緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第9話「軍師の覚悟」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分自身で驚いている事ではあるが、どうやら緋村友哉という少年は、アルコールに対してそれなりに高い適性を持っていたらしい。

 

 喉に流れる心地よい感覚を味わいながら、友哉は少し癖になりそうなその味を、存分に堪能していた。

 

 藍幇城に入城したイクスとバスカービルのメンバーは、藍幇勢力から手厚い歓迎を受けていた。

 

 正直な話、当初考えていた事を考えれば、これは予想外だった。

 

 師団(ディーン)藍幇(らんぱん)は現在、交戦状態にある。師団がわざわざ香港まで出向いてきた理由は、まさに藍幇との戦いに決着を付けるためだったはず。そんな中で敵本拠地へ乗り込んだわけであるから、敵意の視線を四方八方から送られたとしても不思議ではないと思っていた。

 

 しかし、師団との手打ちを念頭に置いている諸葛の方針が徹底されているのか、藍幇は終始、友哉達に対して友好的な姿勢を取り続けている。

 

 出された食事も、ちょっと他では見る事ができないくらいに豪華な物だった。

 

 所謂、満漢全席と言う奴で、中国大陸中から集められた山海珍味がこれでもかとテーブルを埋め尽くし、いかにも美味そうな雰囲気を出している。

 

 漂ってくる湯気を嗅ぐだけでも幸せな感覚になれるその料理の数々は、空腹時の相乗効果も相まって、いかにも美味そうである。

 

 最初は毒入りを疑ったが、ここに来てそれは無いだろうと思い、友哉は箸を取った。

 

 途端に、これまで味わった事が無いような美味が舌の上で踊るようだった。これまで日本でも何度か中華料理を食べた事はあった。知り合いの武装検事であり、自他共に認めるぐるめ家として知られる長谷川昭蔵から、自慢の店をいくつか紹介された事もあったが、それですら一切比べ物にならない。まるでこの世の最高の美味を賞味したかのような、そんな気分を味わっていた。

 

 隣を見れば、陣が凄まじい勢いで自分の前にある料理を掻きこんでいるのが見える。放っておけば、友哉の分まで食べてしまいそうな勢いだった。

 

 女子達も、それぞれ出された料理に目を輝かせながら箸を取っているのが見える。

 

 半ば、師団の宴会部長と化している理子などは、先頭切って料理に箸を突っ込んでいた。

 

 品行方正な白雪も、普段は全く食べられないような料理に目を輝かせ、傍らのメイドにせっせと作り方などを聞いたりしている。

 

 アリアには何と、彼女の大好物であるももまんフルコースが出されていた。アリアの夢であるももまんピラミッドに始まり、ももまん粥、ももまん麺、ももまんパフェ、ももまんまん(何じゃそりゃ?)等々、よくもまあ、そんな怪しげなメニューを考えた物である。そして、それらを全て平らげてしまうアリアもアリアである。

 

 レキの目の前には、黄色い箱がたくさん積まれている。それら全てが、彼女が常食しているカロリーメイト。中には、ここでしか手に入らないと言う超レア物の種類もあるらしい。レキはそれら、山のように積まれたカロリーメイトをもそもそと食べていた。

 

 瑠香と茉莉も、初めて食べる満漢全席に、目を丸くしながら口を動かしているようだった。

 

 キンジは、給仕をしていた中国娘から「はい、あーん」とされている所をアリアに見咎められ、蹴た繰り回されていた。これだけは、いつも通りの光景である。

 

 そうして、山海珍味を食べ終わった師団メンバー達は、宛がわれた部屋へと戻ったわけだが、カオスな状況は、尚も終わる気配を見せようとはしなかった。

 

 理子が見付けてきた、朱塗りのヒョウタンに入った「ジュース」をみんなで回し飲みした瞬間、第2Rは派手に幕を開けた。

 

 中身が酒だった事に気付いた時には、既に手遅れ。全員が回し飲みで口を付けてしまった後だった。

 

 後は、ご想像の通り。収拾の付けようが無い事態へ急速に転がり落ちて行くのに、そう時間はかからなかった。

 

 特にひどいのが、アリアと白雪である。

 

 どうやら泣き上戸だったらしいアリアは、酒を飲むなり、まるで見た目通りの幼子であるかのように、その場に座り込んで泣き出してしまったのだ。

 

 対して、白雪は怒り上戸だったらしい。

 

 その二人が掛け合わされると、どのような光景が現出するかと言えば?

