月に吼える   作:maisen

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第拾捌話 『かくて手札は開かれて』

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 月に吼える 第三部 

 

 

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 不揃いな爆音の列が戦場に木霊する。

 

 超至近距離で巨影が生み出した弾幕の直撃を受け、猿神がぐらりと体を傾がせた。

 

 後続の神魔族達も、近くに居た者は巻き込まれ、距離を取って印を組んでいた物はぎりぎりで反応して防御に回る。

 

 が、それでもその内の幾らかは耐え切れずに落ちていった。

 

 被害はそれだけで終わらなかった。

 

 神魔族の後に続くように大地を掛けていた人類陣営にも光弾が幾らか降り注ぎ、張り巡らされていた強固な筈の結界に着弾する。

 

 突撃の前にある程度張り直されていたそれは僅かに光弾の軌道を逸らし、集団の周囲に激音と衝撃を齎して、泡のように弾けて消えた。

 

 その代わりと言わんばかりに閃光が瞬き、大地が揺れ、強烈な風が吹き荒れる。

 

「が、あああああああああああああああああっ!!!」

 

 吹き荒ぶ砂塵と白煙の只中を、鎧に罅が入ったままの猿神が咆哮と共に巨人を押し返した。

 

 だが、不意打ちに零距離で加えられたダメージは小さくないのか、僅かな拮抗の後突如襲ってきた巨人の尾を腹に喰らって引き剥がされる。

 

 絢爛豪華に輝いていた鎧の破片を撒き散らし、猿神は歯を剥き出しにしながら踏鞴を踏んだ。

 

 一方で優勢を覆された神魔族は、それでも遠目からも見える翼の生えた魔族の動きに導かれ、結界を失い衝撃と爆音で一時的に身動きの出来なくなっている人類陣営の側に降り立ち結界を新たに構築しはじめる。

 

「――っ! 結界の再構築急げ! ぼさっとしてるんじゃないっ!」

 

 その光景を見た人類側最前線の司令官、西条の怒号が飛ぶ。

 

「ですが西条司令! さっき、あんなにあっさり破られたじゃないですか!」

 

「0より1だ! それだけ死ぬ確率が減る!!」

 

 弾かれたように、先程まで結界の維持・調整を担当していた者達がそれぞれに霊符を掲げ印を結ぶ。焦りと畏怖が満ちる中で、それを反映したような不恰好で歪な壁がそそり立ち、神魔族達の結界に被さった。

 

 しかし、いかに強固な壁に護られていようとも、一瞬にして打ち抜かれた結界の姿が瞼に浮かび、否が応にも恐怖と不安を心の底から掻きあげる。

 

 神魔族と人間、獣達の視線の先に二重になった薄い緑色の結界の向こう、打ち砕いた猿神の鎧の残滓を纏って漆黒が立ち塞がる。

 

 大きさは猿神との三倍近くもあろうか、一言で言ってしまえば、長大な尾を備えた漆黒の巨人。

 

 巨躯を飾るように緑に輝くラインを走らせたヒトカタのナニカ。

 

 人の顔を模して作られたような厳しい面には傷一つ無く、その視線はしかと猿神の瞳を見つめている。

 

 ソレは、己の誕生を、歓喜の咆哮で声高に宣言した。

 

 

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 第拾捌話 『かくて手札は開かれて』

 

 

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「どーゆー事よ何よあの巨大ロボは一体何処から沸いて出たのよっ!!」

 

 がっくんがっくん忠夫の胸倉を片手で掴み上げて揺らしながら、美神の指が漆黒の巨人を強く指す。しかしその場にいる誰からも答えは無く、皆呆気に取られたように、今人界に存在する武神としては間違い無く最強の一角を占める猿神を数歩とはいえ退けた存在をまるで他人事のように眺めていた。

 

 と言うよりも、不条理に過ぎる光景を理解する事を拒否していたというべきか。

 

 一人と一体を除いては。

 

『究極の魔体っ?! 細部は違うし大きさも半分以下、主砲も装備されていないが、間違い無いっ!』

 

「ふーむ。あの巨体でなかなか良い動きしよるわ。巨大ロボとはまたえらく趣味に走ったもんじゃのぉ。…チッ、先を越されたか」

 

 その場でただ一体、あれが何かを知っている土具羅と、不穏な事を呟きながらどこか残念そうにしている老人は、それぞれに反応は違えど現状を把握はしているようだ。

 

 老人の方は少々現実逃避気味に聞こえなくも無いが。

 

『馬鹿な、だがあれは遠の昔に設計図ごと素体を破棄した筈!』

 

