食戟のソーマ―愚才の料理人―   作:fukayu

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 今回は前話での遠スポで一面を飾っていたとある事件についてのお話です。


動き出す陰謀

「これは一体どういうことだ!?」

 

 薙切せりかと須郷圭一の食戟から数時間後、とある高層ビルの最上階に男の怒号が響いていた。

 男は元第九席須郷圭一の実父であり、食品関係で強い影響力を持つ須郷グループの全てを牛耳る絶対権力者だった。

 

 しかし、数時間前に行われたとある賭けによる大敗で絶対権力者どころか今やその地位すらも危ういという所まで追い詰められている。

 

「あれは絶対に勝てる勝負ではなかったのか!」

 

「にゃははー」

 

「貴様ァ!!」

 

 男がその怒りの眼を向ける相手の少女は青白いその髪を揺らしながらいつもと変わらぬ愛想笑いを浮かべ続ける。

 その様子が気に入らなかったのか男は更に機嫌を悪くし、今にも殴りかかりそのまま少女を亡き者にしようという怒気すら纏ってしまう。

 しかし、それはそれ。これはこれ。

 この程度の怒りに身を任せた威嚇行為など少女があの学園でくぐり抜けてきた修羅場に比べればその笑みを消すには圧倒的に役者不足だ。

 

「一体今日のゲームでどれほどの金額が動いたと思っている!!」

 

 ゲーム。

 男は遠月学園と言われる日本どころか世界屈指の料理専門学校伝統の料理対決による決闘―――通称『食戟』を利用した遠月の出資者や世界的な富豪達を引き入れての非公式の賭け事をそう呼んでいた。

 遠月の生徒達が料理人としての全てを賭けて臨む食戟は娯楽に飢えた上流階級(トップス)の人間達には最高のショーとなる。

 勝者が全てを得て、敗者が全てを失うという社会の縮図とも言える光景を見世物としたそのゲームは瞬く間に勢いを増し、出資者としての権限で学園内に設置させたカメラによって自前のスクリーンでポップコーンとコーラを片手に勝敗を予想するだけの行為で男は無数の利益を出していた。

 ”利益を出す”というのはこういう賭け事では絶対に勝てる細工をしているということに等しい。

 

 今回もそうだった。

 遠月の頂点と言われる十傑同士の食戟に観客は湧き、無数の金が動く。

 男はいつものように遠月に通う息子が必ず勝つような細工を仕掛けて待つだけでいい。

 相手は遠月を統べる”薙切”の名を持つだけで十傑の席を用意されただけのお飾り。愚かにも自分が持つ殆どの権限をその食戟に賭けたということで息子が勝つことで結果的には男のものとなるそれらを巡って既にいくつかの商談が設けられているほどだった。

 最高の食材を用意してやり、会場全てを覆い尽くすほどの観客を用意する。駄目押しに審査員を押さえるなどという明らかな不正行為すら行った。敗北などはありえない。後はどれだけ出資者達が喜ぶような演出ができるかそれだけの筈だった。

 

 そう、この賭けは絶対に負けるはずの無いものだった。

 

「わたしはあくまで貴方のお子さんの須郷圭一さんが勝つ確率を少しでも高くするお手伝いをしただけですよー。でも、ゼロに何を掛けたところでゼロなように無駄な行為だったみたいですがねー」

 

 今まで数々のゲームを演出し、この最大級の食戟をセッティングした現第八席を名乗る少女が裏切るなど予想すらしていなかった。

 

「ま、さ、か、最初からこうするつもりでこの私に近づいたのか?」

 

「駄目ですよー。成功者ってのは何時如何なる時も裏切りにだけは注意しなくちゃ。そうしないと――――――こォォォォォンな事になっちゃうんですからー」

 

 愛想笑いが一変、少女の顔が下劣な笑みに染まるのを確認していよいよ男の我慢は限界を超えた。

 

「わかった。貴様とはもうこれまでだ!」

 

 机の引き出しにしまわれた護身用の拳銃を取り出し、怒れる手つきで銃口を少女に向ける。

 

「なんの真似ですかー?」

 

「わからんか?邪魔なものは処分するんだよ。貴様の次は私に恥をかかせたあの愚かな息子だ。私の受けた屈辱を数百倍にしてから殺してやる!」

 

「散々利用して、用済みになれば捨てるなんて貴方にとって私も息子さんもトイレットペーパー程度の価値しかないんですね。残念です、もうちょっと楽しみたかったのですが」

 

