月に吼える   作:maisen

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第拾壱話 『だけど貴方に届かない』

「ガルッ!」

 

「クソっ、ちょこまかと鬱陶しいっ!!」

 

 深夜のビル街。

 

 その間隙を駆け巡る、幾つかの影。 

 

 一方は女性型の機械人形であり、今はアシュタロスの尖兵であるテレサシリーズが数体。

 

 もう一方は、たった一つの影。

 

 人でなく、獣の姿を取る、誰にも知られず戦う者。

 

 陰念とテレサ達は、僅かな街灯の灯りと己の感覚を頼りに夜を走っていた。

 

 銃弾がアスファルトを削り、爆風がガラスの破片を舞い散らす。

 

 生き残った街の灯りを照り返す欠片が落ちる間にも交錯は再び繰り返され、時折その間を埋めるような狼の唸り声と風を切る音、そして硬質な何かを叩く音が断続的に響いていた。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 月に吼える 第三部 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「何処に行ったっ?!」

 

「センサーに反応っ! ――上?!」

 

 振り仰いだその視界に、ビルの外壁を削りながら駆け下りる狼の姿が写り込む。

 

 逃げるか迎撃するか、僅かな逡巡の後に突き出された腕に光る銃口は、その内から弾丸を吐き出す事無く蹴り飛ばされた。

 

 真上に向けた腕を落下速度に乗り切った前足の一振りで背中側に振られ、仰け反ったテレサの咽元に狼――”陰念”の顎が大きく開かれ噛みかかる。

 

 だが、周囲のテレサ達がそれを許さない。

 

 発砲された弾丸は、体勢を崩したテレサの装甲を僅かに削りつつ背後のビルを穿っていく。

 

 蹴り足一つでテレサの胴体を蹴り飛ばし、跳躍した陰念は慌てて弾丸を回避しながら再びビルの影へと駆け込んでいった。

 

 だが、彼の疲労と引き換えの攻勢にも関らず、与えた被害は極小以下。

 

「ちょっとっ! 表面に傷付いちゃったじゃないっ!」

 

「うっさいわねっ! その程度がどーしたってのよっ!」

 

「アイツに噛まれるより被害が大きいでしょっ?!」

 

 そう、いかに人狼と言えども今のままでは少々厄介な獣に過ぎない。

 

 幾度噛み付こうとも、何度爪に掛けようとも、元がタンパク質とカルシウムに過ぎない脆弱な武器ではテレサ達の複合装甲を貫くには足りないのだ。

 

 軽すぎる体躯と不足する膂力に臍を噛みつつ、マンションのベランダに身を潜めて苛立たしげに眼下を睨む。

 

 掠り傷だらけのテレサ達は、円陣を組んで周囲を警戒しながら、互いに文句を言い合っている。

 

 その動きに遅滞は全く見られず、陰念の労力が全くもって報われていないと言う事実だけがはっきりと示されていた。

 

 高所からの視線を向こうに向ければ、そこに在るのは一棟のビル。

 

 煌々と光が窓から溢れ、時折地下からトラックがけたたましく出入りするそれはオカルトGメンのオフィスである。

 

 数体のテレサ達は、戦闘開始直後に其処から発信される大量の電波を検知し、隠密行動を取りながら此処まで浸透してきた遊撃隊であった。

 

 護衛部隊から勝手に離れ、戦果をあげれば問題無いだろうと言う考えで統一された命令違反者の集団をそう言うのならば、だが。

 

 しかし、弾丸や霊符、様々な武装が蓄えられたそこを潰されれば、人類陣営はその補給を断たれ一気に窮地に陥る事は確実。

 

 それをたった一人で押し留めたのは、ポチ達と共にここまで駆けつけ、そして敵討ちに逸る彼らの中で比較的激昂していなかった陰念が、僅かな匂いの残滓を見つける事が出来たが故である。

 

「ハッ、ハッ、ハ――」

 

 しかし、分厚い装甲と遠距離攻撃能力を持った彼女達に対し、高速機動と爪牙の二つしか武器を持たない陰念は、八方塞りに陥っていた。

 

