緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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人工天才編
第1話「三者三様空模様」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザッと言う音と共に、足に砂を踏みしめる感触がある。

 

 長く続く海岸線には、見渡しても人の影は無い。

 

 もっとも、今の時間、視界の殆どは闇に閉ざされてしまっているが。

 

 今は10月。

 

 海水浴のシーズンでは無いし、深夜2時と言う時間帯は、寒さも身にしみる。

 

 気候による寒暖の差が激しいこの国は特に、夏の暑い時期でもない限り、夜中にわざわざ海に繰り出す人間はいないだろう。

 

 だが、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 大きく息を吸い込み、肺を満たしてみる。

 

 気のせいかもしれないが、何やら、魂の奥から安らぐような気分になって行くのが判る。

 

 背後に新たな気配が経つのを感じたのは、その時だった。

 

「よう。どうだ、初めて故郷に立った気分ってのは?」

「悪くないさ」

 

 背後に立つ友の質問に対し、含みを持つ笑いと共に答える。

 

 そう、悪くない気分だ。高揚していると言っても良い。このような気分になったのは、施設を脱走して以来かもしれない。

 

 とは言え、今、友が言った言葉には誤りがある。

 

 この国は別に、自分達の故郷と言う訳ではない。自分の両親も、そして祖父母、この国の出身ではないのだから。

 

 だが、押さえきれない万感の感情を前にしては、そのような事は瑣事と言うべきだ。

 

 それはきっと、遠い先祖の血。

 

 自分の中に僅かながら残っている、この国の人間の血が、望郷の念を思い起こさせているからなのかもしれない。

 

 とは言え、あまりこうしている時間は無い。

 

 グズグズしていたら、地元の警察に見咎められる可能性もある。そうなると、色々と厄介である。

 

 何しろ、自分達の身分は、控え目に言っても密入国者だ。

 

 いや、それ以前に、自分達の世界の表裏を問わず、自分達の首を欲しがっている連中はいくらでもいる。

 

 それだけの事をして来たという自覚はあるし、また自負と誇りもある。

 

「滞在用のセーフハウスの確保は、もうできている。暫くはそこで待機。標的の情報を収集しつつ、作戦開始時期を見極める」

「了解だ」

 

 頷きを返すと、友は隣に立って笑みを向けて来た。

 

「いよいよだな」

「ああ、胸が高鳴る、とはこういう事を言うのだろうな」

 

 彼等の背後には2人、より小柄な人影が立っているのが闇夜に見える。

 

 合計で4人。

 

 この4人が、今作戦における主要メンバーとなる。

 

「お互い、因縁の相手ってのは、どうしても気になるもんだな」

「違いない」

 

 そう言って、フッと笑みを浮かべる。

 

 今、脳裏には1人の男の顔がある。

 

 それが、自分にとっての因縁の相手。

 

 今回の来訪の目的であり、自分が倒すべき敵の姿。

 

「もうすぐだ・・・・・・待っていろ・・・・・・」

 

 闇に溶け込むように、その名を呟いた。

 

「・・・・・・・・・・・・緋村友哉・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼の時間、学食内は喧騒に満たされており、騒がしい限りである。

 

 学園祭も終わり、通常授業に戻った武偵校では、いつも通りの光景が返って来ていた。

 

 今は昼休み。

 

 午前中の一般科目の授業が終了し、午後からは専門授業や任務の遂行となる。

 

 そんな中で、

 

 四乃森瑠香は1人、テーブルに肘をついて考え事をしていた。

 

 頼んだラーメン定食には、一切手を付けていない。そのせいで、スープの中で麺が順調に成長を続けていた。

 

 脳裏に思い出されるのは、あの学園祭での一幕。

 

「・・・・・・・・・・・・友哉君・・・・・・茉莉ちゃん・・・・・・」

 

 緋村友哉と瀬田茉莉。

 

 ともに瑠香にとっては、かけがえのない存在。

 

 茉莉は、初めて会った時は、敵同士だった。任務を妨害された事もあるし、騙し打ちでひどい目に遭わされた事もある。

 

 だが、瑠香はそんな些細な事で茉莉を恨んだ事は一度も無かった。年齢は茉莉の方が上なのだが、儚さと、それに伴う危うさを伴った雰囲気を持つ茉莉を、瑠香はいつしか可愛い妹のように感じるようになっていた。

