月に吼える   作:maisen

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第伍拾伍話

 窓の外は、雨だった。

 

 嵌め込み式のガラスを強く雨粒が叩く度に床が僅かに揺れ、明るい室内を微かに傾かせる。

 

 グラスの中身に波が立ち、写り込んだ貧相な男の顔が歪む。

 

「いよいよざんすね・・・」

 

 右手にワインの満たされたグラス、そして左手には大人の握り拳が入るくらいの、コルクで蓋をされたガラスの瓶。

 

 その表面に魔法陣の描かれたその中には、白いローブを纏い、槍のような杖のような細い棒を持った小さな人影がある。

 

 陰鬱な影に覆われたその人影は、ガラス越しに勝ち誇った笑みを見せつけるその男の顔を見たくも無いとばかりに顔を背け、沈痛な面持ちを見せていた。

 

「げへ、げへげへへへへ・・・」

 

 貧相な顔の上に乗った、これまた貧相な髭を弄くりながら、その男は不気味な高笑いを上げつつ有り金はたいて買ったタキシードに身を飾り、景気付けの美酒に酔いしれる。

 

 全ては、明日から。

 

 彼の栄光と巨万の富に満ちた人生の始まりは、明日から。

 

 そう、常勝無敗、最強のギャンブラーとして、彼は明日から一躍有名人になるのだ。

 

「げーっへっへっへっへっ!!」

 

 ――少なくとも、彼の頭の中では、それは確定された未来だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カーテンを開いて背筋を伸ばしつつ、すっかり早起きになった太陽に向かって欠伸を一つ。

 

 半分閉じた寝ぼけ眼のまま、軽く体操しつつも一つ欠伸。

 

 今日も今日とて良い天気。

 

 夜明けの太陽は初夏を過ぎて梅雨に入った事を知らせたがるように力強く、さりとて入った筈の梅雨の気配は欠片も無い。

 

 早朝も良い所の筈の都会だが、相変わらずの喧騒だ。

 

 都会にしては家賃も安く、その代わりと言ってはなんだがボロボロのアパートであるが、隙間風に悩まされる事も無くなり、ここ最近はそれなりに快適な生活を送らせてくれている。

 

 アパートの近くを走る道路からは、朝も早くから新聞配達の声が「おはようっす!」と元気良く響き、返事とばかりに『アルヨー』と魔女の店から逃げ出している異様なまでの頑丈さとパワフルさから未だ逃走中のロボットの声が――。

 

「・・・まだ逃げてたんかい」

 

 逃げてます。

 

 とは言え特に害も無く、巷ではその何とも言えない味のある外見から親しまれつつあるメカ珍さんが新聞配達のにーちゃんと挨拶を交わしたらしい声を聞き流しながら、忠夫は窓から飛び出した。

 

 最近はウリ坊だった主の子達もすっかり成長し、主よりは二回りほど小さいとはいえ中々侮れない相手である。

 

 気合を入れながら頬を叩き、まだ少々肌寒い朝の空気を掻き分けつつ、忠夫は日課と化した食糧調達へと駆け出すのだった。

 

「――行ったね」

 

 飛び出した部屋の中で、押入れの少女がごそごそと這い出してきた事には気付かぬままで。

 

 二時間後。

 

「うわははははっ! 大量じゃいっ!!」

 

 住宅街の塀の上を駆け抜ける、風呂敷包みに大量の食材の元を詰め込んだ忠夫の姿があった。

 

 魚の尻尾や何かの動物の足がはみ出た風呂敷を背負って傷だらけ、しかも頬には赤い何か。

 

 どっから如何見ても不審人物であるが、既に半ば都市伝説と化している為誰もが見てみぬ振りである。

 

 なにやら、女性が声を掛けると一緒に連れて行かれるとか、子供が泣いていると攫って行く「なまはげ」の変種だとか、いやいや実はジャングルから出て来た未開人だとか種々様々な話があるが、基本的に無視すれば無害だという話なので。

 

 ともあれ、視界に入った次の瞬間には風のように通り過ぎて行く為、未だに官憲のお世話にはなっていないのが事実である。

 

「たっだいまー! つっても寝てるだろーけどな!」

 

「遅い」

 

「うおわっ?!」

 

