月に吼える   作:maisen

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第玖話 『だから私は前に行く』

 

 満月の光が照らし出す東京の真上に、巨大な波紋が浮かび上がる。

 

 波紋は光の渦となり、光の渦は硬質な壁を描き出す。

 

 その壁を轟音を響かせて打ち砕きながら、巨大な三本角が出現した。

 

 月光を受け止める巨大なガラス窓が砕け散り、その輝きが生み出したようにも見える燐光の大瀑布を吹き飛ばし、大逆天号は暗く染まる宵闇の空を蹂躙する。

 

 轟々と唸る風を意にも介さず、震える巨体は人界へとその身をゆっくりと乗り出した。

 

 

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 月に吼える 第三部 

 

 

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 抉じ開けた傷口が癒えるかの如く、じくじくと閉じていくゲートから次々と小さな飛行物が飛び出していく。

 

 いや、それは傍らを飛ぶ物が巨大すぎるが故に、遠くから見れば小さく見えるだけの事に過ぎない。

 

 全長2km以上にも及ぶ巨体の周囲を滑るように過ぎ去った兵鬼達は、そのまま眼下に見下ろすドームを囲う位置へと高速で飛んで行った。

 

 暗い空の下、紫とも赤黒いとも見分けのつかない天蓋だけが、何も無かったかのように静かな胎動だけを繰り返している。

 

 閉じたゲートの余韻も治まらぬうちに、大逆天号にぶち当たっては己を砕いていく風の中、その三角形に配置された三本角の中でも一際巨大な角の上で、白銀の獣が身を起こした。

 

 その視線が見つめる先には、太陽と入れ替わるようにして空を飾る真円の光。

 

 無言のまま、フェンリルは顎をゆっくりと開く。

 

 瞬間、辺りを照らし出していた月光が消え――否、収束する。

 

 ブレーカーが落ちたように闇に包まれた世界では、ドームを囲う無数の小さな灯り達の放つ輝きが微かな抵抗を示すのみ。

 

 煩わしげにそれを見下ろしたフェンリルの顎の中には、黄金色の光が渦巻いていた。

 

 よく見れば気が付いたかもしれない。月の光が、視界の限り全ての範囲を照らしていた月光が、流砂のようにその一転に囚われていく事に。

 

 そして、収束は臨界に達し、凝縮された光が解放を求めて暴れ出すその瞬間。

 

 狼は、その黄金を眼下の紫に叩き付けた。

 

 巨大な光条が天蓋の上を滑る。

 

 その痕をなぞるように、純粋なエネルギーの奔流が、何の遠慮も無く暴れ出す。

 

 轟音と閃光が空を焦がし、生まれた衝撃が一直線に天蓋を砕いた。

 

 揺れる世界の中心で、僅かに体勢を崩していた大逆天号の頭部から、小さな物体が真下から突き上げる風に踊らされながら落ちていく。

 

 やがて天蓋の裂け目に到達したそれは、己の意義を思い出したようにその尾部から炎を吐き出し加速した。

 

 それを追いかけるように、ゆっくりとした動きで狼をその角の上に乗せたままの巨大兵鬼が降りていく。

 

 迎え火のように、一瞬その腹部を閃光が照らし出し、だがそれが生み出す衝撃が噴出すよりも僅かに早く、その巨体が天蓋の裂け目を己の体を持って蓋をした。

 

 後には静かに降り注ぐ月光と、巨大な裂け目を巨大な身体で塞ぎ、完全に動きを停めた兵鬼と、最早揺れる事も無くなった世界があるのみ。

 

 侵攻の始まりは、語る者さえ無いまま、静かに終わりを告げた。

 

 

 

 

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 第玖話 『それでも私は前に行く』

 

 

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「――クソッ?! 何が起こったっ?!」

 

 集められるだけの戦力をかき集め、それでもまだ足りないと必死で通信を続けていたオカルトGメン達は、突如として突き上げた衝撃に混乱を余儀なくされていた。

 

 揺れるビルの照明が全て落ち、数秒後に非常用発電機が動き出すと共にちらちらと瞬きを繰り返しながら点灯する。

 