「じゃあどー説明すんだよあれをぉっ! なんで漸くエンディング迎えてスタッフロールの背景で適当にやって終わりみたいな雰囲気の中で、いきなり最終兵器っぽいのがドーンと出てくんだよ!」

 

『お前ついさっきまで自分の活躍がどーたらこーたら言っとっただろーがっ!!』

 

「あほかーっ! 一回消えた勢いは中々元には戻らんのじゃー!」

 

 叫び倒した忠夫の背中に、周囲と目の前から呆れを多分に含んだ視線が突き刺さる。

 

 暫し眺めるでもなくその背中に視線をぶつけていた美神は、軽く吐息を一つ零すと何事も無かったかのようにカオスへと顔を向けた。

 

 カオスもまた、今しがた直ぐ近くで起こっている喧騒を完全に意識から追い出す。事に決めたようである。

 

 未だ言い争いを続ける一人と一体の仲裁におキヌが走っていったのを横目に、美神とカオスはどーするよ、とでも言いたげに顔を見合わせた。

 

「…どっちが勝つかしら?」

 

 背中越しに立てた親指の先には、人類陣営と神魔族が共同で張った結界の前に守りを固めながら盾となる猿神の姿。

 

 それに散発的な光弾を浴びせつつ、魔体は徐々に移動し、その立ち位置をコスモプロセッサの前へと変えていた。

 

 不意打ちで無いならば、元は金剛石から産まれ出でたと言われる武神の耐久力を打ち破る事は難しいようで、狙いの荒い光弾は三割程度が直撃しながらも大した打撃を与えている様子は無い。

 

 だが、その狙いの甘さゆえに、残りの七割は容赦無くその周辺を抉っている。

 

 時折猿神の守りの隙間を潜り抜け、その背後に着弾するたびに二重に張られた結界が揺れていた。

 

「今のままでは勝ち目は薄いな。妙な防壁を張っとる」

 

「やっぱり? 目の錯覚じゃなかったのね…」

 

 困惑を表すように美神は額に手を当てる。

 

 先程、あの魔体と呼ばれるモノが出現したその時、確かに猿神は一撃を与えている。

 

 魔神を相手にする以上、手加減抜きの一撃を、だ。

 

 しかしそれは完全に止められ、あろう事か受け止めた魔体は小揺るぎもしていなかった。それが、千年以上を戦い続けた猿神が魔体に挑みかかる事無く防御に徹している理由なのだろう。

 

 一撃で仕留められない以上は機会を待つのみ。

 

 でなければ、圧倒的な物量の光弾をぶつけられた彼の背後の結界は泡と消え、その後に残るのは究極の魔体相手には余りにも無力な人の群れと、何れは抗しきれず滅ぼされるであろう神魔族達。

 

 人類、神魔連合軍が光弾に一瞬で蹂躙される光景が目に浮かび、美神は思わず蒼褪めた。

 

「…そ、そうだ! それならさっきのガルーダ達に背後から遊撃してもらっちゃいましょう! あれでも中級魔族なんだからこっそり行けばあの茸くらいは――」

 

 やや焦りながら代案を言い出した美神とカオスの間を、彼女の髪を揺らしながら男女がいきなり駆け抜けていった。

 

「茂流田の馬鹿ーっ! どこが最強の武器なのよーっ!」

 

 ピンヒールにタイトスカートと言う走りにくさも極まったような格好でありながら、隣を走るスーツ姿の茂流田にも負けない速度で駆けつつ須狩の口から悲鳴混じりの怒声が飛び出した。

 

 額に大きな汗を浮かべた茂流田が、気不味そうに表情を歪めながらも言い訳じみた発言を繰り出す。

 

「いやしかし私が集めた情報によればトンファーこそが最強だと! 皆言っていたんだぞ!」

 

「皆って誰よ!?」

 

「匿名掲示板だから名前は知らん! そーいうものだから!」

 

 胸を張って言い放った茂流田のコメカミに、やはり走りにくかったのだろう、ピンヒールを脱いで須狩が投げつけた。

 

 流石に踏鞴を踏んだ茂流田であったが、しかし無理矢理体勢を立て直すと反撃とばかりに口を開く。

 

「そー言うがね! 新しく頼んでおいた装甲服をみょーなフリフリのレースだらけにこっそり注文しなおした上に、出撃直前まで黙ってて、それを見たガルーダ達を危うく反抗期に突入させかけたのは誰だね?!」

 

「だって可愛かったんですものプリ○ュア!」

 

「理由になってないっ!」

 