 がらっ、と玄関ではなく閉まっていた筈の窓を開けて帰宅した忠夫に、不貞腐れたメドーサの声が掛けられた。

 

 不機嫌な、と言うよりも寝不足で苛苛した様子の彼女は、忠夫の風呂敷を引っぺがし、部屋の隅に放り投げると状況を把握できずに硬直していた彼の襟首を掴んでちゃぶ台の前に座らせる。

 

 そのまま台所に歩いていき、すぐさま数皿の湯気を上げる何かを持って戻って来た。

 

 忠夫の物問いたげな視線をすっぱり無視しながら、やや重い音を立てて次々と並べられていくそれら。

 

「おら、食いな。私は寝直すよ、早起きなんてするもんじゃないねぇ・・・あふ」

 

 素っ気無く言い放ち、そのまま押入れに戻っていく彼女の背中を見送りながら、忠夫はどうした物かと冷や汗を流して硬直継続。

 

 目の前の皿達は、不思議な事に、そう、魔鈴の家で食べさせられたあれと比べて不思議なほどにまともに見えるのだ。

 

 ほんのりとクリームの匂いを上げるシチューっぽい物、おそらく野菜サラダであろう物、そして焼きたての食パンに見える物。

 

 見た目だけならモーニングセットとして店にも出せそうな出来栄えであった。

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 だが、忠夫の本能は、その美味しそうな匂いも完璧な見た目もそっちのけで、ひたすらに警鐘を鳴らしている。

 

 それに、冷蔵庫の中には何も無かった筈である。

 

 つまり、この目の前の料理の元は、おそらく魔鈴さん家のレストラン、若しくは異界からの賜り物。

 

 正直言って、このままゴミ箱に投げ捨てたいくらいである。

 

 だが、そう、だが。

 

「・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

 メドーサが、押入れの隙間から期待するような目で見ているのだ。

 

 忠夫が振り向くとぱたんと音を立てて閉まるものの、視線を外した途端にほんの少しだけ開いてまた視線が突き刺さる。

 

 悪意の無い、色々と複雑な物の感じられる視線ながらも、基本的に「食べろ」と言う感情が大きい上に、何となく責められているような気になるから困り物である。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ちらり。

 

 ぱたん。

 

視線を戻す。

 

 かたん。

 

フェイントを掛けて即振り向き。

 

 ぱんっ。

 

 結構な勢いで襖が閉じた。

 

 視線を戻す。

 

 かたん。

 

 どうあっても顔を見せるつもりが無いようであり、何が何でも食べる所を見たいようである。

 

 意を決して、一口。

 

 ちゃんとちゃぶ台の上に紙ナプキンと共に準備してあったスプーンを取り、ぶるぶると震える手を意志の力で押さえつけ、ゆっくりと口に含む。

 

 ――シチューは、何故か口の中に入れた瞬間暴れ出した。

 

「もぐぉっ?!」

 

 慌てて噴出しそうな口を押さえ、無理矢理に飲み下す。

 

 不思議な事に、お腹に滑り落ちた途端に大人しくなった。

 

 が。 

 

 ――後味が、異様に辛かった。

 

「ぼはぁぁぁっ?!」

 

 顔を真っ赤にしながら台所に駆け出した忠夫の耳には聞こえない物の、舌打ちしたメドーサはどこか残念そうな表情で押入れから抜け出し、こそこそと隠れながら辿り着いた窓から外へと飛んでいく。

 

 狭い部屋に水道の蛇口が全開で水を噴出させる音と、それが真下で待ち受ける忠夫の口内に流れ込んでいく音が暫し響き、たっぷり数分して漸く止まった。

 

 荒い息を付きながら戻って来た忠夫は、襖の開いた空っぽの押入れを見てたらこのようになった唇で呟いた。

 

「・・・見た目と匂いふぁ普通なふぁけ、凶悪っふよ魔鈴ふぁん」

 

「全くその通りよねー」

 

「って何時の間にお前は入ったんじゃいっ?!」

 

 さめざめと涙を流した忠夫の言葉に答え、突如として響く声。

 

 振り向いた忠夫の目に、腕組みをしながら深々と頷くルシオラの姿が目に入る。

 

 その格好は初めて会った時のそれではなく、長い白地のスカートに白い簡素な上着と薄い緑色のカーディガンの組み合わせも目に鮮やかな一般人風。

 

