緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第6話「逆鱗」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと・・・・・・」

 

 友哉は地面に座り込んでいる茉莉に対し、腰に手を当てて話しかける。

 

 稲荷小僧の正体。それが彼女であった事にはさほど驚きは無い。むしろ、彼女以外の人間であったなら、未知の勢力がこの地方には存在する事にも繋がる為、逆に厄介だと思っていたくらいだ。

 

 とは言え、事情その物は何も分かっていないに等しい訳で、

 

 友哉としても、そこのところを詳しく聞きたいところだった。

 

 友哉は追い詰めるように、茉莉に顔を近付ける。

 

「どう言う事なのか、説明して欲しいんだけど?」

「うっ・・・・・・」

 

 言葉に詰まる茉莉。

 

 怒っている。

 

 それが茉莉にも判った。

 

 笑顔であるだけに、余計に怖い。普段大人しい人間程、怒ると怖いと言うのは本当の事だった。

 

 いつもは滅多な事では怒りを表さない友哉。その友哉が、割と本気で怒っていた。

 

「こんな物まで用意して、随分と計画的だね」

 

 そう言って、友哉は丸めた紙のような物を手にとって見せた。

 

 その紙には、ある特殊な油が染み込ませてあり、火を付けると「熱を発しない青白い炎」を発生させる。茉莉がイ・ウー時代に技術開発部の責任者に教えてもらった物である。これと、導火線による時限発火装置を組み合わせた物が、戦闘前に発する青白い炎の正体だった。

 

 虚仮脅し以上の効果はない手品のような代物だが、それでも相手が素人なら、暗闇との相乗効果もあって、威嚇には充分だった。

 

「あ、あの・・・・・・」

「おろ?」

 

 話題を逸らすように、おずおずと茉莉は口を開く。

 

「ど、どうして 判ったんですか? 私が稲荷小僧だって・・・・・・」

 

 友哉の口ぶりからすると、初めから稲荷小僧の正体に気付いていた節がある。茉莉の正体を知る人間は、今、村には1人もいない。それなのに正体がばれたのが不思議だった。

 

 そんな茉莉に対し、友哉は少し柔和な顔付きをして答える。

 

「前から思ってたけど、茉莉って嘘が下手でしょ?」

「え?」

「昼間、みんなで話し合っていた時、稲荷小僧の話題が出るたびに茉莉の挙動がおかしかったからね。それがきっかけかな。確信したのはさっき助けた時だけど」

 

 そう言うと、友哉は茉莉を指差す。

 

「そんな格好してれば、流石に気付くよ」

「あうッ・・・・・・」

 

 茉莉は白い上衣に、緋色の袴と言う巫女装束を着ている。これだけの条件があり、友哉程、思考が鋭ければ、気付かない筈がなかった。

 

 観念したように息を吐くと、茉莉は口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・お察しの通り、稲荷小僧の正体は私です」

「どうしてこんな事をしたの?」

 

 友哉は口調を改めて尋ねる。茉莉がこんな犯罪紛い、と言うよりも犯罪そのものの行為を、理由も無くするとは思えない。友哉はそれを知りたかった。

 

「・・・・・・谷家に対抗する為です」

 

 話し始める茉莉の言葉を、友哉は黙って聞き入る。とにかく事情を把握しない事には、どうする事も出来なかった。

 

「昨日お話しした通り、この地方での谷家の権力は絶大です。それは、コネ、財力、政治力にまで及びます。それらを覆すには、私1人の力では到底足りません。だから、少しでも相手の力を削ぎ、工事を遅延させる為には、これしか無かったんです」

 

 それは少女が、苦しみ抜いた末に出した結論。

 

 良くも悪くも、戦いの中に生き、戦いの中で己を磨いて来た少女が取るべき選択肢もまた、剣を持った戦いでしか無かった。

 

「何年か前に一度現れた事があるって言う稲荷小僧は?」

「それも、私です」

 

 数年前、近くの街からやって来たという不良グループが、村人達が暴力を振るうと言う事件が続発した。

 

 その時、茉莉自身は被害に遭う事は無かったが、茉莉の友達や親しかった人達にも被害が及んでいた。

 

 勿論、茉莉とて初めから暴力でやり返そう、などと考えていた訳ではない。

 

 だが、警察に訴えても「担当が違う」「証拠がない」「無防備にしている方が悪い」等、言を左右にされるばかりで、一向に被害が減る事は無かった。

 

