「ふ、このルシオラを甘く見るからそう言う目に合うのよ!」
顔の前に立てた指をリズム良く振りながら、絶好調ですとでも言いたげに不敵な笑みを浮かべるルシオラの眼前の通路には元埴輪兵だった残骸が数体分転がっている。
黒焦げになった通路の壁と、未だ巻き起こる塵煙、そして鳴り響く警報が相俟って、辺りは何とも凄惨な様相を呈していた。
「あああアホかお前はぁぁぁぁっ!!」
「何よー。ちゃんと全滅させたじゃない」
忠夫の魂を閉じ込めた球体の中で、呆然とその暴力の嵐を見ていた忠夫が大絶叫。
それを片手で遠ざけながら、もう片方の手は耳に当てられていて、ルシオラは視線と態度で煩いと主張していた。
さっさとこの不気味な巨大兵鬼の中から脱出して、美神達の所に駆け付け、この事件の詳細な情報を伝えて対策を講じる必要があったのは確かだ。
だが、どうして静かに速やかに目的を果たすのではなく、大暴れしながら出口を探しているのだろうか。
そう言っている間にもルシオラの足は再び動き出し、適当にとしか思えない動きで曲がり角をあっちに曲がりこっちに曲がりと駆けている。
だが、案内板が在る訳でもなく、ましてや内部構造に熟知している訳でもない二人にとっては当に迷路の真っ只中。
全速力で駆けては障害物――と言うか、たまたま出会った不幸な埴輪兵を蹴散らし驀進する。
そんなこんなで走り続けて10分ほど。
時折爆破と破壊工作でストレス解消しながらも、ルシオラの眉は段々と釣りあがり、忠夫は精神的負担による頭痛が増していくのをひしひしと感じるのだった。
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月に吼える 第三部
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「ん~。多分右ね!」
「待て待て待て! お前さっきそう言って危うく埴輪に挟み撃ちされかけただろうが!」
「もう、文句ばっかり煩いわねー」
「だから、道の選択は俺に任せろってば! こちとら半分人狼、方向感覚には自信ありだっつーの!」
それならば、と突き当たりのT字路を忠夫の指示に従って左に曲がるルシオラ。
その背中が角を曲がって消えていき、寸暇の間も置かず再び爆発が彼女達が消えた通路の先で巻き起こる。
その爆発に背を押されるようにして、更に加速したルシオラが角を真っ直ぐに駆け抜けていった。
その後を追うようにわらわらわらわらと数え切れない程大量の埴輪兵が追いかけていく。
『ぽっぽー』
『ぽっぽー』
『ぽっぽー』
「何が方向感覚に自信あり、よ! 思いっきりさっきの監視部屋に逆戻りしたじゃない! しかも埴輪兵達溜まってるし!」
「ああっ! そーいや狼の部分抜かれて置いて来たんだっけ!」
「ああもう急いでるのにこのお馬鹿ぁぁぁっ!」
怒涛の如く後方の通路を埋め尽くす無表情の埴輪兵達に向かって魔力砲をぶち込みつつ、どっちもどっちの騒がしい二人は通路をひたすら適当に進んでいく。
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第漆話 『それでも貴方を信じたい』
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「ちぇいさっ!」
轟音を立てて巨大な三本角の兵鬼の半ば辺りの装甲が内部から破裂した。
盛大な爆発であったにもかかわらず、その巨体は巨体ゆえに僅かな痛痒しか感じていないらしく、甲殻虫にも似たそれはほんの少しだけ身を捩り、再び何事も無かったかのように姿勢を戻す。
未だ煙の晴れないその爆発痕から、その煙を突き破ってルシオラは亜空間に踊り出た。
だが、追撃の手は緩む所か更に悪化の一途を辿っている。
「何よあれ! 幾らなんでも堅すぎるわよ!」