 

 そして友哉。

 

 幼い頃から一緒にいる事の多かった、幼馴染の少年。

 

 共に遊び、共に学び、そして武偵校に入ってからは共に戦って来た少年。

 

 瑠香にとっては、初恋の相手であり、今も変わらず心の中にある続ける少年だ。

 

 その、友哉と茉莉が、学園祭で一緒にいる所を、瑠香は偶然見てしまった。

 

 それだけではない。遠目で見ると2人がまるで仲の良い、そう、まるで恋人同士が睦み合っているようにも見えたのだ。

 

「あの2人・・・・・・もしかして、付き合ってるのかな・・・・・・」

 

 誰に聞くでもない問いに、当然、答は返らない。

 

 もし、そうなら、自分はどうすれば良いのだろうか?

 

 友哉と茉莉。

 

 瑠香にとっては、どっちも大切な存在である事に変わりは無い。

 

 どちらを傷付ける事もしたくはない。

 

 だが、ならば2人が付き合っている横で、自分は平然と、2人の友達面して笑っていられるのかと聞かれれば、到底そんな自信は無かった。

 

 友達を失いたくない気持ちと、友達を取られたくない気持ちが、瑠香の中で激しくぶつかり合っていた。

 

 その時だった。

 

「・・・・・か・・・・・・瑠香・・・・・・るーかッ・・・・・・瑠香ってば!!」

「は、はいッ!?」

 

 突然で大声で名前を呼ばれて顔を上げる。

 

 そこには、1人の女子生徒が、呆れ顔で瑠香の顔を覗き込んでいるのが見えた。

 

「た、高梨、先輩?」

「もうッ 何回呼んでも返事が無いんだから。どうしたの、一体?」

 

 高梨・B・彩夏。この間、友哉と同じクラスに転校してきた女子生徒。リバティ・メイソンと呼ばれるイギリスにある、伝統ある秘密組織の構成員である。

 

 そのリバティ・メイソンの師団帰属問題を巡り、刃を交えたのはついこの間の事である。

 

 彼女と、そしてエル・ワトソンがバスカービル・イクス連合軍に敗れた事で、リバティ・メイソンは以後、師団側に立って極東戦役を戦う事を決めた。

 

 この彩夏も、今ではすっかり師団の仲間である。

 

「どうしたの、何か悩みごと?」

 

 問いかけに対し、瑠香は答えあぐねる。

 

 彩夏の事は嫌いではない。確かについ先日戦ったばかりだが、遺恨あっての事では無く、それはお互いの立場に従っただけの事である。戦いが終わり、こうして仲間になった以上、彼女と敵対する理由は、瑠香にも、そして他のイクスメンバーにも無かった。

 

 しかし、それでも、この問題は軽々しく誰かに相談して良い事とは思えなかった。

 

「言いにくい事?」

「ちょっと・・・・・・」

 

 心配そうに尋ねる彩夏に、瑠香控えめに頷きを返す。彩夏の気づかいには有り難いが、瑠香自身この問題はまだ、明確な形が見えている訳では無い為、どう相談すればいいのか判らなかった。

 

「ふうん、じゃあ、聞かないでおいてあげる」

 

 そう言うと彩夏は、自分が持って来たカレーを食べ始めた。

 

 瑠香もその彩夏の様子を見て、自分がまだ食事に手を付けてなかった事を思い出し、慌てて割り箸を割った。

 

 伸びた上に、温くなった麺を啜っていると、彩夏が再び声を掛けて来た。

 

「そう言えば、前から瑠香に聞こうと思ってたんだけどさ」

「何ですか?」

 

 麺を食べながら、瑠香も顔を上げる。

 

「瑠香ってさ、友哉の事、好きなんでしょ」

「ぶふぁァッ!?」

 

 正に今タイムリーなネタで突っ込まれ、瑠香は思わず食い掛けのラーメンを噴き出したしまった。

 

「ちょ、だ、大丈夫?」

 

 慌てて彩夏がハンカチを取り出し、瑠香の口元を拭ってやる。

 

「ご、ごめんなさい、けど、どうして?」

 