 だが、床に投げ出されたオペレーター達の目に写るのは、その殆どが砂嵐と化したモニターの画面。

 

 慌てて駆け寄り、それぞれの持ち場でパネルを操作する。

 

 椅子にしがみ付き身を起こした西条は、その光景を横目に窓へと走り、それを叩きつけるように開いた。

 

 窓の外を、轟風と共に砂塵が舞い踊っている。

 

 その風の来る方角に目を移し、そして彼は硬直した。

 

「…無茶苦茶だ」

 

 ほんの数日前まで、その視線の先には天を穿つように高層ビルが乱立していた。

 

 だが、今、その高層ビル群の一部が、完全に消滅し、その向こうの光景を見せている。

 

「――映像、戻りますっ!」

 

 オペレーターの声に、弾かれたように西条は不条理で不確かな現象から目を引き剥がし、復活したモニターに駆け寄った。

 

「…何処だ?」

 

「…都庁、の、筈、なんですけど…」

 

 ノイズを走らせるモニターの向こうには、夜空を背景に渦巻く砂塵と黒く焦げだ大地が広がっている。

 

 薄く張られた幕の向こうに、時折ありえない光景が写り込む。

 

 その部屋の誰もが息を呑み、その画面に視線を集めていた。

 

 瞬間、一際巨大な風が上より吹き付け、砂塵は叩きつけられたように吹き飛ばされていった。

 

 後に残ったのは、ありえないはずの映像。

 

「か、解析結果、でました…嘘――」

 

「報告したまえっ! 間違っているかどうかは僕が判断するっ!」

 

 蒼褪め、今にも倒れそうになっていたオペレーターの一人が、震える手でキーを一つ押し込んだ。

 

 映し出された画像には、信じられない光景が映し出されている。

 

 何処かの高層ビルの屋上から写したのだろうか、かつて都庁と呼ばれた巨大建造物が在った場所には――何も無かった。

 

 先ず目に入ったのは黒く焼け焦げた大地だった。

 

 

 

 そして、それ以外は何も無かった。

 

 

 

 縦横無尽に敷き詰められたアスファルトと視界を埋め尽くさんばかりに立ちはだかっていた建物達の代わりに在ったのは、薄くすり鉢上に窪んだ、黒く変色した地面。

 

 巨大なクレーターが、その円周の外部は殆ど破壊の後を見せず、都心の一区画を突如として塗り代えていた。

 

 周辺のビル群の建物の窓は、或いは罅割れ或いは破れ、その衝撃がどれほどの物だったのかを照明している。

 

 だが、煤の欠片も見当たらないその様子は衝撃以外の何かを受けてはいないと示している。

 

 ただ、静かに荒廃した光景が広がっていた。

 

「…都庁が在ったと思われる場所を中心に、半径1Kmのクレーターが、出現…」

 

 未だ砂嵐を無為に映し出すモニターのノイズと、半ば無意識に紡がれた報告が、静かに司令室の空気を崩していく。

 

 映像から波及的に広がる非現実的な現実が、訓練された筈の隊員たちの心を塗り潰していく。

 

 崩壊は留まる所を知らず、やがて限界まで満ちたダムが決壊するように弾ける、その直前に。

 

「――ふぅ。さて、お茶を一杯貰えるかな?」

 

 緊張感の全く見られない、これ以上なくリラックスした声に腰砕けになった。

 

「さ、西条先輩っ?!」

 

「何だね? ああ、すまないがダージリンをストレートで。ティーパックは論外だよ」

 

「こ、こ、この期に及んでトチ狂いましたかあんたはっ?!」

 

 やれやれ、と大げさに両肩を挙げ、首を竦めた西条は腕で体を支えながらゆっくりと椅子に腰掛ける。

 

 殊更間を置いて、溜め息一つ。

 

「オペレーター、人的被害は?」

 

「えっ、あ、はいっ! えと、その……あの周辺は一番最初に直接的な被害が在った場所ですから住民の避難は全て終了していますし、隊員達も他の場所に移動していましたから――ゼロ、です」

 

「ほら、何を慌てる事がある?」

 

