月に吼える   作:maisen

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第伍拾捌話。

 子供の頃、ちょっとした好奇心から小さな穴や輪っかに手を通した思い出はないだろうか。

 

 なかなかどうして不思議な物で、そういった思い出の中ではどんなに頑張っても抜けなくなり、ひたすらに焦りが募って行くばかりであり、他人の助けやほんのちょっとした動きであっさりと抜けて今までの焦りは何だったのだろう、と拍子抜けするのだ。

 

 いよいよ抜けなくなって消防署やら救急隊やらと大騒ぎになるのも年に数回TVで見かけるが、基本的に子供の頃の、思わず天を見上げて照れたような気の抜けた笑い声を出したくなる、そんな感じの思い出である。

 

「海の馬鹿やろぉぉぉぉっ!!!」

 

 例外は何にでも付き物だが。

 

 二の腕の辺りでしっかり半人狼を捕らえて離さない情熱的な船の窓枠は、その巨体の豪華さに比例するかのようにしっかりと作りこまれていた。

 

 具体的に言えば、この状態に陥った忠夫が真正面から魔族の少女の拳を受けても抜け出せなかったくらいには。

 

 顔に潮風を浴びて復活した忠夫がじたばたと陸に打ち上げられた鮪のように暴れてみた物の、罅さえ入った様子のない窓枠は二の腕から下を紫色に変色させただけで解放してはくれなかった。

 

 すっかり辺りからは人の気配もなくなり、途方に暮れたのでそろそろ薄っすらと色を変え始めた空と海に向かって吼えてみる。

 

 木霊も返ってくるはずがなく、潮風と塩水を思いっきり吸い込んだせいで咽が痛くなっただけだった。

 

「うっうっうっ・・・たーすーけーてーくーれぇぇぇぇっ!!」

 

 全く反応の返ってこない現状に忠夫が絶望しかける。

 

 だが、助けは意外な存在が持ってきたりするもので。

 

『・・・何をやっておる?』

 

「ふぉ、フォーチューンさんじゃないっすかぁぁぁっ!!」

 

 俯いてしくしくと涙を海に零していた忠夫の頭上から、小さな影が声をかけた。

 

 それは、美神達3人に幸運を授けてどっかに行った筈の精霊さま。

 

 幸運の精霊、フォーチュンであった。

 

『趣味か?』

 

「ちっがぁぁぁぁぁうっ!!!」

 

 あんまり頼りになら無さそうだが。

 

 とは言え漸く来た助け、このチャンスを逃してなるものかと必死に忠夫は現状の説明をしようとして――思いとどまった。

 

 前回助けてもらった時の事である。

 

 海に落ちた――と言うよりもフォーチュンに落とされたのだが、これ自体は忠夫も悪いと思っているので関係無い。

 

 問題は、その後である。

 

 フォーチュンの幸運によって海から助け出された忠夫だが、そのやり方が問題であった。

 

 ぶっちゃけ、高波で打ち上げられて、そのまま服のある部屋に叩き込まれたとしか言い様がない。

 

 これで魔族の少女の拳でも抜け出せないような状況から助けて欲しいといったら、それこそ何が起こるやら想像もつかない、と言うか想像したくもない。

 

 結論、何事もなかったかのようにお帰り頂くのがベスト。

 

「うーあー、えっと、フォーチュンさんこそ何でこんな所に?」

 

『そなたらを探しておった』

 

 きっぱりと一言で答えた幸運の精霊は、少し不思議そうに忠夫を眺めつつも忠夫と視線をあわせる。

 

 ふよふよと忠夫の目の前まで降りてきた精霊は、こほんと口元に拳を当てて一つ空咳。

 

『そなた達3人にどんな幸運を授けたのか、教えるのを忘れていた』

 

「・・・あー、そういや聞いてなかったっすけどねー」

 

 と、ふと気付いた様子の忠夫が聞き返す。

 

「あれ、3人って俺はもう済んでるんじゃ?」

 

