月に吼える   作:maisen

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第陸拾弐話。

 

 勘九郎達が携えて来た書類を捲り、満足げに頷いた大樹は、デスクの上にある電話を取り番号を押す。

 

 繋がる先は日本の本社、連絡後すぐさまGS達を送り込んでくれた腹心の部下が居る部署だ。

 

 時差の事を考えれば退社時間まではもう少し間が在る筈なので、連絡先の部下なら必ず居るであろう、と確信しコールが切れるのを待つ。

 

 数度のコール音の後、かちゃりと音が聞こえ、受話器が持ち上げられた事を示した。

 

「・・・ああ、もしもし? ナルニア支局の横島だが、クロサキ君は居るかな」

 

「私です。連絡を待っていましたので」

 

 少々遠い通話の向こうから、冷徹さを感じさせるほどに事務的な返事が返った。

 

 書類を片付けながら、何事でもないように電話の受け答えをしているであろう彼に何処か堅苦しさを感じつつも、クロサキ君の性分だからまぁいいか、と頭の片隅で考える。

 

 手元の書類を確認しつつ、知らず唇を笑みの形に持ち上げ、電話相手に語りかける。

 

「例の件、無事こちらに届いたよ」

 

「少々遅れたようですが? 後、ご子息が一緒に付いて来られたとか」

 

「耳が早い。ま、君の事だから驚かないがね」

 

 先程契約を交わして、まだ一時間とたっていない。

 

 その上、記録が残る海や空の便を使わずに此処まで来た忠夫の事を知っている辺り、一介のサラリーマンとしては異常と言える情報収集能力である。

 

 おそらく支局内にでも伝手があるのだろうとは思うものの、今現在では特に害があるわけで無いので気にしない。

 

 最も、彼の利にならないような上司であればその限りではないが、自分を敵に回すデメリットから考えれば、それは、無い。

 

 それまでの思考を思考のゴミ箱に突っ込みつつ、ぺらぺらと書類を捲って3度目の読み直し。

 

「ジャングルの邪精霊に対して、魔装術とやらの使い手、しかも二人・・・結構掛かったんじゃないのかい?」

 

「いえ、むしろ安いくらいかと。顔を売る事も兼ねている為でしょうが」

 

 半分当たり。

 

 残り半分はクロサキが勘九郎の好みだったりした為だが・・・知らぬが花。

 

 どの辺りに優先順位があるのか、ある意味では分かりやすい漢、勘九郎であった。

 

 ともあれ、ふーん、と興味もなさげに頷いた大樹は、ゆっくりと椅子に背中を預ける。

 

 そのまま取り留めの無い話と本社の情報収集を平行させつつ、時計をちらちらと確認する事数分。

 

 やがてその耳が支局長室の前を歩く足音を捉え、数度ノックされるに至り、何でも無いような風情でとある言葉を口にした。

 

「ったく、あの馬鹿甥は・・・」

 

「そー言えばだねクロサキ君。婚約者は元気にしてるのかな?」

 

 がたーん、と。

 

 具体的に言えば、まるでどっかの部署の椅子が、その上に座っていた人物がいきなり立ち上がった為に膝の裏に当たって倒れたような音が電話の向こうから聞こえた。

 

 電話の向こうでは、話し声の後ろに聞こえてきていたざわめきも消えており、やたらと妙な雰囲気の静けさが漂っている。

 

 ほんの少し目を見開いた後、物凄く楽しそうに近づいてきた妻に1枚の電話番号が書かれたメモ用紙を差し出しつつ、肩を震わせお腹を押さえながら必死で笑いを堪える。

 

「・・・何のことでしょうか」

 

「百合子の言う通り、くっ、女子社員の噂話ネットワークも疎かに出来ない物があるねぇ。ビンゴか・・・くっくっくっ」

 

「・・・・・・・・・あ、もしもし? 初めまして、私、横島百合子と――ええ、その横島の妻ですわ」

 

