廻り還る先   作:伊呂波

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第2局

休日の居間。

 

すっかり寝坊したヒカルは留守にする母親が作ってくれていたお握りを頬張る。

母親は朝食のつもりだったのかもしれないが、今は昼だ。

お昼は近くのコンビニで好きなのを買いなさいとメモと置かれていた千円は有難く頂戴する。

 

『あ、てれび!図書館にある不思議な箱とまた少し違うものなんですよね!』

 

(そう。これは遠くのものや芝居とかを見せてくれる機械だ。)

 

『ヒカル、ヒカル!囲碁もやってますよ!』

 

(その人は、塔矢名人。「神の一手に一番近い人」って言われてるんだぞ!すげーだろ!)

 

ヒカルの言葉に佐為は無駄なく美しく紡がれてゆく盤面を見つめた。

 

【私と同じく神の一手を極めようとする者。…この男…!!】

 

『ヒカル!』

 

(悪い。いつかネット碁を打たせてやる。でも、それはすぐには無理なんだ。)

 

『…すいません。』

 

(そうしょんぼりするなよ!代わりって言ったら何だけど、近いうちに息子の方とネット碁を打たせてやるから!)

 

『息子と!?この者の子ならば、きっと強いのでしょうね!』

 

(まあな。ほら、飯も食ったし、出掛けるぞ。)

 

『今日も図書館ですか!?』

 

ネット碁は残念ながら礼儀を知らない者もいたが、佐為はお気に召したようだった。

ほとんどが佐為を相手にするには力不足の者達だったが、一手一手から囲碁が好きという気持ちが感じられてとても嬉しかったらしい。

 

(いや、今日は息子に会いに!)

 

『…!』

 

 

 

 

 

「あった!ここの碁会所だ!」

 

『碁会所?』

 

(皆が碁を打ちあう場所だよ。)

 

『それは素晴らしい場所ですね!』

 

目を輝かせる佐為にヒカルは苦笑を漏らし、碁会所に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

「あら、こんにちは。どうぞ。」

 

(うわあ…相変わらずジジイばっかり…)

 

『なんてこというんですか。囲碁を愛する方々に失礼ですよ!』

 

(はは…)

 

「名前を書いて下さいね。ここは初めて?」

 

「初めてです。」

 

「それじゃあ、棋力はどれくらい?」

 

「…九段。」

 

「まあ。大きいことを言うわね!」

 

「あー!信じて無いな!俺、本当に強いんだからな!」

 

「はいはい。あ、席料は子供は五百円ね。」

 

「はい。五百円。…あ、塔矢発見!」

 

「え…僕?」

 

不意に名前を呼ばれたアキラはキョトンとヒカルを見つめた。

 

「お前、塔矢アキラだろ?塔矢名人の息子の!」

 

「うん。確かにそうだけど、君は?」

 

「俺は進藤ヒカル!六年生だ!」

 

「あ、僕も六年だよ。じゃあ、奥で打とうか。」

 

「おう!」

 

(…それにしても愛想の良い塔矢か。ヤバい。珍しすぎて鳥肌が…。)

 

『何を言ってるんですか。ヒカルと違って聡明な良い子ではありませんか。』

 

(おい。)

 

 

 

 

 

「棋力はどれくらい?」

 

「…九段。」

 

「え?」

 

アキラはヒカルの思いもよららない言葉に絶句した。

 

「今の俺なら緒方先生と互角に戦えるぜ。」

 

「…緒方さんと打ったことが?」

 

「いや。無い。」

 

「…そう。それじゃ、置石は…」

 

「お前が置けよ。三子…いや、三子は無理か。二子で。」

 

「本気かい?」

 

「ああ。」

 

空気が変わった。

 

「「おねがいします!」」

 

アキラが黒を二子置いて対局が始まった。

ヒカルにとってアキラが最初から自分を見ている大事な対局だ。

そして、孤独だったアキラにとっても生涯の好敵手を得る戦いとなる。

 

 

 

「あーっ!やっぱり、負けた!お前相手に二子もキツかったかあ。」

 

ヒカルは盛大に溜め息を吐いた。

終局まで打ったもののコミを入れてもアキラの三目半勝ちである。

 

「っな!負けた!?負けただって!?」

 

「え、落ち着けよ!急にどうした!?」

 

『ヒカルが調子に乗って途中まで指導碁まがいな打ち方をしたのに気づいたのでしょう。』

 

(まがいって…)

 

『圧倒的な実力差があるならば兎も角、貴方達の実力差で置石の上、指導碁。しかも、手に負えなくなったからと猛攻するものの負け。中途半端な事をするからです。』

 

(…っう。)

 

佐為の厳しい正論にグウの音も出ないヒカルだった。

 

