シンデレラと魔法使い   作:ルシエド

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どっちの作品もちょっと未来の話


彼女の希望

 アイドルとそのファンを見て「宗教だ」と言う者が居る。

 「何故この世界から戦争が無くならないか理解できた」と言う者も居る。

 ファンの大半が良心的な者だったとしても、外野からはそう見られてしまうことがある。

 それは一部の過激な者が、時に目を覆いたくなるような行動に出てしまうからだ。

 

「くそ、くそ、くそがァ……!」

 

 カーテンを締め切り、昼間にも関わらず光源を室内灯に頼るひきこもりの部屋。

 そんな部屋の片隅でモニターを食い入るように凝視し、歯を食いしばって鬼のような形相をしながら、キーボードを壊しかねない勢いで叩いている男が居た。

 彼の言葉は人に向いていない。マイクに向いている、ということもない。

 その罵倒は画面の向こう側、匿名掲示板の住民に向けられていた。

 

「死ねっ! 死ねっ!」

 

 画面の向こうのそのまた向こうの人間に届くはずがないというのに。

 激昂し、興奮しきっている彼にはそれすら分からない。

 

 ここまでの経緯は、言葉にすれば単純だった。

 とあるアイドルの優劣を決めるようとする番組で、アイドルAがアイドルBに勝利した。

 所詮は番組。絶対的な優劣が決まるわけではない、所詮お遊びだ。

 しかし、アイドルBはこれまでの放送でアイドルAにいつも勝ち続けており、瞬間的に所謂『祭り』になってしまったのである。

 この熱狂が、数人のファンを笑えない愚行に走らせた。

 

 アイドルAのファンの中の複数人が、アイドルBのファンスレに突撃し、煽りを始めたのだ。

 それも記すことすらはばかられるような内容で、アイドルBのファンも激昂。

 その激昂するアイドルBのファンの一人が、この引きこもり男、というわけだ。

 

 アイドルAの名は『緒方智絵里』。

 アイドルBの名は『椎名法子』といった。

 

「許さん……許さん……!」

 

 彼は思う。

 こいつらを最大限まで苦しめてやりたい、と。

 自分達のやったことが、どれだけ他人を不快な気持ちにさせたのか、知らしめた上で後悔させてやる、と。

 先日たまたま見つけた怪しいサイトのブックマークを開き、後先何も考えず、なりふり構わず『購入』のボタンをクリックする。

 

 一週間の後、彼は届いた荷物の梱包を力任せに破き捨てていた。

 梱包に書かれた『財団X』の字がちぎれて読めなくなっていく。

 構わず男はちぎり続け、『Proto Philosopher's Stone』と『Proto Create Wizard Ring』と書かれた二つの箱を勢いよく開ける。

 前者の箱の中には赤い石が、後者の箱の中には世界を飲み込む嵐の絵が刻まれた指輪が入っていた。

 

「ふ、ふ、ふひひ、これで奴らに然るべき罰を下してやれる……!」

 

 男は指輪を右手の中指に嵌め、赤い石へと当てる。

 

「出て来い、『ジャヴァウォック』!

 全てを壊せ! お前が俺の! 最後の希望だぁ!」

 

 すると、指輪と赤い石が液体のようになり、融け合い、膨らみ、男の叫びを飲み込んでどんどん膨張していく。

 やがて指輪と石が融け合ったそれは、怪物の形へと変化した。

 怪物は生まれる過程で飲み込んだ男の叫びと願望から全てを聞いていた。

 ゆえに、何も聞く必要はない。

 その怪物は、男の願いを力と恐怖によって叶えようとする。

 

「聞き届けたぞ、我が主。

 このファントム『ジャヴァウォック』が、最高のパーティータイムをご覧に入れよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンデレラプロジェクト。

 今、この国でも五指に入るであろう注目を受けているアイドルプロジェクトである。

 美城芸能プロダクションが主導し、個性ある14人のアイドルの卵を複数のユニット等で分け、アイドル達を連続デビューさせていく。

 当初は鳴かず飛ばずのアイドルを量産するだけに終わるのではないかと危惧されていたが、蓋を開けてみればそれぞれが個性あるアイドルとして高い評価を受けるに至っていた。

 

 そして、今日の日付は12月31日。

 シンデレラプロジェクトのアイドル達、美城プロのアイドル達、アイドルのファン達が心待ちにするイベント『年越しニューイヤーライブ』がその夜に迫っている日であった。

 年越しライブで大規模な会場を満員に出来るアイドルの人気と集客力も凄まじいが、地上波生放送で流される、という点も一プロダクションのライブとしては規格外だろう。

 ゆえにか、プロダクション所属のアイドル達も皆「失敗できない」と張り切っており、その緊張がいい意味でも悪い意味でも当人達に影響を与えていた。

 

「……はい、はい。では、また後ほど」

 

 その『当人』にはアイドルだけではなく、プロデューサー等の周囲の人物達も含まれる。

 どこかのビルの前で、男は携帯片手にどこかの誰かと話をしていた。

 高い身長、ゴツい体格、悪い目つき。十人が十人「ありゃ何人か殺ってる」と断言するほどの恵まれてるのか恵まれていないのかよく分からない顔つきを持つ男。

 通話を終えた強面の彼こそが、美城プロダクションのプロデューサー。

 そして、シンデレラプロジェクトを成功に導いた立役者でもある。

 

「プロデューサー、間に合うでしょうか……?」

 

「東北の仕事がここまで食い込んだのは予想外でしたが、問題ありません。

 まだ年越しニューイヤーライブには十分間に合う時間でしょう」

 

 少女が不安そうに殺し屋顔のプロデューサーに話しかける。

 彼女の名は『緒方智絵里』(おがた ちえり)

 このプロデューサーがシンデレラプロジェクトに採用したアイドルの卵の中でも、『可愛い』という要素においてトップを争えるほどに可愛らしい少女である。

 容姿も可愛らしければ、仕草の一つ一つも可愛らしく、性格や話し方も可愛らしい。

 男性、特に年下が好きな嗜好がある人間には強烈に好かれる、そういうタイプの少女……否、アイドルだった。

 

「よかった、間に合わなかったらどうしようかと……」

 

 智絵里はほっとした様子で胸を撫で下ろす。

 彼女らがここに居る理由は二つ。まず一つ目が、予定外の食事の購入のため。

 そして彼女らが時間を気にし、予定外の食事を購入せざるを得なくなった理由が、もう一つの理由。イベントでのトラブルによる、スケジュールの遅延であった。

 今回はプロジェクトの責任者であるプロデューサーがその場に居たからどうにかなったものの、もしも彼が居なければ、智絵里は確実にニューイヤーライブには間に合わなかっただろう。

 見るからに自分の失敗を引きずりそうな雰囲気をしている彼女なら、そが原因で「周りに迷惑をかけてしまった」と思い込み塞ぎこんでいても何ら不思議ではない。

 

「プロデューサー、ありがとうございます。

 プロデューサーが居なかったら、本当にどうなっていたか……」

 

貴女達(アイドル)を助けることが私の仕事です。お気になさらず、緒方さん」

 

 干支一回りは年下の智絵里にも礼儀を尽くし、愛想笑いの一つもせず、無愛想かつ誠実に対応する不器用なプロデューサー。

 無愛想なその表情の下に、実は熱くて必死になれる顔があることを、智絵里含む彼にプロデュースされたアイドル達はよく知っている。

 だから、彼は頼りになるのだ。

 

「では、車に乗ってください。高速を使って一気に移動します」

 

「はい、分かりました」

 

 プロデューサーに促され、智絵里は車に乗ろうとする。

 だが、その時。

 

(……?)

