月に吼える   作:maisen

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第拾四話 『そして届けと誰かが叫び』

「準備が出来次第出します! カウント10からですので!」

 

 小竜姫にそう告げた近衛兵は、彼女が担いだ荷物に一瞬不安そうな視線を向けたものの素早く身を翻して近くのビルの陰に飛び込んでいく。

 

 腰に巻きつけられたロープを確認し、それがしっかりと固定されているか何度か引っ張って試してもう一度前を見、彼女は諦めたように溜め息を付いて肩を落とした。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 月に吼える 第三部 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ほら、忘れ物だ」

 

 俯いた小竜姫の頭にぽすんと軽い音を立てて何かが乗せられる。

 

 慌てて溜め息とともに俯いた視線を上げれば、動きに付いて来れなかったのだろう、頭の上から奇妙な物体が転げ落ちた。

 

 その落下軌道に手を伸ばし、しっかと掴んで改めて見れば何とも不思議な生き物の姿がそこにある。

 

 全体的には不気味な小さい悪魔とも言えるその背には小さな羽根が生えていて、口はスピーカーのような形になっており、腹部にも同じ形の物がついている。

 

「あ、通信鬼! 忘れる所でした。ありがとうございます、ワルキューレ」

 

「私のを貸すだけだ。ちゃんと返せ」

 

 そう言って小さく笑った魔界軍の女性の顔には僅かな憂いの色がある。

 

 初め出会った時はすまし顔と言うより無表情で、冷たい印象しか受けなかったと言うのにこの変わりをかってのワルキューレを知る物が見たら己が目を疑う事は間違い無い。

 

 変化なのか成長なのか、それとも地が出ただけなのか。

 

 どれであってもこの彼女の方が付き合いやすいことは確かだし、少なくとも小竜姫がワルキューレに対してかなりの好感と信頼を築き上げているのは気のせいではないだろう。

 

 休暇なり暇が出来た時なりに妙神山を訪れ、時には小竜姫やヒャクメと一緒にお茶を飲んだり、時には猿神と並んでゲームをしたりと彼女も小竜姫達に対して悪い感情を持っていない事も窺える。

 

 美神さんの良い影響でしょうか、と其処まで考えて、ワルキューレが何とも不貞腐れた顔でこちらを覗きこんできているのに気付いた。

 

 つい、と視線を逸らし空咳一つ。横顔に感じる視線の不機嫌さが上がったようだが、まぁ構うまい。

 

 本人は気付いていないようだが、時折こうやって覗く彼女の表情が、小竜姫は結構好きだった。

 

 魔族と親族の間でありながら良き縁を得られた事を、今ならば上層部に感謝する事もできるだろう。

 

 当時は胃の痛みと共にかなり本気で恨んだりもした物だが。

 

「…すまんな。本来ならば私が行きたかったのだが」

 

「それは仕方が無いでしょう。この作戦には超加速が使えない貴方じゃ危険が大きすぎますし、それに――」

 

 周囲を眺めた視線の先には、ビルの陰に身を隠してなにやら準備をしている一団と会話する猿神が、小竜姫の前後に伸びたレールには挟みこむように並んで取り付き精神集中を行なっている近衛兵の術者達がいる。

 

 全てが神族であり、魔族はワルキューレ一人しかいない。

 

「これだけの大事件です。神族だけで解決した事にするよりも、魔族の貴方が現場にいて協力していた事にする方が、角が立ちませんから」

 

「あれもデタントこれもデタント。殴って撃ってハイ終わり、の頃には考えもしなかった気苦労だ」

 

 肩を竦めてそうのたまうワルキューレの口元は、しかし確かに小さく弧を描いていた。

 

 思わずつられて笑みを浮かべた小竜姫を眼にしたワルキューレが口元を押さえ、小さく楽しげに笑い声を零す。

 

 互いに顔を見合わせながら、僅かな間場違いとも思えるほど和やかな雰囲気が二人の間に流れた。

 

「ま、とは言え美神の無茶な作戦に参加しなくて済んで、少しはほっとしてる訳だが」

 

「あら酷い。それ美神さんに黙ってて上げますから、今度来る時にはお団子をお土産にお願いできます?」

 

「神族が脅迫するのか?」

 

