1
唐突だが、
緋村友哉はアイアンクローを受けていた。
何故いきなりこんな事になったのか?
実のところ、友哉にも良く判っていない。
一つだけはっきりしている事はと言えば、
「とっても痛い」と言う事だけだった。
「おろろ~~~~~~」
「だから、何でそう言う面白い事をする時に、俺を呼ばねぇんだよ?」
友哉にアイアンクローを掛けている相良陣は、手に込める力をさらに増していく。
陣の手は大きく、広げれば友哉の顔はすっぽりと覆われてしまう。その為、締めあげられたこめかみには万力に挟まれたような強烈な痛みが襲っていた。
「いい、いたッ 痛いってば陣ッ!!」
「おうよッ 痛くしてんだ。当たり前だろうがッ」
ギリギリと締めつけて来る頭蓋の圧力に、友哉はたまらず悲鳴を上げる。
どうやら、この間の戦いの際、声を掛けずに1人で乗り込んで行った事に腹を立てているらしい。もっとも、友哉としては皆を集める時間が惜しかったので単独で行動しただけの話なのだが、喧嘩上等を背負って歩いているような陣からすれば、「自分を差し置いて面白い事をして来た」友哉に対し、一言言わなければ気が済まない。と言うのが本音であった。
一言どころか手が出ている辺りは、御約束と言ったところだろう。
そもそも、砲弾に匹敵すると言われる程の膂力を持つ陣に本気で締め上げられたら、今頃、友哉の頭は破砕しているかもしれない。
やがて、陣は友哉を、舌打ち交じりに解放する。
「そんで、今度の敵は、その藍幇? だっけ? そいつらあれだろ。修学旅行の時にぶちのめした連中だろう?」
「・・・・・・うん、まあ」
尚も痛む頭を押さえながら、友哉は答える。
鏡高邸での戦いから数日。既にキンジとレキも学校に復帰し、これまでと変わらない生活が戻ってきていた。
とは言え、油断はしていられない。
極東戦役の戦局は、確実に動こうとしている。攻勢を掛けて来た藍幇に対し、師団はジーサードを戦列から失っている。
ジーサード自身は、とっさに急所を避けてレーザービームを受けた為、致命傷は避けられた様子だが、それでも暫くは療養する為、戦列復帰は無理との事であった。
その後、藍幇勢力は出国が確認されている。どうやら一撃を加えただけで退却したらしい。
一撃した後、自分達の戦力圏まで素早く後退する事により、追撃の手を封じる。ヒットアンド・アウェイと言う訳だ。
こちらが防衛戦術を展開し積極攻勢を控えている現状では、まことに有効な戦法と言える。
藍幇としては、師団に少しでも損害を与えられれば上等と言う事だろうが、やられた側としては、鬱陶しい事この上ない。
このままでは師団勢力は、徐々に戦力をすり減らされる結果にもなりかねないだろう。
そろそろ、戦略を転換する時期に来ているのかもしれなかった。
その時、
「緋村」
「おろ?」
突然、名前を呼ばれて振り返ると、そこにはミニスカ和服姿の狐少女が立っていた。
「玉藻」
師団のリーダーである玉藻は見た目の通り(?)狐の妖怪であり、様々な術を使いこなす事ができる。東京湾岸一帯に張り巡らせた鬼払い結界を張ったのも彼女である。つまり、師団の守りの要とも言うべき少女である。
だが、
「何だ、このちっこいのは?」
初めて玉藻を見る陣は、胡散臭そうに近付くと、彼女の頭をポム、ポムと叩いてみる。
「ちょ、陣ッ」
「何だ、友哉の知り合いか? お前、いつからロリに走ったよ?」
と、色んな意味で失礼な事をのたまう。
因みに玉藻は800年以上生きている大妖怪なので、厳密に言えば「ロリ」には該当しないと思うのだが、見た目がこんなである為、判断が難しい所である。
次の瞬間、
「天罰!!」
バキィッ
「グオッ!?」
大きく跳躍した玉藻は、何処からか取り出した御祓い用の御幣で、陣の頭を龍槌閃ばりに叩きつけた。
