女神の皮を被った悪魔と人の振りした悪魔達に明日の課題に使う卵を確保しろと言われて一時間。
現在俺は生徒達が翌日の課題の練習の為に使用しているリゾート内にいくつもある調理場をひとつずつ訪れていた。
恐らく俺に仕事を押し付けた連中はこっちが馬鹿正直に卵を取りに行くとでも思っている事だろう。確かに、かつて試験する側では無くされる側としてここにいた榊奴操なら少しでもより良い食材を手にするべく養鶏場に突撃くらいはしていただろう。
だが、今の俺にはそんな事をしなくても新鮮な卵を手に入れられる方法がある。
そう、コネと伝手である。
十傑時代の職権を乱用してここいら周辺の食材の生産者達とは友好を極めている。特に鶏卵界の重鎮である徳蔵氏とは「徳ちゃん」「操っち」の愛称で呼び合っている世代を超えた親友だ。殺気はああ言ったが、今持てる生産者ネットワークを駆使すれば卵の千や二千を朝までに集めるなどわけじゃない。
寧ろ問題はこっちである。
「ああくそ! なんも思いつかねえ!?」
「もう時間が無いぞ!? どうすればいいんだぁァァ!!」
調理場に入ると殆ど毎回と言っていいほど聞こえてくる叫び声。
シャペル先生は良く、「怒号よりももっと激しい焦燥の嵐の中」と例えるが焦燥以前の問題だと思う。何か考えようにも時間が無さ過ぎて逆に何も手に付かないのだ。疲労が限界にきているのにも拘らず寝るに寝られない状況もまた彼らを追い詰めている。結果、彼らに残されたのは行き場の無いその想いを言葉にして叫ぶ事だけ。
そして勿論、その間にも時間と卵はどんどん消費されていく。
眠気と焦りで卵を割り損ねた様子を見ながら俺自身も「大丈夫。アレは練習用。本番に使うモノじゃない。大丈夫」と呪文を唱える。
どうしてこんな見回りをしているかと言うと、生徒達がどんなものを作るかあらかじめ把握しておくためだ。口を出すつもりは微塵も無いが、例外もある。
先程、堂島さんは確かにテーマを卵料理だと言った。だが、それを鶏卵とは限定していない。つまり、ルール上は卵がメインならばどんな料理でも構わないのだ。この抜け道は昔からあって毎年少数だが他の生徒とは一線を画すセンスの料理が飛び出てくるらしい。
今回もうずらの卵や百歩譲ってダチョウの卵ならまだいい、だがありえないとは思うがカエルの卵やらワニの卵やらを使おうとする生徒が出てくる可能性も僅かばかりだが有る。と言うか実際にやった奴がいるというのだからつくづくこの学園は規格外だと思い知らされる。しかもそれが今や十傑の第二席だ。当時の食材調達係は相当胃の痛い思いをした事だろう。
そんな生徒が居ませんようにと願うのが半分。いたらいたでその時は作ったレシピを見せてもらいたいなと言う邪念が半分。そうして探し回っている内に見覚えのある顔と再会した。
「やあ、美作くん。さっきぶりかな?」
「いや、数分ぶりだぜ、センパイ」
美作昴。
特徴的なドレッドヘアーと高校生離れした巨躯からは想像出来ないほどに繊細な料理を作る生徒だ。最も、彼の特徴はそこでは無いのだが、今はまあいい。
「こんな所でどうしたんだい? 明日の課題的に寝るには早い時間だと思うけど」
「アンタの基準だとそうかもなァ。でも、生憎俺の
「そうか、そうか。それで、その恰好は何かな?」
実はこの合宿で彼を見かけたのはこれが初めてではない。さっきの明日の課題説明の場でも目が合ったし、他の課題でも彼の料理を何度か食べる機会はあった。でも、それ以外で自分から話しかけるのはこれが初めてだ。ヒトには一人一人趣味があり、料理人にはそれぞれの
その上で、今回はあえて声を掛けさせてもらったわけだが、
「ああ、これか? 何事も入るなら格好からってよく言うだろ?」
「ああ、言うよ? 俺も潜入の時とかよくそうするけど、さ。だからってそれは無いだろう……」
俺が声を掛けざるを得なかった理由。それは彼の服装だった。
見ようによってはボディビルダーや今回の合宿でお世話になった運動部の一因にも見えなくも無い体付きの彼の身に纏っているのは女物の浴衣。明らかにサイズのあっていないそれの下はまさかノーパンじゃないだろうな? 流石にそういう作法はいらないぞ。
と、言うか普通に犯罪だろこれ。ホテル側も何かしだしてんだよ。ちょっとガタイのいい女の子ってレベルじゃねえよ!