 

「このピンク武偵!! アリアは、キンちゃん様としゃべる時と、女子だけの時とで態度が違ァう!! 特に機嫌が良い時、最初っから最後までニコニコデレデレと!! 私みたいに、旦那様を遠くから見張る・・・・・・じゃない、見守る慎ましさが理解できんのかァ!?」

「うえェェェん、白雪が苛めるゥゥゥ!!」

 

 普段の清楚振りや、あるいはキンジを想って暴走している状態とはまた違い、顔を真っ赤にして、まるで「鬼」のような外見に変化し、泣きじゃくっているアリアを小突き回している。

 

 正直、普段の白雪を知っていても知らなくても、見ていてドン引きする光景である事は間違いない。武藤あたりなど、見た瞬間に卒倒する事は請負だった。

 

 そこへ、面白がった理子が写メで撮影しようとして、キンジがそれを必死で止めている。

 

 目を転じれば、瑠香とレキが、隅の方で何やら寄り添うようにして眠っているのが見える。

 

 この喧騒の中で眠っている辺り、この2人もあまり酒には強くないらしかった。もっとも静かに眠っているだけなので、ギャーギャー騒いでいるアリアや白雪に比べると、無害である事はありがたかった。

 

 そんな2人に、茉莉がそっと毛布を掛けてあげている。茉莉も少し飲んだはずだが、彼女も意外な事に、平気な顔をしていた。

 

 と、

 

「おぉい、友哉。何やってんだ。こっち来て一緒に飲もうぜ!!」

 

 叫び声に苦笑しながら振り返ると、そこには酒入りの瓢箪を掲げて誘っている陣の姿があった。

 

 どうやら武偵校に入る前から飲酒経験があったらしい陣。うまい中国酒を飲んだ事で、上機嫌になっている様子だ。

 

 しかし、

 

「と、何だよ、もう終わりか?」

 

 逆さに振った瓢箪から液体が零れる事は無く、陣は舌打ちを漏らす。

 

 9人で回し飲みした上に、その後も陣が飲み続けていたのだから、無くなってしまうのはある意味当然である。

 

 その時だった。

 

「邪魔するぞ」

 

 野太い声と共に扉が開かれ、大柄な男が部屋の中へ入ってきた。

 

 伽藍である。

 

 その姿に、一瞬緊張の表情を見せる友哉達だったが、すぐに伽藍が武器らしい物は何も持っておらず、戦うつもりでこの場にやって来たのではない事が分かった為、警戒を解く。

 

 今の伽藍は武器を持っていないばかりか、戦闘用の格好もしていない。着ている中国の民族服も、どうやら防弾処理等はされていない、普通の平服であるらしかった。

 

 一方の伽藍はと言えば、入って来るなり、室内の惨状を見て目を丸くした。

 

「・・・・・・何だ、もう始めていたのか」

 

 歴戦の伽藍をして、この惨状がいったい何なのか、理解する事は難しかったらしい。

 

 伽藍は大股で友哉と陣の元までやって来ると、手に持っていた巨大な陶器製の酒瓶を、ドンと床に置いた。

 

「飲め、俺からの手土産だ」

 

 どうやら、伽藍は友哉達と酒を飲む為に、この場に来たらしい。

 

 一抱えもあるような酒瓶を前にして、流石に友哉と陣も絶句して伽藍を見る。中国のお国柄、二十歳前での飲酒が認められているとは言え、日本では当然ながら話は別である。だが、伽藍の様子は、そんな事はお構いなしと言いたげだった。

 

「んじゃ、早速」

「ちょ、陣!?」

 

 何のためらいも無く、酒瓶に手を伸ばそうとする陣に対して、友哉は驚いて声を上げる。

 

 対して陣は、酒瓶のコルクを開けながら、口元に笑みを浮かべる。

 

