月に吼える   作:maisen

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あけましておめでとうございます( ´・ω・`)


第拾弐話 『きっと貴方は知らないけれど』

 

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 月に吼える 第三部 

 

 

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 巨狼の爪が繰り出す八連の斬撃が、避ける人狼の群抜けて焼けた土を抉り裂いた。

 

 素早く左右にバラけて回避し、後方に控えたマリアが長銃を構えて牽制の一射。

 

 斬撃が生み出した土埃に紛れて放たれた弾丸は、閃光弾の光が浮かばせる砂の粒子を突き破り、巨狼の眉間に着弾する。 

 

 僅かに体勢を崩したフェンリルに対し、時間差を付けながら、或いは全く同時に襲い掛かる獣人達。

 

 だが、その牙は体毛を散らし、僅かに赤い液体を流させながらもそれ以上は続かない。

 

 轟咆。

 

 空間ごと振動させたそれは大地を割り、生み出された衝撃は体に纏わり付く獣人達を弾き飛ばす。

 

 だが、距離が離れていた故にその光景を見ていたマリアは、僅かに空いた時間にいとも巨狼の傷が容易く閉じていく光景を眉を潜めて観察しつつ、己の身長を超える砲身を持った巨大な兵器のレバーを引いた。

 

 重厚な音を立てて弾き出された弾層を巨狼に向かって蹴り飛ばし、新たな弾層を格納空間から引きずり出す。

 

 叩き付けるように押し込み、コッキング、フェンリルの眼前に舞う弾層に筒先を向け、トリガーを引いた。

 

 着弾。

 

 弾層の中に残されていた数発の弾丸が炸裂し、その破片を撒き散らす。 

 

 鼓膜を揺さぶる大音を受け、更に数発を打ち込んだ。

 

「――効果・無し。緊急回避・実行」

 

 斜め後ろへの跳躍とともにブースターを全開した直後、彼女が先程まで立っていた場所が、真上から降ってきた大質量の前足に踏み砕かれた。

 

 空中で身を捩り、着地のまま此方を見失った巨狼に銃身を向け、零距離からの接射。

 

『ガッ!!』

 

 だが、それは当たる事は無く敵意に対して本能のままに繰り出された一撃に、長銃は抗する暇も与えられずに二つに斬り折られ吹き飛んだ。

 

「――っ! エルボー・バズーカ!」

 

 追撃に繰り出された爪に向かって突き出された腕が自ら半ばから折れる。

 

 現われたのは虚ろな丸い空隙と、その奥に身を潜める鋼の砲弾。

 

 白煙を噴出しながら発射されたそれは、狙いそのままに爪に切り裂かれ、爆発を起こして衝撃を撒き散らす。

 

 その一瞬の隙間に稼いだ距離は、凶暴な悪意が僅かにコートの裾を掠めるのみに被害を留める。

 

 瞬間、飛び上がったマリアの真後ろから足元を掠めて巨大な炎の塊が巨狼の顔面を飲み込んだ。

 

 鼻先に熱量を浴びせられたフェンリルは、顔を左右に振りたてそれを散らし、だが爪牙にかからぬ距離まで引いたマリアを見つけ、苛立たしげに唸り声を上げる。

 

 得意げな視線を向けてくる狐の少女の頭を微笑みながら撫で、照れ臭げにそっぽを向いたのを視界の隅に引っ掛けながら、再び格納空間に手を突っ込むマリア。

 

 其処から今度は8本の銃身を固めた見るからに物騒な兵器を引っ張り出したマリアの耳カバーから、細いアンテナが一本伸びた。

 

「定時報告。こちら・マリア。只今・フェンリルと・戦闘継続中。一切の支障・無し」

 

 振った反動で音を立てて元の位置に戻った腕で高速回転を始めた銃身の上に備わったグリップをホールドし、反動に備えて重心を落とす。

 

「――ノー・プロブレム」

 

 閃光が豪速で敵を乱打した。

 

 

 

