食戟のソーマ―愚才の料理人―   作:fukayu

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『F』の悲劇 宣戦布告

 『エフ』を潰す。

 その決意をしたのは榊奴操という料理人としてのどうしようもない我が儘からだった。

 

 『誰かを笑顔にする料理』を目指している榊奴からすれば、料理で笑顔を作り出せる人間はすべて尊敬の対象だった。

 無論、遠月卒業生であり在学時は第二席という今の榊奴からすれば雲の上の存在である水原も尊敬する料理人の一人だ。

 

 だからこそ、今の『エフ』の現状を見て見ぬ振りはできない。

 今はまだ目に見える段階ではないが、このままでは確実に『エフ』はダメになる。それ以前に、今の状態ではもうこれ以上前に進むことすらできないだろう。

 停滞とその先に待つゆるやかな衰退は料理人にとっての真の敵だ。

 

 きっと水原自身もその現状に気づいているのだろう。

 気づいていて彼女には動けない理由がある。

 

 何故なら、現状を打破し今よりも前に進むためには一度『エフ』を壊滅状態にまで追い込まなければいけないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなわけで俺は『エフ』を潰そうと思います」

 

 数日後、榊奴はこの件に関して真っ先に話しておかなければならない人物の元を訪れていた。

 

「…………よりにもよって私にそれを言うのね」

 

 リストランテ・エフに設けられた一室でその人物――――水原冬美は普段から変化の乏しい表情で最大限の苦笑いを作り出していた。

 

「まあ、報告・連絡・相談でホウレンソウとも言いますし、今の俺は『エフ』のスタッフという扱いですから。こういう時はまず水原さんに相談するべきと思いまして」

 

「ええ、正しい判断だとは思うわ。それが私の店を潰す相談でなければね」

 

「アハハ、すみません」

 

 ここで来客の対応もするのだろうか。部屋の中では向かい合うように設置されたソファーや簡易的な調理スペースが付けられており、榊奴の向かいに座る水原はシェフとしてではなく、『エフ』を運営するためのオーナーとしての格好をしていた。

 

「別にかまわないわ。スタッフの意見を聞くのも私の仕事だもの。で、私にどうしろと?」

 

「単刀直入に言います。俺に協力してください」

 

「…………それをして私にどんなメリットがあるの?」

 

「言わなきゃいけませんか?」

 

「普通は、ね。でも、今回は私がどうこう言える状況じゃないみたいね」

 

 『エフ』の責任者である水原がどうして引き下がらなければいけないのか。

 その気にならば、遠月に連絡するまでもなくスタジエール中の榊奴をその一言でクビにすることが今の水原にはできる。それが、スタジエールの研修先として自分達の店を学生達に貸し出す上での店側の当然の権利だった。

 

 だが、今の水原はその権利を行使することはできない。

 

「えーと、これが『エフ』の仕入れルートで、こっちがここ数日他のスタッフに聞いた噂話から導き出した店の問題点というか、スタッフ関係のトラブル。あ、勿論裏付けは済んでますよ。証拠として機能する最低限は俺の知り合いの探偵を通して行っています。で、コイツが俺が『エフ』を潰そうと思った理由です」

 

 多分、今の榊奴の顔は水原側から見れば相当胡散臭い笑みを浮かべているだろう。

 互いのソファーの間のテーブルに次々に並べられているのは『エフ』を潰すために集めた情報の数々。一つ一つは小さなものでも、公開されればこれからの営業に確実に支障が出るものだ。勿論、間違っても公開するつもりはないが。

 

「これじゃ、まるで脅迫ね」

 

「ええ、脅迫です。だから、俺が失敗した場合でも脅迫されていたと言って切り捨ててください。ま、これくらいじゃこの店がどうとかなるとは思えないですし、公開されても揉み消されるだけですけどね」

 

 これから戦おうとしている相手はそれだけの力を持っている。

 榊奴が失敗すれば相手は何事もなかったかのように『エフ』をこのまま運営させるだろう。これは、そうなった場合の水原の負担を少しでも減らすための保険だ。

 

 なにせ、今回敵に回す相手は今まででも最大級だ。

 遠月十傑や卒業生達よりも遥かに巨大な相手。それらを相手取る上で自分以外の負担は最低限にしておきたい。

 

