月に吼える   作:maisen

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第伍拾漆話。

「・・・実は、この客船にはとある国の重要人物が乗っていてね」

 

 処女航海、しかも道は半ばどころか始めの5歩目位だと言うのに、あっさりと壊滅に近い打撃を受けた豪華客船のカジノホールを脱出し、1階層下の倉庫までこそこそと移動した美神達。

 

 すやすやと気持ち良さそうな寝息を立てるおキヌを美神が背負い、むしろ昇天してるんじゃなかろーかと思わず唐巣神父が十字を切った位に恍惚の気絶をかました忠夫はピートが背負って――何となく嫌そうではあったが――事無きを得た物の。

 

 突然の爆発に、いきなりの唐巣神父とピートの登場。

 

 そして、現れた犀の顔した凶悪な霊的存在と、なかなかに突っ込みどころの多い展開であるのは事実である。

 

 しかし、溜め息を吐きつつ語る唐巣を見る美神の目は、「とある国の」の辺りから輝きを増し始め、「重要人物」と聞いた瞬間鼻息も荒く詰め寄る喜びっぷりを見せている。

 

「それでそれで、せ・ん・せ? 何処のお国の方かしら?」

 

「・・・ザンス王国だよ、美神くん」

 

 美神、渾身のガッツポーズ。

 

 ――ザンス王国。

 

 名産品、精霊石。

 

 世界中の精霊石、その80%を産出し、同時に高品質の精霊石振動子という霊能グッズの中枢部品の9割を生産するオカルト国家。

 

 精霊石と言えばこの業界で最も有名な霊能グッズで、その使い方は種々様々。

 

 ある時はグレネードの如く雑魚を纏めて蹴散らし、ある時は強力かつ簡易な結界を作り出し、またある時は霊能の触媒として効果を発揮する、非常に強力な道具である。

 

 この精霊石と言うもの、小さな物は神通棍や見鬼君などにも使用されており、その効果の程は良く知られているが、最後の保険、ピンチを切り抜ける切り札としても高い性能を誇り、GSならば持っておきたいアイテムである。

 

 である、が。

 

 それ単体で効果を発揮するような大粒の精霊石は、これがまた非常識に高価なのである。

 

 3億4億当たり前。

 

 見た目も綺麗で装飾品として、かつ非常時に直ぐ利用できるようにネックレスやイヤリングとして美神も使用している物の、現在彼女が身に付けているそれらだけで軽く10億は超すだろう。

 

 そして、そんな物を名産品として産出し、しかも8割方を占めるザンス王国の豊かさ――推して知るべし。

 

「ありがとうフォーチュン! 大口よ! 報酬がっぽりよー!」

 

「・・・先生」

 

「何も言わないでくれたまえピート君。分かっている、分かっているとも・・・!」

 

 隠れている筈なのに高笑いを上げ始めた美神を顔に縦線入ったピートが指差し、横目で見られた神父は胃の辺りを押さえて見ない振り。

 

 未だに報酬も協力要請も依頼内容も現状さえも分かっていない筈なのに、美神の中では札束や精霊石の雨霰が降っていた。

 

「さ! そうと決まれば早いとこ依頼片付けちゃいましょうかぁっ! ほらほら先生、早く早く!」

 

「あ、ああ。それじゃあちょっと移動しようか・・・。っと、横島くんたちを置いて行く訳には行かないね」

 

「あーもー! さっさと起きんかぁっ!!」

 

 折角の儲け話を逃してなるものか、とばかりに美神が忠夫に往復ビンタ。

 

 すぱぱぱぱーんと快音が響く。

 

 胸倉を掴み上げられた忠夫の頬が見る見る赤く染まるのを視界に入れないようにしながら、唐巣は懐から取り出した通信機で連絡を始めた。

 

 そして、数十秒の快音の後、真っ赤に頬を染めた忠夫が漸く跳ね起きた。

 

「・・・はっ!? 美神さん駄目だそんな女同士なんて非生産的なー! でも混ぜて欲しいっスー!!」

 

「忘れろぉぉぉぉっ!!」

 

 と思ったら昏倒した。

 

 平手はあっさりと拳に変わり、フルスイングで振りぬいた拳の延長線上にあったダンボールやらなにやらを薙ぎ倒しながら忠夫がすっ飛び、怒りと羞恥に耳まで真紅に染めた美神が息を荒らげながら追加のストンピングを嵐の如く降らせまくる。