 因みにそれがまたあからさまに足りない防御力をカバーする為にふんだんにケブラーやらアラミドやら希少鉱石やらを使用しまくったものだったらしく、オカルトGメンに送られる予定の請求書には、それを見た責任者が卒倒する事うけあいの金額が書いてあったりする。

 

 最も、コストパフォーマンスが悪すぎはしたものの、性能的には須狩が気合入れて考案しただけは有り問題無しどころか非常に高性能であった。

 

 その為、余りにも勿体無いと思ったオカルトGメンが実戦部隊の女性隊員に配給しようとしたものの、セクハラですか、と真顔で聞かれてあえなく倉庫の肥やしになるのだが。

 

 ――閑話休題。

 

 二人を呆然と見送った美神とカオスの視線が、ゆっくりとぎこちない動きで彼らが駆けてきた方に向いた。

 

『ウオオオオオオオオオオオオオオオーンッ!』

 

 高らかに勝ち鬨を上げる魔狼。

 

 その足元に、装甲がジャージだけと言う――装甲ですらなく布――薄さで格闘武器(射程1)を与えられたので突っ込み玉砕し、今はピクピクと涙を流しながら痙攣するガルーダ達が転がっている。

 

 また、リーダーの不在とシロタマ&マリアが一時的に戦列を乱したことでコンビネーションを失い蹴散らされた人狼が4人、頭から地面に突き刺さって痙攣していた。

 

 遠巻きにするように少し離れた所に件の獣系少女二人と、肉に釣られて復活した里長代理とその補佐が、美神達に向かって逃げろと必死のボディーランゲージ。

 

 見事なまでの壊滅っぷりであった。

 

「ドクター・カオス。退避を・進言します」

 

 流石に何時の間にか直ぐ側にまで迫っていたピンチに硬直した二人の周囲を、マリアとその娘達が囲み込む。

 

 それぞれに武器を構え、時間稼ぎをしようと言うのだろうか。

 

 しかし、魔狼と比べればあまりにも小さな、まるで爪楊枝のようにも見える武器を構えた彼女達の表情にも焦りの色は隠せない。

 

――魔狼の眼球が獲物を捕らえた。

 

「ま、まず…、横島君おキヌちゃん、逃げるわよっ!」

 

 勝てる勝てない以前に、人狼ほどの回避力も超回復も、ましてやガルーダ達ほどの耐久力も無い人間では魔狼にとってはただの肉と血の詰まった袋程度の物でしかない。

 

 唸り声と吹き付ける威圧力が高まる中、後ずさりしながら忠夫達に声をかける美神。

 

 だが、それに対する反応は無く。

 

「ちょっと二人とも、聞いてるのっ?!」

 

「す、スンマセン美神さん…」

 

 振り向いた先には、真っ青になって脂汗を大量に垂れ流す忠夫と、抱き合って震えている土具羅とおキヌ。

 

 視線を美神の方に向けぬまま、コスモプロセッサのある方角を貼り付けられたように見つめたままの忠夫は、電池の切れたロボットの如き動きで両手のひらを上に突き上げた。

 

「あ、アシュタロスと目が合っちゃいました…」

 

「さ、さっきから凄いプレッシャーがこっちに向いてて、腰、抜けちゃいました…」

 

『わし、なんか漏れた気がする…』

 

 土具羅の発言から一瞬後。

 

 おキヌが彼を突き飛ばし、忠夫が仰向けに倒れた彼に踊りかかる。

 

「てめーっ! 俺のおキヌちゃんに何さらしとんじゃこらぁぁっ!!」

 

『ま、待て待て待て! よく考えたらそんな機能無かった痛たたたっ!』

 

 聞く耳持たずマウントポジションを取り、片手で首を掴んでもう片手に霊波刀を展開して今にも突き刺そうとする忠夫。

 

 かなり全力で掴んでいるらしく、メキメキとヤバげな音も聞こえてきているが忠夫は目を血走らせたまま止める気配が全く見えない。

 

 流石におキヌが止めに入ろうと腰が抜けたままながらも近付こうとして。

 

「おっさん放射能で動いとるんやろうがぁぁぁぁ…! 俺とおキヌちゃんの生まれるかもしれん子供に悪い影響が出たらどー責任取るつもりだあぁコラ?!」

 

「よ、横島さんと私の…」

 

『放射能で動くとか言う割に、妙に知識が偏っとるなお前…』

 

 暴走ゆえに妄想先行しっぱなしの忠夫発言に、おキヌは首元まで真っ赤に染めてフリーズし、土具羅の突っ込みもそっちのけで、指をつき合わせてもじもじし始めた。

 