 

 智絵里は何故か、どこからか自分が見られているように感じた。

 嫌な視線。ライブで多種多様な視線を受け慣れている智絵里だからこそ気付くことが出来た視線であり、そんな彼女でも初めて身に受ける視線。

 その視線に込められた意思。それは俗に言う、『殺意』と呼ばれるものであった。

 殺意に足を止めた、智絵里の生来の臆病さ。

 それが結果的に、彼女自身の命を守ることとなった。

 

「―――!?」

 

 智絵里が乗ろうとしていた、けれどまだ誰も乗っていなかった白のワンボックスカーが、智絵里の目の前で宙を舞う。

 それが、何者かが槍の一振りで為したのだということ。

 及び、その『何者』が人間ではない、化け物であったこと。

 プロデューサーはその二つを同時に認識するも、その二つを認めることを理性が拒絶していた。

 

「な、これは……!?」

 

 灰色の体色、人に近い体型、ホラー映画にでも出てきそうな恐怖を煽るその姿。

 車をひっくり返すだけの腕力を持ちながら、その怪物は一体だけではない。

 プロデューサーと智絵里の視界の中だけでも、十体以上は居るように見える。

 そんな怪物達が、プロデューサーと智絵里に視線をやった。

 

「緒方さん、走って! 逃げるんです!」

 

「は、はいっ」

 

 こんな化け物が現実にいるはずがない、という常識的な思考を振り払い、プロデューサーは智絵里に叫ぶ。

 智絵里も何が何だか分からないまま、しゃにむに走る。

 化け物が手に持った槍を投げると、槍は爆弾のように爆発を起こした。

 地面が揺れ、智絵里が転ぶ。

 ビルが崩れ、智絵里の頭上に瓦礫が迫る。

 彼女の側には誰も居ない。プロデューサーもはぐれてしまったようで、そこには居なかった。

 

(誰か……)

 

 だから、彼女は祈る。弱々しくとも、助けを求める。

 

(誰か、助けてっ……!)

 

 力を持たない、助けを求めるか弱き少女の切なる祈り。

 これで助けが来るなんて奇跡、ご都合主義が現実にあるもんかと、そう叫ぶ者も多いだろう。

 しかし、それでいい。

 「ありえない」と言う人間が圧倒的多数でも構わない。

 ありえないことをするのが、"魔法使い"なのだから。

 

《 Defend Please. 》

 

 智絵里の頭上に、『魔法陣』としか言えないようなものが展開される。

 魔法陣の色は赤。と、言うより、燃え盛る魔法陣は炎の色そのものだ、とでも言うべきか。

 なのに魔法陣に守られている智絵里当人には、熱を全く感じさせないようにしているものだから、智絵里にはその魔法陣はむしろ赤色の宝石のように見えた。

 魔法陣にぶつかった瓦礫が、片っ端から熱そうな音を立てて消えて行く。

 

「大丈夫かな、お姫様?」

 

 頭上の魔法陣を見上げていた智絵里が、後方に振り返る。

 そこには女の人にたいそうモテそうな、そんな美男子が立っていた。

 学校の教師にでもなれば、女生徒の半分以上の初恋の相手になっていそうな、優しそうで気軽に話してくれそうな雰囲気を持っている、そんな美男子。

 高身長のその男を、座り込んでいる低身長の智絵里が見上げ、彼女は問う。

 

「あの、貴方は……?」

 

 男は笑って、手に嵌めた指輪を見せながら、智絵里に名を名乗った。

 

「俺は『操真晴人』(そうまはると)。お節介な"魔法使い"さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男はドーナツを食べていた。

 男は休日だった。

 男は正義の味方と呼ばれることもある、希望の味方だった。

 

「ふぅん、流石ドナキチと言われるだけある。

 この椎名法子プロデュースのドーナツシリーズ、悪くないね。

 特にプレーンシュガーがあるってのがいい」

 

 ベンチに座り、現役アイドルが考えたドーナツを実際に作って販売するという企画で人気を博したドーナツを食べ、男は休日を堪能する。

 ほのぼのと安らぐ、至福の時間。

 だがそれも長くは続かず、爆発音が男の意識をかちりと切り替えた。

 

「ったく、悪役は正義の味方よりずっと働き者だから困る」

 

 男は立ち上がる。

 そこには先程まであった穏やかな表情、ドーナツへの歓喜、安らいでいた雰囲気は欠片も存在しない。男は、既に戦士とそれへと自分を切り替えていた。

 彼の視界の先では、灰色の化け物達が人間を襲おうと大きな槍を振りかぶっている。

 それが『ファントム』によって生み出された尖兵『グール』であることを、男は知っていた。

 

「無能な働き者と悪役の働き者、どっちが厄介なのか分かったもんじゃねえな」

 

 男は懐に手を突っ込むと、何かを取り出す。

 指輪だ。それは装飾が大き過ぎるようにも見えたが、れっきとした指輪だった。

 彼が右手中指にその指を嵌め、腰にかざすとベルトが現れる。

 更に別の指輪に付け替えベルトにかざすと、周囲の瓦礫に押し潰されそうになっていた人達全ての頭上に、魔法陣が現れた。

 

《 Driver On. Gravity Please. 》

 

 魔法陣は重力をひっくり返し、瓦礫の落下を止める。

 無差別なグールによるビルの破壊が原因で、瓦礫に潰されそうになっていた人達が逃げ出したのを見届けてから、男は重力制御を解除した。

 

「よっと!」

 

 男の存在に気付いたグールの一体が彼に襲いかかるが、彼は全く動揺しない。

 あくまでクールに、グールの動きを見切ってかわす。

 反撃に回し蹴りをお見舞いしてぶっ飛ばし、そこでまた新たに瓦礫に潰されそうになっている少女を、遠目だが見つけた。

 が、位置が微妙に悪かった。そこで少女を守るために重力を操ってしまうと、少女近くにあったビルに変な力がかかり、倒壊の可能性が出てきてしまう、そういう位置だった。

 だからか彼は、より少ない魔力でより精密により正確に守りの力を発せられる、そんな魔法を重力魔法の代わりにチョイスする。

 

《 Defend Please. 》

 

 少女の頭上に炎の魔法陣による防壁が展開され、瓦礫は触れる端から燃え尽きていく。

 瓦礫ですら燃え尽き、あるいは蒸発する熱量を秘めた防壁。

 しかしどこまでも守るための魔法である以上、少女は熱さなんて全く感じていないはずだ。

 

「大丈夫かな、お姫様?」

 

 男は余裕そうに笑う。

 余裕がなくたって、余裕がありそうに笑う。

 苦しい中で必死に戦いながらも、減らず口を叩いて笑う。

 それが他人を安心させる行為であり、他人の希望を守るために有効なのだと、彼は知っている。

 

「あの、貴方は……?」

 

 彼は、希望を守る魔法使い。

 

「俺は操真晴人。お節介な魔法使いさ」

 

 指輪の魔法使い(ウィザード)

 悪党は彼を、『仮面ライダーウィザード』と呼ぶ。

 

(どうやら奴らの狙いはこの子みたいだな)

 

 その少女を視界に入れたグールが皆、この少女を狙って一直線に走ってくる。

 狙いはこの子と見て間違いなさそうだ。

 ならば晴人が選ぶ選択はただひとつ。この少女を守りながら、全ての敵を打ち倒すのみ。

 

「お姫様、名前は?」

 

「え? あ……お、緒方智絵里、です」

 

「良い名前じゃないか。なんとなく頭が良さそうだ」

 

 名前を聞くだけ聞き、晴人は左手にも指輪をはめる。

 右手の指輪は魔法を使うための指輪だった。

 ならば、左手の指輪はどう使うのか?

 

《 Shaba Do Be Touch Henshin. Shaba Do Be Touch Henshin. 》

 

「変身」

 

《 Flame Please. Heat Heat! Heat Heat Heat! 》

 

 稼働したドライバーに、晴人が左手の赤い指輪をかざす。

 すると、彼の体は一瞬で鎧とローブを融合させた『魔法使いの戦闘服』を纏った姿へと変貌していた。

 身を変えると書いて『変身』。一瞬で行われたその変化は、まさに魔法の名に恥じぬもの。

 

「さあ、ショータイムだ」

 

《 Connect Please. 》

 

 続けて晴人は空間を繋げる召喚魔法を起動、何もない空間から武器を取り出した。

 銃と剣を融合させた武器であり、同時に魔法使いの杖でもあるウィザーソードガン。

 晴人が取り出したそれをひとたび振れば、一度に襲いかかろうとしていたグールどもが三体同時に上半身と下半身を切り分けられる。

 智絵里に群がっていたグールの集団は、それで一瞬だじろいだ。

 晴人はその一瞬の隙を見逃さず、遠方で別の誰かに襲いかかろうとしている数体のはぐれたグールを見据える。

 

「観客巻き込んでの乱闘は感心しないな」

 

 そしてウィザーソードガンを剣から銃へと変形させ、恐るべき速度で連射した。

 晴人の魔力で出来た弾丸は銃口から放たれた後は彼の望むままに動き、遠い個体から順にその脳天を容赦なく貫いていく。

 晴人が手にした武器が剣ではなく銃になっているのを見たグールは、数にあかせて接近戦で袋叩きにするチャンスであると錯覚し、四方八方から飛びかかる。

 