「見た感じマリアにどっか似てるよな気がするなぁ。もしかしてカオスのおっさん技術提携でもしてるんじゃねーのか? …やりかねんなあのマッド」
「ああもう他人事みたいに!」
実際手荷物以外の何者でもない忠夫にとっては、事態の推移に対しては全くの無力であるからある意味他人事に近いものがあるかもしれない。
問題は、幾ら手が出せないからといって向こうがそれに頓着してくれるとは全く思えない所である。
その問題は、集団で煙の中から飛び出して来た。
「逃げ足の速い…! ターゲット・ロック! 全弾発射ぁっ!!」
ブースターを噴かせながらルシオラの後を追いかけるのは、二桁に及ぼうかという数のテレサ達。
その内数体はあちこちから火花を散らしていたり、或いは装甲に罅が入っていたりする物の動き自体には遅滞が見られない。
高速機動で連携しながら、半球状に広がったアンドロイド達はそれぞれの火器を目標に向けた。
連続で降り注ぐ魔力の籠った弾丸の群れ。
「くぅっ!」
進行方向を変えぬまま、一瞬だけ振り向いたルシオラは迫るミサイルとロケットの群に手を向ける。
薙ぎ払うように魔力砲を振り下ろした。
連続する爆発と衝撃波。
高温と爆炎にルシオラ達をロストしたテレサ達は、警戒しながらもセンサーを稼動させる。
だがそれが目標を捉え直すよりも早く、煙を纏いながらルシオラが下方に飛び出した。
「逃がすかぁっ!」
背部と足底部のブースターに火が灯り、莫大な推力が瞬く間にテレサ達を前へと蹴り飛ばす。
加速しながらランダムで回避軌道を取るルシオラに対し、テレサ達の両腕から突き出た鋼の銃口が火を噴いた。
後方から迫る火線を大きくロールを打って回避するルシオラ。
その逃げ場を塞ぐように、数発のミサイルが上下左右から接近する。
だが、ルシオラが選んだのは迎撃ではなく更なる加速。
更に速度を増した彼女に対し、それでも振り切れない追加のミサイル攻撃の群が僅かにタイミングをずらしつつ更に迫る。
楕円を描きながら包囲するような軌道で迫るミサイル群は、しかし直前で速度をゼロに落としたルシオラに置いていかれた。
彼女の目の前で目標を見失ったそれらは動きを止めずにそのまま直進。
やがて何も無い空中で爆散した。
だが、速度を落とした代償に、その場に停止したルシオラは加速を続けたテレサ達に完全に包囲されてしまう。
「落ちなっ!」
包囲網の中心で動きを止めた彼女に、全方位から銃弾が迫る。
「両方の掌を広げて」防御体制に入ったルシオラに、それは紛う事無く突き刺さり。
擦り抜けた。
「なっ?!」
巧妙に組まれた球形陣だからこそ、互いの火線がテレサ達を傷付ける事こそ無かったが、その光景に一瞬ならずとも動きを止めた彼女達の前で、にやりと笑みを浮かべたルシオラが揺らいで消える。
幻影、と言う可能性に気付いたテレサ達がセンサーを稼動させるよりも早く、先程ミサイルがぶつかり合って巻き起こった煙を、内部から膨れ上がった巨大な魔力が蹴散らした。
「紛う事無く全力全開よ! シューティングらしく雑魚はボンバー喰らって落ちなさい!」
咆哮と共に放たれたそれは、空間を振動させながらテレサ達を巻き込んだ。
レアメタルと超魔導技術によって構築された装甲は、しかしその暴虐に耐え切れない。
解放された魔力の奔流は、テレサ達の群に当たって光の粒を飛沫のように散らしながら全てを飲み込んでいく。
衝撃と爆裂に吹き飛ばされたテレサ達は、驚異的な事にそれでも原型を保ちながら小爆発を繰り返して墜落していった。
「…はぁ、はぁ。もー駄目。今ので大分疲れちゃったわ」
「む、無茶苦茶な火力やなぁ」
「そりゃそうよ。これでも魔神の娘だもの」
肩を落として息を荒らげるルシオラの顔には、口調とは裏腹に疲労の色が濃い。
「…ふぅ。もう、馬鹿みたいに堅ったい装甲に、何あれ、そんなに強くないけど対神魔用コーティングでもしてあったみたい」
「の、割には武器がしょぼかったなー」