「命乞いは無駄だ」

 

「それはどうでしょう?」

 

 いたずらめいた少女の表情を確認することも億劫だった。

 躊躇なく引き金が惹かれ、黒塗りの銃器から火薬の匂いと共に鉛の塊が放たれる。それはこの状況においても笑みを崩さない少女に向かって一直線に飛来し、直後ビルのガラスを突き破り少女を庇うように出現した何か(・・)へと吸い込まれるように着弾する。

 

「なっ!?」

 

 男が驚くのも無視して少女は自らをかばった相手へと芝居掛かった様子で駆け寄っていく。

 

「いやーん、怖かったですぅ。先輩(・・)ぃ」

 

 それは二mを優に超える巨漢だった。

 巌のようなその身体には銃弾による傷は見当たらず、代わりに鉛玉が着弾したと思われる部分が何かを取り込んでいるかのように脈動している。

 

「…………鉄分は人間の身体を作る上で非常に重要な栄養素だ」

 

「にゃはは、世界中を探しても銃弾を鉄分だって言って取り込もうとするのは豪雪山先輩だけですよぅ」

 

「…………お前のその話し方は苦手だ」

 

 少女の猫撫で声に微妙な表情をする遠月学園第六席豪雪山武蔵は地上五十mを超えるガラス張りのビルに対し、命綱無しのロッククライミングを敢行したその身で息一つ切らさず目の前の後輩にその凶弾を向けた男を静かに睨みつける。

 

「…………ここが山ならお前は既に二十回ほど死んでいる。その類の銃器は迂闊に獣を呼び寄せるだけだ。肉体の鍛錬をススメる」

 

「あれれ、可愛い後輩をよくもっ!みたいな反応はないんですかー?」

 

「…………八神、お前も十傑の一人だ。あれくらいは避けられるだろう」

 

「それはそれ。これはこれっ!と、いうことで。可愛いヒロインのピンチには野獣系ヒーローの登場が不可欠なんですよ」

 

「……………そう、か」

 

「ック!!」

 

 何を納得したのか巨漢は引き続き少女をかばうように一歩前に出る。

 そのあまりの威圧感に銃という普通に考えればどうしようもないほどの優位性を持っているはずの男は一歩、また一歩と後退りすることになる。

 

「これでも苦労したんですよゥ?須郷財閥といえば薙切には及ばないものの数十代に渡って続く名家ですし、他ならぬ貴方も学生時代は元十傑。この社会では強力なカードですゥしィー?近づくのは容易じゃなかった。でもでもゥ、自分が出来たからって子供にそれ以上を求めるのは酷じゃないですかねェ?学年トップが当たり前、十傑入りしなければゴミクズ以下だーとか、いますよねェそういう典型的なバカ親。ちょっと褒めてやるだけで大分違いますのにィ」

 

「はっ、褒めるだと?そんな事をして何になる。なぜ私の利益にもならない事をしなければならんのだ?」

 

「にゃはは、いいですよゥ。最高に面白くなってきましたー。芸術家(エンターテイナー)冥利に尽きるというやつです。と、いうことで今回の特別ゲストの登場でーす!」

 

 狂笑の仮面を付けた道化師は恭しく頭を垂れながら舞台袖に下がり、それと入れ替わるようにして室内へと進み出てきた車椅子の少女を見て今度こそ男の表情が凍りつく。

 

 なぜ、この少女が――――そう思わずにはいられなかった。

 銃弾をものともしない益荒男や笑み以外の一切感情を表さない気味の悪い道化師に比べれば新たに現れたこのひ弱な少女など障害としては最も容易いものだといえる。

 それなのに―――――優しく、聖母のような笑みを浮かべる少女に男は一瞬の安らぎすら感じなかった。

 

「薙、切、せりか」

 

「……………」

 

 男の言葉に答えるでもなく、魔女はただ微笑みを浮かべていた。ただ、その笑みが一般的に好意的に受け取られるものに対し、真逆かそれ以上の意味合いを持っていることは言うまでもない。彼女からすれば目の前の男は自分や学園を利用して私腹を肥やす害虫にも似た存在なのだ。

 

 人生という長い道のりを歩く上で相手の立場になって考えるというのは非常に重要な技能の一つである。それはビジネスに関しても同じで自分にとっての利益と相手にとっての利益を天秤に掛け、最大限の成果を上げることが成功の秘訣だ。この見積もりを誤り、相手との修復不可能な溝が出来てしまえば手に入るはずの利益は一転してそれ以上の不利益へと変わる。

