月に吼える   作:maisen

109 / 129
第陸拾参話。

 忠夫達が邪精霊の跡を追いかけ始め、はや二時間。

 

 照り付ける南国の太陽は既に最高度を超え、緩やかに地平線へと沈み始めている。

 

 ただただ続く緑の迷路を樹上を行く忠夫の言葉に従い潜り抜け、ある時は巨大な蛇と戦いワニと戦いトラと戦い、雪之丞が底無し沼に嵌まり、ルシオラが何故か蜂の群に襲われ、何となく食べてみた果物の毒と忠夫が決死の攻防を繰り広げ勘九郎が頭を抱えて、そんな諸々の苦難を乗り越え、漸く怪しい場所へと辿り着いた御一行。

 

「怪しいよなぁ、あそこ」

 

 全く音を立てずに、バンダナに葉っぱがついたままの木の枝を差し込んだ忠夫が茂みの中から頭を出した。

 

「でも邪精霊とか居ないわよ?」

 

 がさがさとそれなりに音を立てながら、こちらは木の枝を両手に持ったルシオラが茂みを揺らして頭を出した。

 

 ぴこぴこと揺れる触角が、目の前の小屋を指している。

 

「面倒くせぇな。とっとと突っ込んじまおうぜー」

 

 がさり、と全く無頓着に音を立てつつ立ち上がった雪之丞が、周囲から伸びた3本の手に襟首を掴まれ引き摺り下ろされた。

 

 がこん、と固い物がぶつかり合ったような音が結構大きく響く。

 

「その力押し思考、いい加減に修正しなさい」

 

 たまたま後頭部が落ちた所にあった、赤ん坊の頭ほどのごつごつした岩にぶつかって目を回した弟弟子に溜め息を付きつつ、何時の間にやら一行の引率者になっている勘九郎が頭を出した。

 

 目前にちょこんと存在している小屋の大きさ自体は大した物ではない。

 

 精々部屋が二つ三つ、それも三つもあればかなり手狭になるであろう程度の物である。

 

「・・・確かに、気配は無いわね」

 

「だけど、邪精霊はこっちに来てるんでしょ?」

 

 難しい表情で腕を組んだ勘九郎の呟きに、ルシオラが横合いの忠夫に囁きかける。

 

 その吐息と接近しすぎな距離に少しくらくらとしながらも、忠夫はもう一度その跡を確認していた。

 

「間違い無い。あの小屋っちゅーか、あの辺りにまでは跡が見える。これ以上はもうちょっと近づかんと分からんけど」

 

「罠かしら?」

 

「に、しちゃあ・・・ちょっとそれらしい仕掛けも見当たらんし」

 

「それならいっその事、私が纏めて吹き飛ばして――」

 

 やおら立ち上がり、掲げた手のひらにギュインギュインと物騒な音を立てて魔力をチャージするルシオラ。

 

 慌てて押さえ込もうとした二人の動きを嘲笑うかのごとく、片足を高く持ち上げたルシオラの第一球は、見事に唸りを上げて小屋の壁に着弾した。

 

 突き上げる衝撃、剥がれる大地、砕ける木々、濛々と舞い上がる土埃。

 

 おまけに至近距離で起きた轟音の炸裂に耳を押さえて悶える3人。

 

「ふふふ・・・名付けて大怪球壱号っ!」

 

「耳がーっ!! 耳がーっ!!」

 

「ま、まさかこの子が雪之丞と同じベクトルの行動を取るなんて・・・! とんでもない伏兵がいたもんね・・・」

 

「う、後ろ頭と耳がいてぇ・・・」

 

 綺麗なフォームでいきなり大迷惑を撒き散らしたにもかかわらず、酷くご満悦な様子でにぎにぎと手を動かしている彼女を見ながら、勘九郎はその肩に自然保護まで乗っかっている事を思い知らされ、いっそこのまま置いて行こうかと暫し自問。

 

 だがしかし。

 

「う、うそっ・・・!」

 

 荒れた大気が生み出した風に土埃が吹き飛ばされた後には、何事も無かったかのように建っている小屋が一つ。

 

 ルシオラと勘九郎の顎がかくんと落ちる。

 