確かに体のあちらこちらを煤けさせたルシオラには大した傷らしい物は無い。
ただ真近で炸裂した爆音と衝撃、閃光に少しふらつき気味では在るが。
ルシオラ曰く「ボンバー」を喰らっても、行動不能にまで追い込まれた物の消滅にまで至っていないほどの重装甲。
しかし、その装備した火器の効果の程は、中級以上の神魔に通じるかと言われれば、はっきりと否である。
「…まるで、対人戦を想定して作られたみたいな…? でもそれにしては装甲が…」
「おーい、ルシオラー? さっさと逃げようぜ」
体中についた煤を払い落とした後、暫し顎に手を当て考え込んでいたルシオラであったが、忠夫の言葉に慌てて逃走を再開した。
今は、此処から逃げ出してアシュタロスに対抗する為の情報を人界に持ち帰ることが優先である。
無論、忠夫の為にも急いで逃げなければならないのであるが。
反転し、大逆天号とそれを囲むように陣を組んでいる逆天号群から距離を取るルシオラ達。
後方をちらちらと窺い警戒しながら離れていく二人に対し、だがその兵鬼群は動きを見せない。
追撃の手が全く見えない事に安堵と不安がない交ぜになった表情で、ルシオラは亜空間から脱出するためにゲートを開く。
「…おかしいわね」
「…追っ手がこねーな。もっとわんさか来ると思ったのに」
最後に後方を振り向き、ゲートに向かって飛び込もうと身を乗り出したルシオラは、背筋に走った悪寒に従って全力で後方に飛び退る。
その眼前を、開いたゲートの上半分を打ち砕きながら、真上からの巨大な光条が切り裂いた。
「――それはな」
「…げ」
「…うそ」
振り仰いだ視線の先に――片手を此方に向けて突き出した、長大な二本の角を持った紫色の魔神が居た。
「私だけで十分だからさ」
「あ、アシュタロス様っ?!」
それは、紛う事無き悲鳴であった。
「何でラスボスがいきなり出てくるんじゃーっ?!」
「しっ、知らないわよ私に言わないでどーすんのよっ?!」
狂乱の態を晒す二人に手を向けたまま、口元を歪めた魔神がそこに佇んでいる。
表情こそ余裕が見て取れる物の、それは絶対的に強い者がもつそれであり、気の緩みは全く無い。
ただそこに居るだけ。
であるにもかかわらず、まるで周囲の空間自体が脅えるような、強烈なまでの圧迫感を感じさせている。
魔神は、二人の様子など気に介さず、何でも無い事のように宣言する。
「さて、我が娘よ。選択肢を与えよう」
言葉と共に掌に膨れ上がる、先程のルシオラの全力が霞んで見えるほどの強大な魔力。
逆立ちしても敵わない、と言う現実を突きつけられたような物だった。
「素直に戻るか――それとも、ここで滅びるか、だ」
言葉の終わりと共に、魔力は更に増大する。
台詞どおり、それは彼女を消滅させてもまだ余りあるだけの威力を秘めていた。
吹き付ける圧迫感が更に増し、最早息をするのでさえ辛いほどの高密度の魔力の余波が吹き付ける。
放たれた酷薄な選択肢は、ルシオラの身体を一度だけ大きく震わせた。
「ほ、本気なんですか、アシュ様」
「…嘘をついているように見えるかね?」
蒼褪めながら僅かに身を引いた彼女に、全く動揺した様子を見せないままで答える魔神。
向けられた手は小揺るぎもせず、二人を狙ったままその手の魔力も消えはしない。
それでも、どこかまさかという気持ちがあったのだろう。
しかし、それさえも許されないほど、どこまでも本気の色が魔神の目には宿っている。
「…そんな」
「おい、ルシオラ」
小さく震え出した身体を止めたのは、抱えた球体から囁かれた忠夫の言葉だった。
「さっきの門開いて逃げるのに、どれ位かかる?」
「…3秒もあれば。でも無理見たいね。逃げるよりも早く…消し飛ぶわ」
その会話が聞こえる筈も無い音量、距離であるにもかかわらず、ルシオラの様子から察知したのだろうか、アシュタロスはどこか面白そうな表情を浮かべて沈黙を保ったままである。