「いいえ。交渉ですよ」

 

 天を仰いで額に手をあてたワルキューレが踵を返し、ゆっくりと小竜姫の傍から離れていく。

 

 彼女は背中越しに片手を振りつつ、何でも無いように言い放った。

 

「今度、な」

 

「ええ。今度、です」

 

 その背中がビルの陰に隠れるまで見送って、小竜姫は頬を叩く。

 

 音を立てて赤く染まった頬を少しばかり力加減を間違えたかと少々涙目で撫でつつ、彼女はレールの上に膝をつく。

 

 短距離走のスタートの如くしゃがみ込んだ彼女は、大きく息を吸って気合を入れた。

 

 答えるように、右手に握り締めた勾玉と左手の指に嵌めた指輪が輝き出す。

 

 一瞬後、彼女の両手には身長ほども在りそうな巨槍と、しゃがんだ体の前面を覆い隠す髑髏の描かれた盾が出現していた。

 

「竜の牙、ニーベルングの指輪、準備完了!」

 

 大声で叫んだ彼女に答え、レールの両脇に控えた術者達が唱え始める。

 

 レール上の空間に幾つも雷光が走り、その光が幾つもの法陣を描き出す。

 

 空気がゆっくりと彼女の後方から前方に流れ出し、やがて鼓膜を揺るがすほどの轟音を伴って拭き付け始めた。

 

 と、背中に背負っていた「荷物」がその音に目を覚ましたのか、気の抜けるような声と共に動き出した。

 

「ふぁあぁああ~。って、ここ何処っ?!」

 

「動かないで下さいヒャクメ。危険です」

 

「え、小竜姫っ?! ええっ?! ここまさかっ?!」

 

 途端にじたばたと暴れ出した彼女に後頭部で頭突きをかまし黙らせた。

 

 頭を押さえて蹲るヒャクメに、やや目をちかちかさせた小竜姫が声を掛ける。

 

「今更何を言ってるんですか」

 

「だってだって、まさか私まで行くとは思ってなかったのねーっ!」

 

「仕方ないでしょうに。あの壁が間にあると貴方役立たずじゃないですか」

 

 なにやら衝撃を受けたのか、一瞬硬直したヒャクメはゆっくりと身体を弛緩させる。

 

 しかし、次の瞬間には再びじたばたと暴れ出した。

 

「私はワルキューレや貴方みたいに頑丈に出来てないのねーっ! いやーっ! 死にたくないーっ!」

 

 往生際も悪く暴れるヒャクメにこめかみを押さえつつ、小竜姫は彼女が動くたびに締まる腰のロープをたたっ斬ろうかと一瞬悩んだ。

 

 しかし、小竜姫だけでは作戦遂行はほぼ不可能であるし、背中に背負ったヒャクメが下に居ては何にもならないのもまた事実。

 

 ロープを解けば簡単に逃げられるのにそれにも気付かないほど狼狽しているヒャクメに向けて、少々酷いかなと迷いつつも、小竜姫はぽつりと、しかしはっきりと呟いた。

 

「ヒャクメ。そうやってる貴方って、なんだか横島さんみたいですね」

 

「えうっ?!」

 

 今度の硬直はさっきよりも長かった。

 

 固まったまま動かなくなった彼女の様子を窺えば、なんだかトラウマでも受けたかのように真っ青な顔で、必死に否定材料を探して呟きつづける姿がある。

 

 まぁ静かになったのだから良いか、とあっさり切り捨てた小竜姫は、その視線を前に向けた。

 

 足元から伸びるのは緩く弧を描き天を指す結界のレール。

 

 その上には何十枚もの法陣が姿を顕現させつつあり、耳元を過ぎ去っていく風はともすれば吹き飛ばされそうなほどの圧力を彼女の背に与えてくる。

 

 レールの先端が指すのは、天蓋に空いた裂け目から姿を覗かせる何かの穴。

 

 今も次々と光の粒を吐き出しつづけるその下では、再び放たれた閃光弾が戦場を照らし出し、まだ其処に諦める事無く闘いつづける者達が居る事を示していた。

 

 神魔族の助けも無く、普通ならばどう足掻いても勝ち目の無い相手に挑み続ける者達。

 

