緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第7話「狂気の成果」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉を開き、足を踏み入れた先は、ちょっとしたホールのような広い空間だった。

 

 友哉、茉莉、一馬の3人は、ゆっくりと足を進めながら、その中央にまで進み出る。

 

 3対の視線が集中する先。

 

 そこに、1人の男性が佇んでいた。

 

 斜陽を迎えたこの島にあって、尚、君主であり続ける男。

 

 年齢こそ初老と言っても良い域に達しているが、未だにその事を感じさせない、巌の如き存在感を溢れだしている。

 

 石井久志は、武偵2人、公安刑事1人と言う奇妙な組み合わせの一行を、興味深そうに眺めてから口を開いた。

 

「・・・・・・やはり、警備員共では阻止する事ができなかったか。これからは、もっと腕の良い連中を雇う必要がありそうだな」

 

 追い詰められて尚、堂々とした態度を失わないのは、敵ながら讃嘆を禁じえない。

 

 しかし、目の前の男が、今回の最重要参考人である事に変わりはなかった。

 

「なに、そんな事を心配する必要はないさ。どのみち、もうお前等は終わりだからな」

 

 そう言ったのは一馬である。

 

 既にこの島だけでなく、東京の本社にも司法の手が及んでいる。それと同時に、浪日製薬の株式凍結も行われている。仮に今ここで、久志が逃げおおせたとしても、彼が捲土重来を期する事は金輪際ありえなかった。

 

 その言葉を聞き、久志は深々と溜息をつく。

 

「戦後60年。連合軍の占領から脱し、復興の荒波の中をひた走ってきた日本。その日本の医療を影から支え、多くの功績を残し、尚且つ、この国を支え続けて来た我々を、君達は潰そうと言うのか」

 

 731部隊の関係者達は皆、GHQから釈放された後、多くの物がそのまま医学の道へと進んで来た。その中で、日本の医療技術躍進に貢献し、今日の医療大国日本を作り出すのに貢献した者も少なくない。

 

 久志もまた、その1人であり。歴代の浪日製薬社長達も例外ではない。

 

 彼等が、この国を支えたと言う久志の言葉は、決して誇張ではないのだ。

 

「断言しよう。我々が今後10年健在であるならば、この国の医療は更に発展を遂げ、今この時代では治療の当ても無く死を迎えるしかない人々を、10年後には救えるようになるだろう。それだけの力が、我々にはあるのだ」

 

 それは誇張でも何でもない。

 

 現代の最先端医学を持ってしても、決して救う事ができない患者は大勢いる。だが、浪日製薬のように最先端医療の研究を行う会社が力を合わせれば、将来、数々の病を克服する事も夢ではないのかもしれない。

 

「じゃあ、何で、生物兵器なんて開発したんですか?」

 

 茉莉が、震える声で尋ねる。

 

 あの研究等のガラス筒に収められたおぞましい物体。あのような物を作り出しておいて、なぜ、とくとくと医療の発展に着いて語る事ができるのか。

 

 茉莉には、理解に苦しむ事であった。

 

「医療の研究には、莫大な資金が必要なのだ」

 

 久志は諭すような口調で告げる。

 

「生物兵器開発は、その為の資金繰りに過ぎん。日本では禁忌に入る生物兵器も、1歩海外に出れば、欲しいという国はいくらでもいる。そこで我が社でニーズに合った物を開発し、資金を獲得し、その資金を医療発展に役立てる。それこそが、浪日製薬のあり方なのだ」

 

 そこには戦後60年と言う、莫大な時間と、そこを生きた多くの人々の想念を背負って立つ男の、絶対の自信と矜持が現われていた。

 

 貴様ら如き三下に、我等が歩みを止める資格はない。

 

 久志の言葉は、言外にそう語っていた。

 

「だからって、人体実験なんて言うひどい事をするなんて・・・・・・」

「奴等は皆、我が社に害を齎す為に来た者達。それを排除したまでの事だ」

 

 久志が今まで人体実験に供した者達は、他企業からのスパイ、国家の諜報部員、社内で重大な過失を犯した者達ばかり。言わば久志にとっては紛う事無き「外敵」である。そして、久志が行った行為は、ただ外敵を撃ち払っただけの事。少なくとも、久志の認識では、そうだった。

 

「でも、そんなの、間違ってます!!」

「何が間違っているのか、何が正しいのか。そんな物は、人の立ち位置や主観によっていくらでも変化する。少なくとも、会社を守り、将来の医療に貢献すると言う私の目的からすれば、聊かも間違っているとは思わん」

 

 傲然と胸を逸らして、久志は己の哲学をのたまって見せた。

 

 その言葉に、茉莉は言葉を詰まらせる。

 

 久志の言っている事は、明らかに間違っている。如何なる理由があろうとも、このような非道な行為が許されて言い道理は無い。

 

 だが、その考えを、言葉にして出す事ができない。この老獪とも言える人物を論破するだけの弁舌の才能は、この大人しい少女には無かった。

 

「もう良いよ、茉莉。ありがとう」

 

 彼女の肩を労うように優しく叩き、友哉が前に出る。

 

「どうやら、この人を説得だけで投降させるのは無理みたいだ」

 

 久志は確かに非道だが、己の非道さにある種の信念を持って生きている。しかも、生き馬の目を抜く医療業界で会社を発展させてきただけの事はあり、弁舌の才にもたけている。

 

 この手の人間は厄介だ。たとえ、こちらがどれだけ正論を吐こうとも、あたかもその正論自体が間違っているかのように巧みに論点をすり替え、まるでこちらが悪であるかのように見せて来る。

 

