緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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京都編
第1話「水投げの日に」


 

 

 

 

 

 

 

 

 東シナ海、公海上

 

 今、1隻の貨物船の上で、一つの戦いが終わろうとしていた。

 

 戦闘の原因は、海賊船の襲撃にあった。

 

 21世紀になって既に10年近くになろうと言う昨今だが、未だに海賊と言う、ある意味レトロな存在は根絶するに至っていない。

 

 この船が海賊船の襲撃を受けたのは、今から約30分前。

 

 そして、夜を赤く照らし出すような戦闘の後、戦いは終結した。

 

 海賊達の敗北と言う形で。

 

 乗り込んで来た海賊達は、全て1人残らず返り討ちにあい、甲板上にその屍を晒していた。

 

「キヒ、他愛ない奴らネ」

 

 髪をツインテールに結った、チャイナ服を着た少女は、無様に甲板上に転がる海賊達の亡骸を見て、その可憐な顔に嘲笑を浮かべる。

 

 乗り込んで来た海賊達は全部で30人前後。その殆どを、この少女が倒した事を考えれば、驚異的な実力の持ち主である事が窺える。

 

「あちゃー あたしの船を、随分と血だらけにしてくれたわね」

 

 そんな少女に、別の女が背後から声を掛ける。痩身で背がスラリと高い、長い髪を流した女だ。口ぶりからすると、この女が船長のようだ。

 

「やるなら、もう少し考えてやりなさいよね。これじゃ掃除が大変よ」

「そう言うなら、お前も少しは働くね。サボるから、こんな目に会うね」

 

 女の手には、回転式の拳銃が握られている。侵入した海賊の何人かは、この女が倒した事が判る。S&W M28。「ハイウェイ・パトロールマン」の愛称で親しまれる重量級の拳銃だが、女はそれを片手で苦もなく持ち歩いていた。

 

 しかし、それでも少女にとっては不満であるらしい。

 

「これもビジネスの内ね。お前、私、東京まで運ぶ。もう、その分の報酬は払ったネ」

「海賊との戦闘と、船の破損代で、追加料金を払ってもらいたいくらいなんだけど?」

 

 溜息交じりに、女はそう言うと、さっと右手を上げる。

 

 すると、海賊船に乗り込んでいた部下達が次々と甲板上に戻って来る。指示しておいた作業が完了したのだ。

 

「それはそれ、これはこれ、海賊の襲撃、私のせいじゃないネ」

「はいはい。しっかりしてる事で」

 

 そう言うと、指示を待つ部下に頷いて見せる。

 

 船は止めていたエンジンを再び動かし、ゆっくりと無人となった海賊船から離れていく。

 

「アンタの金のがめつさは知っている方だし。これくらいはサービスにしといてあげる」

「物判りが良い奴、好きよ。お前、きっと出世するネ」

「そいつはどうも」

 

 軽口を言っている内に、船は漂流している海賊船から、充分な距離を放していた。

 

 それを見て、女は頷く。

 

「さて、こんな物か」

 

 やれ、と短く命じる。

 

 待機していた部下は、手に持っていたリモコンのスイッチを入れる。

 

 次の瞬間、海賊船は轟音と共に火柱を上げ、一気に炎上を始めた。

 

 その様子を、満足げに眺める。

 

「あいつ等も運がなかったわね。たまたま、襲撃を掛けたのがあたしの船だったとは」

 

 自分も、クルー達も、そこらの海賊に負けるような温い海を渡って来た訳じゃない。この船を沈めたかったら、軍艦の1隻でも連れて来ない事には不可能だ。

 

「さて、日本まではまだ間があるから、アンタはもう少し、客室でゆっくりしてな」

「そうするね。これ以上、私の手煩わせる、ダメよ」

「そいつは、あたしに言われても困るんだけどな」

 

 そう言って苦笑する。

 

 彼女にとっても、久しぶりの日本だ。だがある意味、この時期に帰ってこれたのは幸いだったと言える。

 

「さて、今度はどんな戦いが、待っているのかしらね」

 

 吹きつける潮風を浴びながら、不敵に微笑む。

 

 願わくば、今戦った海賊よりは上等な敵と巡り合える事を、切に願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みも終わり、9月に入った事で、東京武偵校の制服は開放感ある半袖から、再び臙脂色のジャケットに戻っていた。