 武神としてそれを誇らしく思うと共に、小竜姫として心配にも思う。

 

 焦る気をゆっくりとした呼吸で無理矢理押さえつけ、彼女の視線は上へと向く。

 

 全てを貫くような強い視線は、天蓋の裂け目を塞ぐ何かを無視し、彼女が目指す場所を睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「カウント、行きます!」

 

「お願いします!」

 

 最早大声で無ければ会話が難しいほどに吹き付ける風の中、小竜姫は踵を僅かに浮かせる。

 

「10!」

 

 爪先にジワリと力が篭る。

 

「9!」

 

 全身に強大な竜気が漲り、構えた盾と槍が応えるように小さく震えた。

 

「8!」

 

 視界の隅で猿神が親指を立て、やって来いと唇の動きで伝えてくる。

 

「7!」

 

 その隣に立ったワルキューレが流れるような動きで敬礼を取り、そのまま額にあてた手を軽く下ろして拳を握る。

 

「6!」

 

 あちこちのビルの陰から顔を出した近衛兵達が手を振りながら、咽も裂けよといわんばかりに声援を送っているのが感じられる。

 

「5!」

 

 自然と口元が緩まり、そして決意を示すように引き絞られた。

 

「4!」

 

 術者達の詠唱する声が一段と高まり、目の前に連なる法陣がその輝きを増していく。

 

「3!」

 

 息を大きく吸い込んだ。

 

「2!」

 

 爪が割れそうなほど足の先に力が溜まる。

 

「1!!」

 

 背中のヒャクメが再起動した。

 

「GO!!」

 

「やっぱり降ろして――」

 

「妙神山管理人、武神、小竜姫――行きます!!」

 

 無視して第一歩を踏み出した。

 

 裂帛の気合と共に踏み出した体が、一気に最高速度まで加速しながらレールを辿る。

 

 一枚目の法陣に突っ込んだ。

 

「な」

 

 途端、視界に写る景色がその輪郭を崩す。

 

 踏み込んだ足が次のレールに設置するよりも早く、次の法陣が視界一杯に広がる。

 

 迷う事無く身体を前に傾ける。

 

「の」

 

 前から吹き付ける圧力が更に増し、四肢を引き裂かんばかりにその牙を振るう。

 

 だが、友から借り受けた盾が彼女の身をその暴風から完全に護りきる。

 

 同時に突き出した巨槍の先から出現した水蒸気の雲が螺旋を描くようにその槍に纏わりついた。

 

 瞬間、風を切る音も、槍が空気を貫く音も、盾が暴威を砕く音も、一切合切全ての音が消え失せた。

 

 もう彼女の足はレールを蹴ってはいない。

 

 一瞬の間に数十枚の法陣は全て役目を終え、砲弾たる女神に目標に向かってただひたすらに進む為の加速を与えて消え去っていく。

 

「ねぇぇぇええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」

 

 小竜姫の背中から響く悲鳴がドップラー効果で流れていったのが、周囲に生まれた衝撃波で転がっていく術者達には聞こえただろうか。

 

 そして叫ぶヒャクメの声だけはしっかりと小竜姫に届いてはいたが、最早気に掛ける余裕も無い。

 

 ともすれば砕けそうになる意識を握り締め、武神はその一点を突破する――!

 

 

 

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第拾四話 『そして届けと誰かが叫び』

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「いやー助かったわ。妙神山まで往復でぶっ飛ばしたのに、すっかりガソリン入れ忘れてたのよねー」

 

「だからって鉄砲向けて『ひっちはいく』は無いと思うんですけど…」

 

 大きなトレーラーのハンドルを片手で操りつつ、誤魔化すように空笑いを放った美神に助手席からジト目のおキヌが聞こえよがしに呟いた。

 

 途中までは良かった。

 

 そう、途中までは良かったのだ。

 

 いつの間にか人の事務所に勝手に通用口を作った神族達と、人工幽霊からの携帯電話への連絡で上手いタイミングで連絡が取れ、一つ大仕掛けが出来た。

 

 そして、何故かふらふらしていたが、オカルトGメンの隊員と一緒にいたおキヌと合流できたし、おキヌが大量に持ち出していた破魔札や精霊石を徴発出来たまでは良かったのだ。