 部屋の隅までこちらに聞こえないように離れて携帯電話をかけ始めた妻の、お昼の芸能人スキャンダルを楽しむ時と一緒の顔を眺めつつ、久し振りに聞く懐刀の動揺した声を楽しむ。

 

 時間にして数秒の事であるが、彼が立ち直るには十分な時間を与えて漸く笑いを引っ込めた。

 

 顔は緩んだままであるが。

 

 その表情の悪戯小僧っぷりと言ったら、どこぞの半人狼の甥そっくりである。

 

 直接的な血の繋がりは無い筈なのに。

 

「で、何で知らせてくれなかったのかな?」

 

「は、いえ、その、私事ですし、日程が決まってから、と。お願いしたい事もありましたので」

 

 こと情報収集力ならば大樹を舐めちゃいけない。

 

 ビジネスには情報は何よりも必要な資源となる。

 

 まぁ、それを利用してどうするのか、とかにも驚くほどの物があるのだが。

 

 先程のクロサキの言葉に対してちょっとした悪戯を仕掛けただけ、と言う話もある。

 

 ともあれ。

 

「へぇ。ま、楽しみにしてるけど・・・それはそれとして、だ」

 

「・・・まだ何か?」

 

 いやいや、とにやにや笑いつつ、妻の差し出してきたメモ用紙に目を通す。

 

 ついさっき初めまして、と挨拶をしていた筈なのに、今ではまるで何年もの付き合いがある友人同士のように気安く話している妻に親指を立てて見せた。

 

 ほんの数分の間に此処まで打ち解ける辺り、百合子の話術の恐ろしさを評価するべきか電話相手が将来詐欺にでも引っかからないか心配するべきか。

 

 未だこちらの強烈なカウンターから復帰しきれていない相手に、久し振りに弄りがいのあるネタだ、とガッツポーズなぞしつつメモ用紙を読み上げた。

 

「何々? 健康診断書と資産調査書、それから収入と支出を――」

 

「・・・ちょ、ちょっと待って下さい! まさか」

 

「待たない。ええっと、諸々を示しつつ将来設計を1時間30分に渡って語り、指輪と一緒に――」

 

 再びがたん、と音が聞こえた。

 

 今度は先程よりも大きく、漸く小さなざわめきが響き出した電話先に、再び沈黙が横たわる。

 

 そのまま受話器を放り出したようで、固い物同士がぶつかる音を真近に聞かされた大樹の眉が上がった。

 

 耳を澄ませば聞こえてくる、慌しく何かを片付ける音と、

 

「専務、体調不良の為早退します・・・!」

 

「え、あ、ちょっと待ってくれクロサキ君! この案件はわしじゃ分から――」

 

 激しく慌てた様子のクロサキの上司の声と、ドアが開いて閉まる音。

 

 いつも冷静な部下をからかい、ムカツク上司に嫌がらせを行い、更に自分の楽しみを追及できた一石三鳥の成果に本格的に笑いの発作を起こしつつ、涙目でデスクに突っ伏して腹を押さえながら笑う大樹であった。

 

「ええ。それじゃ、しっかり甘えなさいねー」

 

 携帯電話の電源を切った百合子が、こちらも軽く笑いながら肩を振るわせる夫の頭を軽く叩く。

 

 スイッチが入ったように馬鹿笑いを始めた大樹を見ながら、彼女は軽くデスクに腰掛けた。

 

「もうすぐクロサキ君が戻ってくるから、携帯電話の電源切ってしっかり捕まえて会社に戻らせないで甘えなさいって言っといたわ」

 

「ひー、ひー。さ、さすが百合子、分かってるじゃないか。ま、人生の墓場にようこそって所だな」

 

「彼も昔っから残業ばっかりしてたしねー」

 

 顔を見合わせ笑いつつ、何度も何度も婚約者に電話を掛けて且つ繋がらない事に物凄く焦っているであろう、日頃はこれ以上なく冷静沈着な部下と元部下を想像しながら、すっかり戸籍上の息子の事を忘れている二人であったとさ。