 その「どうして?」には2つの意味があった。「どうして、その事を知っているのか?」と、「どうして、ここでその話をするのか?」と言う。

 

 彩夏はどうやら、前者の意味で取ったらしい。

 

「極東戦役にうちの組織が介入するに当たってね、標的に切り崩し易いイクスとバスカービルにするって言うには、比較的初めの頃から決定していた事なの。で、あたしのワトソンには、それぞれ別々の指令が下りてね。アリアとの関係から、ワトソンはバスカービル担当になってさ。で、余ったあたしは、イクス担当だったって訳」

 

 どうやら離間の策を予定されていたのは、バスカービルだけでは無かったらしい。もしバスカービルへの調略が失敗する、あるいは彩夏の方がワトソンよりも速く準備を完了していたなら、あの戦いにおけるイクスとバスカービルの立場は逆になっていたかもしれない。もしかしたら、その勝敗も。

 

 彩夏は意味ありげに笑みを浮かべながら続ける。

 

「もし、イクスを標的にした場合、あたしはあなたをターゲットにして、イクスを分裂させる予定だったから」

 

 彩夏がさらっと言った言葉に、思わず瑠香は息を飲んだ。

 

 もし、そうなっていたら、どうなっていただろう?

 

 相手は友哉をも追い詰めた戦闘力の持ち主。正面きっての戦闘では、まず敵わない。

 

 想像する事すら、空恐ろしかった。

 

「そ、そうならなくて良かったです」

「お互いにね。あたしだって、そんなやり方、気分良い物でもないしさ」

 

 そう言ってサバサバ笑う彩夏に、瑠香はホッとする。

 

 彩夏の笑顔には、表裏があるようには見えない。どうやら、組織の真意はどうあれ、この先輩の事は信用して良いような気がした。

 

「で、あなたの事は、あれこれ調べたんだけど、どうしても判らなかったのが、何で、京都出身のあなたが、わざわざ東京武偵校を選んで進学したのかって事。別に武偵校だったら、京都にも、大阪にも、兵庫にも大きいのがあった筈でしょ。規模としても、こことそう変わらない筈だし。わざわざこっちに来る必要は無かった筈よね」

「それは・・・・・・」

 

 言葉に詰まる瑠香に対し、彩夏は更に続ける。

 

「で、こっからはあたしの勘なんだけど、あなたは入学前、中学生の時点で、もう友哉と徒友契約をしている。で、ピンと来たのは、目的は学校なんじゃなくて、友哉自身だったんじゃないかって事。友哉とあなたが幼馴染なのは調べがついていたし、そう考えれば、全部が自然な流れのような気がしてくるのよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ぐうの音も出ない。とはこの事だ。

 

 彩夏の言っている事は、全て細大漏らさず正鵠を射ている。

 

 今まで瑠香は、自分の想いを誰かに言った事は無い。友哉や茉莉は勿論、陣や紗枝、クラスメイトの間宮あかり達にすら内緒にしている。

 

 だがまさか、ついこの間会ったばかりの彩夏に看破されてしまうとは、思ってもみなかった。

 

「で、もう告ったの?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言で返事を返す瑠香。

 

 言える訳が無い。こんな状況で。もしかしたら、友哉と茉莉が付き合っているかもしれない、などと。

 

 その瑠香の反応を質問に対する否定と取ったのだろう。彩夏は呆れ気味に溜息をつく。

 

「まあ、人の事をとやかく言う気は無いけどさ、そんな呑気な事やってたら、誰か他の娘に取られちゃうよ。彼、見た目悪くないし、性格は優しいから、女なら放っておかないと思うな」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな事、言われるまでも無かった。

 

 恐らく、彩夏としては悪気があって言っている事では無く、瑠香の背中を押しているつもりなのだろう。

 

 だが、その取られる相手が問題なのだ。

 

 これが、全く知らない、別の女であったのなら、瑠香は多分、幼馴染で戦妹と言う強力なアドバンテージを如何なく発揮して、強引にでも友哉を取り戻しにいった事だろう。

 

 だが、相手は他でもない、茉莉なのだ。

 

 親友で、チームメイトで、年上なのに妹のような女の子。

 

 彼女を傷付けるような真似、瑠香にはできない。

 