 はっきり言ってたった今目の前で炸裂した魔力弾は、魔装術を使用した勘九郎が霊力を全部防御に回してやっと、くらいの破壊力はあった筈だ。

 

 だがしかし、大地は抉れ、無残な様相を呈しながらも、その小屋は全くの無傷でしっかりばっちり存在している。

 

 暫し硬直したままふるふると震えていたルシオラは、何やら色々なプライドを刺激されたのか、今度はおもむろに両手に魔力弾を創り上げ、羽を広げた鷹の如く両手を背中に回し、ちょっと涙目で決意を篭めて宿敵を睨み付けた。

 

「それなら弐号で・・・!」

 

「やめなさいっ!」

 

 すぱん、とルシオラの後頭部が勘九郎の手のひらではたかれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くに立ち昇った煙と閃光、それから少し遅れて腹の底まで響いた爆音を楽しげに感じながら、カオスは顎に手を当て軽く笑う。

 

「ふむ、襲撃はかなりの実力者、しかも魔族と来たか」

 

「強力な・魔力の波動を・感知。アラート・イエロー。準戦闘態勢に・移行・します」

 

「ま、警戒だけはしておくべきじゃろ」

 

 カオスの許可により機関出力と霊力を上げ、センサー類をアクティブに切り替えつつ、マリアは遠くの湧き上がる煙を僅かに心配そうな雰囲気で眺めている。

 

 それを横目に見たカオスは、一つ頷くと娘の肩に手を置きゆっくりと言葉をかけた。

 

「何、流石にこんな場所でフィールドワークなどと言うだけはあるぞ、あの男は。人一人――しかも、己の妻くらいはしっかりと担いで逃げ切っておるさ」

 

「ですが・あれほどの魔族が・そう簡単に獲物を・逃がすとは・思えません」

 

「時間稼ぎくらいは仕掛けておる。霊波迷彩も持たせておるしな。こっちも巻き込まれん内にさっさと最後の用件を片付けるぞ」

 

 マントを靡かせつつ歩き始めた老人の後を、それでも何度か振り返りつつマリアが追う。

 

 僅かに早足になった二人は、鉄仮面、いや元鉄仮面の男からの情報を分析しながら先を急いだ。

 

 と言ってもその情報には断片的な部分が多い。

 

 何せそもそも言葉を使わない種族が、たまたま思念による交渉が可能だった別種族とイメージとニュアンスだけで伝達しあった物が元である。

 

 精神構造も違う上に、かってのような敵意を持った魔族とさえテレパスを通じる事の出来るほどの出力を持たない今の彼では、それが限界だったのだ。

 

「ジャングルの邪精霊が集団でかかって抑え切れんほどの妖怪か。ふーむ、条件が揃えば研究材料にはもってこいなんじゃがのぉ。・・・ちーとばかし持って帰ってもばれんかな?」

 

「ノー・ドクター・カオス。取引の・条件は・即時殲滅・です。既に・密猟者・及び・無許可の伐採を行なった・者達が・捕獲されています。危険性は・高いかと」

 

「わーかった分かった。ワシの名にかけた約定じゃ。破りはせんさ。何せ――」

 

 マントの中でごそごそと腕が動き、僅かな時間の後、一つの物体が取り出された。

 

 それは、小屋の前で別れた男が着けていた者。

 

 鈍色の光沢を持った、鉄仮面。

 

「――品物を受け取ってしまったからの。信には信で答えるのが筋というもんじゃろ」

 

「その割には・先程の言葉に・かなり本気が混じっていた・ようでしたが?」

 

「こ、これの何が凄いってのう! マリアッ!?」

 

 かなり誤魔化しの入った口調だ、とマリアは判断しながら、それでもいい年こいて新しい玩具を手に入れた子供のような表情を見せるカオスに律儀に頷いてみせる。

 

 うきうきとした様子で鉄仮面を持ち上げたり覗き込んだりしながら、それでも足は止めないままにカオスは年甲斐も無くはしゃいだ様子である。

 

 誤魔化し3割、本気が6割、後はちょっとしたお茶目と言った所か。

 

