緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第7話「黒き疾風」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臍を噛む、とはこういう思いを言うのだろう。

 

 友哉は(この少年にしては、まことに珍しい事に)、苛立ちながら前髪をクシャクシャとかき上げる。

 

 その事に気付いたのは、高橋のおばさんを乗せた救急車を見送り、母屋に戻った後だった。

 

 父親に続き、お世話になっているおばさんまで倒れた事で、茉莉の精神的なショックは計り知れない事だろう。

 

 その為、瑠香には茉莉についているように頼んだのだ。

 

 だが、瑠香が血相を変えて戻ってくるのに、1分もかからなかった。

 

 慌てた瑠香によれば、部屋に行っても茉莉がいないと言うのだ。

 

 胸騒ぎは、一気に肥大する。

 

 すぐに3人で手分けして、神社内を捜索したが、やはりどこにも茉莉の姿は無かった。

 

 どう足掻いても、後悔は先に立たない。こうなる事は、予想できてしかるべきだったのだ。

 

 このような状況だ。茉莉を1人にするべきじゃなかった。こうなる可能性を考慮に入れなかったのは失敗だった。

 

 茉莉は「瀬田茉莉」であると同時に「《天剣》の茉莉」でもある。普段は恥ずかしがりやで大人しい少女であるが、ひとたび戦いの場になれば、猛虎もかくやとばかりの獰猛さで敵を屠り続ける。

 

 その二面性のうち、どちらが本当の「茉莉」であるかは、誰にも判らない。あるいは、どちらも彼女の持つ一特性に過ぎないのかもしれないが。

 

 とにかく、谷親子の行為が、ついに大人しい少女の仮面を、不用意にも剥ぎ取るきっかけとなった事だけは間違いなかった。

 

「友哉君ッ!!」

 

 瑠香が慌てて駆けて来るのが見える。彼女には、神社周辺の捜索をお願いしたのだが。

 

「ダメ。やっぱりどこにもいないよ、茉莉ちゃん」

「家の中もダメだッ」

 

 陣も戻って来て言う。普段は豪胆な陣の顔にも、明確な焦りの色があった。

 

「どこに行ったかは、想像が付いている」

 

 谷の本家宅。ここからなら、車で20分。皐月村から山を越えた向こう側だ。恐らく、そこへ行った事だろう。茉莉の足なら、恐らく10分もあれば到着する筈だ。

 

「どうしよう、友哉君。このままじゃ、茉莉ちゃんが・・・・・・」

 

 瑠香が声を震わせながら呟く。

 

 今にも崩れ落ちそうなほど、その体は震え、顔は青ざめている。茉莉が一種の悲壮感を胸に、戦場へと赴いた事が判っているのだ。

 

「大丈夫、落ち着いて。大丈夫だから」

 

 言い聞かせるようにそう言うと、友哉は瑠香の頭を優しく撫でてやる。

 

 とは言え、状況がひっ迫しつつある事は間違いなかった。このまま推移すれば、最悪の結末も考えられる。

 

 友哉は無言で、自分の持ってきた荷物の中から逆刃刀を取り出す。

 

 沸々と、怒りが胸の内に湧いて来る。

 

 谷家に対して、ではない。友哉は茉莉に対して怒っていた。

 

 なぜ、自分達を頼らなかったのか。なぜ、1人で勝手に行ってしまったのか。

 

 その理由も大方判っている。良くも悪くも正直すぎる娘の事、恐らく頭に血が上って、完全に周りが見えなくなってしまっているのだ。

 

 かつて、その性格故に、彼女は稲荷小僧になるという選択肢を選ばざるを得なかった。

 

 だが今は違う。茉莉には、頼るべき仲間がたくさんいるのだ。1人で無理を重ねる必要なんてどこにもない。

 

 その辺の事を、彼女にはしっかりと教育してやる必要がありそうだった。その為にもまず、茉莉を無事に連れ帰る必要がある。

 

 友哉は無言のまま、手荷物の中から漆黒のロングコートを取り出して羽織る。

 

 出発前に母がくれた防弾コート。新素材を使用する事で、時期を限定せず、防御力を落とさずに着る事ができるようになったコートだ。

 