「君は!僕を馬鹿にしているのか!」

 

「…ごめん。お前を馬鹿にするとかじゃなく、俺が調子に乗りすぎてた。」

 

ヒカルは頭を下げた。

 

「…いや。僕も怒鳴って悪かった。今度は最初から本気で相手をしてくれるかい?」

 

「ああ!もちろん!」

 

 

 

 

 

第2局目はアキラの中押し負けだった。

 

「進藤、君はプロにならないのかい?」

 

「ウチ、普通の家だからさ。院生からプロになろうと思って。」

 

「まどろっこしいな。父さんにご両親に口添えを頼もうか?」

 

「はあ!?なんでお前はそう極端に走るんだよ!」

 

「極端な碁を打つ君に言われたくない。」

 

「なんだと!?」

 

「はいはい。仲が良いのは分かったから喧嘩しない。」

 

「あ、市河さん。お疲れ様です。」

 

「ありがとう。アキラ君。それより、進藤君、もう日が暮れちゃうわよ。お家の人が心配するんじゃない?」

 

「え、うわっ!本当だ!帰らなきゃ!」

 

『ヒカル!ネット碁の約束!』

 

微笑ましく好敵手の遣り取りを見守っていた佐為だったが、これだけは譲る気がなかったらしい。

今にも駆けだしそうなヒカルに叫んだ。

 

(あ、忘れてた!)

 

「塔矢!」

 

「うん?」

 

「俺の師匠、訳があってネット碁しか出来ないんだけど、打ってみないか?」

 

「…ネット碁は以前にやったことがある。君の師匠なら興味があるな。」

 

「よし!じゃあ、次は土曜日にこのネット碁にいると思うから!『sai』ってハンドルネーム!」

 

ヒカルは手近なメモ用紙を拝借し、ページの名前とハンドルネームを走り書いた。

 

「わかった。僕はそのままakiraでログインするよ。」

 

「分かった!伝えておく!」

 

「…あと、もう少し良いかい?」

 

「なんだよ?」

 

「僕はまだ君に敵わないけれど、このまま足踏みしているつもりはない。」

 

「…!…俺だって簡単に追いつかれれねえぞ!」

 

「ああ!」

 

「じゃあ、また来るから!」

 

ヒカルは今度こそ駆けだした。

 

 

 

 

 

『ヒカル。よい好敵手を得ましたね。』

 

(ああ!)

 

かつて佐為を追うアキラをヒカルが追っていた。

今はアキラがヒカルを追っている。

簡単に追いつかれる気はないが、いつか、並び、共に高みを目指す存在となる。

ヒカルは逸る気持ちのままに家へと駆けた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「…負けた。」

 

アキラはネットで終局まで打った盤上を眺めた。

 

遙かな高みからの完璧な指導碁。

 

最初から最後まで美しく導かれた打ち筋に魅入られた。

 

勝負はsaiの半目勝ち。

 

しかし、悔しくは無かった。

 

 

 

 

 

― ありがとうございました。

 

― こちらこそ。ありがとうございました。

 

― 貴方はプロではないのですか?

 

― 残念ながら私はプロではありません。

  また、事情があり、プロになることも叶いません。

  どうか詮索は控えて頂けますよう、お願い致します。

 

― 失礼致しました。

  ネット碁で構いませんので、また打って頂けますか?

 

― もちろんです。

  貴方はとても優秀で素直な碁を打ちますね。

 

― ありがとうございます。

 

― しかし、少し型にはまりすぎた碁に見受けられます。

  思いがけない所に打ち込まれると躓いてしまうこともあるでしょう。

 

― はい。力不足を痛感しています。 

 

― 不肖の弟子は貴方の苦手な打ち込みが得意です。

  しかし、逆に貴方のような確実に地を取っていく碁が苦手なようです。

  お互い切磋琢磨し、高みを目指してください。

 

― はい。ご指導、ありがとうございました。

 

― では、これで失礼致します。

 

 

 

 

 

まだ無理なのは分かっている。

 

しかし、いつか。この遙かな高みへ。

 

その時、自分と神の一手を極めるのはこの人では無い。

 

アキラは確かに確信していた。

 

 

 

 

 

― 終 ―

 

 

 

 

 

~ おまけ ~

 

(つかれた~)

 

『文字だけでも言葉を交わせるとは!ヒカル!この箱は本当に良いですね!』

 

(はしゃぐのは良いけど、俺、文字を入れるの遅いし、小っ恥ずかしいから勘弁してくれ!)

 

『そんなあ~…』

 

 




囲碁のルールをあまり理解していないのでアキラに白の置石をさせていました。
調べたら置石は黒がするもののようなのでアキラを黒に修正しました。

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