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 第拾弐話 『きっと貴方は知らないけれど』

 

 

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「母から・定時連絡・入りました」

 

「なんと言っておる?」

 

「フェンリルと・交戦中。ですが・ノー・プロブレム・と」

 

「ほう」

 

 通路の影から身を起こし、楽しげに呟いたカオスはニヤニヤとした笑みを浮かべつつ周囲を視線で探った。

 

 視界には遥か先まで伸びる暗い通路と、静かに佇む4人の少女達。

 

 その内の一人、シータの視線が跳ね上がり、何かを見つけたように背後を振り向く。

 

 言葉を出さずに指を3本立て、その手を通路の向こうからこちらに向けてすばやく振った。

 

 カオス達はその行動の意味を聞き返す事も無く、すぐさま先ほどまで隠れていた通路の窪みに身を潜めると同時、カオスが纏っていたマントがはためきその姿を覆い隠す。

 

 表面の模様が黒一色から渦巻くような動きを見せたかと思えば、次の瞬間には窪みの横に続いていく通路の表面と同化する。

 

 息を潜め、静かに気配を殺す老人と少女たちの耳に、速いテンポの足音が聞え始めた頃、そのマントの表面と通路の区別は完全につかなくなっていた。

 

「――アシュ様の指示が出たのね?」

 

「ええ。0ナンバーの起動指令。魔体用のコンデンサーからエネルギー回しても構わないから準備が出来次第降ろせ、だって」

 

「…大丈夫なの?」

 

 こつん、と軽い音を立てて足音が止まる。

 

 それがカオス達の潜む場所の目の前だったのは、カオスにとっての不幸であった。

 

 センサーに引っかからないように、と呼吸を止め、限界まで反応を拾われるような要素を削り取っていた彼の顔は、そろそろ赤く染まり始めている。

 

 心配そうに見上げる少女達の視線に構う間もなく、彼はひたすら我慢の二文字。

 

 老体には堪える状況である。

 

「何がよ」

 

「そりゃあ神魔族の動きは土地神くらいしかないけどさー。あれは切り札なんでしょ?」

 

「…ま、この時点で動きがないって事は、動けないって考えるのが普通じゃない」

 

 真っ赤になった顔が、ぷるぷると震え始めている。

 

 少女達もおろおろしたり外のテレサ達を力ずくでどーにかする事を考え始めたりと、知らない間に足を止めた通路のテレサ達にもピンチが迫っていた。

 

 そうしている間にもカオスの顔色はどんどんと切羽詰り、我慢が限界の二文字に則られ始めている。

 

 彼にも分かっている。

 

 いかにも廉価品と言った感じの埴輪達ならともかく、薄いマント一枚越しに存在する彼女達を警報も出せない内に仕留めるのは、不可能だと。

 

 警報を出されてしまえば不慣れな敵地、窮地に陥るのはカオス達。

 

 だが、赤く染まり始めた視界とぎちぎちと痛む脳味噌が、酸素が欲しいと大声で。

 

 そして、いよいよ我慢できなくなったカオスが、酸素を求めて大きく口を開き――。

 

 だが、背後から伸びた二本の手で口と鼻を塞がれた。

 

 驚愕に目を見開きながら振り向くカオス。

 

 すまなさそうに微笑むデルタと目があった。

 

 彼女の合図でアルファとシータが両手を押さえ、ベータが最低出力の結界で素早くマントを固定する。

 

「私の知ったことじゃないわ。言われたままに動いてりゃいーのよ」

 

 カオスの脳裏にエマージェンシーが鳴り響く。

 

 視界が暗くなってきた。

 

 そして何か上から光と共に階段が降りてきた!

