。船上にあるのは美神たちの姿。そしてそのボートを追いかける先ほどフードの人物が放った大口の化物たち。

 

「ビッグイーター?! それにしてもあの数って反則じゃない?!」

 

 

 ビッグイーターと呼ばれた化物たちの、その数、およそ50匹。周囲の状況と足手纏いと保護対象のことを考えればとりあえず。

 

「三十六計逃げるにしかず! スーパーニトロターボブーストチャージャー、オンッ!」

 

 怪しすぎると言うか、安全性に全く気を使ってないのでは?と思わせるような装置のレバーを引っ張ると、案の定爆音とともに吹っ飛ぶような加速で下水道を駆け抜けるボート。

 

「うひゃぁぁぁぁぁ!!」

 

「……きゃっほう♪」

 

「よしっ! 流石にこの速度には追いついてこれないみたいね。このまま一気に東京湾まで抜けるわよっ!」

 

「――美神さん!前っ!」

 

 しかし下水道の出口には鋼鉄製の柵がある。

 いくら多少の改造をほどこされたボートとは言え、流石に鋼鉄で出来た柵に真正面からぶつかっても平気、と言う訳ではない。

 

 むしろこちら側があっさり砕け散って、そのまま魚の餌になるのが関の山だろう。

 

 しかし、美神は余裕の表情で、ボートに備え付けてあった小さな引き出しを引っ張り、中から小ぶりなリモコンを取り出した。

 

 そしてそれを見せつけるように心配げな声を上げたおキヌに見えるように、目の前を塞ぐ柵に向けて操作して見せる。

 

「大丈夫よ、ちゃんとスイッチ一発で開くようにしてあるわよ」

 

 が、開かない。

 

 何度押しても開かない。

 

 美神がリモコンを操作した後も、柵は依然としてその存在を示していた。

 

「あれ? …おキヌちゃん、乾電池とか持ってないわよね?」

 

「美神さーーーーん!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――東京湾―――

 

 静かな夜であった。辺りには船の姿も無く、近くには観光スポットも無く倉庫が広がるばかり、だった。突如爆音と閃光がその静寂を切り裂くまでは。

 

「備えあれば憂いなしっ!!」

 

「どこからそんなもの手に入れたんですか?!」

 

「お金があれば大抵のものは手に入るのよ、おキヌちゃん」

 

「へー、『からしにこふ』とか『くれいもあ』っていうんでござるかー」

 

「……うん、そう」

 

 バズーカを肩に担いで未だ異常な速度ですっとばす船上にて勝ち誇る美神と、その姿に思わず突っ込むおキヌ。その後ろでは、簡易な武器庫と言うか兵器庫となっている船の倉庫を覗いたお子様二人がなにやらごそごそやっている。

 

 教育に悪いとか言う前に、誰も何故か手慣れた様子で武器を扱いながら、何処となく得意そうに横島に説明する天竜には突っ込まなかった。

 

 突っ込めなかったとも言うが。

 

 

 星もあまり見えない夜空の下、東京湾に飛び出したボート。そして、

 

『キシャァッ!!』

 

 空から降り注ぐ閃光と、それに吹っ飛ばされるビッグイーター。

 

「美神おねーさん! あそこっ!」

 

 忠夫が指差す方を見てみれば、そこにあるのは左手で閃光を放った後の小竜姫と。

 

そして、先ほど事務所に襲撃をかけた竜族たちの姿。

 

 だが、それは

 

「2対1とは卑怯な!!」

 

 どう見ても小竜姫と彼らが激しく空中戦を繰り広げている姿だった。

 

 だが、地力の差か。見ている内にあっさりと小竜姫が2体をその手に持った神剣で撃墜する。海に落ちた竜族たちを眺めた後、そのまま手招きし、岸を指し示す小竜姫。

 

「さっすが武神ねー。なかなかやるじゃない」

 