 果たして、どうすれば良いのか。

 

 瑠香の問いは、複雑な迷宮の中に迷い込み、出口も判らず彷徨っていた。

 

 

 

 

 

 体操着を着た緋村友哉は、流れ出る汗に構わず、相手を睨みつける。

 

 銃を向けている相手もまた、同様の表情をしている様子が遠目にも確認出来る。

 

 午後に入り、強襲科(アサルト)体育館で訓練を行う事にした友哉は、友人を誘っての模擬戦闘を行う事にしたのだ。

 

 以前、父から貰った、先祖、緋村剣路が書き残した備忘録に記されていた技は、反復練習を繰り返す事で、全てマスターしていた。

 

 これにより、友哉の持つ戦術のバリエーションは大幅に強化された事になる。

 

 もっともその中で友哉は2つだけ、ある理由から禁じ手として、生涯決して使わないと誓った技がある。

 

 一つは、龍槌閃・惨

 

 通常の龍槌閃の場合、空中に飛び上がり、落下の勢いを利用して相手を斬り下げるのだが、龍槌閃・惨の場合、切っ先を下にして、相手に突き込む形になる。

 

 もう一つは龍巣閃・咬

 

 縦横に剣閃を走らせる事は通常の龍巣閃と変わらないが、龍巣閃・咬の場合、無数の斬撃を相手の体の一点に集中させ、破壊力を増加させるのだ。

 

 どちらも殺傷力と言う点で、他の技を凌駕している。仮に使用すれば、たとえ逆刃刀を使ったとしても、相手を死に至らしめる可能性がある。

 

 武偵法9条により、日本では武偵が殺人を犯す事を禁じられている。

 

 故に友哉は、この2つの技をマスターしながらも、使用しない事に決めたのだ。

 

 今回の模擬戦では、マスターした他の技を、実戦形式で試してみると言う目的もあった。

 

 相手を頼んだのは、クラスメイトの不知火亮である。

 

 同じ強襲科所属の不知火は、その甘いマスクと優しい性格から、女子達に人気がある一方で、戦闘においては銃、ナイフ、格闘、全てを高い次元で使いこなすオールラウンダーでもある。

 

 刀以外に取り柄の無い友哉と違って、あらゆる局面で水準以上の能力を示す不知火なら、こうした訓練の相手にも、うってつけであった。

 

 模擬戦は熾烈を極め、周囲で訓練をしていた学生達も、手を止めて見入っていたくらいだ。

 

 5本勝負を行い、3対2で友哉が勝ち越したところで、一時休憩となった。

 

「いや、やっぱり不知火はやりにくいよ。どの距離(レンジ)でも有効打を撃ってくるんだから」

 

 スポーツ飲料の入ったボトルを傾けながら言う友哉に対し、不知火も苦笑して応じる。

 

「そう言う緋村君だって。弾丸を殆ど弾くか、かわすかして斬り込んで来るから、こっちとしては敵わないよ」

 

 短期未来予測を使えば、友哉はだいたい3秒、少し無理をすれば5秒くらい先までなら、相手の動きを予測する事ができる。友哉はこの能力を利用して、銃火器全盛の近代戦を戦いぬいて来たのだ。

 

 引き金を引く際の、目線、銃口の角度、筋肉の動き、姿勢。それらを見極めれば、発砲のタイミングや射線を読む事は、友哉にとってはさほど難しい事では無い。

 

 この能力と飛天御剣流の技があったおかげで、今まで数々の強敵と互角以上に戦ってくる事ができたのだ。

 

「それにしても・・・・・・」

 

 不知火は、少し何かを考え込むようにしてから言った。

 

「緋村君、前に比べると、少し変わったよね」

「そうかな?」

 

 指摘され、首を傾げる。

 

 自分では、特に気にしている訳ではない。動きや技にキレが無くなっている様子も無いし、他にも特に、不調と思えるような事は無かった。

 

「別に、どこか変わったようには思えないんだけど?」

「目に見える変化じゃないんだ。何って言うか、雰囲気、かな?」

 

 どうやら、不知火でもうまく説明できないらしい。

 

 確かに、雰囲気が変わったと言われれば、友哉自身から認識できないのも無理は無いかもしれない。

 