 

 慌てて唐巣が羽交い絞めにした時には、既に忠夫は虫の息。

 

 何だかモザイクが必要になった物体Xをはんなりと涙目で睨みつけながら、美神は唐巣の何があったかと問うような視線をきっぱりと無視した。

 

「先生後生よっ! 止めをー! せめてあと一撃だけでもーっ!! 次に起きても覚えてたら身の破滅なのよーっ!」

 

「待ちたまえ美神くん! 仮にも君の所の従業員だろうっ?!」

 

 美神を羽交い絞めにしたまま外に引き摺っていく唐巣のアイコンタクトを受け、弟子であるピートは取り合えずモザイク代わりに忠夫に毛布をかけた後、おもむろに十字を切っておキヌを背負う。

 

 この騒ぎの中でも全く起きる様子を見せずに幸せそうに眠っているおキヌを抱え上げ、大きく溜め息を付いたピートは疲れたように姉弟子と師匠を追いかけた。

 

「・・・おキヌさんも大物だよなぁ」

 

 そんな呟きを残しつつ、どうせ忠夫だからその内放っておいても復活して適当に追っかけてくるだろうと放置して。服が血で汚れるのもいやだし。

 

 そう思って忠夫を置いて言ったピートも、まさかあんな事になるとは思ってもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって時間も過ぎて。

 

「・・・で、これはナンですか?」

 

「・・・さぁ?」

 

 覚醒した忠夫が耳にしたのは、そんな怪しい日本語だった。

 

 何故日本語なのかは聞いちゃいけない、そんなご都合万歳主義である。

 

 ともあれ、忠夫イヤーは人狼耳。

 

 分析開始、即時判明素早く対応。

 

 結論・・・ばっちこーいっ!

 

「――嫁に来ないかーっ!」

 

「ナニゴトですかぁーっ?!」

 

「貴様、姫に何をするっ!!」

 

 声だけでおおよその年齢、体格、その他諸々の大事な情報を解析した忠夫が飛び掛る先には、褐色の肌に豊かな肩までの髪を緩やかに流したうら若き美女の元。

 

 忠夫アイは人狼アイ。

 

 驚愕に固まる美女の抵抗を予測し、最も適切な手順で持ってその手を握る為に必要な行動を叩き出す。

 

――武器、及び危険物未所持。

 

――驚きの為対応に遅れ、チャンス。

 

――邪魔者発見、但しこちらのファーストアクションに対応できる距離に無い。

 

 結論。

 

――GOGOGOGOGO!! 吶喊突貫ワレ奇襲に成功!! 一撃で最大の効果を上げて見せろと魂が叫んでるっ!!!

 

「せ、精霊獣よっ!」

 

「それは想定外ですからーっ!!」

 

 閃光と共に忠夫の頭より大きな拳が出現、跳躍中の為回避不可。

 

 結論。

 

 駄目ぽ。

 

 女性の細い指を飾る指輪が光ると同時に現れた、精霊獣と呼ばれた女性型の存在の拳は真正面から忠夫の顔面を吹き飛ばした。

 

 バウンドさえせずに砲弾の如く吹き飛んだ忠夫は、背中側に在った壁にぶつかり跳ね返る。

 

 ごろごろと数回転して漸く動きを止めた忠夫の後頭部に、ごりっと冷たい鋼の感触が感じられた。

 

 あからさまに撲殺レベルの攻撃を受けうつ伏せに倒れこんだ忠夫に押し付けられる銃口達。

 

 サングラスを付け、迷彩服に身を包んだ男達が警戒を解かぬままに指示をこう。

 

「姫様、ドウしますか?」

 

 僅かの逡巡の後、姫と呼ばれた女性が親指を下に向けるよりも僅かに早く、忠夫は顔面を押さえながらむくりと起き上がった。

 

 慌てて警戒を強めた男達が銃を構えなおす。

 

「いっだぁぁぁ・・・あれ? 此処は何処っ?! てか俺大ピンチっ?! 美神さん達は何処へーっ?!!」

 

「・・・美神? イマ、美神とイイましたか?」

 