「遅い!」

 

 だが、その程度の思惑、操真晴人は読みきっていた。

 グールの包囲攻撃を晴人は高くジャンプしてかわし、囲んで晴人を叩こうとした結果、グール達は互いの体が互いに絡まってしまい、身動きがとれなくなってしまった。

 当然、指輪の魔法使いがその隙を見逃すわけがない。

 跳び上がった空中で指輪を付け替え、頭が下・足が上の上下逆さまの姿勢のまま、新たな魔法の指輪をベルトにかざした。

 

《 Le Patch Magic Touch Go! Le Patch Magic Touch Go! 》

 

「フィナーレだ」

 

《 Explosion Please. 》

 

 魔法の発動から一瞬遅れの閃光。そして閃光に僅かに遅れてやって来る、爆炎と爆音。

 晴人は途方もない威力の爆発を、極めて小規模な範囲に限定して発生させるというありえない事象を魔法によって発生させ、群がって来ていたグールを一掃。

 周囲にもうグールが残っていないことを確認してから、変身を解除した。

 

「ふぃー」

 

 踊るように、舞うように斬る。

 曲芸のように、芸術のように撃つ。

 軽業のように、流れるようにかわす。

 そして最後の締めの大技までもが美しい。

 操真晴人の戦いは、最初から最後まで出来のいいヒーローショーを見ているかのような、そんな気分になってくる、美しく洗練された戦い方だった。

 

「大丈夫ですか、えと、晴人さん」

 

「おお? 完勝したのに心配されたのは初めてだな。こっちは傷一つ無いよ、智絵里ちゃん」

 

 倒れている智絵里に手を差し伸べ、引っ張りあげてやる晴人。

 妙に女慣れしている人のような対応で、初心な智絵里は少し内心でドギマギしてしまう。

 それでも礼を言わないのは失礼だと、彼に礼を述べようとしたその時。

 ビルの向こうから、智絵里のよく知った顔が飛び出してきた。

 

「緒方さん!」

 

「プロデューサー! 無事だったんですね!」

 

「はい。私もそこの方に助けていただきました」

 

 先程まで智絵里と一緒に居たアメコミダークヒーロー顔のプロデューサーだ。

 少し擦りむいたような跡も見えるが、おおまかに無事と言っていい。

 おそらくは晴人が戦闘中に射撃で片付けたグールの内一体に追われていた、ということなのだろう。プロデューサーとしては自分も自分の担当アイドルも守ってくれた青年に、どれほど感謝をしても足りない気分であるに違いない。

 

「操真晴人だ。そこの方、じゃ呼びにくいだろ?」

 

「ありがとうございました、操真さん。

 わたくし、美城プロダクションでプロデューサーをしております、こういう者です」

 

「へえ、あのでっかいアイドル事務所の?」

 

 渡された名刺を見てそんなに若いのに大したもんだ、と言おうとして晴人はやめた。

 このプロデューサー、明らかに晴人よりも歳上である。

 自分より年上の人間に対する接し方が時々不味い、という点には晴人も痛いほど自覚があった。

 

「ここはちゃんとお礼をした上で、今回の件についてのお話を伺いたいところなのですが……」

 

 プロデューサーが、気まずそうに言いにくそうに言葉を濁す。

 彼としては、恩人である晴人にしっかりお礼がしたい。

 そして先程の怪物、怪物と晴人が戦っていた理由も聞いておきたかった。

 しかし、時間がない。

 最悪なことに、グールの襲撃により時間的余裕は消失、今から最高速度で向かってギリギリライブに間に合うかもしれない、くらいの時間的窮地に陥ってしまっていたのだ。

 

「実は時間がありません。申し訳ありませんが……

 操真さんがよろしければ一緒に美城プロの車に乗っていただけないでしょうか?

 移動しながら、車内でお話を伺いたいのです」

 

「ああ、いいよ。そんぐらいなら」

 

 晴人が軽く受けてくれたことに、プロデューサーは軽く息を吐いて胸を撫で下ろす。

 聞ける範囲であれば他人の願いを無下にせず、軽いノリで引き受けるそのスタイルこそが、晴人が他人を安心させるために自然体でやっている生き方なのだと、そう気付かぬままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ファントム』。

 それは人を襲い絶望させる、魔法使いが戦うべき怪物。

 人間の中に時たま魔力を持つ『ゲート』という存在が生まれることがある。

 ゲートはファントムによって絶望させられると、その精神の深層が共鳴し、自分の持つ魔力からファントムを新たに生み出し、それと同時に死んでしまう。

 怪物がそれを通って現世にやって来る門。開くことも閉ざされていることもある。

 ゆえに、彼らはゲートと呼ばれている。

 

 ファントムは基本的にゲートを絶望させる以外に、同族を増やす方法を持たない。

 つまり、ゲートを見つければ必ず絶望させに来る。

 ゲートはファントムを生み出すと同時に死ぬ。それは殺されるのとなんら変わりない。

 ファントムの走狗であるグールに狙われていたという点から、晴人は智絵里がゲートである可能性が高いと睨んでいた。

 

「緒方さんがその、ゲートであるということですか? 操真さん」

 

「まだ断定はできないけどね。

 例えば智絵里ちゃんの家族を絶望させるために智絵里ちゃんを殺そうとしてる、ってのもある。

 奴らの目的はあくまで絶望させることであって、殺すことじゃないからさ」

 

 互いが魔法使い、アイドルと自己紹介した時にも一悶着あったが、それは割愛。

 時刻は夜。現在、彼ら三人は破壊されたグールに破壊された車を今は諦め、無事だったもう一台の車を使って三人で移動している。

 運転席にプロデューサー、後部座席に晴人と智絵里。

 破壊された車の方にではなく、こちらの車の方に智絵里のステージ衣装などを乗せていたのは、不幸中の幸いだった。

 もしも破壊された車が逆だったなら、智絵里のステージ衣装も破壊されてしまっていただろうから。

 だが、グールという直接的暴力を見てしまった後の智絵里が心配するのは、衣装ではない。

 人だ。

 

「え……そ、そんなっ、嘘ですよね?」

 

 晴人は顔に出さずに、自分の失言と失態に心中で舌打ちする。

 迂闊だった。

 話してみて、緒方智絵里がごく普通の優しい少女であると知っていたはずだったのに。

 彼女は自分が殺される、と言われて平気で居られるような図太い少女ではない。

 そこに自分の大切な人までもが狙われている、となれば最悪だ。

 晴人が彼女の顔色を窺えば、智絵里は顔を真っ青にしていた。

 自分の失敗を反省しつつ、晴人は智絵里に「自分が無駄な心配をしているだけなんだ」と思わせるために、とびっきり気楽な笑顔を向ける。

 

「大丈夫。だからそんな顔すんなって、智絵里ちゃん。

 俺の知る限り統率の取れてないファントムってのは大体脳筋だ。

 頭を使うやつの方が希少で、大半は周りくどいことせず『死の恐怖で絶望しろ』連呼してるよ」

 

「じゃ、じゃあ、私の家族は、お友達は……」

 

「狙われる確率はほとんどない、ってことさ。指輪の魔法使いが保証する」

 

「……よかったぁ……」

 

 事実、その可能性は低いと晴人は見ていた。

 先の襲撃ではファントムが姿を見せていない。

 つまり、先の襲撃はグールによる様子見だった可能性が高い。

 狙いのゲートを絶望させるために、ゲートの大切な人である智絵里を亡き者にしようとしているのであれば、ファントムが直接赴いて速攻で殺せばいいのだ。

 そうでなかったのは、智絵里を絶望させるために心の支えを探ろうとしての襲撃だった……などの、別の目的があったと考えられる。

 そう理屈立てて、晴人は智絵里を安心させようとする。

 

 理屈と推測をあくまで智絵里を安心させるために使う晴人。

 対しプロデューサーは、智絵里とその周辺の安全を確保することを優先する人間だった。

 運転席からバックミラー越しに、プロデューサーが晴人に話しかける。

 

「ですが、万が一もあります。緒方さんの周辺の人に何か連絡しておくべきでしょうか」

 

「国安の方にツテがあるから、智絵里ちゃんの家族を見てもらっておくよ。

 いざとなったらライブ会場の方も、避難誘導できるよう木崎警視に警官の配置頼んでみる」

 

「……驚きました。魔法使いでありつつ、国安の関係者の方とは」

 

「近頃は警察に顔が利かないとすぐに手錠かけられるご時勢だからね。

 俺もファントムから警察の人助けたら檻の中に放り込まれたことあってさ、散々だったよ」

 

