月に吼える   作:maisen

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第二部エピローグ。

――『陳腐で使い古された使い回された擦り切れた台詞だが』――

 

 

 

 

「――今回の報告は、以上になります」

 

「ふむ。するってーと、何かね?」

 

 満面の笑顔――ただし、包帯で覆われたその下だが――で答えられているだろうかと不安になりながら、引き攣りそうになる頬を押さえ込む勘九郎。

 

 対面に座るナルニア支局長――横島大樹は、引き攣った口元を隠そうともせずに、背後の叫び続けているTVを指差した。

 

『ご覧下さい・・・! 凄まじい有り様です! 我が国の8割を占める森林、その約5%近くが一夜にして無残な有り様となっています・・・。専門家によりますと、超小型の隕石説やあるいは大規模且つ極所的な地盤変動、はたまたオカルト的な超常現象の可能性など――』

 

 ヘリコプターの羽音も煩い映像の中、蒼褪めた顔のリポーターの眼下にはすり鉢状に抉れた大地が見渡す限りに続いていると言う、ある種CGでも使っているんじゃないかと言いたくなるような現実が広がっていた。

 

 勘九郎にとっては気不味い沈黙が蟠り、額に幾つも血管を浮かばせた大樹は眼の笑っていない笑顔でひたりと視線を固定させる。

 

 ややあって、ゆっくりと切り出したのは大樹だった。

 

「あれが、全部その『見るも恐ろしい、触覚を持った8本足の巨大な妖怪』のせいだと?」

 

「・・・え、ええ。まぁ」

 

 笑みを消して半眼で睨み付ける大樹から思わず目を逸らしながら、勘九郎は冷や汗混じりにそう答えるので精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

――『神は天にましまされども全能ではなく、悪魔は地の底に巣食えども』――

 

 

 

 

 

 

 

「ま、問題ないって」

 

「そーねー」

 

 底知れぬ大樹の圧力に胃に穴が空きそうな思いで勘九郎が耐えているその隣で、ジュースを啜りながら戸籍上の親子が呟いた。

 

 部屋の隅ではルシオラが膝を抱えて暗いオーラに纏わり付かれており、時折誰かに謝る声やしょぼんと項垂れる姿、はたまた頭を抱えてじたばたともがく様と何とも愉快な――いや、哀れな様相が展開されているが、早朝から見慣れた3人は偶に視線をやるだけで、基本的に無視。

 

 ジュースの底に残っていた氷を音を立てて噛み砕きながら、不思議そうに包帯塗れの雪之丞が問い掛ける。

 

「・・・問題無い事はねぇと思うんだが」

 

 何処と無く擦り切れたジージャンを羽織った忠夫が、傷一つ無い頬を掻き掻きのほほんと返す。

 

「百合子さん、そっちの開発計画に問題でもあった?」

 

「答えはNoね。レアメタル開発計画だからねー。山の方まで被害出てない見たいだし、インフラ整備の手間も少し省けたくらいかしら?」

 

「つー訳だ。依頼主側がこー言ってるし、むしろ俺達は妖怪退治のヒーローって事。黙ってりゃ、な」

 

「ま、ばれたら私達もこれから先が色々と不都合だしねー」

 

そう言って、二人揃ってストローに口をつける。

 

「・・・腹黒い狸が二人かよ」

 

 ちゅごごー、と、空になったジュースを啜るストローがさもしい不協和音を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『悪魔が破滅を求めない。狂おしく情け深く荒々しく、だが真摯に停滞を受け入れる』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本、カオスの秘密基地。

 

「帰ったぞ」

 

「ただいま・戻りました」

 

 音も無く開いたドアを通り、一際広いホールへと顔を出した二人に、部屋の中にいた小柄な影達が駆け寄った。

 

 額にθの刻印が描かれた影がマリアに抱きつき、見ているものも釣られるような笑顔でマリアに優しく抱き返される。

 

 その後をゆっくりと歩いて追いかけてきたδの刻印を持った影が、柔らかく微笑んで二人にゆっくり頭を下げた。

 

「お帰り・なさい・母! ドクター・カオス!」

 

「ご無事で・何より・です」

 

「おお、シータ、デルタ。ただいまじゃ。お土産もあるでな」

 

 マリアに抱きついたままのシータとデルタの頭に軽く手を置き、その背後に目をやる。

 

 駆け寄った二人から数歩ほど離れた所にいた二人へと、カオスの横をシータを抱き上げたままのマリアが歩み寄る。

 

「ただいま・二人とも」

 

「お帰り・母」

 

「お帰り・なさい」

 

 空いた手がαの刻印がある少女の長い黒髪をゆっくりと撫で、背中に回りゆっくりと抱きしめる。

 

 どこか素っ気無い風でありながらも、恥ずかしげにアルファは俯いた。

 

 羨ましそうに指を咥えて眺めていたβの刻印を持った少女は、背後から頭を軽く2,3度叩かれ慌てて振り向く。

 

 苦笑いを浮かべたカオスのマントの裾を掴みながら、ベータはその中に自分でそそくさと飛び込んだ。

 

 腰に抱きつく少女の重みにやせ我慢で耐えながら、カオスは娘達を見回し楽しそうに宣言する。

 

「さて! 今回のお土産を早速装着するぞい! 総員ラボへ移動!」

 

『イエス・ドクター・カオス』

 

 揃った返事を返して駆け出していった4人を眺めながら、カオスは懐から取り出した鉄仮面を隣に立つマリアに手渡した。

 

「ドクター・カオス。質問を・よろしいですか?」

 