 周囲を見回し、冷たい銃口を幾つも発見し、だばだばと涙を流しながら美神を探す忠夫の前に、冷たい口調の女性が立った。

 

 見上げた忠夫と視線が合う。

 

 とっても怖い目でした。

 

「貴方、ナニモノですか?」

 

「はいっ! 俺は只今お嫁さん絶賛募集中のしがない一般市民でっすっ!! ではこれにてお暇を――」

 

「・・・そこらノ民草が精霊獣にコウゲキされて、ブジでいるとでも?」

 

 再び光る女性の指輪。

 

 呼ばれて飛び出て精霊獣。

 

 後頭部から握り潰されんばかりの力でがっちりホールドされた忠夫。

 

「唐巣神父がイってました。美神にジョリョクをモトめる、と――カンケイシャですね?」

 

「違います、只の一般市民っす」

 

「ならばヒトジチにもなりませんね? 精霊獣よ、握り潰し「関係者っすー! 物凄く関係してるっすーっ!!」・・・捕らえなさい」

 

 抵抗はしたら問答無用で撃たれそうなので出来ませんでした。

 

 暫しの後には、冷たい金属の床に頬を当ててしくしくと泣く半人狼が一人いた。

 

 体中をそこらに落ちていた荷物を縛るためのものと思しきロープでぐるぐるに巻かれ、ご丁寧な事に両手足にはきっちり手錠が嵌っている。

 

 二人掛りで忠夫が持ち上げられたその隣では、慌しくなった周囲の空気の中、女性は耳元に囁く男の言葉に何度か頷きを見せた。

 

「――モドります。テイサツは父のイバショをサイユウセンに探してクダさい」

 

 女性と同じく指輪を嵌めた男達が周囲を警戒しつつ先行し、その後を急ぎ足で女性が続く。

 

 荷物のように運ばれながら、また何やらトラブルに巻き込まれたんだなー、と何処か諦めきった風情の忠夫が呆然と呟いた。

 

「・・・そういやメドーサ腹空かしてないかなー」

 

 東京のはずれの森の中で、主と呼ばれるやたら威厳のある巨大な猪と睨み合っていた元魔族の少女が、くしゃみした隙に跳ね飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁぁ・・・。あれ? 美神さん?」

 

「漸く起きたわね、おキヌちゃん」

 

 柔らかいソファーの上から身を起こしたおキヌが最初に目にしたのは、やれやれと溜め息を付きながらこちらを覗き込んでくる美神だった。

 

 何時の間にか居場所がカジノホールから美神達の船室よりも豪華で広い部屋になっており、少し離れた所ではスーツ姿の男性達が難しい顔で話し合っている。

 

 そこから更に少し離れた場所では唐巣神父とピートが何やら話しこんでいた。

 

「頼んだよ、ピート君」

 

「任せてください」

 

 真剣な表情で頷いたピートの姿が霧へと変わり、空調用のダクトへと消えていく。

 

 それをやや不安げに見送った神父が振り返り、ソファーの上に身を起こしたままのおキヌと目があった。

 

 見ているだけで安心するような、柔らかい笑みを浮かべた神父が歩いてくるのに軽く頭を下げながら、おキヌは忠夫を探して視線を泳がせる。

 

「横島さんは何処ですか?」

 

「・・・あー、まぁ、色々あってね」

 

 苦笑いをしながら唐巣が美神を横目で見る。

 

 見られた方はと言えば視線を逸らしながら不満げにおキヌの額にデコピン一つ。

 

「あたっ?!」

 

「全く。覚えてないだろうからしょうがないけど、おキヌちゃんも悪いんだからねっ!」

 

「え? え?」

 

 額を押さえたおキヌがきょとんとしながら見返してくるのに頬を少しだけ赤らめて立ち上がりながら言い放ち、美神はスーツ姿の男達の方へと歩いていった。

 

「横島君なら、今ピート君に迎えに行って貰った所だよ。どうも中々に厄介な事になってるみたいでね・・・」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で唐巣が答える。

 

 向けられた視線の先には、静かに、だが重々しく話し合っていた男性達の会話に美神が割り込んだ瞬間が写っていた。

 

「――つまり、ご息女があちら側に荷担していると?」

 

 皺の浮かび始めた初老の日本人が、精霊石を幾つも散りばめた豪華な飾りを被った老人に問い掛ける。

 

