廻り還る先   作:伊呂波

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第1局

第XX期 本因坊戦

 

第七局

 

ヒカルはパシっと小気味よい音を部屋に響かせ、強い眼差しで相手を見据えた。

それを受け止め、一瞬、苦い顔をした上座の緒方はゆっくりと息を吐き出し、口を開いた。

 

「…ありません。」

 

ヒカルの勝利を告げる言葉と共に歓声とカメラのフラッシュが飛んだ。

進藤ヒカルが緒方精次の保持する本因坊最年少記録を大幅に塗り替えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

ヒカルはそっと目を閉じた。

 

(…佐為、俺、やったよ。本因坊だ。

 まだ緒方先生の実力には及ばないけど、ここまで来て本因坊は渡せないもんな。

 だから、ここが終わりじゃない。俺は…塔矢や緒方先生達もまだまだ高みへ行くよ。

 いつか神の一手を極めるために!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、佐為。

 

俺、やっぱり、お前とも打ちたいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ル…カル…ヒカル!」

 

「…え?」

 

自分を呼ぶ声に目を開けると、目の前には骨董品が並んでいた。

 

「もう!さっきから呼んでるのに!」

 

「…え、あ、あかり…?…縮んだ?」

 

横を見ると幼馴染のあかりが頬を膨らませている。

 

「私より小さいくせに何言ってるのよ!それより、もう出ようよ。気味わるいし…」

 

「はあ?って此処、じーちゃんの蔵!?何で!?」

 

「何でって…ヒカルがお宝を見つけるって連れてきたんじゃない!」

 

「そ、そうだっけ?」

 

未だ現状を理解しかねるヒカルだったが、此処にいるなら確認しなければいけないことがある。

 

ヒカルは抑えきれない期待に鼓動が早くなるのを感じつつも、見慣れたその場所に目を向けた。

 

「あった!」

 

「あ…これ知ってる。五目並べする台でしょ?」

 

「バーカ。囲碁だよ。碁盤っていうんだ。」

 

あの日と同じように子供らしい間違いを口にするあかりを見てヒカルは理解した。

 

(ああ、俺は、還って来たのか…)

 

「それ、どうするの?」

 

「じーちゃんに貰う!」

 

「そんなの貰ってどうするのよ。囲碁なんてやらないでしょ?」

 

「やるよ。囲碁。」

 

碁盤の端をそっと撫でながら優しく呟くヒカルにあかりはドキリとした。

 

 

 

 

 

 

ヒカルは、そんなあかりの様子は露知らず。

 

ただ必然の再会を。

 

『見えるのですか?』

 

(…うん。見えるよ。)

 

『私の声が聞こえるのですか?』

 

(うん。聞こえるよ。)

 

『いた。』

 

(うん。)

 

『いた。』

 

(うん。いるよ。)

 

『あまねく神よ。感謝します。』

 

(はやく来いよ。)

 

俺は、ずっと待っていたんだ。

懐かしい声に熱いものが込み上げてきたが、なんとか耐える。

 

『私は今一度…今一度…現世に戻る―――』

 

ヒカルはずっと欠けていたものが満たされるのを感じた。

もうずっと欠けているはずだったもの、満たされることがないはずだったもの。

 

『私の名は藤原佐為。よろしくお願い致します。』

 

(俺は進藤ヒカル!よろしくな!)

 

 

 

 

 

「…ヒカル?」

 

気づくとあかりが心配そうにヒカルを覗きこんでいた。

 

「うん?どうした?」

 

「さっきから何度もボーっとしてるから。具合が悪いならもう本当に帰ろうよ。」

 

「ああ。心配させて悪い。もう大丈夫だ。」

 

「なら良いけど…。」

 

『ヒカル、この娘は?』

 

(藤崎あかり。俺の幼馴染だ。)

 

『優しい娘ですね。大事になさい。』

 

(…おう。)

 

 

 

 

 

「あかり、日が暮れる前に先に帰れ。」

 

蔵を出た所でヒカルはあかりに促した。

 

「俺はじーちゃんに用があるから。この碁盤のことで。」

 

「時間かかっちゃうの?」

 

「少しな。送ってやれなくて悪い。」

 

「ど、どうしたの?送るなんて!」

 

いつものヒカルと違う言動にあかりはドキドキさせられっぱなしだった。

 

「だって、お前、一応、女だし。まあ、まだ明るいし大丈夫だろ。」

 

「一応って何よ!もう!じゃあ、先に帰るね。」

 

「ははっ!ああ。気を付けてな!」

 

 

 

***

 

 

 

あかりを見送ったヒカルは母屋に向き直った。

 

(さて。じーちゃんに勝負吹っかけるか!)