その威圧感と掌に蓄えられた魔力だけは変わってはいないが。
「いいか、今は何とかアイツの事をあっちに伝えなきゃならん」
「だから、どーやってよ? はっきりいって妙な動き見せたら…その、ヤバイわよ」
「わーっとる。チャンスは一回きりだ」
こそこそと、蒼褪めたままのルシオラと、球体の中に囚われたまま、霊力も発揮できないが故に脱出することさえままならない半人狼を眺めながら、アシュタロスは思う。
この絶望的な状況下で、魔神の一柱たるアシュタロスに命を掴まれた状態で、まだ諦めた様子を見せていない。
――それが、酷く面白い、と。
この外連味こそが悪癖だと理解していても、『彼』にはそれを止めるつもりなど毛頭無い。
それが、必要だからこそ。否、それこそが。
「く」
苦笑いを浮かべつつ、眼下で何やら揉めている二人を見下ろす。
例えこの状況が誰の手によって生じた結果だといえど、それを責めるつもりなど無い。
むしろ、感謝したいくらいの気持ちがあった。
それは、期待もあったのだろう。今度は何を見せてくれるのか、と。
「…相談事は終わりかな?」
何やら睨み合っていた二人が、その言葉に弾かれたように首を向けた。
まだ迷いの見えるルシオラを余所に、忠夫の目にははっきりとした決意の色が見える。
忠夫が何事か囁いて、そして、ルシオラは迷いを振り捨てアシュタロスをしっかりと睨みつけた。
「…アシュ様。本気なのですね?」
「愚問だ」
「それなら…」
心配そうな、心細そうな表情を一瞬浮かべたルシオラは、だが次の瞬間には不敵な笑みを浮かべて。
「てい」
「――なっ?!」
忠夫の入った球体を、アシュタロス目掛けて投擲した。
余りにも予想外の動きに魔神の思考が僅かに停滞する。
掌の魔力を解放するかどうか一瞬迷い、幻影かと疑うまで0,5秒。
ルシオラは忠夫を投擲すると同時にゲートを構築。
幻影だ、と確信めいた思いを抱きつつ、もしやとの思いでその球体を確認する。
感じる波動は、間違い無くそれが本物である事を示していた。
ルシオラとアシュタロスを結ぶ直線状の、丁度中間地点に忠夫が到達。
1秒。
――今、この時点で横島忠夫を消滅させる訳には!
意図が読めぬまま、しかしその思いだけが反射的に魔力砲を放とうとした動きを止めさせた。
已む無く顔に向かって飛来する球体を受け止める為、間違っても忠夫が巻き込まれないように魔力塊を掻き消し、手をコース上に移動させる。
1,5秒。
ルシオラが完全に開ききったゲートに向かってステップを踏んだ。
2秒。
忠夫を受け止めたアシュタロスの空いた手に魔力が迸る。
まだ、ルシオラの背中は十分に狙える状況にあった。
ゲートに飛び込み、それが閉じる前に一撃を打ち込めば向こう側に抜けきる前に彼女を貫ける。
ルシオラの姿が完全に飛び込み、すぐさまゲートが閉じにかかる。
2,5秒。
「逃がさ――」
「よそ見してんじゃねぇっ! 一発喰らっとけこの腐れ外道っ!」
忠夫の怒号と共に、掴み取った筈のそれが内部から弾け飛んだ。
完全に不意を突かれたアシュタロスが、それを認識するよりも早く、それは――如意金箍棒は、彼の顎を斜め下から突き上げる。
衝撃で僅かに腕が揺れ、放たれた魔力砲はルシオラの飛び込んだゲートを掠めて何も無い空間を貫いた。
3秒。
そして、ゲートが閉じた。
遠く離れた亜空間の壁に魔力砲が直撃し、鳴動するかのように周囲が激しく揺れ動く。
アシュタロスの手から脱出した忠夫は、霊体であるが為に握る事の出来ない――握れたとしても人狼の身体能力が無い為振るえはしないのだが――落ちていく如意棒を慌てて追いかけ、それに手を触れ己の魂の中に再び取り込んだ。
体勢を立て直し、振り仰いだ忠夫の目に、上から全く感情を見せないアシュタロスの視線が突き刺さる。
「…何故だね。お前ごとルシオラが消し飛ぶとは思わなかったのかな?」