「何かおかしなところがあったか? 着付けか? 一応ビデオと上手練習したんだが……」
「知らねえよ! 後、帯はもうちょい下で止めなさい。見えちゃうから、色々見えちゃうから!」
彼の個性について俺からとやかく言う事は基本的にない。
どんな理由であれ、どんなやり方であれ、この学園で最も重要なのは誰よりもおいしい料理を作ること。究極の一皿に辿り着くための道は決して一つじゃない。だから、俺は彼のやり方を否定しない。
だが、これだけは言わせてもらおう。
「こんな時間に出歩くのとその恰好を見るに、狙いはえりなちゃんかアリスちゃんあたりかな? いや、確かアリスちゃんのアレは仕込みに少し時間のかかるものだったはずだから、えりなちゃんか」
「……どうかな。案外、アンタの知らない人間かも知れないぜ」
「まぁ、それならそれでそんな逸材が居ると言う事を知れて俺的には満足だけど……一つだけ忠告しといてやる。彼女に手を出すのは止めろ。これは君の為でもある。今の君の実力じゃあ、彼女に勝つ事は出来ない」
「それくらいは俺でもわかってるつもりだぜ? まともにやったら勝ち目のない事くらい、情報を集めている内に気付くさ。―――でもなァ!」
美作昴の雰囲気が変わる。
身を潜めていた狩人から獰猛な猛獣の様に、獲物を食い殺す寸前と言ったその表情には自分が負けるとは微塵も思っちゃいない強者の余裕ともいえるものがあった。
「今回の課題はそうじゃねえ! 別に食戟でどちらかが優れているか決める訳じゃねえんだよ、センパイ! 俺はただあの女より少し魅力的に見える料理を客の前に出せばいいだけだ! それだけで俺は勝つ事が出来る! これまでの課題のようになァ!」
そう、それこそが彼の得意とする
相手の目の前で相手よりも優れた料理を繰り出す。たったそれだけだ。たったそれだけの事で彼はこれまで多くの食戟を勝ち抜いてきた。そして俺はそれだけの事がどれだけ難しいかと言う事もよく知っている。
相手の目の前で
「確か、アンタの在学時の戦績は殆どが引き分け同然の勝ちか負けだったな。ストレートに審査員の票を全て取って勝ったって勝負は一度しかない。だが、俺は違う! 相手の全てを研究し尽くしその手の内をすべて読んだうえで確実に勝つ! レシピしか真似してこなかったアンタとは違うんだよォ!」
「大した自信だな。課題前のくじ引きでえりなちゃんと違う会場になる自信があるのか?」
「ククク、どうだかな……。ただ、別に俺の相手は薙切えりなだけじゃないんでね。その時はその時さ」
恐らくどちらも本当の事だろう。
彼にはえりなちゃんと同じ会場になるという確信がある。それと同時に万が一にも外れた時の保険として複数の人物に当てを付けている。
一応、くじ引きと言うのにはいくつか勝筋があるのだが、一番簡単なのはやはり運営側の買収だろう。いち高校生にそんな事が出来るとは思えないがその裏にいる相手によっては可能性はある。
そして残念な事にそう言った事が得意な後輩を俺は一人知っている。
「叡山くんの差し金か。今の十傑でこういう根回しをするのは彼しかいない」
叡山枝津也。
現遠月十傑評議会の第九席にいる彼ならばその権力と人脈を使って、合宿内での会場の振り分けに手を加える事は可能だ。そして、彼は美作のような人間を使う事に長けている。
「よくわかってんじゃねえか。あの男は薙切えりなの事が目障りらしくてな。色々他にも動いてるらしいぜ? 本来ならまだ俺が動く時じゃねえんだが、丁度良い課題だしな。この年で十傑になった天才がこの程度の課題で失格になるって場面を想像するだけで笑えて来るだろう?」
「ああ、笑えるね。本当に笑わせてくれる。君達は彼女がその程度でその膝を穢すとでも思っているのかい? あまり、舐めない方がいい。薙切えりなは天才だ。多くの天才を目にしてきた俺が保証する。今の君程度がどうにかできる相手じゃない」