『そなたが海に落ちたのは――まぁ、原因はともかくとして、わらわもやりすぎた感が否めないから、あれはおまけと言う事でな』

 

「じゃ、じゃあ俺は嫁さんが来るとかっ?!」

 

 現状も忘れてそう期待満々の顔で聞いた忠夫に、精霊の凄く冷たい視線が突き刺さる。

 

 呆れたというか、はっきりと駄目な子を見る目で見られた忠夫はかなりへこんだ。

 

『好いた女子の一人くらい、自力で何とかするべきだと思うがの? わらわに出来るのは良き縁と出会える幸運を導くくらい。そもそもそなたには既に別の幸運を授けておる』

 

「あ、そっすか・・・」

 

 心底から呆れた声色で告げられた素気無い言葉にしょげた忠夫に冷たい視線を向けたまま、ため息をついた精霊は肩を竦めて言葉を続けた。

 

『そなたらに授けた幸運だが、美神には金運を。とは言っても切欠だけ。物に出来るかどうかは美神しだいじゃの』

 

「・・・このトラブルは絶対そのせいだよなぁ」

 

 正解。賞品はないけれど。

 

『おキヌには健康を。蛇や虫の毒、その他色々な身体に悪いものに対してのな。あの娘もそなたらと付き合う以上は色々と巻き込まれるじゃろうからな』

 

「あー、それはありがたいっす」

 

 今度はまともそうなので正直に頭を下げる忠夫。

 

 身体は固定されたままなので出来の悪い玩具にしか見えないが。

 

『そして、そなたじゃが・・・身体も丈夫、その上金運も必要では無さそうだったので、少し限定してみた』

 

「・・・へ?」

 

『奇妙な因果が見えたのでな。落下しやすい性質のようだったので、何処から落ちてもギリギリ助かる幸運を授けてみた』

 

「なんじゃその限定的過ぎる状況はぁぁっ?! てか俺落ちるのかっ?! 確かに良く落ちてるけれどもっ!!」

 

『うむ、落ちる。落ちる男じゃの』

 

「断言しないでぇぇぇぇっ!!」

 

 確かに色んなところで落ちている。

 

 とは言え生来の丈夫さと反射神経のお陰で今まで大事には至っていない為、必要かといわれると首を捻るしかないのだが。

 

 そもそもギリギリという時点で不安を掻き立てまくりである。

 

 増々高いところ、主に飛行機とかには絶対に乗らないようにしようと固く誓う忠夫であったが、言うだけ言って用件を済ませた筈の精霊はこちらを不審そうに見つめている。

 

 嫌な予感を背筋にビンビンと感じた忠夫が、素早くお礼を言って追い返そうと決めたその瞬間に。

 

「あの『・・・そなた、もしかして嵌っておるのか?』・・・はい」

 

 見れば分かる状態であろう。好き好んで船窓に引っかかったまま会話するような変人は早々居まい。

 

 しょうがないな、と言う感じで溜め息を付きながら、その手に持った杖と言うか槍と言うかを振り上げた精霊に、忠夫の必死の説得がかかる。

 

「あのですねっ?! 助けてもらわなくても大丈夫っすからっ!」

 

『しかしそなた、自力では抜け出せないのであろう?』

 

「だって幸運とか言って結局碌でもない目に――はっ?!」

 

 口は災いの元。

 

 慌てて閉じても、一度零れた言葉は無かった事には成らないものである。

 

 恐る恐る見上げてみれば、そこには額に怒りの血管を浮かばせた精霊が、とても良い笑顔でこちらを見ていた。

 

 ひくつく頬がその心情をはっきりと表している。

 

『そなた、わらわが信用できないとでも?』

 

「や、だってさっきとかは・・・」

 

『良い、分かった。わらわの力、思い知るが良いっ!』

 

 忠夫の言葉を遮るように、精霊は完璧に悪者、しかもボスクラスの台詞をのたまった。

 