 美神たちは、こちらの最強戦力と無事に合流できた事で安堵しながら、その誘導に従って近くの倉庫街の桟橋へと船を着けるのだった。

 

「無事でしたか、天竜姫様」

 

 特に2対1であっても怪我をした様子も無く、安堵した様子で天竜に声を賭ける小竜姫。

 

「どうやらそっちも無事だったようね、小竜姫。いきなり居なくなっちゃうから、どうしたのかと思ったわよ」

 

「ご心配をかけたようで…」

 

 舞い降りてきた小竜姫を正面に、美神、おキヌが並び、更にその後ろに天竜と横島のお子様コンビ。

 

「さ、天竜姫様こちらへ。早く妙神山へ戻りましょう」

 

 美神とおキヌの間をすり抜け、駈け出した小竜姫は、勢いそのままに天竜の前に立ち、手を伸ばす。言われるままにその手に向かって歩きだす天竜。何処となくほっとした様子であり、やはり小さいその身にはこれまで逃避行は負担となっていたようである。

 

 しかし、その歩みを止める者が、進み出ようとした天竜の手を握って放さない者がいた。

 

「…どうかされましたか?」

 

「犬飼君?」

 

 

 小竜姫と美神の問いに答えず、ただ鼻を鳴らして辺りの匂いを嗅ぐ忠夫。

 

「美神おねーさん」

 

「なに?」

 

「小竜姫様とやらは、なんでござるか?」

 

「さっきも言ったでしょ? 武神よ、竜神族の」

 

「…天竜からは、良い香りがするでござる。お日様の様な、暖かな匂いでござる」

 

「……」

 

 不思議そうに横島を見る小竜姫。

 だが、その表情の裏には、微かにではあるが苛立ちが見え隠れしている。

 

 そんな小竜姫の変化と横島の言葉に、美神は僅かに腰を落として神通棍に手を伸ばす。

 

「ですから、私が迎えにっ」

 

「だが! お主には…全く、何も匂いが『無い』のでござるよっ!」

 

 叫び、木刀でなくその中の仕込み刀を抜き放ち、小竜姫に向かって構える忠夫。

 

 そしてその言葉を聞くと同時に懐から神通棍を取り出し輝かせる美神。

 

「…何者よ、あんた」

 

「み、美神さんまで、一体何を仰るのですか?!」

 

「その子は人狼よ。その直感と超感覚、知らない訳が無いわよね?」

 

「りゅ、竜神族の言葉が信じられないと?!」

 

「あんたが――本物ならね!」

 

 そう言い放ち小竜姫に向かって神通棍を振り下ろす。

 

「チィッ!」

 

が、小竜姫は舌打ちすると、腰から剣を抜き放ち、美神によって振り下ろされた神通棍と頭の間に際どい所でその刃を差し込む事に成功した。

 

「正体を現すでござる!!」

 

 が、流石にその体勢で背後から追撃に放たれた横島の一撃を防ぐ手段は無く、その身に刃を受けながらも、強引に身を捻って跳躍して避けた小竜姫は――いや、その姿は既に小竜姫ではなくなっている。

 

「小僧がっ! 一度ならず、二度までもっ!」

 

 偽装をといた、紫色の長髪を棚引かせた蛇の印象を受ける女へと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――数十分前、元美神除霊事務所―――

 

「「―――っ!!」」

 

 彼らを驚愕させたのは、フードの中から現れたその姿。

 

「ふふふ…どうだい、そっくりだろう?」

 

 その姿は、確かに先ほど昏倒し、未だ瓦礫の中に姿を消したままの小竜姫そのもの。

 

「な、なんのつもりだっ!」

 

「さぁて、ね。あんた達を惑わせる為かもよ?」

 

「ふ、ふざけるんじゃないんだなっ!」

 

「さぁ、眷属達も目標を見つけたみたいだし、せいぜい踊ってちょうだい―――」

 

 そう言い残し、飛び立つ小竜姫の姿をした何か。

 

「追うぞ、イーム!」

 

