月に吼える   作:maisen

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第拾七話 『そして魔神は札を切る』

 放物線を描いて飛ぶ半人狼の青年は、まるで夢でも見ているかのような安らかな顔だった。

 

 ――それを裏切るように鼻から迸る赤い血潮。

 

 重力に囚われ落下に入り始めてからも、安堵とも喜びともつかないだらしない表情は変わらぬままだった。

 

 ――ちょちょぎれる涙はまるで滝のようで。

 

 くるくると回転し、母なる大地に抱かれるまで、彼はやり遂げた笑みを浮かべたまま。

 

 ――回転の軌道は螺旋を描き、ドリルのように大地を抉る。

 

 そして安寧の暗闇に包まれ、彼は漸く意識を閉じる事を許したのだった。

 

 ――頭から突っ込んで一度痙攣、そのまま動きを止めたのだった。

 

 少々離れた所に同じような着弾音が二度ほど響いたが、聞こえる範囲に誰も聞く者がいやしないので、結局響いただけなのである。

 

 

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 月に吼える 第三部 

 

 

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 地面に倒立し、いや無理矢理させられ出来の悪いトーテムポールのようにそそり立っていた物体が、ゆっくりと慣性の法則に導かれて前方に倒れていく。

 

 丁度地面に埋まっている辺りから微妙に危険な音が響き、その度に痙攣が何度も何度も忠夫の体を襲ったり。

 

 もしも観客が居たのなら、医者を呼ぶより先に坊主か葬儀屋を呼ぶであろう、そんな致死量の雰囲気が漂い始める。

 

 やがて大木が倒れる時の軋む音を立てながら、しかし軽い音を立てて動きを止めた彼の身体の上を丸まった新聞紙が風に吹かれて転がって行った。

 

 暫しの間を置いて、やはり同じような音が、やはり少し離れた場所で二度。

 

 嫌な沈黙が辺りに満ちて。

 

 その静けさを割ったのは、二人分と思しき駆け足の音だった。

 

「横島君っ!」

 

「横島さはーんっ!」

 

 忠夫の名前を呼びながら、二人の女性が走り寄る。

 

 だが、その足は薄暗闇の中で彼の姿を視認できる所まで近付くと、まるで何かに慄くようにブレーキの動きで急制動。

 

 再び嫌な沈黙が舞い戻る。

 

 重い、それはそれは重い空気の中で、二人――美神とおキヌは互いに囁いて或いは相手を前へ前へと押しやりながら、じわりじわりと距離を詰めていったのだった。

 

「…流石に死んだかしら?」

 

「縁起でも無い事言わないでくださいいいいいっ!」

 

 とは言うものの、明らかに首関節の許容範囲を超えた姿に変形している忠夫に対し、揺さぶる訳にも行かずはたまた声を掛けても地面に埋まった彼の耳に届くのか、と迷うおキヌ。

 

 やれやれ、と溜め息を一つ。

 

 美神は腰に手を当て、大きく息を吸い込んだ。

 

「あっ! あんな所にマンガ肉っ!」

 

 マンガ肉とは、一本の太い骨にお肉がもっさりと付いた、それ何処の部分の肉だ、とかそれだけ太い肉があるのか、とかそもそもそれは本当に肉なのか、とか今時ねぇよそんな表現、等々の突っ込みを受けそうで、しかしそれでも尚一度は食べてみたいと子供心に思ったり思わなかったりするかもしれない夢のお肉なのである!

 

「俺の肉うううううううううううううううっ!」

 

「――いっぺん食べてみたかったぁぁぁぁぁぁっ!」

 

「――拙者にもよこせでござるぅぅぅぅぅぅぅっ!」

 

 効果は抜群のようである。

 

 関係無いところでも二人ほど復活させるぐらいには。

 

 きゅぽん、とコルク栓が抜けるように頭を一瞬で引き抜いた忠夫は、そのままの勢いで地面を蹴り、反対方向――声が聞こえた方へと身体を捻りながら大跳躍。

 

 手は獲物を逃がすまいとわきわき蠢き、瞳は爛々と輝きを宿し、口元は涎をダバダバ垂らしながら当に怪鳥の如く飛び掛る。

 