「ん。なんじゃ?」

 

 歩き出したカオスの背中を叩いたのは、何時もの事務的な声だった。

 

 振り向いたカオスの目に、がらんどうの鉄仮面と睨み合うようにも見えるマリアの姿が写りこむ。

 

 暫し迷うように視線を彷徨わせた後、マリアはそれを切り出した。

 

「マリア達は・十分な・拡張性を持って・設計されています。しかし・それも有限。何故・これを?」

 

 言葉を受け止め、重々しく頷いたカオスは、高すぎる為に薄暗い天井を見上げながら、小さな声で呟く。

 

 何時もの自信に満ちたそれではなく、どこか迷うような響きで、それは広い空間に反響した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『聞こう。それを聞こう。故に君にこそ聞こう。君の為でなく、ましてや世界の為でもなく』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「1つは、新たな通信・リンク手段の模索。妨害されない通信手段は、あやつらにも有益な物じゃろうから、な。此処までは良いか?」

 

「イエス・ドクター・カオス」

 

「そして、もう1つ」

 

 天井から視線をマリアに向けたカオスの瞳には、それまでの迷うような色など無かったように、不遜なまでの自信と意思が篭っている。

 

「5人のメタソウルの共鳴による――マリア姫の魂へのアプローチ、じゃ。擬似的な精神感応による精神波の共鳴増幅、そして伝達。マリア姫の残滓を持ったメタソウル、可能かどうかはワシにして五分五分じゃがの」

 

 五分五分と言いながら、その顔は絶対に成功させて見せると豪語していた。

 

 半ば納得、半ば発想に呆れながら、マリアはふと悪戯っぽい笑みでもう1つだけ問い掛けた。

 

 彼女も、何となく答えを了解していたようではあるが。

 

「では・娘達に・個性を持たせる必要も・成長を促す必要も・無いのでは?」

 

 共鳴増幅を行なうというのなら、なるべく元の波長が同じであったほうが効率は良いし、何より増幅の値に歴然とした差が生じる。

 

 その波長を変えうる自我の成長や、違いを生み出す個性の発現の可能性を持ったソフトは、必要無い筈である。

 

 だが、マリアはカオスの向こうにちらちらと見える先に走っていった筈の娘たちが不安げな顔を見せているにもかかわらず、くすくすと口元を押さえて笑っている。

 

 訝しげにそれを眺めていたカオスは、頭を掻きながら渋々その答えを口にした。

 

「・・・あれらもまた、ワシとマリア姫の大切な孫みたいなもんじゃからのぉ」

 

「了解・しました。何時か必ず・義父さんと・呼ばせて・見せましょう」

 

「何でそーなるかっ! うおっ?!」

 

 澄ましたマリアに不満の声を上げたカオスが満面の笑顔だったりそっぽを向いていたり恥ずかしそうな、でも嬉しそうな顔であったりする孫達に背後から抱きつかれて潰される横を通り過ぎながら、マリアは軽い足取りで微笑んだ。

 

「こ、こら! 重い! 退かんかお前ら!」

 

「楽しい・と思います。幸せと・判断します。これからも・きっと――絶対に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『君は、それを、許せるのだろうか。訪い人よ、招かれた者よ、世界の・・・』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僅かに肌寒さを感じる風を吹き飛ばし、積もり始めた枯葉を蹴飛ばし、二人はひたすら駆け抜ける。

 

 許しは得た。

 

 納得の行かない事が無くなった訳ではないが、いやむしろ隣を駆けるそいつが最大の不満ではあるが、今更なのでもう何も言わない。

 

 ただ、置いて行くつもりで加速した。

 

「・・・ふふん」

 

 僅かに引き離された彼女に向かって軽く振り向き、余裕たっぷり鼻を鳴らしてみせる。

 

 それだけで相手は一瞬激昂した様子を見せ、瞬く間に併走状態へ。

 

 更に速度を重ねて背中を見せて駆け抜けていく。

 

 これが味噌。

 

 本気で置いて行こうと思えば、瞬発力はともかくスタミナには自信がある此方が持続的に加速してやれば良いだけだ。

 

 それを「敢えて」やらない。

 

 やられたらやり返す、そんな気性の奴だと知っている。

 

 ああ見えて、いや見たままなのかも知れないが、負けず嫌いだと分かっている。

 

 色々あったし結構長い間を過ごしている。

 

 だが、だからこそ譲れない物もある訳だ。

 

「ふふん・・・っ?!」

 

 案の定、だ。

 

 この勝負、勝った。

 

 確信を持ちながら、振り向いた相手の横を今度こその全速力で駆け抜けた。

 

 一瞬呆然とした後、慌てて蹴り足に力を篭めた気配が伝わった。

 

「だが、もう遅いでござるよっ!」

 

 既に此方は最大戦速。

 

 振り向き、更に一瞬であろうと気を緩めた事で減速した彼女との距離は、あっという間に広がっていく。

 

 場所はあちらも覚えているであろうが、先に辿り着いてさえしまえば此方の物、休まず駆け抜け掻っ攫い、そのまま蜜月を過ごすのだ!