 先程までの蒼褪めた顔色が、すっかり桜色に染まって最早状況も忘れてあっちの世界に行ったようである。

 

 恥ずかしげなおキヌの表情が、彼女の想像が進むに連れ段々となんだか幸せそうな感じに変化していく。

 

 両手が何かを大切そうに抱きかかえるようなポーズで、しかもゆらゆらと揺れているのは一体何を妄想しての事やら。

 

 とまれ、それを見ていた美神の眉はおキヌが三人目まで到達した辺りで限界ラインに達し、とりあえず忠夫に向かって解放されて。

 

「誠意を見せろと言っぐふぅ」

 

 音も無く接近、背後から肝臓目掛けて見事に腰の乗ったフックが入る。

 

 衝撃に身を揺らし、悶絶しながら崩れ落ちた忠夫を足蹴にしながら軽く手を叩く美神。

 

 忠夫の足元から出てきた土具羅は、ちょっと座りの悪くなった首元を両手で調整しながら立ち上がる。

 

「えへへー。あ、こら駄目よ、お兄ちゃんなんだから優しく」

 

「お・キ・ヌ・ちゃん?」

 

「ひゃいっ?!」

 

 絶対零度の声色で、おキヌに目を向けないままで美神は霊気を全開に叩きつけた。

 

 流石に現世に引きもどされたおキヌは、思わず返事をして、何故か物凄く背中が怖い美神を発見してちょっと涙目。

 

 だが先程までの妄想はしっかりと記憶に残ったらしく、痛みで気絶する事さえ許されないまま悶えている忠夫に向ける視線には、少々何かを期待するような色が篭ってはいた。

 

 勿論気付きはしないけど。

 

「ぎゃ、逆流現象が防波堤決壊寸前でやばいです美神さん…」

 

「ったく! ほら、さっさとしゃきっとしなさい!」

 

 無体と言えば無体な美神の言葉にそれでも立ち上がった忠夫の足はまるで生まれたての子鹿のよう。

 

 そんな脇腹を抑えて脂汗を流す忠夫の顔を真正面から両手でホールドし、美神は彼の瞳を真剣さ九割九分、照れ一分で覗き込んだ。

 

 見つめられた忠夫も思わず言葉を失い、何時の間にか痛みも忘れて見詰め合う。

 

 ごほん、と小さな空咳で気分を切り替え、横合いの恨めしげなおキヌは無視。

 

 今の二人の状況を考えると、実際の話かなりこっぱずかしいのは横に置く事に成功したようである。

 

 何とか照れ臭さを押し隠し、出来得る限り真剣な口調を意識して。

 

「――横島君、あんた、何か、当てがあるんでしょう?」

 

 区切り区切り強調して言った言葉に、呆けた表情で美神を見つめ返していた忠夫の瞳に意識が戻る。

 

 そのまま勢いと煩悩に理性が負けて、がーっと飛び掛ると思われた瞬間、美神の真剣さに理性が一気呵成に煩悩と若さと『3分もあれば!』と言う妄想武装を押し返し。

 

 彼の脳内を理性の指示の元、電気信号となって駆け巡った小さな狼が持ち帰ってきたそれを思い出し。

 

 数瞬彼の瞳が宙を彷徨い、最終的にすっと横に逸らされた。

 

 そんな彼の顔を、ぐきりと音さえ立てて無理矢理引き摺り戻した美神は、両手に彼の頭を握り潰さんばかりの力を篭める。

 

 めきめきと言う音が聞こえたのは気のせいではあるまいが。

 

 魔狼の咆声が響く中。

 

 マリアとその娘達が銃弾を解き放ち、炸裂した閃光が真横から二人の顔を照らし出す。

 

「あるのね?」

 

「いや、その、何と言いますかですね」

 

「あ・る・の・ね?」

 

 あたふたと言い訳を連ねる忠夫の瞳を睨みつけ、それを途中で閉じさせる。

 

 既に忠夫の顔を流れる冷や汗は滝の如し。

 

 だが、逃がす意思など欠片も無いと言わんばかりに、美神の締め付けはその力を三段飛ばしに跳ね上げていく。

 

 最早美神の背中には修羅が浮かび、ついでに額にも血管が浮かび上がり、それを目の前にした忠夫には、尻尾を丸めてカクカクと少ない稼動範囲で精一杯首を上下に動かし、降伏の意を伝えるしか術が無かったのであった。

 

 手を離し、解放されて地面に尻餅をついた忠夫に向け美神は一言。

 

「やりなさい」

 

「え゛」

 