「・・・非常に不可解な事ながら、間違い無い」

 

 顎の下で組んだ手の向こうから覗く、突き刺すような視線に表情を歪めながら答える老人。

 

 周囲はサングラスをかけ、スーツを着込んだ褐色の肌の外国人と、同じような格好をした日本人が緊張も露に睨み合っている。

 

「わざわざザンス王ご本人にご足労頂いた今回のお忍びでの会談は、失敗と言う事ですかな?」

 

「いや、問題無い。大臣自らこちらが指定した此処まで来て頂いたのだ」

 

 問題無い、と言いながらも、その表情は優れない。

 

 今回のこの事前会談は、ザンス王国の浮沈をかけた物である。

 

 外国製品に押され始めた自国の製品のシェアの獲得の為にも、次の本会談に無事に繋げる為にも、なんとしても納得の行く形で終わらせなければならないのだ。

 

 経済大国でありながら、世界的にも珍しい多種多様な宗教を受け入れる事が可能であり、そして何よりもこれからのザンス王国にシェアを確保すれば多大な利を得る事ができる国との関係をもたらす為にも。

 

 だが、現状は不利な方向へと動き始めていた。

 

 限りなく情報を絞り、連れて来たのも僅かな人数のみ。

 

 しかもタブーとされている機械の力で動く船の上。

 

 テロリスト達にもかぎつけられない筈であった。

 

 己の娘と言うイレギュラーさえ現れなければ。

 

「・・・これは私達の問題だ。私達だけで解決して見せよう」

 

「・・・そう望みたいものですな」

 

「ちょっと良いかしら?」

 

 秘書と思しき若い男性と共に立ち上がった初老の日本人は、横合いから掛けられた美神の声に視線を一瞬だけ向けると、秘書に頷きを見せただけでその言葉を無視して歩き出す。

 

 苛立たしげにその背中に声を掛けようとした美神だが、その彼女に掛けられた声にゆっくりと振り向いた。

 

「美神令子さん――で良いのかね?」

 

「ええ。ザンス国王」

 

 握手を求めて伸ばされた手に答えて握り返しつつ、促された美神はゆっくりとソファーに身を沈めた。

 

 対面に座った老人の表情は硬いままで、だがその雰囲気からは困惑の色が見て取れる。

 

「――高名なGSと唐巣君から聞いている。是非、協力を願いたい」

 

「報酬は?」

 

 ただそれだけを、相手が国王であるにもかかわらずそれを全く気にも掛けない態度で聞き返す弟子の姿に師匠が頭を抱えていたり。

 

「質の良い精霊石を3つ。追加で現金100万」

 

「USドル? ユーロ?」

 

「USドル」

 

「OK、受け賜りますわ」

 

「噂通り、話が早くて助かる」

 

 そんな会話に師匠は部屋の隅で自分の弟子教育方針の何処が悪かったのかと膝を抱えている。

 

 おキヌがフォローに入ったようなので暫くすれば復活するだろう。

 

「では、依頼内容の方を詳しく聞かせて頂きましょうか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だかなー。いっつも思うんやけど、美神さんって絶対トラブル体質だよなー」

 

 自覚が無い事甚だしい。

 

 はっきり言って忠夫も似たようなもんである。

 

 狭い船室に一人放り込まれた忠夫は、周囲に誰の気配も無い事を確認しつつ身体をくねらせる。

 

 ごきごきと骨の鳴る音を響かせながら、ゆっくりと這うように床の上を転がった忠夫の体からは、しっかりと捕らえていた筈のロープが解け落ちていた。

 

「ふ。長老に吊るされ続けた俺が、この程度の拘束でとっ捕まえられるとでも思ったのかっ! ふんぬりゃぁぁぁっ!!」

 

 ばきん、と金属の欠片を落としながら手足の手錠が引き千切られ、忠夫は脱出に成功する。

 

 手品師も真っ青の大脱出――と言うか只の力技というか無駄な器用さと言うか。

 

 ともあれ、肩と首をこきこき鳴らしながら立ち上がった忠夫は船室の扉に手を掛け――

 

 しっかりと鍵が掛かっている事に気付いた。

 

「・・・こんだけしっかり縛っといて、鍵まで掛けるなよな・・・。っつーか普通内側から開ける奴だろオイッ!!」

 