その一撃で、床に倒れ込む陣。
玉藻の小柄な体からは想像もできない力である。恐らく、術を使って力を強化したのだろう。
「イテェな、このクソガキ、いきなり何しやがる!?」
とは言え、そこは流石の陣。1秒後には回復して玉藻に食ってかかっている。
「相良、お前には信心が足りんッ 儂を何と心得るか!?」
「ああん!?」
ガン飛ばし合う大男と狐幼女。正直、かなりシュールな光景である。
「まあまあ、2人とも落ち着いて」
苦笑しながら両者の間に割って入り、2人を宥める友哉。正直、このまま場の流れに任せていたら、話は一向に進みそうも無かった。
取り敢えず、互いに初対面だろうと言う事もあり、友哉が間に立って自己紹介する事にした。
「陣、この子は玉藻。こう見えて、一応、僕達、師団のリーダーなんだよ」
「緋村よ、お主の言い方も、そこそこに失礼であるぞ」
不満顔の玉藻に向き直り、今度は陣を指差す。
「で、こっちが・・・・・・」
「相良陣じゃろ。知っとるわい。噂通り粗暴な男じゃの」
その粗暴な男を、棒きれで叩き伏せた玉藻は後を向いて、背中に負った賽銭箱を陣に突き出して来た。
「? ・・・何だよ?」
「先程の詫び料じゃ。入れい」
意味が判らず首を傾げる陣に対し、玉藻は語調を強めて迫って来る。
殆ど、ぼったくりに近かった。
とは言え、賽銭箱の形から、玉藻が何を言わんとするのかは判ったのだろう。
陣は不承不承ながら財布を取り出そうとして、
「あ、悪ぃ、今、財布無ぇ。友哉、代わりに入れといてくれ」
「おろ・・・・・・」
結局、友哉がぼったくられる事になった。
「で、玉藻、今日はどうしたの?」
軽くなった財布をポケットにしまいながら、友哉は尋ねる。
このような昼間から、玉藻が堂々と会い来るのは珍しい。何か用事があってのことと推察できた。
「うむ。先日の猴との一件を受けて、儂は暫く東京を離れ、京都へ赴く」
「京都?」
京都と言えば、この間の修学旅行Ⅰも含めて、友哉達には馴染の深い場所である。
だが、同時に千年の昔より魔物が息づく魔都である。そこに玉藻が赴くと言う事自体が、何か、人間には計り得ない因果があるように思えた。
「伏見稲荷の大八州評定にて、此度の件を審議するつもりじゃ」
言っている事はさっぱり判らないが、取り敢えず、妖怪たちの会合みたいなものでもあるのかな、と友哉は推察した。
「場合によっては、大陸の化生達と争わねばならぬ事にもなりかねんからの」
「良く判んないけど、妖怪の世界も大変なんだね」
中でも、今までの話を聞いていると玉藻は、妖怪の中ではそれなりに高い地位にいるらしいと言うのが推察できる。もしかしたら、妖怪たちの纏め役もやっているのかもしれない。
見た目は、とてもそんな感じではないが。
「うむ。ついては緋村。儂は新幹線で京都へ行く故、その料金を玉串料として奉納せい」
「おろっ?」
あまりと言えばあまりな言い草に、友哉は目を丸くする。
「いや、お金ならさっきあげたじゃん」
「何を言うておる。あれはこ奴の詫び料じゃろうが」
そう言って、我関せずとばかりにふんぞり返っている陣を睨む。
とは言え、払わないと、何か狐的な物に取り憑かれそうで、後が怖い。
泣く泣く、財布に残っていた金を賽銭箱に放り込み、がっくりうなだれる友哉。
とんだ霊感商法も、あったものであった。
2
キンジから招集が掛ったのは、玉藻とのやり取りがあった翌日の事であった。
クリスマスが近付く中、小雪もちらつく学園島だが、その寒さとは裏腹に、熱気にも似た賑わいに包まれている。
理由は言うまでも無く、数日後に迫った修学旅行Ⅱである。
国内限定であった修学旅行Ⅰとは異なり、今回の行き先は海外。武偵をやっていても、学生の内ではそうそう国外に出る事は無い。
否が応でもテンションも上がって来る。