 

「わーっはっはー! 女狐は一人寂しく里で酒飲みに絡まれてろでござるーっ!!」

 

 高笑いを上げつつ爆走する少女の背に背負われた小汚いリュックから、一匹の子狐が身体を出した。

 

 呆れた目付きで前方の銀髪を眺め、やれやれと人間臭いアクションで肩を竦める。

 

 遠く離れた場所で舌を出している幻術の写し身を消し、ふっ、と鼻で笑ってリュックの中に潜り込む。

 

 狼の少女にかけた幻惑がきちんと効果を発揮した事には特に感慨も抱かず、邪魔な骨やら缶詰やらを放り出し、残った毛布を小さな手で何度か動かし、狭いながらも何とかスペースを確保する。

 

 そのまま凝った身体をほぐしつつ、高笑いを鬱陶しく思いながらも1つ欠伸。

 

 ゆっくりと運送役の背中で眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

――『敵である者よ。我らシュレーディンガーが問おう。同じ名を名乗る4人が問おう』――

 

 

 

 

 

 

 

 オカルトGメン日本支部。

 

 夜遅くに起こった小規模な霊障を片付け、この一週間で何度目かのここでの朝日を見た西条は、暫しの仮眠と熱いシャワーの恩恵で半分ほどはすっきりした頭を撫で付けつつ、その部屋のドアを潜った。

 

 先ず目に入ったのは、やたらと危なそうなマークの入った箱と、その回りに散らばる破れた吸引符。

 

 次に目に入ったのが、数十名の制服を着込んだオカルトGメン達と、その真ん中でこちらに手を振る少女だった。

 

「おはよう、おキヌちゃん」

 

「もう「こんにちは」の時間だと思いますけど?」

 

 くすくすと笑う少女に誤魔化し笑いを見せつつ、その背後に見える隊員達を流し見た。

 

 それぞれが疲れた様子で在りながらも、どこか充実した雰囲気を持った彼ら、彼女らは、西条に向けて揃った敬礼をかっちりと示してみせる。

 

「成果は――聞くまでも無いかな?」

 

「ええ。皆さん凄いんですよ! あっという間に笛の使い方が上達していくんです!」

 

「いえ、氷室さんのお陰ッス!」

 

「そうですよ! なんて言うか、私、あんな気持ちで笛が吹けたの初めてです!」

 

 興奮気味に西条とおキヌに詰め寄る隊員達に押されながら、西条は美神に無理を言って頼んだ事が無駄にはならなかった事に安堵した。

 

 代償の借り1つとそれを受けた時の妹分が見せたニヤリ笑いが何とも不安を煽りはするが。

 

 それでも、この体制が機能し始めるだけで「金食い虫」だの「大規模霊障には無力」だの「民間GS協会にシェアを奪われ続けている」だのとネチネチと文句を言われる事は少なくなる筈だ。

 

 一流ではなくとも、数を揃える事により互いに精神面でフォローし合い、同時に協奏効果による効果の増幅を狙う。

 

 結果は、現場に出なければわからない事も多々あるとは言え、部下達は現時点では驚くほどスムーズな上達を見せている。

 

 それでも規格外の超一流と呼ばれるおキヌには効率でも範囲でも効力でも及ばないのは――まぁ、あまり求めすぎでも、急ぎすぎてもしょうがない。

 

「・・・あるいは令子ちゃんに窮状を悟られたかな?」

 

「ああ見えて優しい人ですから」

 

「知ってるよ・・・お兄ちゃんとしては情けない限りだけどね」

 

 微笑む少女に苦笑いを返しつつ、はてさてこの借りは大きそうだ、と一人青くなる中間管理職であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『擦り切れた言葉で問おう。使い古された言葉で問おう。誰もが問われた言葉で問おう。陳腐で、故に虚構を許さぬ言葉で問おう』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 広い、倉庫がある。

 

 外の光も入らないそこで時間を教えてくれるのは規則的に針を動かす時計だけ、そんな場所だ。

 

 その倉庫には面積の半ばまでを占めるコンテナと、幾つかの存在があった。

 

「改良型のゴーレムもほぼ完成ね・・・」

 

「ええ。お爺ちゃんの遺品がこんな形で役立つなんて思いませんでしたけど」

 

 金髪の女性と少女の眼前には、銀色の輝きを誇る巨大な人型が存在していた。

 

 見るものを圧倒する雰囲気と、それだけでは終わらないであろう存在感を誇示するそれは、今は静かに眠るのみ。

 

 その人型の隣には、同じ大きさの、だが緑色のシートに包まれ中身を見せない数体が、コンテナの中に運び込まれていた。

 

 人工の灯りの下で、ほんの少し目元を緩めた女性が、味気ない倉庫の片隅で一際異彩を放つ区画に向けられる。

 

 人工物だらけのこの倉庫には場違いな、藁の積まれたその場所には、今は疲れきった十数匹の家族が居る筈だ。

 

「あの子達にも大分無理させちゃったからね。後で美味しい物でも食べさせてあげないと」

 

「可愛いですよね。須狩さん、一匹貰えません?」

 

「駄目よ、アンちゃん。就職先も決まってるんだから」

 

 物欲しそうな視線でそこを見つめる少女に軽く溜め息をつきながら、須狩は今は別の事に走り回っているパートナーと話す為に携帯電話を開いた。

 

「あ、そうだそうだ! あの約束ちゃんと守ってくださいよ?! その為に実家に黙ってお爺ちゃんのゴリアテ号持ってきたんですから!」

 

「はいはい。分かってるわよ・・・。全く、近頃の若い子って強かよねぇ」

 

「当たり前です! ピートお兄ちゃんかっこ良いんだから、早めに行動しなきゃ!」

 

「・・・早過ぎるわよね、どう考えても。お陰で茂流田が余計な苦労を背負い込んじゃってるし」

 