「当時、既に近隣署の幹部は谷家の息が掛った人達で占められていました。そのせいで、警察組織はまともに機能していなかったんです」

 

 茉莉は覚えている。彼女達の訴えを「子供の戯言」と笑い飛ばす一方で、今夜の会合の打ち合わせをして盛り上がっている交番巡査の顔を。

 

 そして、ついに茉莉は一線を踏み越えてしまった。

 

 警察が当てにならないなら、自分で排除するしかない、と。

 

 当時、茉莉はまだ小学5年生だったが、幼い頃から鍛えていた剣術の才能は、既に高校生にすら負けない程に成長していた。

 

 自分の素性が割れないように、こっそりと倉庫の中から狐の面を持ちだして被り、父にばれないようにして木刀を手に、夜の村へと繰り出した。

 

 襲撃自体は簡単だった。

 

 元々、戦闘の心得も無く、ただ自分達よりも弱い者をいたぶって悦に浸っている様な輩達である。小学生とは言え、超高校級の実力を持つ茉莉の敵ではなかった。

 

 3人いた不良を、またたく間に叩き伏せ、正体を見咎められる事も無く帰る事ができた。

 

 次の日になっても、犯人は特定されないままだった。警察の捜査力の低さが、初めて役に立ったわけである。

 

「でも、それがいけなかったんです」

 

 初めの成功で、幼かった茉莉はある意味、味をしめた。増長したと言っても過言ではない。

 

 何しろ、村にやって来る不良たちは1人や2人ではない。噂を聞いて仲間の敵討ちに来る者、単に怖いもの見たさの者。様々である。それらに対し、茉莉は夜な夜な家を抜けだしては制裁を加える、という毎日を続けた。

 

 そんな日々が続くうちに、「皐月村には狐の面を付けた守り神がいる」と言う噂が広まるようになった。それが稲荷小僧の誕生である。

 

「結局のところ、私はどうしようもないくらいに子供だったんです。悪い人達をやっつけて、村の人達から感謝される。そんな自分に有頂天になっていたんだと思います」

 

 だが、そんな日々も、唐突に終わりを告げる。

 

 ある夜、茉莉がいつものように襲撃を終えて神社に戻ると、父が玄関で待っていた。

 

 父は有無を言わさず茉莉を居間に引っ張って行き、容赦無くお仕置きした。

 

「父には判っていたんです。稲荷小僧の正体が私だと言う事を。父が私に手を上げたのは、それが最初で最後でした」

 

 ひとしきり、茉莉をお仕置きした後、父は娘をしっかりと抱きしめ、諭すように言った。

 

『時には暴力で訴える事も必要な事があるのかもしれない。だが、それにばかり頼っていたら、いずれは自分が暴力で叩き伏せた人間と同じになってしまうのだよ』

 

 それを聞き、茉莉はただ泣きじゃくり、謝る事しかできなかったのを覚えている。

 

 その日以来、稲荷小僧が皐月村に現われる事は無かった。

 

 父も、谷家と警察の関係は知っていたので、大事な一人娘を腐りきった司法の手にゆだねる気は無かったらしい。それ以後、瀬田家で稲荷小僧の事が話題に上る事も無かった。

 

 ただその代わり、茉莉はその日以来父の下でそれまで以上に、激しい剣術の稽古に身を晒す事となる。

 

『良いかい茉莉。心が弱いから、すぐに暴力に頼ろうとするのだ。だからまず、お前は心を鍛えなくてはならない』

 

 そう言うと父は、まるで鬼が乗り移ったかの如く、茉莉を辛い修行の中に叩き込んだ。

 

 修業は凄まじく、幼かった茉莉の体に、痣の消える日は無かったほどだ。

 

 その甲斐あってか、茉莉は見る見るうちに剣の腕が上達し、普通なら何年もの修行の末に習得し得る「縮地」を、僅か1年足らずで使いこなすまでに至った。

 

「父が事故に倒れたと聞いて故郷に戻った私が見たのは、以前にもまして権勢を増した谷家の専横でした。それに比べて、私はあまりにも非力でした。だからこそ、再び封印していた稲荷小僧を呼び覚まし、谷家に対抗しようとしたんです」

 

 茉莉は言い終えると、口をつぐんだ。

 

 自分が何をしたのか、そして自分の行為がハッキリと犯罪行為である、と認識している。

 

 だが、それでも自分には、これしか手段がなかったのだ。

 

 そんな茉莉を、友哉は黙って見つめ、そして、

 