 何時の間に出したのか尻尾を高速で振りながら、飛び込んだ先で、彼はそれを捕まえた。

 

 わしっ、と。

 

 ついでに顔まで突っ込んで、片道切符にサイン。

 

「柔らかいなー! 暖かいなーっ! このボリュームなら流石の俺も大満足じゃーっ!」

 

 途端に吹き上がる巨大な霊圧。

 

 と、殺気。

 

 当てられて正気を僅かに取り戻した忠夫の脳裏に走るレッドアラート。

 

 匂いを嗅いで正体に気付き、警告を通り越して走馬灯、顔が一瞬で冷や汗に塗れた。

 

 カタカタと震えながら顔を上げる。

 

 二つの山の向こうに、修羅が居た。

 

 

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第拾七話 『そして魔神は札を切る』

 

 

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 よこしま は にげだした

 

 しかし まわりこまれた!

 

「…横島さんの、えっち」

 

 つうこん の いちげき!

 

 よこしま は こんらん した!

 

「違うんやーっ! ワイは、ワイはちょっと錯乱してただけなんやーっ! そんな目で見んといてーっ!」

 

 身体を反転させた先で冷たい冷たい、汚物を見るような(忠夫視点)目でおキヌに見られ、思わず悶えて地面を転がる忠夫。

 

 その耳元に、地面に罅を入れながら勢い良く神通棍が突き刺さる。

 

 放電しながら明らかに「コロス」意思の篭められたそれを、忠夫の視線がゆっくりと辿っていく。

 

「ひぃっ?!」

 

 無表情であった。しかしそれは、屠殺場で今から仕事を行なう者の顔であった。

 

 思わず何かがちょっと漏れた忠夫。

 

 諦めたように、もーどーにでもなれー、となんか悟った表情を浮かべた彼を、しかし神はまだ見捨てはしない。

 

 とてとてと駆け寄ってきた女神は、コキュートスもかくやと思わせる絶対零度のオーラを纏った美神を宥めにかかる。

 

 悟りは何処へやら、地面にあお向けになったまま殺気に当てられて動けない忠夫は、視線だけでもとおキヌへ応援のメッセージを送信する。

 

「ま、まぁまぁ美神さん、横島さんも悪気は無かったんでしょーし。せめて――」

 

「分かったわ」

 

 おキヌの言葉の途中で、す、と引かれる神通棍。

 

 意外すぎるほどにあっさりと引かれたそれに、しかし全く収まる事のない美神の殺気がまだ終わっていない事を声高らかに告げている。

 

「おキヌちゃんが選んでいいわよー。去勢か処分か」

 

「せめて去勢で許してあげましょうよ」

 

「お゛ぎぬざああああああああああああああああああんっ?!」

 

 さくっと即答であった。

 

 よくよく見れば、彼女の額にも井桁マークが浮かんでいる。

 

 きっと彼女にも何か思う所があったのだろう、主にボリューム辺りで。

 

 救いの女神と見せかけて、怒れる伏兵であった。

 

 宥める事を既に止め、つん、と拗ねた表情でそっぽを向くおキヌを横目に美神の神通棍が振り上げられる。

 

 しかし、忠夫はまるで硬直したように動かない。

 

 いや、その瞳だけが行ったり来たりしている。

 

 逃げ道を探しているのかと訝しむ美神であったが、答えは忠夫自ら語られた。

 

「おキヌちゃんの白は当然として…黒が清楚に見えるとは、意外やった…!」

 

「何処を見とるがこのエロガキがっ!」

 

「ちょま美神さっそこは待って待ってまっ、マックスハーッ?!」

 

 結果だけ言うのならば、ギリギリセーフ、なのだろうか。

 

 その悲鳴の聞こえる訳もない男達が何かシンパシーでも感じたのか同時に微妙に腰を引き、その為に進む速度が僅かに落ちたのは完全に余談である。

 

 若干一名白龍道場に例外が居たりしたのは言わぬが華。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまれかくあれ成敗済んで。

 

 アレな場所を押さえて泡を吹き、ぴくんぴくんと痙攣を繰り返す忠夫の横でおキヌが手を当ててヒーリングをするかどうか迷ってみたり。

 

