月に吼える   作:maisen

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第参話  『だから彼女にまた会う日まで』

 静かである事と無音である事は、必ずしもイコールで結ばれる訳ではない。

 

 例えば誰も居ない山奥の川辺に居たとしよう。

 

 近くを通る車もおらず、微かに聞えるのは風に揺れる木の葉とせせらぎの音だけ。

 

 それを静かだと感じても、音が無いとは言わない。

 

 静かだということは、音が少ないそれ以外の何かが感じさせるものなのかもしれない。

 

「…何か歌でも歌いましょうか?」

 

『お前潜入工作に向いとらんなー』

 

「ほら、賑やかなら雰囲気も違ってくると思いません?」

 

『違ってどーなるもんでも無かろうよ』

 

 根本的に間違っていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 月に吼える 第三部 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 階段を降りきってしまえば、後は広間の中心に立つ建造物まで一直線の通路が引かれていた。

 

 その場所の広さに応じて通路の長さも幅もトラックが3台横並びで通れそうなものがある。

 

 一歩踏み出すたびにカツン、カツンと硬質な音を立てる靴音に始めは警戒の意味も篭めて宙を飛んでいたルシオラだが、10分も歩かないうちに止めた。

 

 全く誰にも会わないのだ。

 

 城の地上部分、そして歩いてきた距離から想像される大体の構造から、この位置がおそらく中枢部分といっても間違いないだろう。

 

 だが、侵入者が二人ここを歩いているというのに警報が鳴り出す様子も無ければ、誰かとすれ違う様子も無い。

 

 埴輪兵の一体くらいとっ捕まえて情報を聞き出そうかなー、と思っていた彼女にとっては少々残念な部分でもあったが。

 

 それにしても、とルシオラは通路の横を見上げた。

 

 まるで区画を区切るように、3階建てのビルほどはありそうな四角い箱が通路の先まで並んでいた。

 

「大きな箱…。何が入っているのかしら?」

 

『…あそこに答えがありそうだな』

 

 土具羅の指差す先には、通路側に向かって口を開いた『箱』があった。

 

 他の箱と違う部分といえば、その少し大きめのドア程度の、ポッカリと開いた穴くらいであろう。

 

 足早に近寄ったルシオラは、周囲の空気が急に冷え込んだのを感じ取る。

 

 寒げに二の腕を擦る彼女の横をさっさと通り抜けた土具羅が穴の向こうを覗き込んだ。

 

『やはりか…! 一体何をお考えなのだ、アシュタロス様は!』

 

 内部を照らす明かりも無いため、ルシオラの瞳には壁のように入り口を閉じる闇しか見えはしない。

 

 だが、押し出されたような上司の言葉には、困惑を通り越した呆れと――僅かな怒りがあったように思えたのは気のせいだっただろうか。

 

 ややあって首を入り口の向こうから引っこ抜いた彼は、話しかけるなという雰囲気を纏いながらゆっくりと歩き出した。

 

 肩を怒らせ、短い足でのしのしと地面を踏みしめながら、しかも頭頂部から放射能混じりの白い煙を吐き出す土具羅に話しかけたいと思う部下はあんまり居ないだろう。

 

 その背中を見送り、寒さのために白く染まる息を吐きながら、ルシオラも内部を覗き込んだ。

 

 やっぱり暗闇に満たされた内部は、内に抱えるものを見せてはくれなかった。

 

 面倒くさげに恥ずかしげに、どこからとも無くダンボールを取り出し組み立てる。

 

 しゃがまぬままにそれを被りモニターを見れば、それは簡易な暗視装置だ。

 

 モニターを覗き込んだルシオラは、驚きのあまり硬直した。

 

 モニターの向こうに見えたのは、まるで棺桶のような、人一人分の形の空間を持った空っぽの細長い箱だった。

 

 巨大な箱の中に、直立した細長い箱が細い通路を挟んで隙間もなく並べられ、聳え立つ光景は、一瞬自分の位置を見失いそうになるほど不気味な光景であった。

 