 問答無用で振り下ろされた幸運の精霊の杖。

 

 思わず身構えた忠夫であるが、恐れていたような高波とかは起きる気配がない。

 

 その瞬間、天啓のように忠夫の脳裏に一つの想像が浮かび上がった。

 

 何故かピートがいきなり現れて助けてくれるとかいう。

 

 気絶していた忠夫は知らないが、確かにこの船には唐巣神父達が乗っており、ピートが忠夫を探して船内を動き回っている最中である。 

 

 身体を霧状に変える彼の能力があれば、簡単に此処から脱出できるのではないか、そんな考えが忠夫の脳裏を駆け巡った。

 

 そして、背後でごとりと音がする。

 

「っ?! まさか、マジでピートとかっ?!」

 

 慌てて振り向こうにも船窓は忠夫の身体で塞がれており、中の様子は伺えない。

 

 だが、今の音はドアが開いた音でなく、忠夫の高性能な耳が捉えた感じによれば、船室の上のほう、おそらく通気口がある辺りから響いたようだ。

 

 助かった、と何でピートが居るのかとか、彼が通気口から来たのかとかそう言ったことを全部放り投げて喜色満面の忠夫が声を上げる。

 

「ピート、良い所に! 助けてくれーっ!」

 

「もきゅー」

 

「そーか「もきゅー」かって何だそりゃぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 鳴かない、あの半吸血鬼は「もきゅー」とか鳴かない。

 

 謎の鳴き声?を上げた謎存在は、謎の足音?らしき粘液質の音を立てながら忠夫の下半身へと接近している気配がする。

 

 両足をばたばたと必死に動かしながら脱出を図る忠夫だが、無情にも拘束は緩まない。

 

 幸運の精霊に助けを求めようと視線を上げてみれば、何故か感心したようにこちらを見下ろしてくる視線とぶつかった。

 

『・・・そなた、妙な因果に恵まれておるのう』

 

「いらないっ! そんな因果いらないからっ!!」

 

「もきゅきゅー」

 

 ぺちゃり、と何かが足に絡みついた。

 

 生暖かくもぬるぬるとした感触を感じた忠夫の動きが停止する。

 

『ふむふむ。「我は灼熱の業火に炙られし、鋼鉄の底より来たりし者」とな?』

 

「なんじゃその通訳はぁぁぁっ! 俺の足に絡んでんのは地獄の使者かなんかかぁぁっ?! てか言葉が通じるんなら助けてぇぇぇっ!!」

 

「もきゅっきゅもきゅー」

 

 忠夫が叫ぶ間も、何処かユーモラスな鳴き声?を上げながら謎の存在はさらに忠夫に何か細くてぬるぬるとした粘液に塗れた物を伸ばして絡み付いていく。

 

 その細さの何処にそんな力があるのか、必死で暴れる忠夫の膂力を持ってしても、その柔軟さと相俟って解放してはくれないのだ。

 

『「案ずるでない。地獄からの使者などではないぞ。生まれは日本の東京、古臭いアパートのじっくりことこと煮られた鍋の中、だ。母はメドーサと言う。意識を持ったのは海に流れてからだが。おやそう言えば貴殿には見覚えが・・・」だそうだ』

 

「あんの馬鹿娘ぇぇぇっ!!」

 

 そう、彼?は忠夫が排水溝に流したメドーサの料理から生まれた存在だったのだ!