そんな中で、師団に所属するイクス、バスカービル、リバティ・メイソン、イ・ウー研鑽派のメンバーにそれぞれ、キンジから同様のメールを受け取った。
文面は「作戦会議だ、すぐに来い」とあった。
いつになく、積極的なキンジの行動に、一同は首を傾げる。
もしかしたら、先の特秘任務で何か思う所があって、キンジの心境に変化が現われたのかもしれない。
何にしても、喜ばしい事だ。
玉藻が不在である以上、師団の事実上のリーダーはキンジである。明確にそう決めた訳ではないのだが、今までの実績や実力を鑑みれば当然の事である。
そのリーダーが、積極的になった。
「勇将の下に弱卒は無し」とも言う。これで師団側の士気は上がる事だろう。
早速、呼び出されたキンジの部屋に足を運んだ。
までは良かったのだが、
集まった女子全員が体操着姿であった事は、完全に予想外であった。
どうやら、訓練時の余波で女子更衣室が破壊されたのだとか。それで、女子達は全員体操着姿であった。
それでも、アリア、レキ、ワトソン、彩夏の4人はまだマシな方だろう。
上記の4人は、下は短パンやハーフパンツを穿いた、通常の体操着姿をしている。
因みにワトソンは、男の姿をしているが、
問題は他の5人、理子、白雪、ジャンヌ、茉莉、瑠香だった。
彼女達は何を思ったのか、今や絶滅指定種に認定されたブルマーを穿いて現われたのだ。
ブルマーは古くから女性の体操着として歴史があり、体にフィットする構造から、動き易さという面に関しては、確かに短パンやハーフパンツよりも優れていると言える。
しかし半面、パンツと同じ形をしている事から、行き過ぎたマニアによる盗撮被害が相次ぎ、今や日本中の小、中、高校全ての体操着から一掃された存在である。
今やその存在を見る事ができるのは、漫画やゲームなど、一部のメディアに限られる。友哉自身、漫画もゲームもやる方なので知識としてはブルマーの存在を知っていたが、しかし実際に見るのは、この学校に入って、ジャンヌが穿いているのを見たのが初めてであった。
確かに、武偵校では指定された体操着は無く、個人が自由な体操着を選ぶ事ができるが、わざわざ、それを選んで穿いて来る女子は少数派である。
都会の真ん中に、咲いた花は5輪。
正直なところ、かなり目の毒だった。
「・・・・・・・・・・・・キンジ」
「言うな。頼むから、何も言わないでくれ」
ジト目で睨んで来る友哉に対し、キンジは頭を抱えて呻く。
勿論、女嫌いのキンジが、狙ってこのような空間を現出したのではないのは判っている。
が、しかし、あまりにも落ち着かないこの状況に、友哉としては恨み事の一つでも言わない事には気が収まらなかった。
「理子先輩に貰ったんだ。可愛いでしょ?」
「わ、私は、その、理子さんと瑠香さんに無理やり・・・穿かないとご飯抜きって言われて・・・・・・」
気に入った様子の瑠香とは裏腹に、茉莉は恥ずかしさ満点と言った感じに顔を真っ赤にして俯いている。
何となく、状況が想像できる。茉莉がブルマーを自ら望んで穿くのは考えられない。きっと、瑠香と理子に口八兆で強引に丸めこまれたのだろう。万事奥手な茉莉が、アクティブ少女2人を相手に、口喧嘩で敵う筈がなかった。
とは言え、
友哉は改めて、ブルマー姿の茉莉を見る。
茉莉は顔を真っ赤にしたまま、体操服の裾を引っ張ってどうにかブルマーを隠そうとしているが、勿論、そんな程度では隠しようも無い。
『・・・・・・・・・・・・可愛い』
自分の彼女が、こんなあられも無い格好をして恥じらっているのだ。可愛くない訳がない。
時間が許すなら、このままいつまでも見ていたい気分である。
「あ、あの、友哉さん・・・・・・」
そんな友哉の視線に気づいた茉莉が、顔を赤くしまたまま、上目加減に友哉を見詰めて来る。