 であるならば、取るべき手段は一つ。一切の理屈を道理でねじ伏せる。即ち、快刀乱麻を断つのみだ。

 

「あなたは犯罪者で、僕達はあなたを捕まえる為に来た。事実はそれだけ判っていれば充分です」

 

 言いながら、逆刃刀を抜き放ち、切っ先を久志へと向けた。

 

「石井久志、あなたを逮捕します」

 

 この男にどんな信念があったとしても、それは関係のない事。

 

 武偵憲章二条「強くあれ。但し、その前に正しくあれ」

 

 友哉は武偵として、目の前の男を許す事はできなかった。

 

 対して久志は、何かを諦めるように溜息をつき、やがて真っ直ぐに友哉を睨み据えた。

 

「そう言う事なら、こちらも切り札を使わざるを得んな」

 

 そう言って取り出したのは、空圧式の無針注射だった。通常の注射のように、針を肌に差して薬液を注入するタイプでは無く、高圧縮させた空気でピストンを動かし、薬液を肌に浸透させるのだ。

 

「この中には我が社が総力を上げて開発した生物兵器用薬剤。その完成型が入っている。データはすでに処分した。他の完成品も焼却処分したから、残っているのはこれだけだ」

「だから何だ? それを渡すから見逃せとでも言う気か?」

 

 挑発的に一馬が尋ねる。勿論、そんな取引に応じるつもりは、一馬は元より、友哉にも茉莉にも無いのだが。

 

 だが、

 

「そうではない。これを・・・・・・」

 

 言いながら、久志は注射のノズルを自分の首筋に押し当てる。

 

「こうすると言っているのだよ」

 

 言った瞬間、友哉と茉莉は思わず動きを止めた。

 

 中の薬は人をあの凶暴な怪物に変える薬品。それを注射すればどうなるか、久志が一番よく知っている筈だ。

 

 それを久志は、自らに打とうとしている。

 

「待ってください、その薬は・・・・・・」

「君に言われずとも判っている」

 

 茉莉の言葉を遮り、久志は聊かも揺るがない言葉で告げる。

 

「この薬の力を使い、この身を人外にする事で、まずは君達を殺す。次いで、上で暴れている連中にも後を追わせる。それで、全てに片が付く」

 

 正に、究極の証拠隠滅、とでも言おうか。

 

 追い詰められた久志は、あたかも負けの込んだゲーム盤をひっくり返すが如く、最後の切り札を切って来たのだ。

 

 そんな物を使われたら、確かに厄介である。手の付けられない大惨事になるであろう事は、目に見えていた。

 

 だが、

 

「やれば良いじゃないですか」

 

 友哉は静かに、しかし確固たる意志を胸に秘めて言い放った。

 

「そんな事をしたところで、何の意味も無い。その事は、あなたが一番よく知っている筈でしょう?」

 

 仮に、ここで生物兵器として暴走し、島に上陸した者、友哉達も含めて全員を殺しつくしたとしても、最早、浪日製薬の再起は叶わない。それどころか、ここで生物兵器によって蝕まれ、久志は二度と「人」に戻る事ができないだろう。

 

「頭の良いあなたに、その事が判らない筈がない」

「どうかな? ここまで追い詰められたのだ。私自身、自暴自棄になっているかも知れんぞ?」

 

 確かに、そうなったら全てがお手上げだ。最早、目の前の老獪を止める手立てはないだろう。

 

 だが、

 

「その時は、僕達があなたを止めます。全力で」

 

 友哉の決意の言葉と共に、傍らに立つ一馬と、茉莉もそれぞれ刀を抜いて構える。

 

 相手は強大な生物兵器。その得体の知れない強さは、戦って勝てるという保証すら無い。

 

 だが、そんな事は些細な事だ。

 

 そこに悪があるのなら、たとえそれがどれほど強大であっても立ち向かう。

 

 それは、武偵も公安0課も変わらない事であった。

 

 しばし、睨み合う両者。

 

 互いに沈黙が支配する中、

 

 久志は、ゆっくりと、腕を下ろした。

 

「成程。これが、武偵か」

 

 弁舌で久志を止められないのと同様、目の前の少年を、能弁だけで留める事はできない。

 

 その事が、久志には判ってしまった。

 

 確かに、久志に、手の中にある薬を使う気はない。使えば勝てると判っていても、その気はない。所詮はブラフなのだ。

 

 結局、多くの化け物を生み出しながら、自分だけは人間でありたいらしい。

 

 自嘲的な笑いを浮かべる久志からは、先程まで纏っていた圧倒的な雰囲気は綺麗に消え失せ、代わって、退役を間近に控えた老兵のように、落ち着いた穏やかさを湛えていた。

 

 久志に、最早戦う気はない。それは見ただけで判った。

 

「私の、負けだよ」

 

 久志の心に去来するのは、半世紀以上に及ぶ自身の人生の走馬灯だった。

 

 元軍人の養父の元で暮らした幼少期。養父の死後、彼に追いつくために必死に勉強した学生時代。卒業後、研究員として浪日製薬に入社。その後、僅か数年で研究部のトップに立ち、会社経営の一部を任されるにまでになる。やがて、幹部へと昇進、そして最終的には、この大会社を引き入るトップにまで君臨した。

 

 どこかで道を踏み外した、と言う自覚はある。だがそれを後悔しているかと問われれば、まぎれも無くNOだ。熱く、滾るような人生だったと自慢しても良いくらいである。

 

 その人生の幕引きを行ったのが、まさか自分の3分の1も生きていない武偵の少年だとは、ある種の可笑しさが込み上げて来るのを止められなかった。

 

「大した物だ」

 