 

「…それもそーね」

 

 テレサ達の会話はそこで終わり、足音は再び軽いテンポを刻みながら、やがて通路の向こうへと消えていった。

 

 暫し沈黙が通路に満ち、その壁に突然現れた裂け目から顔を出したシータがきょろきょろと辺りを見回し合図を出す。

 

 途端、どさりと土気色の顔をしたカオスがマントに捕まるようにして倒れてくる。

 

 それを慌てて両脇から受け止め、その首筋に手を当てたベータが酷く切羽詰まった表情で他の3人を見渡した。

 

 答えたのはアルファ。

 

 ずい、と進み出て、その手にごつい機械を呼び出し、二股に分かれたその先端をカオスの胸の辺りに押し当てる。

 

「目覚まし・装置。スイッチ・オン」

 

 通路に青白い閃光と断末魔が木霊した。

 

 数分後。

 

「…ごほっ」

 

「良かった。目が・覚めた」

 

 半分開いた口から煙を吐き出し、顔中真っ黒になったカオスが誇らしげに胸を張る少女の頭を呆けたように軽く撫で、周囲をきょろきょろ見回した。

 

 差し出されたハンカチで顔を拭い、よっこらしょ、と声を出しながらかくかく震える膝を押さえて立ち上がる。

 

「…はて? 何があったのかのぉ?」

 

「何も・ありませんでした。少々・お疲れなのでは?」

 

 さらりと全く陰りの見られない笑顔で嘘を付くデルタ。

 

 ひたすら首を傾げ、いきなり飛んだ記憶をがりがりと頭を掻きながら探るも、酸欠のせいかはたまた電撃の副作用か、先程何が起こったのかは思い出せなかった。

 

「急ぎましょう。早く・目的を」

 

「お、おお! そーじゃったの! 行くぞお前達!」

 

「イエス・ドクター・カオス」

 

 答えたのはデルタだけ。

 

 後の三人は気まずそうに視線を逸らしていたり。

 

 意気揚揚と数歩歩き、カオスはそこで立ち止まって顎に手をあてる。

 

 ふと、脳裏に浮かんだ疑問が口をついて出た。

 

「そー言えばの、マリアは大丈夫だと思うか?」

 

「ノー・プロブレム。母は・張り切っていました。オトウサンに・良い所を・見せる・と」

 

 背中側から聞こえた言葉の意味を理解すると同時に、カオスの動きが一瞬止まり、直後僅かに早足で歩き出す。

 

 ぽりぽりと頭を掻く様は、どこか気恥ずかしそうにも見えた。

 

「…照れてる?」

 

「照れてる」

 

 ポニーテールとツインテールが小さく呟いた言葉に、前を行くカオスの歩みが更に加速。

 

 まるで顔を見られることを拒否するようなその態度が、全てを物語っていると言えなくも無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、俺は何時になったら出られるんだよ?」

 

『さぁな。ま、後少し待っとれ』

 

「さっきからそればっかじゃねーか!」

 

 

「――?」

 

 色々と不幸な勘違いで幸福な思いを味わったカオスは、それ程離れた所までは進んでいなかった。

 

 が、その歩みは止まり、判断に困ると言った風に顎に手を当て考え込んでいる。

 

 後から駆け寄ってきた二人に、カオスの直ぐ後ろに付いていた二人は振り返り、困ったような視線を向けてきた。

 

 訝しげにカオスの傍らに歩み寄り、その視線の先を辿ってみる。

 

 十数メートルほど先に、左右に分かれた通路が静かに暗闇に沈んでいるが、特に変わった様子は無い。

 

「…ドクター・カオス?」

 

「ふむ」

 

 掛けられた声に答えたと言う訳でもないだろうが、零れた声には何かを決めた色がある。

 

 にやりと不敵に笑って、老人は迷う事無く左の道へ。

 

「お前達、姫の魂の場所は把握しているな?」

 

「イエス・ドクター・カオス。詳細な位置は・不明ですが・前方に居る事は・間違い無いかと」

 

「直進できない以上右も左も一緒じゃな。ならば興味をそそられる方向に行くとするか」

 

 そう告げて、角を曲がった。

 

 今度は、先程カオスが足を止めた理由が少女達にもはっきりと見えた。

 

 真っ直ぐに伸びる通路の中ほど。

 

