奉仕部と私   作:ゼリー

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第十四話

 奉仕部に所属するようになって、私が社会に資するような人間へと成長したか問われれば、以前も明示したように、残念ながら残念でしたというほかない。私の手記をここまで読まれた諸君なら涙を流して全面的に肯定してくれることではあるが、それは限りある放課後の時間を奉仕部に割いていることが原因であろう。社会的に有用な人間になるために仮入部しているはずが、より社会から逸脱していく傾向にあるのはまったくもって本末転倒である。この数ヶ月に損なわれた私の将来性は、その原因を七割ほど奉仕部が負っているといえる。では、残りの三割はどこに責任を追及できるのか。むろん、材木座である。

 ずさん極まる材木座の小説を読んで以来、我々はともに満腔の力をこめて青春を空費してきた。こんな青春の落伍者と(くつわ)を並べていては深みにはまるばかりであり、一刻も早く袂を分かつべきだと自覚はしていた。しかし、溢れ出んばかりのカースト的ルサンチマンを共有するには絶好の相手であり、ずるずると関係が続いたのち、冷静になって考えたときにはすでに手遅れ。私は自分も立派な青春の落伍者であったことを苦渋の思いで悟ったのだった。要するに、平たく言えば、我々は同類ということになる。

 しかし私は納得がいかなかった。

 奉仕部に関しては、平塚先生の顔も立てて仕方ないと割り切ることもできるが、こと材木座に限っては、腕力に訴えてでも絶交すべきなのだ。彼から受けた損害は計り知れない。挙げればきりがないが、川崎さんとの下校を思い浮かべていただければ、諸君には納得のことと思う。樹木の陰から怨嗟を垂れ流していた材木座を思うと、総毛立って自然と体が震えてしまう。もはや私に降りかかる呪いそのものである。一刻も早く手を切らねばならない。

 とはいったものの、いまだに私は拳骨をくれてやるでもなく、神社でお祓いを受けたりもしていない。それどころか、すこぶる相和して茨の道を驀進(ばくしん)するところ最前線である。もはや自分で自分が理解できないが、どうやら私は、材木座に己の弱さを見出しているらしい。なるほど、常に誠実で真摯に己と向き合ってきた私は、そう易々と自己の弱さを否定しない。さればこそ、傲慢でもなく卑屈でもない調和の取れた一個の器として、世になくてはならない存在足りえるのである。

 末世に出現した救世主たちが少なからず重荷を背負ってきたように、私もまた材木座という重荷を背負っているのは、燦然と輝く偉業を為して世界史に名を残す存在であるからかもしれなかった。

 

 目を背けたくなるような現実から、こんなふうに無理矢理自尊心を庇ってはいるが、もうそろそろ、私は限界である。

 

       ◇

 

 そうして今も、私はこのショッピングモールで重荷である材木座とツーショットであった。

 なにゆえこんな責め苦を受けているのか判然としないが、「ちょっと失敬」と言ってお手洗いから帰ってみれば、一緒にやってきたはずの面々が霞のごとく消えていたのである。残ったのはなにやら不敵な笑みを浮かべている材木座ただひとり。私は狐につままれたような感覚であたりを見回した。

 

「ほかの連中はどうした」

 

 腕を組んで傲然と屹立する材木座に私は問いかけた。

 

「さあてね! 我も知らん!」

「馬鹿をいうな。今までいたじゃないか」

「それはそうだが、しばしそこの本屋で新刊のチェックをしていたら、この有り様だ。昔を思い出してちょっぴり泣きそうであったぞ、ぬわっはっはッ!」

「なんだそれ。つまり俺たちは置いていかれたのか?」

「言葉にするでない! 胸が痛むゾ!」

 

 私は茫然とした。怒りより先に疑問が湧いてきた。それでは、何のための集合であったのか。彼らはいったい馬鹿なのか? それともこれはなにかの罠か?