 

 どうやら海にまで流れていって、漁師の網に掛かって見世物として売られていく途中だったらしい。

 

 テロリスト達に捕まった忠夫を縛っていた何かの荷物を縛っていたらしいロープ。

 

 あれの中には実は檻が在り、それを木の板で囲んで居たのだが、其処に居る事に飽きた彼が脱出した際に解けたロープが忠夫を縛っていたのだ。

 

 何とも奇妙な縁である。

 

『そなたに非常に己と近しいものを感じたので助ける・・・と』

 

「うあーっ! そういや俺食べたよっ! 一部だけどっ?!」

 

「もきゅー」

 

「あっ! 駄目、其処は駄目ーっ?!」

 

 広い広い大海原に、悲痛な半人狼の悲鳴が響いた。

 

 イメージ映像としてはぼとりと落ちるラフレシア辺りが相応しいだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ・・・もう、お婿に行けないっ」

 

『男の純潔なぞ、金を払って引き取ってもらう程度の価値しかなかろうに』

 

 それはあまりにも極一部の価値観ではなかろうか。

 

 ともあれ、体中を謎のべたべたで覆われた忠夫が部屋の中で妙にしなを作って顔を覆いながらしくしくと泣いている。

 

 ズボンもしっかり履いているので、どうやら色々と無事に脱出は出来たようである。

 

 謎の彼?はと言うと結構な照れ屋らしく、忠夫が部屋の中に引きずり込まれる――としか言えない光景であった――瞬間、すれ違うようにして自由の海へと消えていった。

 

 フォーチュンはそんな忠夫を慰めるようにぽんぽんと小さな手で頭を叩き、そのまま姿を消していく。

 

『では、元気でな』

 

「二度と来るなーっ!!」

 

『そう言うな。そなたは中々に面白い――』

 

 そう言い残し、フォーチュンはくすくすと笑いながら完全にその姿を消すのだった。

 

 消えていった精霊に向かって叫んだ忠夫の耳に、船室の外を駆けて来る軽い足音が聞こえる。

 

 慌てて辺りを探すも、隠れるような場所はない。

 

 というかもう窓には近寄りたくもない。

 

 こうなったら、とドアの陰に隠れ、霊波刀を展開して振り上げる。

 

 ドアを開けて誰かが飛び込んできた瞬間、思いっきりはたいて気絶させようと言う魂胆であろう。

 

「――マッタく! いくらニげダせないからとイって、折角のホリョをほうって置くなんて勿体無いデス!」

 

 聞こえたのは、そんな声だった。

 

 しかも、足音からすると一人だけ。

 

 どうするか、と悩む暇もなく開くドア。

 

 そして飛び込んできた女性は、忠夫も見たことのある人物だった。

 

 彼女は、壁に張り付いた忠夫に気付く事無く、既に脱出して誰も嵌っていない船窓を発見し、慌てた様子で一歩を踏み出した。

 

「アッ?!」

 

 ――そして、床のぬるぬるを踏んで、滑って転んで頭を打って気絶した。

 

「・・・えっと、俺のせいじゃないよな?」

 

 遠因ではあろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ?! ここは――ヒッ?!」

 

「そんなに怖がらんでもえーやん。助けたのに」

 

「タ、タスけた?」

 

「そ、そうっ! ぬるぬるの化け物に襲われていたあんたを千切っては投げ千切っては投げの大活躍で助けた横島忠夫! 横島忠夫をよろしくお願いします!」

 

 そーいう事にしたらしい。

 

 女性が辺りを見回せば、確かに床は謎のぬるぬるに覆われしかもそれは窓の外にまるで逃げ出したように飛沫を散らしている。

 

 実は照れ屋のにくいアンチクショウが素早くそこから海へと旅立っただけなのだが、状況証拠と忠夫の発言からすればつじつまが合ってしまう。

 

 また、忠夫も体中――と言うか体がぬるぬるに、まるで襲われでもしたかのようにべっとりと纏わり付かれており、戦いの激しさを物語っているようにも見えるのだ。

 

 だから、王族としてきちんと教育を受けている王女は胸を打たれたような表情になると、深々と頭を下げて見せた。

 

「ソウなのですか・・・。アリガトウございました。アナタはイノチの恩人デス」

 

「うわ信じたよ・・・」

 

 ぼそっと呟かれた忠夫の言葉が聞こえなかったのは幸いであろう。

 

 その実直さに少々良心が痛みはする物の、まぁそれはそれとして。

 