「信じられんほどの高出力のテレパス、その頭部を数十年に渡って覆い続けた鍛鉄じゃぞ! 最早純粋な金属ではない可能性が非常に高い! それこそ、古の精神感応金属並みのレアメタルに等しいかもしれん!!」

 

「ですが・等価交換にしては・いささか破格と・判断します」

 

 うぐ、と咽をつまらせたような声を上げたカオスだが、渋々頬を掻きながら、それでも言い訳じみた台詞で反論を図る。

 

「えーじゃないか。ちょちょっとこれの代わりに、目立たんようなテレパスを押さえるアミュレットと妖怪退治を引き受けただけじゃろーに」

 

「もう一つ。あの男性の・妻と言う女性に・貴重な薬を・使用したのでは?」

 

「あれは実験も兼ねて、じゃからのう。いやいや、中々いいデータが取れたわい」

 

 あさっての方角を見つつ言い放ったカオスの額に浮いた冷や汗を、マリアはばっちり観測している。

 

 何せ、使った薬が薬である。

 

 下手すれば、それこそ大問題になっていた筈。

 

 間違い無く夫である男性はその正確な効果を知れば反対していたであろうし、そもそも成功するか否かもはっきりとしない状況であっさり使ったカオスに、マリアはちょっとジト目を向けている。

 

 なにせ、彼女を目覚めさせた薬の元になったそれの名を、「時空消滅内服液」と言ったりするのだから。

 

 それを飲んだ存在を、因果ごと消滅させる至極物騒な薬である。

 

 毒薬どころか製造さえ禁止されるような、超が4,5個付くほどの禁薬なのだ。

 

 とある魔女がカオス著の薬の作り方が載った本を基に作った物をこっそり持っていたり、それをとあるオカルトGメンのエリートに散々叱られつつ泣く泣く処分したと言う話もあるが。

 

「どーも妙な因果律が絡んでいたようじゃからの。効果の時間を限定して、その辺りの因果を纏めて消滅。ふむ、今思うと中々に危険じゃのぅ」

 

「1歩間違えば・存在ごと消えていたと・推測」

 

 至極事務的なマリアの言葉と冷たい視線にちょっと冷や汗の量を増やしつつそこまで言って、ふと、カオスは思案げな表情を作った。

 

「だが、それだけでは無いのも確か。仮にも時空間移動能力者が、それもあの男の言葉を信じるならば何度も異能を行使している者が、あのような状況に陥ると言うのは腑に落ちん」

 

「異能ゆえの・暴走の・可能性は?」

 

「いや、あの女は夫の元に戻ってきている。制御下にあった公算が高い」

 

 人付き合いも無く、時折訪れる食糧や日用品の配達人以外では熱帯雨林の生物達くらいしか居なかった生活の中に突然来襲した彼女。

 

 今にも意識を手放しても可笑しくない様子でありながら、「どうして・・・」とそれだけを言い残して夫の腕の中に倒れこんだ妻。

 

 とりあえずベッドに寝かしつけ、医者に見せようとした彼が見たものは、手足の端々が僅かに透ける彼女の姿だった。

 

 動かせば透けるが動かしさえしなければ波の揺り返しのようにゆっくりと元通りになっていくその手足。

 

 医者に見せようにもこんな病気は聞いたことが無い。

 

 ――しかも、彼女は魔族に狙われている。

 

 途方に暮れ、三日三晩迷い続け、いよいよ妻との約束を破って娘に連絡を取ろうと後ろ髪引かれる思いで小屋を後にしようとした彼に声をかけたのは、そんな時だった。

 

「無意識下の暴走の可能性は捨てきれんが、それにしては症状が異常じゃ。ならば、むしろ別の可能性・・・時間移動の際に何かがあった、か?」

 

「何か・とは?」

 

 両手を天に向け、肩の辺りまで差し上げる事がその答え。

 

 お手上げ、と言う奴である。

 

 何せ時間移動そのものが未だ未知の部分が多い上に、使用する事が出来た者の記録も殆ど残っていない。

 

 その影に魔族の姿があったと言うのは、まことしやかに囁かれる話ではあったが。

 