 ふいに鞄の中で携帯電話が鳴った。私は屈託なく阿呆みたいに笑っている材木座を尻目に液晶を覗き込む。知らない番号だ。やや戸惑ったが、私は通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

「あ、もしもし?」

「あれ、その声は小町さん?」

「はいはい、そうです小町です!」

 

 知らない番号の相手は、今回の贈り物選びに兄の保護者兼アドバイザーとして同伴していた小町さんであった。小町さんは今日も元気溌溂だ。私は自然と頬が緩む。

 まず小町さんは、昨夜比企谷から私の電話番号を教えてもらったとあどけなく言った。

 

「迷惑だったでしょうか?」

「いやいや、大歓迎さ」

「よかった、安心しました。ちゃんと登録しておいてくださいね! それはそうと、今ひとりですか?」

「材木座と一緒だけど……これはいったい何事なの」

「あーっと、そのことなんですけど――」

 

 そして小町さんは、私がおかれているかくのごとき不愉快な状況について、申し訳なさそうに話した。

 

「ってなわけで、お兄ちゃんのためなんです。どうかご理解いただけないでしょうか?」

 

 なんでも小町さんは、比企谷と雪ノ下さんを二人きりにさせたいらしい。その理由は不明だし、釈然としないところはあったが、小町さんが言うのであれば従うのもやぶさかではなかった。兄のためというのであれば仕方がない。彼女は私の妹でもあるのだ。私は快諾した。

 

「ありがとうございます! それで私のほうはですね、じつは同級生とばったり会っちゃいまして……本当はご一緒したかったんですけど、ごめんなさい」

 

 最後に小町さんは、心の底から私と買い物をしたかったと熱情を吐露して電話を切った。私は小町さんを攫った同級生とやらに嫉妬しながらも、満足げに頷くと携帯電話を鞄にしまった。

 背後で材木座が声をあげた。長年の対人関係喪失の産物であるところの馬鹿でかい声である。

 

「誰からであるか? なに用だ?」

「大きな声を出すな。公共の場だぞ」

 

 材木座は咳払いすると、声量を抑えて同じ質問を繰り返した。私は電話の内容を簡潔に伝えて、さっさと歩き出す。材木座はぶつくさ剣呑なセリフを呟きながら、私の隣に並んだ。

 

「これでは集まった意味が皆無だ。何のために我が馳せ参じたと思っている。貴様と買い物を楽しむためではないぞ」

「おい、こら。ふざけたこと言ってると自由行動にするぞ」

「……して、八幡のやつは女子とふたりきりだそうだな。やつの妹の真意がわからぬ。お主、どう思う?」

「どうでもいい。本当だったら俺は小町さんとふたりでプレゼント選びをしてたんだ」

「阿呆か貴様、我がいるではないか。三人だ、間違えるな。だいたい貴様にそんな甲斐性があるとは思えん」

「チッ、黙れ。未来永劫黙れ」

 

 薄暗い青春の最中に立ち尽くす男二人がイマドキの女子高生に贈るプレゼントなど選べるはずもなく、我々はなんの当てもなく蹌踉(そうろう)とショッピングモール内を歩き回った。体力だけをがりがり削られ、ベンチを見つけては座り、手持ち無沙汰になると、再度なんのあてもなくフロアを逍遥(しょうよう)した。

 当然ながら休日の盛り場、我々を囲繞(いにょう)する人々の群れからは、いわゆる幸せオーラが垂れ流され、あたり一面に充満していた。皆一様に上気し、何がそんなにおかしいのか常に笑みを絶やさない。子連れの家族、団体の若人、(かしま)しい三人組の婦人たち。そして中学生カップルに高校生カップル、大学生カップルから社会人カップル、ひいてはどう見ても不倫ではないかと疑いたくなる年の差カップルまでもが、所狭しとショッピングモールを埋め尽くしている。この一大カップル展示場に、見るも無残な男二人がヘリウムを詰め込まれたように浮いていたのは火を見るより明らかであった。