 魔鈴と西条の説得もあり、なんと人界に適応しつつある魔族。

 

 それで良いのか魔神の娘、と言う突っ込みこそご無体であろう。

 

 ともあれ初めて目にしたそんな格好も気にせず突っ込んだ忠夫であるが、その瞬間には唇も喋り方も元に戻っているのが不思議である。

 

「何時からって・・・ついさっき。タダオがメドーサの料理の前で脂汗流してた辺りかな?」

 

「止めろや同僚っ!」

 

「駄目よ。それじゃ私の出番が無いじゃない」

 

 娘と同じ職場で働くウェイトレスに突っ込む物の、あっさりと流してペットボトルを手渡すルシオラ。

 

「ま、飲んでみて。すっきりするから」

 

「・・・大丈夫だろーな?」

 

「大丈夫だって。ほらほら」

 

 弾けるような笑顔、とはこう言うものを言うのだろう。

 

 その笑顔に湧き出しかけた不安を打ち消された忠夫は、まだ咽の奥にこびり付くしつこい辛さを押し流す為にも迷わずラッパのみにボトルを傾けた。

 

 なんかどろってしてた。

 

「・・・っ?! ・・・っ!!」

 

「え? どうしたの?」

 

 不思議なもんである。

 

 流し込んだ液体は確かに水のようにサラサラとしていたのに、口の中にはもう勘弁してくださいと言いたくなる位に後味のしつこい甘さがあったのだ。

 

 再び忠夫は台所に駆け出し、後には首を捻る魔族の少女が一人。

 

 水音と盛大な呼吸音が落ち着き、ペットボトルの中身があらかた流しの穴に吸い込まれてから、漸く忠夫が戻って来た。

 

「なんじゃ朝っぱらからこの地獄のコンボはぁぁぁぁぁっ?!」

 

「五月蝿いわねー。朝なんだから静かにしなさいよ」

 

「誰のせいだよ誰のっ?! てか何で二人していきなり俺に食べさせたり飲ませたりすんだ! あれか火曜サスペンス劇場かっ?! ウェイトレスは見てたと見せかけて犯人でしたとか言う落ちかっ?!」

 

「やーねぇ。店長が倒れちゃったからお店休みになっちゃって、暇なだけよ。ついでに意見も聞けなかったから何が悪いのか聞いてみようと思って」

 

 どうやら、犠牲者一号は魔鈴だったようだ。

 

 間に水道水とは言えリセットの機会があった忠夫はともかく、おそらく殆ど同時に喰らったであろう雇い主の冥福を祈りたい気分である。

 

 というか、あの辛さの後に飲み物を差し出されたら、思わずラッパのみしてしまうであろうから――被害は2乗で済んだだろうか。

 

「・・・取り合えず、見た目よりも先に味を何とかしろって」

 

「えー、美味しいのに」

 

 そう言って、触覚をピコピコ振りながら笑顔で取り出した二本目のペットボトルを飲むルシオラ。

 

 凄く嬉しそうなその表情が、全く持って本気である事を告げていた。

 

「・・・も、いい。俺は普通の朝飯を食う」

 

「あ、待って待ってもう一本試して欲しいのが」

 

「頼むから帰れお前はぁぁぁっ!!」

 

 忠夫が叫んだ瞬間、玄関がどかんと蹴り開けられた。

 

「横島くん、急ぎの仕事よっ――って貴様! 女を連れこんでお泊りかぁぁぁっ!!」

 

「誤解や美神さぁぁぁぁぁん!!」

 

 当然、聞いては貰えなかった。

 

 ともあれ、騒がしさだけは此処を超えるアパートは無いだろう。

 

 隣の花戸一家も慣れた物、嵐のような悲鳴と破砕音が隣から聞こえてもぐっすりである。

 

 それだけに、この部屋の騒がしさが日常となっている事実が見て取れるのだが、純粋にあの親子の神経が太いだけ、と言う可能性も捨て切れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁぁ・・・。おっきな船ですねぇ・・・」

 

「全く、成金の悪趣味も極まれりって所ねー」

 

 一通り唯一の男性所員をシバキ倒し、反論どころか呼吸さえも止めかねない勢いで忠夫にモザイクが掛かり始め、それから外に止めた車の中から物音を聞きつけたおキヌが駆けつけるまでに掛かった時間が長かった。

