八幡の冷徹   作:T・A・P

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八幡の冷徹 【下】

 

 

 8月8日

 雲のない青く澄んだ空が遠くまで広がり、太陽がその暑い日差しを照りつけている夏のある日、多くの人たちがとある場所に集まっていた。

 

「小町ちゃん、綺麗……」

「ええ良く似合っているわ、小町さん」

「……早く結婚したい」

「えへへ、雪ノ下さん、由比ヶ浜さんありがとうございます。平塚先生も結婚できますって」

 結婚式場の一室、目もくらむような純白のウエディングドレスを着ている小町が一脚の椅子に座って三人と談笑をしていた。その美しさは当時よりも増しており、そこはかとなく色気もかもし出していた。彼が生きていたらあの腐った目も一瞬で浄化されていただろうが、今彼は写真の中にいた。

「お兄ちゃんも、綺麗って言ってくれたかな」

 そう、少しだけ悲しそうに笑いながら脇に立てかけている自分と兄が写っている写真を見ながら呟いた。

「……ごめんなさい、小町さん」

「私達のせいで……」

「あ、いえいえ、別にお二人を責めているわけじゃないんです」

 二人の沈んだ顔を見てハッとし、慌てて胸の前で手を振って気にしていないことを伝えた。

「あんな状況で逆にお二人を庇わなかったら、私がお兄ちゃんを怒ってますよ。それに、あそこで動かないお兄ちゃんなんてお兄ちゃんじゃないですし。それに」

 再度、小町は写真に目を向けそれに従うように三人も写真に目を向ける。

「最後に笑ってましたから」

 

あの日、すぐに救急車で運ばれ手術室に運ばれる前に一度だけ意識を取り戻した。その時に彼は『二人は無事か』と小町に尋ね、無事だと分かると『良かった』と笑っていた。そして……

 

「それなのに、私がお二人を恨むなんておかしいんです。お兄ちゃんはお二人のことが本当に大事だったんですから」

 ヒマワリの様な笑顔というのはこう言うのなのだろうか、さっきまでの空気が一転し二人はほほを緩めた。

「小町さん、ありがとう」

「ありがとうね、小町ちゃん」

 三人は互いに笑いあい、平塚先生はそんな教え子だった三人を少し離れたところで優しく眺めていた。

「しかし、まさか小町君が彼と結婚するとはね」

「そうですか?」

 そんなに意外な事かな? と首をかしげながら答える。

「まったく、比企谷君がここにいたら小町さんを羨ましがるわね」

「でも、ヒッキーのことだから『小町はやらん!』って言うかも」

 雪ノ下は腕を組んで苦笑し、由比ヶ浜は昔を思い出して笑った。

「お兄ちゃんなら、多分頭を掻いて何回も何かを言おうとして最後には『おめでとう』って照れながら言うと思いますよ」

「ああ、目に浮かぶな」

「うん、それがヒッキーだ」

「そうね、彼も以外に素直なところがあったわね」

 その様子を思い浮かべたのか、四人は吹き出した。

「しかし、あいつが生きていたら私と結婚していたのかもしれないな」

 ここで、平塚先生の口から爆弾が飛び出した。

「平塚先生、それは聞き捨てならないですね」

「そうですよ、ヒッキーは私と結婚してましたよ!」

「…由比ヶ浜さん、それはどういうことかしら?」

 雪ノ下は目を鋭く尖らせ、臨戦態勢に入っていた。

「え、だって、私が抱きついた時にヒッキーの顔が物凄く真っ赤だったし」

「そ、それは見間違いよ。決して私が劣っているわけじゃないのよ」

 まぁ、明確には言わないがとある一部に目を向けていたのは言うまでもない。

「……由比ヶ浜さんには本当に悪いけれど、結局比企谷君と結婚していたのは私だったはずよ。彼をちゃんと更生させるには私が結婚して、ずっと監視してあげなきゃいけなかったのだから」