 

 …まぁ、母の視線が痛かったが。

 

 そしてそれは起こった。起こるべくして起こった、とも言える。

 

 愛車に山ほどの装備を詰め込み勇んで出発した物の、妙神山と東京の事務所を往復したために、ガソリンが無くなったのだ。

 

 道半ばでガス欠に陥ったそれを蹴り飛ばした美神は、つま先を押さえてしゃがみ込みながら途方に暮れた。

 

 二人揃って肩を竦める両親に恨みがましい視線を向けたり、おキヌがなんとも生暖かい目でヒーリングをしてくれたりと一悶着。

 

 それがまるでやんちゃな妹と優しい姉の一幕のようで。

 

 お姉さん代わりは私なのにー! と心の中で絶叫したのは彼女だけの秘密である。

 

 ともあれ、後部座席に乗せていた父と母は娘に呆れたような視線を向けた後、さっさとオカルトGメンに向かっていったからなおさら腹が立つ訳で。

 

騒がしい後部座席に鬱陶しさを覚えていた物の、居なくなって見れば何となく寂しさを覚え、それを全力で否定するように鼻息も荒く担げるだけの道具を担いで歩き出した美神。

 

意地もあってかおキヌと美神で3:7。

 

その姿は助手席で肩を落としている従業員にも通じる所があったりはしたが、それは美神も知らぬこと。

 

ちょっと頭に浮かんだ従業員の顔を掻き消しつつ、何とかかんとか目的地まで歩き出そうとした所に。れたように肩を落としている従業員の片割れにも通じる所があったりはしたが。

 

「ま、いーじゃない。知らない仲でもないんだし」

 

 だが、おキヌと違った所といえば、美神は疲労で倒れる前に偶々通りかかった車に銃口を向け、無理矢理停止させて乗っ取ろうとした所だろう。

 

『ちょっと! あまり勝手な事言わないで貰えるかしら?! 大体なんで急いでるのに余計な荷物二つも抱えなきゃいけないのっ?!』

 

「良いじゃない。目的地は同じでしょ?」

 

 手元に吊るされたトレーラーの後部との無線機に軽く応え、美神は更にアクセルを踏み込んだ。

 

 重い荷物に抗うようにゆっくりと角度を傾けていく速度計に目をやりつつ、美神は通信機のチャンネルを切り替える。

 

「こちらGS美神令子、オカG、応答願える?」

 

『――…ジッ―はい、こちらオカルトGメン。感度良好です』

 

 小さな空電の後、女性オペレーターの声が小型の機械から流れ出した。

 

 同時に声だけではなく背後の慌しい気配も伝わってきた。

 

 ガタガタと椅子を動かす音や、引っ切り無しに鳴り響くコール音、時折混じる現状報告の声と、新人らしい若い女性の泣き言混じりの愚痴。

 

 なかなかに修羅場と化しているオカルトGメンの司令室である。

 

 応答してくれたオペレーターの声が落ち着いている事に安堵を覚えながら、美神は視線を前に固定したままで通話ボタンを押し込んだ。

 

「そっちに私のママ――美神美智恵が行ったんだけど、着いてる?」

 

「あ、後私を――氷室キヌを途中まで送ってくれた人たちはもう出発されましたか?」

 

 ひょい、と顔を美神の手元に伸ばして問い掛けたおキヌの声に、オペレーターは僅かに柔らかさを交えつつ答えた。

 

『まず、美神さんご夫妻ですが、既に到着されて、今は六道家当主の方と話されています。美神令子様に伝言が一つ、よろしいですか?』

 

「お願い」

 

 かさりと小さく紙の擦れ合う音が混じった。

 

 手元を探ってメモ用紙を取り出したらしいオペレーターは、こほん、と一つ間を置いて、少々棒読みでそれを告げる。

 

『「準備はOK、もうすぐ開始。PS――」』

 

 そこで暫し戸惑ったような気配が伝わってきた。

 

『失礼しました。PS、お嫁に行く前に傷物になるような無茶はしないこと。ハンカチ持った? ティッシュは? 後――』

 

「もう良いです」

 

 疲れたようにオペレーターの声を断ち切った美神はがくりと頭を落とし、ついでにトレーラーの速度も僅かに落ちた。

 