「いいからやれっつってんの! こうなったらもー縋れる物なら藁でも縋ってやろうじゃないのっ!」

 

 腕組み仁王立ちで迫る美神に後退りながら、忠夫の視線は周囲を彷徨う。

 

 マントを爆風に棚引かせながら、しかし一歩も引かずにマリア達を見守っているカオスの背中が目に写る。

 

 フェンリルの咆哮を間近で受け、それでも飄々とした表情のままでカオスは忠夫をチラリと横目に振り返った。

 

 呆れの色が一瞬浮かび、軽く肩を竦めて再び視線を前に向ける彼の背中は、やるなら勝手にせいとばかりに無関心。

 

 少しだけ、何かもやっとした物が忠夫の心に降り積もる。

 

 ふと、おキヌと目が合った。

 

 腰が抜けたまま、彼女はゆっくりと頷く。

 

 任せました、とも、信じていますから、とも。

 

 そんな言葉にもならない言葉を、彼女の薄く潤んだ瞳が語ってくれた。

 

 それは何とも頼られて――いや、信じられていると言う事を未だ動きの鈍い脳髄に叩き込むには十分過ぎる表情。

 

 だから、もやもやとした物を燃料に、小さな火種を心に生んだ。

 

 ぎこちなく戻した先に、変わらぬ姿勢のままで見つめる美神。

 

 さっさとやりなさい!

 

 何時もの怒鳴り声で、そう、聞こえた気がした。

 

 火種が、巻き起こった風に煽られ広がり始める。

 

「…期待してあげるから、偶には良い所見せなさい。男の子!」

 

「う、ういっす!」

 

 反射的に弾かれるように立ち上がり、直立不動の返事が響く。

 

 目を前に向ければ苦笑いと安堵が入り混じった、溜め息付きの女神の微笑み。

 

「う…」

 

「…? 何よ」

 

 顔がほんのりと熱を持ったように思えて、隠す為にか慌てて反対側を向く。

 

 深呼吸を二度三度。

 

 余り落ち着きはしなかったけれど、今度は胸の奥に熱を感じる。

 

 柄にも無く高揚して来る気分とテンション。

 

 そして、ぎくしゃくと動かした足は――だがしかし踏みしめた筈の大地の感触を伝えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 要するに、思いっきり浮き足立っていたのだ。

 

 それを自覚したと同時に、心に燃えていた何かが一気に鎮火する。

 

 何故と彼に聞いても、彼自身にも分からないだろう。

 

 それは、今までまるで悪戯小僧のように要所要所で色々とやっていたが彼であるが故ではある。

 

 詰まる所彼がやっていたのは「誰も見ていないような所でコソコソと動いて」場を引っ掻き回して相手のペースを乱したり、自分達を有利なポジションに運ぶ――極論すればそう言う事だ。

 

 単純に、慣れていないのである。 自分に期待がかかっていて、信頼や責任がその両肩に重く圧し掛かっているという状況に。

 

 何せ彼のそう言った立ち位置こそが自然な場所であり、彼の父親も長老が居なくなって、息子が消えて、漸く腹を決める事が出来たのだから。

 

 今までは長老が居たり、美神が居たり、若しくは美衣の時のようにそもそも巻き込まれていたりと流れの中心には居ても矢面に立つ事は殆ど無かった――本人の自覚の有無は別として、であるが。

 

 ところが今回は矢面どころか扱いが本当に最後の切り札扱い。

 

 しかも美神やおキヌからの全面的な肯定を受けて、である。

 

 それまで袖で好き勝手やっていた悪戯小僧が、いきなり大舞台の真ん中に飛び出して役割を果たせと言われ、緊張するなと言うのが無理だろう。

 

 故に、彼は今、非常にテンパっているのである。

 

 まぁ、一言に纏めてしまえば、へタレ以外の何物でもない、となるのだが。

 

 何だこのプレッシャーは、と物理的にさえ感じる何かに押し潰されかける中、冷汗まみれの真っ青な顔色で、やれるのか、と自分自身に問い掛ける。

 

 駄目かもしれん、と即答された。

 

「うあーっ?! やっぱそうかこんちくしょーっ! 期待の目が痛いっ、痛過ぎるぅぅぅぅっ!? そんな目で俺を見んといてぇーっ!」

 

 蔑まれるような視線の方がましー! と奇声を上げながら地面を転がりまわる忠夫。

 

 どうやら普段慣れない期待の視線と言葉を向けられたせいで、上がったテンションが一気に逆転してネガティブ思考に突入したようである。

 