 ギュムッ

 

「ふにっ!?」

 

 いきなり友哉に鼻を摘まれ、茉莉は間の抜けた声を発する。

 

「いふぁいいふぁい、いひなひなにふうんれふかッ!?」(訳:「痛い痛い、いきなり何するんですかッ!?」)

 

 抗議する茉莉に対し、友哉は更に指に力を加える。

 

 手をバタバタと振り回すが、友哉は一向に茉莉の鼻を放そうとしない

 

「何を寝惚けた事を言っているのかな、この娘は?」

「いひゃい~ ゆふひへふらはい~」(訳:「痛い~ 許して下さい~」)

 

 友哉はそっと指を放し、茉莉を解放すると、改めて彼女に向き直る。

 

「ねえ、茉莉。君は重要な事を忘れているよ」

「うう~、何ですか?」

 

 茉莉は赤くなった鼻を押さえて問い返す。

 

 その目が恨みがましく友哉を睨んでいるのは、見間違いではないだろうが、友哉は無視して先を続けた。

 

「武偵憲章1条『仲間を信じ、仲間を助けよ』」

「緋村君、それは・・・・・・」

「忘れないで。君が望めば、僕達は君にとっての剣になってあらゆる物を切り裂くし、盾となってあらゆる危難から君を守るよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉に、茉莉は黙り込む事しかできない。

 

 正直、心の奥底で、茉莉は「仲間」と言う言葉を軽視していた感がある。イ・ウー構成員として長く戦って来た茉莉にとっては、仲間など共闘する事はあっても助け合う物ではなく、足手まといは捨て置かれるものと言う認識があった。

 

 だが、それは違うと、

 

 そんな事は無いと、目の前の少年は言い、そして茉莉の前に手を差し伸べている。

 

 後はその手を、茉莉が取るか否か。それだけの話なのだ。

 

 友哉は、それ以上何も言わずに、手を差し出している。

 

「・・・・・・本当に、良いんですか?」

「おろ?」

「私はがやった事は、決して許されない事です。それを・・・・・・」

 

 言葉に詰まる茉莉。

 

 こんな自分が友哉達の仲間だ、などと言っても良いのか迷っているのだ。

 

 そんな茉莉に対して、友哉はニッコリと微笑むと、彼女の手を取り、自分の両手で優しく包み込んだ。

 

「それが、どうしたって言うの?」

「え・・・・・・」

「そんな事は気にしない。僕は君が守りたい物を守る為に戦ったって言う事を知っている。それを否定する奴は、たとえ誰であろうと、この僕が許さないッ」

 

 力強く、友哉は言い放つ。

 

 その姿は、茉莉の眼には何よりも眩しく映り込んだ。

 

「緋村君・・・・・・」

 

 この人なら、もしかしたら自分を救ってくれるかもしれない。自分と一緒に、この絶望的な状況を打破してくれるかもしれない。

 

 その想いが強くなる。

 

「一緒に行こう。一緒に戦えば、どんな敵にだって負けはしないよ」

 

 気が付けば、茉莉は友哉の手を握り返していた。

 

「・・・・・・・・・・・・一つだけ、良いですか?」

「何かな?」

 

 尋ね返す友哉。それに対し、茉莉は少し恥ずかしそうに顔を背けて言った。

 

「これからは、その・・・・・・『友哉さん』って、呼んでも良いですか?」

 

 今までは、恥ずかしくてできなかった事。しかし、いつもてらい無く友哉を名前で呼ぶ瑠香の事を、密かに羨ましいと思っていたのだ。

 

 対して友哉は、ニッコリとほほ笑む。

 

「勿論、こっちこそ、お願いするよ」

「・・・・・・はい、友哉さん」

 

 小さく頷く茉莉。

 

 その顔には、とても穏やかな笑顔が浮かべられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公安の人間は、その性質上、相手にする犯罪者のレベルも所轄の巡査や本当の捜査課に比べて、高官である場合が多い。

 

 それに比べたら、今回の相手は高官である事には変わりは無いが、普段、相手にしているような海千山千の連中に比べると、見劣りする事この上なかった。

 

 だが、それでも公安0課特殊班と言う、荒事専門の一馬が派遣されて来たのは、状況によっては戦闘が生じる事も考慮しての事だった。

 

「谷親子に関しては、戦闘力は皆無。問題となるのは、雇われている比留間兄弟と言う3人の用心棒です」

「比留間・・・・・・聞かない名前だな」

 