 

 これから依頼がだから、と言うおキヌの一言で止まったには止まったのだが、今回忠夫は中々復活しなかった。

 

 なんだか、何時もよりも凄く迫力がありました、とはおキヌの弁。

 

 ともあれ傍からどーでも良さ気に眺めていたルシオラのフォローも在ってか子供は見ちゃいけません、な状態の忠夫の誤解もそれなりに解け、GS美神除霊事務所は緊急出動となったのだ。

 

 目指すは東京湾、海上のとある巨大な船。

 

 ぎんぎらぎんに全くさり気無く無い、ド派手な、と言うよりもひたすら金の掛かった外装の客船は、ボートに乗った4人の目から見てもいやに威圧的だった。

 

「・・・ねぇ、横島くん?」

 

「ナ、ナンデショウカ美神さん」

 

「何でその小娘が付いて来てるのかしら?」

 

「あら、良いじゃない。折角暇なんだし、一人くらい大丈夫大丈夫」

 

 ちゃきん、と伸ばされた神通棍が忠夫の後頭部をぐりぐり抉る。

 

 両手を上げて降参のポーズの忠夫も、どこかお手上げのようにも見える。

 

 原因のルシオラは、鼻歌交じりに楽しげに、物珍しそうに目の前の巨船に見入っていた。

 

「大丈夫じゃないわよ! こちとら仕事で来てんのよっ?! 部外者に邪魔されたらたまらないの! とっとと魔鈴のところに帰りなさいっ!」

 

「ま、まぁまぁ美神さん。ルシオラさんも都会に出て来たばかりなんですし、少しくらい良いじゃないですか」

 

「やっさしー! ありがとうおキヌちゃん!」

 

 何処の田舎者だ、とおキヌに突っ込む美神を余所に、ルシオラはおキヌに抱きつき非常に嬉しそうである。

 

 自分よりも背の高い、更にいえば年上のようにも見える彼女のそんな幼げな態度に苦笑いを浮かべつつ、おキヌも少し楽しそうである。

 

 新しい友人、と言う縁が結ばれつつあるようだ。

 

 それを仁王立ちで睨み付けながら、美神も美神で譲らない。

 

「あのねぇ! 除霊っていうのは危険なの! 油断が死に繋がる、命懸けのお仕事なのよ!」

 

「だから大丈夫ですって。こう見えても、私、結構強い魔族なんですから」

 

「「「・・・ああっ、そう言えば魔族だった!!」」」

 

「どーいう意味よっ!!」

 

 そう言えばそーだった、と危うく忘れかけそうになった事実が思い出される。

 

 一連のどたばた騒ぎの中で、彼女が魔族である事を殊更に示す事態にならなかったし、なにより忠夫が危うく消滅しかけるという緊急事態の中で、すっかりあっちの方において置かれた事実だ。

 

 今の格好は現地人風であることだし。

 

 流石に3人全員にそれをやられたルシオラが頬を引くつかせてはいたが。

 

「・・・ま、まぁそんな訳で、行っても良いでしょ?」

 

「・・・変に目立ったり、仕事の邪魔したりしない事。久し振りの巨額の依頼なんだから、邪魔したら極楽に行かせるわよ!」

 

「はいはい」

 

 軽く答えて、魔族の少女は手をひらひら振りながら船室へ。

 

 舵やら航行設備やらの見学に行ったらしい。

 

 後に残るはしかめっ面の美神と困ったような笑顔のおキヌ、神通棍の後頭部霊波放射に耐え切れず痙攣中の忠夫のみ。

 

 どうやら美神の感情の発露が、思いっきりそっちに流れたようだ。

 

「全く・・・除霊見学に付いて来る魔族なんて聞いた事無いわよ」

 

「あはは・・・横島さん、大丈夫ですか?」

 

「お、俺が一体何をしたぁぁぁぁ・・・」

 

 何もして無いのが問題なのかもしれないが。

 

 ともあれ、小さなボートは波を蹴立てて、昨夜の雨の影も形も無い青空の下、豪華客船に向かって白い線を引いていく。

 

 トラブルが向こうから寄ってくる、面倒な面子を乗せたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ほぉー、あれが美神令子か。成る程、調べた通りの美しい女性じゃないか」