 右に折れた通路の角を、小さな影がするりとその先に駆け去っていったのだ。

 

 その視線は、確かにカオスと少女達を捕えていた。

 

 しかし、周囲に警報が鳴り響く事も無く、埴輪兵やテレサ達が大挙して集まってくる様子も無い。

 

 最もセンサー系統が充実しているシータは、探査可能範囲内に居るのはその影だけと補足する。

 

 また、その影も特に攻撃する様子も見せず、その行動は、まるで。

 

「…道案内かのぉ」

 

 呟き、カオスは再び歩みを進める。

 

 通路の角からひょこりと頭を出せば、それを確認したように通路の先で待っていた影が、再び曲がり角を曲がって姿を消した。

 

 後に残されたのは、軽い小さな足音と、その後を付いて行く光る蝶の燐粉ぐらい。

 

 二股に分かれた大きめの帽子を被ったその少女は、曲がり角の先からこちらを覗いて手を動かす。

 

 こちらへ来いと、手招きで。

 

 導かれるままに進んでいけば、先程まで偶に出会っていた埴輪兵やテレサに会う事も無くスムーズに先へと足が行く。

 

 時折、カオス達の前で蝶が舞い、彼らの歩みを何度か押し留める幕が在った物の、気付けば小さな扉の前に立っていた。

 

 周囲に人影も無く、その扉を開くスイッチと思しき所に、蝶が静かに羽根を開いたり閉じたりしながら止まっている。

 

 暫しそれを観察した後、カオスは逡巡する事無くそのスイッチを押し込んだ。

 

 音も無く扉が左右にスライドする。

 

 ――中の空間は思ったよりも広く、乱雑であった。

 

 薄ぼんやりと天井からの僅かな光で照らされた空間には――この兵鬼自体が作られたばかりなのだから当然ではあるのだが――埃が舞っている様子も無い。

 

 ごちゃごちゃと中身も分からない箱が積み上げられ、その傍らには脈絡も無く銃弾がケースに詰まって放置されている。

 

 かと思えば何かの部品らしいネジやケーブル、開封された後の箱、そして使い道の分からない電池のような物が散乱していた。

 

「倉庫、かの?」

 

 独白に答えるように、その空間をサーチしていたシータが何かの反応を拾い上げた。

 

「ドクター・カオス。この奥に・魔力反応・検出!」

 

「…まぁ今更どーこーせんじゃろ。行くぞ」

 

 一瞬少女達の間に走った緊張も何処吹く風。

 

 カオスは飄々と箱の間に身体を滑り込ませる。

 

 素早く周囲を固めるアルファ達を気にした様子も無く、老人はその身をあっさりとその空間の最奥まで潜り込ませ、そして微妙に眉を顰めた。

 

 其処に居たのは、知らない顔が二つと知っているけど色々と複雑な顔が一つ。

 

 土偶と此処まで案内した少女と、薄紅い球の中に閉じ込められた、小さな人影。

 

「よ、爺さん久し振り」

 

「…なんでお前が此処に――あー、捕まっておったの、そー言えば」

 

 心の奥はともかく心底どーでも良さげに答えたカオスを前に、座布団の上に置かれた小さな球体の中で忠夫は血管を浮かばせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どーぞでちゅ」

 

「お、こりゃすまんの――ぶはっ?! 砂糖水っ?!」

 

「本場の和三盆と五億年物の氷結地獄の氷を溶かした砂糖水でちゅ。蜂蜜でも良かったんでちゅけど、あれは私のでちゅからルシオラちゃんの取って置きで我慢してくだちゃい」

 

「後でルシオラに折檻されても知らんからなー。うあ待て待て揺らすなお前らっ!」

 

「…えい」

 

 ルシオラがこっそり隠していた物を使い切り、その結果何が起こるのかを把握して蒼褪めたパピリオの頬を掠め、紅い球が凄まじい勢いで飛んでった。

 

 ばいん、と何とも言えない音を立てて跳ね返り、そのまま転がってアルファの足元へ。

 