 プロデューサーの方も安心させつつ、軽いジョークを飛ばす晴人。

 そこで思わずくすりと笑ってしまったプロデューサーだが、バックミラー越しに智絵里が不安げな顔をしているのを見て、彼は自分の失態を悟った。

 

「……」

 

 晴人に"万が一"のことを聞くにしても、智絵里が聞いている前で聞くべきではなかった。

 君の大切な人が狙われる可能性はほとんどない、と言われて智絵里はいったん安心したものの、万が一もある、とプロデューサーが言ったことでまた少し不安になってしまったようだ。

 不安になる必要はない、と晴人に告げられた理屈を心の中でリピートする理性と、どうしても心配してしまう優しい感情が、胸の奥でせめぎ合っている。

 

(……しまった、また、私は自分の担当アイドルをいたずらに不安にさせて……)

 

 "他人に希望を持たせる話し方"という一点において、プロデューサーは晴人と自分を比べ大きな差を感じてしまう。彼の思い込みでしかないが、話術という点で差があるのは事実だった。

 それでも少女の気持ちを悟ってやる能力、気遣おうとする優しさに差はない。

 単にプロデューサーが不器用で、晴人が希望を守る魔法使いであるから。ただそれだけだ。

 ひょっとしたら女の扱いになれているかそうでないか、この年頃の女の子の扱いに慣れているかそうでないか、という差もあるのかもしれないが。

 

「智絵里ちゃん」

 

「あ、はい、なんでしょうか晴人さん」

 

「君に魔法を見せてあげよう」

 

「え?」

 

《 Garuda Please. 》

 

 少し芝居がかった口調で晴人がそう言うと、智絵里の目の前に赤い小鳥が現れた。

 いや、何かが違う。

 普通の小鳥は、こんなにプラスチックじみた外見はしていないし、こんなに人間に対し警戒心が薄くない。弱い生き物は、自分より大きな生き物を相応に警戒するものだ。

 小鳥は智絵里の横のドアのノブの上に止まり、首を小さく傾げる。

 智絵里が晴人に促され、恐る恐る手を伸ばすと、小鳥は智絵里の手に頭を擦り付けることで、親愛の情を行動で示す。

 

「わぁ、可愛い……」

 

「操真さん、それは?」

 

「プラモンスター……俺の使い魔さ。こいつの名前はレッドガルーダ。

 空想の物語で魔法使いが女の子の護衛につけたりする、あれと同じだ」

 

 智絵里はプラモデルのような外見の小鳥にすっかり魅了されてしまったようだ。

 指でつついたり、話しかけてみたりして、ガルーダの反応に一喜一憂している。

 この年頃の女の子は何故かやたら小動物を可愛がる、と考えた晴人の予想はどうやらドンピシャだったようだ。少なくとも、これで気は紛れるだろう。

 

「俺の魔力が切れるまでの間しか動けないやつだが、可愛がってやってくれ。智絵里ちゃん」

 

「はいっ」

 

 ガルーダは智絵里の回りをぱたぱたと飛び、彼女を楽しませる。

 上手く行ったかな、と一安心した晴人が前を見ると、バックミラー越しにプロデューサーが晴人を見ていた。

 なんとなく、目だけで礼を言われた気がしたので、晴人はニッと笑ってみせる。

 バックミラーの向こうでプロデューサーが頷いて、男達の無言の会話は終わりを告げた。

 

「晴人さんは、凄いですね」

 

「ん? 唐突にどうした、智絵里ちゃん」

 

「魔法使いで、なんでもできて……」

 

「なんでも、ってほど万能じゃないさ。

 やらなくちゃいけない時に、それをやってるだけだ」

 

「それでも晴人さん私なんかより、ずっと凄い人なんだと思うんです」

 

 尊敬か、謙遜か、自嘲か。

 晴人にはいまいち判断が付かなかったが、少なくとも卑屈ではないなと思う。

 

「私も、もっと頑張らないと……」

 

 焦りかな、と晴人は彼女の言葉から正解に辿り着く。

 晴人と智絵里の会話が全て聞こえている運転席のプロデューサーは、前提となる情報が多い分、晴人よりもより精確な回答に辿り着いていた。

 

 智絵里は13人のアイドルの卵と一緒にデビューした、そんなアイドルだ。

 アイドルの中でもかなりの人気を誇る……が、14人の同期の中で一番人気というわけではない。

 14人の中で一番個性的というわけでもない。

 必然的に彼女より個性的なアイドル、彼女より人気のあるアイドル、彼女より先に行っているアイドル達が智絵里の目についてしまう。

 

 ファントムに襲われて少し精神的にまいってしまった影響か、化け物に与えられた恐怖が彼女の心の奥に閉まわれていた恐れを引っ張り出してしまったのか。

 普段彼女が言葉にしていなかった気持ちが、表に出て来てしまっていた。

 「みんなに置いて行かれてしまうかもしれない」という不安と怖れが、隣にアイドルの仲間も友達も一人も居ない、この状況で表出してしまう。

 聞き耳を立てながら、プロデューサーは初めて彼女と出会った時のことを思い出す。

 

―――が、頑張ります、ので……み、見捨てないでくれると、嬉しいです……

 

 その頃と比べれば、随分変わった。

 間違いなく成長しているし、過剰な自信の無さも改善されたと彼は思っていた。

 けれども、彼女は彼女。成長しても変化をしても緒方智絵里のままだ。

 見捨てられること、置いて行かれることを恐れる心は、何も変わっていない。

 人格の根本までごっそりと変われるわけがない。

 プロデューサーは自分なりの言葉を尽くして、彼女の言葉を否定し、ありのままの彼女を肯定してやりたかった。

 

 だが、プロデューサーは自分が口を出す訳にはいかないとハンドルを強く握り締める。

 今、緒方智絵里が話しかけているのは操真晴人だ。

 彼女は無自覚に他の誰でもない、昨日まではお伽噺の中だけの存在だった、『魔法使い』にこの迷いを払う答えを求めている。

 希望をくれる、魔法のような言葉を求めている。

 

「頑張るのはいいけど、無理をして倒れないようにな。

 智絵里ちゃんが気付いてないだけで、君はもうとっくに誰かの希望なのかもしれないんだから」

 

「え?」

 

 そして、操真晴人は魔法使い。

 彼の言葉の魔法は、誰かが心の中で流す涙を、価値ある心の宝石へと変える。

 

「俺には昔、妹みたいに思ってた、大切に思ってた、そんな子が居てさ」

 

 晴人は智絵里の目を見て話すのをやめ、目を閉じて何かを思い出すように語る。

 瞼の裏に映るのは、ずっと昔の楽しかった頃の思い出の光景。

 操真晴人が迷いなく「幸せだった」と言い切れた頃の過去の記憶。

 

 輪島という男が骨董品店・面影堂で宝石を加工している間、店番のようにカウンターに座っていて、水晶球を撫でながらムスッとしていた少女の姿。

 晴人がドアを開けると、その少女は静かに花開くような笑顔で迎えてくれた。

 そんな記憶。晴人の心の深くに刻まれた希望(たからもの)

 今はもうどこにもない、思い出の中だけにある景色。

 

「ある日帰ったら、めったに笑わないその子がテレビを見て笑ってたんだ。

 何見てんだろうかと思って後ろに回ったら、アイドルのライブの生中継だった。

 ま、俺に気付いたら照れたのか、すぐテレビ消しちゃったんだけどな。

 その子にとっちゃ、生きていく中で笑顔になれる時間をくれる、機会をくれる……

 そんな存在だったんだと思う。アイドルってやつは、さ」

 

 その少女がテレビを見て笑ったのはただの一度で、それを偶然晴人が見ただけだったのかもしれない。だが、その子が笑顔になっていたことは事実。

 笑顔は希望を持つ者の特権だ。希望を失った者は笑えない。

 人殺しをなんとも思わないような頭のおかしいシリアルキラーであっても、何か一つは希望を持っていなければ、笑うことはできないだろう。

 だから、その子がその時笑っていたということは、その子がテレビ越しにアイドルから希望を貰っていたということの証明になる。

 

「その子にとって、アイドルは希望の一つだったんだ」

 

 人を笑顔に、人に希望を。

 形にならないものを人に振りまき、それを生業として成り立たせているアイドル達。

 誰かの笑顔と希望を守る魔法使いは、アイドルというものに敬意を抱いていた。

 