 見れば、陣は拳を掲げ、瑠香もイングラムを取り出している。

 

 頷き合う3人。

 

「行くぞ」

 

 低く囁かれる友哉の声。

 

 それが、出陣の合図だった。

 

 

 

 

 

 友哉の予想した通り、茉莉が谷本家の前に辿り着くのに時間はかからなかった。

 

 とは言え、時刻は既に夕方。日は山の影に落ちようとしている。

 

 巫女装束を着た少女の姿に、門の前に立つ男は怪訝な顔つきになるが、茉莉は構わず、彼の前に立って足を止めた。

 

「・・・・・・谷信吾さんに会いに来ました」

 

 余計な会話はせず、率直に用件だけを言う。

 

「瀬田茉莉が来た。そう言えば伝わる筈です」

 

 一瞬、胡散臭げな視線を投げて来たが、少女の内に灯る暗い殺気に、門番の男は一瞬気圧されそうになった。

 

『サッサトシロ、キサマノ命ナド、イツデモ取レルンダゾ』

 

 無言の内に発する眼光は、そう言っているようだった。

 

 少し慌て気味に、趣味の悪い屋敷の中へと駆けこんで行く男を見送りながら、茉莉はその場に立ち尽くす。

 

 まだだ。

 

 仕掛けるにはまだ早い。

 

 敵は多分、茉莉をただの小娘だと侮っている筈。きっと、自分達から姿を現す筈だ。ならば、それを利用して至近距離まで接近、縮地を利用した奇襲攻撃で一気に仕留める。

 

 一瞬、茉莉の脳裏に友哉の顔が浮かんだ。

 

 昨夜の話し合いで、友哉はいつでも力を貸してくれると言った。

 

 だが、これだけは譲れない。谷親子は必ず自分の手で仕留める。それが、父や高橋のおばさんの敵討ちになるのだ。

 

 やがて、門番の男が戻って来て、離れの方へ行けと言った。

 

 茉莉は会釈もせず、無言のまま谷家へと足を踏み入れる。

 

 ここからだ。

 

 ここはもう戦場。張り詰めた気を一瞬でもそらせば、その瞬間、茉莉の首は取られることにもなりかねない。

 

 周囲から突き刺さるような気配。恐らく、ボディガードや私設警備員やらがいて、茉莉の動きに目を光らせているのだ。

 

 そんな中を、茉莉は庭を迂回しながら進んで行く。

 

 大きな庭だ。この庭だけ見ても、谷家の財力の高さを覗い知る事ができる。

 

 何代にも渡って伝わって来た谷家の力を、不必要なまでに誇示しているかのようだった。

 

 やがて、洋館風の離れの庭に設けられたテラスに、谷親子が並んで立っているのが見えた。

 

「やあ、お嬢さん、よく来たね」

 

 信吾は茉莉の姿を見ると、手を広げて笑顔を見せる。

 

 そんな信吾の姿を、茉莉は眼を細めて睨む。

 

 醜い笑顔だ。その腹の奥にある醜さが、透けて見えるかのようだった。

 

 茉莉の心情に気付く様子も無く、信吾は更に言い募る。

 

「ここに来てくれた、と言う事は、ようやく私の申し出を受けてくれる気になったんだね」

 

 信吾は茉莉が中学生だった頃から、彼女に執着していた。学校の行き帰りに後を付け回す、待ち伏せして言い寄る等、ストーカーまがいの行為に及ぶ事は勿論のこと、何度か瀬田家にまで踏み込んで来た事すらあった。もっともその時は、茉莉の父に手も無く撃退されたが。

 

 茉莉が信吾に嫌悪感しか抱けない理由は、まさにそれだった。

 

「フンッ、貴様が、あの忌々しい瀬田の娘か」

 

 茉莉を値踏みするように、源蔵が吐き捨てるように口を開く。

 

「どうりで、知性の欠片も感じない顔付きだ。さしずめ、東京では男漁りに夢中だったか? まったく、嘆かわしい事じゃ。貴様のような下賤の女に、ワシの息子が懸想してしまうとは」