 なにやら頬を染めつつ決心した彼女がおずおずと手を伸ばした瞬間、美神に耳を引っ張られたり。

 

 ほっとしつつも残念そうなおキヌはさて置き、何とか復活した前傾姿勢の忠夫の腰を、ちょっと責任を感じたのか美神が何となく嫌そうに後ろから叩いてみたり。

 

「い、いかん世界を垣間見た…って! こんなことしてる場合じゃないんすよ美神さん!」

 

「誰のせいよ誰の」

 

 互いの無事を喜ぶどころか、

 

 

『まぁあんたの事だから大丈夫だと思ったわ』

 

 

 の一言で切って捨てた美神の言葉に忠夫が少々落ち込んだ場面も在ったものの。

 

 その言葉を聞いて後ろで引っ張られて痛い耳を押さえてくすくす笑っているおキヌに睨みを利かせつつ、小さく安堵の溜め息を付いた美神は呆れた風を装った。

 

 慌てた様子で美神に迫る忠夫の額に肘を入れ、蹲った彼を横目におキヌと目で会話。

 

 良かった、と、しょーがないなぁ、が等分に混じった苦笑いが二人の顔に自然に浮かんだ。

 

「ま、まぁ、その、一応ね。そう! 一応おキヌちゃんも心配してたみたいだし!」

 

 一本指を立てて空っとぼけながら美神が言う。

 

 微妙に眉が寄っているのは昼間ならばしっかりと見て取れたであろうが、今の暗さでは見ることができない。

 

 後ろで口元を押さえながら肩を震わせている少女は別として。

 

 見えている訳ではないだろうけれど、まるで全部はっきりと上司兼もう一人の姉の顔がはっきり見えた気がしたから。

 

「えー。美神さんはほんっとに心配してくれなかったんすかー?」

 

 地面に「の」の字を書きながら忠夫が美神に向けて呟いた。

 

「あ、当たり前じゃない。こらそこ! おキヌちゃん笑うなっ!」

 

「もう。美神さん凄かったんですよ? こーんな――」

 

 両手を大きく広げ、精一杯の円を描いて。

 

「沢山荷物背負って助けに行こうとしてたんですから。何時もだったらガソリンの残りとかもちゃんと把握してるのに――」

 

「わーっ! わーっ!!」

 

 一瞬硬直した美神だが、再起動と同時におキヌの口元を押さえて封じにかかる。

 

 大人しくされるがままの少女は、しかし確かに目だけで笑っていた。

 

 好い加減少しくらい素直になったらどうですか、とその瞳は笑い混じりに告げている。

 

 あまりにもじれったく感じたから故の行動ではあるが、まぁそれとこれとは別問題であって、只でさえ戦力差が大きいので塩を送るのはこれっきりにしたい、とは少女の弁ではある。

 

 後ろからおキヌの口元を押さえて恐る恐る振り返った美神の目に、なんだか感激した様子の忠夫が写りこむ。

 

「そーっすかぁ…すんません、心配掛けました」

 

「…その、別に気にしちゃいないわよ」

 

 しまったやり過ぎたか! とはその瞬間に走った少女の心の声である。

 

 てっきり『嬉しいっすー! こーなったらもーいきつくとこまで行くしかー!』とか言って飛び掛って来て、それをハイキックで撃墜する所までプランを描いていた美神は肩透かしを食らわせられた。

 

 素直に頭を下げる忠夫を見て、何となく肩の力が抜けた美神は頬を緩めて吐息を一つ。

 

 押さえこんだおキヌが何故か抗議の視線を向けながらじたばたと動き始めたが、それは見事にスルーされ、何時の間にやらちょっと良い雰囲気が醸成され始めていた。

 

「…あのね」

 

「う、ういっす!」

 

「一度しか言わないから良く聴きなさい。私は――」

 

 時も場所も状況もそんなことしてる場合じゃないだろうな筈なのに、甘いけれどもちょっとすっぱい、俗に言うストロベリっている空気が流れ出した気がする。

 

 おキヌは最早半泣きでむーむーと抗議しているが、そのずるいとか私もとか言う叫びは結局口からは出れなくて。

 