 一馬は壁に背を預けたまま、会話相手に問い返す。

 

 相手は一馬に先んじて皐月村に入った、潜入捜査官の1人である。近隣に単身赴任してきたサラリーマンを装い、村人に紛れてダム建設現場と、それに絡む騒動を監視していた。

 

 一馬は国内の犯罪者や、裏社会にて顔の知られている連中は全て把握している。しかし、比留間と言う名前に聞き憶えは無かった。

 

「何でも、元は山陰地方を中心にシノギをしていた連中だとか。谷家当主源蔵が、ダム反対派の妨害を考慮して雇い入れたそうです」

「・・・・・・成程な」

 

 一馬は頷きながら、煙草を吹かす。

 

 注意すべき情報ではあるが、自分が知らなかった程度の連中だ。過度に警戒する必要は無いだろう。

 

「それと、これを。今朝、長野県警を通じて、本庁から届きました」

 

 差し出された書類を受け取り、中身を確認すると、一馬は口の端を釣り上げて苦笑した。

 

「長野県警が未だに機能していたのは驚きだな。てっきり、全て谷家の連中と繋がっていると思ったんだが」

「県警本部の方はまだ無事ですが、近隣所轄署は完全に谷家一色といった雰囲気です。ただ、今回の件で、県警本部も粛正計画を進めているとの事です」

「フンッ、今更重い腰を上げたか。少々遅い気もするが、それでも動きださないよりはマシか」

 

 一馬は書類を内ポケットに入れると、煙草を携帯灰皿に押し付けて立ち上がる。

 

「ご苦労だった。引き続き監視を怠るな。動きがあったら報告しろ」

「判りました」

 

 歩きながら、一馬は今後の行動に関して計画を組み立てる。

 

 公安0課の刑事にも、色々な種類があるが、中でも一馬が得意としているのは潜入、暗殺、奇襲と言った表には出せない任務である。

 

 とは言え、今回は暗殺という手段は使えない。

 

 谷家が長い年月をかけて作り上げたコネは、政府中枢にまで及んでいる。この事から考えて、谷親子を暗殺したところで、その裏にある組織力を壊滅させるには至らない。誰かが谷家に取って変わり、組織運営を継続するのは目に見えている。そう言う意味では、トップを潰せば良かったイ・ウーよりも厄介であると言える。

 

 だから、谷親子はたとえ手足をもいでも、生きたまま捕える必要がある。そして谷家に繋がる者達のデータ全てを確保し、そこから組織壊滅につなげる必要がある。言わば、中枢に及んだ一滴の毒が、巨大な体全体を連鎖的に破壊して行くに等しい。

 

 幸いと言うべきか、谷家側はまだ、一馬の存在に気付いていない。稲荷小僧とかいう通り魔や東京武偵校の連中が派手に暴れてくれているおかげで、一馬は潜行して事を進める事ができる。

 

 敵が気付いた時には既に手遅れ。獰猛な狼が、太りきった豚の喉元に食らいついている事になるだろう。

 

「さて、せいぜい、派手に暴れてくれよ」

 

 口元に笑みを浮かべて呟く一馬の脳裏には、友哉達の顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 神社に戻って朝を迎えても、友哉は茉莉の事を陣や瑠香に話す事は無かった。

 

 2人の事を信用していない訳じゃないが、こう言った事は、言うべき時に本人の口から言う事だと思ったからである。

 

 稲荷小僧の正体は茉莉だった。

 

 その事を何れ話すのか、そうでないのか。それを決めるのは友哉ではない。だが、どちらを選んだとしても、友哉は茉莉の味方でいようと心に決めていた。

 

 その茉莉は今、瑠香と一緒に部屋で遊んでおり、陣は縁側で居眠りをしていた。

 

 つまり友哉自身、手持無沙汰の状態にある訳である。

 

 良い機会なので、友哉は居間の柱に寄りかかるようにして、父から貰った書物に目を向けていた。

 

 これまでは、落ち着いた時間を作る事ができず、ゆっくり読む事ができなかったので、良い機会である。

 

 緋村家2代目当主である緋村剣路が書き綴ったと言う備忘録、つまり日記には、彼が生涯を掛けて再現する事に成功した、飛天御剣流の技の数々が綴られていた。

 

 飛天御剣流は、決して常人が扱える剣術ではない。類稀なる才能と、たゆまぬ努力、そして強靭な肉体があって初めて可能となる物である。

 