「ッ!? そうかい! まぁ、いいさ。どの道アンタには何も出来ない。もう遠月の人間じゃねえアンタじゃどうする事も出来ねえのさ! 精々目の前でその天才が負ける様を見ていろよ、センパイ」
その言葉は確信を付いていた。どうしようもないほどに。
今の自分は遠月の学生ではない。それどころかこの学園の関係者でも無い。今ここにいるのは偶々この合宿の講師の一人として潜り込めたからであり、本来ならこの場にいる事すらできない人間なのだ。もう、あの頃とは何もかもが違う。好き勝手に暴れて、事態を有耶無耶にして誤魔化す事は出来ない。
遠ざかる美作昴の背中を見ながら、その事実を改めて実感する。
ああは言っていたが、彼がえりなちゃんに勝つ確率は極めて低いだろう。それは本人もよく理解しているはず。その上であの男は挑もうとしている。嘗ての自分の様に、勝ち目の薄い相手に向かってワザと戦いを挑んでいる。そこに十傑である叡山枝津也の考えは恐らく関係ない。その証拠に彼はこの数日、えりなちゃん以外の複数名に対して勝負を挑んでいる。最初から命令通りえりなちゃんの権威を失墜させることが目的ならば、他の課題は独力でも十分に突破できるというのに。
以前、知り合いに中等部に俺とよく似た事をしている人間がいると言われたことがある。その時俺はこう答えた。「まるで似てない」、と。それは今でも変わっていない。俺と彼とは根本的な所が違いすぎる。似ているだなんて間違っても言えない。
でも。
それでも、似ていると言える部分があるとしたらそれは……。
「ああ、クソ! やっぱりこういうのって余計なおせっかいって言うんだよなぁ!!」
携帯を取り出す。
着信は一件。奇しくもそれは今から掛けようと思っていた相手だった。
遠月地獄の宿泊研修四日目。
早朝六時から開始されるこの日の課題は過酷だったこの合宿の中でも最も多くの脱落者を出す事だろう。
『2時間以内に200食』。この遠月リゾートの新しいメニューを考えて審査員である生産者のプロと現場のプロに認められる。それが毎年行われるこの合宿における実質的な最終課題の合格基準だった。
例年よりも優秀な生徒が揃ったと言える今年も例外なくこの課題は行われる。
昨夜の事前説明会では合格基準についての言及は無かったが、これについては前年度の記録や講師達の動きを見ていればいくらでも調べが付く。
『各自料理を出す準備は出来たな? これより合格条件の説明に入る』
いつものように坊主頭のとてもガタイのいい男が壇上に上がり課題の説明を始める。審査員の紹介に始まり、合格基準の発表。いずれも抜かりは無かった。問題となった試験会場についても事前にトレースしていた数名と同じ場所に入れた。その中には薙切えりなの姿もある。後はいつも通りアレンジを一つ加えるだけだ。それだけで相手は試験に落ち、自分は次へと進める。なんて簡単な世界だろう。そう思うと、自然と口元から笑みが零れてくる。
『この課題の合格基準は二つ……生産者のプロと現場のプロ、彼らに認められる発想があるか否か。そして、もう一つは……今から2時間以内に
「!!?」
「ひゃ、100食!?ほぼ徹夜の状態で!?」
「か……過酷……」
「で、でも、100食ならいけるかも!」
「そ、そうだよな。毎日それくらいの数は作ってるんだ! 今更どうってことないぜ!」
生徒達の様々な反応。多くの者は驚き、口では過酷と言っているがここまで残ってきた猛者達にとって
最初の内こそ審査員の貫禄と彼らに認められるという高いハードルに臆していたものの、これまでの合宿で築いてきた自信と寝不足による半ばやけくそ気味のテンションで乗り越えてやろうという熱気が不安を押し込め始めていた。そんな中、他の者達とは違い
「……100食だと?」
事前情報との僅かなズレ。
自分のリサーチが甘かったのか? それとも本当に直前になって課題内容が変更されたのか。どちらにせよ、まさか増えるでは無く逆に減るとは好都合だ。