 力一杯扉に蹴りをかますも、只の船室の癖にえらく分厚い扉は開かない。

 

 とは言え今の一撃でへ込みはしたので後数回同じ事を繰り返せば開きはするだろうが――。

 

「あんまり音立てるとやばいよなぁ」

 

 今は誰も居ないようだが、もし誰かが音を聞きつければ見つかる可能性が高い。 

 

 流石に鉄砲でばんばん撃たれるのは危ない。ちゅーか怖いので勘弁。

 

 暫し悩んだ忠夫の視界に、小さな嵌め殺しの丸い窓が入った。

 

 おもむろに懐から唐巣神父の聖水を塗した石を取り出し、力いっぱい投げつける。

 

 当然ながら、かなり派手な音を立ててガラスは砕け散り、開いた窓からは潮っぽい風が吹き込んでくる。

 

 だが、その窓は、はっきり言って小さかった。

 

 忠夫の頭が通っても、肩が通るかどうかは関節を外してもギリギリなくらいには。

 

「・・・TVで見たのは通ってたよなー」

 

 変形してるんじゃないかと言う位ぐりぐりと身体をこじりながら、ではあるが。

 

「うっし」

 

 頭を突っ込み、肩の骨を外してゆっくりと脱出開始。

 

 

 詰まった。

 

 

「TVの嘘付きぃぃぃぃぃっ?!」

 

 波は答えてくれなかった。

 

 慌てて身体を動かそうにもどう言う具合かしっかりと身体は肩を少し過ぎた辺りで固定され、前にも後ろにも動く気配を見せはしない。

 

 冷や汗をだらだらと流しながら、びちびちと身体を上下に振る忠夫。

 

 さっきのガラスをブチ破った音を聞きつけたのか、扉の向こうが俄かに騒がしくなり始めた。

 

 部屋を一つずつ開いて確認しているのだろうか、離れたところのドアが軋みながら開いた音が聞こえた。

 

 己の良すぎる耳を恨めしく思いながらも、更に激しく上下に動く忠夫に、その上から声が掛けられる。

 

「・・・何やってんの?」

 

「良い所にっ! ルシオラ、へるーぷっ!!」

 

 呆れた様に声を掛けてきたのは、ふよふよと浮かぶ魔族の女性。

 

 分かれた後に着替えたのか、格好はこの船に乗り込んだときのような普通の格好とはなっていたが、何故か頬に油汚れらしき物が。

 

「どうしろって言うのよ」

 

「引っ張ってくれーっ!!」

 

 やれやれと溜め息を付きつつ忠夫の頭に手を掛け、思いっきり大根でも引っこ抜くように力を篭める。

 

「いだだだだっ?! ストップ、ストーップ! マジで千切れるからーっ!!」

 

「もー、五月蝿いわねー。男の子でしょ。頭の一つや二つ我慢しなさい」

 

「首が千切れて我慢できる男の子がおるかぁぁぁぁぁっ!!」

 

 我慢以前の問題であろう。

 

 面倒臭げに手を離したルシオラは、頬を掻きながら思案げな表情を浮かべる。

 

 扉を開ける音が直ぐ傍まで近づき、漸く彼女は何かを思いついたように手を打ち合わせた。

 

「前が駄目なら後ろよね? せーのっ」

 

「ちょっと待てーっ!! 何かそれは危険な響きはぶしっ?!」

 

 思いっきり振り上げられたルシオラの拳は、今日何度目かの忠夫の顔面直撃。

 

 だがしかし、がっちり嵌った忠夫は動けず、そのせいで衝撃が全部逃げずに脳を揺らして終わっただけだった。

 

「・・・あれ?」

 

「――此処かっ?!」

 

「やば」

 

 白目を剥いて昏倒した忠夫越しに聞こえた声に、慌てて海面ギリギリまで高度を下げるルシオラ。

 

 フジツボもまだついていない船の横に身を寄せ、上を見上げれば忠夫の体ががっくんがっくん動いているのが目に入った。

 

 どうやら向こう側から引っ張り出そうとしているようだが、完璧に嵌ってどうしようもなくなったらしい。

 

 やがて諦めたのか、忠夫は動かなくなってしまった。

 

「・・・あれは」

 