「まあまあ、良いじゃねえか。折角すすめてくれてるんだしよ」

「そう言う事だ。深く考えず、好意は受け取る物だぞ。それに、日本には『かけつけ三杯』と言う言葉があるそうではないか」

「・・・・・・いえ、それ、使い方違いますからね?」

 

 微妙にずれたボケをかます伽藍に対して、嘆息しながらツッコミを入れる友哉。とは言え、何となく飲まないといけないような雰囲気ができてしまっている。

 

 仕方なく友哉も、その辺に転がっていた湯呑を手に取って差し出した。

 

 

 

 

 

 伽藍の先祖は、遡れば三国志の時代にまで達するらしい。

 

 呂布奉先

 

 三国時代随一の武勇を誇ったと言う伝説を持った猛将であり、彼の桃園の三兄弟、劉備、関羽、張飛の3人を同時に相手にして互角に戦ったと言う言い伝えまである。

 

 しかし、そんな呂布も時代の流れには逆らえず、また生来の粗暴な性格が災いして人心を失い、やがて味方の裏切りにあって討たれる事になる。

 

 そんな呂布の子孫が、こうして現代にまで伝わっているのだった。

 

「緋村よ」

 

 飲み干した湯呑を床に置き、凄味のある眼光を友哉に向けてきた。

 

 傍らでは、陣と、それに茉莉も来て座り込み、一緒に酒を飲んでいる。

 

 その眼差しに一瞬怯む友哉だが、すぐに気を取り直して伽藍と向かい合った。

 

「貴様、藍幇に来る気はないか?」

 

 伽藍の言葉に、思わず友哉は湯呑を口に運ぼうとする動きを止めた。まさか、伽藍の口からスカウトの言葉が出て来るとは、予想外だったのだ。

 

 茉莉と陣も、緊張した面持ちで、友哉の言葉を待っている。

 

 この質問、2人にとっても無関係ではない。イクスのリーダーである友哉が、今後の去就をどうするかによって、彼女達の運命も変わって来るからだ。

 

 もし、友哉が誘いに乗って藍幇に行く事を決意すれば、茉莉たちは今後、友哉無しで武偵を続けるか、それとも友哉と一緒に藍幇に移籍するかを決めなくてはならない。

 

 そんな2人の視線を受けながら、友哉は探るような目で伽藍を睨んだ。

 

「・・・・・・どういうつもりです?」

 

 藍幇からの勧誘と言う意味では、以前にも修学旅行Ⅰの際にココ姉妹から誘われた事がある。あの時はきっぱりと断ったが。

 

 だが伽藍は、鏡高組での戦い時は問答無用で攻撃して来た。であるのに、今になって藍幇に勧誘してくる意図が読めなかったのだ。

 

「別に不思議がる事もあるまい? 今は極東戦役と言う戦乱が起こっている。ならば、どこの陣営であっても、自軍の戦力強化は急務だ」

 

 そう言いながら伽藍は、陣から酒瓶を受け取り自分の湯飲みへと注いでいく。

 

「ましてか、貴様ほどの実力の持ち主、どこの組織であったとしても、喉から手が出るほど欲しいのは必定と言えよう」

 

 それはそうだ。

 

 これからますます、戦況は激化する事が予想される。聞いた話では、バチカンのメーヤ等が参戦している欧州戦線の方も、師団と眷属の間で膠着状態が続いているらしい。この状況を打破する為にも、あらゆる手段を使ってでも戦力強化を急ぎたい気持ちは、友哉も同様である。

 

「さらに言えば、戦後の勢力配分も考えなくてはならん」

「・・・・・・戦後?」

 

 伽藍の突拍子の無い言葉に、流石に友哉も呆れるような思いに捕らわれる。まだ戦争の真っ最中だと言うのに、今から戦後の事を気にして、いったいどうしようと言うのか?