 突然の凶行に目を回した忠夫の耳に、ジャキリと鋼が触れ合う音が響き渡った。

 

 振り仰げば、縮尺からすると己の頭と同じくらいの大きさの穴が、忠夫の眼前に薄い幕を一枚隔てて突き付けられている。

 

 止める暇も有らばこそ。

 

 狭い空間に、轟音と硝煙の匂いが広がった。

 

「――対結界弾・効果・ありません」

 

 吐き出された薬莢の転がる音を余所に、銃弾がぶつかる前と何ら変わらない――中身はともかく――紅い球を拾い上げ、アルファはカオスに差し出した。

 

 口の中の甘さが漸く引いたカオスはそれを受け取り、色んな方向から見てみたり取り出したルーペで覗き込んだりと興味深々のようではある。

 

「…ヨコチマっ!? 生きてまちゅかっ!?」

 

「パ、パピ…俺はもうダメだ…。ルシオラに、ルシオラに伝えてくれっ…!」

 

 銃声に一時意識を飛ばされていたパピリオが、慌ててカオスの手から忠夫を奪い取る。

 

 中身はぷぴーと耳血を噴きつつ、胡乱な視線でパピリオに向かってふらふらと手を伸ばす。

 

 少女は背後の老人が向けてくる未練たらたらの視線を無視し、その手に紅い幕越しに触れた。

 

「何て、何て伝えれば良いんでちゅかっ?!」

 

「――嫁に来ないか、と」

 

 最後の気力を振り絞って伝えた言葉は、微かであっても確かに少女の鼓膜を揺らし。

 

「…えー?」

 

 しかし少女は不満そう。

 

「ヨコチマをお義兄ちゃんって呼ぶくらいならポチって呼びまちゅ」

 

 しっかり追撃した後、ぽい、と座布団の上に投げ捨てた。

 

「なんでじゃああああああっ! 何で俺じゃ駄目なんじゃああああ!」

 

「だってヨコチマ微妙にへたれでちゅ」

 

 何度も頷く老人一名。

 

 視線を逸らす少女が三名。

 

 どこか冷たい視線で見下ろす少女が一名。

 

 その反応を見回して、パピリオはそれ見た事かと言わんばかりに、小憎らしく肩を竦めて鼻を鳴らす。

 

「ドチクショーっ! 小姑が、小姑が俺達の仲を羨んでやがるっ!」

 

「だっ、誰が小姑でちゅかっ!」

 

 繰り出された爪先が、再び忠夫を宙にかち上げた。

 

 そんな一幕を半眼で見ていた土具羅は、自分の頭から伸びたコードの具合を調整しつつ、溜め息混じりに呟いた。

 

『…で、納得したか?』

 

「する訳無いでちゅっ!」

 

「ドリブルは、ドリブルは止めてーっ!」

 

 だだだだっと地面の掌の間で忠夫を高速で往復させつつ叫んだパピリオに、土具羅はもう一度大きな溜め息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ戯言はこれくらいにして、じゃ」

 

「俺の生死を一言で片付けんな」

 

「馬鹿はだまっとれ。今はお前に構っとる暇がない」

 

 けっ、といじけて背を向けた忠夫を素気無く切り捨て土具羅に向かう。

 

 壁に開けられた穴に覗く何本かの太いケーブルと、其処に取り付けられた細いコード。

 

 そしてその先端を吸盤で己の額にくっつけている土具羅の姿は、多少付属物がついてはいるものの何処からどう見ても土偶である。

 

『久しいな、ドクター・カオス』

 

「ワシにお前のような知り合いは居らんよ」

 

 訝しげに眉を潜めながらも、カオスは土具羅の言葉を一蹴した。

 

 それもその筈、土具羅とカオスに直接の面識は、無い。

 

 ああ、と膝を叩いた土具羅は、照れ臭げに突き出た口元を掻き、僅かに頭を下げた。

 

『すまんな。お前さんはそうでもこっちは知っておるもんでな』

 

「…芦、か?」

 

