1
戦いは終わった。
アンベリール号の甲板に出ると、あれだけいたゴレム達の姿は綺麗に無くなっており、既に戦闘が終結した事を物語っている。やはり、パトラを倒す事が戦闘終結に繋がったようだ。
そのパトラを捕縛した棺を、共同で甲板上まで引っ張り上げると、ようやく一息つく事ができた。
見れば、熾烈な戦いを繰り広げた面々も、甲板の上に集まってきている。
陣は甲板上に胡坐をかいて座っており、一馬は海を眺めながら煙草を吹かしている。アリアと白雪は、なぜかキンジの両手を持ちながら言い合いをしており、カナがその光景を微笑しながら眺めている。
と、
「緋村君」
背後から茉莉に声を掛けられた。
振り返れば、そこには刀を持った茉莉が立っている。
制服はあちこち裂けて肌が露出し、結ったショートポニーの髪もばさばさになっている。手足には生傷もたくさんある。しかし、勝利者の特権として、戦いの終わった戦場に、彼女は自分の足で立っていた。
「勝ったんですね」
「うん。パトラは捕まえたよ。これで、この事件も終わりだね」
「そうですか」
そこでふと、思い出したように茉莉は言った。
「あの、緋村君、四乃森さんは、どこに?」
パトラを倒したのだから、当然、瑠香も一緒に出て来ると思っていた茉莉は、1歳下の友人の姿が無い事に不審に思った。
対して友哉も、少し困ったような顔をする。
「それが、パトラと一緒にはいなかったんだ。もしかしたら、別の部屋で監禁されているかもしれないから、ちょっと聞いてみよう」
そう言うと、友哉はパトラの収まっている棺に歩み寄った。
「パトラ、起きてる?」
蓋をコンコンと叩きながら、友哉が尋ねると、中で動く気配があった。
「何ぢゃ、下郎? 気安く話しかけるでない」
捕まってもなお尊大なパトラの態度には、最早苦笑しか出ない。
無視して友哉は尋ねる。
「聞きたいんだけど、君がカジノで、アリアと一緒に浚って行った女の子はどこ?」
何が目的で瑠香をさらったのかは知らないが、戦いは終わったのだから返してほしかった。
だが、パトラの口から帰って来た言葉は、友哉達の予想とは違った。
「そのような者、妾は知らぬ」
「は?」
友哉と茉莉は、思わず顔を見合わせた。
「いやいや、いたでしょ。ショートヘアで、小柄でちょっと活発そうな女の子」
「知らぬ」
パトラは言下に言いきった。
「妾の目的は、元々アリア1人ぢゃ。なぜ、そのような瑣末事に関わらねばならぬ?」
「・・・・・・じゃあ、仕立屋に、瑠香の拉致を頼んだのは、君じゃないの?」
あの時対峙した杉村義人は、確かに自分の事を仕立屋だと名乗った。であるからてっきり、瑠香の拉致もパトラの意思によるものだと思い込んでいたのだが。
「シタテヤ、と言えばユイの手の者か。なぜ、あのような下賤な輩の手を妾が借りねばならん? 妾は覇王ぞ。協力者なぞ、いても邪魔なだけぢゃ」
「・・・・・・・・・・・・」
友哉は黙り込む。
胸を襲うのは、強烈なまでの違和感。
何かがおかしい。まるで、服の前ボタンを一番上から掛け違えたような、そんな不快感。
そもそも、なぜ、仕立屋は、瑠香を拉致した? なぜ、あの場に姿を現わした? そしてなぜ、この場には姿を現わさない?
パトラと一緒に姿を現わしたのだから、両者は提携しているのだと今の今まで思っていた。だが、パトラはその事を否定した。
いったい、どこから間違えた? そして、瑠香はどこに連れ去られたんだ?