 今回のビジネスにおいて相手方というのは男と同じく遠月を影で食い物としていた連中だが、それ以前のものとして賭けの対象となる彼女達が存在しなければこのビジネスは成り立たない。

 交渉役兼緩衝材として遠月でも強い発言力を持つ十傑の一人を抱え込んでいたが、それも今さっき破綻した。残ったのは先日の食戟での莫大な損失と今まで散々利用していた彼女たちとのどうしようもない程の溝。待つのは破滅という二文字だということは今まで多くの人間を逆の立場で見捨ててきた彼にはよくわかっていた。

 

 そこまで考えて、男はいつの間にか自分がこの勝負に最初から負けていると錯覚していたことに気づく。

 

(――――っ、こんな小娘ごときに何を臆すことがある!所詮は薙切の名が無ければ何も出来ん小娘。他の二人にしてもそうだ。十傑評議会など所詮は学生のお遊び。そんなもの我が財閥の力とは比べ物にもならん!!)

 

 今までの過程はあくまで対等な相手だからこそ成り立つものだ。

 世界的な財閥のトップと一介の学生組織が同条件など有り得るはずもない。この状況さえ乗り越えられれば後から適当な理由付けをしてどうとでもできる。

 

 そう、この状況さえ乗り越えられれば――――

 

「ふぅ、今日は疲れました。もう休みたいので帰りますね?」

 

「―――――は?」

 

 一瞬何を言われたのか理解ができなかった。

 車椅子の少女は見た目相応に小さくあくびをすると、自身の身体の向きを反転させ元来た道を戻ろうとする。

 

「あれ、帰っちゃうんですかー?ここからいいとこですのにぃ」

 

「私は記念だから来いと言われたので来ただけですよ。こんなところに興味はありません。面倒事は嫌いです」

 

「ま、いいですけど。でも、これで今日のことはチャラでお願いしますよ?わたし、これでもみんなを騙していたみたいですっごく心が痛んですからー」

 

「…………八神、心にも思っていないことは言わないほうがいい。言葉の価値が下がる」

 

 少女に続くように次々と帰ろうとする学生達には先程までの他を圧倒するように雰囲気は一切感じられず、この部屋の唯一の入口であり、出口である扉に手をかける。

 

 ”支配者曰く、支配とは気づいたときには既に完了している”

 

 扉の向こうの風景を見た瞬間、男の脳裏にはそんな言葉が浮かんでいた。

 

「あ、言い忘れてました。今までご苦労様です。これからは私が彼らの主人ですので、どうぞ気楽に余生を過ごして構いませんよ?」

 

 チラリと見えた魔女の横顔を見た瞬間全てを理解する。同時に背筋に凍った刃を突き刺すような感覚が襲う。

 

 利用されていたのは誰なのか。

 一体どちらが先に仕掛けたのか。

 そして、最初から最後まで踊らされていたのは一体どこのどいつだったのか。

 

「ば、馬鹿な――――」

 

 扉の先には魔女と呼ばれる少女に忠誠を誓うように膝まづく無数の人の列。初めに思いついたのは彼女の元々の配下である遠月学園か薙切の手のモノ。しかし、その中に今朝も自分に媚びへつらうように挨拶をしてきた人間が何人かいることに気づき、その過程を否定する。

 次は、次こそは、次ならば―――――いくつもの仮説を立て、必死に最も真実に近いであろう解答から目を背け続ける。

 現実逃避しかけていた思考を現実に引き戻したのは学生時代からともに歩み、男が財閥という自らの城で最も信頼していた料理人の言葉だった。

 

「ボス、今までお世話になりました」

 

「何を――――一体何を言っている!お前は、お前たちは!!私のっ!!!!」

 

「申し訳ありません。俺は料理人だった。あなたと違って俺は料理人としてこの財閥を持ち上げようと思っていた」

 

「そ、そうだ。そうだろう!私達はいつか薙切を超え、この社会の頂点へと登ると誓った!」

 

「はい。そうです。でもね、」

 

 料理人の声が変わる。

 その目は目の前のかつて友と呼んでいた男ではなく、車椅子に乗っただけの弱々しい少女に向けられる。

 

