緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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第3話「黄昏の帰り道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 季節的にも既に夏である事から、刺すような暑さが都内にも降り注ぎ始めている。

 

 東京港に浮かぶ人工島である学園島もその例外ではなく、武偵校生徒達はうだるような暑さと戦いながら日々を過ごしていた。

 

 むしろ、自然の大地が少ない学園島では、アスファルトからの放射熱もあり、他の場所よりも暑い気がした。

 

 一日毎に強まる暑さだが、しかし気温とは関係なしにスケジュールは進んで行く。

 

「あづ~い」

 

 テーブルに突っ伏すようにして、瑠香は倒れ込んだ。

 

 彼女の前には広げられたノートや参考書が散らばり、勉強中であった事が判る。

 

 彼女達が暮らしている第3男子寮は、一応全室冷暖房完備ではあるが、所謂居候の身である彼女達としては、家主が不在の時に贅沢はしたくないと言う事で、今はクーラーを切っている。

 

 一応、海側に面した大きな窓は開けており、時々そこから海風が入って来るのだが、気温自体が高い為、あまり意味がなかった。

 

「がんばりましたね、四乃森さん」

 

 そう言って、茉莉は瑠香の頭を優しく撫でてやる。

 

 今日は休日と言う事で、茉莉は朝から瑠香の勉強に付き合っていたのだ。

 

 依頼の掲示板にめぼしい物が無く、暇を持て余していた事もあるのだが、先日、瑠香に言われた通り、親交を深める事も大事と思った事も大きかった。

 

 まあ、流石にまだ当面の目標である「名前で呼び合う」は達成していないが。

 

 因みに家主である友哉は、今は部屋にいない。2人が手を放せないので、近くのコンビニまで昼食の買い出しに出かけたのだ。

 

「ふにゃ~、気持ちいい~」

 

 頭を撫でられて、猫のような声を出す瑠香を見て、茉莉はクスクスと笑う。

 

 今日は朝から頑張ったのだ。そろそろ切り上げても良いだろう。

 

 そう思った時、

 

「ただいまー」

 

 買い出しに行っていた友哉が戻って来た。手には頼まれた弁当を持っている。

 

「危なかったよ。危うく全部売り切れるところだった」

 

 こう暑いと、誰も料理をして食べようとは思わないのだろう。友哉がコンビニに行った時には、既に殆どの弁当は売り切れている状態だった。

 

 それでも人数分の弁当を確保する事ができたのは僥倖だった。

 

「はい、瑠香、御褒美」

「うわっ、ありがとう友哉君!!」

 

 瑠香はガバッと起き上がると、友哉が差し出したアイスを受け取り、袋を開けて齧り付く。

 

 友哉は茉莉にも同じ物を渡すと、思い出したように口を開いた。

 

「そう言えばさ、今そこで、高荷先輩に会ったんだけど、」

「高荷先輩に?」

 

 3人とも高荷紗枝とは面識がある。救護科の中では特に成績の良い彼女には、武偵病院で何度も世話になっていた。

 

「うん。先輩さ、午後から非番なんだって。それで、午後からみんなでプールでも行かないかって言われたんだけど?」

「行く!!」

 

 凄まじい速度で瑠香が反応した。

 

 部屋の中が余程暑かったのだろう。それはもう、疾風の如くと言うべき反応速度だった。

 

「じゃあ、OKって、先輩にはメールしとくね」

「うん。やったね、茉莉ちゃん。この間買った水着、早速着れるよ!!」

「そ、そうですね」

 

 そう言うと、茉莉は少し顔を赤くして目を逸らす。

 

 先週の日曜日、瑠香と茉莉は2人で買物に出かけている。目的は夏物の衣服や小物を買う事。

 

 しかし、帰って来た時、茉莉は妙にそわそわして顔を赤くしていたのを覚えている。

 

 どうやら、水着も購入したらしい事から、どうせまた瑠香に着せ替え人形にされたのだろう事は容易に想像できた。

 

「じゃあ、2人とも行くって事で。ああ、そうだ、どうせだから、陣にも声を掛けよう」

 

 そう言うと、友哉は携帯電話を取り出し、紗枝のアドレスを呼びだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は年間でも初の真夏日と言う事だった。

 

 その為、都内の市民プールは避暑を求める客で大盛況の様相を見せていた。

 

 市民プールとは言うが、ここは飛び込み台あり、ウォータースライダーあり、波ありと、なかなかバリエーションに富んでいる。

 

 いち早く水着に着替えた友哉は、プールサイドで思いっきり体を伸ばした。

 

 女性陣はまだ来ていない。男と違い、女性の着替えは時間が掛るのは水着でも変わりがない。

 

 因みに陣は、友哉よりも先に出た筈だが、既に姿は無かった。

 

「ふう、さて、どうしようかな?」

 

 周りを見回せば、人ごみが目に入る。いかに陣が大柄でも、この中から探し出すのは困難なように思えた。

 

 その時、

 

「おーい、友哉く~ん!!」

 

 呼ばれて振り返ると、瑠香が手を振りながらこちらに歩いて来るところだった。

 

 その姿を見て、

 

「うっ・・・・・・」

 

 友哉は思わず、顔が赤くなるのを感じた。

 

 瑠香の格好は、赤と白のストライプが入ったビキニ姿だった。大胆に出された足やへそが妙に眩しく感じるのは、きっと気のせいじゃないだろう。

 

 普段から露出の多い武偵校制服を着ているが、体のラインがしっかりと出る水着となるとまた話は別である。

 

『それに・・・・・・』

 

 友哉は凝視しすぎない程度に、瑠香へと視線を向ける。

 

 前に一緒にプールや海に行ったのは、もう何年も前になる。普段は判り辛いが、その時に比べると、だいぶ成長しているようだった。

 