「その子だけじゃない。きっと色んな人が君達(アイドル)に希望を貰ってる。

 笑顔にしてもらってる。絶望に抗う心の力を貰ってる。

 智絵里ちゃん達は知らず知らずの内に、絶望から人を救ってるんだ」

 

 疲れによる緩やかな絶望に包まれていた中年サラリーマン。

 部屋の中に引きこもり、将来への透明な絶望に呑まれていた引きこもり。

 仕事に失敗し、絶望から首を吊ろうかと安易な選択に走ろうとする若い社会人。

 その他多くの彼ら、あるいは彼女ら。

 

 人生に疲れ、あるいは人生に絶望し、生きる気力と希望を無くしてしまった多くの人達。

 そんな人達が、ある者は街頭のモニターで、ある者は自宅のテレビで、ある者はパソコンの画面で、ある者はコンビニで立ち読みした雑誌の記事で、彼女達(アイドル)を見る。

 そうして笑顔を絶やさない彼女らを見て、思うのだ。

 「疲れたけど、明日も頑張ろう」と。

 彼女らの存在を心の支えにして、辛い日々の中で立ち上がる。

 

「だから俺は、アイドルってやつを尊敬してる。

 きっと一度に希望を渡せる人の数で言えば、魔法使いじゃ足元にも及ばないだろうし。

 何より……どのくらいかは分からないけど、あの子の希望になってくれていたから」

 

 アイドルのファンの数が、アイドルが希望と笑顔を与えることができた人の総数ならば。

 この世界でアイドルに希望を貰った人間は、魔法使いよりもずっと多いに違いない。

 希望を与えた人間の数など本来比べるものではないのだろうが、それでも、晴人がアイドルという存在に敬意を抱く理由には十分だった。

 

「だから君も、きっとどこかの誰かの希望になってるはずだ。智絵里ちゃん」

 

「―――」

 

 自分が誰かの『希望』になっているなどと、智絵里は今まで一度も考えたことはなかった。

 だからか、息を呑む。

 晴人が語る希望の話は、強く彼女の胸を打った。

 

「な、プロデューサーさん。智絵里ちゃんは実際どうなんだ?」

 

「もし、操真さんの言う緒方さんが希望をあげている人達が、ファンであるとするのなら。

 確かにその数は途方もない。緒方さんは沢山の人達に希望を渡せているのでしょう。

 それはファンに関することを、数字でも見ている私が保証します」

 

「だってさ。凄いじゃないか、人気アイドル」

 

「あぅ、か、からかわないでください……」

 

 そして晴人が話を振ると、プロデューサーが即座に乗った。

 晴人がからかうような口調で智絵里を褒めると、彼女は顔を赤くして俯いてしまう。

 皆に置いて行かれるかもという恐れ。その根源である自信の無さ。

 魔法使いの言葉は、それを少しだけ薄めてくれた。

 

「あの、その、晴人さん」

 

「ん? どうした?」

 

 智絵里は笑顔で、自分のことを怪物から守ってくれた、励ましてくれた、笑顔にしてくれた彼への感謝を言葉にしようとする。

 

「ありが―――」

 

 そんな彼女の感謝の言葉は、突然の爆発音に無理やり遮られた。

 

 

 

 

 

 咄嗟にハンドルとブレーキで爆発をかわしたプロデューサーの判断力が、命運を分けた。

 晴人は智絵里に覆い被さるように彼女を守り、車が止まった時点で二人を連れ、車外に出る。

 そこには三人を待ち構えるように、一体の怪物が立ち塞がっていた。

 

「待ちかねたぞ、魔法使い」

 

 その怪物は、これ以上なく異形と呼ぶに相応しかった。

 まるで、人間のパーツを切り取って無理矢理繋げ、その表面を加工したかのようなモンスター。

 頭が三つ、腕が六本、足が六本の三面六臂六足。

 後頭部で繋がった三つの頭も、肩・胴の両脇・腰の左右から生えた腕も、蜘蛛の足のようにうねうねと稼働している六本の足も、どれもゴツさと気持ち悪さを両立している。

 体表は金属のような光沢を放つ甲殻、獣のように毛に覆われた筋肉、それらの表面に魚のようなぬめりがあってなんともおぞましい。

 三面の内一つ、額に角の生えた前を向いている頭が、晴人と智絵里の方を向いた。

 

「ひっ」

 

 智絵里が悲鳴を上げ、晴人の後ろに隠れる。

 大人でさえ間違いなく悲鳴を上げる、そんな恐ろしい外見をした怪物だ。当然の反応だろう。

 

「二人とも、下がっててくれ」

 

 晴人が優しく智絵里に下がるよう促すと、プロデューサーは無言で首を縦に振り、智絵里を連れて後ろに下がっていく。そんな二人の頭上を、ガルーダが飛んでいた。

 智絵里は心配そうな顔で晴人に視線をやったが、晴人は指輪をはめた手をひらひらと振り、余裕そうな笑顔で彼女を安心させる。

 そして、向き合う怪物と魔法使い。

 

「おい、ファントム」

 

「我が名はジャヴァウォック。名で呼べ、指輪の魔法使いよ」

 

「そんじゃあ、ジャヴァウォック。……お前、俺を待ってたと言ったな?

 どういうことだ? 智絵里ちゃんがゲートで、智絵里ちゃんが狙われてるんじゃなかったのか」

 

「無論、緒方智絵里が我の狙いであることにも変わりはない。

 だが我は少々特別な生まれ方をしたファントムでね。

 ゲートから生まれたのには変わりないが、ゲートを壊して生まれたのではないのだよ」

 

「……なんだって?」

 

 三つの頭の全てで気に障る笑い方をしながら、ジャヴァウォックは三つの口全てを同時に開き、自分一人でハモりながらの声を上げる。

 

「何、『財団』から資金提供を受けていたとある魔法使い達の研究成果の融合というやつだ。

 残されたデータから作られた試作品の"石"と試作品の"指輪"。

 その二つを合わせ、財団に選ばれた人間の手で生みだされたのが我というわけよ」

 

「人造ファントムか。……しかもまた、財団絡みとはな」

 

「彼らはお前達『仮面ライダー』にたいそうお怒りだ。

 指輪と石には基礎部分に変えられないプログラミングがされていたよ」

 

 怪物が身を震わせる。

 すると、黒々としたオーラが全身から漏れ出て、全身を覆っていく。

 

「貴様らを、目にしたならばその場で殺せとな」

 

 それはファントムのエネルギーによって実体を持った、一種の殺意であった。

 魔法使いには敵となる悪の組織が存在しており、今回智絵里を襲ってきていた怪物達も、どうやら元を辿ればその組織に行き着くようだ。

 

「なら、智絵里ちゃんを襲う理由は何だ。仲間を増やすためじゃないのか?」

 

「緒方智絵里はゲートではない」

 

「……なんだと?」

 

「あれは我を生み出した親の要望よ。まず手始めに狙ったにすぎん。

 どうやら我が親は愛するアイドルの邪魔になる他のアイドルが目障りなようでな。

 緒方智絵里、及びそのファンを皆殺しにしてみようと画策したわけだ」

 

「なっ……!?」

 

 ジャヴァウォックを生み出した男も、人を殺せとまでは命じていない。

 せいぜいが「苦しんで欲しい」であって、本気の殺意なんてどこにも無かったはずだ。

 だが、殺戮と流血を好むこのファントムはそれをわざと曲解した。

 親からの指示を自分の都合のいいように解釈し、実行しようとしているのだ。

 放っておけばこの国の人間全てを、「緒方智絵里のファンの可能性がある」と言いながら、目についた人間を片っ端から殺しに行ってもおかしくはない。

 その過程で緒方智絵里の名を出して、彼女の名誉を穢すことも忘れずに。

 

「それはおかしい!」

 

 後方で、プロデューサーが声を上げる。

 普段の落ち着いた喋りとは打って変わって、怪物に向かって喉が張り裂けんほどに叫ぶ。

 

「アイドルの競争は、そんな暴力での排除が許されるものではありません!

 それはどこまでも、どれだけの人を笑顔にしたか、どれだけの人を魅了したか!