初日から感じていた事だが、どうやら今年は随分と甘い合宿のようだ。
そう、壇上の男から次の一言が発せられるまでは本当に思っていた。この学園がそんなに優しいモノであるはずがないというのに。
『ああ、これは合格基準とは直接の関係はないのだが……今年は面白い提案をするものが居てな。流石に当初考えていた数でやると合格者が殆どいないと思われたので俺と講師陣の判断で合格数を変えさせてもらった』
「?」
『何、実戦形式と言っただろう? ならば、敵役が居なくてはな。という訳で入って来い!』
そう言って、審査員達が入場してきたのとは反対側の扉が開く。そこにいたのはこの合宿で何度も見た顔ぶれ。その多くは面倒くさそうだったり、自信満々だったりと不安など微塵も感じさせない表情だったが、約1名とても顔色が悪い男が混じっている。
「なあ、あの人達……」
「し、審査員の追加じゃないかしら? ほ、ほら、なんだかんだ言って私達もだいぶ残ってるし! あの方々も追加でやる事になったとか!?」
会場内に再びどよめきが広がる中、彼はふとこの場所に入ってから僅かに感じていた違和感を思い出す。なぜ自分の隣の席は空席なのだろう。それどころかこの会場では一定間隔で誰もいない調理台がある。これが脱落者のモノだとすれば話はわかるが、今年の脱落者はせいぜい50人ほど。全体が約1000人ほどだから20人に1人分空席があればいい。それ以外はつめるか会場をいっその事まとめてしまった方が審査する側としては好都合なはず。それなのに空席はまるで規則性でもあるかのように等間隔で存在している。
額に嫌な汗が流れる。まるで、自分が罠に掛かったような感覚。
多くの者の期待とは反対に
『さて、改めて今回の課題だがこの遠月リゾートの新しい朝食メニューを考えてもらう。その為には既存のメニューも必要だと思ってな。
そうして、全員が席に着き課題が開始される。
彼の隣にも当然、新たに席に着いた男が一人。見憶えの有り過ぎる顔だ。この数日後を付け回したが未だにその実態を掴みきれてはいない謎多き男。それでいて、美作のいる試験会場に尽く現れ本来なら落第していたはずのトレース元を様々な手を使って救ってきたお人好し。この男が居なければ少なくとも今年の脱落者は全体の半数に上っていた事だろう。
そんな男が今、自分の目の前にいる。相変わらず訳が分からない。
「やあ、美作くん。また会ったね?」
そう言って、その男は黙々と卵を割り出した。
おまけ 珍獣ハンター
竜胆「昨日さー。テレビで南米の珍獣についてやっててさー」
榊奴「あぁ、俺もそれ見た。凄いよね。この学園にも長い事言るけど、あんなのどうやって調理すればいいかわからなかった。あれを食べている人達は尊敬するよ」
司「ふ、二人とも昨日も遅くまで調理室に籠っていたと思ったらそんなものを見ていたのかい? 大体、どんな食材だってこちらから敬意を以て接すれば調理できないモノなんて無いだろう? それよりも昨日二人がサボったせいでここにこんなに書類の山が……」
竜胆「んじゃ、行ってくるわ!」
榊奴「司君、俺ら居ない間の留守はお願いするよ。なんかあったら園果とか赤ずきんにも仕事押し付けていいから」
司「え、どこに?」
竜胆・榊奴「南米」
司「」
竜胆「さあ、早く行こうぜセンパイ! 未知なる食材が私達を待ってる!」
榊奴「ああ、既にチケットは取ってある。勿論、十傑割でな!」
司「な、なあ。二人とも、俺の話聞いていたか? 大体、そんなに欲しければ取り寄せればいいだろ」
竜胆「いや! 普通にどんな味か気になったら現地に言って食べるだろ! 空気読めよな!」
榊奴「そうそう、どんな人間がどんな事を考えて作るのか。それこそが料理の醍醐味だよ。それなのに司君と来たら……ハァ、全くこれだから天才ってやつは」
司「え、え? ご、ごめん二人とも。そういう訳じゃなくて、俺はさっさと仕事を片付けてしまおうと――」
榊奴・竜胆「いってきまーす!」