「だって、都庁が消えて、あんな馬鹿げた現象が――」

 

 くっ付きそうな程至近距離で喚く部下の顔を鬱陶しげに押し、飛んで来た唾を懐から取り出したハンカチで拭き取った西条は、足を組みなおして部下の顔を見上げた。

 

 呆れた視線に告げようとしていた言葉を見失った部下が、更に言い募るよりも僅かに早く、西条の言葉が口を塞がせる。

 

「それが如何した。此方の戦力はノーダメージだろうに」

 

 あくまでも冷静に紡がれた言葉に、部下は絶句した。

 

 これだけの非常識な現実を見せ付けられたと言うのに、まだ、この男は戦意を失っていないと言う事が、その言葉の裏にはある。

 

 口を酸欠の魚のようにパクパクと開けたり閉じたりする部下に、言い聞かせるような声音で西条は更に言葉を続ける。

 

「いいか? …我々は引かない。引けない。引くことが許されない。『この程度で』おたつくんじゃない」

 

「…は、はぁ」

 

「これから霊的犯罪が起ころうとしているのに、指を咥えて見ているだけのオカルトGメンが何処にいる。少なくとも、僕の部下には一人も居ない――そうだろう?」

 

 呆気に取られた表情の隊員達を、笑みさえ浮かべながら西条が見渡す。

 

 誰かが反応を返すよりも早く、その余韻に被せるようにモニターの一つに映像が浮かび上がった。

 

『…こちら、第45臨時偵察分隊。司令室、応答願います』

 

「繋いでくれ」

 

 未だ呆けたまま、それでもオペレーターの一人が指示の通りに回線を繋ぐ。

 

 視線が、大きく映し出された隊員のアップに切り替わった。

 

 敬礼を返す制服姿の隊員は、砂埃に塗れ、擦り傷をあちこちに作りながらも張りのある声で報告する。

 

『現在、出現したクレーターの外縁部に到着しています。負傷した隊員達は後送し、情報収集を実行中』

 

「結構。こちらのモニターがかなりいかれてしまってね。何か見えるかな?」

 

『ドームの天頂部分に、何か妙な物が見えますが砂塵が酷く詳細は不明です。それと、報告が遅れましたが、こちらに民間の協力者が一名――』

 

『えっと、これでいいんですか?』

 

「魔鈴君? どうしてそんな所に――」

 

 隊員が身体をずらすと、その隙間にひょこりと魔女の顔が写り込んだ。

 

 笑みを絶やさないその表情が、今ばかりは緊張に彩られている。

 

『すいません、先程こちらの方々に連絡をお願いしようと思ったんですけど、さっきの風の所為で遅くなりました』

 

「いや、構わないよ。それより何か情報でも?」

 

 砂埃の一つも見当たらない様子の魔鈴の口から語られたのは、空を飛べる彼女が偵察し得てきた情報達。

 

 東京の直上に開いたゲート。

 

 そして其処から飛び出してきた、甲虫に似た巨大な物体達。

 

 月光の喪失と、光の炸裂。

 

 おそらく、天蓋の裂け目に居るのが、その内の一際巨大な一匹ではないか、と言う事。

 

 ルシオラからもたらされた情報と、たった今魔鈴が見て来た物達。

 

 それらが示すのは――本格的に攻勢を仕掛けてきたという一つの事実、始まりを示す言葉だ。

 

「…ありがとう。どーも其処があちらさんの目的地みたいだね」

 

『ええ。私達はどうしましょうか?』

 

「もう少し監視しておいてくれないかな。今からそっちに送れるだけ戦力を送る」

 

『こっちにですか?』

 

「一番最初に都庁が直接的な被害を受けてるんだ。何せこの国の大霊穴、そんな場所に二度もちょっかい出してくれば流石に必然の一つくらいはある」

 

 筈、と言う言葉は西条の口の中で噛み砕かれた。

 

 只でさえあちらの戦力は不確定、その上魔神までもが出現する可能性あり、と来た物である。

 

 妙にバラバラに配置するよりも、かき集めるだけかき集めた力を一点集中で叩きつける以外に勝ち目が無い、と言うのが正直な所だ。

 