「え~それなら私もできたよ」

「いいえ、さすがに由比ヶ浜さんでは荷が重いわ」

「ちょっと待て、それなら担任であった私が適任だろう」

「先生、いくら結婚できないと言っても教え子に手を出すのはどうかと思います」

「そうそう、先生はヒッキー以外の人を見つけてください!」

 二人の争いから一気に矛先が平塚先生の方へ向かい、集中砲火を浴びていた。おもに、結婚話という言霊(言弾)で。

「ははは、お兄ちゃんみてるかな。皆、お兄ちゃんのこと好きだったんだよ」

 三人の騒ぎを見ながら、そう呟いて微笑んだ。

 

 

 

「新郎、戸塚彩加。新婦、比企谷小町。指輪の交換を」

 小町は手に持っていたブーケと手袋をメイドオブオナー(花嫁の介添え役)として横に立っていた雪ノ下と由比ヶ浜にそれぞれ渡し、白いタキシードを纏った青年がそれを確認してから指輪を聖職者から受け取り、小町の左手を取った。

「綺麗だよ、小町」

 あれから年月が過ぎ、背が伸びてかわいらしかった容姿がだんだんと精悍な顔立ちに変化して、今では女性に間違われる事は少なくなった戸塚彩加の姿があった。そんな戸塚だったが、やはりときおり見せる笑顔は昔と変わってはいなかった。

 戸塚は小町の左薬指に指輪をはめ、今度は小町が聖職者から指輪を受け取った。

「彩加さんもかっこいいですよ」

 自然に小町の前に出された戸塚の左薬指に確かめるように指輪をはめる。

「では、誓いのキスを」

 指輪の交換が終わるのを確認し、式は順調に進む。

 戸塚は小町の顔にかかっていたヴェールを上げ、唇を近づける。小町も自分の唇を近づけるように、少しだけ踵を上げた。

 拍手喝采、とはいかないまでも大きな拍手が教会内を包み込んだ。

「う、う……おめでたいっす」

「大志、今は笑いな」

 泣きながらその光景を見て拍手する青年がいれば、その青年を慰めるように頭を撫でる青みがかった髪の綺麗な女性もいた。

 雪ノ下と由比ヶ浜はその光景に少しばかり目に涙を浮かべていた。あの頃の小町を知っている二人だからこそ、こんなにも幸せそうな幸せになった小町を見て涙が出るほどに嬉しかっただろう。そして、新郎の横でその光景を眺めているベストマン役のいつかの小説家志望は、見事に小説家となってこの場にいた。今ではめっきり落ち着き、腐女子で同人作家でもある伴侶と一緒にこの場所にいた。

のちにこの光景を天にいる相棒に向かって書いた、この世でたった一冊しかない本にしたという。

 二人は手を繋ぎ拍手の嵐の中、出口に向かって歩き出した。

 教会にいた親族、友人が教会の外に出た後、階段の一番上でブーケを持った小町が後ろを向きゆっくりとブーケを投げた。階段の下ではそれを取りあうかのように平塚先生が必死に奪おうとし、川崎沙希が鶴見留美が一色いろはがそれを阻止し、あわよくば自分が手に入れようとしていた。雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣はその戦いには加わらず、その様子を笑いあいながら見ていた。

 ブーケを投げ終わって正面を向いてその様子を笑っていた小町の表情が、急に固まった。その目線の先にいた人物と目が合い、その人物は小町に向かって笑いかけた。

「お兄ちゃん!!」

 小町はドレスの裾を引きずるのも気にせずに駆けだした。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん…」

階段を駆け下り、こけそうになるのを無理やり立て直し急いでさっきまで、昔のままで制服姿で立っていた大きな植木に向かって駆けている。何本も植えてある中で一番大きな植木、さっきまでその木にもたれかかっていた自身の兄を探す。

「お兄ちゃんどこ! ねぇ、いるんでしょ!」

 しかし、そこには誰もおらずそれこそ夢か幻か。

「お兄ちゃん……」

 ふと、諦めかけると目線より少し高めに一枚のメモが二つ折りにされてピンで木に刺されて揺らいでいた。急いでそれを外し中を開いてみると、そこには、

「やっぱり、見間違いじゃなかったんだね」

 メモを胸に抱き、笑いながら涙を流していた。

「小町、いきなりどうしたの」

 いち早く新郎である戸塚彩加改め、比企谷彩加が小町にかけ寄ってきた。余談だが名字をそろえる時、戸塚の方から比企谷姓になりたいと申し出たらしい。

「小町さん、あなた、何を見たの」

「小町ちゃん、足早いね」

 由比ヶ浜は息を切らせながら駆けよって、雪ノ下は小町の言葉を聞いたのか少し顔が真顔になっていた。

 それから、平塚先生、鶴見留美、川崎沙希、大志、一色いろは、材木座義輝、海老名姫菜と比企谷八幡を知る人物が集まり、小町を中心に取り囲んだ。小町は皆に見えるように胸に抱いたメモを広げて皆に見せ、それを見た全員が声をそろえて、