 どちらともなくごくりと唾を飲み込む音が響き、一瞬の溜めを乗り越えた美神の言葉が口元を擦り抜け――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「危ない・横島・さん! フラグ・クラーッシュ!」

 

「アンギャァァァァアアアアアッス?!」

 

 

 横合いからすっ飛んできたマリアの体当たりが、美神の言葉よりも早く忠夫を直撃。

 

「横島君っ?! て言うかマリアっ?!」

 

「ぷはっ! マリアさんナイスですっ!」

 

 ずしゃー、と地面を削りながら忠夫をボードにマリアが滑る。

 

 2M程滑走した後、やけにボロボロになった忠夫を抱えて立ち上がったマリアは、無表情に近い筈なのに凄く満足げな笑顔だった。

 

 あわあわと慌てる美神の腕の中から脱出したおキヌの言葉に答えるように、マリアは親指を一本立てる。

 

 答えて親指を立て返したおキヌとの間に何かが通じたのか、二人は大きく頷きあった。

 

 そしていまだあわあわと意味も無く奇妙な踊りを続ける美神を放って忠夫に駆け寄り、力無く垂れ下がった手を取ろうとした。

 

 が、それはマリアが軽く身を引いて阻止する。

 

「……」

 

「……」

 

 

 手を伸ばす。

 

 半歩横に。

 

 手を伸ばす。

 

 半回転。

 

 回りこむ。

 

 跳躍してロケットに点火、ホバリング。

 

「ずるいですよー!」

 

 足元でぴょんぴょん跳ねている小娘を無視し、暫し抱き心地を堪能するマリアであった。

 

 と、体当たりのショックで白目を剥いていた忠夫が意識を取り戻し、目の前の顔を認識する。

 

 未だはっきりしない頭のままで、忠夫はマリアに半分飛んでいる視線をあわせて声を絞り出した。

 

「マ、マリア…カオスのオッサン呼んでくれ…ガク」

 

 律儀な事に、意識を失う効果音まで出して再び白目を剥いた。

 

 暫し特別な反応が無かった事に少々もやもやとした物を感じていたマリアであったが、残念そうな表情のままで、とりあえず言われた事を実施する。

 

 メタソウルから霊力を汲み上げ、埋め込まれたテレパス用金属にリンク。

 

 打てば響く鐘の音のように広がった霊波が、程なく幾つかの反応を返してきた。

 

 一際大きな反応が一つと、良く似た、だが確かに違う小さ目の反応が四つ。

 

 カオスが未だ目的を果たしていない事と、そしてその大きな反応の位置が巨大な建造物に在る事から、詳細な事は不明だが計画遂行の難度を上方修正。

 

 メモリに保存し、今度は四つの反応に向かって言霊を乗せたシグナルを送った。

 

 ふと下を見下ろせば、先程まで騒いでいたおキヌが美神に掴まり梅干の真っ最中。

 

 会話を聞いてみればどーもマリアが体当たりした直後の部分に納得の行かない発言があったらしく、美神は八つ当たり混じりに霊力まで使っておキヌにお仕置きしているようである。

 

 じたばたと手を振って半泣きで脱出を試みるおキヌを巧妙な手さばきで押さえつけながら、ちらちらと視線が未だにマリアが抱きとめている忠夫に向いている。

 

 きゅ、と腕の出力を増すと美神の霊力が高まりおキヌの悲鳴もついでに高まり、少し力を抜くと両方弱まる。

 

 カオスが来るまでの暇潰しに、と何度か繰り返す内に美神の目が危険な角度まで吊り上がり、ついでにおキヌの悲鳴が段々と弱くなっていっている。

 

 最早言い訳と否定混じりの八つ当たりから完全な八つ当たりに変わり、おキヌが消耗しきって動きが少なくなってきた頃を見計らって、マリアは最後にもう一度だけ力を篭めて抱き締めた。

 

「ぐきゅっ?! ってあれ、マリア?」

 

 蛙が潰れたような声を出して、狙ったようなタイミングで忠夫が目覚める。 

 

 直後に真下から襲い掛かる強烈な殺気に気付いて見下ろし、額にブッとい血管を浮かべて人差し指で招く美神と、その足元でコメカミから煙を出して昏倒するおキヌを発見してもう一度気絶しそうになったようだが。