 久志が、そう告げた時だった。

 

 ダァァァンッ

 

 突然の銃声。

 

 一同は突然の事に、警戒の為に身を固くする。

 

 が、

 

 しかし、余程射手の腕が悪いのか、弾丸は完全に明後日の方向へ飛んで行き、虚しく壁に当たってめり込んだ。

 

「う、ウワァァァァァァ く、来るなよ、お前等ッ で、出て行けよォ!!」

 

 耳汚しとしか思えないような金切り声と共に、石井忠志が銃口を友哉達に向けているのが見えた。

 

「な、何なんだよ、お前等ッ!? い、いったい、どれだけ、僕を傷付ければ気が済むんだよッ!!」

 

 叫びながら、更に発砲。

 

 しかし、手元が完全にぶれている為、またも見当外れの方向へ弾丸が飛んで行く。

 

「忠志ッ!!」

 

 久志の鋭い声が飛ぶ。

 

 しかし、忠志はそれにも構わず、更に発砲する。

 

 今度は、真っ直ぐに友哉への命中コースを刻んでいる。

 

 弾丸は友哉の胸元めがけて飛翔し、そして、

 

 ガインッ

 

 鋭い音と共に、友哉の刀によって弾かれた。

 

 友哉は先読みの鋭さを利用し、大凡、3秒から5秒先までの未来を予測し得る、「短期未来予測」を使う事ができる。銃口の向き、目線、腕の角度、筋肉の動き、忠志の姿勢、立ち位置。それらを統合すれば、弾道を読む事など造作も無い事である。ましてか、忠志は2回も空振りしている。それだけでも、予測に必要なデータとしては充分過ぎるくらいだ。

 

「無駄だよ」

 

 低い声で告げる友哉。

 

「う、ウワァァァァァァ、死ねッ 死ねッ 死んでしまえェェェェェェ!!」

 

 叫びながら、尚も引き金を引き続ける忠志。

 

 対して、友哉達は全く動く様子も見せず、その光景を眺めている。

 

 放たれる弾丸は、手元がぶれているせいで、全てが命中コースすら外れている。そのため、かわす必要が全くないのだ。

 

 やがて、

 

 カチンッ カチンッ カチンッ

 

「うッ!? うッ!? うゥッ!?」

 

 当然の帰結として、弾丸が尽き、忠志の指の動きに合わせて、虚しくトリガーを引く音だけが響くようになった。

 

「終わりか」

「ですね」

 

 一馬のつまらなそうな口調に、友哉も同調する。

 

 忠志のやった行為は、本当に何の意味も無く、ただ、この最後の局面にあって己の矮小さを改めて露呈しただけに終わった。

 

 尚も未練がましく、空しく金属音を上げるだけになった引き金を引き続ける忠志。

 

 そんな息子に、久志はゆっくりと歩み寄った。

 

「もう、良い。もうやめるんだ。忠志」

「ぱ、パパァ・・・・・・」

 

 涙目になって向き直る息子に、久志は優しく笑い掛けた。

 

「すまなかったな。私が不甲斐なかったばかりに、お前にまで辛い目を合わせてしまった。許してくれ」

「そんな・・・そんな、パパ・・・・・・」

「せめて、お前の罪が軽くなるように、法廷で証言するようにする。だから、もうやめようじゃないか」

 

 最後はせめて見苦しい真似はせず、潔く身を処そう。それこそが、この大会社のトップにあり続けた者の、最後の意地であり義務でもある。

 

 久志の堂々たる態度が、そう語っていた。

 

「パパ・・・・・・」

 

 そんな父の姿を、忠志は涙ながらに見上げる。

 

「そうだね、パパ・・・・・・」

「忠志・・・・・・・・・・・・」

「ありがとう・・・・・・」

 

 次の瞬間、

 

 ズブリッ

 

「なッ!?」

 

 突然、湿った音と共に、自身の胸の中央に、何か熱い物を突き込まれた様な感覚に久志は襲われる。

 

 次いで、激痛が全身に伝播する。

 

 一体、何が起きたのか。当の久志にも、すぐには判らなかった。

 

 同時に、手に持っていた注射器が、掌から零れ落ちる。

 

 その注射器を、伸びて来た手が、落ちる寸前にキャッチした。

 

「ケヒ・・・ケヒヒヒ・・・・・・ケヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!! ギャハッハッハッハッハッ!! ギ~ヒッヒッヒッヒッヒッヒッ!!」

 

 たった今、父を刺した忠志は、手に血塗られたナイフと注射器を持って、耳障りな笑い声を響き渡らせている。

 

「馬鹿親父がァッ 役立たずのくせに、何偉そうに説教してくれてんだよッ!! 僕の役に立たないならさっさと死ねよ!!」

 

 ヒステリックに叫びながら、床に倒れ込んだ久志を、執拗に蹴りつける忠志。

 

 その久志の体を中心に、急速に赤い血だまりが広がっていく。

 

「ほんと、役に立たない屑親父だよな。こんなのが自分の親父だって思うと、恥ずかしくなってくるよ」

 

 言いながら、忠志は手の中にある注射器に目をやる。

 

「馬鹿な真似はやめろ!!」

 

 叫ぶ友哉に対し、

 

「ギッヒッヒッヒッ 緋村、お前、これが怖いのか?」

 

 忠志は顔を上げてニヤリと笑うと、注射器のノズルを自分の首元に押し付けた。

 

「なら、こうしてやるよッ」

 

 嘲るように笑う忠志には、自分の持っている物が、人外の怪物を作り出す生物兵器だと言う認識はない。ただ、新しいおもちゃを手に入れ、それを気に入らない奴に自慢している、と言う程度の思いしか無かった。