 だから、その一点と場所を間違える訳にはいかない。

 

 遅くても駄目、間違っても駄目、それでも今、その場所に決めたのは。

 

「それに僕の霊感が告げているからね。間違い無い」

 

『私もですわ。分かりました、それじゃ、何かあったら連絡します』

 

 通信はその言葉を最後に一端切れた。

 

 おそらく、隊員達はもてるだけの能力と機器を使って監視に入っているだろう。

 

 未だオカルトGメンに集まっていない民間GSのメンバー達も、その地点に集結しつつある筈だ。

 

「連絡の取れた隊員達から魔鈴君たちの居る場所に移動させてくれ」

 

 そう言い残して、西条は席を立った。

 

 椅子に掛けていたスーツの上着を取り、羽織る。

 

 ネクタイを締めなおし、懐に拳銃を納め、部下が文句を顔に書きながらも差し出してきた霊剣を受け取り、しっかりと固定する。

 

 流れるような動作で全ての確認を終わらせ、すっかり動揺の抜けた部下の敬礼に軽く返礼しながら、慌しく動き出したオペレーター達を尻目にドアを潜った。

 

 一瞬だけ足を止め、何時の間にかドアの向こうに立っていた悪戯っぽく微笑む女性の横を通り抜ける。

 

 最後に背後から掛けられた、間延びした女性の声に苦笑いを零しながら。

 

「膝の振えは~収まった~みたいね~? 頑張りなさいな~、男の子~!」

 

「…一応、武者震い、と言う事ににしといてください」

 

 励ますような視線を背に受け、西条は、行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、神父じゃない」

 

「やあエミ君。奇遇、でもないかな」

 

 褐色の肌をシャーマン装束に固めたエミは、薄暗い路地から飛び出して来た唐巣神父に一瞬目を止めると、足を止める事無く走っていく。

 

 その横に追随しながら、やや息を荒らげた神父はふと思い出したように辺りを見回した。

 

 人気の無い大通りを駆け抜ける二人、その他に人影も無く、足音と時折吹き抜ける風以外は静かなもの。

 

 疲れた様子も見せずに走るエミに若さを感じながら、唐巣は額に浮いた汗を拭った。

 

「タイガー君は一緒じゃないのかい?」

 

「ふん。さっきの衝撃でワゴンが事故っちゃったワケ。後から荷物担いで追っかけてくるわ。そっちこそピートは如何したワケ?」

 

「こっちも車が事故ってね。負傷したオカルトGメンの隊員を頼んできたんだよ」

 

 それでも二人とも、いや助手と弟子を含んだ4人とも怪我をしたようではない所からすれば、やはり実力者という事だろう。

 

 本来ならばエミにしても荷物の有る無しで戦闘の幅に違いがはっきりと出るし、唐巣にしても運んでくれていた隊員達を手当ての出来る所まで運ぶ手伝いをしたかった所である。

 

 それをやらなかったのは、二人の霊感が告げているから。

 

 急げ、と。

 

 囁きにも似た直感の告げるまま、二人はひたすらに駆けて行く。

 

 その前方、大きく裂けた天蓋の周辺から、小さな光の点がまるで雪のように降り始めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――圧縮コスモプロセッサ、及び護衛担当部隊投下中」

 

「タイムスケジュールに遅延無し」

 

「大逆天号、干渉により魔力炉完全停止。サブバッテリーの残量97,543%」

 

 天蓋の天頂部にて動きを止めた巨大兵鬼、その艦橋では忙しく指を動かしながら報告を続けるテレサ達の姿がある。

 

 照明は殆どが落ちており、モニターの発する僅かな光だけが光源である。

 

 夜ということもあり、薄暗い艦橋はさながら儀式の間のような雰囲気であった。

 

 中央部に設置された椅子に座ったまま、アシュタロスはその光景を眺めている。

 

 そんなテレサ達の声とキーボードを叩く指の音だけが木霊する空間に、小さな赤い光が瞬いた。

 

 同時に甲高いシグナル音が数度鳴り、近くにいたテレサの一体がそれに触れる事で停止する。

 