 関係各所というか、目の前の少女に留学を認めさせる為に駆けずり回っている、近頃電話でしか会えないパートナーの顔を思い浮かべて大きく溜め息をつく須狩だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『初めて貴方の名前を呼びながら、何度も貴方に問うた我らが、幾度となく囁かれた疑問を紡ごう』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少々冷たい風が吹き、それでも暖かい窓から差し込む陽射しを浴びながら、十字架の前に跪いた二人のうち、若く見えるほうから小さなくしゃみの音が響いた。

 

「おや、ピート君、風邪かね?」

 

「いえ、何と言うか、こう、背中に悪寒が・・・」

 

 仕事前の祈りを捧げ終えた二人が立ち上がり、そんな何でも無い会話を交わしながら歩き出す。

 

 今度の依頼人もあまり裕福ではなく、やっぱり報酬に期待は出来ない訳であるか。

 

「体調には気を付けないと駄目だよ。体が資本だからね、僕達は」

 

「ええ。分かっています」

 

 忠告をしながら、それでも心配そうな唐巣神父に軽く笑顔を見せて、教会の扉をピートが開く。

 

 ありがとう、と軽く手を上げながら、神父は開いた扉から差し込んだ光に目を細めた。

 

「うん、今日もいい天気だね」

 

 振り仰げば、古い、だが手入れの行き届いた教会の壁が目に入る。

 

 この前近所の人々が一緒に掃除してくれたお陰で裏庭の雑草も綺麗に取り除かれており、古いながらも小奇麗な印象を与えていた。

 

 軽く一度頷いて、鍵を閉めて追いついてきたピートと共に歩き出す。

 

「今日は何処ですか?」

 

「ああ、少し離れた山村だよ。どうも山の中が騒がしいらしくてね。不安がってる」

 

「・・・報酬は期待できそうにありませんねぇ」

 

「何、食事と宿はしっかりとあるからそれだけでも十分だよ」

 

 神父の最後の言葉に被さるように聞こえた腹の虫の音を慎み深く聞こえなかった振りをしながら、どこかよろよろとした様子の師匠を支え、清貧コンビは温かいご飯を求め――いやいや、困っている人々を助けに行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『どちらを、選ぶのか?』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳥の声、虫の鳴く音、風に吹かれてさやさやとさざめく木々の音を聞きながら、メドーサはゆっくりとその紐を首に結びつけた。

 

 細い、だがしっかりと幾重にも寄り合わされた蔦には、大きな動物のものらしき牙がぶら下げられている。

 

 何度か軽く引っ張り、落ちない事を確認したメドーサは、目の前の存在にそれを誇らしげに見せた。

 

「どうだ? 似合うかい?」

 

「フゴッ!」

 

「そーかいそーかい!」

 

 ごしごしと固い獣毛に包まれたその頭を何度も撫で付けつつ、メドーサはもう一本の紐と折れた刺叉の先端を取り出した。

 

 くるくると落ちないように縛り付け、それを期待の篭った眼差しで見つめる目の前の獣の首に巻きつける。

 

「よし、良く似合ってるよ」

 

 片方の牙が半ばから折れているその猪は、嬉しそうに鼻をメドーサに擦りつけた後、何かを問うような視線でメドーサの手を見る。

 

 それを見て取った彼女は、苦笑いを浮かべながら手を一振り。

 

 次の瞬間には、その手には新品同様の刺叉が握られている。

 

「な? これは大丈夫なのさ。むしろ、あんたこそ大丈夫なのかい?」

 

「ゴフッ!」

 

「は、聞くまでも無かったかねぇ」

 

 舐めるな、とばかりに鼻息も荒く太い笑みを見せつけた若い猪は、気にするな、とでも言うかのように軽くメドーサの頬を一舐めして、ゆっくりと森へと帰っていく。

 

 その先には、若い猪よりも二回りは大きいつがいの猪が、膨大な威圧感と共に座り込んでいた。

 

 その3匹に軽く手を振り、メドーサは傍らに置いてあった中身の詰まった風呂敷を担ぐと、地面を蹴って飛び出した。

 

『フゴォォォォォォォォォォオオオオッ!!』

 

 その背に見送るような雄叫びがぶつかり、思わず振り向いたメドーサであったが、視線の先には既に何も居ない。

 

「ふん。小竜姫とどっちが強いかねぇ」

 

 楽しげに呟いたメドーサは、一気に上昇すると、そのまま水平飛行に移行する。

 

 飛行機雲さえ引きながら加速していく彼女の目に、小さな山村が写ったが、今はそれには興味も持たない。

 

 精々飛ばして帰って、やきもきしながら待っているであろう自称父に、土産話と、貰い物ではあるが大量のお土産を届けるのが先決である。

 

 今からその時のあいつの顔が楽しみでは、ある。

 

「あーっはっはっはっ! 考えただけでもゾクゾクするねっ!」

 

 そう叫んで、更に一気に加速した。

 

 

 

 

 

 

――『平穏か、反逆か』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本でも随一の霊峰、霊能者の修行場として名高い妙神山。

 

 武の達人である竜神の管理人と、古来より名高い武神である猿神。

 

 そして鬼神の構える門を持つこの場所は、ちょっと前までは修行者も居ない平穏な空間であった。

 

「で、また上司に怒られて謹慎ですか、ヒャクメ?」

 

「うう~。ちょっと下界を覗いてただけなのね~」

 

「幾らなんでも仕事中にやっては、サボタージュと取られても仕方なかろう」

 

 すんすん鼻を鳴らすヒャクメにお茶を差し出しながら、縁側に腰掛けた小竜姫は溜め息をついた。

 

 付き合いの長い友人でありながらも、どうしてこうも素行が悪いのだろうか、と暫し黙考。

 