そう思った時、友哉は、周囲の雰囲気が一変している事に気付いた。
海が、静かすぎる。あれだけいたクジラの群れが、綺麗に消え去っていた。
「・・・・・・な、何だ?」
例えるなら、台風の目に入ったような、奇妙な静けさ。
嵐が起こる前の前兆とは、この事であろうか。
「逃げなさい、キンジ!!」
声を張り上げたのは、驚いた事にカナだった。
あの、どんな時でも冷静で、余裕の態度を崩さなかったカナが、ひどく狼狽している。
あの、カナをも恐れさせる何かが来ると言うのか。
そう思った時、
突如、アンベリール号から離れた海面が急速に盛り上がり、何かが浮上してくるのが見えた。
黒っぽい外見から、初めはクジラかと思ったが、違う。
クジラの何倍も大きく、明らかに鋼鉄製と思われる外観が波間から見えている。
潜水艦。それも、かなり巨大な艦である。
通常、潜水艦は小型である方がいいとされている。大型になればそれだけ、水圧による摩擦が大きくなり、水中に潜った際に雑音がひどく、発見が容易になってしまうのだ。
だが、目の前の潜水艦は、ザッとみて300メートル前後はありそうである。常識の範疇では無かった。
「・・・・・・ボストーク号」
キンジは、ポツリと呟いた。
それは旧ソビエト海軍が建造した超アクラ級原子力潜水艦の名前で、進水直後に行方不明になった悲劇の艦である。
そのボストーク号が、現実に一同の目の前に姿を現わした。
「キンジ、みんなも、早くここから撤退しなさい!!」
「お、落ち着けよ、カナ。逃げるって言ったって、俺達には船も無いんだぞ!!」
ここは広い洋上のど真ん中。探せば救命ボートぐらいは見つかるだろうが、それでは遠くまで逃げる事ができない。
やがて、ボストーク号は減速しつつゆっくりとターンする。
その巨体に描かれた伊とUの文字。
「伊」は日本が、「U」はドイツが、それぞれ第二次大戦中に使用していた潜水艦のコードの頭文字に使っていた文字だ。
すなわち、伊・U。
イ・ウーとは、この原子力潜水艦の事を差していたのだ。
そのボストーク号の艦橋に、誰かが立っているのが見えた。
戸惑うキンジ達を庇うように、カナが両手を広げて前へ出る。
「教授、やめてください。この子たちと戦わないでッ」
そう言った瞬間、
ビシッ
空気が抜けるような音と共に、カナの胸から鮮血が舞った。
その光景を、一同は驚いて見守る。
カナは防弾制服を着ている。その上から胸を撃ち抜かれたのだ。
「カナッ!?」
倒れるカナ。
恐らく、カナを撃った技は、彼女の得意技でもある不可視の弾丸だろう。しかし、ボストーク号とアンベリール号の間には、まだ相当の距離がある。不可視の弾丸は、狙撃銃でもできる技なのだろうか?
そんな事を考えている友哉の横に、茉莉が立った。
「・・・・・・緋村君、あれが
「教授、イ・ウーのリーダーの?」
友哉の言葉に、茉莉は蒼い顔をして頷いた。
イ・ウーのナンバー1。すなわち、あのブラドよりも、黒笠よりも、そしてパトラよりも強い相手。
茉莉が恐れるのも無理は無かった。
その教授の顔が、少しずつ見えて来る。
だが、
「あ・・・あれは・・・・・・」
友哉は思わず、言葉を失った。
その顔は、いつか暇つぶしに探偵科の友人から借りた教科書に載っていた。
否、教科書だけで無い。何しろその人物は、伝記、小説、専門書、あらゆるメディアに題材として使われている程の人物なのだから。ひょろ長い痩せた体に、鷲鼻、角ばった顎。右手には古風なパイプと、左手にはステッキを持っている。頭にハンチング帽を被っていないのが残念なくらいだ。
「・・・・・・・・・・・・曾お爺様」
ポツリと、呟くアリア。
そう、イ・ウーのリーダー、教授とは、アリアの曽祖父にして、武偵の元祖とも呼ばれ、史上最高の頭脳を持つ者。