 それまで光を失っていた正面の巨大なモニターに光が走り、周辺の地図らしき映像が映し出された。

 

 大逆天号を中心に、関東のほぼ全域を映し出したその映像はグリッドで仕切られ、ドームを示しているのであろう巨大な円の周りにはナンバリングされた光点が幾つも瞬いている。

 

 と、その地図の片隅で赤く輝いていた点が、テレサ達の操作に従って拡大された。

 

「北西より敵性存在の反応を確認。分析します」

 

「アーカイブ照合…一致。神族、土着神の一群と見られます」

 

「逆天号が望遠で確認。映像、リンクしました」

 

 それまでの地図が大画面の一角に押し込められ、開いた空間にその映像が映し出された。

 

 画面の中ほど、夜空の闇を背景に星とは明らかに違う数え切れない程の光点が輝いている。

 

 それらは一端動きを止め、すぐさまこちらを半包囲するように扇形に展開する。

 

 光点が一際輝きを強め、何かが遠く離れた距離から一気に放たれた。

 

 画面が一気に下へと滑って行く。

 

 その下端を掠めるように、怒涛のような光の筋と飛来物が通り抜けていった。

 

 轟音。

 

 真下から突き上げるように風が叩き付けられた。

 

 だが、それだけだ。

 

 前方の神族達の真ん中で、貧相な風貌の山神と筋骨隆々の土地神が何やら大声で騒いでいる。

 

 その声が、風に乗って届いた。

 

『第一射回避されたっすーっ!』

 

『ええい飛び道具で駄目なら接近戦じゃぁぁぁっ!』

 

『もうっすかっ?! といーますか何で新参者が真正面にいなきゃならんのすかぁぁっ?!』

 

『下っ端が先鋒勤めるのは当然じゃろうがっ! むしろ一番槍を光栄に思わんかっ!!』

 

 最前列でなにやらごちゃごちゃとやっていたようだが、貧相なほうが胸倉掴まれ、いきなり此方に向かって全力で投げつけられた。

 

 悲鳴を上げながら涙目で飛んでくるそれに対し、逆天号は角の一振りで迎撃。

 

 ぺちん、と弾かれ落ちていくそれに目もくれず、後続が次々と矢を放ちながら突撃開始。

 

 雄叫びを上げ、妙な歌を歌いながら接近してくるムキムキマッチョの漢達。

 

 モニター越しであるにもかかわらず、テレサ達は一様に引いていた。

 

「…薙ぎ払え」

 

 どこか疲れたように片手で額を押さえながら、溜め息混じりに出された魔神の指令に従い、画面が光に満たされていく。

 

「断末魔砲、発射っ! あのキモイのを叩き落せぇぇっ!!」

 

 ホワイトアウトする直前、テレサの悲鳴じみた声に釣られるかのように光条が鼓膜を振るわせる絶叫と共に放たれた。

 

 光条は右から左へと舐めるように夜の空を灼いていく。

 

『どわぁぁぁっ?!』

 

『回避回避回避ーっ?!』

 

 しかし、異様に慣れた動きで、バラバラに機動しながら光点達は回避する。

 

 何個かは余波に巻き込まれ黒焦げになりながら落ちて行ったが、それでもまだその殆どが生き残っていた。

 

『ふわはははははっ! 八甲田山の雪崩れに比べれば温い、温すぎるわっ!』

 

『その通りっ! 元山男を舐めるんじゃないぜっ!』

 

「連射」

 

 冷たいテレサの声と共に、絶叫が間断無く鳴り響く。

 

 悲鳴を上げながら逃げ惑う漢達。

 

 だがするりぬるりとかわしつつ、直撃だけは喰らわない。

 

 それどころか、射角から外れた何人かは引き締まったお尻を振り出して挑発する始末である。

 

「キーッ! なんで当たらないのよっ?!」

 

「近くの逆天号を何体か回すわ。殲滅してやる…!」

 

 眼前の駄目な方向に盛り上がりつつある喧騒を目にし、魔神は一言呟いた。

 

「…………部下の選択を間違えたか?」

 

 今更なその問いに、答える者は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「西条君!」

 