「ベスパから聞いてたからな。俺が目標の一つって言ってたらしい割に、殺さずに捕えてたじゃねーか。もしかして、まだ殺せねぇ理由でもあるのかなって思ったんだよ」
正直5分以下の賭けだったけど、と、彼は小刻みに震えながらそう答えた。
何時頃からか彼が使っていた如意棒。
術で収納空間でも創り、そこから仮の主として取り出して使っていたものとばかり思っていた。
そう言った外界からの、若しくは外界への影響をシャットダウンする為の捕縛式を組み込んであったのだ。
霊力も使えぬ身では、脱出はほぼ不可能の筈であった。
だが、現実として、彼は眼下に霊体として存在している。
あの武神が、魂に宿すほどに完全に所有権を渡していたとは思わなかった。
高名な武の神の、代名詞とも言えるほどの神器。それでは己が使えなくなると言うのに、一体何を考えているのやら。
「…くっ」
込み上げてきた笑いを噛み殺し、見事に逃げ切った、或いはまだ此方が「以前のアシュタロス」だと何処かで思っている娘に対し、賞賛とほんの僅かな嘲りと、その奥に隠れた何かのない交ぜになった感情を覆い隠す。
最も危険な存在の前に、あの場で最も脆く大切な存在を置いていく。
それほどまでに信頼されていたのかと思うと、誰かに対して僅かに嫉妬めいた感情を抱いた。
全てを抱いたまま、押し殺すようにゆっくりと目を閉じる。
「…ふむ。外連が過ぎるな」
「…へ?」
呟いた瞬間、忠夫の咽に、アシュタロスの掌が食い込んだ。
一瞬で忠夫の目の前に移動したアシュタロスは、苦々しげにその瞳を睨みつける。
霊体で在る以上呼吸の必要は無いが、ただ握られているだけなのにそこから漏れ出す魔力だけでも忠夫の意識は消し飛びそうになる。
霊体という肉体の無い状態であるからこそ、その凶悪な存在は悪寒と共に忠夫の根幹を拘束した。
「確かに。確かに『今は』お前を消滅させる訳にはいかん。横島忠夫を、な」
「ぐ、ごほっ! お、俺は犬飼忠夫だっつ、の」
掴まれた首を振りほどこうと、アシュタロスの腕を掴んで暴れるも、魔神は全く意に介さない。
冷徹な目を向けたまま、口元に嘲りの笑みを浮かべた。
「そうだ。お前は『横島忠夫』で在りながら、『横島忠夫』では無い。だからこそ、我らは此処を選んだのだ」
「…は?」
「前段階である霊力の盾も、『横島忠夫』のジョーカーである『文珠』も使えず、人狼としての能力にのみ特化した異端」
「わ、けの分からん、事を」
「あまつさえその半人狼の肉体からも切り離され、だがその肉体のスペックを失い、人としての霊力の成長を無くした脆弱さ故に、無力」
ぎり、と音を立てて、アシュタロスの手が更に食い込んだ。
言葉を放つ余力さえも奪われ、僅かに残った力で如意棒を出そうとした手も、もう片方の手で拘束された。
「そして、我らを受け入れる事のできる魔神アシュタロスの在り様。無限世界の中に在りながら、これほど条件を満たした世界を見つけるまでどれほどの試行と時間を費やした事か」
アシュタロスの手に輝きが灯り、それが徐々に複雑な文字の連なりへと変化する。
掴んだ手から蠢くように忠夫へと移って行ったそれらは、幾重にも忠夫を包み込み、その存在を拘束していく。
「分かるか『犬飼忠夫』。貴様では、”我ら”にとって”これ以上無く幸運な事に”、役者不足なのだ…!」
一際鮮烈な閃光が辺りを埋め尽くす。
それが収まった後には、アシュタロスの掌の上に、再び忠夫が球体に閉じ込められ存在していた。
だが、それまでとは違い、その色はより濃く、重厚な気配を放っている。
閉じ込められた忠夫は、完全に意識を失い倒れこんでいた。
「――ベスパ、聞こえるか」
『はい、アシュ様』
球体を弄びながら、アシュタロスは大逆天号のブリッジに居るベスパに声を飛ばす。
硬質な返答に特に何の感慨も持たず、踵を返したアシュタロスは、冷たい声で言葉を続けた。
「眷族を飛ばせ。人界に情報を流すな」
『…はい、アシュ様』