 

「これを使えば、僕は最強になれる。もう、お前らなんかに馬鹿にされる事も無いんだ!!」

 

 言い放つと同時に、

 

 忠志はあっさりと、注射器のピストンを押し込んでしまった。

 

 空圧式の注射器によって噴射された薬液は、一気に肌に浸透し、忠志の体を巡り始める。

 

 その様子を、友哉達はただ茫然と眺めている事しかできない。

 

「ギ~ヒッヒッヒッ これで僕が最強だッ もう、誰も僕に逆らうことなんかできないッ!! ギャ~ハッハッハッハッハッハ!!」

 

 勝ち誇った笑いを浮かべる忠志。

 

 だが、

 

 ズクンッ

 

「ギヒヒヒ、ケヒヒヒ、ケヒッ ケヒッ ケヒッ・・・・・・あれ?」

 

 己の内から湧き上がる不快な感触に、笑いを止める忠志。

 

 更に、異変は続く。

 

 全身の肉が急速に盛り上がり、髪は抜け、血管は異様に膨れ上がる。

 

「な、なんだ、これッ!? 何だよ、これッ!?」

 

 叫んでいる間に、元々大柄な体はさらに膨れ上がり、着ている服を内側から破り、更に膨張していく。爪は伸び、目は大きく見開かれ充血して行く。

 

「こ、こんなの、聞いてないよッ!!」

 

 忠志は自分がパンドラの箱に、不用意に手を掛けたのだと言う事に、まだ気付いていなかった。

 

 それは、開けてはならない禁断の扉。開ければそこから、世界を滅ぼす絶望が飛び出す事になる。

 

 だが、最早手遅れだった。

 

 忠志の中に入り込んだ薬液は、狭い注射器の中から飛び出した事で活発化し、順調に忠志の体を怪物に作り変えている。

 

 忠志は、自分の浅慮の代償を、自分で支払う事になったのだ。

 

「そんな、助けて、パパァッ!! パパァッ!!」

 

 その悲鳴を最後に、忠志の声はくぐもった唸り声に代わる。

 

 外見も、既に人のそれでは無い。

 

 腕や足は人間の4倍近い太さになり、身長も3メートルほどに伸びている。体幹の筋肉も盛り上がるように隆起し、爪や牙は鋭く伸びている。

 

 まさに、鬼その物の外観だった。

 

「・・・・・・やれやれ、面倒な話だな」

 

 今や完全に人のそれでは無くなった忠志を見ながら、一馬が吐き捨てるように言う。

 

 だが、現実に迫る脅威は、そんな悠長な態度すら許さなかった。

 

「言ってる場合ですかッ!!」

 

 叫びながら、友哉は逆刃刀を構え直す。

 

 目の前に迫る、小山のような忠志の姿。

 

 こいつを外に出してはならない。外に出せば、想像を絶する惨禍を呼び起こす。

 

「とにかく、こいつはここで止めないと。良いですよね?」

「聊か間抜けた話だが、仕方ないだろう」

 

 溜息交じりに言いながら、一馬も左手で持った刀を弓を引くように構えた。初手から牙突の構えである。

 

 友哉も右手1本で刀を構えながら、視線は忠志の足元へとやる。

 

 そこには、尚も体の血を流し続ける、久志の姿があった。

 

「あいつは僕達が引き受ける。茉莉はその間に、石井社長を救助(セーブ)して」

「判りましたッ!!」

 

 友哉の指示に、茉莉は間髪入れずに頷く。

 

 まだ息があるかもしれない久志を、あのような怪物の足元に置いておく事はできない。何より、もしあの怪物に弱点があるとすれば、知っているのは久志だけだ。

 

「おしゃべりはそこまでだ。来るぞ」

 

 一馬の鋭い指摘と共に、

 

 今や完全に人外と化した忠志が、咆哮を上げて襲い掛かってくる。

 

「行くぞッ!!」

 

 迎え撃つ友哉。そして一馬。

 

 2人はほぼ同時に、刀を振り翳して前へと出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先に仕掛けたのは、速度に分がある友哉だった。

 

 左手が怪我の為にうまく動かない友哉は、右手一本で刀を持ち、上空に飛び上がりながら振り翳す。

 

「飛天御剣流・・・・・・」

 

 急降下と同時に、振り上げた刀を振り下ろす。

 

「龍槌閃!!」

 

 脳天めがけて振り下ろされる一閃。

 

 龍槌閃の一撃は、確実に忠志の頭部を捉え、よろけさせる。

 

 天を翔ぶ龍からが一撃を加えると、間髪入れず、地を駆ける狼が襲い掛かった。

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 突進からの突き込み。

 

 一馬の牙突は、忠志の胴部分に確実に吸い込まれた。

 

 鮮血が飛沫となって、室内に飛び散る。

 

 一馬の牙突を受けた場所は、獣の牙に抉られたように大きく削ぎ落されていた。

 

 それだけで、普通の人間なら致命傷である。

 

 だが、

 

「チッ」

 

 一馬は軽く舌打ちする。

 

 自身の刀が命中した場所。

 

 本来なら無惨な傷口が見えている筈の場所が、既に回復する兆しを見せているのだ。

 

 友哉の龍槌閃を受けた場所も、殆どダメージらしいダメージを見せていない。

 

 そこへ、再び友哉が切り込む。

 

 忠志の顔の位置まで飛び上がると、体を大きく捻り込ませ、巻いた螺子を勢い良く戻すようにして斬りかかった。

 

「龍巻閃!!」

 

 横殴りの一撃。

 