 

 正直、残暑真っ盛りの9月に冬服を着るのは拷問以外の何物でもないと思うのだが、これを守らないと嬉々とした教員連中の体罰フルコースを、もれなく平らげる事になる為、皆、必死になって守っている。

 

 学校に通う生徒達の顔つきも様々である。

 

 充分に夏休みを満喫し、英気を養った者。課題消化に追われ、休む暇も無かった者、なぜか事件に巻き込まれ、休み中なのに任務に明け暮れた者。それぞれに違った顔付をしている。

 

 だが、こうしてまた、学校に一同が介し、学園島は普段通りの活気を取り戻していた。

 

 四乃森瑠香は、諜報科での潜入訓練を終え着替えると、その足で強襲科棟へと向かった。

 

 今日は、同居人の緋村友哉、瀬田茉莉に加えて、相良陣、高荷紗枝等も加えて、お台場に食事をしに行く事になっている。

 

 そこで、強襲科棟まで友哉達を迎えに来た訳である。既にメールで、茉莉と紗枝は強襲科に向かっている旨が送られて来ている。どうやら、合流するのは瑠香が最後と言う事になりそうだった。

 

「うわ、みんな怒ってないと良いけど」

 

 腕時計を確認しながら、瑠香は駆け足気味に強襲科の敷地に入った。

 

 まだ夏と言っても良いこの時期、陽が落ちるには間がある。

 

 西日が差しこむ強襲科体育館に入った時、見知った少女の背中を見付けて声を上げた。

 

「あ、茉莉ちゃん、ごめんごめん。お待たせ~」

 

 名前を呼ぶと、瀬田茉莉は振り返った。

 

「瑠香さん、お疲れ様です」

 

 茉莉も探偵科での授業を終えて合流したばかりだ。その横には救護科での自由履修を終えた高荷紗枝も手を振っていた。どうやら予想通り、2人は瑠香よりも先に着いていたようだ。

 

「ごめんね、遅くなっちゃって」

「いえ、それが・・・・・・」

 

 言い難そうに言葉を詰まらせる茉莉を、瑠香は怪訝そうに眺める。

 

 その視線を追い、そして絶句した。

 

 何とそこには、未だにジャージ姿の緋村友哉が立っているのだ。

 

 手に刀を握っている所を見ると、まだ訓練の途中であると覗える。

 

 全身から滝のように汗を流し、俯くように伏せた顔は激しく上下して荒い呼吸を繰り返している。

 

「そんな・・・友哉君、まだ終わっていなかったの!?」

「終わっていない、どころの騒ぎじゃないわよ」

 

 驚く瑠香に、紗枝は溜息交じりに答えた。

 

「ど、どういう事ですか?」

 

 瑠香が、そう尋ねた時だった。

 

 視界の先で、友哉が動いた。

 

 助走を付けつつ疾走、同時に、刀を担ぐように構えた。

 

 友哉が進む先には、標的用の案山子が立っている。強襲科の学生が、相手がいない時の打ち込みなどに使う案山子である。

 

 友哉は案山子まで5メートルほどの距離まで到達すると、前方に向かって踏み切り、跳躍。空中で体を捩じりながら突進する。

 

「オォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 旋風のように振るわれる刀が、ラバー製の案山子を直撃した。

 

 見ている人間全員がどよめきを上げる中、友哉はそのまま案山子の横を通り過ぎ、

 

 そして、

 

 着地に失敗して、頭から床に突っ込んだ。

 

「友哉君ッ!!」

 

 その様子を見ていた瑠香が、悲鳴に似た声を上げて駆け寄ろうとする。

 

 だが、その前に大柄な影が立ちはだかって制した。

 

 強襲科教員の蘭豹である。

 

 蘭豹は倒れた友哉の様子を舌打ちしながら睨むと、控えていた学生に言った。

 

「おい、叩き起こせッ」

 

 指示を受けた学生は、瑠香達が声を上げる前に、手に持ったバケツの水を友哉の顔面に叩きつけた。

 

「ガハッ、ゲホッゲホッ」

「緋村ァ 何寝とんねん!! まだ今日のノルマ終わってへんぞ!!」

 

 蘭豹の声を聞きながら、友哉はゆっくりと身を起こすと、無言のまま開始位置へと歩いて行く。

 