名探偵シャーロック・ホームズ1世。その人だった。
2
ドォン、と言う轟音と共に、衝撃がアンベリール号を襲う。
立っている皆がよろけるほどの衝撃。既に疲労困憊の茉莉と白雪、それに呆然自失していたアリアなどは、そのまま床に倒れ込んでしまったくらいだ。
イ・ウーがアンベリール号に、魚雷を打ち込んだのだ。
アンベリール号は、元々パトラが中途半端に船底を爆破して浸水を引き起こしていたのだが、今の攻撃で完全にとどめを刺される形となった。
炎が上がり、徐々に喫水が上がって行くのが体感できる。
そんな沈み始めたアンベリール号の船首部分に、イ・ウーは接舷した。
どうやら、あの男はそのままこちらに乗り込んで来るつもりらしい。艦橋を降りて、漆黒の甲板を歩いているのが見える。
「クッ、白雪、船尾部分に救命ボートがあった筈だ。行って準備してくれ」
「は、はい!!」
キンジの指示を受けて、白雪が船尾の方向に走っていく。
「茉莉、星伽さんだけじゃ大変かもしれないから、君も行って」
「で、でも・・・・・・」
友哉の言葉に、茉莉は難色を示すように口ごもる。
彼女にも判っている。自分がこれ以上、ここにいても役に立たない事を。ゴレム達との戦闘で、茉莉の体力は限界を迎えていた。仮に戦闘になった場合、足手まといにしかならない。
そんな茉莉に対し、
友哉は微笑を浮かべ、その頭を撫でてやる。
「あ・・・・・・」
その友哉の行動に、顔を赤らめる茉莉。その場の状況を忘れるほど、暖かい感触が友哉の掌から伝わってきた。
「ありがとう、茉莉が一緒に来てくれて、本当に助かったよ。君がいてくれなかったら、パトラは倒せなかったかもしれない」
「緋村君・・・・・・」
「さあ、行って。ここは僕達に任せて」
コクンッと頷くと、茉莉は躊躇いを断ち切るように背中を向けて走り出した。
その背中を見送り、友哉は振り返った。
見れば、いつの間にか棺から出て来たパトラが、カナに駆けよって抱き起こし、その胸の前に手を翳しているのが見える。恐らく、回復魔術か何かを掛けているのだろう。
ピラミッドの無限魔力を失ったパトラに、心臓を撃たれたカナを治せるのか判らないが、今は任せるしかないだろう。どの道、S研的な事に疎い友哉には、どうする事も出来ない。
問題は、こちらだ。
友哉の目は、接舷したイ・ウーに向けられる。
炎はますます勢いを増している。あの男は、一体どうやって、こちらに乗り込んで来るつもりなのだろう?
そう思った時だった。突然、空から白い物が振り出した。
雪、いやダイヤモンドダストだ。
「これは・・・・・・」
忘れもしない。これは《銀氷の魔女》ジャンヌが使う魔法だ。
ジャンヌと同じ事が、あの男にもできると言う事か。
「いちいち驚くな、阿呆が」
そう言ったのは、いつの間にか隣に来ていた一馬だった。
一馬はその細い瞳を真っ直ぐに炎の向こうへと向けながら、友哉に語りかける。
「情報では、イ・ウーってのは一種の学習機関だって言う話だ」
「学習機関?」
「ああ、世界中から超人を集め、自分達が持っている能力を他者へ教え合う。そうする事によって、より完全な超人を創り出す。それがイ・ウーと言う組織だ」
「じゃ、じゃあ、イ・ウーのトップであるあの男は・・・・・・」
全ての超人の能力を兼ね備えた、まさに超人の中の超人と言う事になる。
やがて、炎が消え去った甲板の上に、
その男は静かに現われた。
オールバックの髪に高い鼻。意外に身長は高く、180センチはあるだろう。小柄な友哉からすれば、見上げるような長身だ。それでいて、鍛え上げたような細身はフェンシングのサーベルを思わせる。
外見の年齢は、不思議な事に20代ほどの青年にしか見えない。ふとすると、落ち着きのある学生のようにも見えた。
「もう逢える頃と、推理していたよ」