「ともあれ、先程の襲撃を見るに、時間移動能力者に対して魔族が何らかの行動を取っていると言う話だけは真実のようじゃがの」

 

 その話が本当かどうかはともかく、今回に限っては盛大な勘違いであるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃勘違いの元凶達は。

 

「えーと、これがこーなってこっちがこーだから・・・」

 

「うん? これはこっちじゃないかしら」

 

「あーもーっ! こんなの専門外も良い所なのにーっ!」

 

「私も同じよ・・・」

 

 小屋の扉に書かれた文字と図形に頭を悩ませていたり。

 

 やたらめったら大量の数字と象形文字に近い文字の羅列、そしてその周囲を囲むように描かれた図形の数々。

 

『力は無駄。頭を使うべし。訪問者よ、このリドルが解けるか? ちなみにヒントは一切無しじゃがの(ハナホジー)』

 

 一頻り頭を掻いたルシオラは、そのパズルの真上に彫られた数行の文を苛々とした目で睨みつつ、再び作業に取り掛かる。

 

 横合いからアドバイスとも言えない程度の口を挟む勘九郎も、いい加減に疲れた様子で目頭を揉んでいた。

 

「なー、ルシオラ?」

 

「ああもううるっさいっ! 今集中してんだから邪魔しないの!!」

 

 暫くちょこちょこと小屋の周りをうろつき、先程からは後に胡座を掻いて座り込んでいる忠夫の声が掛けられたが、ルシオラはそれをあっさり切り捨て勘九郎も無視してリドルを見つめている。

 

 雪之丞は近くの地面に寝転がって熟睡中。

 

 いかに自分が向いていないかを把握しているとは言え、一目みただけで放り出すのは如何な物だろーか。

 

 ともあれ謎解きを開始してから十数分。

 

 解けるどころか解法の糸口さえも見つからない状態で、いい加減に扉の前の二人も頭から煙を噴きそうな勢いである。

 

「なぁってばー」

 

「後で構ってあげるから静かにしてなさい!」

 

 何処の親子の会話だろうか。

 

 目線さえ向けようとせず只管頭を悩ませる二人を横目に、忠夫は溜め息つきつつ小屋の裏手へと回っていく。

 

 扉のある反対側からは勘九郎とルシオラの話し合う熱の篭った声が聞こえるが、どーにもこーにも進展は無さそうである。

 

 それもその筈、仮にもドクター・カオスの作り出した、オカルト全盛期の頃の現代では失われた結界である。

 

 実の所、もう一度ルシオラが今度は全力で攻撃を仕掛ければ確実に小屋は吹き飛ぶ。

 

 だが、その場合中身も吹っ飛ぶ。

 

 そんな事実は知らないが、勘九郎も流石に弐号を使用させる気は無い。

 

 自然破壊は地球に優しくないから。

 

 後で依頼者に何やかやと言われるのも、この国の政府に難癖付けられるのも嫌だし。

 

 どちらが建前でどちらが本音かは言うまでも無い。

 

「解かなくてもいーじゃん」

 

 そう呟いた忠夫は、小屋の壁際に向かって座り込む。

 

 霊波刀を展開しつつ、それを変形、霊波扇に。

 

「へっほへっほへっほ」

 

 妙な掛け声かけつつ、ちゃかちゃかと動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「! ドクター・カオス! 結界付近に残したセンサーが・侵入者・感知!」

 

「・・・馬鹿な。早すぎやせんか?」

 

 小屋の中に置いてきたセンサーポッドからの連絡が、二人の間に緊張感を生んだ。

 

 生まれてこの方千年間、天才の称号を抱き続けたドクター・カオスの作り出した時間稼ぎのリドルを、ものの十数分で解く。

 

 こうなってはもし解けたら、と律儀に残してきた行き先を示す地図が仇となる可能性が高い。

 

 目的の物を手に入れることが出来たが故の嬉しさから、ちょっと油断しすぎたようである。

 

 計算では諦めるか小屋ごと結界の限界を超える力で吹き飛ばしてしまうか、若しくはそれなりの時間をかけて素直に謎解きをクリアーするか、だったのだ。

 