 

 だが、伽藍は平然とした調子で続けた。

 

「何を驚く必要がある? まさか、この極東戦役が終結すれば、それで戦いは終わりだなどと考えていた訳ではあるまい?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 正直な話、友哉は普通に、そう考えていた。

 

 極東戦役は、表の一般人には公表される事が無い為、そのような戦争が行われている事を知っている人間は皆無であると言っても良い。しかし、その規模や、個々の戦闘の激しさは、もはや「世界大戦」と呼んでも差支えは無い。

 

 これだけ大規模な戦争に巻き込まれたのである。いかに戦い慣れているとは言え、日本の一介の高校生に過ぎない友哉からすれば、戦争が終わった後も尚、戦いが続くなどと言う状況は、想像できるはずもなかった。

 

 だが伽藍は、さも当然の真理を語るようにして続ける。

 

「戦いはまだまだ続く。それは、我らが生きている限り、終わる事は無いだろう」

 

 そう言うと伽藍は、湯呑に満たした酒を一気に飲み干す。

 

 友哉に向けられる眼差しは、酒に酔いながらも、しかし戦闘中と比して聊かも眼光が衰える事は無い。

 

 人生 之 即 戦 也(じんせい これ すなわち たたかい なり)

 

 伽藍の眼差しは、そのように語っていた。

 

 戦神の眼光からは、見た物をそのまま射殺せるほどの殺気が込められているように思える。

 

 生きる為に戦いを欲する、猛獣の目だ。

 

「俺が所属しているのは天津系藍幇だが、俺は武功を積み、そこのトップを目指す事になる。だが、それで終わりじゃない。やがては藍幇全体を総べる盟主の座に君臨して見せる」

 

 己の野心を隠そうともしない伽藍。

 

 伽藍が天津系藍幇の所属なら、香港系藍幇のアジトである、この藍幇城は友哉達同様、伽藍にとってもアウェーと言う事になる。当然、不用意な失言を、誰かに聞き咎められる可能性がある筈なのだが、まるで、そんな事は些末事に過ぎないと言う風な態度である。

 

 自らに向かってくる者は、誰であろうと叩き伏せる。その自信がありありと見て取れた。

 

「中国の人口は13億。世界中の人間の、実に20パーセントが中国人と言う事になる。その中でも、藍幇は組織としては最大級だ。つまり、藍幇のトップになると言う事は、同時に世界の王になると言う事を意味する」

 

 世界の王

 

 それこそが、伽藍の野望に他ならない。

 

 覇道、と称して良いだろう。

 

 伽藍は正に、この21世紀の世界に対して覇を唱えようとしているのだ。まるで、並み居る敵を打ち倒して国家を建設した古代中国の皇帝達がそうしたように。

 

 聞いていた友哉はと言えば、思わず目眩がする思いだった。

 

 正直、極東戦役で、攻めてくる敵を迎え撃っているだけでも手一杯だと言うのに、目の前の男は、そこから更に世界まで相手にして戦おうとしているらしい。

 

 伽藍は鋭く、友哉を睨みつける。

 

「どうだ、緋村。お前も俺と共に来ないか? お前が俺の味方をしてくれるなら、これ程心強い事は無い。俺と共に、天下を目指してみようじゃないか」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 伽藍の言葉に対して、友哉は無言のまま、手元の酒を口へ流し込む。

 

 熱い味覚を喉で感じながら、友哉は伽藍の言葉を反芻する。

 

 世界を相手に戦う。

 

 それもまた、あるいは面白いかもしれない。

 

 誰もが認める程、性格的には温厚な友哉だが、それでも自分の中で戦いと言う物に面白さを感じている部分が、確かにそう感じている事を否定する事はできなかった。

 

 伽藍について行けば、きっとこれからも面白い戦いができる。

 

 飛天御剣流の持つ技を存分に振るい、心躍るような戦いの日々を送る事ができる。

 

 あるいは、それはそれで充実した運命であるように思えた。

 

 だが、

 

 友哉は静かに湯呑を置くと、揺るぎない真っ直ぐな瞳で、伽藍を見つめ返した。

 

「折角ですけど、お断りします」

「・・・・・・・・・・・・ほう」

 

 静かな友哉の言葉に、伽藍は短く息を吐くように返事をする。まるで、その答えが初めから判っていたかのような落ち着きぶりである。

 

 目を転じれば、茉莉と陣も口元にそれぞれ、笑みを浮かべて友哉を見詰めている。どうやらこちらも、長い付き合いから、友哉がこう答えるであろう事は判っていたようだ。

 

