食戟のソーマ―愚才の料理人―   作:fukayu

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魔女の傷跡、女神の微笑み

 合宿三日目。

 生徒達の大半にこれまでの疲れが見られるこの日の夜。俺達講師陣は一部屋に集められていた。

 

「遠月卒業生の諸君は当然知っているとは思うが明日の最終課題では彼らにこの遠月リゾートの新メニューを考えてもらう。今回のテーマは『卵を使った朝食』だ」

 

「卵?」

 

「それって―――」

 

 堂島さんの言葉に数人が驚いたように声をあげる。何を隠そう俺もその一人だ。

 

「堂島さん、それって確か」

 

「ああ、榊奴は知っていたか。そうだ、このテーマは今から数年前、丁度角崎達の前の世代が経験したものだ」

 

 その言葉にまた何人かがどよめく。この最終日の課題はここまで生き残った生徒達の将来性を見極めるためのモノでもある。遠月学園の求める玉とは荒れ果てた荒野を切り開いて進むもの。つまりは常に新しい道を切り開いていく革新者であり、この遠月リゾートのメニューの中では実際にその当時の学生達が作ったモノが使われていたりする。だが、それ故にこれまでの課題と同じように公平さを保つために毎年そのテーマを変えている。少なくともここ数年で使われた課題がもう一度、という前例はない。確かに朝食という限られた条件内において卵料理の占める割合は多いが、ネタ切れになって再利用されるには早すぎる。だってあれは――いやまてよ。

 

「そうか、極の世代」

 

 思わずつぶやいたその一言は思いのほか室内に響いたらしい。何人かの講師がびくりと肩を震わせる。逆に動じないのは俺の隣にいる四宮さんやなんだかんだ言って大物な日向子さんといった面々のみ。年が若く、その世代に近い者達ほど動揺は大きい。中にはその単語を聞いただけで強い拒絶反応を起こすみたいで吐き気を催して蹲ってしまう者もいた。

 これはもしかして、やってしまったかもしれない。

 

「おい、なんだよその極の世代って?」

 

 そんな中、つい先日まで日本を離れていて昨今の遠月情勢に詳しくない人が発言者である俺を問い詰める様に問いかけてきた。心なしか顔が近い気がする。

 

「ああ、四宮先輩は暫く日本を離れていたから知らないんですね。極の世代っていうのは丁度俺の2世代前、第87期生が中心となっていたころの遠月のメンバーの事です。その世代、特に十傑の面々は一人一人が時代が時代なら一席になれただろうと言われるほどの怪物揃いだったことで有名です」

 

「あァ? そんなの別に珍しくねえだろ。俺の時だって水原やヒナコ辺りがそう言われていたぜ。まぁ、俺が居る限りそんなことは有り得ねえって言ってやったけどな」

 

「そ、そうですか」

 

 そう、自信満々に言う四宮さんだが、そういうのは他に人のいないところでして欲しい。現に水原さんのいるあたりから尋常ならざる殺気が放たれていて、蹲っている人とは別の要因で俺のトラウマも発動しそうになる。

 取り敢えずここは話を続ける振りをして話題を少し逸らそう。幸い、今話題に上がっている人達に関しては話の種が切れる事など早々無い。

 

「でも、彼らがそういうふうに言われているのには他にも理由があるんですよ。一部では遠月の理念の到達点と言われるほど彼らは凄まじかったんです」

 

「遠月の理念? それって確か―――」

 

 『この学園に通う生徒の99%は1%の玉を磨くための捨て石である』。

 毎年、年度初めの始業式にて学園総帥直々に放たれるその言葉を比喩や冗談でもなく本当にやってのけてしまった世代があった。 

 その年に高等部へと上がった新入生は約2000人。例年の2倍近くの豊作だった。決して数が多いだけではなく、一人一人の実力も例年並みかそれ以上だったという。しかし、最終的に生き残りこの学年を卒業したのはたった5名。1%以下の割合である。そして何より恐ろしいのが、二年生に進級する頃には2000人いたはずの生徒がわずか30人ほどにまで振るい落とされていた事である。3年時に至っては10名に満たない事もあり、心無い者達の間では出来損ないだとか数だけを集め過ぎた失敗世代だと呼ばれてしまう事もある。だが、それはあくまで事実を知らずに結果だけを見た時に言える感想だ。実際はそんな生易しいものでは無い。

 それをこの課題を通して一番痛感しているのは当時からこの遠月リゾートに勤めていた堂島さんだろう。

 