 頭を抱えた忠夫の後ろで、また碌でもない事を考えて碌でも無い答えを出したんだな、と察しのついた美神とおキヌが吐息を一つ。

 

 励ましの言葉をおキヌが送るよりも、美神が気合の入れなおしに一発しばくよりも僅かに早く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、そうかコレは全部夢、まさか禁じ手の夢オチではっ?! つまり夢だったら何してもOK!と言う訳で美神さ――」

 

 カタカタ震える膝を振り切り、上半身を反転させた忠夫の視界を、なんだか見慣れた拳が占めた。

 

「こんの馬鹿息子っ! 戻ったならさっさと報告に来んかっ!!」

 

 危険なレベルに思考が到達し、現実逃避へと飛び立とうとした忠夫の顔面に高速で駆け寄ってきたポチがカウンターで拳を埋め込む。

 

 唐突な真正面からの衝撃に耐え切れる筈も無く、地面と水平にすっ飛び伸身の三回転一回半捻り。

 

 しかし着地失敗頭から、よって。

 

「0点」

 

 追撃の霊波刀を振り上げるポチを背後から羽交い絞めにしつつ、犬塚はポツリと評点したのだった。

 

「離すでござる犬塚ァァッー! この愚息だけは修正せねば拙者の腹が収まらんでござるーっ!!」

 

「はいはい殿中殿中。…面倒臭いな、ふんぬっ!」

 

 こきゃり、とあんまり人体から聞こえちゃいけない音がして、悲鳴も上げずに犬飼ポチが崩れ落ちた。

 

 やれやれと足を引き摺り、犬塚父は再び戦場へ歩き出す。

 

 視線の先にはフェンリルに対しマリア達と共闘を始めたシロタマの姿。

 

 若い者が頑張っていると言うのに、里長代理とその補佐が高みの見物など笑いの種所か笑えない冗談にもなりはしない。

 

「いやー、すまんすまん。こいつもかなり心配してましたもんでねぇ。ささ、続きをどーぞ」

 

 そう言われてもこの状況下、一体どんな反応を返せばいいのやら。

 

 流石にその場に居た者は沈黙を守りながら眺めているしか出来なかった。

 

 が、呆然と見送る美神達の視線の先で、うつ伏せに引き摺られていたポチが突然顔を起こした。

 

「忠夫っ! この馬鹿息子っ! 貴様真面目にやらんと後で切腹でござるからなーっ!」

 

 応えてそれまで沈んでいた忠夫が跳ね起きた。

 

「うっせぇこの馬鹿親父ーっ! 後で倍にして恨みはらしちゃるから覚えとけーっ!!」

 

 鼻息も荒く唸りながらそう叫び倒した忠夫の瞳には、もう迷いの色は無い。

 

「人が真面目にやってりゃ好き放題やりやがってくそ親父っ! もー知らんあー知らんやったる! 好き勝手にやったるぞー!! うははははははははははははーっ!!」

 

「…妙な所にだめーじ入っちゃったみたいですねー」

 

「…ま、結果オーライなのかしらねぇ」

 

 未だ衝撃から立ち直れないおキヌと美神の前で、緊張が限界まで張り詰めた所にインパクトを貰ってあっちの方向に行きかけていたテンションが反転した忠夫は、妙なノリのままで空を見上げて哄笑する。

 

 滅多に無い事に周囲から期待され、その上何か妙な感情が盛り上がってきた所に感じた今までに無い大きな緊張、更に自分自身にさえ駄目を出されて混乱極まりネガティブのどん底まで落ちて、逃避しかけた所に肉親からの一撃。

 

 ある意味壊れるには十二分だったのかもしれない。

 

 焦点の定まっていない瞳を虚空に向けて高笑いしていた忠夫はぴたりと動きを止め、血走った瞳を右手に向ける。

 

「ぬわーはははははははあっ!! 如意棒、カーム、ヒアッ!」

 

 別に叫ぶ必要など無いのだが。

 

 ともあれ、妙な叫びにもヤバ気なテンションにも見捨てる事無く、忠夫の手に如意棒が現われた。

 

 それを地面に垂直に突き刺し、忠夫は次の目標へと視線を投げる。

 

「カオスの爺っ! マリア抜けても大丈夫だなっ!! よーしよーし!」

 

「おー、人狼達も加わったから大丈夫じゃろ。さっさと行ってやれマリア、小僧が煩い」

 

「イエス・ドクター・カオス」

 

 相も変わらず振り向かないままで肩越しに手を振るカオスの言葉に応え、戦線を離脱したマリアが忠夫の側に駆け寄った。

 