「僕は武偵です。犯罪者の手先になるつもりはありません」

 

 きっぱりと告げる友哉。

 

 だが、その脳裏には、もう一つ、秘めた思いがある。

 

 それは、友哉の血脈の中に、綿々と受け継がれてきた魂の理念。

 

 時代時代の苦難から、人々を救う事を目指した、飛天御剣流を操る者としての想いが、友哉の中には確かに根付いているのだった。

 

 それ故に友哉は、伽藍と同じ天を目指す事はできなかった。

 

「・・・・・・ま、良いだろう」

 

 そう言うと、伽藍は湯呑に残っていた酒を一気に飲み干した。そこには、誘いを断られた事に対する残念さは感じる事ができない。

 

 味方ばかりが強いと言う状況もつまらない。敵にも少しくらい強い奴がいた方が楽しめる。とでも思っているのかもしれなかった。

 

「どのみち、まだ時間はある。ゆっくりと口説くさ」

 

 そう言って、新たな酒を湯呑へそそぐ伽藍。

 

 対して友哉は無言のまま、その様子を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一夜明けた後、早めに目を覚ました友哉は、室内の惨状振りに目を覆いたくなった。

 

 昨夜のカオスぶりを物語るように、部屋の中は乱れまくっている。

 

 最もひどい事になっているのは白雪で、あの後いったい何があったのか、下着姿のまま、部屋の中央で大の字になっている。深酒が祟ったのか、二日酔いに苦しんでいる様子である。果たして、この姿を白雪のファンが見れば、如何に思うだろう?

 

 アリアはと言えばちゃっかりした物で、ちゃんと寝巻に着替えた上、巨大ベッドを1人で占領している。

 

 目を転じればレキと瑠香は、昨夜最後の記憶に合った通り、互いに寄り添うようにして眠っている。その横では茉莉も横になって静かな寝息を立てていた。

 

 陣はと言えば、昨夜の名残である酒瓶を片手に鼾をかいている。とは言え、飲んだ量では白雪以上の筈だが、こちらは飲み慣れているせいか、あまり辛そうにしていなかった。

 

 当の友哉はと言えば、やはり、酒の影響なのか、少し頭がぼんやりとしているような気がした。

 

 キンジと理子の姿は無い。もしかしたら、理子がキンジを連れ出して、強引に探検でもしているのではないかと思われた。

 

「僕も、ちょっと行ってこようかな」

 

 怠くなっている体を少し引き締めたいと思った友哉は、そう呟いて立ち上がる。ちょっとその辺をぶらぶらと散歩でもして来れば、酔いも抜けて気が晴れるだろう。

 

 そう考えた友哉は、皆を起こさないように、そっと扉を開いて出て行った。

 

 

 

 

 

 朝が爽快な気分になるのは、どこの国でも同じ事である。

 

 海に面した廊下を歩きながら、友哉はそんな事を考える。

 

 吹き上げてくる心地よい風を体に感じながら、友哉はそのように感じていた。

 

 風が気持ちいいのは、日本も中国も変わらない。だと言うのに、そんな中国と日本で、勢力を分けて戦っている自分達は、何とも奇妙に思えるのだった。

 

 故に、今回の和平交渉がうまく行く事は、友哉も願っているのだが。

 

 人の気配を感じて顔を上げたのは、その時だった。

 

「おはようございます。昨夜は良く眠れましたか?」

 

 中国の文官服を着た、細めの男は、そう言って友哉に笑い掛けてきた。

 

 諸葛静幻だ。

 

 荒くれ者揃いの藍幇を纏めるには、少々不釣り合いと思える程、線の細い外見の持ち主であり、とても戦闘向きな性格には見えない。

 

 しかし、戦場の勇者が、組織に相応しいと言いきれないのと同様、戦闘と縁薄い人物であっても、何がしかの誇れるものがあるなら、組織の長として充分にやっていけるわけである。

 

 香港系藍幇の結束力が強固なのは、昨日の戦いで既に感じている事である。故に、目の前の文官風の男が、ある種のカリスマめいた物を持っているのは確かである。

 