「わ、分かったんだな!」

 

 そして、それを追いかけて飛び立つ竜族達。

 

 彼らはそのまま東京湾上空まで飛び続け、突然聞こえた爆音に海上を見下ろせば煙を突き破りかっ飛んでくる一台のボート。

 

『キシャァッ!!』

 

 そしてその後ろから這い出てきたビッグイーターたちを振り向きざまの掌からの閃光で吹き飛ばす小竜姫の姿をした何者か。

 

「っ! なんのつもりだ!」

 

「これであいつらにとって、『味方に見える』のはどっちだろうねぇ?」

 

「――しまった!」

 

 黒幕の手のひらで踊らされたことに気付いた彼らは、懸命にその事を伝えようとするも、それを見逃す相手ではない。

伝えに行こうとしてもまず妨害が入る。しかももし足止めに成功し、美神達に真実を伝えようとも、果して彼女達が信じてくれるだろうか?

 

 つい先ほどまで、天竜を追いかけまわしていた彼らを、まさか本人もいないのに小竜姫には許しをもらったから、と言えばホイホイ信じてくれるような相手でもあるまい。

 

小竜姫の顔をした誰かが、美神達に騙されるな、と言ってしまえばそれまで。後は敵を倒すのと同じ手順で、口を塞がれて終わりだ。八方塞がりでしかない。

 

「ち、畜生がぁあああああっ!!」

 

数が多かろうと所詮は下っ端竜族。相手が悪すぎたせいもあって、奮戦空しく退場させられた。

 

 これで準備は整った。あとは何食わぬ顔をして天竜姫を攫ってしまえば、向こうが気付いた時には既に遅い。

 

 後に残るのは顔も、正体も分からぬ何者かが天竜姫を殺害したと言う事実だけ。地上の竜族たちと竜神族たちとの関係悪化は間違い無い――筈だった。

 

 半人狼の少年がイレギュラーと成りさえしなければ。

 

「力づくってのは性に合わないんだがねぇ…此処まできたらそんなことも言ってられないか」

 

「で、黒幕さん? いい加減諦めて、名前ぐらい名乗ったらどうかしら?」

 

「ふふふ…諦めて? いい冗談だ。その気概と、小僧の意外さに免じて名乗ってあげようじゃないか」

 

 その言葉とともに放たれたのは、圧倒的なまでの、小竜姫に匹敵さえする巨大な魔力。

 

「…やば」

 

「私の名前は――」

 

 呟きとともに一瞬で、欠片の油断も無く神通棍を構えていた筈の美神の懐に飛び込み、言葉の続きを耳元に囁く。

 

「メドーサってのさ。冥土の土産に、持って行きな」

 

 いっそ優しささえ篭ったようなその呟きとともに放たれた、先端が2つに分かれた槍は、明確な殺意とともに美神を一撃で吹き飛ばした。

 

「ぁ、がはっ!」

 

「ほぉ? 今のを喰らってたかが人間が生き延びるとはねぇ!」

 

 吹き飛ばされた美神は、そのまま倉庫の壁に叩きつけられ、沈黙する。息はあるようだが、もはや動ける状態にない。そして残ったのは、戦闘能力の無い幽霊少女と竜神の姫。そして。

 

「グルァッ!!」

 

 狼のごとく、その刃を携え、こちらを見てさえいないメドーサに向かって飛び掛る半人狼の少年。

 

「ふん。思い切りはいい。その意気も悪くない。だが――弱い」

 

視線も向けぬままの横薙ぎの一閃。一振りで美神と同様に吹き飛ばされ、彼女より軽い身体は容赦なく堅い地面と触れ合いながら、壁の様な止める物も無かった事もあってか夜の暗闇の向こうへと消えていく。地面に叩きつけられ、只の一撃で体のあちこちからは出血し、おそらく骨も何本か持って行かれている。

 

「…ふん」

 