 忠夫には見えない角度で老人の目元が僅かに皺を寄せ、唇が軽く弧を描く。

 

 それまでの無関心さが嘘のようなその表情こそが、彼の本心の発露なのだろうか。

 

 カオスの許可が出るよりも先にマリアが移動し始めていたのに気付いて、すぐさま消えはしたけれど。

 

 カオスのちょっと恨めしげな視線がスルーしつつも、マリアは何処となく嬉しそうに移動する。

 

「土具羅のおっさんっ! ハリーハリーハリー!」

 

『待て今行く…お前頭大丈夫か?』

 

「訳の分からん事いっとる暇があったら走れーっ! いやむしろ飛べーっ!!」

 

 流石に絶頂決めたままの忠夫の様子に不安を感じてか、美神が神通棍を構えてじりじりと背後から歩み寄る。

 

 その後ろでは何とか落ち着かせようとネクロマンサーの笛を取り出したおキヌが、慌てすぎて笛でお手玉をしている真っ最中。

 

 高笑いを続ける忠夫の元にマリアと土具羅が集合し、さて何処をどれくらいでブッ叩けば直るかしらと一瞬迷った美神であったが、その神通棍が振り下ろされる事は結局無かった。

 

 その前に、忠夫がいきなり振り向いたからだ。

 

「美神さんっ!」

 

「ひゃっ?! な、何よっ!」

 

 

 血走った瞳と妙な気迫に吃驚して、ちょっと悲鳴を上げかけた美神。

 しかし忠夫は全く気にする事無く。

 

「やりますよ、やっちゃいますよ俺っ! のはーははははははっ! 俺の格好良い所存分に余す所無く世界中の美女と言う美女に見せ付けて、キャー言わせちゃるーっ!!」

 

 瞬間、忠夫から膨大な霊力が吹き上がる。

 

 間欠泉の如く吹き上がったそれは、一体何を元にしたのやら。

 

 完全に理性が飛んだ彼のだらしない表情にちょっとムカッと来た美神が投げつけた神通棍の柄を額に喰らっても、しかし全く応えた様子が無い。

 

 僅かに仰け反った頭は直ぐに元の位置へと跳ね戻り、全く痛みを感じていないと言わんばかりに笑いのボリュームが増していく。

 

 かなり引いた様子の土具羅と、しかし全く怯んだ様子も無く静かに忠夫の側に立つマリアを見渡して、美神は諦め混じりに平坦な声を投げかけた。

 

「…で、何やるの?」

 

 彼女のとりあえず漏れたような言葉に、半人狼の青年は、やけに興奮した口調で言葉を返す。

 

 それは、彼女でさえも予想外。

 

 計画と言う計画を、作戦と言う作戦を、相手の土俵で勝つのではなく――その裏を掻いて意表を突いて、そもそもルールを書き換える。

 

 王手を掛けられた次の一手に、王の駒をひっくり返して其処に『核』とか平気で書き込むような反則の一手。

 

 

「――俺達用のコスモプロセッサを作るんスよっ!!」

 

 

 彼が彼らしく出した答えは、そんな荒唐無稽な物であった。

 

「はあっ?!」

 

 流石に返ってきた答えを聞いても平坦なままでいられる内容ではなかったが。

 

 硬直した美神の耳に、背後でぽとりと何かが落ちる音が聞こえた。

 

 油の切れたロボットのような動きで後ろを振り返った美神の目に、呆然とネクロマンサーの笛を取り落として笛を吹く直前の格好で固まっているおキヌが写る。

 

 彼女に向かって頭の上で手のひらをひらひらと動かしてみれば、まるで同意するかのようにしっかりとした頷きが帰ってきた。

 

「…とうとう終わりかしら」

 

 先程の一言を告げて再び高笑いを始めた忠夫は、続きを述べる事も無くひたすらに笑っている。

 

 なんだか泣きたくなって頭を抱えて座り込んだ美神であったが、しかしこの混沌とした状況の中では意外なほど冷静な言葉が降りかかる。

 

『いや、否定するには早いぞ』

 

 話し掛けられた方向を見上げてみれば、後頭部から不釣合いなコードを垂らした土具羅の姿。

 

 周囲を取り囲む状況に巻き込まれまいとしてか、殊更事務的な口調で彼は説明を連ねていく。

 

 曰く――不確定要素が数えるのも無駄なくらい山盛りであるが、忠夫とカオスと話した結果からは可能性はある、との事。

 

 まず、最低条件として必要なコスモプロセッサの設計図。これは、在る。

 