「間に合った見たいなワケ」

 

 途中で合流したオカルトGメンの誘導に従い駆けつけた唐巣神父とエミを、西条は握手で出迎えた。

 

 前線司令部として立てられたテントの中では忙しく動き回る隊員たちが様々な機械を接続し、稼動させ始めている真っ最中。

 

 戦場のような、というよりも、ここは正しく戦場であった。

 

 二人を先導し、大き目のテントの中に設置されたホワイトボードと周辺の地図を見せる。

 

 小さなライトの光に照らされた地図の中心は、殆ど全てが円形に白く抉り取られ、それ以前の姿との差異をはっきりと示している。

 

「これが、現在の都庁周辺の状況です。と、言っても此処まで何も無くては余り意味も無いかもしれませんが。現在、敵はこの――」

 

 指し示された指の先には、そのクレーターの中心部。

 

 簡単に×印が描かれているだけの其処が、今最も敵の狙いである可能性が高い地点。

 

 この国の霊穴であり。

 

「この地点で、敵はなんらかの作業を行なっているようです」

 

「ふむ、で、どうなんだね?」

 

「さっさと潰せない理由があるワケ?」

 

 そう、ここまであからさまに行動されているにもかかわらず、オカルトGメンが攻勢に出られないのには単純すぎるほど単純な理由があった。

 

「相手は少なくとも千数百体。情報にあった「テレサ」タイプがそれだけ居るとなると…」

 

「…無茶苦茶なワケ」

 

 途方に暮れた、としか言いようが無い声を出すエミ。

 

 唐巣も似たような物である。

 

 『ヨーロッパの魔王』ドクター・カオスの娘、マリアとスペックだけを見れば均衡するようなのが千以上。

 

 それが警戒しながら待ち構えているとあっては、例え総員が出撃してもあっさり全滅しそうである。

 

「精霊石弾頭ミサイルによる広域打撃…は、無理か」

 

「そりゃねぇ。霊穴にそんな物ぶち込んだら、この国がどーなるか分かったもんじゃないワケ」

 

 虚空を見上げいきなり物騒な事を呟いた唐巣に、エミが舌打ちしながら否定の同意。

 

 もしもそこが霊穴でなかったら、問答無用でぶち込んでいた事は間違い無い。

 

 ある意味一国そのものをで人質に取られたような物である。

 

 只でさえ慎重な扱いを要する霊脈の溜まり、そんな場所に精霊石弾頭ミサイルなんて物がが大規模で炸裂した日には、どれほどの災難が襲う事か。

 

「ですが、一日とはいえ時間的な猶予があったのは助かりました。お陰でアレだけの規模の破壊があったのに、死傷者が殆ど居ませんから」

 

 それは、とある老いた狼が残した、ほんの一握りの時間。

 

 此処に居る誰もが知らないけれど、確かにある大きな助けなのだ。

 

「ともあれ、何とも攻め様が――」

 

 言葉を遮るように、入り口を覆っていた布が大きく開かれた。

 

 駆け込んできたのは、隊員の一人。

 

 1枚の書類を手に、酷く慌てた様子で西条に向かって走り寄る。

 

 受け取った西条は、その報告に一瞬目を見開き、ついで呆気に取られ、最後に二人に向かって頷いた。

 

「…チャンスが来たのかもしれません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レーダーに感あり。護衛部隊、警戒モードから迎撃モードにシフト!」

 

 がちゃり、と重々しい音が連続する。

 

 セーフティーが解除された武装を、何時でも解放できるようにしながらテレサ達は待ち受ける。

 

 後方から弧を描いて何かが宙に打ち出され、次の瞬間、眩い閃光で辺りの闇を打ち消した。

 

 照明弾の光の下、何も無くなったが故に非常に見通しの良くなった広場に通じる大きな道路の向こう。

 

 反応があったのはそちらからである。

 

 光の届く範囲に無いほど先の方から、小さく音が鳴り響き始めた。

 

「…相手は?」

 

「GS達では無いみたいね。神族・魔族の反応も無し。まぁ問題無いでしょ」

 

 さざめく声があちらこちらで小さく木霊し、そして武装を解放する。

 