 そのうちに、我々の眼球は炯々(けいけい)としはじめた。材木座からは、「寄らば斬る」という新撰組めいた気迫が漂い、あるいは今にも憤死を遂げそうな気配が漂っていた。どうにもならない法界悋気(りんき)を持て余していた我々は、すれ違うカップルの破局までの月日を予想するゲームをして溜飲を下げることにした。そしてその都度、それが可及的速やかに成就するよう祈りを捧げることも忘れなかった。ときどき、眩しすぎて直視できないほどの美男美女カップルに出くわすと、私はひと月と答え、材木座は大胆にも今日中と気焔を吐いた。

 威勢のいい言葉とは裏腹に、ただでさえぱっとしない材木座の顔は、いまや薄墨でも塗ったかのように黒々と影を帯びている。ちょっと正視に耐えないほどだ。おそらく、私も同様であったろう。不合理な劣等感に苛まれ、これ以上不必要に傷つくのは避けたかった。

 

「正義は我らにあり」

 

 材木座がぽつんと漏らした。私は諸手を挙げて賛同する。しかし、いつなんどきも正義が勝つとは限らない。ときには浮かれ騒ぐ衆愚に圧倒され、賢明たる理性が敗北することもあろう。時代の先端を走る哲学者や科学者は数の暴力によって迫害されてきた歴史がある。その正当性が明らかになるのは後の世を待たねばならなかった。我々もまた同じである。いまは、断腸の思いで敗北を受け入れ、おとなしく白旗を振るべきかもしれない。

 贈り物は自宅近くのスーパーで適当に菓子折りでも包んでもらって済ませ、ここは一も二もなく撤退すべきである、そう考えて、私が材木座に提案しようとしたときだった。

 ふと、私の目はなにやらヘンテコな物を捉えた。雑貨屋の少し入ったところに並べられていたそれは、いわゆる信楽焼(しがらきやき)風の狸であった。私は吸い寄せられるように近づくと、それを取り上げて仔細に眺め入った。両手に収まるほどの大きさで、ちょこんと傾げた顔は可愛らしく、お腹の部分は時計になっていた。どうやら目覚まし時計らしい。本物の信楽焼ではなくてプラスチック製であり、これなら鳴り響くベルに怒って強打しても両者が傷つくことはあるまい。私はこの愛嬌たっぷりの狸時計を由比ヶ浜さんが抱えているところを想像した。悪くない。いやベストマッチングである。私は即決した。

 結構な値段だったが、親愛なる由比ヶ浜さんのためとあれば、こんな出費は痛くも痒くもない。プレゼント用に包んでもらうと、これを受け取った際の由比ヶ浜さんの幸せそうな笑顔を想像して、私は言いようのない満足を感じた。

 雑貨屋の外では、材木座が索然とした表情を浮かべていた。

 

「ぬけがけとは卑怯な。いったい何を買ったのだ」

「ポップでキュートな小物だ」

「気持ち悪いぞ。そんな面かお主」

「コノヤロウ」

 

 私が軽く小突くと、「おうふっ」と呻き声をあげて、材木座は眼鏡のレンズを拭った。

 

「我は何を買えばいい」

「しらんがな。自分で考えなさい」

「それができたら苦労はしておらぬ。いいのか? 我の右手が暴れださぬうちに教えたほうが身のためだぞ」

「さて、買い物も終えたしそろそろ帰るか。比企谷にはあとで連絡をいれておく」

「くっ、うわぁっ……まだだ、まだその時じゃない! 堪えるのだ、我が右手よッ!」

 

 私は盛大にため息をついた。このまま放置すれば、材木座はしばらく小芝居を続けたのち、周囲の痛々しい視線を浴びて悄然と帰宅するだろう。それはそれで愉快なのだが、家に帰れば自身の胸に湧き上がる恨み言を克明に書き記して、メールで送りつけてくるにちがいなかった。そんなことになれば、うっとうしいことこの上ない。私は再び雑貨屋に目を向けると、そっけなく言った。

 

「これはどうだ。由比ヶ浜さんはきっと喜ぶ」

「なにッ! どれだ」

 