その様子がまた可愛くて、友哉も頬が熱くなるのを感じた。
「可愛い、よ。茉莉」
「は、はい、ありがとうございます」
何やら、完全に2人だけの空間を形成している。
と、
ビシッ ビシッ
「おろっ!?」
「あうっ!!」
おでこに強烈な痛みを感じ、2人は同時に額を抑えて蹲る。
「いつまでイチャラブってるんだテメェ等は? 話が進まねぇだろうが」
自分のチームのリーダーとサブリーダーに容赦なくデコピンを浴びせ、陣が苛立ったように言う。
見れば、他の一同も、友哉と茉莉に白い目を向けて来ている。
因みに、この場にいる男女全員が1人身である中で、付き合っているのは友哉と茉莉だけである。
正に「リア充爆発しろ」と言ったところである。
そんな訳で、一部ピンク色の空気が垂れ流される中、作戦会議は始まった。
「打って出るぞ。ターゲットは藍幇だ」
開口一番、キンジが宣言する。
なぜキンジが鼻声なのかは取り敢えず置いておくが、その発言は友哉の予想通りでもあった。
このまま藍幇の跳梁を許していては、師団のじり貧は目に見えている。何かしら、抜本的な解決策が必要であった。
茉莉のおでこに絆創膏を貼ってあげながら、話の続きを聞く。
キンジに続いて、ブルマー姿のジャンヌが発言する。彼女の子の姿は以前から何でも見ているが、素材が良いだけに、まるで下着モデルのような印象すらある。
「遠山に調べろと言われたので、ココについて
「・・・・・・間もなく?」
アリアの膝の上に乗ろうとしていた理子が、動きを止めて尋ねて来る。
「3人のココは、まだ長野拘置所で拘留されている。そして皆も聞いていると思うが、遠山と緋村は暴力団を壊滅させた際にココと会っている。『第4のココ』が存在するのだ。能力は不明。外見は他のココと同じだが、眼鏡を掛けているらしい」
ジャンヌの言葉を受けて、友哉も考え込む。
第4のココの事も気になるが、それ以上に、逮捕した3人のココが仮釈放される事の方が、友哉には気なっている。あの3人は、液体爆弾を用いたエクスプレス・ジャックと言う大それた事件を起こしている。本来なら、無期懲役になっていてもおかしくは無い。
それを保釈金を積んで出て来ると言うのだ。恐らく動いた金は億単位になるだろう。つまり、それだけの金をあっさり出せるほど、藍幇は潤沢な資金源を持っていると言う訳である。
キンジは一同を見回しながら、先を続ける。
「ココだけじゃない。諸葛って男も得体が知れない。それにジーサードを一撃で倒した猴と言う少女。こいつも強い。玉藻曰く、孫悟空なんだそうだ。如意棒と言うレーザービームを撃つ。あれは一言で言って必殺技だ。誰も勝てないだろう。俺以外には」
自信ありげに言うキンジに、一同、特にバスカービルの女子4人は熱の籠った視線を送る。
「猴は俺に任せろ。弟の仇だ。俺が討つ。手助けがいる時は誰かを指名してやるから、そしたら来い」
そう告げるキンジは、確かに、今までとは違う雰囲気を纏っている。
今までのキンジなら、決してこのように積極的に前に出るような事はしなかっただろう。取ろうと思えば取れるリーダーシップを、放棄している印象すらあった。
間違いなく、キンジの内面で何らかの変化が起こっていた。
「でも、キンちゃん、最初に行った『打って出る』って?」
ブルマー姿のまま、ソファーに正座した白雪が怪訝そうに尋ねて来る。
打って出ると言う以上、これまでの防御策を捨てて攻勢に出ると言う事だが。
「これまで極東戦役では受けに回っていたが、それだと距離のある敵に対しては膠着状態に陥る。実際、藍幇の一味は猴の調子が悪くなったのか、すぐに香港に引っ込んだ。それを体制が整うまで待ってやるほど俺はお人よしじゃないぜ。これは戦争みたいなもんなんだ。フェアプレーが褒められるスポーツとは違う」