「先生ッ!!」

 

 そんな蘭豹に、瑠香が食ってかかる。

 

「やりすぎです、こんなのッ やめさせてください!!」

 

 叫ぶ瑠香。

 

 対して、蘭豹は不機嫌そうに腕を組んだまま、ジロリとひと睨みした。

 

 それだけで、瑠香は恐怖の内に竦み上がるのを感じた。

 

 香港マフィアの首領の娘にして「人間バンカーバスター」の異名で呼ばれる女傑に敵う学生は、この武偵校には存在しない。チビらなかっただけ、瑠香はまだ偉い方である。

 

 そんな瑠香の様子に、蘭豹は1枚の紙を突き出して来た。

 

「な、なな、何ですか?」

「見てみい。あのアホから提出された自己鍛錬計画書や」

 

 受け取って一読し、瑠香は絶句した。

 

 内容が、明らかにオーバーワークだ。友哉は通常1日にこなすメニュー量の5倍近い練習量を提出していたのだ。

 

 主な内容は飛天御剣流の型の反復練習だが、それを各5000回ずつ。友哉はそれを、昼から休み無しで行っている。しかも、今の友哉は、両腕に各10kgのリストバンド、両足に各10kgのレッグバンド、腰に20kgのベルトを巻いている。都合60kg。ほぼ大人1人分の体重に匹敵する重さを追加しているのだ。

 

 道理で、長野から帰って来てからこっち、寮に帰ってくると異様に疲れていると思ったら、こんな事をしていたとは。

 

「こんな物、受理したんですか!?」

 

 書類を受け取った時点で、蘭豹には却下する権限もあった筈だ。なぜ、そのまま受け入れたのか。

 

 対して、蘭豹も大きくため息をつく。

 

「ウチかて何遍もやめろ言うたわ。それをあんの頑固モンが、聞く耳持とうとせえへん。だから、一遍やらせて、無理な事を体に判らせよう思うたんやけど、緋村の奴、とうとう全部消化してしまいよった。今日ももう、9割方終わっとる」

 

 溜息しか出ない。

 

 恐らく友哉は先月実家に行った際、父、誠治から貰った飛天御剣流の資料を元に、早く技を物にしようと躍起になっているのだ。

 

 今の友哉には、早く飛天御剣流を完成させる事以外、念頭にない筈だ。

 

 一途なのか、馬鹿なのか。

 

 間違いなく、後者だろう。

 

 友哉は先程と同じく、回転突撃技でラバー案山子に斬りかかる。

 

 今度は、先程のように頭から突っ込む事は無い。どうやら、少しずつコツを掴めてきているようだ。

 

 そんな友哉を見て、紗枝が厳しい顔で前に出た。

 

「蘭豹先生。救護科(アンビュラス)の者として進言します。これ以上の訓練は体に対する負担にしかなりません。よって、ドクターストップの許可を」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 蘭豹と紗枝は、暫し無言のまま睨みあうが、初めから無理という事は本人にも感じていたのだろう。やがて、蘭豹の方から視線を逸らした。

 

「おい緋村ッ 今日はもう仕舞やッ お前もさっさと上がりッ!!」

 

 声を張り上げる蘭豹。

 

 だが、友哉はそれが聞こえていないように、再び開始位置まで行こうとしている。

 

「チッ、あのドアホが・・・・・・」

 

 蘭豹は苛立たしげに、舌打ちした。

 

 友哉は尚も訓練をやめようとしていない。どうあっても、自分に課したノルマを完遂しようとしているのだ。

 

「仕方がない、おい、相良」

「あん?」

 

 傍らで胡坐をかいて見物していた陣を、蘭豹は振り返って呼び付ける。

 

「ウチが許可したる。あの馬鹿をぶん殴ってでも止めてこい」

「気が進まねえな・・・・・・」

 

 そう言って、陣は面倒くさそうに頭を掻く。

 

 友達を殴る事もそうだが、既に倒れる寸前の人間を殴り飛ばす事自体、陣には許容できない事だった。

 

「良いからやれやッ」

「へいへい」

 

 蘭豹にハッパを掛けられ、仕方なく友哉の方へ歩いていく陣。

 

 だが、友哉を目の前にした陣は、その顔を覗き込むようにした後、肩をすくめて振り返った。

 