「まあまあ、パパ」

 

 愚痴る源蔵を、信吾は笑顔で宥める。

 

「そこの所は、ほら、これからしっかりと教育してやれば良いんだし」

「そうだな。お前に相応しい雌にする為にも、早めの教育は肝心だ」

 

 そう言って下卑た笑みを、茉莉に向けて来る。

 

 対して、茉莉は2人の会話など聞いていない。ただ、自身と相手の距離を計っているだけだ。

 

 既に、殺傷圏内。斬りかかれば確実に2人とも仕留める自信がる。

 

「・・・・・・一つ、教えておく事があります」

「何だい?」

 

 ようやく口を開いた茉莉に、信吾は機嫌を良くして尋ねる。

 

 既に包囲は完了している。どうやっても、茉莉に逃げ道は無い。後は小娘1人、多少抵抗しようが、煮るも焼くも自分達の自由にできる。それが判っているから、余裕の態度でいられるのだ。

 

 茉莉は、スッと懐に手を入れる。

 

 そこから取り出した物を、手を伸ばして掲げて見せた。

 

「・・・・・・これに、覚えはありませんか?」

「そ、それはッ!?」

 

 茉莉が取り出した物、それは能に使う狐の面だった。

 

 狐の面。即ち、稲荷小僧。

 

 まさか、

 

 そう思った瞬間、

 

 茉莉は巫女装束の背中に手を入れた。

 

 背中に収めた菊一文字を、払うように抜き放つ。

 

 谷親子は、まだ茉莉の動きにすら気付いていない。

 

 このまま、一刀のもとに切り捨てる。

 

 そう思った瞬間だった。

 

 ガキィンッ

 

 振り下ろした刀が、横合いから伸びた刃によって防がれる。

 

「いやいや、危ない危ない」

 

 やれやれとばかりに溜息をつきながら、比留間喜一が茉莉の剣を自分の刀で受け止めている。

 

「その背格好、昨夜の稲荷小僧と似ていたんで、まさかとは思ったが、警戒していて正解だったな」

「クッ!?」

 

 奇襲を完全に防がれ、茉莉は歯がみしながら後退する。

 

 喜一と対峙したのはほんの数分程度だったが、まさかそれだけで正体を看破されるとは思わなかった。

 

「ど、どういう事だ、喜一ッ まさか、この小娘が稲荷小僧だとでも言うのかッ!?」

「正しく、その『まさか』だって言ってるんですよ」

 

 言いながら、喜一は掲げるようにして刀を構える。

 

 見れば、いつの間にか茉莉の背後には洋二と三矢も、回り込むようにして立っている。

 

 洋二は身の丈ほどもある巨大な太い金属の棒を持ち、三矢は猫のように背中を丸めながら、両手にナイフを構えている。

 

 状況は3対1。

 

 だが、

 

「それが・・・どうした・・・・・・」

 

 低い声で、茉莉は呟く。

 

 自分は谷親子を地獄へ叩きこむ。その覚悟でもってここに来た。ならば、この程度の事は不利にもならない。

 

 茉莉は無言のまま、菊一文字を構え直す。

 

 元より、ここに来た時点で、茉莉の心に退却の二文字は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友哉達は一心に駆けている。

 

 目指すは谷本家宅。何としても、茉莉が戦闘を開始する前に追いつく必要があった。

 

 こんな事なら、予め乗り物を確保しておくべきだったか、と思わなくもない。

 

 これが武偵校なら、車両は勿論の事、ボートや小型飛行機まで用意され、有事即応の状況が常に作られているのだが。

 

 とは言え、無い物をねだっても仕方がない。ここは何としても自力で追い掛けるしか無かった。

 

 その時だった。

 

「どこ行くんだ、テメェ等?」

 

 駆ける友哉達の行く手を阻むように、10人近い男達が現われるのが見えた。

 

 その手には、角材やら鉄パイプやらと言った、物騒な物が握られている。明らかに、友哉達の足止めを目的に現われたのが判る。

 

 振り返れば、背後にも同様に武装した男達が退路を塞ぐようにして並んでいる。完全に囲まれていた。

 