つまり、逆侵攻作戦。攻めて来た敵を撃退し、反撃と報復を兼ねて敵の領土へと乗り込むのだ。
「何か、誰かの受け売りっぽいけど、偉いわ、キンジ!!」
ビシッとキンジを指差し、アリアは満面の笑顔で言う。
「攻撃は最大の防御なり! 強襲すべき時は強襲するのが戦いよ。受け身なのはあたしの性に合わないって、前々から思っていたところなのよ!!」
鼻息も荒く言い放つアリア。
一方他のメンバーは、肩を寄せ合い、何やらヒソヒソと話し合っている。
「キンちゃん様がこんなに積極的になるなんて。素敵・・・・・・」
「キーくん、拾い食いのメニューは何だったの? こんど理子が道端にそっと置いておくよ」
「・・・・・・」
「バスカービルのリーダーは遠山。長らく忘れていたが、思い出したぞ」
「トオヤマ、まさかとは思うけど、君は何か禁止薬物とかやったりとか・・・・・・してないよな?」
「あのさ遠山君、熱あるんだったら、早めに休んだ方が良いよ。うつされたらやだし」
「遠山がこんなに積極的になるとはな。こりゃ明日は雨か」
「いや~陣。もしかしたら、槍かも」
「いやいや、きっと銃弾だって」
「瑠香さん、それならもう降ってます」
失礼極まりなかった。
それらをスルーしつつ、キンジは先を続ける。
「そこで、修学旅行Ⅱを使う。行先はいろんな都市を選択できるが、バスカービルは香港だ。異存は無いな?」
「良いわ!」
「ついて行きます、地の果てまでも!」
「理子、栗子月餅食べるー!」
「はい」
それぞれの返事で、肯定の意を示すバスカービル女子。
因みに修学旅行Ⅱはクリスマスに何の予定も無い武偵校生徒達に、教務課が用意したイベントである。国内限定だった修学旅行Ⅰと異なり、上海、香港、台北、ソウル、シンガポール、バンコク、シドニーから選択する事ができる
「すまんが、私の所属する『コンステラシオン』はシンガポールに行く事になっているから同行はできない。だが、向こうでイ・ウー研鑽派の仲間と会ってくる。極東戦役に参戦する志願兵を募るつもりだ」
ジャンヌは、すまなそうに言う。
これは仕方がない。彼女のチームは中空知美咲等を中心とした通信系チーム。総合的な戦闘力は低い上に、当事者はジャンヌ1人しかいない。直接的な参戦は危険すぎる。
むしろ、藍幇戦後の戦局を見据えて動くのが、今回のジャンヌの役割と言えた。
ジャンヌに頷きを返すと、キンジは友哉に向き直った。
「緋村、イクスはどうする?」
バスカービルと共に、実戦部隊の片翼とも言うべきイクス。その去就を聞いているのだ。
対して友哉は、真剣な眼差しでキンジを見ながら言う。
「逆侵攻作戦自体に関しては反対しないよ。けど、その前に一つ、確認しておきたいんだけど」
「何だ?」
「こちらから打って出る場合、確かに決戦に持ち込む事はできるかもしれないけど、同時に守りの有利を捨てる事になる。そこら辺はどうするの?」
戦いとは、守備側の方がどうしても有利である。兵力の集中ができるし、補給線も簡単に確保できる。何より、相互支援がしやすい。
加えて現状、東京周辺には玉藻が敷いた鬼払い結界がある。これは玉藻の許可がない魑魅魍魎の類が内部に入り込んだ場合、自動的に攻撃を仕掛ける物だとか。
まさに、鉄壁の防衛ラインである。以前戦った、《紫電の魔女》ヒルダも、この鬼払い結界があったからこそ、積極的に攻勢を掛ける事ができず、自陣におびき出す作戦を取ったのだ。
猴が中国の化生に分類されているのなら、少なくとも結界内にいる限りは安全と言う事になる。
その有利さを捨てても良いのか、と友哉は尋ねているのだ。それでなくても、調子に乗って敵領土に侵攻した揚句、壊滅的な打撃を受けた軍は歴史上枚挙に暇がない。