「お~い、蘭豹先生よォ。どうやら必要ないみたいだぜ」

 

 陣が友哉に近づいた時、既に友哉は立ったまま気を失っていたのだ。

 

 次の瞬間、友哉は力を失い、その場に前のめりに倒れ込む。

 

 慌てて駆け寄った一同が介抱する中、友哉が意識を取り戻したのは、その20分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は武偵校の日程で言うところの「水投げの日」に当たる。

 

 この日に限り素手での戦闘のみ、全面解禁となる。もっとも年がら年中、銃やら剣やらを振り回している武偵校にとって、それがどれほどの意味があるのか不明だが。

 

 駅の構内に入ると、帰宅する人や遊びに出る人の波でごった返していた。

 

 結局、友哉は意識を取り戻した後も、落ち着くまで時間がかかってしまい、一同がお台場に出発したのは、その2時間後となってしまった。

 

 当初はまた今度にしようか、という意見も出たのだが、友哉が、折角みんなが集まってくれたのに、自分のせいで延期になっては申し訳ない、と言った為、友哉の回復を待って出発となったのだ。

 

「いや、ごめんね、みんな」

 

 まだ少しふらふらとしながらも、友哉は支えを借りずに自分の足で歩いている。

 

 一応、刀は戦妹である瑠香が持ち、鞄は陣が持っている為手ぶらであるが、それでもまだ、どことなく歩いて、つらそうな感がある。

 

「まったく、友哉君無茶しすぎ。体壊すよ!!」

「いや~、もうちょっといけるかと思ったんだけどね」

「気絶までしておいて何言ってるんですかッ」

 

 左右から瑠香と茉莉に抗議され、流石の友哉もタジタジと言ったところだ。

 

 実際の話友哉としては、新たに知った技を早く自分のものにしたかった為、あのようなオーバーワークを申請したのだ。本人的には問題ないつもりだったのだが、やはり無茶があったようだ。

 

「ま、とにかく、これに懲りたら、少しは自重する事ね」

「だな。ぶっ倒れるまでやって、いざという時に動けませんでした、じゃ話になんねえし」

「おろ・・・・・・」

 

 紗枝と陣にもまで言われてしまい、友哉は言葉を詰まらせながら押し黙るしかなかった。

 

 何事も、過ぎたるは及ばざるが如し、と言う事なのだろう。

 

「そう言えば」

 

 話題を変えるように、瑠香は口調を変えて言った。

 

「もうすぐ、2年は修学旅行Ⅰ(キャラバン ワン)だね。良いな~、友哉君達、京都旅行に行けて」

「いや、京都旅行って・・・・・・あれって一応は、チーム編成の為の下準備みたいなものでしょ」

 

 夏休みも終わり、武偵校ではチーム編成の時期が近付いていた。

 

 武偵同士のチーム編成と言うのは、それなりに重い意味を持っている。武偵校において編成されたチームは、武偵庁に登録され、後々まで有効となる。その為、かなり息のあった学生同士であっても、チーム編成の際には慎重になり考え直そうとする。その為に設けられたのが修学旅行Ⅰ(キャラバン ワン)と言う訳である。

 

「ん~、でも、あたしも去年行ったけど、殆ど旅行みたいなものよ。名所を2~3箇所見学して、その事を帰ってからレポートに書くだけ。後は遊んでいて良いって感じだったわね」

 

 流石は、専門科目以外は割とどうでも良い体質のある武偵校。修学旅行も超が付くほど適当だった。

 

「そうだ、チーム編成と言えば、友哉さん、知ってますか?」

 

 主語を省いて質問したのは茉莉だった。

 

 先月、自分の出身地である皐月村の、ダム開発に絡む陰謀に巻き込まれた茉莉だったが、その事件は友哉達の活躍によって無事に解決され、彼女は今までよりも明るい表情を見せるようになった。

 

「遠山君と神崎さんが、別れたって言う噂があるのですが」

「おろ、キンジとアリアが・・・・・・」

「あ、それ、あたしも知ってる」

 

 反応したのは、傍らを歩いていた瑠香だった。

 

「あたしの友達に、遠山先輩とアリア先輩の戦妹の娘がいるんだけどさ、その娘達が言うには、遠山先輩、アリア先輩とコンビ解消して、別の人とチーム申請しちゃったんだって」