 生粋の人狼族であるならば、霊波刀を使ってもう少しマシな戦いが出来たのかもしれない。

 

 だが、その魂は人であった頃の残滓を多く残していて、霊波刀と言う霊能を持っていなかった彼はその使い方を知らない。

 

 だが、引かない。

 

 此処で引くくらいなら、こんな所まで来ていない。

 

 それなりに気に入っていたあの場所を、あの生き方に横槍を入れた者達に、そしてフェンリルとなって暴れた陰念をあっけらかんと受け入れた能天気な里の人狼達に、僅かなりとも恩を感じていた。

 

 柄ではない、とは思っていても、誰にも言わない彼の本音。

 

 苦笑いじみた溜め息を零し、漸く落ち着いた呼吸を潜めて眼下を窺う。

 

 其処には、未だにあたりをきょろきょろと警戒したままのテレサ達が――

 

「――見ぃーつけた」

 

 ごり、と首の後ろが音を立てた。

 

 首の後ろが万力のような力で締め上げられる。

 

 ゆっくりと持ち上げられた視界に、先程まで周囲を警戒していたはずのテレサ達が同じ顔で同じように嘲笑を浮かべているのが写り込んだ。

 

 反射的に暴れ出した四足が壁を叩き、ガラスを蹴破り、空調の室外機を叩き落す。

 

 それでも僅かに与えた反動は、鋼の腕に至極あっさりと捻じ伏せられた。

 

 周囲のビルやマンションのベランダや屋上で、何体かのテレサ達が勝ち誇った表情で笑っている。

 

 罠、と気付いたのは、細い指がゆっくりと咽に回った瞬間だった。

 

 元々匂いの少ない彼女達、そして疲労の溜まった陰念。

 

 始めから近くに潜んでいたのか、それとも息を整える間に回りこまれたのか。

 

「ガッ、グッ…!」

 

「少々お痛が過ぎたわね」

 

 視界の外、掴んだ腕のあたりで硬質な音が響く。

 

 せり出した銃口は冷たく光り、外しようも無い距離で陰念の後頭部に狙いを定めている。

 

 必死にもがいてもその拘束は小揺るぎもせず、爪牙も届く場所に無い。

 

 カチャリ、と安全装置の外れる音が聞こえた。

 

「これで、邪魔者も無くなった…!」

 

 心に押し寄せる絶望に抗いながら、それでも陰念は力の限り身を捩る。

 

 たった一人で戦い、柄にも無い事を思い、その結末がこれだと認めるわけにはいかない。

 

 そんな思いを意にも介さず、暗い笑みを浮かべたテレサは撃鉄を上げ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そりゃ困るな。そんなナリでも同門だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その背後から突き出された腕に銃口を捻じ切られ、強烈な衝撃を胴体部に真横から受けてマンションの一室の中へと吹き飛んでいった。

 

「――ガハッ、ゲハッッ!」

 

「おいおいなーにやってんだよ陰念。白龍道場の看板に泥を塗ってんじゃねーぞ?」

 

 忌々しくもほんの少し懐かしささえ覚える、聞き覚えのある声が耳を擽る。

 

 解放された気管で酸素を貪り、霞んだ目を声の主に向け、抗議の意思を篭めた視線を向けた。

 

 まぁ、全く意に介されなかった訳だが。

 

 硬質な鎧とも、悪役のような格好とも言える魔装術に身を包み、陰念を同門と呼ぶ若い男。

 

 小柄なその身にこと近接戦闘能力においてはトップクラスの力をもつGS――伊達雪之丞が、頭を掻きながら子供のような笑顔を浮かべて立っていた。

 

「いやしかしアレだな。本当に犬になってやがんだなー」

 

「ガウッ!」

 

 興味津々と言ったように顎に手をあてながらしげしげと此方を見回す元同門に、思わず抗議の声を上げる。

 

 助かったと言う気持ちと共に、だが腑に落ちない事もある。

 

「…はっはーん? 何で助けやがったとか考えてやがんな?」

 