ゆっくりと巨大兵鬼に向かって飛んでいくアシュタロスの目に、大逆天号の腹部から雲霞の如く出撃していくベスパの眷属が見えた。
それは開かれた巨大なゲートを次々に潜り、アシュタロスとすれ違いながら高速で後方に流れていく。
鳴り響く蜂の羽音と周囲を埋め尽くす黄色い小さな影の中に生まれた間隙を飛びながら、アシュタロスは無言で兵鬼の中へと消えていった。
「ご協力、ありがとうございましたっ!」
整然と揃った敬礼を見せる自衛隊隊員達に、白衣を来た初老の男性と、全身を黒い服でコーディネートした上に三角帽子を被った女性が二人揃って苦笑いを浮かべた。
「いや、此方こそ助かりました。流石にスタッフ総出でも患者達を運びきる事は出来んかったでしょうしな」
白井総合病院の院長は、そう言ってぎこちなくも敬礼を返す。
隊員達の真ん中の男性が小さく笑いながら歩み出て、握手を求めて右手を差し出した。
それを笑って握り返す男性の横で、魔鈴は微笑ましそうにそれを眺めている。
「それに、どちらかと言うと今回の功労者は魔鈴さんですわ」
「いえ。白の魔女としての役割を果たしたまでですから」
「いやいや、貴方の魔法薬と不思議な道具が無ければ動かせない患者も何十名と居りました。患者を預かる身としても、どれだけ感謝してもし足りません」
深々と頭を下げた医師に慌てて頭を下げ返しながら、魔鈴は困ったように小さく笑った。
殆ど同時に頭を上げ、互いに笑いあった後、魔鈴は意志と握手した男性に小さなメモ用紙を手渡す。
視線で問う男性に対し、魔鈴は悪戯っぽい笑みを浮かべて内容を告げた。
「先程の仮死薬の解除薬の作り方と運搬用導具の使用方法です。迎えに来られた向こうの病院の方にもお渡しして置きましたけど、一応念の為にもよろしくお願いします」
「…確かに預からせて頂きました。必ず、届けます」
大切そうにメモ用紙を懐にしまい、滑らかな動きで敬礼を取った自衛官に軽く頭を下げてお願いしますと告げると、彼女は優しく何も無い空を撫でた。
その指先がなぞる先から、溶け出すように一本の箒が出現する。
柄を掴んで軽く回し、その上に腰掛けると、魔鈴はゆっくりと舞い上がった。
「それじゃあ、私はこれからオカルトGメンの所に行きますので」
僅かに風を巻きながら、魔女は遠くに見える紫色の天蓋に向かってすっ飛んでいった。
「…やれやれ。美人で気立ても良いと言うのに、近頃の若い者は不甲斐ないなぁ」
「ま、うちの隊員達が暇な時に客として行きたそうにしてますから、頑張って貰いましょうや」
にやにやと逞しい腕を組んで笑いながら、自衛官は後方の隊員達に聞こえよがしな声を上げる。
ぼそぼそと互いに肘で突付き合いながら小さな声で会話していた隊員達が、真面目な表情で何度も何度も頷いていた。
呆れた表情で自分よりも高い位置にある意地の悪い笑顔を見上げた医師は、視線で自衛官に問い掛ける。
その視線の意味を正しく受け取った男性は、肩を竦めて懐から取り出した1枚の写真を突きつけた。
「ま、3人目が産まれたばっかで浮気なんざした日にゃあ、間違い無くぶっ殺されますからね」
「曹長その顔で愛妻家ですからねー」
うるせえ、と男性が振り返って一声吼えると、隊員達は蜘蛛の子を散らすように道路に止めてあったジープとトラックに駆けて行った。
頭を掻き掻き医師に向かって決まりの悪そうな顔を向けた男性は、腹を抱えて笑いを堪える医師を見つけて唇をひん曲げる。
誤魔化すようにジープのエンジンを動かした隊員を呼びつけ、医師を病院に送るように大声で言いつけた。
「でも、良いんですかい? こう言っちゃなんですが、今あそこは何が起こるか分かりませんぜ?」
「何程の事も無い」
横付けにされたジープに乗り込みながら、医師は気楽に笑って見せた。
「病院がある、苦しんでいる患者が来るかも知れない。医者が居る理由なんて、それで十分じゃないかな?」