 ヒャクメだから、と言う結論に落ち着いた。

 

「な、なんか小竜姫が酷い事考えてるのねー!」

 

「いや、私もそう思うぞ」

 

「ワルキューレまでっ?!」

 

 ほう、とお茶で潤した咽から満足げな吐息を吐きつつお茶請けの羊羹に手を伸ばしたワルキューレに、ヒャクメの悲鳴混じりの声が叩きつけられた。

 

 綺麗にスルーしながら羊羹に舌鼓を打つ彼女に、こちらも完璧に無視した小竜姫がお茶のお代わりを勧める。

 

 軽くお礼を良いながら受け取ったワルキューレと小竜姫の後ろの部屋で、体育座りに変形したヒャクメがどんよりとしたオーラを放ち出した。

 

 それを二人して苦笑いと共に眺めつつ、ふと思いついたようにワルキューレが問う。

 

「そう言えば老師はどうされたのだ? 休暇中とは言え、挨拶ぐらいはしておきたかったのだが」

 

「ああ、今天界に行ってます。竜神王の所に」

 

「そうか」

 

「ええ」

 

 そのまま無言でお茶を啜る二人。

 

 縁側に少々暑い位の陽射しが差し込むが、突き出した屋根が作り出す影と時折吹き付けるそよ風のお陰で、むしろ気持ち良いくらいである。

 

 何時の間にか復活したヒャクメがこそこそと羊羹に伸ばした手を二人で叩きつつ、どちらとも無く呟いた。

 

「平和だな」

 

「平和ですねぇ」

 

「しょ、小竜姫とワルキューレが苛めるのねー! こうなったら言いふらしてやる! 小竜姫が最近TVで見たバストアップ体操を毎日欠かさずやってる事とかを!」

 

「な! こっ、コラ待ちなさいヒャクメ!」

 

「待てと言われて待つ馬鹿なんて居ないのねー!」

 

 べー、と舌を出して逃げ出すヒャクメを慌てて追いかける小竜姫。

 

 そんな騒動をスルーして一人最後の羊羹を齧りながら、ワルキューレはぽつりと呟いた。

 

「・・・デタントとか凄く簡単な事のような気がするな」

 

『シャゲーッ!!』

 

「りゅ、龍になるのは卑怯なのねぇぇぇぇぇぇっ?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『どちらだね?』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な城のど真ん中が、いきなり轟音と共に崩れ落ちた。

 

 飛び出したのは真っ白な巨龍と巨大な猿。

 

 がっちりと互いに手を掴み合い、睨み合う。

 

「だ・か・ら・・・天龍に先に会うのは私だと言っておろうが猿爺ぃぃっ!!」

 

「年長者を立たせようとは思わんのかこのクソガキはぁぁぁぁぁぁ・・・!!」

 

 荘厳な城になんとも腰砕けな台詞が大音声で響き渡り、何事かと飛び出した近衛兵や文官達が諦めたような溜め息と共に元の仕事に戻っていった。

 

 暫しそのままの体勢で睨み合い、壮絶な火花を散らせ、同時に後方に飛び上がった。

 

 巨龍が火炎を吐こうと大きく息を吸い込み、巨猿が何かを取り出そうとして舌打ちし、ならばと己の毛を何本か引き抜いて吐息を吹きかけようと胸を膨らます。

 

 同時にそれが解放される、まさにその瞬間。

 

「いい加減に・・・せんかっ!!」

 

 女性のものらしき怒号と共に、極太の光線が二人を斜め下から突き上げた。

 

「全く、悟空坊も馬鹿息子も、城を壊すなと何度言ったら分かりおるか! 何ぞ言い訳でもあるかっ?!」

 

「いや、そうは言ってもですなぁ」

 

「黙らっしゃい!!」

 

 ぴしゃりと叩きつけられた言葉に、胡座のままぽりぽりと頭を掻いていた猿神が冷や汗たらり。

 

 自分から言い訳があるかと聞いておきながらの言動では在るが、何と言うか昔から逆らえないお方なのである。

 

 ちなみに竜神王の方は、先程の一撃で完全に昏倒して医務室で唸っている。

 

 医務官も慣れたもので、寝台に寝かせたまま特に何もせずに放置していた。

 

 この場合はどうせ放って置いても回復するし、と言う山ほどの実体験からそれを知っているので。

 

 ともあれ、流石に無事だった猿神は右から左に聞き流しながら針の筵に座っていた訳である。

 

 そして漸く、結構な時間の後、延々竜神王妃の説教を喰らっていた猿神の元に、待ちかねた声が聞こえた。

 

 背後の扉が重々しく開く音と共に、最近聞いていなかったその声が背中を叩く。

 

「・・・あ、猿神おじいちゃん」

 

「おお、天りゅ・・・う?」

 

 振り向いた猿神の目に入ったのは、「もう一押しが足りなかった」と言って元竜神王と共に何やら篭っていた天竜姫の姿であった。

 

 ただ、色々と違ってはいたが。

 

「そ、それはどうしたんじゃ?」

 

「・・・ん。これでバッチリ。犬飼君もゲット」

 

「かっかっ。何だ何だ、また怒られてやんのか?」

 

「お前はだーっとれ」

 

 何時もなら噛み付く相手を軽く一言で無視した後、驚いた顔からだらしない顔に移行しつつ、猿神はしげしげと天竜姫を眺める。

 

 しかし、やおら難しい顔になると、とある一点を見つめ、視線を元竜神王妃に移す。

 

「・・・何?」

 