 読み進めて見て判った事だが、剣路の父である緋村抜刀斎は、晩年、体を壊し、殆ど戦う事ができない体となっていた節がある。どうも記載されている内容が、その辺のところ曖昧である為、ハッキリと読み取る事ができないのだが。

 

 しかし、友哉にも思い当たる節はある。

 

 例えば、イ・ウーとの最終決戦で、シャーロック相手に使った超神速の抜刀術。あれを使った後はひどかった。

 

 平衡感覚の喪失と、全身の筋肉が断裂しそうなほどの激痛。あんな物を使い続けて、体がおかしくならない筈がないのだ。

 

 気を付けないと、体格的に恵まれているとは言い難い友哉も、何れそうなる可能性があった。

 

 生憎、今回貰った書物にも、奥義に関する記載は無かったが、いくつかの派生技について書かれていた。

 

 だが、

 

「・・・・・・これと・・・・・・それに、これ・・・・・・」

 

 記載されている技のうち、2つを友哉は頭の中で削除した。その2つは、明らかに相手を殺傷する事を目的にしており、武偵が使う技として相応しくないと思ったからだ。

 

 言ってしまえば、禁じ手である。今の友哉の技量なら、使用する事はさほど難しくは無いだろうが、それでも使用する気にはなれなかった。

 

 どうやら、かなり集中して読んでいたらしい。一通り読み終えると、日は既に傾こうとしていた。

 

「ん~~~~~~!!」

 

 友哉は本を傍らに置くと、大きく体を伸ばす。

 

 今回、多くの技を知る事ができたお陰で、友哉の中で戦術のイメージは大きく膨らむ事となった。

 

 しかし、それを即実戦で活かせるか、と言えばそうでもない。理論や知識は、それを実用可能なレベルにまで昇華させるには、武偵校に戻って鍛錬を積まねばならないだろう。

 

 友哉がそう思った時、台所の方から歩いて来る人影が見えた。

 

 高橋のおばさんは、1時間前くらいに昇って来て、夕飯の支度をしてくれていたのだ。

 

「夕御飯の準備、してあるから。みんなで食べてね」

「ありがとうございます。何から何までお世話になって」

 

 台所の方から、醤油と出汁の効いた匂いが漂って来て、何とも食欲がそそられる。

 

 そう言って頭を下げる友哉に対し、高橋のおばさんはニコニコと笑って手を振る。

 

「良いのよォ 折角、遊びに来てくれたんだし。それにね、」

 

 おばさんは、ふっと遠い目をしながら呟く。

 

「私は嬉しいのよ。茉莉ちゃんは、あの通りの性格だから、東京の学校なんかに行っても友達はできないんじゃないかってね。けど、こうしてわざわざ夏休みに遊びに来てくれるくらい、仲のいい友達ができたんだから」

 

 そう告げるおばさんの顔は、まるで本当の母親のように喜んでいるように見えた。

 

「これからも、茉莉ちゃんの事、お願いね」

「はい、判ってます」

 

 頷く友哉を、満足そうに見詰めて、おばさんは出て行った。

 

 実際、間もなく武偵校ではチーム編成の為の申請が始まる事になる。友哉には一つ、腹案にしている物があるが、それには当然、茉莉という存在が必要不可欠だった。

 

 自分自身の熟達に、チーム編成、それらを効率よく運用する為の指揮能力の熟成。これまでのように、個人で戦っていればよかったのとは訳が違う。学ばなければいけない事がたくさんあった。

 

 友哉はもう一度読みなおそうと、本に手を伸ばした。

 

 その時、

 

「ゆ、友哉君、大変ッ!!」

 

 慌てた様子で、瑠香が駆け込んで来た。

 

 様子が普通ではない。何か、よくない事が起こったのは間違いなかった。

 

「た、高橋のおばさんが、石段の所で、倒れてた!!」

「ッ!?」

 

 おばさんが・・・・・・

 

 つい今しがたまで、楽しく話していた相手が。

 

 信じられない、と考えるよりも早く、友哉は居間を飛び出す。その後から、瑠香と、騒ぎを聞いて跳ね起きた陣も続く。

 

 履く物も取り敢えず、境内に飛び出し、そのまま石段の方へと駆けていく。

 

 石段の中腹、踊り場になっている部分には、立ち尽くす茉莉と、そして頭から血を流して倒れている高橋のおばさんの姿があった。

 

「茉莉!!」

 

 友哉は殆ど飛び降りる勢いで踊り場に降り立ち、素早く高橋のおばさんのを確認する。

 