『この後400字程続きがありますけど?』

 

「御免なさい勘弁してくださいってか何でいきなり恥さらしてるのよママーッ!」

 

 怒号と共に限界まで踏み込まれたアクセルに答えるように、トレーラーは一瞬動きを鈍らせ一気に加速する。

 

 後ろからなにやら転がるような音と、羽ばたきの音、そして少女と男女の悲鳴と苦情が聞こえたが、美神は全てスルーした。

 

 無線機の向こうから何か微笑ましいものでも見た後のような雰囲気が伝わってくるのが辛い美神である。

 

 その怒りと言うか羞恥ゆえの八つ当たりというか、ともかくなんだか危険な雰囲気を発する美神の前をするりと細い手が擦り抜け、今にも噛み砕かれそうになっていた無線機をおキヌが受け取った。

 

「あの、隊員の方たちは?」

 

『ああ、すいません。彼らなら先程装備と補給を持って出発しました。氷室さんに伝言です。「すぐに行くから頑張れ」と』

 

 一瞬虚を突かれて目を軽く見開いたおキヌは、小さく微笑んで感謝を伝える。

 

 そのまま無線機を元のように引っ掛け、良し、と小さく拳を握る。

 

 その隣でぶちぶちと呟きながら、それでもどこか満更でも無さそうに父母への愚痴を口ずさんでいる美神をちょっとだけ羨ましげに見て、おキヌはシートに身を置き直した。

 

 途端、置いた無線機から女性の怒号が二人に響く。

 

『ちょっと! 折角頑張って塗装したのにいきなり傷付いちゃったじゃない!』

 

 瞬間、八つ当たり気味の美神の声が無線機に向かって投げかけられる。

 

「煩いわねっ! どうせこれから沢山付く予定でしょうが!」

 

『何でこの子達の活躍の場に着く前からそうなってんのよっ!』

 

「これ以上騒ぐなら放り出すわよっ!」

 

『そもそもあんたがジャックしたんでしょうがっ!!』

 

 美神と後部の貨物と一緒の女性の会話を聞いたおキヌは一瞬硬直し、ちょっと拗ねたように頬を膨らませた。

 

 喧々囂々と響く売り言葉に買い言葉を聞き流しながら、彼女はそっとそれを握る。

 

 躊躇う事無く全力で引いた。

 

 サイドブレーキを引っ張られたトレーラーは一瞬制御を失い、慌ててハンドルを切った美神の動きに合わせて広い道路の真ん中で大きくスピン。

 

 その動きが丁度一蹴して戻って来たタイミングにあわせてサイドブレーキをおキヌは繊細な力加減でスッと戻した。

 

 ロックされていたタイヤが再びアスファルトをしっかりと噛み、エンジンのもたらすエネルギーを余す事無く全て伝える。

 

 二、三度大きく車体を傾け、それでも何とかバランスを取り戻したトレーラーは再び真っ直ぐに走行し始めた。

 

「おき、おき、おキヌちゃんっ?!」

 

「…喧嘩しないで急ぎましょうよ、美神さん」

 

 バクバクと激しく鼓動を打つ心臓を押さえながら横を向いた美神の目に、優しく微笑むおキヌの顔が写りこむ。

 

 よく見るとその額には井桁マークが浮かんでいた。

 

 記憶を取り戻した時に見せたドライビングテクニックの片鱗を見せ、静かに怒る少女の笑顔を見た美神は、何度かかくかくと首を上下に振った後、今見た物を忘れる為にかぷるぷると今度は左右に振った。

 

 ゆっくりとアクセルを踏み込み、車体を前へと蹴り出して行く。

 

 ヘッドライトが街灯の灯りと交錯し、アスファルトの路面を照らし出す。

 

 そして、やがて道の先に切り取られたような黒い地面が見え始めた頃。

 

 ガリガリとノイズを走らせ、無線機が凛とした声を放った。

 

『こちら、たった今臨時特別作戦参謀に就任した美神美智恵よ。皆、聞こえているかしら?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っだーっ! 切りがねぇっ!」

 

 あちこち煤だらけの雪之丞が叫び、足元に転がるテレサの一体を路地裏に運んでいく。

 