 暗闇の向こうであっても、完全に動く気配が無いのを感じ取って鼻で笑ったメドーサは、その歩みを残った2人へと向ける。

 

「や、やらせません!!」

 

「……」

 

 その前には、怯える竜神の少女と、それを庇うように手を広げて立つおキヌ。その数メートル前で立ち止まったメドーサは、誰にも聞こえない声でそっと呟いた。

 

「…あんた、幸せ者だねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――痛い。

 

 体中の骨が軋んでいるし、切り傷、擦り傷なんて数える事さえしたくない。

―――痛い。

 

 胸の辺りが熱い。多分2、3本は折れてる。

―――イタイ。

 

 一撃。只の一撃でもうボロボロだ。速い、重い、鋭い。そして容赦の無い、だが殺す気は無い一撃。

 

――怖い。

 

 視界は歪んでいる。頭がふらふらする。もうこのまま目を瞑ってしまいたい。

――死にたくない。

 

 勝てる気がしない。あんなのに勝てる訳が無いじゃないか。

 

「…いいさ。纏めて死にな。これだけたくさんお仲間が居れば、死出の旅路も怖くなんて無いだろう?」

 

 相手が悪かったんだ。いいじゃないか、一矢は報いた、良くやったよ。

 

「美神さん!横島さん!――だれかっ!」

 

死にたく無い。

 

 死にたくないんだ。

 

痛いのも、怖いのも本当は嫌だ。

 

「……助けて、犬飼君…!」

 

 ――それがどうしたぁっ!!

 

「お、ぉぉぉぉおおおおおおおおっ!!」

 

「…存外にしぶとい。いいさ、纏めて死になっ!」

 

 地を掻くように、もがく様にして立ちあがる。

 

 傍らに落ちていた刀を、力の入らない手で握りしめ、駆ける。

 

身体が痛い。足がふらつく。痛みで視界が歪む。違う、痛みでは無く、何時の間にか零れていた涙で視界がけぶる。

 

怖いから、痛いから、死にたくないから、涙が溢れる。

 

だが、もう涙は続かない。続かせない。

 

繰り出される槍が見えた。死、その物の様な鈍い輝きが顔に向かって飛んでくる。

 

この距離、この速度、そしてこの身体。

 

避けられるか、と問われれば、無理だ、不可能だと答えただろう。

 

無理は通らない。道理は引っ込まない。

 

 戦いとは常にパワーゲーム。強い者が勝ち、弱い者が負ける。当然で、当たり前で、自然な事だ。

 

天秤を傾けるなら見合った錘が必要であるし、未だこの身はその錘には足り得ない。

 

 だが、だからこそ吼える。

 

「死んでたまるかっ!! 拙者が死んだら! 誰が護る!!!」

 

 そして、パワーゲームだからこそ、死に物狂いでもがく者だからこそ――チャンスの女神はその前髪を掴む機会をくれるのだ。

 

 

 

『良く吼えた』『良く言った』

『ならば』

『見せよ、未熟者』『証明せよ、小僧』

 

 

 

 遥か遠くから響く重低音。いつか聞いた、銃声が後から来る超長距離からの射撃音。

 

 その一撃は忠夫に向かって繰り出された槍を粉砕し、まるでメドーサを避けるように、だがその足元に確実に着弾し、そこから粘度の高い煙を吐き出す。

 

そして、魔弾の音はもう一つ。

 

「がはっ!」

 

 その一発が、忠夫の胸に直撃する。

 

 しかしその体を貫く衝撃と同時に、弾頭は忠夫の体中に、金色の光を放ちながら拡散した。

 

 

「…間接部・ロック・解除。火器管制・停止。望遠モード・終了。改良型・ロングレンジライフル・『テュポーン』・異常・なし。通常モード・復帰」

 

「ふむ、聞くまでも無いが、着弾はどうじゃ、マリア?」

 

「サーチ――敵性存在・武器・破壊成功。撹乱・成功。特殊弾頭・着弾・確認。指示遂行率・100%と・判断します」

 