 頭部に外傷と出血、名前を呼んで頬を叩くが、反応は無い。JCSにおける意識レベルは200から300。ただし、微弱ならが呼吸、脈拍は触知できる。

 

 事は一刻を争う。

 

 高荷紗枝がいてくれれば、と一瞬思ったが、それを言っても始まらない。

 

「ゆ、友哉さん・・・おばさんが・・・・・・おばさんが・・・・・・さっき、チラッと見ました・・・・・・作業服を着た人が、逃げて行くのを・・・・・・」

 

 たどたどしい口調での報告。

 

 口に手を当てて、茉莉が震えている。無理も無い、母親代わりとも思っている女性が目の前で血を流して倒れているのだ。取り乱すな、と言う方が酷だ。

 

 彼女の言が本当なら、おばさんは足を滑らせて転んだのではなく、石段の手前で誰かに襲撃された事になる。

 

 いや、誰か、などと韜晦しても始まらない。犯人は間違いなく、谷の息が掛った者だ。

 

 そこへ、瑠香と陣も追いついて来た。

 

「陣は救急車を呼んで。瑠香は茉莉を部屋につれて行ってッ」

「おう、判ったッ!!」

「茉莉ちゃん、こっちに」

 

 素早く支持を下す。

 

 強襲科の学科で習った。優れた指揮官の条件は、目の前の状況に流されず、常に氷のような冷静さで指示を下せる者だと言う。

 

 そう、例えば、ヒステリアモード時のキンジのように。

 

 今こそ、友哉にはそうして振舞う事が求められていた。

 

 だが、

 

 握った手が、僅かに振るえるのが自分でも判る。

 

 これは恐らく、警告だ。稲荷小僧の正体を谷家が掴んでいるとは思えない。だが、ダム反対派リーダーの娘である茉莉を脅しつけ、このまま反対運動を下火にしてしまおうと画策しているのだ。

 

 民間人、それも全くの無関係の人間すら、自分達の陰謀の為に供する。

 

 その性根に、言いようの無い怒りが滲むかのようだった。

 

 やがて陣が呼んだ救急車がやって来て、高橋のおばさんに処置を施すと、そのまま搬送して行った。

 

「・・・・・・やったのは、谷家の人達だよ」

 

 サイレンを鳴らして走り去っていく救急車を眺めながら、茉莉は言う。

 

「あの時、茉莉ちゃんとあたしで、高橋のおばさんをお見送りしたの。その一瞬後だった。あたし達が一瞬、目を放した時には、もうおばさんは悲鳴を上げて石段から転げ落ちて行く所だった。その後、逃げて行く男の人の背中が2人分、見えた」

 

 報告する瑠香の声も、怒りで震えているのが判る。

 

 彼女ですら、これほどの怒りを露わにしているのだ。当の茉莉は、心中は察して余りある物があった。

 

 

 

 

 

 茉莉は静かに、押入れを開き、中から漆塗りの黒く平たい箱を取り出した。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 父に続き、高橋のおばさんまで谷家の凶刃の犠牲となった。

 

 敵は最早、なり振りを構わなくなってきているようだ。

 

 眦を上げる。

 

 良いだろう、そっちがその気なら、こちらも相応の戦いを見せてやる。

 

 箱を開けると、中には一着の巫女服が入っている。

 

 ただし、ただの巫女服ではない。これは茉莉がイ・ウー時代に技術部に依頼して作ってもらった、防弾巫女装束だ。袴や袖の裾が長く、一見すると動きにくいようにも見えるが、その分防御力は武偵校の制服よりも高い。その上、子供の頃から着て、慣れ親しんだ服だ。茉莉にとっては、肌と一体に思えるくらいに着易い物である。

 

 着ている巫女服を脱ぎ、防弾巫女装束に着替える。

 

 武偵校入学以来、袖を通す機会は無かったが、これから戦いの場に赴くにあたって、これほど相応しい服は無い。

 

 谷一族。

 

 当主源蔵と、息子の信吾。

 

 許さない。

 

 絶対に、許さない。

 

 自分達が、一体何をしたのかと言う事を、その魂の芯まで判らせてやる。

 

 少女は暗い目のまま、愛刀、菊一文字を手に取る。

 

 その瞳には、最早、幽鬼と呼んでも差支えが無いほど、凄惨な色を浮かべていた。

 

 

 

 

 

第6話「逆鱗」      終わり

 


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