 テレサの身体にはどこから拾ってきた物か、太いワイヤーが複雑に絡み合いながら巻き付いていて、その関節を完全に拘束していた。

 

 二体のテレサを担ぎ上げた雪之丞の隣をその背にテレサを乗せられた陰念が通り過ぎる。

 

 アスファルトと爪の接触音をテンポ良く響かせながら、狼は身体を揺さぶり路地裏の一角に彼女を落とした。

 

  その瞬間、まるで抗議するように落とされたテレサの足が跳ね上がろうとし、だがワイヤーが引っかかって果たせない。

 

 それどころか、引っ張られたワイヤーがあちらこちらに食い込み締め上げ、あっという間に更に拘束の度合いが増す始末。

 

 程度の違いはあれども目を覚ますと一頻り抵抗したらしく、転がるテレサたちは漏れなく一人サブミッション状態である。

 

 他の共通項はといえば、残らずその通信用アンテナを折られ、猿轡を噛まされ、武器が出てくる部分にはしっかりとワイヤーの一部が乗っている事ぐらいであろうか。

 

「…勘九郎の奴、何処で覚えてくるんだろうな、こう言うの」

 

「わふ」

 

 それよりも用途の方が気になる、と言った風情の陰念である。

 

「と、早く戻んねぇとどやされッぞ」

 

 そう言いながらも其処に倒れて動けなくなっているテレサ達のアンテナを確認し、雪之丞と陰念は踵を返す。

 

 二人同時にビルの側面を蹴り、こそこそとベランダに隠れながら、打ち合わせどおりの場所に移動した。

 

 目に入るのは更に資材置き場からでも調達してきたらしい大量のワイヤーと、更に追加で転がっている2体のテレサ。

 

 溜め息混じりに目を回している彼女達を担ぎ上げ、雪之丞は陰念だけでも勘九郎の方に回す事に決めた。

 

 意味は無いかもしれないが、少しくらいはこっちにも相手を回してくれ、と言う伝言と――かなり本気で、出来たら対抗策を考えてくれと言い残し。

 

 狼にどうやって伝言を伝えれば良いのかという疑問を口に浮かばせる前に、ビルの壁面を蹴りながら去って行った。

 

 呆れを満面に浮かべつつ、匂いを探して暗闇にダイヴ。

 

 落ちていく途中で風の中に嗅ぎ取った勘九郎の匂いの方角に身体を向け、窓ガラスを大きく揺らして大跳躍。

 

 隣のビルの屋上に着地し、そのまま勢い良く駆けて行く。

 

 と、目指す方角から悲鳴が響いた。

 

 悲鳴が切れる前に其処に到着し、再び壁を蹴りながら降りていく。

 

 着地と同時に目に入ったのはビルのエントランスで憤然としながらテレサにワイヤーを巻きつけていく勘九郎。

 

 傍から見ればどちらが悪いのかわかりゃぁしないその光景にちょっと引きつつ、陰念はゆっくりと近付いていった。

 

「ったくもう! 可愛い男の子ならともかく、何で見た目だけとは言え女の子相手にこんなことやらなきゃいけない訳? テンション上がらないわねー」

 

 ぶつくさと言っている内容は努めて無視。

 

 精神衛生上非常によろしくないからだ。

 

「ガウッ」

 

「アラ丁度良い所に。この子もお願いね」

 

 詰まらなさ下にそう言い残し、魔装術に身を包んだ巨漢の体躯は酷くあっさりと闇の中に溶け込んでいった。

 

 ふと、陰念の視線がビルのエントランスに張り出した部分に移動する。

 

 殆ど明かりのない暗闇の中でも、彼の目は「それ」をしっかりと見つけ出していた。

 

 その天井部分に残されている、何故か疎らな着弾の痕と、その中心に存在する――手足の指がめり込んだ跡。

 

 おそらく、この天井部分に逆さまに四肢で張り付き、下を通ったテレサがそれを見つけて発砲。

 

 しかし余りにもインパクトのあるその光景に動揺したところを一気に捕獲、と言う事だろう。

 

 が、その光景を思い浮かべた陰念は、敵ながら増々妖怪じみて来た同門のオカマに身震いを覚え、テレサに少々同情めいた物を感じてしまう。

 