 勿論、その頃にはその地図が示す場所からとっとと退散している予定である。

 

「こうなれば・・・いっその事、魔族と標的を克ち合わせるか・・・?」

 

「・・・あの・ドクター・カオス?」

 

「いやしかし、それでは目的が達成されたか分からんし、接近しすぎるのも危険、か。θを連れて来なかったのが悔やまれるのう」

 

 ぶつぶつと思案の中に沈んだカオスに、マリアが早い口調で淡々と告げる。

 

「・・・報告・します。侵入者の・霊波調・データベースに・該当・一件」

 

「ともあれ先ずは対策を考えん事にはいやまてよ該当が・・・なにぃッ?! 本当かマリ・・・ア・・・?」

 

 報告の口調に違和感を感じる間も無く流したカオスだったが、続くデータベースに該当ありの報告で漸く我に帰る。

 

 だがしかし、驚きつつも振り向いた時には、既にマリアの姿は無く。

 

 盛大にブースターを吹かしつつ、ロケット花火のようにかっとんで行った愛娘の残した煙だけが、無情に風に吹かれて散っていた。

 

「この行動・・・あやつか! またあやつ絡みかっ!!」

 

 カオスの許可も無くあっさりと姿を消し、尚且つその制止する間もない素早い行動パターン。

 

 原因をその頭脳ではじき出したカオスは、全力で小屋の方に駆け出しながら、ちょっと寂しく叫んでみた。

 

「マリアに手を出そうなどと、1000年早いぞ小僧ぉぉぉぉぉ!!」

 

 間に合うか否かは置いといて、どちらかと言うとマリアが手を出す方なのは秘密である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犬なのね」

 

「犬ねぇ」

 

「犬だな」

 

「喧しいわおのれら! 狼やっちゅーねんっ!!」

 

 騒ぐ彼らの手には、1枚の地図があった。

 

 その真ん中であからさまに自己主張する×印と、少し離れた場所にありがたいことに日本語で書かれた「現在地」の3文字。

 

 そしてふと目を小屋があった場所に戻せば、そこにあるのは長さ2M程の地面を横に掘った跡と、それを中心に真っ二つに割れた小屋。

 

 小屋の中心には巨大な穴が空いており、それを中心に無理矢理引き裂かれたような無残な様相を呈している。

 

「だって、穴掘りでしょ?」

 

「しかもこの短時間で・・・これよ?」

 

「犬じゃねーか」

 

「狼っ! じーんーろーうっ!! ここ大事! それ俺のアイデンティティーだから!!」

 

 さっさと一人で横に回り込んだ忠夫は床下を探った。

 

 木造建築、しかも掘っ立て小屋よりはマシ程度の建物である。

 

 当然ながら多少の隙間が床にもある。

 

 だが、正確に言えば空間と言うよりも隙間程度の高さしか持たない其処に入るのは、無理だった。

 

 そこに小さく細くした如意棒を捻じ込み、後は一気に巨大化させればアラ不思議、真ん丸い天窓の開いた小屋の出来上がり、である。

 

 ちょっと大きくしすぎた所為か、それとも小屋が貧相だったのが悪いのか。

 

 勢いが着き過ぎで真っ二つになってしまったが。

 

 だから忠夫は穴を掘り、床下に潜り込んだわけだが、それがどーにもこーにも真面目に謎解きをしていた二人には納得がいかないようであり。

 

「人狼関係無いじゃない。犬も歩けば棒に当たるって訳? ・・・ハンッ」

 

「鼻で笑うなぁっ!! 大体そっちが何時までも解けないから悪いんじゃねーかっ!!」

 

「そんな事言ったってどーすんのよ、これ! 真っ二つよ真っ二つ! 家主が帰ってきたら大変じゃないっ!」

 

「一番最初に纏めて吹っ飛ばそうとした奴が言う事かぁぁぁぁぁぁあああっ!!」

 

 ごもっとも。

 

「おーい、置いてくぞー」

 

「やれやれ。犬も食わないわよねー」

 

「狼だっつってんだろーが!!」

 

「ちょっと、どー言う意味よそれ!」

 