 その覚悟が伝わったのか。

 苦い顔をしていた水原の表情が僅かに緩む。

 

「わかったわ。協力する。でも、失敗した場合は容赦なく切り捨てる。それでいい?」

 

「ありがとうございます」

 

 切り捨てるといった水原の顔はとても、冷徹に誰かを切り捨てられる人間のものではなかった。そもそも、それができるならもっと早くにそうしていたことだろう。そうしていれば少なくてもここまでにはならなかった。

 

 今の状況は水原の立場からしたらどうしようもないほどに詰んでいる。このままの状況では前に進もうにも後ろに下がろうにも最早どうする事も出来無い。

 ただ、それこそ決められたレシピ通りに調理されるのを待つだけの状態。

 

 それは一重に彼女の優しさが招いたものだった。

 無愛想なくせに誰にでも手を差し伸べる。今年の地獄の夏合宿で彼女に救われた人間は多い。自分自身もその一人だからこそ、彼女の力になりたい。

 

 だから、やるからには徹底的に、だ。

 

「で、私は何をすればいいの?」

 

「俺を厨房に入れてください。後は、いつも通りでお願いします」

 

「それだけ?」

 

「ええ、それだけです」

 

 出来るだけこちらの考えを悟られないように満面の笑みで返す。

 

「それだけで私のエフ()を潰せると?」

 

「ええ、潰しますよ。これは決定事項です。最悪、道連れにしてでも俺はこの店を変える。これがこの数日で辿り付いた俺なりのスタジエールの答えです」

 

 水原の眉が僅かにピクリ、と動く。

 

 料理人として自分の()を持つというのはひとつの目標であり、到達点である。

 水原個人は遠月卒業後、多くの卒業生がそう成し遂げたように一年未満でその目標を達成した。

 しかし、それは彼女が苦労していないということにはならない。本来何十年も掛けて下地を作り上げた上で成し遂げることを遠月学園という強力な後ろ盾があったとはいえ、驚くべき短期間で行ったのだ。それで苦労していない訳が無い。

 

 常人では推し量れないほどの苦労をして築き上げた城を榊奴のような学生に自信満々に潰せると言い放たれたのだ。これで何も思わないほうが異常だ。

 

「私はこれでも、努力をしてきたつもりよ。慣れない事も色々したし、自分だけでなくスタッフの成長に繋がるようこの店を導いた。それを、たった一人を入れるだけで壊せると?」

 

 それは紛れもない殺気だった。

 水原の全身から放たれたそれは容易く榊奴を突き刺し、その信念を折ろうとしてくる。

 

「やります。貴女が積み上げてきたもの、貴女の辿り着いた答え、その努力、その才能を俺は完膚なきまでに破壊する。容赦はしない。貴女が今まで歩んできた道がどれだけ大したことのないものだったのか、俺が証明してやる!」

 

 それは宣戦布告の合図。

 『エフ』という巨大な店と榊奴操というたった一人の戦争の始まり。

 

 スタジエール期間。残り二日の間にどちらかが確実に勝ち、どちらかが確実に負ける。

 これはそういう戦いだった。榊奴操という料理人には今の『エフ』の状況は決して許容できるものではない。『誰かの笑顔』を求めるものとして、このまま朽ち果てるくらいならこの手で壊してしまわないといけない理由がある。

 

 そして、ここにも自分の料理人としての信念に従って動いていた人間がいた。

 

「私は――――私の今までの道が間違っているとは思わない。『エフ』はそんな私の集大成。それはきっとこれからも変わらない」

 

「――――俺は、そんなちっぽけな物でアンタに満足されるわけにはいかない。俺はアンタに憧れている。でも、こんなところで立ち止まるようなら、その程度なら、俺は―――――ッ!」

 

 冷たく。

 

 ただ、冷たく言い放つ。

 

 言葉だけではなく、体温や室内の気温まで下がってしまうような声色で、榊奴はさっきまでの仮面を一瞬だけ脱ぎ捨てて本音を放つ。

 

 水原が息を飲むのを感じる。

 

 当然だ。

 それは自分自身、憎み恥ずべき本性。エゴの塊とでも言うべきものであり、今まで剥き出しで他人に見せたのは数回ほどしかないもの。

 あまりに自分勝手で、他人には不利益しか生まないものだからと、普段は絶対に外には出さないものだが、今回はこのエゴこそが『エフ』攻略の鍵になるのは間違いない。

 