「アヤしい人物と思いコウソクしてしまいました・・・。そんな私を助けてくれるだなんて、アナタこそまさに騎士デースっ!」

 

「いや、侍なんやけども・・・」

 

「聞いたコトあります・・・。サムラーイ、東洋の騎士デスね!」

 

 きらきらと尊敬の視線でこちらを見てくる女性を見ていると、良心がズキズキと痛む訳ですが。

 

 ともあれ視線を逸らして頬をぽりぽりと掻く忠夫を、謙虚な人物と言う印象を受けたのかますます輝く瞳で王女は見て来るわけで。

 

「あー、その、お名前を聞いてもいいかな?」

 

「これはシツレイを。私はザンス王国の王女、キャラットとモウしマス」

 

 再び深々と頭を下げる女性になんとなく頭を下げ返しながら、忠夫はどーしたもんかと悩んでいた。

 

 と、そんな何処ぞの国の王女が、何故こんな所に、しかもテロリスト達と一緒に居るのかと言う疑問が湧く。

 

 今は居ないが、さっき見たときは確かに怪しい人物達が彼女を守るように居た筈。

 

「あの、何故こんな所に?」

 

「・・・その、怪しいオトコを一人で、しかも放置していると聞いた物ですカラ。――こっそりゴーモンして情報を聞き出そうかト思い、抜けダしてきました」

 

 さらっと危ない発言をかます王女に、忠夫は自分の身が結構ギリギリで助かったと言う事を悟った。

 

 どうやら危うくゴーモンに掛けられる所だった、らしい。

 

 ばくばくと五月蝿い心臓に手を当てながら、どうやらこちらを捕虜から凄い人、に格上げしてくれたらしい彼女の指を見る。

 

 其処には、やっぱりあのごっつい何かを呼び出した指輪が輝いていた。

 

 ふむ、と腕を組んだ忠夫は、自分の立場を利用できないか考える。

 

 どうやらトラブルに巻き込まれたのは間違い無いらしいが、果たして美神が絡んでいるのはどっちだろうか。

 

 まぁ、王女と言う重要人物に忠夫という存在が知らされていなかった以上、彼女達が襲っている方についたのだろうけれども。

 

 こう言うときは不利な方についたほうが儲けは大きい物だし。

 

「ええと、王女様?」

 

「ハイ?」

 

「一体何が起こっているんっすか?」

 

 その言葉に、王女は俄かに表情を曇らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「王様が、ねぇ・・・」

 

「ハイ。どうやら魔族にセンノウされているらしいのデス」

 

 クーデターまがいの現状は、目の前のお姫様が何処からかそんな情報を知ったことが始まりだったらしい。

 

 ザンス王国に眠る大量の精霊石を狙った魔族が、王を操り国を滅ぼそうとしているのだと。

 

 しかも全世界に出回る精霊石の殆どを生産するこの国を潰せば、世界中で活動するGS達にも精霊石が供給されにくくなり、魔族が活動しやすくなる、まさに一石二鳥の作戦なのだと。

 

「でも、お姫さんさ、その魔族って見たことないだろ?」

 

「エエ。ですが、魔族はズル賢いからスガタを見せないだけで、ソウ言ったヒトの意識を操るドウグもあると――」

 

「あ、それは本当。その道具なら俺も見たことあるし。ただなー、国を潰してもあんまり意味ないと思うぞ?」

 

 精霊石の重要な生産地であるザンス王国。

 

 果たして、其処が潰されて、誰が黙ってみているだろうか。

 

 ほぼ確実に、オカルトGメンを始めとする霊能者達が黙っていないだろうし、精霊石の生み出す莫大な利益を狙った各国が動き出す事は間違いない。

 

 物量に押されて、精霊石の鉱床が再び人の手に戻るだけだ。

 

「・・・それは、分かっていマス。ですが、民が被害をウける事にチガイはありません」

 

