1
朝も明けやらぬうちに、柏崎弘志は葵屋の店の前に立って掃除をしていた。
勤続40年になる弘志にとって、これは毎日の日課であり、老境に差しかかった今でも、誰にも譲る事の出来ない大切な役目だった。
柏崎家は四乃森家と縁が深い。それは緋村家との仲よりも長いくらいだ。
柏崎家もまた、代々御庭番衆の家柄であり、京都における情報網構築は柏崎家の者が行ったのだ。
中でも最も柏崎家が活躍したとされるのは、明治初期に起こった大乱である。
幕末の亡霊と称される1人の男によって率いられた軍勢が、明治政府打倒を目指して、ここ京都において挙兵を行ったのを、緋村抜刀斎や当時の京都御庭番衆が結託して阻止に当たったのだ。
この戦いは正式な記録には全く残っていないが、当時の柏崎家の当主が日記として残していた。
以来、柏崎家は四乃森家に突き従い、この千年王都にあって時代の移り変わりを見守って来たのだ。
掃き掃除も概ね終わり、屋内の業務に戻ろうかと思った時だった。
背後に人の立つ気配があった。
一瞬、物盗りか何かかと思った。
老境に差しかかっている弘志だが、若い頃から今に至るまで体を鍛え続けている。例え若い者であっても、襲い掛かってくるのであれば返り討ちにする自信があった。
だが、背後の相手はなかなか襲い掛かって来る気配が無い。どうやら、物盗りではないらしい。
だとすれば、泊り客か何かだろうか?
そう思って振り返る。
「すいません。開店時間までには、まだ少し時間があるんですが・・・・・・」
そう言って相手を見る弘志。
そこで、絶句した。
「あ、あなたはッ!?」
目の前には、スーツを着てサングラスを掛けた長身の男が立っていた。
弘志はその男に見覚えがあると同時に、途轍もない懐かしさが込み上げて来るのを感じた。
「久しいな、爺」
そう言って、四乃森甲はサングラスを取った。
「お、お久しぶりです、坊ちゃま・・・・・・」
腰を追って深々と挨拶すると、慌てたように店内に入って行った。
「お、奥様、奥様、大変でございます!!」
「何事だい弘志さん。朝から騒々しいね」
自身が信頼を置く大番頭の調子の外れた声に、弥生は呆れたような声と共に顔を出した。
弘志が慌てる事などめったにない為、珍しい物でも見るかのようだ。
だが、その背後から暖簾をくぐって入ってきた息子の姿に、弥生もまた言葉を失った。
「・・・・・・・・・・・・甲」
「ただいま」
口数の少ない男は、そう言って母親に挨拶をする。
その一言だけで、弥生は全てを察した。
甲が実家に戻ってくるのは、決まって大きな事件を解決した時だ。
「おかえり」
そう言って、息子を招じ入れる。
「すぐにご飯作るよ。今度は、少しゆっくりできるんだろう?」
「ああ」
そう言って頷くと、甲は久しぶりに実家の床を踏んだ。
ココが起こした東海道新幹線乗っ取り事件は、居合わせた武偵達、そして彼等の学友の手によって見事に解決を見た。
友哉達と別れ、東京駅目指して暴走を続けたのぞみ246号の16号車では、その後、アリアも戦線に加わっての激戦となった。
驚いたのはココ姉妹で、てっきり双子だと思っていた彼女達は、何と三つ子だったらしい。
15号車以下を切り離した後、長姉の狙姐も戦線に加わった。
徒手格闘の
当初は、相変わらず険悪なムードのアリアとレキだったが、キンジの機転で共同戦線を張る事に成功、見事にココ三姉妹を撃退する事に成功した。
問題の爆弾だが、武偵校から援軍としてやってきた
その後、1人逃走に成功していた狙姐が、東京駅構内において現われ、キンジを狙撃しようとしたが失敗、レキに返り討ちにされて目出度く捕縛と相成った。
一方、停車した15号車の方も、その後は何の問題も無く、残っていた藍幇構成員達も全員捕縛され、乗員乗客、全員が救助されるに至り、今事件は解決を見たのだった。
中で、ちょっとした感動劇があった。
猛妹が最初に姿を現した際に救出した妊婦が、収容された静岡の病院で無事に出産を終えたらしい。
赤ん坊は女の子で、母子共に健康状態は良好との事。冗談を抜きにして命のやり取りの連続だった今事件の最後に、このような感動の出来事があった事を、誰もが喜んだものである。
その後、武偵校生徒を含む、東京行きの乗客たちは最寄り駅で臨時列車に乗り、東京まで戻ってきたのである。
これが、一連の事件の顛末であった。
そして、