「何かあったの、瀬田さんと?」

「おろ?」

 

 突然の事で、思わず友哉は絶句しつつ不知火に視線を向けた。

 

 対する不知火は、柔らかい微笑で友哉の視線を受け止める。

 

「な、何で、そこで茉莉が出て来るのかな?」

「だって、この間の学園祭の時、2人で一緒に回っていたよね。ベンチで瀬田さんが緋村君を膝枕している所を見ちゃったんだけど」

「えッ!?」

 

 思わず、友哉は顔が赤くなるのを自覚した。

 

 あの時は、寝起きと言う事もあって頭が働かず、そのままの状況を受け入れてしまったが、後になった冷静になり、よくよく考え直してみたら、自分がとてつもなく恥ずかしい状況にあったのを思い出し、自室のベッドの上で思わず悶えてしまった物である。

 

 そんな友哉に構わず、不知火は続ける。

 

「緋村君、もしかして瀬田さんと付き合ってるの?」

「い、いや、そんな事は・・・・・・」

 

 相変わらず、この手の話題をよく振って来る男である。

 

 不知火はなぜか知らないが、他人の恋愛話に首を突っ込みたがる傾向にある。今までも、周囲に浮いた話の事欠かないキンジなどは、不知火の恰好のターゲットであった。

 

 翻って、不知火自身は浮ついた噂の一つも上がらない為、一部からはホモなのではないか、と言う声も上がっているくらいである。

 

 もっとも、不知火に限って言えば、男と付き合っている、などと言う不名誉な噂も立たない為、友哉としてはたんに他人の噂好きなんだろう、くらいの認識しか持っていないが。

 

「お似合いだと思うんだけどな、2人とも」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 不知火の言葉に、友哉は無言の返事を返す。

 

 確かに、自分は茉莉に対して好意を抱いている。

 

 その事を認識したのは、ついこの間の事だが、今ではハッキリと自覚できるくらいに、心の中の想いは成長していた。

 

 だが、

 

 果たして茉莉の方は、友哉の事をどう思っているのだろうか?

 

 友哉の不安は、そこにあった。

 

 自分は茉莉の事が好きだ。それは良い。

 

 だがもし、茉莉は友哉の事を嫌っていたら? いや、そこまで露骨でなくとも、お友達、もしくはチームメイト程度にしか思われていなかったとしたら、

 

 多分、自分はものすごいショックを受けるのではなからろうか?

 

「・・・・・・・・・・・・ねえ、不知火」

 

 ややあって、今度は友哉の方から声を掛けた。

 

 振り返る不知火に、友哉は少しためらうような口調で話す。

 

「自分が好きな娘が、自分をどう言う風に思っているか知りたい時って、どうすればいいと思う?」

 

 我ながら、随分と曖昧な質問だと思ったが、今の友哉には、これくらいしか質問する言葉が思い浮かばなかった。

 

 別に、明確な答えを期待している訳じゃない。ただ、誰かに、このモヤモヤした気持ちをぶつけて、返事が聞きたかっただけ。その対象が、たまたま話を振って来た不知火だったと言うだけの事である。

 

 対して、不知火はニッコリ微笑んで答える。

 

「まず、自分から相手に、その気持ちを言ってみるのが大切なんじゃないかな? そうする事で、相手も答を返してくれるだろうし」

 

 返された答に、友哉はそっと溜息をついた。

 

 不知火の答は正論だ。正論過ぎて実行が難しいからこそ、友哉は悩んでいるのだ。

 

 だが、結局のところ、それしか方法は無いのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 瀬田茉莉は、窓際の席に座ったまま、ボーっと空を眺めていた。

 

 今は探偵科(インケスタ)の専門授業の最中。壇上に立った高天原ゆとりが、教科書に書かれている内容について、丁寧に説明している。

 

 しかし、茉莉は、その内容を一切聞いていなかった。

 

 脳裏にあるのは、1人の少年の事。

 

 緋村友哉。

 

 茉莉が所属するチーム・イクスのリーダーであり、そして今、茉莉が密かに想いを寄せている少年。

 

 いつの頃から、彼への想いが好意に変わったのか、実のところ茉莉にも判然としない。

 

 長野で茉莉の故郷を守るために、彼が戦ってくれた時。

 

 あの時にはもう、既に茉莉の好意は友哉に向いていたと思う。

 

 では、その前だろうか?