 ある者はミサイルを構え、ある者は腕から銃を出現させ、その時を待ち構える。

 

 指示は不要、全員が同じ魂を持っている以上、タイミングを取る必要がないからだ。

 

 そして、それらが光の下に出現した。

 

「…はぁ?」

 

 

 

 それは、巨大な白い猪の一家だった。

 

 それは、非常識な程巨大な鹿の一群だった。

 

 それは、航空力学を無視しているのではないかと思えるほど大きな鳥の群だった。

 

 それは、四肢に膨大な膂力を秘めた熊の一族だった。

 

 それは、巨木と見紛うばかりに太い胴を持った蛇達だった。

 

 それは、怒りと力に満ちた、偉容を誇る獣達の群だった。

 

 

 

 足音は既に鳴り響き続ける轟音と化し、夜闇を踏み砕きながら加速する。

 

 先頭を行く一回り小さな猪の上で、不敵に笑う少女は一体何者か。

 

 腕を組みながら見事に乗っている少女がニヤリと唇を歪めた。

 

 両腕を解き、片方の手で猪の毛を掴んで体勢を固定しつつ、開いた片手を軽く一振り。

 

 それだけで、彼女の手には武器がある。

 

 刺叉と呼ばれるそれを上に向け、勢い良く前に向かって振り下ろした。

 

「吶っ喊!!」

 

「――っ! 撃てぇっ!!」

 

 号令に一瞬見失っていた意識を取り戻したテレサ達は、次々に火線を叩き付ける。

 

 ロケットが着弾し、銃弾が千の単位で巻き起こった砂埃の中に吸い込まれ、ミサイルが上空から降り注ぐ。

 

 閃光弾の光が降り注ぐ中、瞬時に出現した砂煙が先頭に立っていた猪と少女の姿を掻き消した。

 

「…やったかっ?!」

 

「舐めんじゃないよっ!!」

 

 声を衝角に突き破る。

 

 砂煙を弾き飛ばし、獣達は怯む事無く驀進した。

 

 現われた獣達の姿には僅かに負傷が見られる物の、どれも小さな傷ばかり。

 

 前方から絶え間無く打ち込まれる弾丸を獣毛で、鱗で弾き、或いは非常識な速度で回避し、彼らはただ前へ行く。

 

「どいつもこいつも鬱陶しい! 犬飼メドーサの邪魔をする奴は火傷なんかじゃ済まないって、骨の髄まで覚えときな!!」

 

 正史に於いては在り得ない筈の存在が、居なかった存在を引き連れて、存在しなかった筈の敵に向かって接触する。

 

 老いた狼が最期に託し、作り上げた時間の中、切り札である事を封印された筈の半人狼が作り上げた一つの絆が、今、先駆けとなって突っ込んだ。

 

 

 

 

「…皆、準備は良いな?」

 

「ったく。ピートが居ないとやる気で無いわねー」

 

「まぁまぁエミ君。その内ピート君も駆けつけるから」

 

 そして人は足に力を篭め。

 

 

 

 

「あそこでござるな」

 

「派手ねぇ。あんまり趣味じゃないわ」

 

「遅れれば置いて行くからな」

 

 狼達は狙いを定め。

 

 

 

 

『――お帰りなさいませ、オーナー』

 

「ただいま。直ぐ出るわよ」

 

『準備は全て整っています』

 

「オーケー。良い仕事してるわね」

 

『恐悦至極』

 

「全く、天竜姫様も無茶をするのね~」

 

 少女に導かれた者達が動き。

 

 

 

 

 

『下の様子はどうかの?』

 

「…衝突が・始まった・ようです」

 

『頃合かのぉ』

 

 錬金術師が笑い。

 

 

 

 

 

「コスモプロセッサ設置予定地周辺に想定外の敵性存在出現しました!」

 

「…フェンリルを呼べ。私が降りる」

 

 魔神が椅子から身を起こし。

 

 

 

 

 

「…行くわよ、ルシオラ」

 

 蛍の少女が決意する。

 

 

 

 

 

 ――そして、最初で最後の一夜が幕を上げた。

 


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