 

『さっそく一局打てるのですか!?』

 

(お前はまだダメ。これは俺が打つの。)

 

『…そんな…』

 

(…っぐ!…バ、バカ!後で俺が打ってやるから!嘆くな!)

 

久々に佐為の嘆きで具合が悪くなったヒカル。

逢えたのは嬉しいが、これには慣れそうにないと盛大に溜め息を吐いた。

 

『約束ですよ!』

 

(ああ!飽きるほど打とうぜ!!)

 

『♡』

 

浮かれる佐為につられて、こちらまで温かくなる。

忙しい心にヒカルは小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

「今日は何の用だ?ばーさんは買い物でおらんが。」

 

「フッフッフッ、実はね、じーちゃん、俺、碁を覚えたんだ!じーちゃんに勝ったら、この蔵にあった碁盤と碁石ちょーだい!」

 

「碁!?おおっ、お前、覚えたのか!?よーしっ、今、持ってくるから待ってろ。逃げるなよ!」

 

「逃げないよ。…あ、電話かりるよ。」

 

「おう。ちゃんと家に連絡しとけ!」

 

祖父がドタドタと家にある碁盤と碁石を用意する間、ヒカルは家に連絡することにする。

黙って来てしまったし、今からでは門限に間に合わないので、叱られる前に自己申告だ。

祖父の家にいることが分かれば、そこまで叱られないだろう。

 

「…あ、母さん?俺。今、じーちゃんのとこ。ちょっと碁をやりに。…そう。囲碁。覚えたんだ。…そんなに遅くならないから。…うん。じゃ…」

 

 

 

 

 

「そーか。お前も碁の面白さに目覚めたか。さァ、いくらでも打ってやるぞ!」

 

ヒカルが電話を切ると縁側に碁盤を用意した祖父が上機嫌で座っていた。

 

「とりあえず、一局だけでいいんだ!碁盤、頼むよ!」

 

「勝ったら碁盤だぁ?フッフッ、ワシは強いぞォ!ほら、いくつでもいいから石を置け。」

 

「いや、じーちゃんが置けよ。」

 

「ムっ。これを見よっ!」

 

そういって祖父が出したのは囲碁大会のトロフィーや表彰状だった。

 

(そういや、県大会レベルくらいは負けなしだったけ。)

 

『…よく分かりませんが、お強いのですよね?大丈夫ですか?代わりましょうか!?』

 

ワクワクを抑えきれないとばかりに佐為が言った。

 

(大丈夫、俺だって強いんだ!)

 

「ま、互先で良いよ!俺、マジで強いぜ!」

 

「何言ってるんだ。覚えたてだろ。どーせ。強いも何もあるもんか。気が強いってだけだ。お前のは。」

 

「コミ無しの白だって負ける気は無いぜ!」

 

そういってヒカルは白の碁石を取った。

 

『コミ?』

 

(先に打つ黒が有利だから普通は白が始めから六目…じゃねえや、五目半もらうんだ。)

 

『なるほど。黒を持ったら負けなしでしたけど、これは面白いですね。』

 

(…当時、不公平だとか思わなかったのか。)

 

「まー、いい。いくぞ、ヒカル。」

 

パシっと黒石が碁盤に置かれる音が響く。

 

(いくぞ、佐為!見てろよ!)

 

はらり

 

白石を持ったヒカルの上から何かが降った。

 

(…佐為。やっぱり打つか?)

 

『…いいえ。この音を再び聞けたことが嬉しいのです。それに、あとでヒカルが飽きる程に打ってくれるのでしょう?…とても打ちたいですが、今は貴方の実力を見せて下さい。』

 

(ああ。すぐ終わらせてやるから待ってろ!)

 

『はい!』

 

パシっ!