 

「はい。今回の依頼、無事に受けていただけたようで何よりでした」

 

 巨船から降ろされたタラップを上がって来る美神をブリッジから双眼鏡で見ていた男が感嘆の表情を浮かべる。

 

 優男、と言っても良いだろうその顔には、何処までも爽やかな雰囲気が漂っていた。

 

 双眼鏡を横に控えた初老の男性に手渡し、スーツの襟を締めて調える。

 

 なんと言うか、良い所のお坊ちゃん、と言う感じではあるが、纏うオーラにはそれなりに気品があったりする。

 

「・・・しかし、依頼と言う形を取らなくても良かったんじゃないかな?」

 

「ま、まぁ、お客様方に安心していただく、と言う意味もございますので」

 

「ふむ・・・まぁ、良しとしよう。行こうか」

 

「はい」

 

 意気揚揚と歩き始めた男性の後を追いながら、初老の男性が溜め息一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美神達が通された、豪華客船の一室。

 

 ソファーに腰掛け足を組む美神の前で、初老の男性が恐縮した様子で何枚かの紙を差し出した。

 

「それで、可及的速やかに乗船する事、という話でしたけど?」

 

「は、はい。実は、この船なのですが・・・一度、襲われていまして・・・」

 

「・・・シージャックか何かですの?」

 

 返って来たのは否定の言葉。

 

 美神も自分が呼ばれた以上、それが霊障関係の事だとは予想してはいたが、続いた言葉は流石に予想外だった。

 

「せ、潜水艦の幽霊、ですか?」

 

「はぁ。その時に助けて頂いた方の話に寄れば、間違い無いそうで」

 

 襲われたのは去年の慣熟航行の際の事だった。

 

 財閥の威信と幾ばくかの見栄を持って作られたこの船は、その背負った物ゆえに生半な一流以上のものを求められた。

 

 より良いサービス、より良い航海、より良い料理。

 

 それらの実地訓練を兼ねた初航海は、沖合いに出た途端に終わりを告げたのだ。

 

 突如、至近から放たれた魚雷によって。

 

 幸い、その時は何処からともなく現れた小さなボートの奮闘の結果、大した損傷も無く帰港することが出来たのだ、が。

 

 助けてくれたボートの人物が「奴はまた来る! この獲物を狙ってなぁぁぁっ!」と仰ったらしい。

 

「その人は今何処に?」

 

「・・・今回の航海にアドバイザー兼護衛船として付いて来て貰う予定だったのですが・・・ぎっくり腰だそうで」

 

「あ、そ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・此処から先は美神達には伝えられなかった事であるが。

 

 と言う事で専門家に依頼する事になったのだが、正直な話、始めは手頃なGSか海上保安庁にでも話を通そうと言う事になっていたのだ。

 

 だが、当主の鶴の一声にてGS美神令子に依頼をする事になったのだ。

 

 曰く、客を乗せた処女航海に掛ける金をケチる事はない、盛大にやってこそ意味がある、と。

 

 GS美神令子、確かな腕と、それに裏付けされた巨額の報酬。

 

 そう言った意味では、彼女の存在も一つの広告塔でしかないのだろう。

 

 無論、実力を伴っているからこその美神への依頼である事も疑うべくも無い事実なのだが。

 

「わぁ、横島さん、これ美味しいですよ?」

 

「ん、おお! こりゃ美味い! 朝からまともなもん食ってなかったから余計に美味く感じるなぁ・・・」

 

「へぇぇー、綺麗なお菓子ねぇ」

 

 ま、助手と付き添い達は関係なさげにお茶菓子とお茶に舌鼓を打っていたりする訳だが。

 

 目の前の依頼人が不安げな表情になったので隣に座る忠夫に向かって振り向きもせずに裏拳をぶち込み沈黙させたのだが、依頼人は余計に疑わしげな顔になっただけだった。

 

 誤魔化すように立ち上がった美神は、契約書を受け取りじっくり目を通すとおキヌに渡す。

 

 受け取ったおキヌが忠夫の運んできたアタッシュケースに他の書類と纏めて納めたのを横目で見つつ、美神は初老の男性に向かって手を差し出した。

 

「それでは、今回の依頼、確かに承りましたわ」

 