 

「ところで、女子社員ネットワークの窓口は何処かしら?」

 

「・・・さて、仕事仕事」

 

 さて、折檻折檻。

 

 そう呟いて、百合子はにっこりと笑いながら、そそくさと退出し様とした夫の襟首をがっちりホールドするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何か俺の扱い酷くないかここんとこーっ!! そして見知らぬ人よ! その幸せを俺にも分けやがれぇぇぇえええええっ!」

 

「煩いわねー、起きて早々訳の分からない事で騒がないでよっ!」

 

 がばっと身を起こした忠夫はルシオラの背中から一本背負いの如く縦回転しながら投げ落とされ、蛙のように地面に貼り付けられた。

 

 流れる涙もしくしくと嫉妬混じりに漏れ出る泣き声も柔らかい地面に吸い込まれて消えていく。

 

 母なる地球は放置プレイが基本なので何も返してはくれないが。

 

「うう・・・この大地の有り余る包容力が今は憎い・・・!」

 

「地面に愚痴って無いでさっさと起きなさい。そろそろ現場に着くわよ」

 

 溜め息混じりの言葉に顔を上げれば、そこは完全にジャングルだった。

 

 濃い緑の匂いと、雑多な生き物達の気配。

 

 見慣れぬ木々と、極彩色の羽を忙しなく動かしながら行き交う小鳥達。

 

 地面に目を向ければ小さな虫達が忠夫に潰されてぴくぴくと痙攣していたり。

 

「あ、ちょうちょ」

 

「現実逃避してないでとっとと目ぇ覚ましやがれ」

 

 顔に縦線を描きながらひらひらと眼前を過ぎ去っていった名も知らぬ蝶を追いかけようとした忠夫の襟首を捕らえたのは、未だダメージから立ち直りきっていない雪之丞であった。

 

 ややげっそりとした感のある彼に向かって顔を向けながら、忠夫はふと聞いてみる。

 

「駄目だったな? そーかそーか!」

 

「何で嬉しそうなんだてめぇはぁぁぁぁ・・・。それにっ! まだっ! 駄目と決まった訳じゃねぇぇぇぇ・・・!!」

 

 ぎりぎりと首を締められながらも、浮かんだアルカイックスマイルは消えませんでした。

 

 血の涙さえ流しながら土気色の忠夫を締め上げる雪之丞に拳を落とし、勘九郎は心底嬉しそうに頭を押さえて蹲った弟弟子の肩を叩く半人狼に目を向けた。

 

「で、早速だけど協力して欲しいの」

 

「質問!」

 

 びしっと手を上げて発声した忠夫を指差しながら、とりあえず聞いてみた。

 

「何で俺は気絶してましたか?! 確か無事に百合子さんから逃げ切って合流した筈なんですが!」

 

「ああ・・・それは」

 

 ひょい、と忠夫の後方で肩を叩いているルシオラに視線をやる。

 

「ルシオラちゃんがいきなり撃ったからだけど」

 

「あ、まだらすべすべまんじゅうがに」

 

「誤魔化してんのかっ?! 己はそれで誤魔化してるつもりなんかぁぁっ?!」

 

 何も無い所、思いっきり空中を指差しながら視線を逸らしたルシオラに詰め寄る忠夫である。

 

 ちなみに何故ルシオラが魔力砲を撃ったのかというと、百合子が指示したからである為、原因が判明した所で忠夫に出来る事は精々がっくりと項垂れる事くらいである。

 

 珍しい蟹の変種よ、と目を合わせないままやたら自信満々に告げるルシオラに鼻息も荒くにじり寄る忠夫であった。

 

 が。

 

「気絶した所でちょっと休憩に連れこも――ごほんっ! 担ごうとした所でその子が代わりに担いで此処まで連れてきてくれたの。感謝の一つくらいあっても良いんじゃない?」

 

「ありがとう・・・! 本っ当にありがとうルシオラ・・・!!」

 