「・・・・・・どいてもらえませんか?」

 

 一応、最後通牒のつもりで、友哉は尋ねる。

 

 これでどくなら良し。どかないなら押し通るまで。既に時間的余裕の無い友哉達にとっては、素人相手にでき得る最大限の譲歩だった。

 

 だが、相手が子供3人と侮ったのか、そのニュアンスは全く相手に伝わらなかった。

 

 友哉の言葉を聞き、爆笑が立ち上る。

 

「おいおい、聞いたかよ、ボクちゃんッ!!」

「おっかなーい。殺されちゃうー」

 

 げらげらと笑いたてる男達を、友哉はスッと目を細めて見据える。

 

 警告は一度きりだ。それ以上、譲る気は無い。譲っている時間も無いし。

 

 友哉が斬りかかろうとして、身構えた時だった。

 

「行きな、友哉」

 

 陣が低い声で呟きながら前へと出る。

 

「お前1人なら、そう時間もかかんねえだろ」

「そうそう、ここはあたし達に任せて。茉莉ちゃんをお願い」

 

 瑠香もまた、イングラムを抜いて構えながら言う。

 

 確かに、相手は明らかな素人と言っても、20人もの相手を一瞬で倒せる訳ではない。こいつらにてこずっている内にも、時間は過ぎ去ってしまうのだ。

 

「ごめん、任せたッ」

 

 一瞬の決断と共に、友哉は大きく跳躍、男達の頭上を飛び越えて背後に降り立ち、そのままわき目もふらずに駆けだす。

 

 その様子に、一瞬呆気に取られた男達だが、すぐに我に返って追おうとする。

 

「ちょ、待ちやがれ!!」

「待つのはテメェだ!!」

 

 咆哮と同時に、陣の拳が男の顔面に突き刺さった。

 

 衝撃と共に、男の首はあり得ない方向にひん曲がって宙を舞った。

 

 首の骨が折れたのでは、と思えるほどの強烈な正拳突き。陣は初めから、手加減抜きの全力攻撃に打って出たのだ。

 

「お前等の相手は俺達がしてやる。さあ、死にてェ奴から前にでなッ!!」

 

 言いながら、陣は拳を掲げて突っ込んで行く。

 

 間合いに入るなり、殴り、蹴り、次々と人間を、紙屑のように吹き飛ばして行く。

 

 一方の、瑠香も負けてはいない。

 

 背後から襲ってくる敵に対し、イングラムを向けて容赦なく引き金を引く。

 

 装填してある弾丸は、非致死性のラバー弾。これが命中しても、相手を殺傷する事は無い。

 

 その代わりと言っては何だが、「死ぬほど」痛いが。

 

 吐き出される弾丸が、向かって来る男達を容赦なく薙ぎ払って行く。

 

 何しろ、一発一発がプロボクサーのストレート並みに威力があるのだ。まともに食らって、無事でいられる筈がない。

 

「この、クソガキッ!!」

 

 中の一人が、弾幕を突破して瑠香に殴りかかる。

 

 しかし、瑠香には、その攻撃は当たらない。

 

 友哉や茉莉にこそ劣るものの、瑠香も相当に身が軽い。ひらりひらりと舞いながら攻撃を回避し、弾丸の嵐を浴びせかかる。

 

 陣と瑠香

 

 全力を発揮した2人の武偵を前に、素人の作業員など、何人集まったところで路傍の石ころ以上の存在ではなかった。

 

 

 

 

 

 茉莉は苦戦を強いられていた。

 

 三男の三矢は、その素早い身のこなしで、近付いたと思ったら離れ、離れたと思ったら、いつの間にか接近する、といった行動で茉莉をかく乱している。武器も2本のナイフを持ったかと思ったら、離れるといつの間にか2丁の銃に持ち替え、射撃にて茉莉の動きをけん制して来る。

 

 二男の洋二の動きは、お世辞にも動きが速いとは言えない。茉莉が隼なら、洋二はさしずめ鈍重な牛だろう。しかし、その怪力によって振るわれる鉄棒の威力は、大気を粉砕し、地を叩き割る。その衝撃波だけで、茉莉の華奢な体は木の葉のように吹き飛ばされる。ましてか、直撃を食らった日には骨まで粉砕してしまうだろう。