 それが全く活動しておらず、内部に何かが居た時の物であろうか、凍えるような冷気を吐き出しているともなれば、とっとと離れたいと思うのが当たり前であろう。

 

 彼女もその通りに行動しようとして、しかしモニターに映し出された文字列に足を止められた。

 

「…形式番号かしら。っていう事は、これ、機械…? しかも人型の、だったらこの冷気は冷却…辺りには見当たらなかったわよね」

 

 一直線で見通しの良い通路、しかしこの箱から何かが出て来た様子は無い。

 

 だが周囲の機械が停止しているのに冷気がまだ残っているところからすると、入れ違ったか。

 

「…え゛」

 

 そこまで考え、ルシオラの額に巨大な汗が描かれた。

 

 通路の横には、これと同じ何かがぎっしり詰まった箱が、碁盤目状に整然と、数え切れないほど並んでいた。

 

 つまり、この中身もそれに応じた数が存在するということだ。

 

 開いているのは目の前の箱だけのようだが、中身を全て合わせれば一体どれ程の数になるというのか…!

 

「…ほ、本当に何を考えているのかしら、アシュ様ってば」

 

 一歩踏み出す度に、薄暗いこの場所の中心に近づくごとに、不安だけが心に広がっていくようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜空を飾るのは、真円には僅かに足りない月と、ささやかに自己主張する幾億の星達。

 

 そして、時折森と山の中から輝く閃光ぐらいであった。

 

 閃光に追随する轟音が、更に森の木々が焼ける匂いを誘って弾け回る。

 

 モニターの向こうの光景を呆れたように眺めていた老人は、黒いマントを翻えして立ち上がった。

 

「マリア!」

 

「イエス。ドクター・カオス」

 

 苛立たしさと感嘆を半分ずつ混ぜた声音でマリアを呼んだカオスは、未だ外の光景を映し出し続けているモニターを最早一顧だにせず歩き出す。

 

 常より僅かに早く動く足音に追随するマリアは、全く表情を変える事無くその背を追う。

 

 背後でモニターに一瞬何かの影が映し出され、寸暇の間も置かず放たれた火線が画像を粉砕した。

 

 砂嵐を映し出すだけの平面がブラックアウトした後には、また別の方角からと思わしき映像が映し出される。

 

 見る者もおらぬ画面には、ヨーロッパの魔王の基地を囲う森を焼く炎と、紅の隙間を縫うように駆ける影があった。

 

「実に不愉快、実に腹が立つ! あの元助手は人の渡した設計図を何だと思っとる!」

 

「…ドクター・カオス? 記憶が?」

 

「ふん。此処まで計画が進めばワシの記憶の封印など最早必要ないと言う事じゃろ。結局ワシは解呪の為に無駄な時間を使った訳だわい!」

 

 苛立たしそうな態度はその為だろうか、とマリアは思う。

 

 己の研究が無駄に終わったためか、と。

 

 それとも無駄となった己の時間のためか、と。

 

 だが、彼女の思考は即座に否を示した。

 

 無為を知り、有為を知り、無駄さえ己の物とする。

 

 そうやって、目の前の錬金術師は700年もの間自分を磨き続けてきたのだ。

 

「やはり・間違い・ありませんか」

 

「ああ。芦に渡した設計図から予想される外観、運動能力、内装可能な火器、その他諸々。他称の差異はあれど、その程度、見れば分かる!」

 

 カオスは苦々しげに言葉を吐き出し、手のひらを叩きつける勢いでドアを押し開いた。

 

 開かれたドアが悲鳴のような音を立て、同時に二人のたつ床がぐらりと揺れ、頭上からぱらぱらと僅かに埃が舞い落ちた。

 

 既にこの場所まで振動が伝わり始めている。

 

 カオスの基地として、相当の耐震システムが組み込まれたこの地下施設で振動が伝わると言う事は、「敵」にかなり深いブロックまで浸透を許しているということである。

 