 私は棚に並んでいた『サルでもデキル! 超簡単クッキングガイド』を指さした。材木座は、「おおっ」と感嘆の声をあげるとすぐさまそれを購入した。サルでもデキルとはなかなかに不穏当な言葉ではあるが、近頃料理に凝っているらしい由比ヶ浜さんに料理本を贈るのは適当に思われた。

 我々は戦利品を抱え、近くのベンチに腰を下ろした。いまだあたりはカップル見本市状態であったが、目的を遂行した我々にとって有象無象はさして気にならず、世界はこころなしか温もりを取り戻したようであった。

 しばらくの間、私は傍らに置いた紙袋をじっくりと眺め、中にある可愛らしい包装紙に包まれた贈り物に思いを馳せていた。すると、隣で携帯電話をいじっていた材木座が、「もし」と声をかけてきた。

 

「ひとりで笑ってないで、あそこを見るのだ」

「ああん?」

 

 私は名残惜しむように紙袋から目を離すと、顔を上げて材木座が示したあたりに視線を移した。そこは、まるで粘着シートに絡めとられた茶黒い昆虫たちのように、和気藹々としたカップルたちが大挙して(うごめ)いているゲームセンターであった。そんな中に、あたかもカップル然とした風情で、私のよく知る男女二人が立っていた。

 

「なにやってんだ」

 

 私はUFOキャッチャーの前に佇む比企谷と雪ノ下さんを見ながら呟いた。

 

       ◇

 

 作家、伊藤整は若さや青春を硝子(がらす)に囲まれた部屋に喩えた。周囲はひらけているように見えながらも、出ていこうとすれば硝子に突き当たってしまう。その中では自分の声がやたら大きく反響するだけで、外の人間には決して届くことがない。そうして自分の声に精神を苛まれながら、透明の部屋を大型肉食獣のようにうろうろと歩き回るのだ。なんでも若さとは、青春とはそんなものらしい。

 私はUFOキャッチャーのガラスケースを眺めながら、陳列されている景品を自分と重ね合わせ、苦渋の思いを抱いていた。もはや私は、うろうろ歩き回るのには疲れ果て、自身を責め苛む大音声にも聞き飽きている。もういっぱい。これ以上は御免である。あの逞しいアームのように、誰か私を救い上げてくれないかしら。きっとその人は、ふはふはして、繊細微妙で、夢のような美しいもので頭がいっぱいな優しい乙女であろう。私のほうはすでに準備万端である。掴まれて持ち上げられるのを、こうして今か今かと、なんだか汚い汁をいっぱい垂れ流しながら待ち呆けている。それなのに、いったい先方は何をしているのか。いささか遅すぎやしないか。早く私を呪いのガラスケースから出して欲しい。

 そんな埒もないことを考えていると、UFOキャッチャーで遊んでいた雪ノ下さんが我々の存在に気付いたらしい。憮然とした表情をして、こちらに来いと手招きをしている。小町さんに頼まれたこともあるので、私は少々迷ったが、結局、材木座を連れて二人のほうへ向かうことにした。

 

「どうやらプレゼントは買えたようね。由比ヶ浜さんへ贈るような物を買えているかは甚だ疑問だけれど。それにしてもわざわざ集合したというのに、なぜふたりで行動しているのかしら。本当に理解不能だわ、頭が悪いの? 頭が悪いのね」

 

 我々が前に立つと、雪ノ下さんは間髪を容れずに駆け足でそう口にした。

 いかに温厚篤実な性格をしている私であっても、これには閉口した。一言一句たがわずこちらのセリフである。怒り心頭に発しかけた私は、しかしながらぐっと堪えて、材木座同様へらへらとした笑いでなんとかごまかした。いつも正しい雪ノ下さんのことだから、小町さんの伝え方が誤っていて、情報が錯綜しているだけかもしれない。その場合、ひとりで顔をトマトみたいに赤くしてみても間抜けなだけである。

 私は落ち着くために、我関せずを貫いてUFOキャッチャーとにらめっこをしている比企谷に声をかけた。

 

「なにか欲しいの」

「俺じゃなくて雪ノ下がな。あのパンさんとかいうぬいぐるみだ、結構難しいなこれ」

「な、何を言っているの。私はべつに欲しいなんて一言も――」

 