 

 そして、長男の喜一。こいつだけは他の2人よりも別格だ。

 

 茉莉には判る。この男は少なくとも、二桁以上の人間を斬っている。戦い方が、「勝つ」ではなく「人を殺す」事に向いている。

 

 1人1人が相手なら、茉莉は決して負けはしない。

 

 だが、比留間兄弟達は、それぞれ互いの長所で短所を補うような連携を見せ、技量においては数段優っている茉莉を相手に、互角以上の戦いを演じていた。

 

 加えて、周囲にいる私設警備員と思われる者達が、盛んに野次を飛ばして煽っている。

 

 ここは、茉莉にとっては完全に敵地。味方が1人もいないアウェーに他ならなかった。それが精神的にきつかった。

 

「クッ!?」

 

 縮地の発動と同時に、茉莉は囲みを破るべく駆けだす。

 

 いかに茉莉でも、三方向から同時に攻められたら打つ手がない。

 

 だが、

 

「ど~こ行くんだ~?」

 

 そんな茉莉の行動を嘲るように、2丁のリボルバーを構えた三矢が追いすがって来る。

 

 放たれる弾丸。

 

 対して茉莉は、とっさに更に加速する事で弾丸の射線から逃れる。

 

 しかし、

 

「逃がさねェぜ!!」

 

 茉莉が向かう先には、既に鉄棒を振り上げた洋二が待ち構えていた。

 

「ッ!?」

 

 とっさに、急ブレーキを掛ける茉莉。しかし、一度起こってしまった運動エネルギーは、いかに茉莉であってもとっさに止める事はできない。

 

 つんのめるように茉莉が停止するのと、洋二が鉄棒を振り下ろすのは同時だった。

 

 粉砕される地面。

 

 その衝撃波が、少女の体を容赦なく叩きのめす。

 

「クゥッ!?」

 

 倒れそうになるのを、必死に踏ん張って堪える。

 

 だが、そこへ、

 

「ハッハー!!」

 

 銃声が、立て続けに鳴り響く。

 

 同時に、茉莉の右肩と太股に着弾があった。

 

「グッ!?」

 

 発する激痛。とっさに歯を食いしばって、悲鳴だけは噛み殺す。

 

 敵に弱みだけは見せない。と言う意地が、少女を尚も大地に踏みとどまらせる。

 

 だが、

 

「そこだァッ!!」

 

 動きを止めた茉莉に、鋭い斬撃が襲い掛かる。

 

 喜一の放った斬撃は、茉莉の右腕を強かに打ち据え、その手から菊一文字を弾き飛ばした。

 

「あァッ!?」

 

 腕が折れるかと思うほどの衝撃。防弾巫女装束を着ていなかったら、今ので右腕を持って行かれたところだ。

 

 だが、

 

 その場で膝を着く茉莉。

 

 先程食らった銃撃の分も含めて、全身は激痛に包まれている。

 

 懐にはブローニング・ハイパワーを忍ばせている。それを使えば、まだ戦う事はできるだろう。

 

 しかし、足に銃撃を食らったせいで、縮地が大幅に制限されてしまっている。その状態で戦っても、勝利はおぼつかないだろう。

 

「勝負あった?」

 

 茉莉達の戦いを、酒を傾けながら見物していた信吾が、動きを止めた茉莉を見ながら尋ねる。

 

 血を吐くような思いで、茉莉は信吾を睨みつける。

 

 既に茉莉に戦う力は残されていない。

 

 悔しい。

 

 怨敵を前にして、膝を屈し、手も足も出ないでいる自分が悔しかった。

 

 そんな茉莉を嘲るように見ながら、信吾は手にしたワイングラスを干して言う。

 

「さあ、お嬢さん。オイタはこれくらいにしましょう。私としても、美しいあなたが、これ以上傷付くのは見たくない」

 

 そう言うと、這いまわる虫のような視線を茉莉に向けて、足元を指差す。

 