 微妙に方向性のずれた突っ込みであるが、一人寝こけていただけの雪之丞は威勢良く歩き出しているし、勘九郎は勘九郎で少々呆れた様子ながらもしっかりと地図を睨みながら先導している。

 

 慌ててその後を追いかけたルシオラと忠夫であった。

 

 先を飛んでいくルシオラを追いかけ早足で歩く忠夫。

 

 が、その歩みは3歩進んで止められる。

 

 小さな、本当に小さな音が、忠夫の横手から響いた。

 

 まるで撃鉄が起こされたようなその音に反応し、素早く振り向いた忠夫の背後から、空気を引き裂き迫る何か。 

 

 全く気配が無かった所為か、殺気も襲撃の緊張感も無かった所為か、ともあれ対応は一瞬遅れた。

 

 遅れた一瞬は取り返せない。

 

 その二つの物体は、派手な音とワイヤーを引き連れて忠夫に直撃したかに思えた。

 

 だが、忠夫が感じたのは、衝撃でも爆発でもなく――

 

「目がっ?! 目が潰れるぅぅっ!!」

 

「・・・? 想定外の事態・発生」

 

 がっちりと眼球の辺りに指先を食い込ませる、柔らかくて暖かい筈の細い指先であった。

 

 ワイヤーを巻き上げながらゆっくりと歩み寄ったその両手の持ち主、マリアは、予想とは違う反応に戸惑いつつも作戦通りにキーワードを告げる。

 

 注意を引く為に動かした結界監視用のセンサーとのリンクを切りつつ、耳元にそっと囁いた。

 

「だ・れ・だ?」

 

「んぎょわぁぁぁぁっ!!」

 

 ワイヤーが牽引される勢いも手伝って、更に食い込んだ痛みが脳髄を直接抉るような痛みだ。

 

 その悲鳴を最後に、忠夫はぴくりとも動かなくなる。

 

「・・・横島・さん・」

 

 返事が無い。

 

 今度こそ屍かもしれない。

 

「横島・さん・・・? これは・早急に・蘇生措置が必要・なのです」

 

 何かを期待する表情から、一気に無表情に変わった彼女は、一見冷静に見える。

 

 だが、きょろきょろと周囲を見回し、おたおたと忠夫の息を調べたり手のひらに人と三回書いて飲み込む動作をしたりと言う所を見ると、どーも混乱真っ最中のようである。

 

「・・・緊急事態・ですから。そう・緊急・なのです。つまり・ノー・プロブレム」

 

 おもむろに倒れこんで白目を剥いている忠夫に覆い被さり、ゆっくりと目を瞑って接近する。

 

 意味も無く出力が上昇したり、何となく現在の状況を忘れていると思考回路が判断していたりするが、全てエラーと一括処理。

 

 ただ全ての能力を持って、目標に到達する事を最優先事項に設定。

 

「いき・ます・・・!」

 

 頬の触覚センサーに当たる忠夫の吐息が、否が応でも何と言うかこうある筈の無い色々な感覚とか情熱とかむやみやたらに一杯一杯さ!

 

 しかし、そこで黙っていないのがお約束と言う奴で。

 

 

「・・・ぅ、ん」

 

「・・・。・・・・・・。・・・・・・・・・。もう・一度・必要だと・判断します」

 

「ななななな、何やってんのよそこの痴女ぉぉぉぉっ!!!」

 

 

「・・・む? むむむむむーっ!! ぶあっ?! ま、マリア?! え、何事?! 此処は天国俺死んでますかっ?!」

 

「・・・。駄目・です。まだ・治療が・必要・です」

 

「むぉっ?!」

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああっ!!!!」

 

 忠夫の悲鳴を聞いて戻って来たルシオラであったが、何せ見たのがいきなり探し人と謎の女性のアレなシーンである。

 

 ぷるぷると震える指先で、羞恥と本人にも良く分からない怒りで感情が一気に限界を突き破り、故に眼前の光景をこれまた何だか良く分からないばらばらの思考で硬直しながら見てました。

 

 一部始終を。

 

 じっくりと。

 

 見てしまったのです。

 

「・・・ご馳走・さまでした」

 