 そこで競い、時に争うのではなく支え合い、上を目指すものであって……」

 

「いい綺麗事だ。

 が、自由競争から『他人を蹴落とす』という要素がなくなったことは、史上一度もあるまいよ」

 

「っ……!」

 

「アイドルに限らないだろう。

 自分の好きなもの隣に並べられた何かを嫌うからこそ、人間だろう?」

 

 ヒーローAが居る。ヒーローBが居る。

 どちらが強いのか決めろと言えば、ヒーローAのファンとヒーローBのファンは互いを罵倒しながらも一歩も譲らないだろう。

 アニメAがある。アニメBがある。

 正反対な二つのアニメ、どちらの方が上か決めろという話になれば、二つのアニメのファンは互いのアニメの欠点ばかりを挙げるだろう。

 いつしか、ヒーローAのファンはヒーローBとそのファンを、ヒーローBのファンはヒーローAとそのファンを、アニメAのファンはアニメBとそのファンを、アニメBのファンはアニメAとそのファンを、心の底から嫌ってしまうようになる。

 それはきっと、アイドルでも同じ。

 

「虚しい生き方してんだな、お前の親は」

 

「ああ、虚しいとも。だが人間らしい。それは貴様も分かっているだろう? 魔法使い」

 

「ああ。その果てに絶望するやつだって居るからな」

 

 怪物は『人間らしい』と言いつつ、嘲笑している。

 この怪物は人間らしさを認めながらも、その人間らしさを侮蔑しているのだ。

 対し魔法使いは、それを虚しいと言いつつも嘲笑しない。

 そんな虚しさ、愚かさを抱えながらも、人は誰かの希望になることだって出来る。

 そう、人を信じているからだ。

 

「我は手始めに緒方智絵里を殺し、人々を絶望させてやろう」

 

「なら、俺はそいつを止めるだけだ」

 

 晴人が戦闘用の指輪を嵌める。

 ジャヴァウォックは魔法使いから放たれる戦意を、心地よさそうに受け止めた。

 

「何故そうまでして人を守る、指輪の魔法使い。

 守ったとて、何かを得られるというわけでもなかろうに」

 

 日が沈んでまだ間もない、高速道路のど真ん中。

 ジャヴァウォックによる爆発で瓦礫が散らばり、スピンした車が放置され、相対する魔法使いと怪物の戦いの邪魔にならないように、プロデューサーと智絵里が物陰に隠れている。

 そんな戦場。

 戦いが始まる数秒前の、張り詰めた空気が広がっていく。

 晴人の勝利を信じながらも、智絵里は緊張から固くなった唾を飲み込んだ。

 

「決まってんだろ」

 

《 Driver On. 》

 

「俺が人の希望を守る、魔法使いだからだ」

 

 智絵里を守る。

 守りたいと思える心優しい少女を、操真晴人は全力で守る。

 彼女が多くの人の希望となっているのなら、その希望を守るため、操真晴人は死力を尽くす。

 

「見るからに力自慢のファントムか。なら」

 

《 Shaba Do Be Touch Henshin. Shaba Do Be Touch Henshin. 》

 

「変身」

 

《 Land Please. D D D DDDon't. Don't D D Don't. 》

 

 初めて智絵里の前で変身した時の、仮面ライダーウィザードの体色は赤だった。

 しかし今の体色は黄。敵に合わせて自身の属性をシフトする属性(エレメント)変化である。

 バランスの取れた火属性の赤から、パワーと防御力に優れた土属性の黄へ。

 

「さあ来いデカブツ!」

 

「始めようか、パーティータイムを!」

 

 魔法使いが二本の足で、ファントムが六本の足で駆け抜ける。

 

「晴人さん、頑張って……!」

 

 背中にかかる女の子の声援が、晴人の戦意を更に奮い立たせるのだった。

 

 

 

 

 

 先手は魔法使い。

 右手の指に二つの指輪を付け、ここ一年で高めた魔力と魔力制御能力をもって、二つの魔法を同時に行使する。

 

《 Big Please. Extend Please. 》

 

 『巨大化』の魔法に『伸長』の魔法。

 重ね合わされた二つの魔法は晴人の右腕を十メートル以上に伸長させ、トラックよりも太く厚く巨大化させる。晴人はそれを鞭のように振るい、手の平を敵へと叩きつけた。

 

「そらっ!」

 

 戦車ですら潰されそうな、そんな一撃。

 ジャヴァウォックはそれを避ける素振りすら見せず、六本の足でしっかりと踏ん張り、六本の腕を天に掲げ、頭上からの押し潰しを真正面から受け止めた。

 

「ぬるい」

 

「おいおい、マジかよマッチョメン」

 

「今度はこちらから行くぞ!」

 

 ジャヴァウォックの全ての手が、先程漏れていた黒々としたオーラと同質の黒い光を纏う。

 腕の内二本から放たれた光の奔流が、腕を上方に押し返した。

 腕の内二本が晴人に向けられると、黒い光を凝縮した光弾がマシンガンのように撃ち出された。

 腕の内二本が振るわれると、その軌跡にそって黒い光の刃が放たれた。

 そうして、晴人に向けて反撃の群れが殺到する。

 

「っ!」

 

 晴人はすぐさま腕にかかっていた魔法を解除し、舞うように飛び回る。

 側方宙返り、前方宙返り、後方宙返りで攻撃を全てかわしていく流れなど、見ていたプロデューサーや智絵里が感嘆の声を上げてしまったほどだ。

 しかしながらかわしきれず、着地したタイミングで攻撃の包囲網が完成してしまう。

 

「っ、間に合え!」

 

《 Defend Please. 》

 

 いつ指輪を付け替えていたのか、晴人は魔法の防壁を展開。

 智絵里を助けた時は火のエレメントであったために火の防壁を展開していたが、今回は土のエレメントであるため、大地を媒介にし発動する、地面から岩の壁を生やす防壁となる。

 加速した車がぶつかってもびくともしないであろう、堅固な防壁。

 しかしそれは、ジャヴァウォックの黒一色の攻撃を受け、ナイフを入れられたバターのようにあっさりと破壊されてしまう。

 

「文字通りに一枚岩ではありません、ってな!」

 

《 Defend Defend Defend Defend Defend 》

 

 しかし岩の壁は次々と展開され、晴人とジャヴァウォックの間に立ち塞がっていく。

 一息の間に壁が数個破壊されるという恐ろしい攻撃力をジャヴァウォックは見せたが、今この瞬間、魔法使いの防御の展開力は、怪物の攻撃の展開力を上回っていた。

 だが、このままではジリ貧の果てに魔力が尽きる。

 晴人は防壁の裏で左手の指輪を付け替え、再度エレメントを変換する。

 

(さて、お次はこいつだ)

 

《 Water Please. Swim Swi Swi Swi. 》

 

 土属性の黄に染まっていた装甲が、一瞬で水属性の青に染まっていく。

 肉体強化に特化された肉体も切り替わり、魔力が極限まで高められた形態となる。

 晴人は最後の岩壁が破壊されると同時に、右手の指輪をベルトにかざした。

 

《 Liquid Please. 》

 

 すると、晴人の肉体が液状化しジャヴァウォックに向かって飛んで行く。

 

「! 小賢しいぞ、魔法使い!」

 

 水になるのではない、液状化だ。

 魔力に近い特性を持った液体。それに変わった今の晴人の体は、あらゆる物理攻撃を無効化し、熱や化学変化に対する高い耐性を持つ。

 欠点として液状化したまま攻撃することができないのだが、この液状化は任意のタイミングで解除することが出来るため、事実上欠点になっていない。

 好きなタイミングで奇襲が可能だからである。

 晴人はこれで一気に接近し、関節を固めた状態で元の姿に戻ろうと目論んでいた。

 

 ジャヴァウォックはそれを察知し、黒い光による攻撃を中止。

 いくら撃っても効かないのならば意味は無い。疲れるだけだ。

 そして全身にエネルギーを溜め込み、高めていく。

 

(何をするつもりだ、こいつ……?)

 

「貴様の魔法など我には通用しないのだということを、思い知るがいい!」

 

 晴人がその様子に警戒しつつ突っ込むと、怪物はそのエネルギーを発散。

 魔力が無色のまま衝撃へと変換され、液状化した晴人、高速道路の路面、周囲の全ての大気を破砕しながら吹き飛ばした。

 

「がっ!?」

 

 晴人はダメージで液状化を解除されながら、今の攻撃の特性を一瞬で見抜く。

 彼がかつて戦った、メデューサというファントムが似たような技を使っていた。

 魔力を転換した衝撃波。

 純粋に魔力だけで構成されたその衝撃は、絶大な破壊力こそ持たないが魔力と技術のみで撃てる技であり、物理法則の一歩外側にある攻撃だった。

 ジャヴァウォックはそれと似て非なる攻撃をセンスのみで構築し、液状化した晴人を即興で叩きのめしたのである。

 

「くっそ、とんでもねえな……!」

 

「お遊びはここまでにしろ、魔法使い」

 

「なに?」

 

「我は退屈だ。貴様が全力を出さないからだ。

 貴様のデータは我の基礎となっている石と指輪に全て記録されている。

 ゲートの前で余裕ぶった戦いをする癖が付きすぎたのか?