 その、忠夫が身体を出した窓の上から蛇の頭を持った巨体が降りてくる。

 

 巨体の背中には迷彩服の何者かが乗っており、忠夫の直ぐ傍までやってくると完全に昏倒している事を確認して再び上昇していった。

 

「――魔鈴の本で見たわね。確か、精霊獣・・・ザンス王国の。って事は、あいつらが犯人?」

 

 そう呟いて、魔族の少女はゆっくりと海面を滑るように移動し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん。王女がねぇ」

 

「理由は分からん。だが、あちら側に居る事は確かだ。部下が確認した」

 

 苦悩を浮かべた王が視線を落とし、美神も面倒臭げに頭を掻く。

 

 周囲の護衛達も困惑した様子で、言葉を交わさないまでもサングラス越しに視線で会話していた。

 

「っで、そのキャラット王女はどうすれば良いのかしら?」

 

「・・・悪い子ではない。ただ、少々直情的なところがあってな。おそらく、何か吹き込まれたのだろうとは思う。出来れば――」

 

「怪我をさせずに?」

 

 王は、美神の問いにゆっくりと頷いた。

 

「王族として、国を治める者としては失格なのかもしれんが――それでも、あれは大切な一粒種。何とかしてくれまいか」

 

「追加報酬はずんでくれるなら♪」

 

 王の苦悩も何もかも台無しな台詞に、おキヌのフォローで漸く立ち直りかけていた神父が壁に頭を叩きつけ始めた。

 

 慌てて止めに入るおキヌを横目に見ながらも、美神のはずんだ表情は消えはしない。

 

 呆気に取られた王は、暫し呆然とした後、訝しげな表情で言葉を重ねる。

 

「・・・言い出した私が言うのもなんだが、可能なのかね?」

 

「依頼主の要望は最大限尊重しますわ。報酬次第ですけど」

 

 呆れた、しかし何処か愉快そうな笑みを浮かべた王は、背後の護衛達に向かって指を鳴らす。

 

 慌てて部屋を出て行った護衛が、すぐさま取って返して来た時、その手には拳よりも大きな精霊石がビロードの箱に入れられていた。

 

 それを確認してほくほく笑顔で立ち上がった美神は、おキヌにそれを渡して神に祈る神父の襟首をつかむと部屋の外へと歩き出す。

 

「頼んだ」

 

「任せて安心、GS美神除霊事務所をよろしくお願いいたします」

 

 ひらひらと空いた手を後ろに向かって振りながら、美神一行、出陣である。

 

 

 

 

 

 と、部屋を出た美神は、その直ぐ傍で引き止められた。

 

 引き止めたのは、先程の初老の日本人と共に居た、秘書らしき若い男性。

 

 スーツケース片手に歩み寄ってきたその男性は、無言でそれを美神に渡すと軽く頭を下げて、何も言わずに去って行く。

 

「美神さん、これ・・・」

 

「ま、そー言う事でしょ。ほんと、察しと気遣いを美徳とする国民性だこと」

 

 開いたスーツケースの中身は、ぎっちりと詰まった現金。

 

 軽く見積もっても1000万円はあるだろうそれを苦笑いで確認し、蓋を締めて荷物の所へと歩き出す。

 

「何にも言わなかったから依頼じゃないし、しらばっくれるのも簡単よね。ま、良きに計らえって事じゃないの?」

 

 あの、大臣と呼ばれた日本人も結構な狸と言う事だろう。

 

 そもそも、お忍びであるにもかかわらず、護衛を引き連れてきているのだからこのような事態も予想の範囲内と言う事なのだろう。

 

 そして、この事態に陥ったにもかかわらず、こうして追加報酬を払うと言う事は、彼女がこの船に来る事を知っていて、更にこの手の物が一番効果的にやる気を出させると知っていたと言う事か。

 

 もう一つ言うなれば、言葉ほどにはこの会談が成功しても失敗しても関係無いとは思っていないと言う事で、つまりは1000万程度で交渉が成功するなら惜しくは無い、と。

 

「ま、私には関係無いけどね?」

 

「・・・はぁ」

 

 疑問符を浮かべるおキヌの頭を何となく撫でながら、少しくらい神父に分けてもいいかな、と常ならぬ事を思う上機嫌な美神であった。

 


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