 目の前の男が貧弱そうに見えるからと言って、それを理由に侮る事はできない。

 

 ましてか相手は、あの諸葛亮孔明の子孫。戦乱続く三国時代に、知の力を示して世界を作った程の存在。間違い無く、世界最高の軍師と謳われる存在の末裔である。昨日のキンジと孫の戦いも舌先三寸で収めてしまったと言うのだから、ある意味、武勇を誇る伽藍よりも扱いにくい相手であると言えた。

 

 もっとも、中国では、「我こそは諸葛孔明の子孫也」と名乗っている者が、それこそごまんといるらしい。中には、村人全員が諸葛性で、全員が孔明の子孫を名乗っている場所もあるとか。そんな訳であるから、静幻が必ずしも孔明の直系であると言う証拠はどこにもない。

 

 しかし、その知略が本物である事は間違いなさそうだった。

 

「ちょうど良かった、これから遠山さんと峰さんをお誘いして、朝のお茶を飲むところでした。緋村さんも一緒にどうです?」

 

 朝から姿が見えないと思ったら、やはりキンジと理子は一緒にいたらしい。

 

 しかし、酒を飲んだせいで、未だに酔いが抜けきっているとは言い難い友哉からすれば、諸葛の申し出はありがたい物があった。

 

「お願いします」

 

 友哉は素直に、その申し出を受ける事にした。

 

 

 

 

 

 以外にも、諸葛が用意したお茶は、コーヒーだった。

 

 てっきり、中国茶が出て来るだろうと思っていた友哉に対し、諸葛はその心を見透かしたように笑いかける。

 

「最近では朝にコーヒーを飲む事が、中国でも流行ってまして」

 

 そう言って出されたコーヒーの味は、流石と言うべきか、そこらの喫茶店のコーヒーなど足元にも及ばないと思える程の味だった。朝には、比較的コーヒーを飲む事が多い友哉からしても、そのコーヒーが齎す味は、これまでに味わった事が無いくらいに美味かった。

 

 一緒のテーブルについているキンジと理子も、諸葛が淹れたコーヒーを口に付けている。

 

 朝早くから、2人して何をしていたのか、友哉としても気になる所ではあるが、女嫌いのキンジと、人をからかう事に関しては天下一品の理子である。実際の所は「何も無かった」のが正解なのでは、と友哉は考えていた。

 

「いや、しかし壮観ですね、こうして見ると」

「おろ、何がですか?」

 

 コーヒーカップに口を付けながら、友哉は諸葛の言葉を聞いてキョトンとした顔をする。

 

 この細目をした文官風の男が、いったい何を言っているのか測りかねているのだ。

 

 対して諸葛はにこにこと笑みを浮かべながらキンジを、次いで友哉を見詰めた。

 

不可能を可能にする男(エネイブル)に、計算外の少年(イレギュラー)。今をときめくお二人と一緒に、こうして朝からお茶を飲めると言うのは、他の方が聞いたら羨ましがるような贅沢です」

 

 諸葛の言葉を聞いて、友哉はピクッ眉を顰めた。

 

 イレギュラー、と言う名前を初めに友哉に行ったのは、シャーロック・ホームズだった。しかし、ここでまた、その名前を言われるとは思っていなかったのだ。

 

「かの名探偵をして、予測不能とまで言わしめたあなたの武勇は、藍幇のみならず世界中でも語り草になりつつありますよ」

「・・・・・・そうだったんだ」

 

 いったい、いつの間にそんな事になっていたのか?

 

 何だか、自分が急にアイドルか何かになったような気分になり、友哉は妙に気恥ずかしい気分になってしまった。

 

 と、そこでふと、諸葛の方に目をやった。

 

「おろ? そう言えば不可能を可能にする男(エネイブル)って?」

 

 尋ねる友哉。

 

 それに対して、傍らのキンジは、なぜか面白くなさそうに仏頂面を作ってそっぽを向いた。

 

 そんなキンジの反応を楽しむように、諸葛は続けた。

 

「遠山さんに付けられた二つ名ですよ。とても似合っていると思うのですがね」

 

 諸葛の返事を聞いて、確かに、と友哉も心の中で頷きを返す。

 