 マリアの娘たちに必用な物を運ぶ準備をさせ、マリアには残り少ない防衛装置の管理管制を任せて次々と潰される監視装置からの画像に見入っていたカオスが動き出したのは、そんなタイミングである。

 

「お急ぎ・下さい。敵集団は・ECMを・起動中。現在・マリアが保持している・施設内機器・残り僅かです」

 

「…のぅ、マリア」

 

「イエス。ドクター・カオス」

 

 先を急ぐことを促された筈の、カオスの足が止まった。

 

 放たれた声音は、酷く冷静で、平坦で、感情の篭らない物だった。

 

 いや、感情が押し込められすぎて、全てが平坦になった物だった。

 

「最後に、お前の目で直接確かめてほしいんじゃがの。ひとつ、頼まれちゃくれんかの?」

 

 だが、その中に、確かにそれだけは無い、と。

 

 それだけはあってくれるなと祈るような響きがあったのは、彼女にとっては気のせいではなかった。

 

 故に、何時ものように、彼女は肯定の一言を。

 

「イエス。ドクター・カオス。何なりと――」

 

 囁くように、慰めるように、一瞬だけ、常なら活力に満ち溢れたその背中が、本当に疲れきったように見えた父親から、その背中から目を逸らさずはっきりと告げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――アクセス」

 

 カリカリと硬い板を引っ掻いたような音が響く。

 

 広い通路、倉庫へ直接通じているそこの真ん中に、たった一人でマリアが立っている。

 

 真っ暗な通路の端から天井に吊るされたまま沈黙していたライトが、彼女の囁きに答えて光を放つ。

 

 無機質な壁面に、どこか暖かさを感じさせる光が跳ね返った。

 

「――倉庫への・直通回廊・一時開放・対象の侵入を確認後・閉鎖…実行」

 

 僅かに上に向かって湾曲した通路の向こうから、軋る音と共に熱を持った風が吹き込み、寸暇の間も置かず、再び閉じた事を示す轟音が響いた。

 

 基地の中である意味最も重要な研究ブロックと、集めてきた資材を蓄えるブロックは極めて近い場所にある。

 

 その為、その倉庫ブロックへ通じるこの通路にはそれこそ核シェルター並みに強固な隔壁が幾重にも設置されており、妨害電波などもここには届かない。

 

 無論、進入を警戒したのではなく、実験失敗した時の被害を減らすため、ではあるが。

 

「目標・確認」

 

 機械の殻。

 

 メタソウルという彼女の魂を守る鎧。

 

 そして、彼女の身体。

 

 身体の彼方此方から、かちりかちりと音が響く。

 

 内装された火器の、武装の、安全装置が解除されていく。

 

 丁寧な整備と改良を受けたばかりの彼女の身体は、彼女の意思を余すところ無く汲み取り準備を整える。

 

 何時もながらの完璧さと、整備を受ける度にどこかしら改善されていく、そんな気さえ彼女は感じていた。

 

 システム的には変わらない。ハード面にも変化は見られない。

 

 それでも、「気のせいかもしれないけれど」と、プログラムに全く関係の無いところで彼女は確かにそう感じるのだ。

 

 そして、それを感じた後は、何故か分からないけれども高揚する事に気付いたのは何時だっただろうか。

 

 結構昔だったような、それとも最近だっただろうか。

 

「無駄な思考」と「プログラムに無いモノ」。

 

 それに葛藤するほど幼くは無い。ただ、マリアは有るがまま受け入れ、受け入れたままに在るだけだ。

 

 高揚する気分に引き摺られるように、霊力伝達の経路を通った力が吹き出し始める。

 

 静かに、力強く、しっかりと足を踏みしめ、迷いの欠片も躊躇の切れ端も無く、マリアは、目の前に「ブースターを吹かせて」停止したそれに相対した。

 

「――初めまして、ね。『姉さん』」

 

「初め・まして――『テレサ』」

 

 どこか似通った二人、それは当然の事でもあった。

 