 にたにたと露出した目で笑いながらあっさり図星を突いて来た雪之丞は、だがしかし確かに香港で魔族として敵対した筈の男。

 

 頭の中は強い奴と戦う事だけに閉められていると言っても過言ではないが、それを忘れるほど鳥頭でも無い、筈。

 

 そんな事を考えていたら、頭上からごっつい拳骨が振り下ろされた。

 

「ったく。どーしてうちの弟弟子どもはこうも手が掛かるのかしら」

 

「お、もう終わったのか?」

 

「当然よ。油断してたから不意打ちで纏めて潰してきたわ」

 

 何時の間にか、陰念の背後に立っていた勘九郎は手を軽くはたきながらそう告げた。

 

 雪之丞よりも洗練された魔装術に身を包み、兄弟子である彼は蹲って頭を抱えている陰念を見下ろし溜め息一つ。

 

「…あんたの事は横島君から聞いてるわよ。人狼の里で再教育中だし、一応それなりに少しは多分改心したと思えない事も無いから拳骨一発で許してやってくれって、ね」

 

 あの色呆け半人狼は後で絶対に噛んでやる、と決意を固めつつ身を起こす。

 

 呑気に雪之丞と話していた間にも、テレサ達をあっさり不意打ちとは言え片付けた勘九郎に半ば呆れめいた感情を抱きつつ、とりあえず足を動かし雪之丞の隣に。

 

「…ああ、間違い無く陰念だな」

 

「どー言う意味かしら?」

 

「お前が後ろに立ってちゃ安心できないだろーが」

 

「あらやだ。流石にそっちの趣味は――うふ」

 

 二人揃って盛大に引いた。

 

 ベランダから落ちそうなほど距離を取った二人に対し勘九郎は冗談よ、と告げてくるが、魂の底までこびり付いた恐怖は中々取れる物でもなく、その心の距離と共に広がるばかり。

 

「ま、目付きの悪さといいその態度といい、間違い無くあんたもあたしの弟弟子よ」

 

「…あいつにだきゃぁ言われたくねーよなぁ」

 

「…がぅ」

 

 お前にも言われたくは無いだろうけどな、と言う意味を篭めた言葉が何処まで通じたのか、結局誰にも分からなかったけれど。

 

 それでも、もう失ったと思っていた繋がりが、何時の間にか傍らにあった事が、小さな笑みを浮かばせた。

 

 瞬間、打ち合わせたわけでもなく全員がその場を飛び退いた。

 

 瞬きの間もおかずに先程まで居たマンションの外壁が砕け散る。

 

 穴だらけになった其処から、重々しい足音とガラスを踏み砕く音を従えて、脇腹に全力の拳を叩き込まれた筈のテレサが僅かによろめきながら出現した。

 

「…おいおい、一応手加減無しでぶち込んだ筈なんだけどな?」

 

「ったく。功夫が足りないんじゃないの…っ?!」

 

 弟弟子に呆れの多分に入り混じった視線を向けていた勘九郎の足元に火花が散る。

 

 慌てて飛び退き眼下を見下ろせば、其処には確かに勘九郎が叩き伏せた筈のテレサ達が身体のあちこちから火花を散らしながらも身を起こし、怒りに満ちた視線と銃口を向けている姿がある。

 

「…へー。功夫が足りないんじゃねーの、兄弟子さんよー」

 

「…ま、まぁ今回は不可抗力よね」

 

「グルルルル…」

 

「陰念っ! あなた今笑ったでしょっ?!」

 

 さて、と視線をあからさまに外して咽を逸らす。

 

 自然と零れるのは楽しさに満ちた咆哮だ。

 

 横目で見れば二人とも、笑いを堪えて同じように楽しげな視線を向けている。負ける気が、しない。

 

「さぁ、久し振りに、白龍道場門下生三人勢揃いよ」

 

「ちったぁ楽しませてくれよォッ!」

 

「アオオオオオオォォォォォォォォオオオンッ!!」

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

第拾壱話 『だけど貴方に届かない』

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「オラオラお前ら素人さんに負けんじゃねぇぞっ!」

 