 ガラスケースの中を覗くと、ずいぶんとファンシーな、目つきの悪い人形が並べられていた。思わず私は、「うわ、ぶっさいくだな」と呟く。

 

「今、なんて言ったのかしら?」

「え」

「私の聞き間違いでなければ、パンさんに向かって不細工と言ったような気がしたのだけれど」

「いえ、そんなこと、言っていません」

 

 私は地雷を踏んだことを悟り、次の瞬間には訂正していた。おそろしく迅速な判断と言わばなるまい。さらに私は、場の空気をひっくり返すため、瞬時に次のようなことを導き出した。すなわち、雪ノ下さんの反応を鑑みるに、彼女はあのパンさんとかいうぬいぐるみがお気に入りで、今現在、口では否定しているものの、じつはのどから手が出るほど欲している。また、彼女は我々の独断行動を非難しており、且つ、私の迂闊な一言でひどくお怒りである。したがって、一刻も早い機嫌の回復を施すべきであり、それにはあの不細工なぬいぐるみを獲得し献上するのが有効である。

 以上のことから、私はUFOキャッチャーに硬貨を数枚入れて、材木座を呼び寄せた。

 

「おい、あの可愛らしいぬいぐるみをとってくれ。金欠なんだ、一回で頼むぞ」

 

 市場には出回らない非売品のマニアグッズを手に入れるため、UFOキャッチャーの腕を鍛えに鍛えあげたと、以前、材木座は豪語していた。そのときは阿呆なことに金と時間を浪費しているなと鼻で笑ったものだが、まさか役に立つ日が来るとは、人生何が起こるかわからない。馬鹿と鋏は使いようである。私は、ぶつくさ言いながらも一発で獲物をしとめた材木座に賛辞を送った。

 

「材木座、おまえ輝いてるよ、今が一番」

「もっと褒め称えるがいいッ! これぞ必殺キャトルミューティレーションである! ぬわはははッ!」

「それは惨殺事件だろうが。まったく格好がついてないな」

 

 私はしたり顔の材木座からぬいぐるみを受け取ると、そのまま目を丸くしている雪ノ下さんへ差し出した。パンさんは持ってみるとむにむにしていて柔らかく、思いのほか手に馴染んだ。

 

「う、受け取れないわ。あなたのお金で材木座くんが取ったのだから、どちらかふたりのものでしょう」

「へへへ、そんなこと言って。本当は欲しいくせに」

「馬鹿なことを言わないでちょうだい。欲しくなんかないわ」

「ふむ、頑固だね。あげると言ってるんだから、受け取ればいいのに。だいたい、こんなむやみに可愛らしいぬいぐるみを材木座が持っていたら、もう、見るに耐えないだろ」

「失敬なッ、貴様も同じだ!」

「で、ではあなたが――」

「俺はいらないよ。そういう趣味はない」

 

 雪ノ下さんは困ったようにあわあわと視線を揺らしていた。その視線が比企谷に向かう。比企谷は肩をすくめて、「なにも考えずに、受け取ればいいだろ」とスカした。その後、似たようなやり取りが数回ほど我々のあいだを往復したが、最終的に雪ノ下さんが折れて、その胸に不細工なぬいぐるみが抱きしめられる運びと相成った。恥じらいで頬を桃色に染めた雪ノ下さんが抱えると、不思議とパンさんが愛らしく見えた。このぬいぐるみは、持つべきものが持つとはじめてその真価を発揮する、アーサー王の剣みたいなものなのかもしれない。

 雪ノ下さんはぎゅうとパンさんを抱きながら、もごもごと口ごもっている。どうやら礼を述べているらしい。比企谷にも材木座にも聞こえていないようであったが、私にはたしかに聞こえた。聞こえたが、紳士らしく聞こえなかったフリをした。

 理知的な眉をだらしなく垂れ下げて、にやにやとパンさんを見つめる雪ノ下さんは、それはもう大層可憐であり、私はいたく満足であった。

 

 


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