それから数日間、事件に関わった者達は慌ただしい日々を送る事になった。
事情聴取と司法取引の手続き。武偵校教務課からの呼び出し。勿論、修学旅行Ⅰのレポート提出と寝る間もないほどだった。一同は何日か友哉とキンジの部屋に泊まり込み、そこで共同でレポート作成等を行った程である。
瑠香に至っては京都行きの目的がばれて、担任の教師からこってりと絞られ、結局、レポート作成を行う友哉達と一緒になって、反省文を書かされる羽目になっていた。
そうしてバタバタとした日常に追われる中、ついにその日がやって来たのだった。
2
瑠香は1人、リビングのソファに腰を下ろして、点けっぱなしのテレビを見るともなしに見ていた。
時刻は11時過ぎ。この時間帯は、瑠香が見たいテレビは何もやっていないのだが、それでも雑音だけは耳に入れておかないと落ち着かなかった。
今日はチーム編成の
友哉と茉莉、それにここ数日泊り込む事の多かった陣も、朝から姿が見えない。
今頃はみんな、写真撮影会場だろう。
「・・・・・・・・・・・・」
溜息が自然と出てしまう。
さっきから画面の中でやってるお笑い番組の再放送も、さっぱり頭の中に入って来ない。サクラがやっているであろう笑い声だけはひっきりなしに聞こえてきてはいるが、瑠香には一体全体何が面白いのか、さっぱり判らなかった。
抱えた膝に、ギュッと力を入れる。
1人でいる事が、こんなにも寂しい事とは思わなかった。
今頃、友哉達は自分達のチーム編成を行っている筈。
瑠香は入学以来、常に友哉と一緒に戦って来たし、茉莉や陣とも家族以上の関係に馴れていると思っている。チーム編成など無くとも、自分達はチームなんだという自負があった。
だがそれでも、たかが産まれて来たのが1年違うと言う理由だけで、自分1人がハブられるのが悔しかった。
「良いなァ、みんな・・・・・・・・・・・・」
瑠香が独り言をつぶやいた時だった。
テーブルの上に置いておいた携帯電話が、着信を告げた。
手に取って見ると、発信者は「瀬田茉莉」とある。
「茉莉ちゃん?」
もう写真撮影は終わったのだろうか?
首をかしげながら、電話に出る。
「もしもし、茉莉ちゃん。どうしたの?」
《瑠香さん、何してるんですかッ?》
珍しく、少し怒ったような声の茉莉に、瑠香はたじろきながらも答える。
「な、何って・・・・・・居間でテレビ見てる・・・・・・」
そう答えると、何やら受話器の向こうで盛大に溜息をつく音が聞こえた。
訳も判らずに戸惑っていると、茉莉が口調を改めて言った。
《良いですか。お洋服は瑠香さんのお部屋に置いてありますから。それを着て、すぐに撮影会場まで来てください》
そう言うと、茉莉は一方的に電話を切った。
訝りながら、自分の部屋へ向かう瑠香。
そして、机の上に置いてある服を見て、思わず声を飲んだ。
撮影会場では、防弾制服・黒を着た武偵校生徒達で溢れていた。
皆、修学旅行Ⅰの結果、新たにチーム編成を行った者達である。
因みに万が一、修学旅行Ⅰを経てもチームが決まらなかった学生に関しては、
撮影会場に来た瑠香は、すぐに目当ての人物に見つかった。
「瑠香さん、こっちですッ」
茉莉が手を振りまわしている。
今日の茉莉は、普段はショートポニーにしている髪をセミロングに下ろし、少しゆったり目の防弾制服・黒を着込んでいる。
そして、
瑠香もまた、茉莉とお揃いの防弾制服・黒に身を包んでいた。
茉莉の傍らには、同じくスーツタイプの防弾制服・黒を着た、友哉と陣の姿もある。
もっとも、Yシャツのボタンまできちんと止めている友哉に対し、陣はノーネクタイの上、第3ボタン辺りまでだらしなく開けているが。
「やっと来たよ、この娘は」
「遅ェぞ、四乃森」
そう言って、2人とも笑みを見せて来る。
「あ、あの、これは一体・・・・・・」
ここはチーム編成の為の会場だ。そこになぜ、自分が呼ばれているのか、瑠香には判らなかった。
そんな瑠香に、茉莉が折り畳まれた紙を1枚取り出して見せた。
開いてみると、それはチーム申請用の用紙だった。
チーム名『
メンバー
◎ 緋村友哉 (
○ 瀬田茉莉 (
・ 相良陣 (
・ 四乃森瑠香 (
その内容には、驚きを隠せなかった。
「何で・・・・・・何で、あたしもチームに入ってるのッ?」
瑠香は1年生であり、正式なチームは組めない筈だった。しかし、何度見直しても、用紙の最後の欄には、瑠香の名前があった。