 貴様はそうやって仲間を勇気付けるため、奥の手を残して余裕ぶった戦いをして。

 何度か奥の手を残したまま決定的な敗北をしかけたことが、あるのではないか」

 

「!」

 

「もう一度言うぞ。お遊びはここまでにしろ、魔法使い」

 

 ジャヴァウォックが攻撃の手を止める。

 どちらが遊んでいるのか、分かったもんじゃない。

 怪物は暗に言っているのだ。「変身するまで待ってやる」、と。

 それは晴人が奥の手を全て切ろうとも負けるはずがないという自身の表れであり、晴人の全力であっても自分を楽しませるものでしかないという嘲弄でもある。

 

「……なら、後悔すんなよ」

 

 晴人は指輪のホルダーより、切り札を取り出す。

 それはこれまで彼が見せてきたどの指輪よりも絢爛で、美麗な指輪。

 無色の輝きの中にうっすらと水色が見えるその煌めきは、どこかダイヤモンドを思わせた。

 晴人はその指輪を左手に嵌め、ベルトにかざす。

 

「お望み通り、見せてやる!」

 

《 I-nfinity! 》

 

 溢れ出る魔力がただそれだけで粉塵を巻き上げ、晴人の全力の凄まじさを証明する。

 

《 I-nfinity! I-nfinity! I-nfinity! 》

 

 魔法の起動と同時に、ダイヤのような輝きを放つ巨竜が現れた。

 竜は晴人の周囲を周囲を円を描くようにして飛び、円の循環、魔力の永久機関の回路を構築しつつ彼の魔力を高めていく。

 夜の闇を切り裂く、水色の溶けた無色の閃光が晴人と竜より迸る。

 そして竜が晴人に向かって飛び込み、二つは一つとなった。

 

《 Please! 》

 

 満ちていたダイヤを思わせる光が、まるでダイヤが砕ける時のように弾けて砕け、光の欠片を周囲に撒き散らす。輝きが、光が、新たな姿へと変わった晴人の周囲へと降り注いだ。

 

《 Heat Swim Foo d B'ur Java Vew Dogon't! 》

 

 炎の力が赤き宝石、水の力が青の宝石、風の力が緑の宝石、土の力が黄の宝石を象った姿を晴人に与えるならば。

 無限、無敵、無尽蔵の力が晴人に与える姿は、金剛石(ダイヤモンド)こそが相応しい。

 晴人が新たに変身した銀、白、水色を基調とするその姿は、今まで彼が見せてきた全ての姿が見せかけだったのではないかと疑うほどに、美しく力強かった。

 

「来たか、『インフィニティー』。そうでなくてはな」

 

 ジャヴァウォックは六つの腕全ての指をコキコキと動かし、三つある顔の全てを愉悦に歪め、六つの足全てにいつでも動けるよう力を込めた。

 

「悪いが、お前を楽しませるつもりはない」

 

《 Explosion Please. 》

 

 しかし晴人に戦いを楽しむ趣味はない。

 開幕一声と同時に、『爆破』の魔法を発動した。

 

「ぐっ……」

 

「畳み掛けるぞ! 来い、ドラゴン!」

 

 右側の腕三本を使って防御したジャヴァウォックの口から、苦悶の声が漏れる。

 その隙に晴人は一声で武器を召喚。竜を象り剣と斧を融合させた専用武器、『アックスカリバー』が晴人の手元に現れ、彼はそれを振りかぶる。

 それと並行し、この形態でのみ使える専用魔法を発動した。

 

《 I-nfinity! 》

 

 変身した時と同じ呪文が、ベルトより発せられる。

 すると晴人の体は時間より切り離され、周囲の全ての動きがスローに見えるようになる。

 緊張した面持ちのプロデューサー、心配そうに見守っている智絵里、舞い上げられて落ちている最中の小石、舞い落ちる木の葉、そしてジャヴァウォック。

 それら全てが、緩やかにしか動いていない。

 

 これぞ晴人の切り札の一つ。

 ダイヤモンドを象ったこのスタイルでしか使えない、『時間干渉魔法』である。

 晴人は周囲から見れば目にも止まらぬ速度、いや、目にも映らぬ速度で一気にジャヴァウォックに接近し、その首を切り落とすべくアックスカリバーを振り上げる。

 

(もらったっ!)

 

 そうして、通常形態の倍近くまで膨れ上がった腕力と膨大な魔力を剣に乗せ、振り下ろし――

 

 

「いい剣筋だ」

 

 

 ――ジャヴァウォックの腕の内二本に、白刃取りで容易く受け止められた。

 

「なっ……!?」

 

「だが、まだまだ。

 児戯は終わりか、ウィザード?」

 

 一発、二発、三発、四発。

 たった一発でも魔法使い(ウィザード)を吹き飛ばして余りある威力のパンチが、四本の腕によって一瞬にて叩き込まれる。

 吹っ飛ばされた晴人は一度も地に足を付けられないまま、高速道路の壁に叩き付けられた。

 

「ぐ、がっ……」

 

「晴人さん!」

 

「いけません、緒方さん!」

 

 痛みをこらえる晴人、悲鳴を上げる智絵里。

 人一倍臆病なのに晴人のもとに駆け寄ろうとする智絵里を、プロデューサーが何とか抑えた。

 しかし彼も自分達の命の恩人が叩きのめされていることに怒りを覚えているのか、唇を強く噛み締めている。物腰は丁寧だが、彼も義を忘れない男であるからだ。

 それでもプロデューサーは、戦えない自分にできることは彼の戦いの邪魔をしない、させないことだけなのだと、しっかりと自覚した上で晴人に駆け寄ろうとする自分をも抑える。

 

「……っ、心配すんな二人共、俺ならぜーんぜん平気だからさ」

 

 減らず口を叩きながら、二人を安心させようと平気な風を装って晴人は立ち上がる。

 彼が自分の体を見下ろせば、最上位のファントムの攻撃でも傷一つ付かず、むしろ跳ね返してしまうほどのインフィニティーの鎧がヒビ割れている。

 恐ろしいほどの攻撃力。

 そして、インフィニティーの超高速移動にもついてこれるスピード。

 晴人の中で、ジャヴァウォックというファントムの危険度が一気に跳ね上がる。

 

「……お前も、時間干渉魔法が使えたのか。ジャヴァウォック」

 

「違うな。我は任意で35秒のみ魔力を高め、その内10秒だけ自己加速が出来るだけだ。

 魔力を高める時間が終われば、ほんの一瞬使用不能になるが……

 大したデメリットでもあるまい。貴様を仕留めるには十分すぎるのだよ」

 

「加速は通常時の1000倍くらいと見た。

 ……確かに、それでインターバルが一瞬なら明かしても突かれる弱点にはならないか」

 

 むしろ、時間に干渉できるインフィニティーでもなければ一瞬でやられかねない。

 時間干渉、単純な高速移動。

 互いに使用回数に制限がないのなら、速度における条件は互角。

 しかし攻撃力で言えば、ジャヴァウォックは晴人の遥か上を行っていた。

 

「遅い、脆い、弱い。これで全力か? がっかりさせてくれるな、指輪の魔法使い」

 

「そうかい。なら、第二幕と行こうか、ジャヴァウォック!」

 

 晴人とてもう一撃食らったら、その時点でノックアウトされかねない。

 そして速度で負け、手数――手足の数――でも負けている以上、まともにやっても晴人に勝ち目はない。絶望的な強敵だ。

 しかし、晴人は『絶望』にだけは決して負けない。負けられない。

 彼は命ある限り、人の命を諦めない。

 

《 Bind Please. 》

 

「ほぅ……?」

 

 晴人が新たに放った『拘束』の魔法が、ジャヴァウォックの動きを止める。

 ダイヤの輝きを放ち、ダイヤと同じ硬度を持ち、それでいて魔力の強結合により次元違いの強度を誇る光の輪がいくつも発生し、ジャヴァウォックの全身を締め上げていた。

 この魔法単体でジャヴァウォックは倒せないが、これは単なる布石だ。

 本命は晴人が続いて放とうとしている、第二撃。

 

《 Le Patch Magic Touch Go! Le Patch Magic Touch Go! 》

 