 同じ者によって設計され、だが片方は設計者の傍らで永い時を過ごし、片方は設計図だけを設計者の友人に手渡された。

 

 同じ設計者――ドクターカオスによって形作られた二体。

 

 姉妹機でありながら、今は敵対するものとしてここに在る。

 

「ふぅん、ソフト面はデータ通り、本当に700年前のままみたいね…」

 

「敵対する・意思は・ありますか?」

 

「随分今更なことを聞くのね。それにインターフェイスもあんまり優秀じゃないみたい…なんでカオスはさっさと消去して新しく構築しなかったのかしら?」

 

「分からない者には・分からない・事です」

 

 テレサと呼ばれた、長髪をポニーテールに纏めた彼女は、動きやすそうな短いスカートと豊かな表情が肩に書き込まれた番号に違和感を感じさせていた。

 

 微かに怒りを浮かべ、舌打ちしたテレサは吐き捨てるように言葉を返す。

 

「…ふん。先に作られたからって分かった様な事を。――質問に答えて無かったわね。敵対? そんな事考えてないわよ」

 

 かちり、とテレサの腕から小さな音が響く。

 

 僅かに眉根をひそめたマリアは、警戒のレベルを最高度まで引き上げた。

 

 センサーを最大限に駆動させ、相手の動きを観察する。

 

 その顔が、更に顰められた。

 

「ECM・起動・確認。火器・安全装置解除音・確認。行動と・台詞が・合っていないようですが?」

 

「あら、間違ってないわよ。「こっち」で作られた姉さんには申し訳ないけど、ハード面に差が有りすぎるのよね? 敵対も何も、勝負になるわけないじゃない」

 

 余裕を持って、微笑さえ見せながらテレサは言う。

 

 マリアが作られた時期は、中世――オカルトの最盛期といわれる時代である。

 

 ハード面でそれを超えるとなると、ほぼ不可能であろう。

 

 何故なら、当時マリア姫とそれなりに豊かなパトロンを持ち、尚且つ当時のオカルトの隆盛とカオスの錬金術を持って、当時手に入れられるだけの物をマリアは使用している、いや、いたのだから。

 設計図は同じとなるのだから、あとは構成素材と内部機構の改良がハード面の改良だろう。

 

 だが、あの当時を越える物となると、現在の人界では手に入れることすら難しいものばかりで、あっても非常に高価かつ稀少である。 では――

 

「ECMをこれだけ近距離で、しかも全開でかければリンクも取れないでしょ? それじゃ、さよな――」

 

「貴女は・随分と・無駄口が多い。それほど・不安ですか?」

 

「――何が言いたいのかしら?」

 

「優れたインターフェイスも・感情を読まれる為に・在るわけでは・無いと言うことです。不安は・無駄口を・増やします」

 

 ぎり、と歯軋りの音が聞えた。

 

 苦々しげにマリアを睨むテレサの表情には、誇りを傷付けられた怒りと自分も気付いていなかったそれを見抜かれた動揺が見て取れた。

 

 わざとらしくため息をついたマリアは、その表情の陰に隠してそれまでの会話をデータに保存し、『送信する』。

 

 装備したばかりで運用データの蓄積が足りず、効率的な使用など不可能だが、極近距離ならば十分だろう。

 

 データを受け取った事を示す小さな緑色の光が真横の壁に灯り、交信中を表す点滅を何度か繰り返した後、消失する。

 

「少しばかり・硬い? だから・出力も・上げられる? 剛性が高いから・多少無理しても・平気? ――それが何だと・いうのですか」

 

「貴女より強いって言ったつもりだけど? 姉さん」

 

 大きく溜め息をついた。

 

 少しばかりワザとらしかったかも知れない、と大根役者ぶりを僅かに恥ずかしく思いながら。

 

 何も分かっていない妹に、囁いた。

 

「度し難い。――それは・『消耗品』の・考え方です。それでも・ドクター・カオス・ブランド・ですか」

 