そんな瑠香に、茉莉が優しく微笑みながら言う。
「友哉さんが
「友哉君が・・・・・・」
視線を向けると、友哉も微笑んで頷いて来る。
ずっと戦って来たからこそ、瑠香が抜ける事を良しとしなかったのは友哉も一緒だった。
だからこそ教務課に掛け合い、繰り上げ枠で瑠香もチームに編成できるようにしたのだ。
「あの、迷惑ですか?」
反応の薄い瑠香に、茉莉はオズオズと言った感じに尋ねる。
勝手にこのような事をした事を、瑠香が怒っているのではないかと思ったようだ。
「ううん、迷惑なんかじゃないよ。すごく・・・・・・すごく嬉しい」
1人になると思っていた。
もう、みんなと同じチームでは戦えないのでは、とさえ思っていた。
けど、そんな事は無かった。
この中の誰か1人欠けても、チームでは無くなってしまうのだ。
「よっしゃ、そんじゃ一丁、ビシッと決めようぜッ」
陣が力強く宣言する。
既に、人影もまばらになり始めている。写真撮影を終えた生徒達が、会場を後にし始めているのだ。
4人もまた、順番を待って撮影位置に着いた。
「チーム・イクス、緋村友哉が
この写真撮影の際、自分の素性や使用武器、得意技を悟らせないようにする為、わざと斜を向いてぼかすのが習わしである。防弾制服・黒を着るのも、所属を隠す為の一環だった。
中央に立った友哉は、刀を持つ左手を隠すように、半身引いて視線だけをカメラに向け、陣は背中を向けた状態で右に振り返り、横顔を見せる。
茉莉は遠くを見つめるように真横を向き、瑠香は、持ち前の元気さと、チームには入れたのが嬉しい為か、カメラ目線で僅かに笑っている。
「9月23日11時23分、チーム・イクス、承認・登録!!」
シャッターを切る蘭豹の大声と共に、フラッシュが焚かれた。
「でも、良かったんですか?」
撮影が終わって会場を後にする際、茉莉が尋ねて来た。
「私なんかが、サブリーダーをやっても・・・・・・」
イクスはリーダーが友哉、サブリーダーが茉莉と言う事になる。これは友哉が考え抜いて決めた事だった。
不安そうな顔をする茉莉に、友哉は笑い掛ける。
「構わない。君なら色んな局面に対応できるだろうし」
サブリーダーはいざという時に、リーダーに代わって指揮をとる必要がある。茉莉なら、その役をこなせると、友哉は考えていた。
友哉、茉莉、瑠香の3人は、身のこなしの素早さにおいては武偵校でも屈指である。
速さにおいては他の圧倒し、また戦闘時にも高い機動性を誇っている。
陣は速度は劣るものの、攻撃力と防御力においては並はずれており、足を止めての戦闘ならば並みの相手が10人で掛かっても負けはしないだろう。
友哉、茉莉、瑠香の3人が高速展開を行い、陣が後ろでどっしりと構えて防御や突破役となる。これが、友哉が構想していた布陣だった。
恐らく、他の追随を許さない高速機動部隊となる筈だ。
「速い」と言う事は、それ自体が一つの武器である。
強硬偵察、高速展開、機動援護、奇襲攻撃、通常戦闘、如何なる戦場においても活躍する事ができる。
なぜ、イクスなのか?
そこには「交錯する」と言う意味がある。
いや、それ以前に、
何かチーム名をと考えた時、友哉の脳裏に浮かんだのがXと言う文字だった。それが何を意味しているのか、友哉には判らない。ただ、ひどく懐かしい、それでいてとても大事な何かを思い出したような、そんな気がしたのだ。
「よっしゃ、チーム編成祝いの打ち上げだ。これからどっかでパーッとやろうぜ!!」
「おっしゃ、賛成!!」
「良いですね」
そう言って盛り上がっている3人を見ながら、ふと友哉は、左手に持った逆刃刀に目をやった。
この刀を持ち、明治の時代を駆け抜けた男、緋村抜刀斎。
彼は飛天御剣流の理念に則り、時代の苦難から人々を救う為に戦ったのだろう。
『僕は、あなたの子孫として、立派に戦えていますか?』
その問いに、返る答えはない。
答は、自分自身のこれからの戦いで見付け、そして勝ち取って行くしかないのだ。
「友哉さん」
そんな友哉に、茉莉がそっと語りかけて来た。
彼女の後ろには、陣と瑠香も立ち、笑い掛けて来る。
そう、これからも友哉は戦って行く事になるだろう。
チーム・イクスの仲間達と共に。
彼らと共にある限り、友哉は決して負ける気がしなかった。
第10話「X」 終わり
京都編 了