 

 怯えてしっかりと抱きついてくる忠夫を放すのは勿体無いのでどーしよーかなー、とマリアは悩む。

 

 しかし時間の経過と共に殺気は高まり、そして忠夫とマリアの密着度は更に上がっていく。

 

 完璧に悪循環――一人にとっては幸せな循環――となっているが、まぁ良いかとマリアが放置を決めたその瞬間に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うちの娘に手を出す奴はどこじゃぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっ!!」

 

 怒号と共に真上から老人が降って来た。

 

 訝しげに顔を上げた忠夫の顔面に突き刺さるカオスの爪先。

 

 ギリギリの判断でマリアに被害が及ばぬようにと手を離す忠夫。

 

 高速で目の前を通り過ぎた老人の行動にフリーズするマリア。

 

 巻き込まれまいとおキヌを引っ張って退避する美神。

 

 轟音と土煙が辺りを包み、暫しの沈黙が――

 

「やはりお主かぁぁぁ…さぁて感電死か銃殺か毒殺か実験材料か解剖かホルマリン漬けまでフルコースで行くかそれともこの時空から完全消滅してマリアのお主に悪戯された記憶を奪ってしまうのが一番ええかのぉぉぉ…?」

 

「誤解だこのクソ爺ぃぃぃっ! 俺のモットーはイチャイチャラブラブうっふんあっはんお腹一杯夢一杯幸せてんこ盛りうはうは生活だっつーんだよっ! てか引っ込めろその時空消滅内服液いぃぃぃぃっ!!」

 

 何故どう見ても時速100kmを超えるような速度で衝突した上に、クッションも無く地面に激突して無事なのだろうか。

 

 特に忠夫はまだアレとしても老人の方は。

 

 ともあれ、その名の通り混沌を引き連れて落っこちてきた老人と、彼が大人げなく本気で口元に注ごうとしている怪しい液体から必死で逃れる海老反り状態の青年に向かって抑止力が放たれる。

 

「落ち着いて下さい・ドクター・カオス」

 

「いい加減にしなさいこの馬鹿犬っ!」

 

 ロケットパンチと神通棍が、同時に二人をかぽーんと空に打ち上げた。

 

「アルファ。嘘は・いけません」

 

「…恣意的に・情報を・制限しただけ」

 

 飛び上がってきた二人とすれ違い、土偶とマリアの娘達が着地する。

 

 土具羅と姉妹達からジト目で見られて罰の悪そうな顔をした少女の呟きが、地面に落ちた二人の呻き声に紛れて消えたのだった。

 

「へ、へへへ…。美神さんの突っ込みだけは避けられる気がしないのは何ででしょーか…?」

 

「……」

 

 半分懐かしさ、四割の痛み、そして残り一割は自分の性質に対する諦めを抱きながら、忠夫は顔の右半分と膝で地面に接地した状態で涙を流す。

 

 横のご老体は流石に寄る年波には勝てないのか白目を剥いて沈黙したままであるが、誰一人として気遣う様子が無いのは何故なのだろうか。

 

 と、忠夫の顔に一瞬疑問符が浮かび上がった。

 

 そのままがばっと身を起こし、きょろきょろと周囲に集まった者達を見回す。

 

「いかんっ! こんな事しとる場合じゃなかったっ!」

 

「元凶はあんたでしょうがっ!」

 

「み、美神さん抑えて抑えて…! ほら横島さん珍しく真面目みたいですしっ!」

 

 自分の行動を省みない忠夫の発言に、思わずもう一発かましたろかいと神通棍を振り上げる美神だが、後ろから羽交い絞めに押さえ込んだおキヌによって阻止された。

 

 怯えて頭を抱える忠夫を目の前に、深呼吸を二、三度繰り返す。

 

 最後に大きく息を付いて、美神は納めた神通棍の柄で頭を掻きつつ仕方なさげに矛を収めた。

 

「…で、何がしたい訳?」

 

「いや何もくそもやばいっしょっ?! 相手は魔神だしフェンリル居るしあのキノコは生えちゃうし!」

 

 後方、おそらく今当に激戦が繰り広げられている筈の方角を背中越しに指差し忠夫が訴えた。

 