「シスコン」

 と、笑っていた。

 そのメモには一言だけ、

『おめでとう』

 

 

 

 遠巻きにその様子を眺める一人の人物がいた。その目は相変わらず腐っているが、その視線には優しさがあふれていた。かつて毎日のように来ていた制服を着て、あの日からとまった自身の成長に実感していた。

「もういいんですか?」

「ええ、これ以上は。もうあそこは俺の場所じゃないですから」

 懐かしみ、寂しく思い、されど嬉しく思い。

「それに、あれでいいんですよ。一度越えた悲しみをもう一度、なんてのはやっちゃいけないことだから」

 死んだ人間が生き返るわけはない。だから、死んだ人間がその悲しみを乗り越え今を生きている人間に合ってはならない。

「鬼灯様、ありがとうございます」

「いえ、私は仕事で来ているだけですよ」

 そんなことを言う鬼灯様は、しかし、どこか感無量といった雰囲気を漂わせて前を歩いていた。

「さて、視察も終わった事ですから地獄に戻りましょう」

「分かりました」

「今度はいつ視察に来ましょうかね」

 そんな言葉に八幡は少しだけ笑う。厳しいところがあるが、それでもどこか優しいところを持っている鬼神に感謝をしながら。

 

 

 とある一軒家に一人の少年が訪れる。

「すみません、比企谷さんのお宅でしょうか」

 インターホンを鳴らし待っていると一人の女性が玄関を開けて出てきた。

「どちらさまですか?」

「どうも、八幡老人センターの者なんですが。小町さんの話し相手になってほしいと、本人から電話があったもので」

「あら、そうなの。じゃあ、上がってください」

 女性はその言葉を疑うことなく少年を家にあげた。少年は一階の畳み部屋に通され、そこから縁側に座っていた小町の横に腰をおろした。

「久しぶりだな、小町」

「ええ、久しぶりですね、お兄ちゃん」

 お互いを見ず、外を見ながら声をかわす。

「幸せな人生だったな」

「みんな、お兄ちゃんのおかげですよ。彩加さんに会えたのも、雪ノ下さんと由比ヶ浜さんに会えたのだって」

 小町は手に持っていた湯呑をすする。

「雪ノ下さんと由比ヶ浜さんは、最後まで結婚しなかったみたいですよ。周りからはずっと結婚しないのか、って言われて言葉を濁してましたけどお兄ちゃん以上の人がいなかったから結婚せずに生涯独身を貫いてました」

「ああ、直接二人から聞いた」

「彩加さんも私によくしてくれました。本当にいい旦那さんでした」

「ああ、本当にいい奴だったよ」

「知ってます? 材木座さんが有名な文豪になったんですよ」

「ああ、自慢話をされたよ。お礼も言われたが」

「皆、お兄ちゃんに感謝してました」

「ああ、皆から言われた」

「では、行きましょうか」

 小町は年を重ねたそのシワの多い笑顔を向けた。

「お別れはいいのか、言わなくても」

「ええ、残すべきものは全て残してあります」

「そうか、じゃ、行くか」

 少年は手を差し出し、小町はその手を掴んだ。

「お兄ちゃん、また一緒だね」

 

 

「あれ、お母さん。老人センターの方はおかえりになられたんですか?」

 少年を迎えた女性が座っている小町に話しかけても、小町は言葉を返さない。

「あら、またお昼寝ですか。笑った顔で、いい夢でも見ているのね」

 女性は後ろからタオルケットをかけて、音をたてないように静かにその場を後にした。その時の小町は笑顔で幸せそうだった、と。

 


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