『相変わらず話が早くて助かる。その直属の部下、土具羅魔具羅だ。こっちは当時あの方が何やらかすか心配でちょくちょく覗いていたもんでなぁ』

 

 そう言って、土偶のような顔で器用に苦い表情を浮かべる土具羅に負けないくらいの渋面を作ったカオスは、呆れた様に肩を竦める。

 

「今回の首謀者の名前を聞けば分かるとも。あやつは隠すつもりがあったのかのぉ?」

 

『…当時から結構思いつきで行動してた節がある。適当に考えただけだと思うぞ』

 

 そう言って、ずず、と音を立てて湯飲みの中身を啜った。

 

 会話に置いてけぼりを食らった少女達が忠夫の閉じ込められた球で遊んでいるのを横目に見つつ、カオスは腕を組みなおす。

 

 静かに目を閉じ、暫し何かを考えるように沈思した後、ゆっくりとその瞳が開かれた。

 

「アレは、芦、か?」

 

『…知りたいのはこっちだが、創造主を疑う訳にもいかんでな』

 

「成る程」

 

 ちらり、と視線が未だに土具羅と壁に埋め込まれたケーブルを繋ぐコードに走る。

 

「で、分かったのかの?」

 

『推測は。だが証拠が無い。それを頼みたい。対価はお前の知りたがってる情報だ』

 

「引き受けた」

 

 迷う事無く承諾し、マントを翻し立ち上がる。

 

 安堵の吐息を付く土具羅に、にやりと笑いかけながら、カオスは視線で対価を欲した。

 

 すまん、と頭を下げた土具羅がコードを外しながら立ち上がり、先導するように先を行く。

 

『付いて来い。マリア姫の魂は、今はテレサタイプの内、ゼロナンバーと呼ばれる個体のうちに在る』

 

 ん? と疑問符を浮かべたカオスの足が止まる。

 

 いきなり動きを止めたカオスを訝しげに振り返った土具羅は、しきりに首を捻るヨーロッパの魔王の姿を目にして同じように立ち止まった。

 

 何度も何度も何かが咽の奥に引っかかって出て来ない、といった風情で気持ち悪そうにしているカオスではあったが、やがて諦めると頭を左右に振り、ふと浮かんだ疑問を問い掛けた。

 

「なんでまたそんな所に」

 

『…まあ、わしもあまり信用されてなかったっちゅー事だ。有り体に言えば、代理だよ、ワシの』

 

 やろうと思えば土木工事から老人介護までこなせるだけのスペックを持ったマリアとテレサ。

 

 しかしと言うかそれ故にと言うか、こと演算能力に於いては土具羅の方が格段に上である。

 

 戦闘から家事までこなせる汎用型と、一点集中の特化型との差異とでも言えばいいのだろうか。

 

 こと戦闘に主眼を置いた構築をされているテレサ達では、かの巨大な演算装置を処理するには必要とされるスペックに対して不足が大きすぎた。

 

 それを補う事のできる土具羅は、結果から見てのとおりに裏切り、その可能性さえも予測していたのだろう『アシュタロス』は、とどのつまり代役をしっかりと準備していたと言う事だった。

 

 メタソウルと言う不安定な物でなく、しっかと完成された『人の魂』による安定制御と、人の魂では抗えぬ拘束術式。

 

 それが、この兵鬼のデータバンクに残っていた。

 

「下衆いな」

 

『……』

 

「まぁそーやってここでいろいろ探ってる内に、たまたまパピリオが俺を見つけて連れてきてくれたのさっ!」

 

「あれは拾ったって言うんでちゅ」

 

 何時の間にこちらに来ていたのか、忠夫とパピリオが会話に割り込んだ。

 

 重く苦くなっていた空気が、意表を突かれた事と気楽な口調で僅かに軽くなる。

 

 別に狙った訳でもあるまいが、ともあれ自分の頭が大分熱くなっていた事を自覚したカオスは、大きく息を吸って、ゆっくりと落ち着けるように吐き出した。

 