「緋村、お前の言いたい事は判るが、俺の考えはさっき言った通りだ。連中が戦力の立て直しを図るのを黙って見過ごしてやるつもりは無い。敵は叩けるうちに叩いた方が良い」
ここは敢えて守りを捨ててでも、攻めに転じるべきだ、とキンジは主張しているのだ。
友哉は視線を外し、茉莉、陣、瑠香は、それぞれに頷きを返して来る。3人とも、進撃案に異存がない様子だ。
友哉も頷きを返すと、キンジに向き直った。
「判った、イクスはバスカービルと一緒に香港に進撃する」
これで、決まりある。
その後、一応の守りの要と言う事で、ワトソン、彩夏のリバティ・メイソン組は東京に残る事になった。
外国からの留学者である2人には、修学旅行先が「東京」と言う選択肢も与えられている。彼女達には守備の他に、万が一、イクスやバスカービルが敗れて敗走して来た時、その受け入れをしてもらう必要があった。
こうして、師団の香港逆侵攻作戦は満場一致で可決されたのだった。
暗き、地の奥底にて、
その人物は身じろぎもせずに鎮座している。
僧侶のような法衣を身に纏い、顔は頭巾によって隠されている為、一切うかがい知ることはできない。
彼は数100年の長きに渡り、この国の行く末を、この場から動かずに見守って来た。
近年に入っての、時流の動きは速く、悠久の時を生きる彼にとっても、驚く事ばかりであると言えた。
その中の一つ、かねてからの懸案事項に動きがある事が報告されていた。
「緋弾が、動くか・・・・・・」
この1年余り、緋弾はこの国から出た様子は無かったが、ここに来て俄かに蠢動を見せている。
向かう先は香港。彼の都市に根を下ろす組織との抗争が目的であるとか。
藍幇は油断ならない組織。いかに緋弾の担い手と言えど、どうなるか判ったものではない。
こちらからも、何らかの手を撃つ必要がありそうだった。
それに、香港と言うのは好都合である。うまくすれば、色々な事に片がつくかもしれなかった。
「柳生、服部」
「はっ」
「これにっ」
声に応じて、2つの影が目の前に膝をつく。
1人は体格の良い男だ。その表情は荒々しさと知性を兼ね備えており、肉食の獣を思わせる。
柳生当真。
つい先日、友哉が骨喰島で交戦した剣豪である。
もう1人、服部と呼ばれた人物は、黒ずくめの恰好に、黒い覆面までしており、表情はおろか、性別や体型まで判然としなかった。
2人は黙したまま、頭巾の男に対し頭を垂れ、次の指示を待っている。
「間もなく、緋弾を中心とした勢力が、大陸の香港へと進軍する。柳生よ、お主は密かに潜行し、緋弾の守備に付け。無闇な手出しは不要であるが、いざという時には、敵対する勢力を排除せよ」
「はっ」
次いで、服部の方へ視線を向ける。
「服部よ。お主は、彼の地の組織が保有する、例の物を奪取するのじゃ。あれはこれからの我等に必要な物。必ずや持ち帰れ」
「はっ、必ずや」
服部の返事を聞き、男は頭巾の中で笑みを浮かべる。
状況は彼が想像していたよりも、早く推移している。多少の計画変更が必要かもしれない。
だが、事態はまだ、こちらの手の内だ。今なら、世界中の組織に対して先手を打てる筈だ。
3
作戦会議を終え、メンバーが帰ってから、友哉達も自分達の部屋に戻った。
と言っても、部屋はキンジの部屋の隣なので、すぐに帰る事ができるのだが。
「いや~、面白かった~」
瑠香はご満悦、と言った感じに満面の笑顔を浮かべている。
「ブルマーって良いね。確か、志乃ちゃんとかも穿いてたし。これからは、体育の時、あれにしようよ」
「イヤです。恥ずかしいです」
昼間の自分の姿を思い出したのか、茉莉が顔を赤くしている。どうやら、相当恥ずかしかったらしい。無理も無い、実質的にパンツ丸出しで歩いていたのと同じような物なのだから。
「そんな事言わないでさ。友哉君も、また見たいよね。茉莉ちゃんのブルマー姿」