「別の人って、誰?」

「それが、」

 

 茉莉は言いにくそうに淀んでから言った。

 

 彼女との付き合いもそれなりになる為、そろそろ行動パターンが読めるようになってきている。茉莉がこういう顔をするときは、本当に困っている時だ。

 

 ややあって、茉莉は言った。

 

「レキさん、なんです・・・・・・」

「それは・・・・・・」

 

 確かに、言いにくい事この上なかった。

 

 とは言え、キンジとレキ。全くあり得ない、とは言い切れないものの、やはり違和感がある組み合わせだ。

 

 キンジとレキ、それに友哉や強襲科同期の不知火亮は、1年生の頃からよくチームを組んで行動する事が多かったが、それもキンジが去年、探偵科に転科するまでの話である。2人が取り立てて仲が良かった、という印象は特にない。

 

 それに比べれば、アリアの方が(喧嘩しながらではあるが)ずっとキンジと仲が良いように思える。てっきり友哉としては、キンジはアリアとチームを組むと思っていたのだが。

 

 これがもし、相手が峰理子や星伽白雪だったのなら、まだ納得も出来るというものなのだが。

 

 いや。それ以前に、キンジがレキとチームを組んだ、などと知ったら、アリアがどんな行動に出るか、想像に難くなかった。

 

 世間一般では「女たらし」などと言われているキンジだが、実際には、逆に「女嫌い」である事を、友哉は知っている。であるから間違っても「キンジが、アリアとレキを天秤にかけて、レキを取った」と言う事は無い筈だ。

 

 一度、当事者の誰かに、話を聞いてみる必要がありそうだった。

 

 その時だった。

 

「やめろ、アリア!!」

 

 ホームへと続く階段の方から、緊迫に満ちた声が聞こえてきた。

 

 その鋭い声には、覚えがある。

 

「お、おい、この声はッ」

「キンジだ」

 

 尋常じゃない声音は、何かのトラブルを予見させた。

 

 すぐに飛び出したのは、陣と瑠香だ。

 

 友哉も慌てて後に続こうとするが、激しい訓練の後で体が思うように動かず、つんのめるような体勢になり、慌てて茉莉が横から支えてくれた。

 

 茉莉と紗枝と3人で、先行した2人に追いついた時、階段の踊り場で対峙する、キンジとレキ、アリアと理子、そしてレキの飼っているコーカサスハクギンオオカミのハイマキがいた。

 

 一瞬にして、場の空気が険悪な物だと読み取れる。

 

 特に、睨みあっているアリアとレキ。この2人は既に互いの殺気を相手にぶつけあっている。

 

 目を疑いたくなるような光景だ。

 

 アリアにとってレキは、同性の中では特に仲のいい友人だと思っていた。他にも何人か付き合いのある女子はいる事はいるが、例えば目の前にいる理子などは、一見すると仲が良いようにもみえるが、当人同士はあくまで「ホームズ家とリュパン家の人間が、仲が良いなんて事はあり得ない」等と否定しているくらいだ。

 

 そんな訳で、アリアにとって最も仲の良い女子といえばレキ、という印象があった。

 

 しかし今、2人は今にも殴りかからんばかりの勢いでにらみ合っている。

 

 レキの後ろに立っているキンジは、状況についていけずただ慌てているだけだ。その事を見ると、どうやら先程瑠香達が言っていた噂は本当であるらしい。

 

 次の瞬間、状況が動く。

 

 アリアが、レキに目がけて飛びかかったのだ。

 

 得意の総合格闘技(バーリ・トゥード)で、レキに攻めかかる。

 

 対して、レキは何もしない。ただ、アリアに押し倒されるままだった。

 

 スナイパーとして超一流と言って良いレキ。そのレキに発覚した意外な弱点、それは素手格闘技能の皆無だった。

 

 倒れた主人を助けようと、ハイマキが飛びかかろうとするが、アリアの援護についていた理子が、尻尾を掴んでそれを引きとめた。

 

「クフフ、理子、ニャンコ派だけど、実はワンコも行けるんだよねえ」

 

 言いながら、理子はハイマキの背に飛び乗ってしまう。

 

 更に理子はハイマキの足を払い、床に押しつぶす事で動きを封じた。

 