「・・・何か別のベクトルで感謝されてるわね、私」

 

 滂沱の涙を零しながら左手でルシオラの手を握り、勘九郎の舐めるような視線から何かを庇うようにお尻に手を当てた忠夫は心の底から感謝した。

 

 もし彼女が居なかったらと思うと、背中を悪寒が一個旅団で駆け上がる。

 

 そもそもルシオラが居なければそんな事態に陥る事も無かったのだろうが、目先の危険が伝える恐怖はその思考をあっさり凌駕し尽くした。

 

 そのまま照れ隠しに忠夫の首を無理矢理勘九郎に向けたルシオラは、体と顔が180度違う方向を向いた忠夫の頭をホールドしたまま少し赤い顔でそっぽを向く。

 

 白目を剥いて真っ青な顔で泡を吹き始めた忠夫に投げキッスなど贈りつつ、ビクンビクンとその直撃を受ける度に痙攣する忠夫に、失礼ねぇと呟いた勘九郎は漸く立ち上がった雪之丞に囁いた。

 

「気付いてるわよね?」

 

「ああ。誰かさんのお陰で視線には敏感になったからな」

 

「ま、敏感だなんて。・・・今日は積極的に行こうかしら」

 

「止めろ」

 

 嫌そうに吐き捨て、ゆっくりと霊力を集中させていく雪之丞に残念そうな視線を送りつつ呼応するように霊力を高めていく。

 

 探るような視線の主は音も立てずに4人の周囲を高速で巡りつつ、こちらの様子を観察している。

 

 いや、其れだけではない。

 

「増えてるわね」

 

「4、いや5匹・・・? まだ増えそうだな」

 

 魔装術の使い手達の言葉通り、本能がそのまま存在しているかのような気配達はその数を増しつつあった。

 

 いまだ泡を吐き出し昏倒している忠夫と、ようやくその惨状に気付いて慌てて忠夫をがっくんがっくん揺らしているルシオラを横目に見つつ、戦力外ね、と舌打ち混じりに現状把握。

 

 ちなみに首の向きは元通りになっているが、体を揺さぶられる度に忠夫の口から聞こえないほど小さな苦しげな吐息が零れ、額に流れる脂汗が倍増し、首から鳴っちゃいけない音が何度も何度も鳴っているのは誰も知らない悲しい現実である。

 

「・・・来るわよ」

 

「応」

 

 す、と魔装術者達の目が細まり、一気に纏う気配が闘争のそれへと変質する。

 

 引き摺られるように、いや、呼応するように飛び出したのは、一見すれば小柄なサルほどの大きさで、黒い布を着込み、怪しい仮面をつけた集団であった。

 

 無言のまま、彼らは構えた細長い棒を口元に当てる。

 

 狙いは二人、危険な気配を持った2つの個体。

 

 溜め込んだ吐息を一気に吹き込み、跳ねるように加速。

 

 前後左右全方位からの吹き矢が突き刺さると同時、集団で襲いかかって無力化を図る。

 

「ふっ!」

 

「はあっ!!」

 

 だが、高加速を付加された鋭い針は、突如として二人の全身を覆った硬質な何かに弾かれる。

 

 集団に動揺が一瞬だけ走り、一糸乱れぬ行動に僅かな遅滞が生まれた。

 

 そして、その一瞬で十分だった。

 

 両腕を交差させ、露出した目を庇う体勢から一気に跳躍。

 

 左右に分かれた勘九郎と雪之丞は、吹き矢の筒を向けられるよりも一瞬早く手近なそれを掴む。

 

 僅かな遅滞も無く吹き矢を手放し爪を突き出した、その黒衣の存在――邪精霊は、己の武器が砕け散った事を認識した。

 

「お礼は倍付けでってのが白龍道場の流儀でね!」

 

「釣りは要らないわ、取っときなさい!」

 

 更なる反撃の間も与えず、己が纏った鎧に絶対の自信を預けた二人は邪精霊をぶん回す。

 