 銃声と爆音の間を突き抜け、後方から響いたのは勇ましい怒声だった。

 

 何事かと振り向いた人々の目に、迷彩服を着込んだ大所帯が駆け込んでくるのが写り込む。

 

「あー、そちらが西条さんで?」

 

「あ、ああ。ICPO超常犯罪課、西条ですが…」

 

 戸惑った西条の目の前で少々崩れた敬礼をした大柄な男性は、周囲の状況に似つかわしくないほどのふてぶてしい笑みを浮かべた。

 

「本来ならば近隣の部隊総出で、と言いたい所ですが、手隙の部隊を連れてまいりましたっ! 生憎こちらには対霊作戦のノウハウがありませんので、現時点を持ってそちらの指揮下に入るよう命令を受けてまいりました!」

 

「…りょ、了解しました」

 

 やや呆けたままの西条にもう一度笑顔を見せ、男性は銃を構えて前線へと駆けて行く。

 

 は、と意識を取り戻し、男性が駆けて行った方を見た西条の目には、もうその背中は写らない。

 

 しかし、此方の陣営から放たれる火線の量が倍増し、前進の速度が増したのか周囲を包み込んでいた爆音が僅かに小さくなっている事だけは事実である。

 

 土埃に汚れた頬を解れたスーツの袖で拭い、手に持った拳銃に新しい弾装を叩き込む。

 

 そして一歩を踏み出した西条の耳に、僅かにざわめく周囲の空気が届いた。

 

 もどかしいほどにゆっくりと前進を続ける人類陣営の中に、何人か空を見上げて呆然としている者が居た。

 

 訝しげにその視線を追った西条の目に、その原因が見えた。

 

 天蓋の天頂部に開いた傷口のような裂け目、そこからはみ出したナニカが割れ、小さな物体を次々に吐き出している。

 

 それは戦場となっているクレーターに満遍なく降り注ぎ、しかし何時尽きるとも判らぬほどに大量に撒き散らされていた。

 

「…?」

 

 その内の一個が、丁度西条の頭上に来たその瞬間、彼が上を見上げていたのは幸運以外の何物でもなかったのだろう。

 

 それは、とてもシンプルな外観を持っていた。

 

 一言で言うならば、埴輪。

 

「なんだーっ?!」

 

『ポー』

 

 間抜けな声を上げながら、それは飛び退いた西条の眼前にめり込んだ。

 

 見た目からはどう見ても耐久性皆無にしか見えないそれは、飛び降り自殺としか思えないほど高速で着地しながらも、奇跡以外に言いようが無いほどに原形を保ったままむくりと起き上がる。

 

 その適当に開けたとしか思えない、目じゃないかなー、と感じる場所が西条を向いた。

 

 彼我の距離は3Mほど。

 

 睨み合う埴輪と成人男性。

 

 シュールな空気が数秒ほど続き、やがてその埴輪は、

 

『ポッポー』

 

 と、やはり気の抜けるような声を出しながら、何処へとも無く去って行った。

 

「…な、何だったんだ?」

 

 疑問には直ぐに答えが来た。

 

「――西条君っ!」

 

「唐巣神父?! どうしたんで――」

 

「いいからあそこを見たまえっ!!」

 

 駆け寄ってきた常に温厚な神父の慌て振りに嫌な予感を覚えながらも、押し付けられるようにして手渡された双眼鏡を覗き込む。

 

 指差されたのは正面、主と人間達によって塞がれた方ではなく、側面――既に何も無くなった筈の場所。

 

 双眼鏡の狭い視界に写るのは先程西条の目の前から去って行った埴輪が大量に蠢く、出来の悪いカートゥン。

 

 しかし、その様相の中に、冷や汗の流れるような要素があった。

 

 此処まで、人類陣営は空からの爆撃で、地上からの銃撃で、或いは始めの主達の猛攻で、かなりの数のテレサ達に大なり小なりの破損を与えていた。

 

 そして、中には当たり所が悪かったのかそれとも何か他に原因があったのか、完全に機能を停止したと思しきテレサ達が、少なからず居たのだ。

 