けたたましい音を立てて走り出したジープを、敬礼と共に見送った男性は気合を入れるように両手を頬に打ち付けると、行き先を指示しながら自分もジープに体を乗り入れた。
「…嫌な風」
三角帽子を押さえつつ、全く人気の無い眼下を見下ろしながら、魔鈴はドームの近くに差し掛かっていた。
特に害は無いと分かってはいるものの、その壁は見る者に不安と圧迫感を与えて静かに佇み続けている。
数回ほどその場で回っていた彼女が意を決して突入しようと最後の旋回に入った最中、それが視界の隅に引っかかった。
減速し、壁から距離を取りながらその小さな黒点に目を凝らす。
良く見れば、小さな黒点の後ろに、霞みがかったような黒が見えた。
途端、閃光が先頭を行く黒点から後方の霞みに向かって放たれた。
だが、黒い靄はすぐさま形を変え、その閃光の軌道上に穴を開ける。
虚しくその空隙を貫いた閃光は、空の彼方へと消え去っていった。
「何…?」
呟く間にも黒点は徐々に魔鈴の視界の中で拡大していく。
どうも此方に向かっているようだと気付いた魔鈴は、それを理解すると共に聞こえてきた声に頭を抱えた。
「あーっ! もーっ! 鬱陶しいのよあんた等ぁっ!!」
「…何をやってるのやら」
一瞬の脱力を乗り越え、声の主に向かって箒を駆る。
意思に応えて勢い良く加速した箒は、数十秒の時間の後、乗り手の思い通りに高速で飛行する彼女の隣に平行していた。
「ルシオラさんっ! いきなり無断欠勤するわ許可も取らずに休むわ、貴方何を考えているんですか!!」
「あ、魔鈴店長御免なさい。ちょっと実家の都合で…ってか何で此処にいるんですか!」
「何処も此処も無いでしょう! あの後本当に大変だったんですからね! メドーサさんは来ないしお客さんはどんどん来るしあの貴方が作ったロボットはまた勝手に人の店を中華風に変えようとするし!」
向かい風に負けないように大声を出す二人の前に、巨大なビルが立ちはだかる。
何のタイミングも打ち合わせも無く、寸前で左右に分かれた二人は通り過ぎた先で再び合流する。
そのまま魔鈴の説教と言うか愚痴と言うかも継続した。
「大体貴方はもうちょっと看板娘の双璧としてちゃんと立場を理解してください! お客さんも貴方とメドーサさんを見に来る人が段々増えてるんですよ! お陰で変な客層が微妙に増えちゃってるんですから責任取ってください!」
「いやそれはメドーサの責任が大きいような気がしますけど…。ほら、あの接客態度が良い! って人がほぼ全てですし。あと魔鈴店長のコスプレじみた服装も」
「まっ!」
確かにメドーサのファンを自称する客は微妙な階層が多いと一瞬納得しかけた魔鈴だが、続いた言葉は流石に看過できる物ではなかった。
彼女が身に纏う服は魔女としての正装である。
それを言うに事欠いてコスプレとは酷すぎる。これだから魔女が偏見の目で見られるのだ! と至ってズレた結論に辿り着いた魔鈴が口を開こうとしたその瞬間。
轟音と共に、後方でビルが倒壊した。
真ん中から真っ二つに折れて砕けるビルを包み込むように、ルシオラの後を追いかけていた靄がある。
それは崩れ落ちていくビルの上部を巻き込んで、あっという間に粉々に砕け散らせた。
舞い踊る粉塵を掻き分けるように、千を数えるほどの小さな影が飛んでいる。
慌てて加速したルシオラに追随しながら、魔鈴はパニック寸前の声を投げかけた。
「な、何ですかアレは!」
「とっても危ない蜂の群です」
「見れば分かります! って何処にビルを砕いて平気そうな顔をしている蜂がいますか!」
「真後ろに。と言うか蜂の表情なんて分からないでしょ?」
会話の合間にも、重なり合って轟音と化した羽音を引き連れたベスパの眷属が少しずつ距離を詰めている。
蜂というにはまるで弾丸に乗り込んだ特攻兵器といった風体の奇妙な姿ではあるが、その凶悪さはたった今実証されたばかりである。