「何じゃ?」

 

 二人の疑問も聞こえない様子で、猿神は元竜神王に声を掛けた。

 

「なぁ、ハク」

 

「何だ、猿」

 

「ありゃいくらなんでも無理があるだろ。遺伝子的に」

 

「お前もそう思うか」

 

 二人の視線が何処にあったか、あえて言うまい。

 

 ただ、直後に更に城が壊れたとだけ、竜神王の城の門番は伝えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

――『答えを聞こうではないか』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 褐色の肌の女性を先頭に、てくてくと歩く3人が居る。

 

 ホクホク顔で歩く小笠原エミの後ろに、ほっとした様子のタイガーとにこにこと天真爛漫な笑顔で式神に乗った六道冥子が続いていた。

 

「ふふん。初めはどーなる事かと思ったけど、結構いけそうで安心したワケ」

 

「ワッシもエミさんもどちらかと言うと後衛じゃけーノォ。式神が前衛を守ってくれればやりやすいですノー」

 

「うふふ~。皆も~喜んでるみたい~」

 

 六道家当主からのたっての願いと言う事で断れる訳も無く受けた依頼ではあったが、怖がりの爆弾娘と精神感応で相手の姿を変えて見せるタイガーの相性が意外に良く、またその能力は折り紙付きの式神達の活躍も在って、依頼自体は全く問題無く解決できた。

 

 エミも楽して依頼完了できた、冥子も親友の役に立てた、タイガーも冥子と一緒であったにもかかわらず無傷で帰ってこれたと、皆、表情は明るい。

 

「お母様も~、これなら~エミちゃんと一緒に~頑張っても良い~って言ってくれるかしら~」

 

「・・・ま、まぁ、今回みたいにちゃんと私達と連携取れれば問題ないワケ」

 

 あの六道家当主がこの非常に珍しい成功ケースを見逃す訳が無い。

 

 だが、冥子の面倒を見ると言う事で優先的に美味しい依頼を回してくれるように交渉すれば十分に元は取れるし、何より六道家に貸しが作れる。

 

 それに、冥子を見捨てるのは気が引けるし。

 

「何より、今回元手ほぼゼロなワケ! これは美味しいワケ!」

 

「エミさんって実は美神さんに似てる気がするんジャー」

 

 無論、躾は厳しくいかないと駄目と言う訳で、折角の無傷もあっさりとぼこぼこにされるタイガー寅吉であった。

 

 青空に浮かんだ魔理の笑顔に向かって反省をしつつ、口は災いの元と心に刻み付けるタイガーである。

 

 そんなタイガーの妄想はともあれ、赤くなった拳に息を吹きかけていたエミは、ふと何かを思いつき。

 

「ふ、ふっふっふっ」

 

 ひじょーに悪い顔で笑い出した。

 

「エミちゃんが怖いの~」

 

「そーよ! この前変な爺と組んだ時は駄目だったけど、これなら令子もチョロイんじゃないっ?! あいつに吠え面かかせてやるチャンスなワケ!」

 

 そうでしょっ?! と振り返った先には、何故か今にも泣き出しそうな冥子がいたりして。

 

 ぎくり、と硬直したエミは、その為に一瞬行動が遅れた。

 

「ふ、ふぇ・・・喧嘩したら駄目~~! ふぇ~~~~ん!!」

 

「ああぁぁぁぁぁぁ・・・」

 

「結局こうなるんジャー・・・」

 

 やっぱり起こった暴走に巻き込まれつつ、どうやって六道家との縁を切ろうかと考えるエミであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『「魔神アシュタロス」よ。天文台へ招かれた者よ。物語の始まりより私達と共に在る君よ』――

 

 

 

 

 

 

 

 とある高校のとある廊下、机に腰掛けたストレートロングの少女と三つ編みの少女が難しそうな顔で悩んでいた。

 

「うーん。やっぱり家には居ないみたいね」

 

「ええ。何時もなら朝早く窓を開けてお出かけしてるんですけど、最近は無いですし・・・」

 

「朝出かけなくなったとか?」

 

「それも無いと思います。いつも楽しそうに騒いでますから、横島さん」

 

 彼にとっては楽しそうな事ばかりではないのだが。 

 

 むしろ昼夜問わずであれだけ騒動を起こしておきながら、未だに追い出されないのが不思議な方である。

 

 最近はちょっと貧ちゃんが手を貸していたりするが。

 

 これも小鳩の為である。

 

「ふむふむ。学校に来なくなった生徒、空の自宅・・・これは、事件の匂いがするわ!」

 

「横島さんの周りっていつもそんな感じなんですけど」

 

「それもそうね」

 

 そんな一言で納得される忠夫が悪いのか、それともそんな印象ばっかり周囲に与えている忠夫が悪いのか。

 

 どっちにしたって忠夫が悪い不思議である。

 

 ともあれ、と軽く手を打ち合わせ、机妖怪の現生徒、元愛子先生は机の上に立ち上がって天井を指差し。

 

「次に登校した時に、きっちりしっかり学校に来るように説得しなきゃ! 不登校の男子生徒とそれを立ち直らせる女子生徒! これも青春よね!!」

 

「青春だから、ですか?」

 

「・・・な、何の事かしら? それじゃ、もう直ぐ次の授業が始まるから・・・」

 

 下から見上げてくる小鳩の視線とその言葉に何を感じたのか、そそくさと机から降りた愛子は僅かに頬を赤く染めながら、机を担いで教室に駆け込んでいった。

 

 それを見送った小鳩は、窓の外を見上げながら、その豊かな胸の前で二つ握り拳を作って小さく呟く。

 