「あはは、レキュ、この子、理子が貰っちゃうぞ。貰ってフルモッフだァ」

 

 かつて、ハイマキを捕える際、ヒステリアモードのキンジとレキが2人掛かりであったにもかかわらず、理子は1人であっさりと、その動きを封じてしまったのだ。

 

 素手格闘皆無で、更に頼みのハイマキも封じられ、これでレキの敗北は確定したかと思われた。

 

 しかし、レキを押し倒したアリアは、そのまま動こうとしない。

 

 躊躇っているのだ。友達であるはずのレキを殴りつける事を。

 

「やめろ、アリア、こんなの、ただの弱い者いじめだろ!!」

「2人とも、やめるんだ!!」

 

 キンジと友哉がほぼ同時に叫び、動きを止めるアリア。

 

 その隙を逃さず、レキが動いた。

 

 スカートの下から銃剣を抜き打ち、アリアに躊躇なく斬り付けた。

 

「あッ!?」

 

 声を上げるアリアは、髪を数本断ち切られ、そのまま驚いて後退する。

 

 レキは水投げの日のルールを無視して、刃物を構えたのだ。

 

 立ちあがるレキ。そのまま慣れた手つきでドラグノフの先端に銃剣を取り付けて、槍のように構えた。

 

 かなり、洗練された構えだ。徒手格闘はできないレキだが、どうやら銃剣術の心得はあるらしい。

 

 鋭い踏み込みで、アリアに向かって突き込むレキ。

 

 殺気。

 

 普段、「ロボット・レキ」などと言われ、感情の起伏が皆無に見えるレキが、今、明らかにアリアに殺気を向けていた。

 

 流石のアリアも、熟練した銃剣術相手に、素手では苦戦を免れない。レキの的確な攻撃を前に、回避しながら後退することしかできないでいる。

 

 その光景を、キンジも、理子も、他の皆も唖然としてみつめている。

 

 そうしているうちに、アリアが壁際に追い込まれる。そこから後には、もう逃げ場はない。

 

「クッ!?」

 

 友哉はとっさに動く。

 

 全身に走る激痛を無視して、瑠香に預けておいた逆刃刀を奪い取ると、そのまま神速の勢いで階段を駆け上がった。

 

 踊り場まで跳び上がると、今まさに、壁際に追い込まれたアリアに、レキがとどめを刺そうとしているところであった。

 

「レキッ!!」

 

 叫ぶと同時に、友哉はアリアを守るようにして立ちはだかり抜刀、レキの銃剣を払いのける事に成功した。

 

「ゆ、友哉・・・・・・」

 

 自分を助けるように飛び込んできた友哉の姿に、呆然とした声を上げるアリア。

 

 対して、突然の乱入者にも、レキは顔色を変えない。

 

「そこまでだよ、レキ。これ以上は必要ない筈だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉に対して、レキは無言のまま狙撃銃を引くと、肩にかけ直した。

 

 一応、これ以上戦う気はない。と言うジェスチャーであるらしい。

 

「あんたなんか・・・あんたなんか・・・・・・」

 

 その様子を、友哉の背中越しに見ていたアリアが、絞り出すように言う。

 

「あんたなんか、もう絶交よッ 二度と、顔も見たくないわ!!」

 

 そう叫び捨てると、アリアはその場から駆け足で去り、その後を追いかけて理子も去って行った。

 

 その様子を眺めながら、友哉は溜息をつく。

 

 どうやら、この場は事無きを得た様子で何よりであるが、事態は思った以上に深刻だ。

 

 キンジ、アリア、レキ。

 

 ここにきて、思ってもみなかった三角関係が勃発してしまっている。

 

 間もなく、修学旅行、そしてチーム編成が待っている。それまでに、何とか3人の仲が回復してくれればいいのだが。

 

 そう考えながら、友哉は逆刃刀を鞘に収めようと持ち上げた。

 

 すると、

 

 柄が手から滑り、ガシャンと床に刀を落としてしまった。

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 気がつけば、妙に目の前が薄暗くなっている。

 

 キンジや瑠香が、自分を呼んでいるのは分かっているが、それらが遠くから聞こえる気がする。

 

 そこまで考え、友哉は自分の意識をアッサリと手放した。

 

 

 

 

 

第1話「水投げの日に」      終わり

 


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