「俺は知ってしまった。彼女のレシピを!知っていますか?俺が数十年掛けて磨いた技術を彼女のレシピは余すこと無く”利用”してくれるんですよ?俺がどれだけ努力しても届かなかった栄光をたった一皿で軽々とこの手に収めさせてくれた!!あなたも料理人だったならわかるだろう?俺達は、俺達料理人はたった一つの栄光のためならすべてを捨てられる。俺は彼女に――――いや、この方にそれを与えられた!」

 

 正気ではなかった。

 正気であってたまるものか。

 既に料理人はかつて男が知っている存在ではなく、ただ一つの栄光を求めるだけの狂人だった。その眼は虚ろで有りながらその身体は全盛期のように力強く、野心に燃えていた。

 一度も見たことのない姿。一度たりとも見たくなかった狂気がそこにあった。

 

「い、いつからだ」

 

「え?」

 

「いつからこんな計画を進めていた!」

 

「計画?何のことですか?料理を作るのにそう何日も必要ありませんでしたよ?厨房にはよく下ごしらえされた食材もありましたし、設備も十分でした。あとは即興でレシピを作って料理を作る。ね、簡単でしょう?」

 

「は、はははは。なんだそれは――――本当に何なんだよ」

 

 その日、料理会からひとつの財閥が消え、いくつかの至高のレシピが生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第八席は自身の電話帳の上から三番目にある『あざみん』と登録された番号を呼び出す。

 相手は数回の呼び出し音の後出た。

 

『やあ、君から掛けてくるとは珍しいね』

 

 電話越しにも感じられる圧倒的な支配者としての邪気がすぐさま五感全てを臨戦態勢へと変化させる。一瞬でも気を抜けば気づかぬうちに『彼』の操り人形と成り果ててしまうのは前任者達を見て嫌というほど学んでいる。

 生まれながらの支配者というのは薙切という前例がいるが、『彼』は支配者であったが故に薙切となった。支配者であることを義務付けられる一族にとって『彼』程魅力的な条件を揃えた若者は正しく至高の玉であっただろう。

 

「いえいえ、ちょっとした業務連絡ですぅ。――――先の件、滞りなく完了しました。取りこぼしはリストを送っといたのでそちらでどうにでもしてください。でも、本当にマメですねぇ。追放された身なのにこうして影から遠月の敵を排除しようなんて」

 

『なに、いずれ僕のものとなる場所だ。これくらいの害虫駆除は義務の一つだよ』

 

「そうですかー。それはそれは。ま、再利用だけは考えないでくださいよ?彼らもあの食戟が終わってから大量に彼女のレシピを買い漁ってましたから。もう今頃は何人使い物にならなくなっていることやら」

 

 魔女という名は伊達ではない。

 確かにそのレシピは料理人に強大な力を与えるが、それは同時に殆どの料理人にとっては通常の方法では辿り着けない味をいとも簡単に出させてしまうことになる。通常数年単位の修行で到達できる味が決して自分たちでは作り出せないレシピで導き出されるなど軽いホラーだ。

 人間とは常に上を目指す。そこに美味しいものがあればそれを食べるし、それ以下のものには目もくれない。たった一つのレシピを仕入れた店は遅かれ早かれその事実に気づき、次のレシピを求めるがあの気まぐれな魔女がそう安安と新しいものを書いてくれるわけがない。下手な薬物よりも中毒性のあるそのレシピは既にいくつもの料理人を破壊しつくしてきた。

 

『それはそれで好都合だ。周りの評価で地震のそれを簡単に変える豚共もそうだが、そもそもそんなものだけに頼る料理人など料理人ではなく家畜に餌を作る飼育員に過ぎない』

 

「にゃはは、さっすがですねー。そこに憧れはしませんけど痺れちゃいます!」

 

 通話は途切れ、笑顔を取り付けた道化師は夢想する。

 

 堂島銀は実直だったが故に網にすらかからなかった。。

 才波城一郎は自由奔放さが仇となった。

 そして、『彼』は究極の美食を追い求める薙切にとってこれ以上ない存在だったが、最終的にそのあまりに危険な思想に耐えられなかったのは薙切の方だった。

 

 最終的に力づくとも言える手段で追放されこそしたが、その底は未だ見えず多くの者を虜にしている。

 そのカリスマが果たして遠月という巨城まで届くかどうか

 

「ま、八神真理という人間は自分が楽しければそれでいいんですよー。楽しければそれで、ね」

 


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