「…生憎、700年も道具を使い古す程、節操無しの貧乏性がマスターじゃ無いのよね」

 

 マリアの視線が強さを増した。

 

 受け止めるテレサの瞳にも、はっきりとした敵意が宿りだしている。

 

 それまでの油断交じりの物ではなく、純然たる暗い意思。

 

 テレサも何処まで自分の台詞に納得できているのだろうか。

 

 いや、もしかしたら本当は納得などするつもりも無いのかもしれない。

 

 彼女の在り方は、それ自体がそれを否定するものなのだから。

 

「これ以上話しても無駄かしらね」

 

「ええ。なかなか・有効な・情報が得られた以外は」

 

「…持ち帰れなければ無駄でしょう。壊れた人形は、誰にも遊んでもらえないわ」

 

「自分で自分を繰る糸を知る・操り人形と・最初から・糸さえ与えられなかった・人形に――差は、あると思いますか?」

 

 苦笑い。

 

 どちらとも無くもれたそれは、二人の姉妹にそっくりの表情を与え、しかし互いに確認させて消え去った。

 

「さぁね?」

 

 カツン、と硬質な音が響く。

 

 足を開いて向き合った二人は、視線を絡めて静かに相手をサーチする。

 

 互いに持つ火器の威力が、互いの装甲を打ち破れないとは考えていない。

 

 先に相手の致命的部位を、より素早く、より正確に射撃する。

 

 テレサがマリアをにやりと睨みながら、右腕に内蔵された銃の安全装置を音を立てて掛け、再び外した。

 

 答えてマリアも右腕の銃に安全装置を掛け、外す。

 

 ――使用する火器は右腕のみ。

 

 己の性能が相手より優れていると、姉よりも早く正確だと言外に告げる妹の行動に、姉は当然の如く答えて見せた。

 

「行くわよ、姉さん。700年前の骨董品――」

 

「訂正を。この身は常に・最高峰。何時・如何なる時も・ドクター・カオスの・最先端にして最精鋭」

 

「妙な事にこだわるわねぇ…」

 

 少しだけ、楽しそうに見えたのは、マリアの僅かな願望だったのだろうか。

 

 

 

「そう、それじゃ、さよなら――『700年前のハイエンド』」

 

「さよう・なら――『生まれたてのアンティーク』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 動きは一度。

 

 チャンスは一回。

 

 相手の力の限界値も不明。

 

 だから少々小細工を。

 

 果たして、先に動きを見せたのはどちらだったのだろうか。

 

 本当に早いのは、どちらだったのだろうか。

 

 まぁ、マリアには最初からまともに勝負する気など無かったのだが。

 

 二人の腕が跳ね上がる。

 

 速度はほぼ同等、ほんの僅かにマリアが速い。

 だが、テレサの戦術クラスタはその速度差から生まれる結果を冷静にはじき出した。

 

(相打ち、上等――!)

 

 放たれた弾丸がこちらの機能中枢を穿っても、送られた信号が弾頭を放つよりは遅い。

 

 回避方向さえ計算して打たれるほんの数発の弾丸は、どれかが必ず致命傷若しくは相当の機能障害を負わせるだろう。

 

 それで、十分。

 

 後は「別の」がやってくれる。

 

 舌打ちと諦めも含まれた計算は、冷酷なまでの結論しか示さない。

 

 そして、マリアの銃口が動きを止め――。

 

「なっ?!」

 

 天井から物騒な砲身を束ねた兵器が飛び出した。

 

 戦術クラスタに一瞬齟齬が生じる。

 

 本来ならば必要の無い選択肢。

 

 目の前の機体が備える危険度と、飛び出した砲身の危険度を比較、同時に緊急回避のアラートが発生。

 

 1つしかなかった選択肢が増加した一瞬、テレサの動きが止まる。

 

 その僅かなタイムラグがマリアの狙い。

 

 3点バーストで撃たれた弾丸は、しかし全てが別々の狙った場所を抉り取る。 

 