 これまでキンジは、幾多の戦いにおいて自分よりも遥かに強大な敵と渡り合い、そしてその全てに勝利してきた。

 

 不可能を可能にする、と言う意味では、これ以上、キンジに相応しい異名は他にないだろう。

 

 まあもっとも、当人の反応を見る限り、あまり気に入っていないであろう事は明白だが。

 

 と、

 

「ああ、そう言えば忘れるところでした」

 

 諸葛はハタと膝を打つと、いそいそと袖に手を入れ、中から小さい箱のような物を取り出して机の上へと置いた。

 

 指輪か何かを入れるような手のひらサイズの箱が差し出されると、キンジ、理子、友哉の3人は訝りながら、揃って首を突き出して覗き込む。

 

「これは?」

「アリアさんの殻金です。戦線会議の時に頂いた物ですが、良い機会ですのでお返ししときます」

 

 あっけらかんと言ってのける諸葛。

 

 しかし、言われた方は、思わず仰天しそうなほどの驚きを見せた。

 

 殻金と言えば、アリアの中にある緋弾を制御する宝石の事で、宣戦会議の時にヒルダによって解除され、居合わせた眷属勢力に1つずつ持ち去られた物だった。

 

 極東戦役においては、最重要アイテムの一つであり、これ一つ持っているだけでも、藍幇は師団に対してかなり優位に立てるはずなのだ。

 

「本物、か?」

「たぶん・・・・・・」

 

 箱の中に収められた緋色の宝石を見ながら、キンジと理子が信じられないと言った面持ちで呟く。

 

 この殻金は、アリアの今後の事も考えれば絶対に返してもらわなくてはならない物だったが、それをこうもあっさりと返してくるとは。

 

 玉藻相手ではないが、何だか狐に摘ままれたような気分だった。

 

「何で、今返してくれるんですか?」

 

 友哉は己の中の疑問をストレートにぶつけてみた。

 

 とにかく、これだけの物を呆気無く手放してしまう諸葛の真意が知りたかった。

 

 対して諸葛は、相変わらずニコニコしながら肩を竦めた。

 

「いや~ それが忘れてまして。あ、そう言えばと思って、昨日探してきました」

 

 あまりと言えばあまりにも間の抜けた答えに、思わず武偵3人がズッコケたのは言うまでもない事である。

 

 とは言え、この殻金が是が非でも返してもらわなくてはならない物である事に変わりは無い。

 

 殻金を指先で突きながらキンジは、探るような目で諸葛を睨み尋ねる。

 

「これを上手く使って、交渉を有利に進めようとは思わなかったのか?」

「今、そうしたつもりですよ。この殻金はもう結晶化している。これをアリアさんの緋弾に戻すには、相応の手配が必要になるでしょう。それは、あなた方がここから無事に帰ると言う事に他ならず、すなわち、私達と講和ないし決着した後に限られるのです。どうです? 一刻も早く藍幇との争いを手内にして帰りたくなって来たでしょう?」

 

 その言葉に、思わず友哉は、静かに喉を鳴らして緊張感を強める。

 

 諸葛がここで殻金を出したのは、恐らく好意半分、謀略半分と言ったところだろう。

 

 戦場において最も優れた戦いは、血を見ずに戦いを収めた事である、とは古今の兵法に通じるものではあるが、この諸葛は、正にその理想を体現していると言える。

 

 諸葛は自ら設定した戦略の中に、師団の行動を押し込める事で有利な状況を常に作り出しているのだ。

 

 対して師団側は、交渉の段階において後手後手に回りすぎていた。

 

「昔の諸葛と随分変わったな」

 

 キンジが内ポケットに殻金を収めるのを見詰めながら、理子がポツリとつぶやく。

 

 訝るような視線を向けてくる友哉とキンジに対し、理子は説明するような口調で続ける。

 

「昔の諸葛は、もっとムキムキの荒くれ者だったんだよ。人材の取り合いでシャーロックとやり合った事もある。それも、互角だった」

 

 その言葉には、キンジも、そして友哉も愕然とした表情を作り、思わず諸葛を見た。

 