 鈍い音が響き、忠志の顔は一瞬、ありえない角度に向かって曲がった。

 

 逆刃刀は峰と刃が逆になっているので、普通に振るっても相手を斬る事はない。それでも、鉄の棒で殴りつけるのと同じ効果は期待できる。

 

 通常なら、首の骨が折れていてもおかしくないほどの打撃が忠志に加えられた筈だ。

 

 しかし、

 

 友哉が着地する頃には、既に忠志は何事も無かったかのように首を戻し、そして凶悪な視線を、愚かにも自分に歯向かう矮小な人間へと向けていた。

 

 咆哮する、忠志。

 

 同時に振り上げられた拳が、友哉に向かって振り下ろされる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに、その場を飛び退く友哉。あんな物で殴り飛ばされたら、ただでは済まないだろう。

 

 だが、忠志は逃げる友哉を、執拗に追いかけて来る。

 

 殴るだけでなく、掌を大きく広げて捕まえようとしてくる事もあった。

 

 その時、

 

「どけッ!!」

 

 叫ぶような一馬の声に、友哉は一瞬だけ振り返り、次いで大きく跳躍する。

 

 刀を構えた一馬。

 

 手にした刀は、通常の牙突よりも高く構えられている。

 

 突撃。

 

 剛風すら撒く程の疾駆は、刃を撃ち下ろすような形で振り抜く。

 

 牙突・弐式

 

 撃ち下ろす形となる為、通常の壱式よりも威力が高い一撃が、友哉を追って振りかえろうとした忠志の腹に突き刺さった。

 

 衝撃、直後に轟音。

 

 一馬の放った牙突は、忠志の巨大な腹にまともに命中した。

 

 次の瞬間、忠志の剥き出しの腹は、ひしゃげるように抉られる。

 

 それだけではない。牙突の威力を殺しきれなかった忠志は、轟音と共に吹き飛ばされ、後方の壁に叩きつけられた。

 

 恐るべき光景である。

 

 人間としては比較的細身の一馬が、今や巨大ヒグマほどの体躯のある忠志を吹き飛ばしたのだから。

 

 傍らで見ていた友哉も、思わず息を飲む光景だった。

 

 これは決まったか?

 

 と、期待したのだが、

 

 友哉と一馬が見ている先で、忠志は緩慢な動きながら、その巨体を引き起こそうとしている。

 

 牙突による傷も、既に塞がり始めている様子だった。

 

「厄介ですね」

「フンッ」

 

 友哉の呟きに、一馬は鼻を鳴らして応じる。だが、内心では一馬もまた、友哉と同じ考えだった。

 

 あの巨体から繰り出される破壊力のある攻撃もさることながら、致命傷すら一瞬で回復し尽くす超再生力は、厄介などと言う言葉では言い表せなかった。

 

 やがて立ち上がると、忠志は勝ち誇るように雄叫びを上げる。

 

 ただそれだけで衝撃が奔り、部屋中が振動を起こす。

 

「やれやれ、いい気な物だ」

「まったくです」

 

 言いながら、友哉と一馬は再び床を蹴って忠志に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 2人の剣士が怪物と化したかつての友人と戦っている隙に、茉莉は久志を救出する事に成功していた。

 

 茉莉の小柄な体に比べると、久志は筋骨逞しい武道家のような体つきをしている。正直、茉莉1人で、その体を運び出すのは無理かと思われた。

 

 しかし、驚いた事に、あれだけの大量出血をしながら、久志はまだ意識があったのだ。

 

 そして、茉莉に支えられるようにして廊下まで歩いて行くと、そこで力尽き、壁を背にして倒れ込んだ。

 

「しっかりしてください、石井社長ッ!! 今、手当てしますから!!」

 

 茉莉の言葉に反応するように、久志はゆっくりと目を開ける。

 

 茉莉は急いでブラウスの内側を探ると、そこに隠し持っている簡易救急キットを取り出した。いざと言う時の為に隠し持っている、簡単な応急措置セットである。

 

 だが、そんな気休め程度の物でどうにかなるような状況では無い。久志の胸の真ん中には深い穴が開き、そこから尚も血が噴き出し続けている。

 

 傷の位置が心臓に近すぎる。明らかに致命傷だった。若い頃から今に至るまで鍛え続けている肉体が功を奏し、未だに命脈を保ってはいるが、それも風前の灯である事は火を見るより明らかだった。

 

 それでも茉莉は、必要な措置を施して行く。

 

 菊一文字で久志のシャツを破き、取り出したナプキンを傷口に押し当てて臨時の止血にする。

 

 だが、流れ出る血液はそんな紙切れ一枚では留められず、白いナプキンはあっという間に鮮血色に染められてしまう。

 

「・・・・・・き、君」

 

 茉莉が更なる延命措置を施していると、久志の方から声を掛けて来た。

 

「た、忠志は、どう、なった?」

「まだ、暴れています」

 

 戦いの喧騒は、ここまで聞こえて来る。

 

 どうやら流石の友哉と一馬のコンビでも、あの人外の怪物が相手では苦戦を免れないらしい。

 

「教えてください、石井社長。あれを倒す方法は、何かないんですか!?」

 

 縋りつくように、茉莉は尋ねる。

 

 どんな些細な物でも良い。この状況を打破する一手が欲しかった。

 

 久志はしばし、黙考するように虚空を見つめた後、ややあってから口を開いた。

 

「あれは・・・今、使える技術の粋を尽くして作り出した最高傑作だ。強靭な肉体と、凶悪な攻撃力、そして超再生力。それらを組み合わせた究極の生物と言っても良いだろう。ハッキリ言って、外からいくら打撃を加えた所で、奴は倒せん。それこそ、ミサイルでも直撃させない限りはな」