 一発目は、テレサの腕から半分顔をのぞかせた銃を吹き飛ばした。

 

 二発目と三発目を後方に飛び退こうとした両足に打ち込んだ。

 

 最後に後ろに倒れこむテレサに追い付き、背中に回って腕の関節を極めて床に押し付けた。

 

「さっ、詐欺よ! 汚いわよ!」

 

「誰が・銃だけで・勝負すると言いましたか? 防衛装置に・アクセスできないと・言いましたか?」

 

「う、え、あれ?」

 

「人生経験の・差です」

 

 

 マリアの内部に新しく装備された特殊な通信装置、某強力なテレパス能力者から貰った鉄仮面を材料に組み立てたそれを通じてアクセスした防衛装置。

 

 それは全く動きを見せず、飛び出した時のままで天井からぶら下がっているだけだった。

 

 マリアならば、硬直は無かっただろう。

 

 蓄積されたデータと膨大な戦闘経験が、不必要な選択肢を正確なサーチの基で判断にさえ挙げずに蹴り飛ばし、行動を止める事無く残った選択肢から最も正しい物を選び抜いていた筈である。

 

 暫し何やら言いたげに唸っていたテレサは、何度かパクパクと口を動かした後、諦めたように肩を落とした。

 

「じゃ、何で壊さないのよ」

 

「捕虜・ですから」

 

 皮肉げに、床に押し付けられたテレサの口元が持ち上げられた。

 

「あら、そう? 貴女が言ったこと、忘れたの? 私は結局、消耗品なのよ?」

 

「…っ?!」

 

 轟音と閃光が、通路を満たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僅かな振動は、機体のコクピットに座って最終チェックを行なっていたカオスにも伝わる。

 

 その周囲で小振りなリュックサックに親指ほどの8面体を突っ込みつづけていたアルファ達の動きが止まり、心配そうな視線が同じ方向に向けられた。

 

 計器を弄り、レバーの反応を確かめていたカオスの動きが一瞬止まり、しかし次の瞬間には再び迷う事無く動き出す。

 

 釣られたように動きを止めていたアルファ達も行動を再開する。

 

 ややあって、4つの膨らんだリュックを背負ったアルファ達がカオスの乗る機体の周囲に固まる。

 

 扉が開き、マリアを吐き出したのはその時だった。

 

 様子を見て、驚いたように、心配そうに駆け寄ってきた娘達へ大丈夫だと示す微笑を向けた後、マリアはコクピットへ回線を開く。

 

『…派手にやられたの』

 

「ソーリー。ドクター・カオス。自爆装置は・予想して・しかるべきでした」

 

『しておらんかったんじゃろ?』

 

「…あの子も・ドクター・カオスの・娘でも在りましたから」

 

 ちらりと横目を向いたカオスの視線の先、マリアの両手は、肘から先が消失していた。

 

 余りにも至近距離で炸裂した衝撃は、とっさに収束した霊力の壁と元々備える装甲でカバーできたとは言え、拘束の為密着していた腕まではフォローし切れていなかったのだ。

 

 体全体を煤けさせ、両肘の先からちりちりと火花を散らす娘の言葉に、カオスは一瞬虚を突かれて唸った後、悼んでいるような沈黙を作り出した。

 

『…すまんな。余計な心遣いをさせたようじゃの』

 

「ノー・プロブレム。私も・可能ならば・捕虜であっても…」

 

 続ける事は出来なかった。

 

 何故、あんな使い方をされねばならなかったのか。

 

 何故、それならば会話が出来るような機能を付けたのか。

 

 せめて――いや、もうどうしようもない未練だろう。

 

「私達にも・自爆機能が・在るのでしょうか?」

 

『下らん事を聞くな。次、同じ事を言ったら折檻じゃ』

 

「ソーリー」

 

 慌てて自分の体をまさぐり出したアルファ達を撫でようとしたが、手が無い事に気付いたマリアは、少し残念そうに首を傾げた。

 