第一声は、それであった。
「卓越した推理は、予知に近付いて行く。僕はこれを「
パトラが言っていた、トオヤマキンイチの名前を、彼もまた使っている事が不思議だったが、今はそれに構っていられない。
彼は更に続ける。
「さて、遠山キンジ君、緋村友哉君、相良陣君、それに、公安0課の斎藤一馬君だったね。君達も僕の事は知っているだろう。いや、こう思う事は、決して傲慢ではない事を理解してほしい。何せ僕と言う男は、いやと言うほど書籍や映画で取り上げられているのだからね。でも、可笑しい事に、僕は君達にこう言わねばならないんだ。今ここには、僕を紹介してくれる人が1人もいないようだからね」
そう言うと、微笑を浮かべ、
告げる。
その名を。
「初めまして、僕はシャーロック・ホームズだ」
気負いの無い名乗り。
逆に一同には、言いようの無い緊張が走る。
幻でも、クローンでも、ましてか精巧なロボットでも無い。
シャーロック・ホームズは、ただ正真正銘のシャーロック・ホームズ本人として、その場に立っていた。
シャーロックは自己紹介を終えてから、アリアに向き直った
「アリア君、時代は移って行くけど、君はいつまでも同じだ。ホームズ家の淑女に伝わる髪形を君はきちんと守ってくれているんだね。それは初め、君の曾お婆さんに僕が命じたのだ。いつか、君が現れる事を推理していたからね」
これだけの武偵と警察官に囲まれながら、シャーロックは全く恐れる事も無く、穏やかな口調でアリアに話しかける。
「アリア君、君は美しい。そして強い。ホームズ一族で最も優れた才能を秘めた天与の少女、それが君だ。なのに、ホームズ家の落ちこぼれ、欠陥品と呼ばれ、その能力を認められない日々はさぞかし辛かっただろう。だがね、僕は君の名誉を回復させる事ができる。僕は、君を後継者として迎えにきたんだ」
「・・・・・・ぁ・・・・・・」
小さく、声を上げるアリア。その様子には、いつもの強気な彼女の姿は見られない。まるで、初恋を知った少女のような、脆く儚い雰囲気があった。
「おいで、アリア君。君の都合が良ければ、おいで。悪くても、おいで」
そう言うと、シャーロックはアリアに手を差し伸べる。
「おいで、そうすれば、君のお母さんは助かる」
その一言が、決定打となった。
アリアは魔法でも掛けられたように、シャーロックへと手を伸ばす。
アリアのその仕草に微笑みを浮かべ、シャーロックは彼女の手を取る。
「さあ、アリア君。とかく好機は逸して後で悔やむ事になりやすい物だからね」
そう言うとシャーロックは、アリアをお姫様抱っこで抱き上げると、くるりと踵を返した。
「行こう、君のイ・ウーだ」
優しく、そう告げるシャーロックの腕の中で、アリアがキンジの方へと振り返った。
「キンジ・・・・・・」
混乱と、怯えが見え隠れするその表情。しかし、抵抗するそぶりは見られない。
アリアは、シャーロックを受け入れているのだ。
「アリア君、君達はまだ学生だったね。ではここからは、復習の時間といこう」
そう言うと、シャーロックはアンベリール号に向けて、軽い調子で跳んだ。
次の瞬間、彼が着ているコートが翼のようにはためいた。
そのままシャーロックは、イ・ウーの前方に浮かぶ流氷へと着地、更に跳躍する。
理子が髪を操る時に使う能力だ。ジャンヌの能力に続いて、理子の能力までシャーロックは披露して見せた。
その向かう甲板上に、
2人の人影が立っているのが友哉の眼に映った。
1人は、スーツ姿に、顔には仮面を付けた長身の男。ハイジャックされたANA600便以来、久しぶりに姿を見せた《仕立屋》由比彰彦の姿だ。
そして、もう1人。
その姿を見て、友哉は思わず目を見開いた。
「瑠香!!」
それは間違いなく、四乃森瑠香だった。浚われてから1日。まだ着替えていないらしく、浚われた時のバニーガール姿だった。