「フィナーレだ!」

 

《 Cho-i-ne! Finish Strike! S/A/I/K/O-! 》

 

 動きを止めての大技。エグいが、極めて効果的だ。

 晴人が金色の竜を象った指輪をベルトにかざすと、ウィザードとしての彼の姿が変貌していく。

 体色は黄金に。外観は魔法使いというよりも、竜を身に纏う戦士に変わる。

 大きな翼、大きな爪、大きな尾が生え、胸からも竜の頭が生えている。

 黄金の竜(ドラゴンゴールド)。見る者に皆そう思わせる姿だった。

 

「それが貴様の最強の技か、操真晴人! 面白い!」

 

 ジャヴァウォックが高笑いをする。

 自分は動けず、絶体絶命の危機だというのに、なお笑う。

 その形相は化け物と呼ぶに相応しい、凄惨なものであった。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

 晴人が飛び上がり、自らの全てを込めた飛び蹴りを放つ。

 大きな翼で一直線に飛んで力を乗せ、尾を振るって反動で更なる力を生み、胸にあった竜の頭を右足先へと移動させ、キックと同時に噛み付かせた。

 そして大きな爪、尾、翼をフルに稼働させての大回転。

 ワニが噛み付いた後、獲物を殺すために回転するのと同じだ。

 キックの威力に、竜の頭が噛み付く威力が上乗せされ、更にそこに時間干渉を加えた高速回転が加わった、途方も無い威力の必殺技(フィニッシュストライク)

 

「は、は、は、はぁッ!」

 

 命中の寸前、拘束を破壊したジャヴァウォックはそれを正面から受け止める。

 六本の腕を掲げ、六本の足で地面を掴み、竜の(あぎと)を押し返さんとしていた。

 その表情には歓喜。

 歯ごたえのある獲物を食い散らかせるという、野獣のような精神性から生まれた、極めて野蛮で暴力的な感性から生まれた感情だ。

 

「終わりだ、ウィザードッ!」

 

 そして野獣の牙は、魔法使いの首へと届き得た。

 六本の腕全てから放たれた黒い光が、晴人の右足先に展開された竜の頭の内部から膨れ上がり、竜の頭を上下に引きちぎる。

 黒い光はそのまま爆発し、晴人の全身をくまなく叩き、砕き、ジャヴァウォックは攻撃されていた身にも関わらず、必殺技を放ってきた晴人を逆に吹き飛ばすのだった。

 

「っ、な、がっ―――!!」

 

 吹き飛ばされた晴人は、破壊された高速道路の路面を転がり、力なく横たわる。

 変身自体は解除されなかったが、黄金の竜の形態は解除されてしまい、元のダイヤモンドの形態へと戻ってしまっていた。

 

「くっ、づっ……!」

 

 ボロボロの体で立ち上がろうともがく晴人。

 しかしそんな彼にジャヴァウォックは歩み寄り、その頭を踏みつける。

 晴人の頭が地面に叩き付けられ、衝撃で路面の一部が砕けた。

 

 晴人の耳に、どこからか悲鳴が、自分を名を呼ぶ声が届いた、そんな気がした。

 

「あ゛ぁっ!」

 

「黄金? 貴様なんぞただの金メッキだ。

 少し撫でただけで砕けるその鎧も同様。

 ダイヤモンドなどではなく、せいぜいガラスだ。脆すぎる」

 

 嘲笑するジャヴァウォック。

 今の晴人の装甲が脆いわけがない。

 魔力で構成された、ダイヤモンドと同硬度の頑強な鎧なのだ。

 ただ単純に、ジャヴァウォックの攻撃力が飛び抜けているだけ。

 

 次元違いの攻撃力とスピード。

 もはや晴人に打てる手はなく、勝ち目はないのだろうか。

 

「……へっ。ガラスの靴をお姫様に履かせる魔法使いには、褒め言葉かもよ……?」

 

「口の減らぬ奴だ。……ふむ、余興を思いついた。

 人造とはいえ我もファントムらしく、貴様も絶望させてやろう」

 

 ジャヴァウォックが六本の腕を空に掲げると、その手から空高くに黒い閃光が伸びる。

 そして空で一点に集まった後、幾つもの光線となって降り注いだ。

 それらは広範囲に渡って高速道路を破壊し、穴だらけにし、晴人達が居る周辺を残して全ての高速道路を破壊し地面に落下させていく。

 晴人達が乗ってきた車も破壊され、大爆発。

 それらの余波で、瓦礫や小石がいくつも智絵里達の方向に飛んで行く。

 洒落にならない速度で飛んでいったものも多かったが、それらのほとんどは智絵里を守ろうとするレッドガルーダによって弾かれ、小さなものも彼女を庇うプロデューサーが体で止める。

 

「これでもう、貴様らは車も道も失った。

 なあ、急いでいたのだろう? 時間がなかったのだろう?」

 

「……っ!」

 

 『年越しニューイヤーライブ』。

 彼女らはそれに間に合わせるために急いでいて、晴人もそれを彼女らから聞いていた。

 もう高速道路は彼らが居るちょっとした長方形の部分しか残っていなくて、車が走る道なんて残っておらず、そしてそもそも車が残っていない。

 今から一般道を全力で飛ばしたとしても、きっと間に合いはしないだろう。

 

「そして貴様を殺した後、我は緒方智絵里を殺す。

 どんな奇跡が何度連続して起ころうとも、その先に待つのは絶望のみ。そうだろう?」

 

 ジャヴァウォックが智絵里の方を見る。

 怯えた彼女がプロデューサーの影に隠れるも、晴人が負けてしまったならばその行動に意味は無い。少女よりも成人男性の方がマシとはいえ、ファントムに勝てないことに変わりはないのだ。

 救いはない。希望はない。可能性は残されていない。

 そう告げながら、ジャヴァウォックは嘲笑う。

 

「魔法使いも、絶望すればファントムを産むのだろう?

 さあ……絶望して、ファントムを産め。

 お前が産んだそのファントムが、誰かの絶望になってくれよう」

 

 ジャヴァウォックは晴人の頭をさらに強く踏みしめながら、晴人を煽る。

 絶望しろと、ここがお前のフィナーレなのだと、罵倒し続ける。

 絶体絶命のこのピンチが、死の恐怖を晴人の中に産み出し、絶望へと転じていく。

 けれど。

 

「絶望なんて……するか……」

 

 晴人の耳に届いていたのは、化け物の声だけではなかった。

 ちゃんと届いていた。晴人の味方をする、少女の声も、男性の声も。

 絶望を煽る声を切り裂いて彼に届いていた、希望をくれる言葉の数々を。

 

 ならば希望の魔法使いである晴人が、こんな所で絶望なんてするはずがない。

 

「俺は信じてんだ……諦めない限り、繋がる希望をっ!!」

 

 晴人は瞬時に指輪を付け替え、ベルトにかざす。

 

《 Teleport Please. 》

 

「なにっ!?」

 

 完全に優位に立っていたジャヴァウォックが、驚愕の声を上げる。

 それも当然だろう。

 自分が踏み付けていた魔法使いが消え、一瞬で緒方智絵里とそのプロデューサーの側に移動していたのだから。目を疑う光景だ。

 

「じゃーな、のろまな亀さんよ」

 

「待―――」

 

《 Teleport Please. 》

 

 そして晴人は捨て台詞を吐き、再度『転移』の魔法を発動。

 智絵里とプロデューサーを抱え、その場から消え去った。

 後に残されたのは、彼らに逃げられ一人佇むジャヴァウォックのみ。

 

「……してやられたか。腐っても魔法使いということだな。

 勝てぬと見れば即、会場まで魔法で転移する用意はあったということか」

 

 次から次へと種も尽きずに放たれる魔法の数々。

 ジャヴァウォックは操真晴人への評価を再度上昇させていた。

 何でもあり。何でもしてくる。何をしてくるか分からない。

 純粋なスペック以上に厄介な部分があると、そう戦意を高めていく。

 

「さて、我もライブ会場に赴くか。そこでこそ、決着は付けられるだろう」

 

 ジャヴァウォックは六本の足をフルに稼働させ、走る。

 魔力による加速は一切使わない。

 ここで魔力を使い過ぎればウィザード相手に負ける可能性もあると、そう判断するこの怪物には一切の油断も慢心もない。

 指輪の魔法使いが止めに来なければ、その会場を破壊し尽くすのみ。

 そう考え、怪物は嗜虐的に三つの顔の表情を歪めた。

 

 

 


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