「知っているものかと思うが今の遠月リゾートの朝食メニューの大半はその時作られたものだ。特に、卵料理に関してはたった一つを除き、一人の料理人によって考えられたレシピを()()()()使用している!」

 

「はあっ!?」

 

 今度は四宮さんが驚く番だった。

 当然ながら、この地獄の宿泊研修の最終日で生徒達によって作られるメニューが実際に遠月リゾートで使われる例はまれである。あくまでこの試験は彼らの現在の実力と将来性を見る為。限られた時間で新たなものを創造するという事は当然並大抵の事じゃない。仮に出来上がったモノでも後から改めて考えれば他の案が浮かんだり改良点が山ほど出てくるのが普通だ。それが高等部に上がってまだ数か月の新米たちのモノだとすればその時点でそのまま商品として出す事が出来るものは皆無。だからこそ、この最終課題で作られたメニューがここで使われる場合はその当時のものでは無く、後から鍛錬を重ねて成長を遂げた玉達が若き日の自分の恥ずかしい出来のメニューが未だにここに保管されていることを恐れて完成しに来たものが殆どだ。

 だからこそ、今堂島さんの口から発せられた言葉が異様な程の意味を持つ。

 

「おいおい、堂島さん。冗談はよしてくれよ。天下の遠月リゾートのメニューがまだ高校一年のガキだった奴に染められてるってのか? 大体、課題で提出する料理は一人一品の筈だ。まさかその生徒は一人で何十品も出したってのか?」

 

「その通りだ」

 

「……冗談じゃないよな?」

 

「ああ、冗談ではない。その生徒はたった一人で俺達が驚くような料理を数十品作り出した。本来はライバルであり共に競い合うべき強敵である同じ遠月の生徒を使ってな」

 

 ライバルを利用する。この遠月ではよく行われる事だ。どんなことをしてでも上に上がる。まるで天から降ってきた蜘蛛の糸に縋りつくように誰もが同じことをする。その方法は千差万別。

 だが、つい先日それを可能にする方法を俺はこの目で見ていた。同じく、四宮さんもその方法に思い当たったようだ。限られた時間でも整えられた舞台とある程度の実力を持つ料理人が居れば多くの料理をその場に生み出す事が出来る。

 

「まさか!?」

 

「そうだ。お前が今回の課題でやった事と同じさ、四宮。彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()この遠月リゾートのメニューを塗り替えたんだよ」

 

 再び室内にどよめきが広がる。

 今度は年配の面々ですら緊張した様子で、世代の近い面々は当時の様子を知っていたのか僅かに顔が青ざめているものすらいる。それだけ異常な事なのだ。多くの料理人が集まり、日々改良を加えていくこの激戦区でたった一つの才がこうも際立って頭角を現すのは。

 

「は、馬鹿げてる。そいつもそうだが、周りもどうかしてるぜ。自分の進退が掛かっている状況でよりにもよって一番重要なレシピを他人任せにするなんてありえねえ」

 

「ああ、そうだ。普通はありえないさ。だが、四宮。もし、一年のその時点で他者とどうしようもないほど才能の差がある怪物が居た場合はどうだ。最終課題は各会場で同時に行われる。実際に審査員として招かれた客を目の前で奪い合うのだ。その際、他とどう考えても飛びぬけている皿があれば客はどうすると思う?」

 

「そんなのは簡単だ。食の世界は弱肉強食。そんな事は学生でも俺達プロでも関係ない。一度戦場に立ったなら他を蹴落としてでも生き残る。もし、仮にそんな奴が居ても奪い返せばいい。第一、その時のテーマは朝食だろ? そこまでの量は無い筈だ一人二人じゃ特に影響、は―――」

 

 そう、たった一人がずば抜けていてもあの課題に関してはそこまで影響はない。四宮さんの言う通り一度奪われても再び客を取り返してしまえばいい。でも、その年だけは違った。

 

「際立った才能。それを持つものが複数人いた。少なくとも10ある席の過半数が埋まる程度にはな。そして彼らは今お前が言ったように自分の力で客を奪い返すだけの力があった」

 

 そんな人間が同じ学年に複数いたらどう思うだろう。毎年、この学園を卒業するのは殆どが十傑のいずれかの席についていた者だ。一部例外が存在するが、その例外に自分が成れる保証はどこにもない。そして、運が悪い事にその年の生徒は例年よりも多かった。最大10個の席をここにいる全員と先を進む上級生や後から迫りくる下級生達と奪い合う壮絶な闘争。落とせるライバルは早いうちに落としておきたい。出来ればそれは自分よりも前を行くものであると尚良い。