「よしよし。満月の光を凝集して練り上げた月光石と、我が錬金術の粋を集めた解呪薬。うまいこと効いてくれるじゃろ」

 

「ドクター・カオス。引き続き・ダイレクト・サポート・可能ですが?」

 

「いらんよ」

 

「しかし」

 

「大丈夫じゃよ。そんなに必死にならんでもいいわい」

 

「ノー。ドクター・カオス。これは今後の・状況を鑑みて「いつになく饒舌じゃのう、マリア?」――ソーリー・ドクター・カオス」

 

 

「まぁ見ておれ。あの程度で死にゃせんだろうが、今回のはちとハンデがきついからのう。只のご褒美じゃよ、この前の件の、な」

 

「理解・できません」

 

「かっかっかっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそぉっ!!」

 

 流石『ヨーロッパの魔王』謹製。その煙幕がメドーサを数十秒も惑わせたのは驚くべき、といってもいいだろう。そして、「彼」にはそれだけあれば十分であった。

 

 メドーサが魔力を放って煙を吹き飛ばし、辺りを確認する。しかし、周囲には既に誰の姿も無い。美神も。おキヌも。天竜姫も。横島も。

 

「っつあ~! 痛ぇ! あの爺、ぜってーわざとこんな使い方しやがったな!」

 

「……誰?」

 

「おう、気付いたか天竜」

 

「……犬飼君?」

 

「おっ、良く分ったな。ぴんぽ~ん! 大当たり~~♪」

 

「……でも」

 

「まぁまぁ、俺にも実際よくわからんし。とりあえず、賞品は――あのおねーさんに帰ってもらうってので、どうかな?」

 

「なぜだっ! たかが小僧一人で全員を逃がせる筈がないっ!」

 

 狂乱したように辺りの建物に魔力砲を打ちながら、ひたすら飛び回り捜索するメドーサ。

 

「どこだ!! どこにい――がぁっ!!」

 

 その横手から、突然飛んで来た鉄骨は、狙いバッチリメドーサに直撃する。そしてその衝撃に動きを止めたメドーサに向かって次々と飛来するコンクリートの塊や、マンホールの蓋、ベンチや工具のたっぷり詰まった工具箱。

 

「なんっ、だぁぁぁぁぁっ!!」

 

 とっさに手に持つ折れた槍でいくらかは打ち落とすも、全方位から機関銃のごとくぶっ飛んでくる巨大な質量。支えきれる訳も無く、なすすべもなく、只、打ち据えられる。

 

「ふざけるなぁぁぁぁぁっ!!」

 

 魔力を吐き出し、周囲に落ちた破片と、未だに飛んでくる壁や鉄の塊を跳ね返す。

 が、何時までも出来るわけが無い。辺りにばらまく様に魔力砲を打ち込み、元を断たんと移動しながら連射する。

 

 が、止まらない。

 

 避ける先に飛んでくる。それを避ければ今度はさらにその先を読むように飛んでくる。何とか打ち払って反撃の魔力砲を飛んできた方向へ打ち込めば、しかし全く見当違いの方向から散弾銃のように砕けたコンクリートの群れが高速で飛んでくる。

 

 徐々に足場は失われ、だが空中へ逃げようとすればその飛び立つ為の一瞬の硬直で狙い澄ましたように痛撃を加えられ、体勢を崩して追い込まれ、再び魔力の放射で無理やり時間を稼がざるを得ない。

 

 まるで、獲物が突然猟師に変わったような、無茶苦茶ながらもじりじりと体力と魔力を奪われる展開になりつつある。

 

 しかも、確かに、非常識だが、誰かが投げている。しかも縦横無尽に倉庫街を駆け回りながら。だが、なぜ足音がしない?いや――気配が無い?