「そんな・・・・・・」

 

 絶望的な気分になる茉莉。いくら友哉や一馬でも、流石にそこまでの攻撃力は無い。

 

 事実上、忠志を倒す事は不可能と言う事だ。

 

 そんな茉莉を、久志は荒い息のまま見詰める。

 

「・・・・・・君には、本当にすまない事をした、と思っている」

「え?」

 

 突然の言葉に、キョトンとする茉莉に対し、久志は弱々しい声で続ける。

 

「武偵校で忠志が起こした事件・・・あれについて、君に非は無い。悪いのは、全て、忠志の方だ・・・・・・」

「石井社長・・・・・・」

「馬鹿な親と、笑ってくれ。アレの母親が死んでから、私は忠志を、目の中に入れても痛くない程に可愛がってきた。だが、そのせいであの子は、あの通り、気弱で独善的な性格になってしまった。それを克服して欲しくて、武偵校に入れたのだが・・・・・・結果的に、君達に迷惑を掛ける事になってしまった」

 

 久志の言葉を、茉莉は黙って聞き入っている。

 

 少なくとも、茉莉に久志を笑う事はできなかった。誰にだって、一番大切な物と言う物はある。久志にとって、それが1人息子の忠志であった、と言う事である。

 

 そして久志は、大切な息子を守るために、全力を尽くしただけなのだ。確かに迷惑を被ったのは事実だが、それを今更責める気にはなれなかった。

 

「い、今更、謝ってどうなる物でもないのは判っている。だが、せめて、償いをさせてくれ」

 

 そう言うと、久志は震える手をスーツの内側に突っ込み、ポケットから小さな注射器を取り出すと、茉莉の掌に乗せた。

 

「・・・・・・これは?」

「あの薬の、抗ウィルス剤だ。 ・・・・・・万が一の時の事、を考えて、用意しておいた。外からの打撃には強い、が、内部の、ウィルスを殺せれば、忠志の暴走は、止まる、はずだ」

 

 言っている間にも、久志の声は小さく、掠れた物になっていく。彼の命の火が消えようとしているのだ。

 

 だが、それでも、最後の力を振り絞って、茉莉に語りかける。

 

「気を、付けろ・・・薬は、それしかない・・・・・・外せば、それで終わり、だ」

「判りました」

 

 希望を握りしめ、頷く茉莉。

 

 そんな茉莉に対し久志は、既に光の映らなくなった瞳を向ける。

 

「向こうで、戦っている少年・・・・・・あれは、君の、恋人かね?」

「・・・・・・はい」

 

 少し頬を赤くしながら答える茉莉に、久志は弱々しく笑う。

 

「・・・・・・良い少年だ・・・・・・まっすぐで・・・素直で・・・そして、強い・・・・・・願わくば、あの子にも、あんな風に・・・・・・育・・・・・・て・・・欲しかっ・・・・・・」

 

 瞼が、ゆっくりと落ちる。

 

 それっきり、久志が口を開く事は無かった。

 

 戦後の混乱期からのし上がり、日本の医療業界を背負って立った巨人が、今、逝ったのだ。

 

 茉莉は、暫く目をつぶり、死者に対する黙祷を捧げる。

 

 この人は確かに敵ではあったが、憎むべき相手では無かった。少なくとも、茉莉達と久志は、互いに信念からぶつかり合った者同士であり、そこに憎しみが混じる事は無かった。

 

 目を開き、立ち上がる。

 

 戦いは、まだ続いている。

 

 第二次世界大戦、最後の亡霊を屠るべく、茉莉は駆け抜ける。

 

 愛しい人の戦う戦場へ、迷うことなくひた走った。

 

 

 

 

 

 焦りが、自分の心を支配して行くのが判る。

 

 目の前の怪物に対し、友哉と一馬は先程から波状攻撃を仕掛け、無数とも言える致命傷を負わせている。

 

 普通の人間なら、100回は殺してもお釣りがくる。

 

 だが、目の前の怪物は、聊かも衰えた様子がなく、今も暴風の如き攻撃を繰り返している。

 

「チッ!!」

 

 旋回して襲ってくる拳は、それだけで友哉の上半身程もある。

 

 対して、友哉は空中に飛び上がるようにして回避すると、そのまま距離を詰めて忠志の懐に飛び込んだ。

 

「飛天御剣流ッ」

 

 右手に持った刀が縦横に振るわれ、斬線が縦横に駆け抜ける。

 

「龍巣閃!!」

 

 360度、全方位から忠志に襲い掛かる攻撃。

 

 かつては《無限罪》のブラドにもダメージを与え、決着の一助ともなった技。

 

 一撃でダメなら、連撃ならどうかと考えて放った技だが、

 

「・・・・・・ダメか」

 

 何事も無かったようにそそり立つ忠志の姿に、友哉は舌打ちする。

 

 防御力、再生力はブラド並み。唯一、理性がない事だけはブラドに劣っていると言えなくもないが、それとて、手が付けられないと言う意味では、ブラド以上に厄介な話だった。

 

 そこへ、

 

 衝撃が駆け抜ける。

 

 切っ先を真っ直ぐに向けた一馬が、忠志に襲い掛かった。

 

 突き込まれる刃。

 

 もう、何度目とも知れない牙突が、忠志の胸に炸裂する。

 

 巨体が轟音と共に吹き飛び、床へ崩れ落ちる。

 

 本来なら、驚喜すべき光景ではあるのだが、

 

 忠志は傷付いた体を引きずりながら、再び立ち上がろうとしている。

 