「小鳩は、負けません」

 

 頑張らなきゃ、と謎の気合を入れた少女は、決意も新たに自分の教室へと歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そうか、それが欠けていた物か」

 

「その通り。それが君がここで忘れていた物」

 

「それが必要だった、と言う事らしいな」

 

 何も無い空間の、だが足の下に感じられる床の上に立ちながら、アシュタロスは呟いた。

 

 パズルのピースを嵌め込んだ心は、それまでは不確かだった己という存在をしっかりと確立させていた。

 

 自分の周りを取り囲むように存在する4つの影、それ自体は未だに己を隠すようにすっぽりと頭からローブを纏い、覗くのは口元と瞳だけ。

 

 だが、その声には、その雰囲気には覚えが在った。

 

 この空間で、いつも彼に語りかけていた存在「達」だった。

 

 不審げな色を濃く残したアシュタロスの瞳には、それまでの不確かな客人としての神格は無く、高い知性と堅固な精神を感じさせる鋭さがある。

 

「何故、こんな事を?」

 

「私たちの疑問に答えれば、あっさりと氷解すると思うよ」

 

「その為だけに、僕達は此処にいる。或いは、その答えの先の為に」

 

 のらりくらりと此方の問いをはぐらかすその姿勢は、名と意識を取り戻したというのに変わりはしない。

 

 だが、特に敵意は感じられなかった。

 

 いや、これまでもそう言ったものを感じた事は無かった。

 

 むしろ、此方に対する親しささえ感じさせていた。

 

 だから、その疑問1つくらいは付き合ってやろうと思ったのかもしれない。

 

 或いは、それさえも誘導された感情だったのかもしれない。

 

 だけど、彼は答えた。

 

 それ故、彼は答えてしまった。

 

「どちらか、と言われれば――そう、あえて選ぶのならば、「平穏」か。正直、自分でも以外だと思うのだがね。――我が娘達と、この世界に対する己の負の感情。天秤に乗せる気すら起こらんよ」

 

 冷静な、無表情のままで、彼は、どこか楽しそうに、そう答えた。

 

 答えがゆっくりとその空間に吸い込まれ、だが、シュレーディンガー達は何の答えも返さない。

 

 彼にしては――魔神アシュタロスにしては珍しい事に、少々気恥ずかしそうに天を仰ぎ、誰にも視線を合わせぬままで呟いた。

 

「すまないな。どうやらお前達の期待には沿わない答えだったようだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『いや』――

 

「何?」

 

――『それこそが、そう、それこそが』――

 

「なっ?!」

 

――『待ち望んだ答えだとも!!』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 零れ出しそうな喜びの感情を含んだ4つの声が唱和し、それが切欠であったように、アシュタロスの言葉が始まりであったかのように、周囲の空間から、何も無い場所から、アシュタロスに向かって数え切れないほどの何かが殺到する。

 

 それは、細長いそれはまるで生き物のように魔神の身体を取り囲み、一瞬で全てを終わらせた。

 

 ちゃら、と金属音が小さく鳴る。

 

 だが、魔神の名をもつ存在は、その中心に居る筈の彼は、既に完全に囚われていた。

 

 

――『では、始めよう』――

 

――『終わりを、始めよう』――

 

――『解放に続くかも知れぬ終わりを、幾千の試行の末に辿り着いた機会から』――

 

――『最後の物語を、始めよう』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓の外から差し込む夕日が、何となく寂しさを呼び起こす。

 

 美神は、そんな感情を鼻で笑って吹き飛ばそうとして、出来なかった。

 

「はぁ~あ。今日はおキヌちゃんも遅くなるし」

 

 ぼふっと音を立てて、倒れこんだ美神を受け止める柔らかいソファー。

 

 その上に置かれたクッションに顔を埋めつつ、何となく美神は溜め息をつく。

 

 今更一人が寂しいというほど子供ではないつもりだが、やっぱりなんだか物足りないとは思うのだ。

 

 特に、ここ数日、あいつの顔を見てないから――

 

「・・・っっ!!」

 

 ぼふぼふぼふとソファーの肘掛が乱打され、クッションに顔を完全に埋めた美神の耳が真っ赤に染まる。

 

 暫く美神しか居ない事務所にそんな気の抜けた音が響き渡り、やがて疲れたようにその拳がゆっくりと降ろされた。

 

「・・・ばぁか」

 

 拗ねた表情で顔を覗かせた美神の顔からは、未だ赤みが抜けきってはいない。

 

 その言葉が誰に向けられた物なのか、人工幽霊一号は、己の本分をしっかりと守って何も言わない。

 

 そのままの体勢で唸っていた美神であったが、やがてゆっくりと身を起こすと、所長のデスクに歩み寄り、その引出しにかかった鍵をかちゃかちゃと弄り出す。

 

 一体何個の鍵が掛かっていたのか、どれだけ厳重に隠していたのか、開いた引出しの底を弄ると、その底が外れて二重底になっていた。

 

 何となく無言になりながら、その中から一葉の写真を取り出す。

 

 写っているのは、美神とおキヌ、そして――

 

「・・・大馬鹿狼」

 

 赤いバンダナを巻き、ジージャンジーパンを身に纏った、半人狼。

 

 ゆっくりと椅子に腰掛け、背凭れに体重を預けて天井を見上げ、その視線を塞ぐように写真を持ってくる。

 

「早く戻ってきなさいよ」

 

 写真に向けて呟きながら、自分でも思っていなかったほど、寂しそうな色が篭った事に驚いた。

 