 しかし美神は軽く肩を竦め。

 

「今更出来る事なんて無いわよ。もう殆ど終わりみたいなもんでしょ」

 

「…へ?」

 

 呆けた表情の忠夫に、振り向けと言いたげに彼の背後を指差して見せた。

 

 素直に首を回した忠夫の視線の先、丁度そのタイミングで其処から照明弾が打ち上げられる。

 

 照らし出されたのは士気旺盛に突っ込んでいく獣と人、そしてその前方で動作を完全に停止して地面に伏せるテレサ達と、逃げ惑う埴輪兵の姿。

 

 加速していく集団の切っ先が、既に役目を果たさなくなったかっての防御の跡に食い込んだ。

 

「あっちのテレサ達はEMP対策とってなかったみたいねー。『核ミサイル奪っといて自爆するなんて馬鹿』って事になってるけど」

 

「流石に・マリア達の通信機能は・ダウンしてしまいましたが」

 

「っつつ、なるほどのぉ。そー言う事にするのか」

 

「そ。まぁどっかの誰かさんも下手に物騒な物を上に置いといたとは言いたくないでしょうし、『持ち主不明の核ミサイル搭載衛星が魔神アシュタロスの陣営にジャックされ、しかし何故か制御失敗して勝手に自爆』ってな流れになる予定よ」

 

 いくら緊急事態でも神族がそんな事したってばれたら後が面倒だし、と美神はニヤリと唇を歪めた。

 

 彼女の言葉を裏打ちするように、その場に居た全員の頭に女性の声が響く。

 

 内容は先程美神が語った事の、その裏を除いた部分そのままであった。

 

 テレパスに含まれる感情もどこか呆れを含ませてあって、忠夫達も美神から何も聞いていなかったとすれば、「危ない所やった。あいつら馬鹿やなー」で済ませていただろう。

 

「うっくっくっくっ。これでソロモン72柱の一人にして魔界の六大魔王の一人アシュタロスの名前は地に落ちるわけよ! もう明日にはアホタロスって呼ばれてるんじゃない?」

 

 本当に、ほんとーに心底楽しそうに笑いながら前世の創造主をアホ呼ばわりする美神。

 

 まぁ後々この事は大きく取りざたされるとすれば、一般的に影響の大きいEMPの被害と一国の首都が機能を失った事が相俟って――『核ジャック事件』と言われる可能性もあるだろう。

 

 ともあれ、顎が落ちんばかりの表情でそれを眺めていた忠夫であったが、しかしそれでも諦め悪く。

 

「で、でもまだアシュタロスが――」

 

「あ、それ? あそこあそこ」

 

 ひょい、と動いた美神の指に吊られて視線が動く。

 

 其処には、輝く照明弾の光の隙間を縫うように飛行する人影らしき物体が。

 

 先頭を行く小さな影がいきなり巨大化し、勇壮な鎧と光を反射して輝く金環を頭に付けた猿になり、コスモプロセッサの前に浮かぶ魔神と思しき者に突っ込んでいく様子が見えた。

 

 その後方を飛んでいた者達もそれぞれに武器を構えたり印を組んだりと戦闘態勢に入りつつある。

 

「神魔族の援軍到着。しかも武神としては超一級の猿神様も居る訳だし、大丈夫でしょ」

 

 あれ、俺の頑張りって何? と忠夫が顔を戻せばフェンリルを包囲しながら突っ込んでいくガルーダ達。

 

「はーっはっはっは! そーれおまけに追加武装射出っ!」

 

 どっしりと地面に足を食い込ませ、体中からミサイルやら弾丸やらを吐き出しているゴーレムの背中から次々と何かが打ち出され、同時に飛び掛るガルーダ達の手に渡る。

 

「兄上ーっ! く、離すでござるよ女狐ぇぇぇっ!」

 

「今はそれどころじゃないでしょ馬鹿犬っ! ほらほら前衛が抜けてどーすんのっ?!」

 

「と言いつつお前は何処に行くでござるかっ!」

 

「後衛一人くらい良いでしょ、って、は、離しなさいってっ! ちょ、ちょっとどこ掴んでんのよっ!」

 