 握り締めた手の下から響いた苦鳴に獰猛な笑みを浮かべ、迷う事無く吹き矢を向けていた別の邪精霊に投げつけた。

 

 仲間の身体と衝突した邪精霊はそのまま吹き飛び、後方の大木を圧し折りつつ轟音を立てながらジャングルの奥へと消えていく。

 

 退場させられたそれには見向きもせずに、今度は小振りな、だが禍々しいナイフを構え一体、そして唸り声を上げる数体の邪精霊に向き合った。

 

「・・・何処かの原始宗教モノっぽいナイフねー」

 

「大方、俺らの前にやられた奴らが持ってたんじゃねーの?」

 

 ナイフを持った個体に意識を幾分か割き、だが他の個体にも油断せずに意識を割く。

 

 散漫ではなく、集中の飽和。

 

 広がりながら閉じていく意識を心地良く感じながら構えた雪之丞の爪先に力が篭り、地面を跳ね上げながら加速。

 

 耳元を掠めていく空気が鼓膜を打ち、一繋がりの音が脳裏を擽りながら意識を戦いへと尖らせていった。

 

「先手必ッ・・・!?」

 

 だが、その握り締められた拳が着弾するより、その足が身体を必殺の距離へと運ぶよりも速く、丁度敵との中間地点に何かが上空より飛来した。

 

 握り拳ほどのそれは大気との摩擦で蓄えた熱を散らしながら、僅かに雪之丞の速度が鈍ったその瞬間に。

 

「下がりなさい雪之丞!」

 

「ちいっ!!」

 

 猛烈な白煙を吹き上げた。

 

 一瞬で視界を奪われた事に舌打ちしつつ、後方から聞こえた兄弟子の言葉に反射的に行動しつつ両手で顔を庇う。

 

 そのまま後方に全力で跳躍し、背中で煙を突き破って地面に足をつける。

 

 かちんかちんと魔装を叩く、小さな針を鬱陶しく思いながらも決してガードは崩さない。

 

 護りの姿勢は崩さぬまま、両腕の隙間から僅かに覗いた瞳で白煙の壁の向こうを警戒する。

 

 だが、暫しの沈黙の後、漸くねっとりとした質感さえ感じさせる程の煙が薄まった後には、何者の姿も残っていなかった。

 

「逃がしたか・・・!」

 

「しかも、ご丁寧に最初に潰した奴まで持ってかれてるわね」

 

 苦々しげに既に魔装術を解いていた勘九郎は、薙ぎ倒された大木の向こうを覗き込んでいた。

 

 抉れた大地と無残な傷痕を残す半ばから折れた木の向こうにある筈の邪精霊の姿は、無い。

 

「撤退にしてはやけに手が込んでるわ。これは・・・誰か、居るわね」

 

「ふん。黒幕が居るなら全部纏めて叩き潰すだけだろーが」

 

 地面を蹴りながら魔装術を解いた雪之丞が、蹴られた事で姿を現した煙幕の源を手に取る。

 

 その小振りな円筒は、雪之丞の袖で表面の土を拭われ、その下から作られて間もない事を示すような金属の光沢を見せ付けていた。

 

「おい、魔族の姉ちゃん。横島を起こせ。一気に行くぞ」

 

「は?! え?! あ?!」

 

 好戦的な笑みで邪精霊達が撤退したであろう方角を見つめていた二人は、背後から聞こえてきたルシオラの酷く動揺した声に訝しげに振り返った。

 

 焦った様子で背後を必死に隠そうとしているルシオラに歩み寄れば、なぜか冷や汗を滝のよーに零しているその後ろの地面に突き立った――

 

「スコップ? ・・・ってそんなもの何処から」

 

「おい、横島は・・・」

 

 状況その1。

 

 地面に突き立った何処から取り出したのか全く不明のスコップ。

 

 その2。

 

 顔中を冷や汗で覆っている怪しい行動の女。

 

 その3。

 

 盛り上がった、地面。

 

 そして、その4。

 