 埴輪達は、そんな彼女達の周囲を取り巻き、ごそごそと動き回っていた。

 

「まさか――」

 

「冗談じゃないワケっ! 正面の負担が大きくなりすぎだわっ!」

 

 大声で不満を述べながら、エミが防御用の霊符を大量に抱えて横を通り過ぎていく。

 

 時間を置くごとに種々様々なGS達が集まってきていた。

 

 彼らは連携しながら、主達の前に霊具や霊能、霊符で結界を構築し、防御を固めていた。

 

 その結界に発生する解れが、先程までより大きくなっている。

 

 悪寒が膨れ上がり、切迫した気分が緊張となって咽の奥に絡みつき、どうしようもない不快感を感じさせる。

 

 エミの後を追いかけるように、両手に抱えきれないほど大量の霊符と霊具を持って走る大柄な青年を見つけて、西条は大声で呼びかけた。

 

「タイガー君、一体何が…?!」

 

「わ、ワッシも良く分からんのですがノー。埴輪がテレサに弾を補給してるとか修理してるとか…!?」

 

「…その所為で火力が増しているのか」

 

 補給の円滑化と修理・整備。

 

 埴輪達の役割は、それだけであった。

 

 無数にばら撒かれた埴輪達は銃弾に対する装甲は無く、ましてやまともな攻撃力も見られていない。

 

 しかし、戦線を離脱したテレサ達が次々に復帰し、途切れる事無く放たれる弾幕の圧力が増している。

 

 こちらにも次々とGS達や他の戦える者達が集結しつつあるとは言え、消耗戦では異様に固い上に修理可能なテレサ達では相手が悪すぎる。

 

 その上、魔神は未だ一度姿を現しただけで、参加してすらいないのだ。

 

「…は、はは。振り出しに戻る、かな?」

 

「西条君!」

 

 半ばヤケクソ気味に呟いた西条の耳朶を唐巣神父の叱咤が貫く。

 

 常に無い強い口調に振り向けば、其処には唐巣神父と小笠原エミの、力強い目があった。

 

「…あんたがこの場のリーダーで、しかも負けたら世界が終わっちゃうかもしれない戦いで、弱気になるのも分かるワケ」

 

「それでも、君がリーダーだ。誰もが、君を見ている」

 

 周囲を見回せば、オカルトGメンの隊員達だけでなく、駆けつけてくれたGS達や自衛隊が、戦うと決めた者達が皆、彼を見ていた。

 

 責める視線でなく、頼る視線でなく、ただ、任せろ、と。

 

 この程度で負けるものか、と。

 

 その向こうには未だ抗う人々が居る。

 

 この後ろには護るべき人々が居る。

 

 そして、この場所は、そんな人々が踏みしめて来た場所だ。

 

 意思と武器とで切り開き、傷付きながらも進んで辿り付いた場所だ。

 

 貴方一人ではやらせない。だから少しは信じて見せろと笑顔で告げる。

 

 西条は唇を噛み締める。

 

 悪い要素も不確定要素も、限界も何もかもがわからぬままで。だけど、それでも行けと。前に進めと命じろと言うのか。

 

 だったら、此処は引けない場所だ。

 

「――総員っ!!」

 

『応っ!!』

 

「損害を覚悟っ!!!」

 

『応っ!!!』

 

「相手が回復する前に埴輪を叩き潰しながら、中心部を討つ!」

 

 行こうと決めた。

 

「前進ーっ!!!」

 

 だったら前へ。

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!』

 

 意思と力で貫くために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄緑色の閃光が数条、白銀の体毛を削って消えていく。

 

 間を置かずに放たれた銀の弾丸がその額に迫り、だが僅かに身を屈ませた獣の頭上を虚しく焼いた。

 

 撓んだ身体がバネが弾けるように解放され、緩やかと思えるほどに宙を舞う。

 

 しかし、踏み降ろされた大地には巨大な爪跡が描かれ、抉り取られた砂塵が周囲に高く跳ね上げられた。

 