「ありがたい。ああ、その、受けて頂けるのでしたら是非お会いしていただきたい方が――」

 

 初老の男性の声を遮り、爆音と共に巨船が揺れた。

 

 断続的に響く爆発音に素早く美神が窓に掛けより外を見る。

 

 瞬間、窓の外に白い柱がそそり立った。

 

 再び大きく揺れる船。

 

 バランスを崩した美神が窓枠に掴まり、荷物とおキヌを抱えて確保している忠夫と僅かに床から浮いて一人のほほんとお茶を啜るルシオラを見る。

 

 声を掛ける寸前、応接室の扉が勢い良く開かれた。

 

「――GSの方はこちらですかっ?!」

 

「どうしたっ?!」

 

「来ました! 例のヤツです!!」

 

 駆け込んできた、船員と思しき若い男性の声に美神と忠夫の視線が交わされる。

 

 一度頷きあった二人は、抱えられて状況に置いて行かれたままのおキヌを伴い、荷物を持って駆け出した。

 

 そして、一人お茶を飲んでいたルシオラはと言えば。

 

「いってらっしゃ~い」

 

「手伝うんじゃなかったのっ?!」

 

 軽い笑顔で手をひらひら、完全に見送りの体勢である。

 

 だが、ドアに手を掛けて額に血管を浮かべて怒鳴った美神が見たのは、頬に手をあて酷く驚いた表情の自称強い魔族()だった。

 

「そんなっ! か弱いウェイトレスに何を言うんですかっ?!」

 

「言ってる事がさっきと違うでしょうがっ!!」

 

「GSの方、お早く!」

 

「ええいっ! 戻ってきたら覚えときなさいよっ!」

 

 とは、言うものの別にルシオラ、手伝うとは一言も言ってないので後で問い詰められても平気だったりするのだが。

 

 あくまでも笑顔で見送ったルシオラの後ろで、最初の振動の際に転んでいた男性が立ち上がる。

 

「いたた・・・はっ! 三郎様! 三郎様は!」

 

 慌てて飛び起きた男性が、美神達が出て行った扉とは違う扉を開くと、爽やかな笑顔で頭にたんこぶを抱えた男性が気絶していたり。

 

「さ、三郎様ー!」

 

「あ、これも美味しいわねー。後でレシピ教えてもらおうっと。魔鈴に良い土産が出来そうねー」

 

 何とも温度差のある事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どーすんすか美神さん?」

 

「・・・潜水艦ってのが厄介よね。相手は海中でしょ? とりあえず海から引っ張り出さないことには話にならないでしょうし」

 

 船内を甲板に向かって駆け上がりながら二人の間で会話が交わされる。

 

 振動は既に鳴り止み、奇妙な静けさが漂っていた。

 

 軽く50キロはありそうな荷物とおキヌを抱えたまま、美神の少し後方を走る忠夫の表情は平然としている。

 

 この程度の重量ならば無いも同然であるし、何より所長の能力はおキヌと共に一番近くで見てきた忠夫である。

 

 まぁ何とかなるだろう、とは思っていた。

 

「どーやって引っ張りだすんすか?」

 

「・・・ま、最悪ボートで逃げましょ」

 

「美神さぁぁぁぁぁぁんっ?!」

 

 駄目かもしれない、とふと浮かんだ。

 

 ともあれ、駆け抜けた二人の目の前には甲板に続く扉がある。

 

 呆けたような、少し頬の赤いおキヌをそっと立たせて忠夫が扉を蹴り開け、間を置かずに飛び出した美神の耳に。

 

『どぉこだぁぁっ! 出て来い鱶町ぃぃぃっ!!』

 

「だぁぁっ?!」

 

 潜水艦の癖に思いっきり海上に浮かび、その上で叫んでいる幽霊の声が響いたり。

 

『この前は良くもやってくれたなぁ! 今年こそ決着を付けてやる! この海軍中佐、貝枝五郎の名に掛けてなぁぁっ!!』

 

 思わずずっこけた美神が頭を押さえながら立ち上がり、胡乱な目付きで同じくずっこけていた忠夫の荷物を漁り始める。

 

 暫しごそごそと探っていた美神は、取り出したそれを漸く復帰してきょときょとと辺りを見回していたおキヌに手渡した。

 