「ベスパちゃんのお部屋に蜂蜜探しに行ったのに、なんでこんなのが居るのかと思って近づいたのが不幸の始まりでちた」

 

「うむ。いきなり握り潰されそうになるとは思わんかった!」

 

「…いっそ楽観だけでも吐き出しとけば良かったのぉ」

 

 何故か胸を張って高笑いを上げる少女とその頭の上に置かれている青年を見下ろしつつ、カオスは思いっきり溜め息を付いて見せた。

 

「ま、それは置いといて、だ」

 

 と、馬鹿笑いをしていた忠夫の表情が一変する。

 

 真剣になったと言うよりも、なんと言うか――悪巧みをする小悪党の顔になった。

 

 また碌でもない事を思いついたかと疑わしげに見てくるカオスと、きょとんと見上げてくるパピリオ、既にその話を聞いていたのかやれやれと肩を竦める土具羅、なんだなんだと近付いてきたアルファ達に手招きし、誰が他に居る訳でもないのに座り込んで顔がくっ付くほど至近距離で中腰になる。

 

「土具羅のおっさんが色々データを探してる所見てたんだけどさ…」

 

『おっさん言うな』

 

 スルーされて。

 

 ごにょごにょごにょにょ。

 

 語り終えて暫しの沈黙。

 

「――はぁ?」

 

 呆れたような声は、いや、心底呆れた声は、カオスの口から零れ出た。

 

「どうよ?」

 

 何故か自信満々に胸を張る忠夫に、呆れと戸惑いの入り混じった視線が収束する。

 

 始めは、カオスも「お前は何を言っているんだ」といった視線で胡乱下に見つめていたが、やおらその瞳に何かに気付いたような色が宿った。

 

 視線がアルファ達をなぞり、肩を竦める土具羅を通り、はてなマークを沢山出現させて首を捻っているパピリオの頭の上に戻ってくる。

 

「…正気か?」

 

「や、真正面から当たろうって方が正気か? っつー感じじゃん」

 

「そりゃまあそうだが」

 

 この巨大兵鬼の真下で行なわれている戦闘の様子は、マリアとその娘達を通じて彼の元へも届いている。

 

 だが、正直な所勝ち目は薄い――と言うより、殆ど無いと言うのがカオスの出した結論だった。

 

 魔神に魔獣にヨーロッパの魔王が数百年の最盛期に作り上げた最高傑作の大量放出。

 

 そして、顔を出すどころかその以前の地点で完全に押さえ込まれた神魔族の陣営。

 

 これに、いくら計算外の要素が組み合わさったとは言え、所詮人間を主力とする陣営ではジリ貧が良い所。

 

 むしろこれだけの時間支えられていると言う事こそが、カオスをして感嘆させしむるものがあるくらいである。

 

 

 それほど、絶望的なのだ。

 

 

「美神さんならなんか別の裏技思いつくだろーけど、だからって何もしなかったってばれたら殺されるだろうし」

 

 そう言って、何を思い出したのか身体を震わせた既に半殺しフラグは完璧に立っている事に気付いていない半人狼はともかくとして。

 

 彼が出した案は、確かに上手く行けば全部をひっくり返せるだけの可能性を秘めていた。

 

 だが。

 

「…無茶じゃろう。あやつがそれを放って置くとは思えん」

 

「ま、何とかなるって。美神さん達も下にいるんだろ?」

 

 千里眼も持たない、正確な情報を知る訳ではない。

 

 だが、その言葉は、何故か確信に満ちていて。

 

「…マリアに手伝ってもらえ。メタソウルの安定度も、無茶に対応できるだけの経験もあやつなら何とかなるじゃろう」

 

『良いのか?!』

 

 溜め息が大きく響いた。

 

「良いもクソもなかろう。確かにこのままでは先が見えとる。博打でしかないが、やらんよりはマシじゃ」

 

 例えマリア姫の魂を取り戻したとて、帰るべき世界が無ければなんの意味もありはしない。

 