 

 イ・ウーでの決戦の時?

 

 それとも、横浜で潜入任務を受けた時?

 

 そちらも、確信と言うほどの物は得られない。

 

 結局、自分の友哉に対する想いなんてものは、その程度なんだろうか、と、1人でズーンと落ち込む茉莉。

 

 気を取り直して、別の事を考える。

 

 自分が友哉に好意を持っている。それは良い。

 

 だが、果たして友哉は、自分の事をどう思っているのか?

 

 何しろ、友哉はあの通りの性格だ。男女の別を問わず友達は多いし、自分の元に集まる人物ならどんな相手でもわけ隔てなく優しく接する。

 

 そんな友哉に好意を寄せている人間が、自分だけとは限らないのではないか。いや、それ以前に、もしかしたら付き合っている人だって、いるかもしれない。

 

 確かめたい。

 

 でも、確かめる事が怖い。

 

 身を焦がすようなジレンマの中、茉莉は自分の内にある感情を持て余し気味になっている。

 

 周囲を見回す。

 

 隣には、同じ師団(ディーン)所属のバスカービルリーダーである、遠山キンジが、一生懸命授業の内容をノートに写していた。

 

 だが、茉莉の探す人物の姿は、教室内に無かった。

 

 イ・ウーにおいて同期であり、同じく探偵科所属の峰理子は、ゆったりとした金髪ツーテールをしている為、遠目にも判りやすい。

 

 自称「ラブロマンスの人間ウィキペディア」である理子がいてくれれば、この手の事は相談し易いし、色々と的確な助言をしてくれると思ったのだが。

 

 今日、理子は、チームメイトの神崎・H・アリアと、買い物へ行くと言って、授業を休んでいたのだ。

 

 もう一度、空を見上げる。

 

 女心と秋の空とは、「先が読めない」という意味合いの言葉だが、今の茉莉には、自分の心すら読めなかった。

 

 その時、

 

「おい、瀬田ッ 瀬田ッ」

 

 隣に入るキンジに小声で呼ばれ、茉莉は我に返って振り返った。

 

「遠山君、どうかしました?」

 

 茉莉の問いかけに対し、キンジは無言のままシャーペンの先で前の方を指し示す。

 

 そこでは、困り顔のゆとりが、茉莉と視線を交えていた。

 

「あ、あの、瀬田さん。この問題を、解いてもらいたいんだけど・・・・・・」

 

 凶暴揃いの武偵校教員陣の中にあって、その笑顔と優しい性格から「教務課(マスターズ)のオアシス」と言う異名で呼ばれているゆとりに泣きそうな顔をされ、茉莉は焦ったように教科書に目を落とす。

 

 が、授業の始まりから考え事をしていた為、当然ながら一文字たりとも授業の内容は頭に入っていない。

 

「・・・・・・・・・・・・すみません。聞いてませんでした」

 

 言いながら、友哉に対してもこれくらい素直になった方が良いだろうか、と、尚も不埒な考えが頭をよぎっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が落ちるのも、以前に比べて早くなって来たと思う。

 

 強襲科(アサルト)での訓練を終え、帰宅の途に着いている友哉は、暗くなりつつある視界の中を、1人歩いていた。

 

 共に歩く者は、誰もいない。

 

 友哉としても1人で歩きたい気分だったので、ちょうど良かった。

 

 今まで、友哉は誰かを好きになった事は無い。

 

 勿論、子供の頃から数えれば、友達はたくさんいた。それこそ、男女の別を問わずである。憧れをもった事がある女性と言う意味では、従姉で年上の明神彩が、一時期そうだったかも知れない。

 

 だが、付き合いたいと思った女の子は、茉莉が初めてだった。

 

 それ故に、どのように接すれば良いのか、友哉には判らないのだ。

 

 不知火は、自分から積極的になるべきだ、と言った。

 

 確かにそれが正論だ。まったくもって、あのイケメンの友人は正しい。

 

 茉莉に自分の想いをぶつける。そして、答を聞く。それだけで、友哉が持っている悩みはすっきり解消されるだろう。

 

 だが、

 

 受け入れてもらった時は良い。その後、彼女になった茉莉と一緒に楽しい時間を過ごせるだろう。

 

 だが、断られた時は?