 生まれ持った料理人としての才能が皆無だからこそ生まれたのがこの全てを()()()()()()()()()()()()()だ。それはきっと『エフ』を飲み込んでも足りない。次へ、次へと欲望の赴くままにひたすらに自らの道を進む。

 

 冷たく。

 

 どこまでも、人としての暖かさなど見当たらないほどに冷たくなっていく心は、しかし、ここで踏みとどまる。

 

 これ以上行けば、一生料理で笑顔を生み出すことなど出来はしない。それだけはダメだ。それだけは認められない。

 

「失礼しました。見苦しいものを見せてしまって。一応、これが俺の覚悟なんですけど、どうですか?」

 

 最低限暖かさを取り戻した笑みで対面の相手の顔色を伺う。

 今の本性が、他人に畏怖を与える類のものだと自覚しているだけに、怖がらせてはいないだろうか。

 

 しかし、その考えは杞憂に終わる。

 

 向かい合った水原は先程と変わらず、それどころかどこか安心したかのように顔をほころばせていた。

 

「ひとつ聞かせて」

 

「何です?」 

 

「一応、貴方も園果も今回のスタジエールの基準を満たしていたわ。このままいけば問題なく課題をクリアできた。私は操がそれを理解していなかったとは思えない。どうして、こんなことをしようと思ったの?」

 

 水原の問いに榊奴は「ああ、そんな事ですか」と、返す。

 そして、本来なら説明するつもりはなかったが、と言いながら。

 

「最初は―――――そう、じつを言うと最初はこのまま厨房以外で上手くやってこの課題を突破するつもりでした。なにせ、今回は俺じゃ木久地(絶対に勝てない相手)がいますからね。普段なら協力するところですけど、今回のような状況じゃ同じ場所にいても比べられて優劣を付けられてしまう。それなら、と。逃げ続けるつもりでした」

 

「…………その判断は間違ってない。貴方達を始めてみたのはあの合宿だけど、その時から比べても二人の実力は離れていっている。今の操じゃ、園果にも()()()にも勝てないわ」

 

「はは、厳しいですね。確かに俺には早く作ることも、美味しく作ることも、自力で何かを生み出すことすら出来無い。今の俺に出来るのはただ誰かの作ったレシピ通りに料理することだけだ。でも、それじゃあいつらにも、水原さん。貴女にも勝てやしない。――――――それでも、俺は遠月の人間です。あの学園で培ったのは料理の知識や技術だけじゃない。たまには俺も、誰かに勝ちたいと思うんですよ」

 




 
水原「ここで私は満足よ」

榊奴「こんなところで満足されてたまるか!」


 今回は長くなってしまったので二話に分けることになりました。
 次は水原さん視点ともう一つ、第三勢力の参戦です。

 既に『エフ』のライフは準鉄壁ラインに入りました。
 









 おまけ

榊奴「協力してもらってありがとうございます!」

水原「こんなもの使って脅迫までして、協力とはね」

榊奴「いやー、これで済んでよかったですよ。一応、他にも用意していたんですけど」

水原「因みにどんなのを用意していたの?」

榊奴「えーと、他にはですね。極秘ルート(キャラ弁部)から入手した水原さんのコスプレマル秘生写真セットとこれまた極秘ルート(十傑の部屋に残ってた)で取った十傑時代に失敗した料理を責任もって食べさせられている涙目の水原さんとか。いやー、可愛いですね。ほら、特にここ、四宮さんに負けてムキになりながら、向かっていく写真とか――――」

水原「…………」

榊奴「他にも、あれ、どうしたんですか?無言で立ち上がって。え、なんでアイアンクローを? ッ、と、解けない!? 一体その細腕のどこにそんな握力が!」

水原「私の道に後悔はないといったわね。どうやら、あれはウソだったみたい。――――ちょっと、お話しようか」

榊奴「いや、ホント勘弁してくださ―――――」




水原「これで全部?」

榊奴「…………はい」

水原「そう」

榊奴「(よし、取り敢えず最上級レアリティの寝起きバージョンは死守しましたよ!日向子さん!)―――あ、いや、もう隠していませんよ。本当ですよ?」














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