「・・・はうあっ?! あ、いいえ此方こそ結構なお手前で実に幸運と言うかでもあれなんでマリアがああもう訳わかんねぇけどともかくありがたやありがたや・・・」

 

 やがて何だか傾き始めた太陽の光を受けて銀色に光る何かで繋がっていた二人が離れ、頬を染めつつ座り込んだまま自分の膝を見つめるマリアと、正座して向かい合ったまま土下座の如く頭を下げる忠夫がいた。

 マリアの方はしっかりと自分の行動を把握しているように見えるが、忠夫は完璧に魂が抜けた様子である。

 

 もじもじと上目遣いで、互いに何となく正座したままの状態で見上げてくるマリア。

 

 混乱の極地に置かれ、もう何が何だか分からないけど何だか色々と危険な死亡フラグがちらちらと垣間見えているような気がする忠夫。

 

 そして、瞳に何だか暗い炎が灯っていて、更に両の掌に怪しいオーラを漂わせているルシオラ。

 

「だっ!」

 

「だ?」

 

「大怪球四号ぅぅぅぅぅっ!!」

 

 両の掌に作り出された危ない雰囲気をビンビンに漂わせていたそれは、ルシオラの手の中で握り潰され形を変え、投擲と同時にそれぞれが4個に分裂。

 

 計八個のそれは、未だに放心状態の忠夫を容赦無く直撃し、高くたかーく、ジャングルの上空に打ち上げましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、なぜか涙目のルシオラに左足を、そのルシオラにめっちゃ睨まれつつも何処か幸せそうにほけっとしているマリアに右足を引き摺られつつ爆音に驚いて戻って来た勘九郎達と合流。

 

 何があったかと聞くも、ルシオラに物凄い殺気の篭った目で睨まれて思わず二人が魔装術を使ってしまったとか、息を切らせつつカオスがその異様な雰囲気の場に乱入し、散々GS試験で痛い目見させられた勘九郎がちょっと蒼褪めて雪之丞の背後に隠れたり。

 

 終いにはマリアの様子で何があったのかとしつこく聞いたカオスに対し、マリアが、頬を赤く染めつつ。

 

「堪能・しました」

 

 と言うに至ってお父さんブチ切れ。

 つーかマジ切れ。

 

 無言で気絶したままの忠夫にあからさまに怪しい液体を飲ませようとしてみたり、ルシオラが目だけが笑っていない笑顔で親指を下に向けたり、呆けたままのマリアが行動を起こさず虚空を見上げて幸せそうに溜め息をついてばかりなので決死の覚悟で止めに入った雪之丞がボロボロになる一幕があったものの。

 

「・・・なんでこうなるのよ。私は普通に依頼を片付けたいだけなのに・・・」

 

 勘九郎の悲哀を篭めた言葉が夕闇に紛れながらも、総勢6人の面子が合流した訳であります。

 

「・・・離れなさい」

 

「ノー。それは・拒否・します」

 

「こぞぉぉぉぉぉぉ・・・!」

 

「・・・・・・・・・」

 

 修羅場。

 

 と、目が覚めたのに怖くて目が開けられない忠夫がガタガタ震えそうになる身体を必死で押さえ込む、そんな熱帯雨林の夜が来たのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あな、た?」

 

「目が覚めたかい? 心配したよ」

 

「此処は・・・私は何で・・・それに、あなた、仮面が」

 

「さあ。時間移動に失敗したんじゃなかったのか? ドクター・カオスが暫くその力は使わない方が良いってさ。これも彼のお陰、かな」

 

「・・・駄目。あの子が、危ない・・・」

 

「それこそ駄目だ。今の君じゃ、僕は安心して見送るなんて出来ないからね。・・・何があったんだ?」

 

「・・・分からない。何も、覚えて、無い」

 

「それなら、今は眠る事だよ。それから一緒に考えよう?」

 

「ごめんな・・・さ・・・」

 

「お休み、今だけでも、ゆっくりと――良い夢を」

 

「・・・ぅ、あ。その言葉・・・何処かで・・・聞いた・・・筈・・・あ・・・」

 

「・・・ふぅ、寝たか。やれやれ、まだまだ町は遠いな」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。