瑠香は何かを叫んでいるが、距離がありすぎてここまでは届かない。彼女を浚ったのはパトラじゃなく、イ・ウー、シャーロックだったのだ。
その間にも、アリアを連れたシャーロックは潜水艦へと近付いて行く。
「アリア!!」
キンジが手を伸ばすように叫ぶ。
このままでは、アリアが手の届かない場所へと連れて行かれてしまう。
そう思った瞬間、キンジの中で燃え上がるような感情が湧きあがるのを感じる。
どす黒い、うねるような血の巡り。
ヒステリアモードの状況に似ているが、それとも違う。もっと力強い、嵐にも似た攻撃的な何か。
「アリアァァァァァァァァァァァァ!!」
気が付けば、キンジは叫びを発していた。
その叫びは友哉や陣はおろか、一馬すら思わず驚愕する程の物だった。
その時、
「シャー・・・ロック、馬鹿め。心臓を撃ち抜いた程度で、もう義を制したつもりかッ」
背後からの声に振り返ると、カナが苦しげな声を発しながら立ち上がろうとしていた。
驚いた。
防弾制服を脱ぎ棄て、漆黒の防弾アンダーウェア姿となったカナは、明らかに男の体付きをしているのだ。
「た、立つなキンイチ! 立ってはだめぢゃ。まだ傷は癒えておらぬッ」
「これで良い、これ以上は治すな」
うろたえるパトラに強い口調で言うと、カナは髪を解き、その中に仕込んでいた大鎌のパーツを甲板に捨てる。
「久しぶりだな、遠山」
そう言って声を掛けたのは、友哉の傍らに立った一馬だった。
対して、カナの方は、少し顔をしかめて一馬を見る。
「フンッ、まさか、アンタと共闘する事になるとはな・・・・・・」
2人は知り合い。それも、雰囲気からして、あまり仲が良いとは思えなかった。もっとも、一馬のこの性格で友達が多いとも思えないが。
「斎藤さん?」
「こいつの名前は、遠山金一。そこの遠山キンジの兄で、元武偵庁の特命武偵だ。半年前に死んだ筈のな」
まさか生きていたとは。と、煙草を吸いながら言う一馬を無視してカナ、いや、金一はキンジへ向き直った。
驚くべき事だった。まさかカナが男で、キンジの兄だったとは。そう言えば、以前読んだHSSに関する論文に書いていた事だが、ヒステリアモードになる為の性的興奮を覚える条件は人それぞれで、条件を確定できれば、自在に変化する事も可能である、と。恐らく金一は、女装する事でヒステリアモードに変化する事ができるのだ。
「覚えておけ、キンジ。ヒステリアモードには成熟や状況に応じた派生形が存在する。今の俺は、ヒステリア・アゴニザンテ。別名を『死に際のヒステリア』。瀕死の重傷を負った男は、死に際に子孫を残そうとする本能があり、その本能を利用したヒステリアモードだ」
「兄さん、やめろ。そんな、そんなにまでして、戦うな!!」
金一の命の灯が消えかかっている。それは誰の目にも明らかだ。戦うどころか、絶対安勢が必要だ。
だが、金一は弟の言葉を振り払うように言った。
「止めるなキンジ。これは好機なのだ。この客船は日本船籍。その船上では日本の法律が適用される。奴はそこで未成年者略取の罪を犯した。これはシャーロックを合法的に現行犯逮捕できる唯一無二の好機だ」
「でも・・・・・・」
「覚えておけ。好機の一瞬は、無為な一生に勝る」
金一は、文字通り自身の命を掛けて、巨悪と戦おうとしているのだ。
「聞けキンジ。さっきのお前の叫びを聞いて、俺は確信した。今のお前も、通常のヒステリアモードじゃない。通常のヒステリアモードは、ヒステリアノルマ―レ。女を『守る』ヒステリアモード。だが、今のお前はヒステリア・ベルセ。女を『奪う』ヒステリアモードだ」
「ヒステリア・ベルセ・・・・・・」