 突然の訳の分からない就任と、しかし知った人の声と無茶苦茶な内容に一人戦場で頭を抱えた西条の耳にその言葉が飛び込んだ。

 

 反射的に腰を落とし、命令に従った西条の姿を見て周囲の隊員達がそれに吊られた。

 

 紡錘型の人類陣営の中心から広がったその光景は、瞬く間に外縁部へと到達する。

 

 身構えた西条が何も起こらない事に疑念を抱き、隊員達が胡乱げな視線を彼に向けたその瞬間だった。

 

 爆発とも思えるような風が、戦場を駆け抜けた。

 

 一生物の思い出(トラウマ)となったであろうその想像を打ち消しつつ、陰念はとっとと退散する事にしたのだった。

 

 ワイヤーの端をくわえ、反動をつけてテレサを宙に投げ上げる。

 

 その体が丁度一番上まで上がった瞬間に自分の背を滑り込ませ、そのまま一気に道路に抜けた。

 

 どこかの道路から悲鳴が響く。

 

 同時に発砲音と閃光の瞬き。

 

 しかし、断ち切られたように途絶えたそれに黙祷を捧げ、陰念は周囲を警戒しながら反対側の路地に飛び込んだ。

 

 直後、狼の姿の消えた道路を、猛烈な強風が駆け抜ける。

 

 枯葉の多い街路樹を揺らし、街灯さえも大きく弛ませ風は瞬時に広がっていく。

 

 まるで、何かを告げるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てーんちょー。この車、鍵付いてますよー」

 

 コンコン、と軽くフロントガラスを叩いて青年が男を呼んだ。

 

 4人乗りのスポーツカー、しかもかなり高級そうなそれのドアを開け、男性は中を探っていく。

 

 と、青年の服の裾を掴む手があった。

 

「犯罪は駄目だっ! そんな子に育てた覚えは無いぞっ!」

 

「…そりゃまぁ姉さんに育てられた覚えは無いけど」

 

「――っ?! …そうか、もう私は要らないんだな」

 

 なんでそうなるのか、と俯いた女性に向かってぶんぶか手を振り振り必死にフォローを図る青年の背に、シートに座っているお陰で見えた女性のほんのり嬉しそうに弧を描いた口元を確認してから、ハンドルに大きな溜め息をぶつけた。

 

 徐々にドツボに嵌まっていく哀れな青年に、かっての己の姿を見てしまう。

 

 ――昔の俺を今の奴らに当て嵌めるようになった、か。

 

俺も年だな、と何となく首を竦めてキーを捻ろうとした男性の左手に、何か固いものがぶつかった。

 

暗い所為でよく分からないので、幾つか在るうちの一つを持ち上げ、窓ガラス越しの光に照らし出す。

 

 視認した瞬間、迷わずそれを放り投げ、路上で真っ赤になっている女性と、未だに何を言っているのか自分で把握していない青年の腕を掴んで駆け出した。

 

「ちょ、ちょっと店長! どーしたんですかっ?! 緊急事態なんだから使っちゃいましょーよっ!」

 

「そうだぞ。もう少しで言質が取れたのに」

 

 噛み合っていない二人の言葉を右から左へ聞き流し、とりあえず全力で駆けて行く。

 

「ったくお前は馬鹿かっ?! 鍵は付いてるけどガス欠な上に、なんで銃だのボウガンだのが山盛りになってる車を一々見つけるんだっ?!」

 

「…893か?」

 

「や、首突っ込まない方が良いでしょ。だからセルフかガソリンスタンドまでバン押していった方が良いって言ったのになぁ」

 

 離れて行くその背を押すように、遥か遠くから砂塵混じりの風が吹きつけた。

 

『突然ですが命令です。――全員、対ショック姿勢っ!』

 

 身を起こした物や指示に従っていなかった者達がすっころび、森の主達が荒れ狂う狂風に耐える中、西条はそれを発見する。

 

「…何がなんだかだけど、相変わらず無茶苦茶だ…」

 

 呆然と上を見上げる西条。

 

 その先にあったのは、紅。

 

 天蓋から突き出していた何かと、それに空いていた穴から吹き出る、真っ赤な爆炎だった。

 


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