 そんな考えが数日の地獄ともいえる合宿の中で芽生えるのはごくごく当たり前の事だ。

 

「そんな中、その際立った才能に一瞬だけでも並ぶ方法があると言われたら四宮、お前は本当に断る事が出来るのか?」

 

「、、、ッ。そいつの名前は?」

 

 そう、俺は知っている。

 あの人はこういう事がとても得意だったのだ。

 

 一際輝く才能を持つ生徒が数人。その存在を前にして多くの生徒が行き詰まり、冷静さを欠いていく。そんな中、一部では有名なもののどちらかと言えば自分達と同じ側の料理人としてハンデを抱えている少女が協力を持ちかけてきたら……。『レシピは思いついたのだけど、自分では作る事が出来ない』、と助けを求める様に縋ってきたら。彼らは一体何と答えるだろう。

 

 仮にそれが、牙を隠した仮初めの姿だったとして。

 仮にそれが、一人では無く深夜遅くまで厨房に残っていたその他大勢に掛けられた言葉だったとして。

 仮にそれが、自分の仮説(レシピ)を証明するためのデータ集めの実験だったとして。

 

 藁にも縋る気持ちで蜘蛛の糸を登っていた彼らにその甘い誘惑を振り切るだけの勇気はあっただろうか。少なくとも昔の俺には無かったものだ。

 

 気づけば誰よりも先に俺はその人物の名前を口に出していた。

 

「薙切せりか。その後に魔女と呼ばれることになる俺の師匠()()()人です」

 

 恐らく無意識だったのだろう。ここ最近彼女を思い出す事が多かったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、3日目の課題を終え既に満身創痍と言った様子の生徒達が大宴会場に集められた。

 みんな色んな意味で寝不足で初日の元気はどこへやら皆疲れ果てたようにふらふらと幽霊の様に彷徨ったり、椅子や地べたに座り込んだりとこれからの事を考えると少々心配になるような状況だ。

 

 そんな中、こちらをどうだと言わんばかりに見つめてくる創真くんと目が合う。本当にいい眼だ。これからの事を思うと思わず目を逸らしたくなる。

 そして、逸らした先にはえりなちゃん。こっちは何やら怒っている様子。もしかしたら昨日の食戟の事がばれたのかもしれない。一応彼女は現十傑。つまりはいつでも俺をクビに出来る立場と言う訳だ。眼を合わせたら全てを自白したような気分になってしまうのでここもスル―。

 そして、三番目に目が合ったのは何やら高校生離れした肉体の厳ついドレッドヘアーの少年だった。何やらこっちをじっくりと観察するような気持ち悪いもとい意味深な視線を向けてくる彼は俺と目が合ったことを確認するとニッコリと笑顔で会釈した。思ったより礼儀正しいのかもしれない。まぁ、仮に俺でも壇上に並ぶ卒業生の先輩と目が合ったらできるだけ大事にならないように愛想笑いで頭を下げるけど……。

 

 こうなるとやはり癒しが欲しい年頃だ。創真くんの横で震える恵さんもとい田所さんを見つけ、同じく彼女を見つめてうっとりしていた日向子さんと互いにガッツポーズをする。あ、四宮さんに睨まれた。

 

『よし、集まったようだな。全員ステージに注目してくれ』

 

 マイク越しの堂島さんの声はよくとおる。

 どうやら俺の視線旅行の間に残っていた生徒が全員集まったようである。その数は意外な事に初日からあまり減っていない。全員が疲れ切っているものの、脱落者は殆どでなかったようだ。

 

『明日の課題内容は……この遠月リゾートのお客様に提供するのにふさわしい「朝食の新メニューづくり」だ!』

 

 毎年この課題はお題である各食事時間帯の八時間前に告げられる。今回は朝食なのでまだ常識的な時間だが、昼食の場合は問答無用で深夜に叩き起こされる事になる。それに比べれば大分マシだろう。アレは本当に辛かった。俺は碌に寝てなかった分時間の感覚がずれていて余計に辛かった。

 それに、この課題は当然その時出された食事の時間帯に有ったものを求められる。例えば今回の朝食で言えばやはりホテルの顔と言うべきものである為、宿泊客の一日の始まりを演出すると共にそのテーブルを晴れやかに彩るような『新鮮な驚き』のある逸品を提案しなければならない。

そう、大切なのは鮮度だ。そして、この課題の主役は、

 