「気を付けろ、ベルセは通常のヒステリアモードに、自分以外の男に対する悪感情が加わって発言する危険な物だ。女に対しても、荒々しく、時には力付くで奪おうとする。戦闘能力はノルマ―レノ1・7倍だが、思考は攻撃一辺倒になる」
そう言うと金一は、睨むようにイ・ウーに向き直った。
友哉も、逆刃刀を抜いて金一達の傍らに立つ。
「僕も行きます」
瑠香を取り戻す。その為に、友哉は敵の本拠地へと乗り込む決意を固めていた。
「俺も行くぜ」
そう言ったのは、陣だった。
だが、友哉はそんな陣を見て、黙って首を横に振った。
「陣はダメ」
「何でだよ!?」
抗議する陣。
対して、友哉は軽く、彼の腹を叩いて見せた。
次の瞬間、
「ぐ、グォォォォォォ、ゆ、友哉、テメェ・・・・・・」
「そんな状態で、戦える訳無いでしょ」
ゴレム達との戦闘では、その攻撃の殆どを、その身で受けていた陣である。本人は無事なつもりでも、ダメージは確実に残っているのだった。いかに打たれ強い陣でも、限度と言う物がある。
陣とて、普通の人間相手ならもっとうまく戦えたのだろうが、ゴレム達は自分達の損害も無視した人海戦術を仕掛けて来た為、その攻撃の大半を食らってしまったのだ。
「陣は、こっちに残って、茉莉達の手伝いをしていて」
これ以上無理をさせるのは、流石に危険だった。
そう言って、友哉は立ち上がる。
「・・・・・・斎藤さんは、まだ行けますよね?」
友哉は、もう1人の同行者に声を掛ける。
一馬は陣と違って、あまり傷を受けているようには見えない。充分に戦闘力を残している様子だ。
問いかけに対しても答えず、僅かに振り向いて視線を向けて来ただけだ。どうやら、「いちいち聞くな」と言う事らしい。
「行くぞ、まずはアリアを
金一の宣言にも似た声に、キンジ、友哉、一馬の3人はそれぞれの得物を手に前へ出る。
「行くぞッ!!」
ついに、最後の戦いが始まった。
3
イ・ウーの甲板に乗り込むと同時に、戦闘は開始された。
先制したのはシャーロックである。
先程見せた、ジャンヌと同じ氷魔法を用い、4人の行く手にダイヤモンドダストの幕を張り巡らせて迎え撃つ。
一同の武器や服にも霜が降りて白く染まっていく。
だが、
「オォォォォォォォォォォ!!」
気合と共に、友哉はその幕を突きぬける。
ダイヤモンドダストが、細かいナイフのように全身を切り刻むが、それにも構わず駆ける。
キンジ、金一、一馬もまた、友哉に続くようにしてダイヤモンドダストの壁を突き破るのが見えた。
目指すシャーロックの背中が前方に見える。人1人を抱えているのに、走るスピードはそうとうな物だ。
そのシャーロックへ向けて、金一が銃撃を放つ。
見えない銃から放たれた弾丸が、真っ直ぐにシャーロックへと向かう。
と、シャーロックの背中越しに、マズルフラッシュが閃いた。
次の瞬間、シャーロックへ向かっていた弾丸が弾かれるのが見えた。
不可視の弾丸、そして恐らくは
難易度の高い高度な2つの技だが、シャーロックはそれを背中越しにやって見せたのだ。恐るべき技量とはこの事である。
キンジが続けて銃を放つが、それもまたシャーロックのビリヤードによって回避された。
と、今度は友哉の隣を並走する一馬が、腰から銃を抜き構えた。
シグ・サウエルP239と呼ばれるその銃は、前作のP229をよりコンパクトにして、携行性を高めた銃である。
放たれる弾丸。
しかし、やはりシャーロックを捉えるには至らない。
銃を持っていない友哉以外の3人が、ありったけの弾丸を吐き出すように銃撃を加えるが、前を走るシャーロックに命中する事は無く、その足を聊かも緩ませる事はできない。
シャーロックも反撃として銃を放ってくるが、それらもまた、金一とキンジが銃弾弾きで防御、あるいは、その派生技である
逃げるシャーロックに、追う4人。互いに決定打を打てないまま、状況は推移する。