 だから、そうなる前に父を止めに来たのだと。

 

 この船には父が居り、そして父を操ろうとしている魔族が居るのだと。

 

 最悪の場合、父を止める為には手段を選ばない。

 

 そう泣きそうな顔で小さく呟いたお姫様は、子供のように見えながらも、確かに王の欠片を持っていた。

 

 今は小さくとも、いつかは大きく育つであろう王の資質を。

 

「・・・良しっ! 分かった!」

 

 だけど、だからと言って美人が泣き顔なのは納得行かないのが忠夫。

 

 本当に王様が悪魔に誑かされているのかは知らないし、もしかしたら悪い奴が後ろで糸を引いているだけなのかもしれない。

 

 だけど、侍として、男として。

 

「・・・え?」

 

「お姫様が頑張ってんだから、侍が黙ってみてる訳にはいかんよなっ!!」

 

 何とかしてあげたいと思うのが当たり前。

 

 当然だから、やるだけだ。

 

「横島忠夫に任せなさいっ!」

 

 頑張るお姫様に、良い所の一つも見せちゃろう。

 

「だから嫁に来ないか?」

 

「ナニがだからなのかワかりませんが・・・それはタブーですカラ」

 

 聞いてみるだけ聞いてみた。

 

 脈絡はないが、何となく。

 

 ともあれ、よろしくお願いします、とこれまた丁寧に頭を下げてくる王女にこちらも頭を下げ返しつつ、関節を外して抜け出した時に落ちていたロープを拾った忠夫は、頭を上げ、きょとんとこちらを見やる王女に囁いた。

 

「あ、王女様。指がぬるぬるで汚れてまっせ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、見つからなかったの?」

 

 はい。テロリスト達から盗み聞いた話の場所にも行ってはみたんですが、何だか粘液質な物が飛び散っていた以外は特に何も・・・」

 

 階段の踊り場で合流したピートの言葉に、美神の顔に不審げな色が宿る。

 

 その他にも霧になって船の各部を見回ってきたピートの情報を顎に手を当て聞いた後、振り切るように頭を2,3度振り、神父を見た美神は、躊躇う事無く言葉を続けた。

 

「放って置きましょう。どうせここぞって言う時以外は役に立たないんだし」

 

「それはいくらなんでも酷評じゃないかなと思うんだがねぇ」

 

 階段の下を覗きつつ、慎重に進み始めた美神と並んだ神父が呟く。

 

 聞こえない振りをしながら足音を立てないように降りた美神は、左右に伸びる通路を見渡しながら後ろに向かって手招きをした。

 

「あ、でも、それってここぞって言う時は頼りにしてるって事なんですよ「おキヌちゃん、口は災いの元よ?」はーい」

 

 韜晦するように微笑みながらあらぬ方を見上げるおキヌ。

 

 少し威圧感を篭めた悪態を突いた美神だが、どうもするりとかわされた感が否めない。

 

 感心したように、と言うか半分近くは驚愕と困惑の視線で見てくる唐巣とピートに睨みを効かせながら耳を澄ます。

 

 通路の先からは何も聞こえては来ないが、僅かに巨船の機関部が立てる音が大きくなっては来ているようだ。

 

「ったく。ほらほら、さっさと行くわよ」

 

「しかし美神君、本当にこっちで良いのかね?」

 

 問うたのは唐巣神父である。

 

 今美神達が目指しているのは、ピートが偵察して来たテロリスト達が集まっているであろう船倉ではなく、お姫様が待機していると言う船室でもなく、客船を動かしている機関室である。

 

 誰が言い出すでもなく行き先を決めるのが美神にはなっているが、唐巣神父達も特に不満があるわけではない。

 

 こう言った非常時にある種特異な適応を見せるのが美神でもあるからだ。

 

 とは言え何の説明もなく余り関係無さそうな場所に向かっていると、それなりに不安も募ってくる。

 

「・・・勘、かしらね。外れてくれれば良いけど」

 