「ん、そうだね」
話を振られて、友哉も返事を返す。
確かに可愛かった。茉莉のああいう格好が見られるなら、いつでも大歓迎である。
「そんな、友哉さんまで・・・・・・」
彼氏にあっさり裏切られ、ガックリと肩を落とす茉莉。
とは言え、友哉としても、今言った事は本音である為、引っ込める気は無いのだが。
『それはそうと・・・・・・』
頭の中を、彼女の艶姿から、真面目な方向に切り替える。
修学旅行で、香港へ進撃する。
その作戦案自体には賛同した友哉だが、不安要素がないかと言えば、そんな事は無い。
香港は藍幇にとってのホームグランド。攻め込めば、当然、激しい迎撃が予想される。今まで師団は、攻めてきた敵を迎え撃てば良い立場だったので戦力の集中は容易だったし、事実、強大な敵に対して皆の力を合わせる事で勝利して来た。
だが、今回はその立場が逆になる。戦力の集中が可能なのは藍幇の方であり、師団側は敵地で、孤立した状態での交戦を余儀なくされる。
味方はイクス、バスカービルのメンバー9人のみ。これだけで、強大な藍幇相手に戦わなくてはならないのだ。
戦争における部隊運用とは、いかに必要な場所に必要な戦力を集中できるかに意義がある。そう言う意味で、高速機動部隊としてのイクスの真価が問われる戦いになるだろう。
「あ、そうだ」
尚も茉莉にじゃれついていた瑠香が、何かを思い出したように言った。
「2人に言っておく事があるんだけど」
「おろ?」
「なんですか?」
改まった口調の瑠香に、友哉と茉莉は顔を見合せながら尋ねる。
対して瑠香は、驚くべき事をあっさりと言ってのけた。
「あたしさ、今回の修学旅行から帰ってきたら、この部屋出て行くから」
「え!?」
突然の事に、友哉も茉莉も、思わず目を見開いて茉莉を見た。
「な、何でですか、急に!?」
「だってさ」
対して瑠香は、2人を見比べると、少しさびしそうな顔をしながら言った。
「あたしがここにいたんじゃ、2人に邪魔かなって思って」
「そんな事はッ」
2人の「新婚生活」に瘤付きでは何かと差し障りがあるだろう。瑠香はそう言っているのだ。
言い募ろうとする茉莉を、瑠香は制する。
茉莉からすれば、瑠香は大好きな「姉」である。その姉が、自分のせいで出て行く事に、耐えられなかった。
だが、瑠香は微笑みを浮かべ、茉莉の鼻をチョンと人差し指でつつく。
「妹が甘えん坊なのは、『お姉ちゃん』としては嬉しい限りだけど、いつまでもそんなんじゃいけない事くらい、茉莉ちゃんにだって判っているでしょ?」
「瑠香さん・・・・・・」
「大丈夫。茉莉ちゃんの料理の腕も大分良くなってきたし。ここにいても、もうあたしができる事は少ないから」
事実である。瑠香のスパルタ的努力によって、どうにか茉莉の作る料理も、人並み程度には上達していた。勿論、瑠香の腕前に比べたら、まだ天地の開きがあるが、それはそれ、元々瑠香の料理の腕前が良すぎるのである。一般的に見れば、茉莉の料理も充分に合格点だった。
友哉と付き合い始め、茉莉にも「姉離れ」の時期が近付いているのかもしれなかった。
「でも瑠香、出て行くとして、何処に行く訳?」
「取り敢えず、彩夏先輩に相談したら、部屋が余ってるから来て良いって言ってくれた」
どうやら瑠香は、全ての手回しを終えてから、話をしているようだった。
「決心は、変わらないんだね?」
「うん、もう決めたから」
友哉の問いかけに、強く頷く瑠香。
その姿を見て、友哉も諦めたように頷きを返す。
時間が過ぎれば立場も変わる。
友哉は瑠香では無く、茉莉を選んだ。その時点で、こうなる事はある意味、確定だったのかもしれない。
これも一つの「時代」の終わりであるのかもしれない。
友哉は、そう思わずにはいられなかった。
第4話「逆侵攻作戦発動」 終わり