 

「問題です」

 

「どこっ―――いや、誰だ貴様ぁっ!!!」

 

「人狼にとって、狩りは日常。しかし、相手は凶暴で凶悪な野生の獣。仕留めるのに有効な手段の一つとは?」

 

「出て来い! 姿をあらわせぇっ!!」

 

 何処からとも無く、いや、周り全てから聞こえてくるような、そんな声。その戯言が喋る間も、ひっきりなしに飛んでくるコンクリートの群。よく見れば、周辺の頑丈なはずの倉庫の壁や、地面が凄まじい勢いではがれていっているのが分かったろう。もはや打ち返す余裕も無く、ひたすら避けつづけるメドーサ。気付けば辺りにはそこらじゅうに障害物ができている。

 

 そして、そのばかげた弾幕が唐突に途切れる。

 

「答えは、相手を興奮させて、こちらは気配を完全に消して」

 

「――っ!!!」

 

「急所を一突きで仕留める、ってな感じで」

 

――その言葉は、背後から、耳元に囁くようにして語られた。

 

 

 

 

 

『狼の牙。そは何の為に?』

 

「獲物を狩る為、じゃないのでござるか?」

 

『では、獲物は何の為に?』

 

「えーと?」

 

『なぜ我らにはこれほどまでに強力な牙がある?』

 

「護るため、かな?」

 

『それでは足らぬ。そも一つの答えであるが、まだ足らぬ』

 

「じゃあ、何が足らないんだ?」

 

『護る為の牙をお前は知った。ならば、それを持って、次の牙を見つけてみせろ』

 

「牙?」

 

『人狼としての、身体強化。月の力を受けた霊力の増幅は、お前の力を、人狼の力をさらに高めるだろう』

 

「…殴り合えってか?」

 

『さぁな?』

 

それはまるで夢の中で。パイパーの呪いが月の力となんだか怪しい力で無理やり解けていく中で。いつか見た影法師との会合であった。

 

 横島本人は気付かぬうちに、その身体は子どもから少年へと、元の姿へと成長していく。

 

 彼の夢の記憶は、其処までで途切れている。

 

 

 

 

 

 

 

「…何者だ?」

 

 メドーサの声には、既に先程までの激昂も、戸惑いも無い。

 完全に冷静さを取り戻しつつも、後ろにいる誰かを振り向く事無く、その気配に向かって声を賭ける。

 

「さぁね?」

 

「人狼だと言ったな? さっきのガキの仲間か?」

 

「どうだろね?」

 

 だが、対する背後の声にも起伏は無い。だが平坦なままに、どこかふざけた調子があるが、同時に『こいつは、やり手だ』と感じさせるような決意があった。

 

「答える気は無し、か」

 

「とりあえず、今日はこれでお開きにしません?」

 

「……殺さないのか?」

 

「まだまだ切り札持ってるでしょ? 互いに痛い目見る前に、ここらが引き時だと思いませんか?」

 

「…ふん、狸が」

 

「人狼だっての」

 

 その会話を最後に、あっさりとその姿を消すメドーサ。

 

「さっすがプロ。引き退きも鮮やか。あああああ、えー乳やった。嫁に誘ったら来てくれんかなー?」

 

そう呟いたのは、青年へと姿を変えた犬飼忠夫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わっはっはっはっは!!!見たか、マリア!!」

 

「横島さん・いえ・犬飼忠夫・及び・人狼のデータライブラリの・修正を・求めます」

 

「いらんよ。あれほどの膂力と速度、並みの人狼では不可能じゃ」

 

「彼は・半人狼では?」

 

「そうじゃよ? ただ、『霊力を使わずに普通の人狼並みの力を出しておった異常個体』、じゃがな」

 

「――画像データ・保存・プロテクト…完了」

 

「いやいや、えーもんみせてもろうたわい。さて、帰るぞマリア」

 

「イエス。ドクター・カオス」

 

「わーっはっはっはっはっは!!!」

 

 ヨーロッパの魔王と、鋼鉄の少女を見送るのは、只、半分に分かれた月のみ―――。

 

 


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