「はっ、はっ、は、ぁああああっ!!」

 

 呼吸を整える暇も有らばこそ、左右から飛び掛る同胞に合わせて低く飛ぶ。

 

 地を這うような跳躍は、巨狼の眼前で突き刺した足を軸に直角へと方向を変えた。

 

 直後、その後方から巨大な火炎の波が獣を襲う。

 

『――ォンッ!』

 

 咆哮一声。

 

 吹き払われた。

 

「でたらめっ?!」

 

 少女の悲鳴が木霊する中、左右から刀を振り上げた人狼達が尻尾と頭の一振りで弾き飛ばされる。

 

 何とか体勢を立て直し、地面に着地した瞬間、その身体を影が覆った。

 

 見上げれば、巨大な顎がその内部を晒しながら落下してくるその最中。

 

 真横に飛ぶも間に合わない。腕の一本を覚悟した所に。

 

『グガッ?!』

 

 巨大な顎の付け根に着弾した弾丸が僅かな、紙一重の余裕を作り出した。

 

 腕一本の変わりに、代償として刀が噛み砕かれはしたものの五体満足である事に安堵を覚えつつ、すかさず霊波刀を展開しながら距離を取る。

 

「…参ったでござるな」

 

「満月で能力全開だからとは言え、長老もよくあんなのの片足取れたもんだ」

 

 肩を並べて霊波刀を構える二人の姿は、既に人とは言えない姿であった。

 

 狼が人に近い姿を取ったとしか言いようが無いそれは、人狼としての戦闘形態。

 

 満月の夜に発揮されるその本領が完全に解放されている事を示す姿である。

 

 それが、6人。

 

 そして、その周囲を囲むように未だ少女の域を出ていない外見の人狼と狐が二人。

 

 更に後方には、巨大な長銃を構えた機械の女性が一人。

 

 生半な化生ならば、数瞬も持たずに存在を断たれるだけの戦力であった。

 

「銀の・銃弾も・それほど・効果的では・無いようです。浄化銀式パイルバンカー本体の・損失を・覚悟の上での・一撃で仕留められなかったのが・痛いですが」

 

「…まぁ、拙者も流石にあのタイミングで避けるとは思わなかったでござるよ、マリア殿」

 

「それで無事なあんたが一番謎だけどね」

 

 軽口を叩きあいながらも視線は前へ。

 

 逸らした瞬間、眼前の獣は襲い来る。

 

『ガァァァァァァァアアアアアアアッ!!』

 

「来るぞっ!」

 

 届く筈の無い距離からの、爪の一振り。

 

 まるで空間が切り裂かれたような閃光が走り、次の瞬間には散開した人狼達の足元をその閃光が抉り穿つ。

 

 その傷痕、八条。

 

「八房の能力まで持ってるとは…正直もう勘弁でござるよ~」

 

「弱音を吐くならな、シロ。帰っても良いんだぞー?」

 

「父上こそそろそろ足に来てるんじゃないでござるか?」

 

 メドーサによって回収された陰念の――フェンリルの体毛。

 

 人と蛇、その二つを取り除かれ、残されたのは『神喰い』と『八房』。

 

 満月の光を存分に浴び、本能のままに暴れ狂う巨獣はまさに天災と言っても過言ではないほどの破壊を周囲に撒き散らす。

 

 故に、今此処に居られるのは、その一撃を避け、傷を負ったとしても僅かな間を置けば回復する事の出来る人狼達と、機動性と反応では劣る物の装甲と火力、戦闘経験では彼らに勝るマリアのみ。

 

「こうなりゃ根比べでござるっ!!」

 

「あーもーっ! これだから理不尽な敵って嫌っ!」

 

 遠くに錯綜する火線を見ながら、獣の咆哮轟く戦場は静まる事無く続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――。

 

「…やっぱり邪魔するわよね」

 

「…当たり前だろ」

 

 眼下に天蓋と巨大兵鬼。

 

 空には星と満月。目の前には、

 

「一応聞いてみるけど、引く気はある?」

 

「分かってて聞いてるなら、答える必要も無いね」

 