ともあれ、目的はルシオラのようだと判断した魔鈴は、素早くルシオラから見て斜め方向に進路を変更。
「ああっ! 魔鈴店長ってば酷い! 可愛い店員を見捨てるつもりですかぁっ!!」
「こ、こっちに来ないで下さいっ!」
だがいい加減追い回され続けて疲労の蓄積したルシオラも必死にその後に食い下がる。
何とかしてくれ、と言うよりも死なば諸共と言った雰囲気なのは、魔鈴の気のせいだっただろうか。
ともあれ、このままでは振り切れないと――両方を――判断した魔鈴は、両手で掴んでいた箒の柄から片手を離し、ローブの隠しポケットに手を突っ込んだ。
「しょうがないですね…! ルシオラさん、そのまま直進!」
「何とかできるんですか?!」
「します!」
取り出されたのは、車に乗せられている発煙筒にも似た黒い筒。
側面に描かれたデフォルメされた笑顔の魔鈴がルシオラに何とも言えない嫌な予感を駆り立てさせるが、涙を飲んで諦めた。
色々と。
その筒の先端を握り、箒の柄に足だけで掴まった不安定な体勢のまま、魔鈴は無理矢理加速する。
前方から吹き付ける風に振り落とされそうになりながらも、筒の先端を覆っていた蓋を外して露出した中身に擦りつけた。
「害虫は食事所の天敵にしてライバル! 対策は十分出来てます!」
「流石魔鈴店長っ! って待って下さい! 何か嫌な予感がっ!」
待たなかった。
筒の先端から、その体積からは考えられない程大量の煙が膨れ上がって後方に流れて行った。
「喰らいなさい! この間出来たばかりの試作型対害虫薬『虫コロリじゃ切なくて、私もう我慢できないのっ!』君をっ!」
「何ですかその無駄にセクシーなネーミングはっ! 後対策十分って言ったのに何で出来たばっかりうぷっ?!」
突っ込みは視界の全てを埋め尽くした煙に塞がれ途切れた。
急ブレーキをかけた魔鈴の目に、濃度のやたらと高い煙がその場に動く事無く漂っているのが写り込む。
高速でそれに突っ込んでいった蜂達は、だがその真っ只中で勢いを失い次々と落下していった。
だが、その数ゆえに免れた蜂達も少なくは無い。
それは、怒りに満ちた雰囲気を撒き散らしながら、その煙の塊の横を擦り抜け魔鈴に敵討ちとばかりに迫ろうとし。
「…甘い」
にこりと優しく微笑む魔女の表情を視認した瞬間、まるで生き物のように煙から伸びた触手に絡み取られて次々と内部に取り込まれた。
「ふふふ…
阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。
必死で逃げようと羽を動かす生き残りの蜂達に、数千本もの煙でできた触手が絡みつき、捕食行動の如くどんどんとその内部に取り込んでいく。
それを眺める慈母のような笑顔の魔女。
何処が白の魔女なのだろうかと彼女を知る者は突っ込み、もっと良く知る者は諦めたような乾いた笑い声をあげる事だろう。
やがて一分が経ち、ぐもぐもと咀嚼のように蠢いていた煙が溶け込むように消えていく。
しゅるしゅると縮んでいく端からぼろぼろと動きを止めた蜂を零して行く様が、何とも恐怖をそそる光景である。
最後にぽん、とコミカルな音を立てて消滅したその中心部から、えらく消耗した様子のルシオラがふらふらと魔鈴に向かって飛んで来た。
「あら、どうしたのルシオラちゃん」
「あの、私、蛍が元になって出来た魔族なんですけど」
「まぁ」
虚ろな目で告げたルシオラの目の前で、口元に手を当てた魔鈴が呆気に取られた表情を浮かべた。
「…まだ弱かったかしら?」
「殺す気ですかぁぁぁぁぁっ?!」
「や、やぁねぇ。冗談よ、冗談」
箒の尻尾に掴まりながら、絶対本気の目だったとルシオラは確信していた。
ルシオラをぶら下げたまま、ゆっくりと箒は誰も居ない道路へと降りて行く。
その尻尾に掴まりながら、そんなに忙しかったのかと思うと共に、就職先間違えたかなー、とルシオラは今更な思考を浮かべるのだった。
後、魔鈴だけは怒らせないようにしよう、とも。