 それでも、カオスの言葉に安堵の色を浮かべる娘達を見ていると、日頃の行いって言うのは大切だな、と改めて思う事だけは止められなかったマリアであった。

 

『データは受け取った。やはり…あれは、間違い無くテレサだったか。スペックはほぼ互角…まぁワシが設計したのじゃから当然と言えば当然か』

 

「…ドクター・カオス。悪い報告が・1つ」

 

 訝しげな視線を感じながら、だが視線は返さずに前を見る。

 

 今は、その言葉を告げた後のカオスの表情を見ても冷静で居られるほど、気持ちが落ち着いていないから。

 

「――自爆時に・メタ・ソウルの・拡散を・確認しました」

 

『馬鹿なっ?!』

 

 怒号。

 

 メタソウルは擬似的とは言え人の魂を再現したモノ。

 

 故に、それは、原則的に己の存在を守る。

 

 ならば、何故自爆が可能であったのか。

 

 カオスの脳裏を思考の螺旋が駆け巡り、寸暇の間も置かず答えを弾き出す。

 

『まさか…半機械的な制御機構か…!』

 

 メタソウルの成長性も、自我の発生も、自己保存も強制的に捻じ伏せる手段として、それ以上に有効な物は無く、それ以上に冷酷な物も無い。

 

 何処までも効率的に、そして消耗品として、全く同じ性能を持ったユニットとして扱う為の手段。

 

 それが怒号の理由の一つ。

 

 そして、もう1つは。

 

『ならば、今ここに存在する「テレサ達」は、全てメタソウルを宿しているのか…』

 

 基地を取り囲み、また侵入を試みている『百数体のテレサ達』。

 

 其処から派生する疑問。

 

 ――どうやってそれだけのメタソウルを?

 

 マリアのメタソウルを生み出した時でさえ、悪意を持った霊に侵される事無く無垢な魂の擬似存在を生み出す事が出来たのは幾つかの要素が絡み合った上での事である。

 

 土地や霊脈、月齢やカオスの状態が在ったとは言え、その最も大きな要素を占めるのは紛れも無く、彼女の魂が残した残滓が在ったから。

 

 カオスとの間に生まれた魂を祝福する、マリア姫の魂の存在があったから。

 

 ただメタソウルの存在が確認されただけならば、マリアが「バッドニュース」と言う筈も無い。

 

 つまり。

 

『…感じたのじゃな? 姫の魂の残滓を。己のメタソウルとの共鳴で』

 

「…イエス。ドクター・カオス」

 

 ぐ、と言う噛み殺した唸りであったのか。

 お、と言う飲み込んだ怒りであったのか。

 ぬ、と言う堪え切った悲哀であったのか。

 

 様々な感情の篭った単音を吐き出し、数瞬の沈黙を保った後、カオスはただ前を見る。

 

『…早い所お前の腕を治さんといかんな?』

 

「このままでは・娘達の・頭を・撫でられませんから」

 

 ふ、と同じように前だけを見た二人が、溜め息のような笑いを零す。

 

 同時に、その表情が凛の一言に占められた。

 

『行くぞ。このタイミングで襲撃があったと言う事は、準備が完全に整っていると言う事じゃ』

 

 カオスの記憶の封印を解き、確実に彼を物理的に封じる為の戦力が投入された。

 

 つまり、最早対策を取られないように時間を稼ぐ必要が無い事の証明。

 

 彼がテレサ達に対する策を練るよりも、マリア達を大幅に改良する為の時間も与えられていないと言う事だ。

 

 通信機越しのカオスの声は、全てを飲み込み小揺るぎもしない。

 

 傲岸不遜なヨーロッパの魔王が、其処に在る。

 

『ドクター・カオスがこの程度だと? 芦ならば一個旅団は突っ込んでくるぞ。誰かは知らんが目よりもガラス球の方がまだマシのようじゃな。ワシが直々に教えてやるわ、魔王と呼ばれる理由をな!!』

 

 カオスがレバーを握りこむ。

 

 音も立てずに機体が浮いた。

 