 ホタルと蜂の姉妹。

 

 耳元を轟々と音を立てて夜風が過ぎる。

 

 睨み合いは一瞬。

 

 互いに引けぬと分かっていても、その言葉が無ければこれから先が始まらない。

 

 ぎり、と拳が絞られ、煌、と両手に光が走る。

 

 加速は同時、背後に爆音を残しながら、最初の一撃を打ち込み、互いの頬を掠めて鼓膜を揺らす。

 

 槍のような膝が跳ね上がり、振り下ろした肘とぶつかり大気を震わせる。

 

 同時に頭を後ろに引き、弾かれたように前へと振り出した。

 

 骨を伝って鼓膜を揺らす振動と強烈な衝撃が脳裏を焼き、視界が思わず溢れた涙で薄く滲む。

 

 仰け反りながらも苦し紛れに突き出した拳が、相手の拳に正面から衝突して二人の身体を後ろへと追いやる。

 

 距離が離れたその瞬間、その隙間を埋めるように光条が片方から放たれた。

 

 身を屈ませ、高度を下げてやり過ごしたもう一方がお返しとばかりに打ち返す。

 

 掌に魔力を生み出す。

 

 それに真上から叩きつけた。

 

 光条が真下の天蓋にあたって消滅するのにも気をやる暇も無く追撃の一手が飛んで来る。

 

一撃。一蹴。二閃。

 

 左手で弾いた。

 

 右足で出先を潰した。

 

 左頬を掠めた。

 

 右肩を少し焼かれた。

 

 ――相手の動きが僅かに鈍った。

 

 反撃に繰り出した拳は、これ以上ないタイミングで腹部に着弾。身体をくの字に折り曲げて、相手は上に吹き飛んでいく。

 

 ひたすらに不快感と苦々しさだけを与える拳の感触に歯を食いしばり、それでも追撃の為に空を蹴る。

 

 東京の空に、花火の如く光が踊る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ポッポ』

 

「ソーリー。こちら・ですね」

 

『ポッ』

 

 その頃、巨大兵鬼の頭部に開いた入り口で。

 

 数体の埴輪兵が、老人と少女3人の手に縄をかけて飛んで来た『テレサ』に答えて牢屋の場所へと案内していた。

 

 その姿が完全に内部に潜り込み、暫くした所で。

 

『ポ、ポッポーッ?!』

 

 カシャーン、と何か陶器が割れたような音と、悲鳴のような奇妙な声が木霊した。

 

 慌てて駆けつけた埴輪兵達が見た物は、割れ物注意と書かれたダンボールとその上に乗っかるトンカチ一つ。

 

 暫し互いに顔を見合わせていた彼らであったが、やがて疑問符を浮かべつつも鳴り響くサイレンの音を聞いて慌てて出撃の為に走り去っていった。

 

 その声が途絶え、静けさが通路を満たした頃、壁の一部がぺらりとめくれて隠れていた人影達を吐き出した。

 

 壁から剥がれると同時に周囲と同化していた表面の模様を黒地に変えたマントを羽織りなおしつつ、ドクター・カオスは得意げに胸を張る。

 

 隣に立っていたテレサが僅かに輝くと、溶けるようにその姿が空気に消え、中から小さな影を出現させた。

 

「――潜入・成功」

 

「ふっふっふ。常にデータは取っとるからのー。新装備で外見もIFFも偽装してしまえば、見た目も手抜きの量産型のローコストなんぞに見抜けはせんわ!」

 

「でも・可哀想・です…」

 

「…ソーリー・埴輪・さん」

 

「…あー、暇が出来たら接着剤で修理しとくから、な? な?」

 

「尊い・犠牲・でした――」

 

 哀しげに俯く2人を急かし、その二人を優しく見守りながら綺麗に纏めた一人を促し、興味無さげに振舞いながらも視線をちらちらダンボールに向けていた一人の背中を押して、老人は通路を歩き出した。

 

 そのマントの背中に、何処からかひらひらと迷い出た蝶を留まらせた事には気付かぬままで。

 


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