「なら、これでッ!!」
言い放つと同時に、友哉は1人速度を上げて突出する。
銃撃だけでは埒が明かないと判断し、自らの間合いに踏み込んで斬りかかろうと言うのだ。
だが、それはあまりにも無謀である。当然のことながら、シャーロックは1人突出した友哉に照準を合わせて発砲した。
対して友哉は全神経を目に集中し、シャーロックを注視する。
先のアンベリール号での対峙の時、シャーロックは自身の使う条理予知について講釈を行ったが、実は友哉にも、それと似た事ができる。
勿論、シャーロックのように、己の卓抜した推理力によって、事象に起こる全ての事を把握する事はできない。
飛天御剣流は、剣の速さもさることながら、先読みの速さ、鋭さも特徴の一つとしてあげられる。目で見た現象から、刹那の間に状況を判断、次にどう行動するかと言う戦術組み立てを、一瞬の間に行うからこそ先の剣を可能とし、現代戦でも通用し得る戦術となるのだ。
友哉はこれを「短期未来予測」と呼び、密かに修練を重ねている。飛天御剣流に連なる技の数々が友哉の使用する戦術のハード面とするなら、短期未来予測はソフト面と言う事になる。
未だに極めるには至っていない為、予測できる時間はせいぜい3秒、長くても5秒と短い。しかし、純戦術的に見た場合、3秒先の未来を予測できれば相手に対して絶対的に優位に立てる。刹那の間に勝負を決する現代戦にとって、一瞬の判断力が勝敗を分ける事など珍しくないのだ。
武偵校でカナを相手にした時も使用を試みたのだが、あの時は不可視の銃弾や、コルト・ピースメーカー等の前情報が少なすぎて、彼女の攻撃を回避しきる事ができなかった。
だが、今は違う。
背中越しに弾丸を放つシャーロック。
しかし、
来ると判っていれば、回避も防御もできる。
友哉の瞳は、真っ直ぐに飛翔する弾丸の軌跡を正確に捉え、自身の行動を一瞬で算定する。
ギィンッ
自分に向かって来た弾丸を、友哉は刀で弾いて見せた。
攻撃を防ぎながら、友哉は更に加速する。
シャーロックもまた、友哉に向けて銃を放ってくるが、今度は、頭を低くして回避。
「ここでッ!!」
2発の銃弾を回避した事で、友哉は攻撃可能圏内にシャーロックを捕えた。
全開まで加速し、刀を振り上げる友哉。
その一瞬、シャーロックは僅かに後ろを振り返った。
次の瞬間、互いの視線が交差する。
ギンッ
一瞬にして、空気そのものが圧迫されたような感覚に陥り、友哉は体が重くなるのを感じた。
「これはッ・・・・・・」
二階堂平法心の一法。かつて、殺人鬼 黒笠が得意とした催眠術と剣術を組み合わせた戦術である。シャーロックは、振り向きざまに友哉に対して、使って来たのだ。
だが
「ハァァァァァァァァァァァァッ!!」
催眠術は、より強い意思を持てば破る事ができる。それを黒笠戦で知っていた友哉は、気合を発する事ですかさず解除する。
「逃がすかッ!!」
更に斬り込もうと、剣を振り翳し切りかかる友哉。
しかし、振り下ろした刃がシャーロックを捉える事は無い。
白刃が一閃された瞬間、シャーロックは瞬間的に加速、一気に20メートル近い距離を開いていた。
今度は茉莉の縮地である。どうやら思った通り、シャーロックはイ・ウー構成員全員の能力を使う事ができると考えられた。
「おい、あまり無茶するな!!」
友哉が一瞬足を止めた隙に追いついたキンジが、怒鳴るように言う。
「判ってる。けどッ」
友哉もまた、立ち上がりながら言い返す。
アリアを連れたシャーロックは、もうすぐ艦橋部分に取りつこうとしている。中に入られてしまえば追跡も困難である。
その時、何を思ったのか、シャーロックは足を止めて振り返った。
腕に抱かれたアリアが、耳を塞いでいるのが見える。
正面にアリアが来た事で、射撃が躊躇われる。