 両翼の下に魔女の箒を束ねたそれは、戦闘機にも近い鋭角なフォルムを誇っている。

 

「何時でも・行けます!」

 

『ならば――行くぞ!』

 

 スロットルを一気に前回まで押し込んだ。

 

 目の前の壁が開くと共に、急激なGがカオスの身体を軋ませる。

 

 慣性を無視して一気に最大速度まで加速したカオスフライヤー1号改は、その機体を沈みかけた月に向かって問答無用で打ち出した。

 

 高速で、一直線に夜空を駆ける機体を、地上から打ち出される弾丸が掠める。

 

 基地の外に展開していたテレサ達が攻撃を仕掛けてきたようだ。

 

 にやりと笑って、ボタンを押し込みスイッチを幾つか跳ね上げレバーを右に引き倒す。

 

 進行方向からいきなり真横に滑った機体の予想進路を、膨大な量の弾丸が虚しく貫いた。

 

 だが、それでも追随してくる銃弾の列がある。

 

 舌打ち一つ、再度変則回避を行おうと手を伸ばしたカオスの耳に、呆れたようなマリアの通信が入った。

 

『はしゃぎ過ぎ・です』

 

 何時の間にかコクピットの横に並んで飛ぶマリアがいた。

 

 その周囲ではベータの作り出した力場に弾かれ逸れていく閃光が火花を散らしている。

 

 やたらめったらに銃弾を山と吐き出しながら、装甲と丈夫さだけが取り得の鉄塊がパラシュートを開いて落下していくのが見えた。

 

 デルタが出した機体だろうか。

 

 火線は積極的に、しかも大量に極悪な砲弾をばら撒くそれに集中し、だが殆どは真下から打ち上げられた為に運動エネルギーの多くを失いただでさえ常識外れに堅牢な装甲を穿てずに、表面を削っただけで散らされていく。

 

「ふん。包囲網の強行突破なぞ久し振りでな。血も滾るわい!」

 

『…歳を・考えて下さい。娘達の・教育にも・悪いですから』

 

「なに、これで終いじゃ」

 

 その言葉が終わるか終わらないかの内に、強烈な振動が大気を揺らした。

 

 轟音の発生源を探して振り向けば、カオスの基地があった山のあちらこちらから膨大な量の煙と炎が上がっているのが見受けられる。

 

 ややあって、煙が綺麗な爆風の中で物理法則を無視してドクロ模様を描き出すに至り、マリア達はその原因に思い当たる。

 

 むやみに芸の細かい事である。

 

 無駄なベクトルに凝るのがこの錬金術師の悪い癖であり、カオスらしいと言えばらしい所なのかもしれない。

 

 ともあれ、半眼で向けられる5対の視線に気付かぬまま、カオスは上機嫌にこう述べた。

 

「わーっはっはっはぁっ! 自爆装置は科学者の浪漫じゃからの! 電波妨害が無ければこの手でぽちっとスイッチを押したかったがな! 今回はタイマーで我慢我慢!!」

 

『後で・全員・体の・総点検です』

 

「…いやまてマリア違うんじゃ。それとこれとは別問題でこれは趣味であってお前達にはそんな物付けとらんって信じとらんなーっ?!」

 

 マリアに向かって真剣な表情で頷くアルファ達を目にしたカオスは、彼女達に必死で抗弁するも聞き入れられず。

 

 『こんな事も在ろうかと』準備しておいた別の基地に辿り着くまで、カオスはマリア達から向けられる白い視線に晒される事となったのであった。

 

 老人を見つめるマリアの瞳に、微かに宿る気遣いの気配を隠しながら。

 

「う、疑っておるな? まだ疑っとるじゃろ?!」

 

『ノー。ドクター・カオス。――理論的に・判断したまでです』

 

「………そっちの方が酷くないかの?」

 

 日頃の行いは大事である、と言う事か。

 

 無論、機体の死角でくすくすと笑うアルファ達には流石に気付けなかったようであるが。

 


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