 一部全然関係の無い所で喧々囂々としているようだが、何かもう雰囲気的に余裕が出てきていた。

 

「…お、俺の活躍シーンを返せぇぇぇっ!」

 

「最初っから無いわよ。犬質だったあんたが悪い」

 

「だってしょーがないやんんんっ! ベスパええ乳しとったんやし俺だってちょっと色香に迷ってもええやん若いんだからさーっ! 俺のヒーローになってもってもてになって嫁さんゲットしてイチャイチャうっふんラブラブ極楽大作戦がぁぁぁっ!!」

 

 子供のように地面に転がってじたばたと手足を動かす忠夫に、今度は警戒してか近付かないで破魔札を投げつける美神。

 

 心の中で忠夫の給料から破魔札代を差っぴく事を決め、爆発に揉まれて焦げた忠夫を呆れを多分に含んだ目で睨みつける。

 

 半分人狼ゆえにダメージ半減、しかし何故か破魔札の金額から予想されるよりもダメージを受けた忠夫が煤塗れで体育座り。

 

 おキヌとマリア達が笑いながらそんな彼に集まっていくのを横目に見つつ、美神は、そっと苦笑い混じりの安堵の溜め息を付いた。

 

 さて、後はそれなりに働いて何処から毟り取れるだけ毟り取ろうかなー、と思考しながら鼻息も荒く装備を確認する美神の目に、難しげな表情を取るカオスの横顔が映りこむ。

 

「…どーしたの?」

 

「ふーむ」

 

 いや、と前置きをして気不味そうな顔のカオスは、視線を前から逸らさないまま独り言のように呟いた。

 

「例えば、の話じゃが」

 

 老人の視線が忠夫の傍に立って小さく微笑んでいるマリアに向けられた。

 

 彼女の前ではマリアの面影を色濃く残しながらも、しかしそれぞれに違う雰囲気を持った機械の少女達が忠夫に絡んで騒いでいる。

 

 おキヌと一緒にそれを止めるでもなく眺めながら、視線を感じたのか老人と目を合わせ、軽く手を振っている。

 

 それに手を上げて返事をしながら、しかしカオスの表情は優れない。

 

「マリア、いやマリア達はの。例え腕を切られても、接着して安静にしておればそれだけでも傷が『癒える』ようになっとる。無論、当然の如く元通りに動かせるようになって、な」

 

 数秒ほど訝しげな表情を浮かべていた美神の顔から、ざ、と音を立てて血の気が引いた。

 

 腕が元通りになる――しかも表面部分の装甲だけならばともかく、『動かせる』とカオスは言った。

 

 つまり、内部の回路も修復される、と言う事。

 

 EMPで焼かれた回路、普通ならばそれだけでも致命傷な筈だが、あいにくとテレサ達にとっての中枢とも言える部分はメタソウル――人工霊魂で出来ている。

 

 つまり、EMPの影響を受ける訳も無く、必然的にテレサ達は完全に機能停止に陥った訳では無い、となる。

 

 自己修復にどれだけの時間が掛かるかは分からないが、AIを担当するメタソウルが被害を受けていない以上。

 

「…もしかしなくても、時間が経ったら?」

 

「機能を取り戻すじゃろうなぁ。テレサ達も、コスモプロセッサに組み込まれとるのも」

 

 ま、とっとと決着付くなら関係無いがの、と老人は肩を竦めた。

 

『待て、あそこっ!』

 

 韜晦するカオスと蒼褪めた美神の会話に割り込んできたのは、意味が無くなったと聞いて所在無さ下に後頭部からぷらぷらと揺れるコードを垂らしてちょっと後悔していた土具羅。

 

 小さい体を激しく動かし、放射能臭い湯気を噴出させて立ち上がった彼は、慌てた様子で叫んだ。

 

『コスモプロセッサに埴輪兵達が取り付いてなにやらごちゃごちゃやっとる! もしも中枢演算ユニットとして取り込まれた機体が機能を取り戻したら、今度こそコスモプロセッサが起動してしまう!』

 

「さっき起動しとったじゃろーが」

 

『あれは余剰エネルギーを使った緊急防衛装置だ! 勘違いするな、あれは「書き換える」ものじゃなく「置き換える」装置だぞ! 本格的に動き始めたら何が起こるのか見当もつかん!』