 盛り上がった地面から僅かに覗く、ぱたぱたと結構必死っぽく動く手。

 

「・・・犯人は」

 

「お前だっ!!」

 

「で、出来心だったんですぅ・・・」

 

 『はぐれ魔装術者セメント派』

 

 ――ジャングルの邪精霊は見た! 密林に消えた半人狼と空飛ぶまだらすべすべまんじゅうがにの謎――

 

 番組名がやたら長いサブタイトルと共に(3人の心の中に)表示され、がくりと項垂れたルシオラが膝をつく。

 

 ちゃららら~ら~らら~、と定番の音楽が流れた後、そんなコントは良いからはよ助けろや、と地面の奥で叫んだ半人狼の悲鳴は、やっぱり放置プレイな地球に抱かれて消えていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら見て。今気付いたけどこの針何だか妙な呪いが掛かってるみたい。つ・ま・り! 私はタダオが流れ針に刺されないように隠そうとしたのよ!」

 

「今気付いたけどって自分でゆーてるやんかぁっ! それに危うく窒息死する所やったわいっ!」

 

「あーもうほらほら、いい加減に痴話喧嘩は止めなさいってば」

 

「ちっ、痴話喧嘩ぁっ?!」

 

「俺のは正当な主張だー!!」

 

 心外な、と叫んだ物の、全くそっち方面に対しては抗議をしない忠夫にちょっとムッとするルシオラさんである。

 

 この辺り少々複雑なヲトメゴコロと言うやつか。

 

 ともあれ、ちょっと拗ねたルシオラに苦笑いを零しつつ、軽く手を叩きながら二人の間に割り込んだ勘九郎は忠夫に向かって手招いた。

 

「どう? 匂いで追えそうかしら?」

 

「んー」

 

 勘九郎の言葉に忠夫はすぴすぴと鼻を働かせる。

 

 半人狼の超感覚、中でも嗅覚は折り紙つきのものである。

 

 追跡行ともなればそれが必ず役に立つだろう、と言う勘九郎の思惑は、早速その効果を――

 

「駄目っぽいな、これ」

 

「へ?」

 

 発揮しなかった。

 

 鼻を押さえて苦い顔をする忠夫に思わず詰め寄る勘九郎である。

 

 何せ、此処で匂いによる追跡が出来ないとなれば、最悪再び出会うまで延々とジャングルの中を彷徨わなければならない。

 

 山篭りで慣れているとは言え、やっぱり隣の修行馬鹿と違ってそれなりにバネの効いたベッドで休みたいと思う、最近肌の曲がり角が気になりだした勘九郎、○○歳である。

 

「匂いが多いっつーか濃いっつーか、はっきり言って混じりすぎてよく分からんぞ、此処」

 

「・・・あー、まぁ日本には此処までジャングル! って場所無い物ね」

 

 辺りを物質的に埋め尽くすような緑の匂いは、僅かに残っている筈の邪精霊達の匂いも混沌の中に取り込んで、すっかり混ぜ合わせてしまっている。

 

 其れだけではない。

 

 密林の中に生息する、日本の森とはまた違った生態系や生物の密度が、この環境に不慣れな忠夫の鼻から正確に匂いをかぎ分ける能力を奪ってしまっていた。

 

 だが、忠夫は一つ頷くと、てくてくと邪精霊達が去っていったであろう方角に向かって歩き出す。

 

 そして雪之丞から彼らが最期に居た場所を聞き出すと、しゃがみ込んで四つん這いになりながらじっくり地面を観察し始めた。

 

「・・・ん。でも何とかなるぞ、これなら」

 

「追えるの?」

 

「あっちも慌ててたみたいだなー。あっちこっちに痕跡があるわ」

 

 そう言って忠夫が指差した地面を見ても、忠夫以外には全く変哲の無い柔らかな落ち葉に覆われた地面にしか見えない。

 

「こっから・・・」

 

 つい、と滑る忠夫の指。

 