その隙に、シャーロックは行動を起こした。
胸郭が膨らむ程に息を吸い込む。
「まずい、あれはッ」
何かに気付くキンジ。
次の瞬間、
声が衝撃波のように4人に襲い掛かり、まるで瀑布を叩きつけられたような感覚に襲われる。
ワラキアの魔笛と呼ばれる、この声の衝撃波は、ランドマークタワーの戦いでブラドが使った物で、ヒステリアモードの解除に用いられる。一度食らって手痛い目にあっているからこそ、キンジは事前に技の正体に気付いたのだ。
一同は足を踏ん張り、吹き飛ばされそうになるのを堪える。
この音が耳から脳内に叩きつけられれば、中枢神経にダメージを負い、ヒステリアモードが解除されてしまう。
それが判っているキンジは、耳を押さえて必死に耐えていた。
やがて、声が止まる。
その場に立っていたのは3人。
友哉と一馬、そして耳を離したキンジ。
キンジは見事、ワラキアの魔笛に打ち勝って見せたのだ。
だが、
「兄さん!!」
キンジが慌てて駆け寄った先には、床に倒れて耳から血を流している金一の姿があった。
雰囲気で判る。ヒステリアモードが解除されている事が。
金一は今の攻撃に耐えられなかったのだ。そして、既に瀕死の重傷を負っていた金一にとって、ヒステリア・アゴニザンテは最後の切り札である。最早、彼が戦えない事は明白であった。
次の瞬間、
「キンジ、よけろ!!」
金一がキンジを突き飛ばした瞬間、彼の心臓をシャーロックの放った弾丸が撃ち抜いた。
既にヒステリアモードで無くなり、ビリヤードを使う事ができなくなった金一は、身を呈して弟を守ったのだ。
弟の腕に支えられ、金一は目を見開く。
「・・・・・・キンジ、追え・・・・・・奴は艦内に、に、逃がすなッ」
口から血を吐き出しながら、最後の力を振り絞るように言う金一。
こうしている間にも、彼の体から力が抜けていくのが判る。まるで、流れ出る血と一緒に、金一の命も失われて行っているかのようだ。
「兄さん、あんたを置いてなんかッ」
「フッ、お、お前如きに、心配されるとは・・・俺も、ヤキが回ったな・・・・・・」
呆れながら、それでいて、弟の成長がどこか頼もしいように苦笑する。
金一は髪の中に隠していた2発の銃弾を抜き放つと、それをキンジに渡した。
「武偵弾だ。ビリヤードで防御されない戦闘で使え」
武偵弾。それは、一流の銃弾職人にしか作れない一発一発が多様な性能を示す強化弾であり、一発で戦局の逆転も可能となる必殺兵器である。
恐らく、金一にとってはヒステリアモードと並ぶ、もう一つの、そして最後の切り札だったのだろう。それをキンジに託した事からも、彼の弟に対する信頼が見て取れた。
「行け、キンジ、攻めろ!!」
口から、文字通り血を吐きながら金一が叫ぶ。
「俺は初めて、お前に理屈の通らん事を言っているのかもしれない。だがな、キンジ、人生には理屈を越えた戦いをせねばならない時がある。それが、今なのだッ」
そう言うと、金一は気合を入れるためなのか、キンジに頭突きを食らわせた。
「キンジ、もう振り返るな、行け!!」
それは、兄から弟へ送る、最上級の激励だった。
金一は更に、友哉の方へと向き直った。
「弟を、頼む」
その短い言葉に、金一の想い、全てが詰まっているような気がした。
しっかりと、首を振って頷く友哉。
既にシャーロックは、艦内に入ったのか姿が見えなかった。
「死ぬなよ、兄さん。死んだらアンタの弟をやめてやるからな!!」
そう叩きつけるように叫ぶと、キンジは振り返る事無く走りだす。
その後から続く、友哉と一馬。
「それならキンジ。心配するな・・・・・・お前は、ずっと、俺の弟・・・だ」
意識が薄れゆく中、すっかり自分の手を離れ、立派に成長したキンジの姿に、金一は頼もしそうに眼を細めた。
第7話「時の彼方より来るもの」 終わり