「地面に頭を付けて謝りなさい。そうすれば、今日の事も、今まであなたが稲荷小僧としてやってきた悪戯の事も、水に流して差し上げましょう。それどころか、私の愛人として、これから一生、不自由ない生活を保障して差し上げます。どうです、破格の申し出だと思うんですがね」

 

 信吾の言葉に、茉莉はギリッと歯を噛み鳴らす。

 

 確かに、自分がやって来た事は、無意味な事だったのかもしれない。それどころか、明らかな犯罪行為だった。

 

 だがそれでも、目の前のこの男。父や、高橋のおばさんや、村の人達を傷付けたこの男にだけは、そんな事言われたくなかった。

 

「だ、れがッ、あなたなんかにッ!!」

 

 顔を上げ、睨みつける。

 

 この男に、これ以上、頭を下げているだけで死にたくなる思いだった。

 

「もう良いッ」

 

 そんな様子を見て、信吾よりも先に源蔵の方が、吐き捨てるように口を開いた。

 

「元々、こんな下賤の女は、谷家の人間が飼うのに相応しくないのだ。それに、この野蛮なまでの気性だ。仮に飼っても、いつ飼い主に噛みつくか判った物ではない」

 

 汚らわしい物を見るようにして言った後、源蔵は喜一に向き直った。

 

「殺せ」

「パパ・・・・・・」

 

 その言葉に、信吾は顔をしかめて振り返る。まるで、お気に入りの玩具を取り上げられた子供のような顔だ。

 

「彼女は僕の物だって、言ってるでしょ」

 

 そんな息子を宥めるように、しかし自身の意思は曲げずに源蔵は返事を返す。

 

「お前には、あとでいくらでも見繕ってやる。だから、この女は諦めろ」

 

 父の言葉に、信吾はやれやれと肩を竦めた。

 

「仕方ないか・・・・・・良いよ、やっちゃって」

 

 もう飽きた。と言わんばかりに、信吾は言い捨てる。もはや、茉莉には一片の未練も無いのが、そのあっさりとした態度で判った。

 

 信吾の命を受けて、喜一は三矢に目配せする。とどめを刺せ、と言っているのだ。

 

 対して三矢も、ニヤリと笑い、手にナイフを持って構える。

 

「つー訳だからよ。サクッと殺されちゃってくれや」

 

 そう言って、近づいて来る三矢を、茉莉は真っ直ぐに睨み返す。

 

 立ち上がって逃げようにも、足が負傷している為、それもままならない。

 

 最早、これまでか。

 

 視界の中で、ナイフを振り上げる三矢。

 

 せめて、最後まで抵抗した証として、茉莉はしっかりと目を見開き、自分の敵の姿を睨み続けていた。

 

 ナイフが、振り下ろされる。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 漆黒の風が、

 

 

 

 

 

 庭の中に吹き込んだ。

 

 

 

 

 

 凶刃が茉莉に届くかと思った瞬間、黒風は彼女の体を抱え上げ、そして駆け抜ける。

 

 一瞬の静寂が、谷家の庭に降り立つ。

 

 そんな中、

 

「よく頑張ったね、もう、大丈夫だよ」

 

 優しい声が、耳に暖かく響いた。

 

 ああ、この声・・・・・・

 

 この声を、どんなに聞きたかった事か。

 

 思わず、茉莉の目に、熱い物が溢れだした。

 

「きッ 貴様、何者だ!?」

 

 上ずった声で尋ねる源蔵に対し、腕に茉莉を抱いたまま、ゆっくりと振り返る。

 

「・・・・・・あなた達が、どこで何をしようが、本来なら僕には関わりない筈だった」

 

 低い声で、告げる。

 

「・・・・・・だが、あなた達が僕の大切な仲間を傷付けるなら、僕は僕の持つ全存在を賭けて、あなた達を破滅させてやる」

 

 剣気は一瞬にして、場を駆け抜ける。

 

 茉莉をその腕に抱え、緋村友哉は、敢然とその場に立ちはだかっていた。

 

 

 

 

 

第7話「黒き疾風」      終わり

 


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