 

 宇宙処理装置、と銘打ってあるものの、その本当の機能からすれば、あれは「無限の可能性の中から選択した可能性と置き換える装置」である。

 

 だからこそ、例え消滅したとしても「魂の牢獄に囚われている筈の魔族」が「二人居ると言う矛盾」を引き起こさない。

 

 あくまでも「いない」と言う事象を「いる」と言う可能性で置き換えるものだからだ。

 

 よって魂の牢獄に囚われた霊核とも言える物は、その可能性を手に入れて復活する事となる。

 

 とは言えそれは副産物でしかない。

 

 その能力の真骨頂は、『世界を置換する事さえ可能である』と言う一点に尽きる。

 

 例えば、「ある魔神が魂の牢獄に囚われる世界」と「ある魔神が魂の牢獄に囚われていない世界」を置き換えることすら可能にする装置。

 

 それが、宇宙処理装置の本当の姿。

 

「落ち着け、言い方が悪かった。さっきも言ったが今すぐ如何こうと言う話では無いぞ。ある程度の時間が必要じゃから、その前に潰してしまえば――」

 

「みっ、美神さん、あれ、あれっ!」

 

 酷く焦った忠夫の声に、3人の視線が前を向く。

 

 青年の指差す先は、宇宙処理装置の傍らに散らばる残骸があった。

 

「…見えないわよっ!」

 

 それも当然であろう。

 

 超感覚を持つ半人狼の忠夫の視覚ならばともかく、そう言った肉体面では鍛えられているといっても一般人の規格内に収まる美神達。

 

 遠目に見えたのは、高く聳える巨大な茸にも似た構造物と、ただ散乱しているようにしか見えない残骸の群だけだ。

 

 が、忠夫は何かを見ているようで、しかも顔には冷や汗が大量に吹き出していた。

 

「アシュタロスが、なんかでっかいコンテナに手を掛けてて、んでもってさっきから嫌な予感がビンビン止まんないんっスーっ!」

 

 いまいち要領を得ない彼の言葉に美神が眉を潜め、同時に彼女の霊感が強烈な警告を発した。

 

 悪寒というのも生温い、まるで直接脊髄を液体窒素にでも突っ込まれたような凶悪な虫の知らせが霊感を持つ者達全てを襲う。

 

 霊能力者達の視線が集まる先、そこに猿神も何かを感じ取ったのか、一気に加速して飛び掛る。

 

 おそらく魔神アシュタロスも居るであろう其処に、遠く離れていても分かるほどの豪速で持って、武神の拳が振り下ろされた。

 

 が、それは魔神に痛撃を与える事も、大地を砕く事も無く。

 

 ――ズドン、と、重い音を立てて黒い巨腕に受け止められた。

 

 いや、その腕、まるでアシュタロスを庇うように突き出されたその巨大な何者かの腕の僅かに手前で、武神の拳は動きを止めていた。

 

「…コレが此処に落ちて来た事は、慮外の幸運だった。まだ主導権は此方の物だ…!」

 

 魔神の呟きに応えるが如く、猿神の拳を受け止めた腕が現われた。

 

 明らかにコンテナよりも太い腕、それに続くように、収まりきる訳の無い巨体が燐光を撒き散らしながらせり上がり、齢千年を数える大木のような武神の腕を掴み取る。

 

 驚愕に揺れる彼の視線の先、その腕よりも明らかに小さなコンテナの中から飛び出したその場所で、アシュタロスが口元を歪めて嘲笑っている。

 

 もう片方の手で拳を捕らえた黒い腕を振り払おうとしてか、猿神の体が僅かに捻られる。

 

 その僅かな瞬間、再びコンテナの中から出現したもう片方の巨腕が、振り下ろす為に引き上げられた猿神の手を握りとめる。

 

 例え魔神に隙を見せても無理矢理にでも振りほどくか、それとも手が駄目なら足で攻めるか、一瞬判断に迷ったその間隙を突いて。

 

『ゴオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 大気を揺らす咆哮を上げながら、一気に全体像を溢れ出させたハヌマンよりも巨大な人型が、体中から光弾を吐き出した。

 

 


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