 かつて、キンジと友哉が2人掛かりで挑み、互いに切り札を使って、ようやく勝利を売る事ができたシャーロック。

 

 そのシャーロックと互角に渡り合ったと言うのだから、昔の諸葛がいかに武闘派だったかが伺える。

 

 もっとも、今の諸葛は、良く言って「線の細い研究員」と言った感じであり、とても、あのシャーロックと互角以上に戦った武人とは思えなかった。

 

「よしましょう、昔の話は。あなただって好きではないでしょう。それに互角と言いますが、あれは完全に私の負けですよ」

 

 対して諸葛は少し硬い口調で、しかし、どこか照れたようなニュアンスを含めながら答えた。

 

「ノン、あたしは見た。あの戦い、最後にはシャーロックが戦うのをやめたんだよ。『諸葛君、残りの命を大切にしたまえ』って言ってね」

 

 その言葉を聞き、キンジはある種の確信に満ちた目でシャーロックを見た。

 

「お前、やっぱり、病気なのか?」

 

 何か思い当たる節があるのか、キンジが恐る恐ると言った感じで尋ねる。

 

 対して諸葛は、ただ穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。

 

「東洋医学でも、押さえられない物はありましてね。医者からは、あと数年の命と言われています」

 

 そう言ってから諸葛は、その細い瞳を僅かに見開いてキンジを、そして友哉を見詰めた。

 

「だからこそ、今、我々には必要なのですよ。あなた方のような強く、そしてカリスマを持った存在が、ね」

 

 そう告げる諸葛には、どこか理想と悲壮が入り混じったような雰囲気が放たれていた。

 

 諸葛の瞳が鋭く、友哉とキンジを見据える。

 

「私は今の長閑な香港藍幇が好きです。この藍幇を、次代を担う誰かに継いでもらいたい。しかし、私の体はこの通り、病魔に侵され、もう数年も影響力を保つ事はできそうに無い。その後は、強硬路線を敷く上海系藍幇や天津系藍幇に影響を受け、この香港もまた無法の組織へと転落するでしょう。だからこそ、お二人のように未来があり、そして人の心が分かるような方達に引き継いでもらいたいと思っているのですよ」

 

 その言葉を聞いて、友哉は諸葛が極東戦役に参戦した理由を何となく察した。

 

 自分の死期を悟った諸葛は、恐らく自身の後継者たるに相応しい人材を探す為に、病を押して極東戦役参戦を決意したのだ。

 

 かつて、諸葛亮孔明は自らの死期が近い事を知りながらも、蜀漢帝国を守る為に、二度と帰る事の無い戦場へと赴いた。

 

 その子孫である静幻もまた、悲壮な覚悟を持って戦いに臨んでいるのだ。己の大切な物を守る為に。

 

 と、

 

「・・・・・・武偵憲章10条『諦めるな、武偵は決して諦めるな』」

 

 キンジは、自身の覚悟を語る諸葛に対して、鋭い眼差しで言葉を返す。

 

「先が読めるのは良い事だろうよ。だが、この世には『絶対こうなる』なんて読みはあり得ない。だから諸葛、見える未来に納得ができないんだったら、抗えよ。俺も、緋村も、理子も、そして他のバスカービルやイクスのメンバーだってみんな、納得がいかない運命に抗ってここまで来たんだ。往生際悪く、な」

 

 流石は不可能を可能にする男(エネイブル)と言うべきだろう。

 

 運命とは、ただ敷かれたレールの上を歩くだけではない。道なき道を、己の力で切り開いてこそ価値がある物なのだ。

 

 少なくとも、キンジや友哉は、これまでそうやって戦い抜いてきた。

 

 対して、諸葛はニコニコとした笑顔のまま返事をする。

 

「好きですよ、遠山さんの・・・・・・日本人のそう言うところ」

 

 それは、諸葛にとっての本心である。

 

 だからこそ、彼はキンジのような強い人間に、香港藍幇を継いでもらいたいと思っているのだ。

 

 師団と藍幇。

 

 この香港における決戦が迫り来る中で、双方のカードは出そろい始めていた。

 

 

 

 

 

第9話「軍師の覚悟」      終わり

 


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