『「卵」! それが今回君達がメインとして使う食材だ。和洋といったジャンルは問わないが、ビュッフェ形式での提供を基本とする。審査開始は明日の午前6時、その時刻に試食できるように準備してくれ』

 

 ようやく堂島さんの説明が終わろうとしている。時機に生徒達も動き出す事だろう。

ここからが俺の仕事だ。なにせ朝食は鮮度が命。そのメインとなる食材が卵ともなれば自ずと調達方法は限られている。彼らは知る由も無いが講師陣はみんな知っている。この課題のノルマが一体何食なのかを。そして、前日までと同じようにそれぞれの講師が別々の課題の為に用意した食材と違い、ここまで生き残った全生徒が同じテーマで一斉に調理を開始するのだ。それも朝まで何度も試行錯誤を繰り返して……。

 

 伝える事は伝えたと、生徒達の悲鳴を背にして悠々と歩いてくる男堂島銀に対して俺は思い切ってこの課題を初めて聞いた時から思っていた疑問をぶつける事にした。

 

「あの、この課題って本来どれくらいの生徒が受ける予定だったんでしたっけ?」

 

「例年で言えばここで全体の約三割が脱落しているからな。今年も()()()()そのつもりで準備していると聞く」

 

 この課題。

実は遠月リゾートだけの力で行えるものでは無い。この広大な敷地を誇るリゾート地を支える心強い協力者たちのお陰で成り立っている。彼らはこのリゾートと持ちつもたれずの関係を築いており、彼らの協力無くしてこのリゾートはやっていけないとまで言われている。要するにお得意様だ。彼らの機嫌を決して損ねてはならない事はこの世界を生き抜くうえで最初に教わるほど大切且つ重要事項だ。

 その上で質問。

 この合宿を開始する前、生徒達は950人ほどいました。そして、合宿三日目を終えた現在、予想では三割程度が脱落している筈でした。

 

「えーと、今どれくらい残っているんでしたっけ?」

 

「そうだな、現時点で902人と言ったところか」

 

「明日の課題のノルマは?」

 

「1人当り200食だ」

 

 もう一度言う。

 卵とは新鮮さが命だ。特に、この遠月リゾートでは一流の食材を厳選しているため朝食を作る際はその日の朝に取れた卵以外は使用しない。そして、料理人が無駄な調理を嫌うのと同じように生産者側もその日に取れた卵以外使われないと知っていて無駄な量を出荷する事は無い。

 

「なあ、操。確かお前、アタシの課題の時、本当は落とすはずだった奴を無理して合格にしたよな?」

 

「奇遇だな、角崎。俺も本当は退学させるはずだった生徒を食戟まで起こして助けようとした馬鹿を知ってるぜ」

 

 どうしてだろう。

 先輩達の視線が突き刺さる。俺は別に悪い事なんてしていないはずだ。仮に目の前に道が閉ざされそうな生徒が居たとして、それがまだ成長過程でありそのまま進めば大きく花開くかもしれないと思ったなら先輩として後輩に手を差し伸べるのが普通の筈だ。そう、俺は間違ったことはしていない。

 それに、チャンスを与えたというなら俺以外にもいたはずだ。

 

「日向子さん!」

 

「……」

 

 物凄い勢いで視線を逸らされた。

さっきまでガッツポーズを交わし合っていた筈なのにおかしいな。

 

「関守さん、ドナートさん!」

 

「いや、俺達は普通に合格条件に満たない者は落としてたぞ?」

 

「ハハハ、ハハハ」

 

 何を言っているんだという視線と乾いた笑みが帰ってくる。

こ、こいつらまさか俺一人に押し付ける気か!? 田所さんを助ける時は審査以外の面で明らかに肩入れしてたのに!

 

最後の希望を込めてこの場で最も尊敬する先輩に泣きつく勢いで縋りつく。

 

「大丈夫」

 

 天使いや、女神はここにいた。

そこにはこの世の慈愛の全てをかき集めたかのように普段からは考えられないほほ笑みを浮かべた水原冬実が立っていた。

 

「み、水原さん……!」 

 

 やはり持つべきものは女神のような先輩だ。

確かに実働部隊は実質俺一人だとは思うが、人は美しい女神の為なら身を焦がして働く事が出来る。

 

「水原さん! 一緒に頑張りま―――」

 

「大丈夫、試験開始まであと七時間。それまでに集めればいいから」

 

 女神はそう微笑むと欠伸を一つ。

 そのまま既に先に行ってしまった悪魔達の後を追うように冷房の利いた談話室のほうへゆっくりと歩いていくのだった。


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