「と言うと?」

 

「どーも、ただの親子喧嘩の延長線じゃ済まないような気がするわ」

 

 呟いて、見取り図で記憶していた機関室前の曲がり角まで歩を進める。

 

 小さな手鏡を出し、曲がり角の向こうを覗けば、その不安を肯定するかのように「関係の無い」筈の機関室の扉には、銃を下げたテロリストが数人と、何も持たないテロリストが2人。

 

 その指には、精霊石の指輪が嵌っている。

 

「ビンゴ、かしらねー」

 

「・・・まさかっ?!」

 

「多分、だけど」

 

 緊張を一気に跳ね上げた美神と唐巣を余所に、ピートとおキヌは疑問符を浮かべてきょとんとしている。

 

 銃を装備したテロリストが数人と、おそらく精霊獣を使う奴が2人。

 

 さて、どうやって突破するか、と車座になって考え始めた美神達。

 

 

 通路に設置されたスピーカーから声が響いたのは、そんな時だった。

 

 

「――え、もうスイッチ入ってる? すんまっせん。あー、テステス。只今マイクのテスト中ー。本日青天なれど所により理不尽の雨なりー」

 

「・・・あんの馬鹿っ!」

 

 頭を抱えてスピーカーに憤怒の視線を向ける美神の傍では、状況を理解できない唐巣とピートが声の持ち主に気付いてなにやら嫌な予感を感じている。

 

 おキヌは彼が無事だった事を知り、ほっと安堵の吐息を吐いてはいたが。

 

「えー、テロリストとザンス王達に連絡します。3分以内に全員甲板に来なさい。さもなくば――」

 

「むぐーっ!!」

 

「ここに居られるキャラット王女が凄い事になっちゃいます!」

 

「むぐむぐむーっ!!!」

 

「アホかーっ!!!」

 

 思わず突っ込んだ美神であるが、スピーカーの向こうから聞こえてきた話の内容は、はっきりいって問題だらけである。

 

 仮にも一国の王女を人質にとって、しかも敵対する2つのグループを一箇所に集め様とは。普通思わないだろう。

 

「ち・な・み・に。テロリストの人数も王国から来てるであろう人数も王女から聞いて把握済みなのでー、一人でも足りなかったら・・・ふっふふのふー」

 

「あ、相変わらず妙な所で抜け目が無いね、彼は・・・」

 

 呆れたような、と言うよりも呆れを通り越して如何したらいいのか分からない、と言った様子の唐巣とピートを横目に、頭をがしがしと掻いた美神に続いておキヌも走り出す。

 

「美神さんっ! 横島さんって、もしかして!」

 

「多分そうでしょ。私達を指定しなかったって事は、私達なら何とかするって思ってるわね、あの馬鹿」

 

 慌てて美神達を追いかけ始めた神父達に聞こえたのは、そんなおキヌと美神の会話だった。

 

 思わず零れた師匠としての笑いを噛み殺しながら、音も気にせず階段を駆け上がる。

 

「先生っ! ちょっと!」

 

 階段を上がりきり、通路を左に曲がればザンス王達が居る船室に至る、と言うその場所で、振り向いた美神が唐巣を呼んだ。

 

 追いついた唐巣の耳に、美神の囁き声が小さく響く。

 

「――ええっ?! 本気かい美神くん?!」

 

「娘の命が掛かってるって言えば文句も言わないでしょ! しっかり頑張ってくださいねっ!!」

 

 叫んで駆け出していった美神の背を見送りながら、唐巣は呆然と引き止めることも出来ずにふらふらとしていた手を下ろした。

 

 不思議そうに覗き込んだ弟子の目に写ったのは、酷く蒼褪めた師匠の顔。

 

「・・・やっぱり私の教育が間違っていたんだろうか」

 

「せ、先生っ! 気を確かにーっ!!」

 

 単純に、美神家の女は彼と相性が悪すぎるだけのような気もするが。

 


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