 その先を見れば、僅かに重なった木の枝や破れた蜘蛛の巣、少し窪んだ苔の痕や落ちたばかりと思しき葉っぱがちらほらと――忠夫の目にだけはしっかりと見えていた。

 

「あっちだな」

 

「お前、本当だろーな?」

 

「伊達に毎朝狩りやってねーっつの」

 

「・・・本当に偵察向きね、あなた。人狼ってこんなのばっかりなのかしら」

 

 疑わしげに指の向いた先を眺める雪之丞と、呆れた様に呟く勘九郎。

 

 ルシオラはルシオラで忠夫に何処らへんが痕跡と成っているのかを興味深そうに聞いている。

 

 人狼が狩りを得意とするのは事実であろうし、その超感覚でもってすれば痕跡を探すのも匂いを辿るのもある程度は簡単な事であろう。

 

 だが、その超感覚を他の人狼達と比べて低いレベルでしか持たなかった忠夫は、それを経験と観察力で補っていた。

 

 それが発揮された超感覚と相俟って高レベルでの追跡力を持たせる結果と成っているが・・・例外としたほうが良いだろう。

 

 普通の人狼ならば、鼻と身体能力だけで十分に足りていた筈なのだから。

 

「途中から木の上移動したみたいだから、俺が登って上から先導してくるわ」

 

 そう言い残し、するすると音も立てずに太い木の幹を登っていく忠夫。

 

 狼と言うよりも猿と言った方が正確かもしれない。

 

 美衣との一件の中で身に付けた森林での移動技能は、しっかりと忠夫の身になっているようである。

 

「ほんっと、便利な子ねぇ」

 

 呆れを通り越して何だかどーでも良くなってきた勘九郎の呟きが、元気良く忠夫の後を追いかけ始めた二人の背中を擽った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ふむ。ま、これで何とかなるじゃろ」

 

 フラスコの中身を揺らしながら、カオスはゆっくりと立ち上がった。

 

 数歩歩き、小さな木製の机の上にあった小瓶のコルク蓋を空いた片手で器用に弾き開け、その中身をゆっくりとフラスコに注いでいく。

 

 小さな爆発がフラスコの中で起こり、紫がかった煙を吹き上げた。

 

 その臭いに顔を顰めつつも、僅かな変化も見逃すまいと鋭い目で中身を観察する。

 

 ゆらりゆらりと僅かに揺れながら、やがてフラスコの中身はゆっくりと透明に成っていった。にやりと快心の笑みを浮かべつつ、それを揺らさないように慎重に持ち上げながら、再び空いた手で真っ白な正方形の紙を取り出し、片手ですらすらと奇妙な図形を書き込んでいく。

 

 やがて、円と文字とも記号ともつかない紋様でもって記された魔法陣が紙の上に姿を現した。

 

 数度、確認するように全体に目を通し、納得が行った様で軽く頷くカオス。

 

 そのままその紙の上でゆっくりとフラスコを傾けていく。

 

「・・・ふむ、完成じゃな」

 

 フラスコの口から滑り落ちた液体は、その魔法陣の上で瞬く間にさらさらとした粉末に変わり、やがてゆっくりと小さな球体を形作っていった。

 

 仕上げとばかりにぱちんとカオスが指を鳴らすと、今度はその球体の下の紙が一気に燃え上がる。

 

 燃え上がった瞬間と同様、一瞬で消えた炎の後には、やや縮んだ球体と、その中に紙に書かれていた筈の魔法陣が見て取れる。

 

 その球体を摘み上げたカオスは、唇の端を持ち上げるとマントを翻して隣室へと続く扉をノックした。

 

「出来たぞ」

 

 木製のドアには形だけのノブしかついておらず、当然ながら鍵などは付いていない。

 

 軋む音を立てながらあっさり開いた扉の向こうには、鉄仮面を付けた男と、ベッドの上で静かに横たわっている女性の姿があった。

 