「やっぱり、だめか・・・・・・」

 

 何度目かの溜息と共に、友哉はまたも攻撃が徒労に終わった事を悟る。

 

 一馬の牙突は、友哉の持つどの技よりも強力で破壊力がある。これは技その物の性質もさることながら、友哉と一馬の間にある体格差から来る膂力も関係しているのだが、その牙突ですら、今の忠志に対しては致命傷にはなりえなかった。

 

 その忠志は、目を爛々と輝かせ、口からはよだれを垂れ流しながら、2人へと迫っている。もはや、あれが元人間であった事など、想像すらできなかった。

 

「来るぞッ」

 

 一馬の声と共に、再び迫りくる忠志へと刀の切っ先を向けた。

 

 次の瞬間、

 

「やァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 凛とした気合と共に、彗星の如く掛けて来たものが、鋭く忠志を斬りつけた。

 

 胸板が、大きく斬り裂かれる。

 

 瞬間、忠志はよろけるように、2~3歩後退した。

 

 そこで、攻撃を終えた茉莉が、友哉と一馬の前に着地した。

 

「茉莉ッ!?」

「遅くなりました」

 

 低く抑えた声で、茉莉は2人に振り返る。

 

 普段大人しい少女は、決意に満ちた瞳で、この戦場に立っていた。

 

「石井社長は?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねる友哉に、茉莉は無言のまま首を横に振る茉莉。その仕草で、友哉は何が起こったのか察した。

 

 まさか、こんな事になるとは。

 

 どんな時でも、被疑者は生かしたまま捕える。それが鉄則であった筈なのに。

 

 悔しさが滲み出るのを、止められなかった。

 

「その石井会長が、アレを止める方法を教えてくれました」

 

 そう言うと茉莉は、ポケットから注射器を取り出し、久志から聞いた事を2人に話した。

 

「成程、それで、奴にその中身をぶち込めば良い訳か。判り易くて良いな。狂犬病の予防接種みたいなもんだろ」

「もう、発症してますけどね」

 

 苦笑して言いながら、友哉は茉莉の攻撃から回復しつつある忠志に目をやる。

 

 確かに、外からの打撃には無敵でも、中からなら攻略可能かもしれない。その薬が、本当に効くなら、だが。

 

「となると、後はどうやって、それをアイツに撃ちこむか、だね」

 

 注射器は小型である為、当然、それを撃つ時には忠志に密着状態にならなくてはならない。いかに噴射式の注射とは言え、離れた状態では威力の低い水鉄砲と同じだった。

 

 どうにかして、あいつの動きを止めなくてはならない。

 

 その為には、

 

「各自、最大級の打撃で持って、奴にダメージを与える」

 

 一馬の言葉に、友哉と茉莉は振り返る。

 

「奴は究極であっても無敵では無い。俺達の攻撃でも多少のダメージは入っていた。そして、大きな損害の後、暫く動けないでいただろう。なら、出し惜しみ無しの最大限の攻撃で奴の動きを止め、そこへ、そいつをぶち込む」

 

 一馬が示した作戦案は、相手を無力化してから目的を達すると言う意味で、逮捕術の基本を拡大発展した物とも言える。ただ、それだけに友哉達にとっても馴染があり、扱いやすい作戦であると言えた。

 

 友哉と茉莉は、頷きを一馬に返す。

 

 その間にも、復活した忠志が、足音も荒く、接近してきている。

 

 心なしか、先程よりも勢いを増しているように思えた。

 

 まさかとは思うが、自身が執着する茉莉が現れた事で、頭に血が上ったのかもしれない。だとすれば、恐るべき執念であると言えた。

 

 迎え撃つように、刀を構える3人の剣士。

 

 友哉は正眼に、茉莉は八双に、一馬は左手1本で、切っ先を向ける。

 

「行くぞ、準備は良いな?」

 

 一馬の声に、頷きを返す。

 

 今更、聞かれるまでも無かった。

 

 次の瞬間、動いた。

 

 まず初めに動いたのは、この中で最も速度に勝る茉莉だった。

 

 一瞬で距離を詰め、刃を閃かせる。

 

 茉莉は、3人の中で最も力が弱いし、何より、大威力を発揮する技を持っていない。決定力不足は否めなかった。故に、この作戦案を聞いた時、茉莉は自分の役割を正確に理解した。

 

 それは、撹乱と牽制。自身最大の武器である縮地を利用し、2人に先んじて攻撃を仕掛け、忠志の動きを牽制するのだ。

 

 忠志の凶悪な姿が、茉莉の視界いっぱいに広がった。

 

 次の瞬間、鋭い斬撃が2度、3度と走り、忠志の体を切り裂く。

 

 鮮血と共に、咆哮を上げる忠志。

 

 茉莉の攻撃では、致命傷には程遠いだろう。しかし、動きを止める事には成功した。

 

 痛みの為に、完全に足を止めた忠志。

 

 そこへ、最強クラスの実力を持つ、2人の剣士が切り込んで来た。

 

 友哉は、自身の限界が近い事を自覚していた。左腕の痛みはピークに達している。これで決めなければ、友哉は戦闘不能になるだろう。

 

 二度目は無い、一回こっきりの攻撃に全てを賭けなくてはならない。

 

 フィニッシュとなる技。

 

 正直なところ、友哉はその技に全幅の信頼を置いている訳ではない。何しろ、一度も使った事がなく、ただ2回、見た事があるだけの技である。

 

 しかし、その技は友哉の持つどの技よりも威力を誇っている。この場で、忠志に一定量以上のダメージを与えるとしたら、これ以外には考えられなかった。

 