 だが、同時にそれを不自然とも思わない自分が、一番しっくり来たような気がした。

 

「この私が珍しく待ってるのに、ね」

 

 それを自覚してしまえば、後は何となく口元が持ち上がるのが納得できたような気がした。

 

「・・・もしも今すぐ帰ってきたら、ちょっとは素直になってみようか、な?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途端。

 

「んじゃなー、お疲れさん」

 

「おう、横島。お前何か女に贈るもの持ってねぇか? 流石に手ぶらで行くのは不味いだろ?」

 

 窓の外からそんな声が聞こえてきた。

 

「んだ、お前まだ諦めてなかったのかよ。しょーがねーなぁ」

 

「おお、手前良いもの持ってんじゃねーかっ!」

 

「精霊獣の指輪っつーんだ。珍しい物らしいけど拾い物みてーなもんだし500円で良いぞ!」

 

「ううむ、せめて200円!」

 

「売った!」

 

「マジで?! 買った!」

 

 轟音。

 

 窓の下から閃光と衝撃が突き抜けた。

 

「あんた達馬鹿でしょ! むしろ大馬鹿でしょ! 無知も大概にしないと本気で怒るわよ! むしろ泣くわよ! それザンスの国家機密でしょうがぁぁっ!! ああもうこの馬鹿弟弟子と馬鹿狼はぁっ!?」

 

「ひ、久し振りにごっついの来たなぁ」

 

「う、うごご・・・」

 

 何時の間にか聞き慣れた声が聞こえ、何時か聞いた二つの声が――片方は殆ど唸り声であったが――あっという間に離れていき、たっぷり1分は時間が経った。

 

「え? え? 横島君? うそぉっ!! ほんとに帰ってきちゃったの?!」

 

 硬直から解けた美神が取り乱す間にも、玄関を開けて入ってきたらしい半人狼の声が聞こえる。

 

 慌てて写真を片付け、元通りに鍵を閉めようとするが、気が焦るばっかりでなかなか引出しは元通りになってくれない。

 

「あれー? 美神さん何処っすかー?」

 

 ぱたぱたとこの部屋に向かって来る足音が聞こえた。

 

 何とか引出しは元通りになったものの、さっきの自分の台詞が脳裏に木霊する。

 

 ちょっとは素直に、と言うやつが。

 

 ちょっと心の声を聞いてみよう。

 

 ――うわどうしようでも帰ってきたしええいやっぱり恥ずかしいいやいや恥ずかしいことなんて在る筈も無いでしょこの美神令子にでもでも自分で言い出したことだし誰も聞いちゃいないってのいや聞いてたらどーこーって言う事も無いんだけどああやっぱりでもやっぱりうああああああ。

 

 大混乱であった。

 

 しかし、いくら広い事務所といっても限界はあり、ましてや探索者は忠夫である。

 

 鼻を効かせ、気配を辿り、いともあっさり辿りつき、ドアノブに手を掛けて、捻った。

 

 その混乱が収まる前に。

 

 がちゃり、と音を立ててドアが開き、顔を覗かせた忠夫が美神を見つけて嬉しそうな表情を浮かべる。

 

 それがまた混乱となんか色々な感情を湧きあがらせ、美神は嬉しそうな、泣き出しそうな、恥ずかしそうな、でもやっぱり頬が緩んでしまいそうな、それを必死で押さえるような複雑な表情を浮かべ。

 

「いっ」

 

「い?」

 

「いままで何しとったかこの馬鹿犬はぁぁぁぁぁぁあああああああっ!!!」

 

「ああめっちゃ痛いけど何かしっくり来るぅぅぅっ!!」

 

 結局真っ赤なお顔で神通棍を振り回しましたとさ。

 

 そんな事務所の一室で巻き起こった大騒ぎ。

 

 おキヌを送って来た西条は苦笑いでそれを眺め、さて魔鈴のお店にでも行くかとアクセルを踏み込み。

 

 おキヌはそれを見て、とっても嬉しそうに挨拶もお礼もそこそこに駆け出し。

 

 今当に妹分の獣娘達は事務所が見える所まで来ており。

 

 家に帰って誰も居なかった元魔族の他称娘は事務所の上空に飛来しており。

 

 情報収集に来た机妖怪と隣人の少女はそれを見て同時に駆け出しており。

 

 龍族の王女は早速出かけようとして父と祖父母に捕まり写真撮影なんぞをやきもきとやっており。

 

 アンドロイドとその娘達は揃って穏やかな寝顔で横たわり。

 

 そして、何時もの如く、事務所には喧騒と活気が満ち始めた。

 

「全く、まさか飛行機であんなに梃子摺るとは思わなかったわね。さっさと麻酔掛けといて正解だったかしら? あ、いたいた。魔鈴店長!」

 

「ああっ! ルシオラさん! 無断欠勤の事は問いませんから早く手伝って――」

 

「暫く休みます! ちょっと実家に戻りますから!」

 

「ああっ?! 待って、ちょっとで良いから手伝ってぇぇぇぇっ!!」

 

 そう言い残して、魔族の少女は空を駆ける。

 

 未だにその胸の中に、小さな芽を残して。

 

 それよりも大きな、不安と焦燥に駆られながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、舞台の準備は整え終わり、そして開かれる最後の一幕」

 

「開くのは、そして舞台で踊るのは、誰が、何時、何処でとは言いません」

 

「ただ、開幕の前の一言を」

 

 

それでは、それまでの夜に

 

――良い夢を

 




やっとここまで来ました( ´・ω・`)

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