 彼女の魂を助け、そして、彼の望みをかなえるには、それが最低条件なのだから。

 

「しくじってもフォローはせんぞ?」

 

「上等っ!」

 

 マントを翻し、呟きを残して歩き出したカオスの背を、無茶に挑む馬鹿の、何故だか楽しそうな声が叩いた。

 

 久し振りに己が老人である事を思い出し、何とはなしに苦笑いを浮かべたカオスが一歩を踏み出したその瞬間。

 

「――ドクター・カオスっ!!」

 

 シータの悲鳴地味た声が、その耳朶を打った。

 

「どうしたっ?!」

 

「マリア姫の・魂が・移動していますっ!」

 

「っ! 何処へじゃっ!」

 

「下・です!」

 

 その瞬間。カオスの脳裏に一つの会話が浮かび上がった。

 

『――アシュ様の指示が出たのね?』

 

『ええ。0ナンバーの起動指令。魔体用のコンデンサーからエネルギー回しても構わないから準備が出来次第降ろせ、だって』

 

 表情を緊の一字に埋められながら、その額に大きな汗が一つ浮かぶ。

 

 先程聞いた固有名詞が、何故この会話を思い出さなかったのかと奥歯を食いしばり、僅かな間、慙愧の念に囚われた。

 

 その背後で、他の3人に半眼で睨まれて冷や汗を垂らしながらあさっての方角を向いているアルファには気付かずに。

 

「――行くぞっ! 最早一刻の余裕も無い!」

 

「良し、なんか分からんが急ぐんだパピリオっ!」

 

「人の頭の上に乗ってる分際で騒ぐなでちゅっ!」

 

 そして、けたたましい足音に囲まれながら、本人さえも気付かぬワイルドカードは動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丁度その頃。

 

「わーっ! こっち来るなーっ!」

 

 大逆天号のブリッジは、テレサ達の悲鳴に包まれていた。

 

 その目の前のスクリーンに映し出される巨大な火花の乱舞が、凄まじい速度で接近しているからだった。

 

 祈るような言葉は聞こえる筈も無く、僅かな間を置いて巨大な振動がブリッジを揺らす。

 

 体勢を崩してスッ転ぶテレサ達を余所に、姉妹喧嘩は丁度背中のあたりに着弾したようである。

 

 ふらふらと頭を押さえながら立ち上がったテレサの一体が、その場所を映し出すカメラを操作。

 

 一瞬スクリーンがブラックアウト。

 

 ノイズが走り、その場面が映し出された。

 

『大体姉さんはねっ! いっつも自分勝手なのよっ! それになによアイツは! 男見る目無いんじゃない?!』

 

『ベスパには言われたくないわね! このファザコン! ファザコン!! ファザコン!!!』

 

『なっ?! ――悪いっ!? それの何が悪いのよっ?!』

 

『…開き直ったわね』

 

『…そっちこそ』

 

 ごりごりと音を立てて互いの額が擦れあう。

 

 やおら伸びた手が互いのほっぺたを摘んで引いた。

 

『くにょ! くにょ! こにょひんひゅー!』

 

『にゃににょー! ひょっとひゅらいひょひょいいひゃらってひひゃるんひゃないひゃよ!!』

 

 すったもんだすったもんだ。

 

 やがてゴロゴロと転がりながら、たまたま開いていたハッチの中に落ちて行った。

 

 ごつんとかなり痛そうな音がしたが、画面の向こうからは未だに互いを罵り合う声が聞こえてくる。

 

 何とも言えない空気がブリッジを満たし、やがて呆然とその映像を映し出す操作をしたテレサがかたかたと震えながら呟いた。

 

「…何て…低レベル…」

 

「…どうしようか」

 

「…あんた止めてきなさいよ」

 

「…さっきまでの見てたでしょ? 無理に決まってるじゃない」

 

「…見なかった事にしよっか」

 

 静かな空気が流れた。そのまま、何事も無かったかのように、全員無言のまま元の場所に戻ったのだった。

 


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