 女性の額に乗せていた濡れタオルを取り替えていた男は、カオスの言葉と差し出された球体に焦った様子で、それでも慎重に受け取った。

 

「これで、大丈夫なんでしょうか」

 

「まぁの。ワシの推論が当たっておれば、じゃが」

 

 何処となく不安そうになりながらもそれを受け取った男はベッドの上に横たわる女性の口元にそれを当て、祈るような気持ちで押し込んだ。

 

 数秒ほど、痛いほどの沈黙が一室に去来する。

 

 全く反応の無い事に一瞬落胆の表情を浮かべた男は、しかし、次の瞬間に。

 

「――ゴホッ! ゴホッ! ・・・あ、ぅ」

 

 呻き声と共に女性の口元から吐き出された呼吸に、心底からの安堵の表情を浮かべた。

 

 優しい手付きで女性の手首をそっと握る。

 

 直前まで全く動く事もなく、ぞっとするほど冷たいだけであったその手首は、確かに生きている者の暖かさと鼓動を伝えている。

 

「ふむ。ちゃんと『時間が繋がった』ようじゃの」

 

「・・・ありがとうございます。本当に・・・」

 

「礼はいらんよ。対価が貰えるのならばの」

 

 さて、と首を鳴らして懐から懐中時計を取り出したカオスは、片眉を跳ね上げるとそのまま窓に歩み寄った。

 

 窓と言っても簡素なガラスも何も嵌っていないただの壁に空いた穴に近いものだが、風通しが良いように作られた建物である為か、外からは涼しさを感じる程の風が吹き込んでいる。

 

 きょろきょろと外を何かを探すように動いていたカオスの視線が、ある一点で静止する。

 

 その視界の中には、盛り上がった地面と其処から伸びるコード、そしてその端を持って小さく口を動かしているマリアの姿。

 

「ぬぉっ?!」

 

 慌てて窓から飛び退り、カオスが一人床に伏せた瞬間。

 

 轟音と閃光が周囲を揺らした。

 

「マリアァァッ!! 仕上げはちゃんと完全密閉してからとゆーたろーがぁぁっ!!」

 

 小屋の中で全く身構えていなかった為、閃光と轟音のコラボネーションを見事に喰らって昏倒した男を残しつつ、小屋の中から駆け出してきたカオスの目の前で、マリアはきょとんとした表情でやや煤けながら不思議そうに握ったコードの残りカスを眺めていた。

 

 だが、カオスがこちらに掛けてくるのを見た瞬間、一瞬とても挙動不審にあちらこちらを見回した後、おもむろにコードの残りカスを全力であさっての方向に投擲。

 

 駆けつけたカオスがジト目で睨むと、マリアは事務的な声と無表情でのたまった。

 

「ノー・プロブレムです。ドクター・カオス」

 

「プロブレム山盛りじゃ」

 

 ごつんと拳骨を落とされたマリアはちょっと落ち込んだ。

 

 見事にクレーターになった地面の中心を溜め息混じりに眺めつつ、カオスは呆れた様子でその頭を撫でる。

 

「だが、まぁ結果はオーライと言う所じゃのぅ」

 

「当然・です。マリアは・早く・帰りたい」

 

「・・・ったくのぅ。ちーとも反省しとりゃーせんな」

 

 そこはかとなく胸を張るマリアにデコピンをかましつつ、ぶちぶちとどっかの馬の骨である半人狼に対し正当な八つ当たりを述べつつ、カオスは抉れた地面の中からごそごそと親指の爪ほどの大きさの何かを拾い上げた。

 

 不思議な光沢をもったその楕円形の鉱石の中には、先程の男が被っていた鉄仮面に良く似た模様が内包されていた。

 

 懐から取り出したモノクルでじっくりと検分するカオス。

 

 やがて満足げに頷くと、それを小さなロケットに納める。

 

「ふむふむ。二つ目もこれで完了じゃの」

 

 背後でデコピンを喰らって額を押さえるマリアを尻目に、カオスは小屋の中へと戻っていったのだった。

 


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