「あ、あれ? 此処は? 美神さんどうしたんですか?」

 

「・・・良いからやっちゃいなさい。ほら」

 

 促されたおキヌは美神からそれを受け取り、良く分からぬままに口を当てる。

 

『どーこだぁぁぁっ!!」

 

『ピュリリリリリリリリリ――』

 

『――おお・・・光が見える・・・! あれこそ正に旭日也っ!』

 

 そして、ネクロマンサーの笛は予想通りの結果を見せた。

 

 笛の音が響くと同時に周囲に柔らかな気配が漂い、潜水艦だけでなく導かれた海の幽霊達が次々に空に向かって浮き上がり始める。

 

 笛の音は1分程も響きつづけ、潜水艦も光に包まれ薄らいでいく。

 

 まるでお礼を言うかのように巨船の回りを飛び交った幽霊たちは、僅かに光の残滓を引いて、いともあっさりと成仏していったのだった。

 

「・・・もう大丈夫です。皆、いっちゃいました」

 

「あー、そう。んじゃとっとと帰りましょうか」

 

「――ああっ?!」

 

 と、疲れた様子で船内に引き返そうとした美神の耳に、今度は忠夫の驚いた声が聞こえた。

 

 何事かと忠夫の指差す方向を指した美神の視線の先には、一隻のボートが波を切り裂き巨船の横を駆け抜けていく様子がある。

 

 それは、美神達が来た時に使った舟であり――乗っているのは、えらく錯乱した様子の坊ちゃんであった。

 

「――シェー!!」

 

 そのボートがもう直ぐ船の横を行き過ぎるその瞬間、今度は何故かとっくの昔に振動の収まった筈の巨船の窓から、妙な悲鳴を上げて貧相な男が落下し、ボートのど真ん中に突き刺さる。

 

 ――誰が知っているだろうか。

 

 夜のカジノでの勝利を夢見て、調子に乗って深酒が過ぎて幸運の精霊を入れた瓶をテーブルの上に置いて眠りこけていた男がいた事を。

 

 そして、先程の振動でその瓶が落ちて割れ、中に閉じ込められていた精霊が脱出したことを。

 

 怒りに燃えた精霊が、貧相な男に不幸の呪いを掛けた事を!

 

 知る訳が無い。

 

 ともあれ、美神達の前でボートは蛇行し始め、巨船の壁にぶつかってあっさり転覆した。

 

「誰か溺れてるぞ!」

 

「当主、当主だー!」

 

「あの馬鹿ボンボン、今度は何とち狂いやがったっ?!」

 

「サメだー!」

 

「誰か銃もってこい銃っ! 一応当たらないようにそれなりに気を付けて、とっととサメを追っ払え!」

 

 船員達が美神達の横を駆け抜け、普通は備え付けて無いだろう機関銃や手投げの銛、スパナやらトンカチやらを持って溺れる2人の真上に集まる。

 

 やがて銃声と2人分の悲鳴が響き、もう一つ水音が響いた。

 

「三郎様ー! ごぼごぼ・・・っ!」

 

「爺さんが行ったぞ!」

 

「年寄りの冷や水も良い所だっ! あの爺さん泳げねぇだろうが!」

 

「当主はいいから爺さんを先に助けろっ! 当主は別にいいけど爺さんが死んだら先代に祟られっぞ!!」

 

 喧騒が大きくなっただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来て、吹いて、終わったって感じっすねぇ・・・」

 

「何纏めてんのよ。ともあれ、依頼終了! 絞れるだけ絞るわよー! あのボート、それなりの借金で差し押さえたんだから!」

 

「あはは・・・」

 

 船は行くよ何処までも。

 

 波をチャプチャプ掻き分けて。

 

 帰りの手段が無くなった事に応急手当を受けた3人が陸に送られてから気付き、仕事の予定が空いていたのでちゃっかり短い休暇を取る事になったりもしつつ、無論その間仕事が出来ないからと所長が追加で報酬アップに成功し、ほくほくと笑みを浮かべた一幕もありつつ。

 

 美神の高笑いが響く中、娘の心配をする半人狼と学校の心配をするネクロマンサーの女子高生、そして試作品で船の料理長を悶絶させている魔族の少女を乗せて、豪華客船はそのまま処女航海に乗り出したのだった。

 


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