 

ヒカルは力強く打った。

 

 

 

 

 

「…ヒカル、お前、いつ碁を始めた。」

 

「内緒!」

 

一気に形勢の決まった盤面を見つめる祖父にヒカルは嬉しそうに答えた。

 

「師はいるのか?」

 

「うん。めちゃくちゃ強いよ!」

 

『そんなに強い方がいらっしゃるんですか!打ちたい!打ちたいです!』

 

(馬鹿。お前だよ。お前。)

 

『…はい?』

 

「…碁盤だったな。そんな古いのじゃなくて新しいのを買ってやるぞ?」

 

「ううん!これが良いんだ!」

 

「そうか。大事にしろよ。」

 

「うん!じゃ、貰うね!」

 

「待て。持って行くには重いだろ。車で送ってやる。」

 

「マジで!?やった!」

 

 

 

 

 

(で、秀策…虎次郎の次に俺に来たと。)

 

『ええ。何故なら私はまだ…神の一手を極めていない!』

 

(…それで、ペリーはどこに来たんだっけ?)

 

ヒカルは二度目になる佐為の身の上話を聞き流しながら机に向っていた。

二度目の勉強は楽勝かと思ったが、身についていた訳ではないので思った以上に苦戦していた。

 

『浦賀ですよ。…ですから、そんなことしていないで打ちましょうよ!』

 

(宿題はやらないと叱られるんだって!だいたい、一気に八局も打ったろ!)

 

『飽きるまで打ってくれるって言ったのに。ヒカルの嘘つき!』

 

(…っつ…具合悪くなるからやめろって。俺は生身なの!幽霊のお前にずっと付き合ってられないんだって!)

 

『…うう。』

 

(だあっ!とりあえず、明日!他の人とも打たせてやるから!)

 

『本当ですか!?』

 

 

 

***

 

 

 

『此処は…』

 

(囲碁教室。初心者に囲碁を教えてくれるところだ。)

 

ヒカルが佐為を連れてきたのは白川七段の囲碁教室だった。

ここが一番最初にまともに囲碁に触れた場所だったから来ておきたかったのだ。

 

『教えているあの方はどれくらいの腕なのでしょうか。』

 

(プロだよ。)

 

『プロ?』

 

(囲碁でお金をもらって生活してるってこと。)

 

「…では、講義はここまでにして対局に入りましょう。」

 

(…まあ、奇数で新入りの俺が余るのは必然だよな。)

 

『そんな!対局は!?』

 

(この教室が終わったら!)

 

佐為に早く打たせてやりたいのは山々だが、佐為の実力をヒカルの実力とされてしまうと面倒臭くなる。

申し訳ないが、もう少しだけ佐為には我慢してもらう。

 

「えーと、君は進藤君だったね?」

 

「はい。」

 

「囲碁は初めて?」

 

「けっこう打てます。」

 

「そうなのかい。本当は僕が打ってあげられたら良いんだけど、他の方のも見回りたいからね。今日は見学をしていてくれるかな?」

 

「はい。…あ、先生、あのさ。」

 

「何でしょう?」

 

「先生は囲碁の歴史上で一番強いのは誰だと思う?」

 

「そうですね…そうそう。この間、雑誌で面白い記事を読みました。」

 

「面白い記事?」

 

「少し待っていていて下さい。…ああ、これです。ここの記事。」

 

白川はすぐ近くの棚から雑誌を取り出すと、ヒカルにあるページを開いて見せた。

 

「読んでみる!」

 

「はい。では、私は他の方のを見て回りますね。」

 

『あの方、ご自分の答えを上手く誤魔化しましたね。』

 

(うわっ!本当だ!侮れねえ!)

 

佐為の指摘にヒカルはやっと誤魔化されたことに気づいた。

 

 

 

――― 問われた棋士は間髪をいれずこう答えた。

   

          江戸時代の「本因坊秀策」―――

 

 

 

***

 

 

『なんと!書物がこんなに!』

 

(図書館っていうんだ。)

 

『とても素晴らしい場所だとは思いますが、対局は!?』

 

(はいはい。此処で出来るから。)

 

ヒカルはカウンターでパソコンの貸し出しカードを受け取ると指定された席へ向かった。

まだ三谷と出会っていない今。小学生がネットカフェは少しキツい。

そこで思いついたのが図書館だ。

ヒカルはなんとかネット碁がOKの図書館を見つけたのだ。

 

『ここで!ヒカル、ヒカル、碁盤と碁石が見当たりませんよ?』

 

(ははっ!この箱の中だよ。)

 

『お相手は!?』

 

(それも箱の中。対面させて打たせてはやれないけれど、この箱なら世界中の奴と打てるぜ!)

 

『すごい!はやく!はやく!』

 

(ああ。いくぜ。負けるなよ!)

 

『無論!!』

 

 

 

 

 

― sai Enter ―

 

 

 

 

 

― 終 ―

 


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