『大逆天号のデータバンクを覗いた時に、とりあえず必要な情報を全部纏めて一端ダウンロードしたからな。混ざっとった』

 

 次に、必要な物資。

 

 コレも、在る。

 

「何処にあるのよあんな馬鹿でかい物を作れるだけの材料がっ!」

 

『ほれ、そこにあるじゃないか』

 

 指し示された先には、未だ高笑いを続ける忠夫と、その隣で右手首から取り出したバチバチと放電する端子をそっと忠夫に押し当てるマリア。

 

 そして、二人の間で地面に突き刺されたままの。

 

「…まさか、如意棒を?」

 

 其処から導き出される答えは。

 

「横島君に作らせるつもり? どうやって?!」

 

『マリア嬢が居るのはその為だ』

 

 彼女の中に在る特異な金属片。

 

 余りにも強力な故に制御できず、それを封じ込める為にとある精神感応力持ちの男性が十年以上も被り続けた鉄仮面から生まれたそれ。

 

 美神の脳裏に陰気な顔の誰かさんが素顔で気楽に笑って手を振っていた映像が浮かび上がり、何となく憮然とした表情になる。

 

 が、土具羅はそれに構う事無く。

 

『ワシの中にある設計図をカオスが増設したコードを使ってマリア嬢に転送し、それを擬似テレパスで更に送信。上手く行けば――もう一つのコスモプロセッサが生まれるという訳だ』

 

 ハードの条件は揃った。

 

 ソフトについてもデータベースの中から土具羅が使用する事を前提に組まれていた物が発見されている。

 

 そもそもコスモプロセッサの演算装置として予定されていたのは土具羅であり、今現在はテレサの別タイプがその役割を果たしてはいるが、その原型となったものが残されていてもおかしくは無い。

 

 殆どジャンクデータ扱いではあったものの、僥倖と言う他に無い事ではあるが。

 

『無論最新版が組み込まれている「アレ」に比べればまだまだ無駄も多い上にバグ取りもしておらんからな。実際に動かしながら詳細に解析して修正を当てていく』

 

 常識ならば考えられない言葉であるが、戦闘能力皆無である代わりに演算処理能力にその真価を置き、アシュタロスの第一の部下として気の遠くなるほど長い年月を経た土具羅の言葉には不思議な自信が宿っていた。

 

 しかし、彼のその説得力を持ってしても、こちらの最終攻略目標である敵のコスモプロセッサを如何にかするのではなく、先にこっちがコスモプロセッサを作ってしまえ、と言うその言葉は。

 

「…無茶苦茶じゃない」

 

 美神の漏らした言葉以外の何物でもない。

 

 だがしかし、それでも。

 

『何を今更分かりきった事を。そもそもここまで絶望的な状況をひっくり返そうなんて、本来ならそれこそ無茶苦茶な話なのだぞ?』

 

 

 

 

 

 

 何時発動してもおかしくないアシュタロス陣営のコスモプロセッサ。

 

 未だ荒れ狂い、体力の尽きる様子の欠片も見せないフェンリル。

 

 究極の魔体に完全に押さえ込まれた猿神と僅かな神魔族達。

 

 その争いの渦中で身動きの取れなくなった人類陣営。

 

 神魔族の増援を問答無用で妨害した黒い天蓋。

 

 どれほど先になるかは不明だが、復活の予想されるテレサ達。

 

 そして、人類陣営相手に戦うでもなく、神魔族を相手取るでもなく、未だ不気味に沈黙を守るアシュタロス。

 

 

 

 

 どれだけの増援が人類陣営に参加しようとも、美神が衛星軌道上でEMPを仕掛けても、神魔族が参戦しても、確定した事実として、現状は確実にアシュタロスへと傾いていた。

 

「…やれるのね?」

 

『やる「しか」ない。あ奴を――』

 

 二人の視線の先に、正気に戻すつもりだったマリアの電撃を喰らって海老の如く跳ねている忠夫が居る。

 

 流石に本家本元だけはあり、見事にレア程度の出力を回復と耐久のギリギリを見計らって与え続けていた。

 

 しかし電撃が止まると同時に跳ね起き、再び黒煙を吐き出しながらも笑い出す忠夫にマリアも徐々に出力を上げざるを得なくなっているようであるが。

 

『信用する他ない。はなはだ不安ではあるが』

 

「しょうがないわね。この上なく不安だけど」

 

 溜め息は誰に向けられた物だったのか、あえて言うまでも無いのだけれど。

 




やっとこさ改稿分の投稿が終わりました( ´・ω・`)

次回からは新規作成になるので、気長にお待ちください( ´・ω・`)

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