 

 多分、暫くは立ち直れなくなるんじゃないだろうか。

 

 結局、友哉は自分の中で答を見いだせなかった。

 

 吹いて来た風が首筋を撫でる。

 

 日没が早まるのに比例して、気温も低下している。

 

 寒さに耐えるように、友哉は防弾コートの襟をより合わせた。

 

 その時、

 

 制服のポケットに入れておいた携帯電話が、着信を告げる。

 

 取り出して液晶を開いて見ると、表示されている番号は見慣れないものであった。

 

 訝りながら、電話に出てみる。

 

「はい、もしもし?」

《緋村かッ。儂じゃ!!》

 

 その声には、聞き憶えがあった。

 

「おろ、玉藻?」

 

 今次戦役における師団(ディーン)のリーダーであり、見た目は小学生女児ながら、狐の耳と尻尾を持った齢800歳の大妖怪である。

 

 なぜ、玉藻が自分の携帯番号を知っていたのか気になるところだが、それを尋ねられる雰囲気ではなかった。

 

 電話口の玉藻は、何やら慌てた様子である。

 

《緋村、まずい事になったぞ。バスカービルが敵の襲撃を受けたッ》

「なッ!?」

 

 絶句する友哉。

 

 唐突すぎる。

 

 確かに、極東戦役では奇襲攻撃が許されているが、あまりにも突然の出来事であった。

 

《敵はGⅢ(ジーサード)とそれに与する者共じゃ。既に、アリア、白雪、理子、レキがやられ、敵の手に落ちたッ》

 

 ジーサード。

 

 その名前に、友哉は自身の中にある緊張が、否が応でも高まるのを感じた。

 

 あの宣戦会議の夜に集った者達の中で、友哉が最も危険と感じた存在。

 

 あれだけ錚々たるメンツの中で、物怖じ一つせずに無所属宣言を高らかにした男が、ついに姿を現わしたのだ。

 

 そして、Sランク武偵であり、東京武偵校最強と言っても過言ではないアリア、そのアリアと互角以上に戦う事ができる理子、超能力(ステルス)において他の追随を許さない白雪、超絶的な狙撃能力を誇るレキが、既に倒されたと言う事には、戦慄を禁じえなかった。

 

《既に、遠山とワトソンが、アリア達の救出に向かった》

「場所を教えて。僕もすぐに向かう!!」

 

 逸るように言う友哉。

 

 だが、玉藻は、厳しい口調でそれを制した。

 

《いかんッ 相手の実力は未知数じゃ。しかも、不意を突いたとはいえ、アリア達を瞬く間に倒す程の力を持っておる。お主まで行くのは危険すぎるッ》

「でもっ!!」

《まずは様子を見ることが肝要じゃ。お主は、イクスの仲間を集めて浮島の防備に当たれ。他に敵がいるやもしれぬし、眷属(グレナダ)も、この機に乗じようと言う輩がおるかもしれん》

 

 浮島、と言うのは学園島の事だろう。

 

 確かに、ここは言わば、師団にとっての本丸だ。敵の別働隊が、ここを突いてくる可能性も捨てきれないし、他にも、眷属(グレナダ)に所属する組織が、攻めてくる可能性だってあり得る。

 

《良いな緋村。既に彩夏もお主の元に向かうよう、手筈を着けた。後は・・・・・・》

「ごめん、玉藻」

 

 友哉は、玉藻の言葉を遮るようにして言った。

 

 その瞳は鋭く細められ、前方、闇の中をジッと見詰めている。

 

「どうやら、もう遅いみたいだ」

 

 言いながら、玉藻の返事を待たずに携帯電話を閉じた。

 

 腰の逆刃刀に手を掛けながら、いつでも抜けるように身構える。

 

「・・・・・・・・・・・・出てきなよ。僕に用があるんでしょ?」

 

 声は闇の中へと溶けていく。

 

 その声に反応するように、

 

 闇の中から、人影が2つ、滲み出るように現われた。

 

 

 

 

 

第1話「三者三様空模様」      終わり

 


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