 疾走。

 

 同時に、正眼に構えた剣閃が軌跡を刻む。

 

 その数は、9

 

 「壱:唐竹」「弐:袈裟斬り」「参:右薙」「肆:右斬上」「伍:逆風」「陸:左斬上」「漆:左薙」「捌:逆袈裟」「玖:刺突」

 

 円環状に9つの斬撃が、神速の閃光と共に同時に繰り出される。

 

「飛天御剣流、九頭龍閃!!」

 

 それは、逃れる事の出来ない斬撃の重囲。

 

 9回同時に放たれる必殺の一撃を前にしては、如何なる存在であろうとも、逃れる事も防ぐ事もできない。

 

 かつて、飛天御剣流の同門、エムアインス事、武藤海斗と戦った時に、彼が使っていた技を、友哉は再現して見せたのだ。

 

 斬撃を叩き込まれ、苦悶の声を上げる忠志。

 

 しかし、

 

「クッ!?」

 

 技を撃ち終えた状態で、友哉は顔を顰めた。

 

 左半身に、強烈な痛みが奔っている。とうとう、左腕に限界が来たのだ。

 

 右腕一本でここまで戦って来たが、どうやら、ここまでで限界らしい。

 

 加えて、技としても失敗だった。

 

 9発の斬撃の内、左側の斬撃は完璧に入れる事ができたが、右側は威力が落ちてしまった。玖の刺突に至っては、放つ事すらできなかった。

 

 原因は、友哉がまだこの技に慣れていなかった事。流石に、これだけ複雑な技を、見ただけの再現する事はできなかった。加えて左腕の痛みもあり、刀をしっかりと握れなかった為、九頭龍閃を構成する円環の内、左側の攻撃の威力が落ちてしまったのだ。

 

 目を転じると、忠志はダメージは受けたようだが、まだ行動不能に追い込むには至っていないようだ。

 

 残る攻撃は一度。

 

 その最後の1人が、死角から忠志に近付いていた。

 

 一馬は、目の前の巨体を見上げ、感心したように鼻を鳴らした。

 

「フンッ よくもまあ、ここまで成長したもんだ」

 

 普通の人間ならば、ありえない程の巨体。

 

 それを睨み据え、

 

 牙狼は己の牙を剥き出しにした。

 

 通常の牙突では無い。

 

 牙突は本来、突撃技と言う性質から、どうしてもある程度の距離を置く必要がある。

 

 だが、今、一馬は殆ど至近距離に近い場所から、左手1本で持った刀を構えている。

 

 上体を傾け「溜め」を作るように、刀を引きつける一馬。

 

 次の瞬間、

 

 引き絞られた弓が一気に解放され矢を射出するように、左手の構えた刀を、振りかえる忠志に向けて繰り出す。

 

 零の距離から放たれる一閃。

 

 その一撃が、巨体に文字通り食らいつく。

 

「あれはッ!?」

 

 見ていた友哉は、思わず呻き声を発する。

 

 少々変則的ではあるが、一馬の技が牙突である事は間違いない。だが、あんな型の牙突を、一馬がこれまで使った事は無かった筈だ。

 

 凄まじいまでの衝撃が、忠志の全身を貫く。

 

 吹き飛ばされる巨体。

 

 一馬自身、勢いを殺しきれず、とっさに刀の柄を離すと、忠志の巨体は腹に刃を突きさしたまま宙へ浮き上がり、壁へと叩きつけられた。

 

 想像を絶する威力に、友哉も茉莉も呆然としている。

 

 通常の「壱式」、打ち下ろす「弐式」、対空用の「参式」に続く、第4の牙突。

 

 足を止めた状態から、上半身のバネのみを利用して放つ、一馬にとって秘中の絶技。

 

 牙突・零式

 

 相手を零距離まで引きつけて撃つ為、その威力は絶大。4つある牙突の型の中で最強と言って良いだろう。

 

 それは、ヒグマほどの巨体で宙に浮き、床に転がっている久志を見れば明らかだった。

 

「何を呆けている。さっさとやれ」

 

 一馬の声に、友哉と茉莉は我に返った。

 

 そうだ。このまま放っておいたら、また復活を許してしまう。

 

 今が唯一にして無二の好機。

 

 その好機を勝機へつなげるべく、茉莉は走った。

 

 殆ど一瞬で、忠志の首元に取りつくと、手にした抗ウィルス薬入りの注射器を振り上げた。

 

「これで、終わりです!!」

 

 突き刺される注射器。

 

 ピストンを押し込むと同時に、薬液が忠志の体内へと流れ込む。

 

 注射器が空になったのを確認すると、茉莉は忠志から飛び退いた。

 

 同時に、刀を抜いて警戒する。一応、死に際の久志の言葉を信用していない訳ではないが、それでも万が一、薬が効かなかったり、容量が足りなくて効果が薄かったりした場合は、戦闘再開となる。

 

 だが、やがて、それ杞憂であった事が判った。

 

 あれだけ巨大だった忠志の体が、まるで風船の空気が抜けるようにしぼんで行くのが判る。

 

 体内のウィルスが、急速に駆除されているのだ。

 

 やがて、完全に人間のサイズに戻った忠志が、床にうつぶせになる形で寝そべっていた。

 

 気のせいか、ウィルスを注入する前よりも体がしぼんでいる気がする。

 

「・・・・・・終わった?」

「みたい、です」

 

 もはや、忠志が起きあがって襲って来る気配はない。

 

 それを確認し、

 

 ようやく、一同は警戒を解くのだった。

 

 

 

 

 

第7話「狂気の成果」      終わり

 


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