「どう、どう、友哉君?」

 

 そう言って手を取る瑠香の姿に、友哉はますます顔が赤くなる思いだった。

 

「う、うん。と、とっても、可愛いよ」

 

 自分でも滑稽に思えるほど狼狽しまくって、友哉はそう答えるのがやっとだった。

 

 と、

 

「つか、茉莉ちゃん、いつまであたしの背中に隠れてんの?」

 

 瑠香がそう言ってから、気付いた。

 

 瑠香の背に隠れるようにして、茉莉が縮こまっている事に。

 

 2人は背丈も似ている為、隠れようと思えば隠れられるのだが、流石にここまで接近されるまで気付かなかったのは不覚だった。

 

「だ、だって・・・恥ずかしいです」

「まったくもう、この娘は・・・・・・」

 

 溜息をつきながら、瑠香は茉莉を自分の前に引き出した。

 

 茉莉の水着は、瑠香と同じくビキニタイプである。白地に黒い水玉模様の入った上下で、縁の部分にフリルが入っている。全体的に可愛い印象がある。

 

 肉付きが薄い印象の茉莉だが、こうして水着越しに見てみると、年相応に膨らみのある体である事が判る。

 

「あの・・・・・・緋村、君?」

「ハッ!?」

 

 思わず食い入るように見ていた友哉は我に帰る。

 

「ご、ごめん、ちょっと、見とれちゃって」

「ッ!?」

 

 友哉のその一言で、一気に顔が赤面化する茉莉。

 

 その光景に、いつかキンジが言っていたアリアの急速赤面術を思い出した。あれもきっと、こんな感じなんだろう。

 

「~~~~~~ッッッ!?」

 

 そのまま回れ右をして逃げようとする茉莉。

 

 だが、

 

「はいそこ~、逃げな~い」

 

 それよりも一瞬早く、瑠香は手を伸ばして茉莉のトップの紐を掴んで拘束する。

 

 茉莉が縮地を使っていたら瑠香では捕えられなかっただろうが、そんな事も忘れるほどテンパっていたらしい。

 

「大丈夫だって、友哉君は取って食べたりしないから」

「そう言う問題じゃありません~」

 

 半泣きになっている茉莉の頭を、瑠香がよしよしと撫でてやっている。

 

 そこへ、

 

「ごめんなさい、遅くなったわ」

 

 紗枝がこちらに歩いて来るのが見えた。

 

 彼女もビキニ姿だが、やや光沢のある黒を着用している。ただし、前2人と違い、そのはちきれるような肢体は、小さな布面積に収まりきる物ではなく、今にも零れ落ちそうな印象があった。

 

 普段、制服の上からでも充分な自己主張がされている紗枝の胸は、水着になる事でその封印が解かれ、見るもの全てを魅了せずにはいられない最強の武器としてその場に存在していた。

 

「ごめんね、新しい水着だから着るのに手間取っちゃって」

「い、いえ・・・・・・」

 

 流石に直視する事ができず、目を逸らす友哉。

 

 そんな友哉の様子をジト目で見る2人の少女。

 

 しかし、圧倒的なまでの戦力差(胸)はいかんともしがたい・

 

『う、ま、参りました・・・・・・』

『で、でもでも、2年後にはあたしだってあれくらいになってる筈ッ』

 

 敗者(お子様)2人は、心の中でそう呟きながら、言いようの無い虚脱感に必死に耐えるのだった。

 

 

 

 

 

「ほらほら、茉莉ちゃん、行くよォ!!」

「キャッ、ちょ、四乃森さん!!」

 

 茉莉と瑠香が、腰まで浸かる浅いプールで水の掛け合いをしている。

 

 あの後、1人で遊びに行っていた陣とも合流し、改めて5人で遊び始めた。

 

 と言っても、今はめいめい好きな事をやっている。

 

 茉莉と瑠香は2人でじゃれ合い、紗枝はビーチチェアに寝そべって、ジュースを飲みながら何やら分厚い医学書を読みふけっている。

 

 そして友哉はと言えば、陣に4回連続でウォータースライダーに付き合わされ、流石にちょっと目を回し気味だったので、プールサイドに座って体を休ませていた。

 

 因みに陣は、5回目のウォータースライダーに挑戦すべく、既に目の前の小山へと向かっていた。

 

 視界の先で手を振る茉莉と瑠香に手を振り返しながら、友哉はふと、先日の事を思い出していた。

 

 カナ、と言う新たに現われた強力な敵。

 

 その実力は、現在の友哉達と隔絶していると言って良かった。

 

 今まで戦ってきた敵、ブラド、ジャンヌ、理子、黒笠、エリザベート等とも明らかに一線を画する実力の持ち主。

 

 存在の不気味さで言えば、あの《仕立屋》由比彰彦にすら匹敵するのではなかろうか。

 

 彼女もイ・ウーの構成員なのだろうか、と言う疑問が浮かぶ。

 

 時期的に考えて、イ・ウーが次の行動を起こすタイミングであるようにも思える。

 

 だが、そう考えるにしては、不可解な点が多すぎる。

 

 なぜ、カナはあんな衆人環視の中に、堂々と姿を現したのか。ましてか、場所は武偵校の強襲科。仮に彼女がイ・ウーの構成員なら、周りは敵だらけと言う事になる。あの場には生徒だけでなく蘭豹もいた事を考えれば、下手をすると彼女の命にもかかわりかねなかっただろう。

 

 終始、試すような態度でいた事も気に掛かる。後から思い返してみても、カナはまるでこちらを誘うかのように、余裕を見せる戦い方をしていた。

 

 一体、彼女は何者で、何をする為に武偵校に現われたのか。

 

 その時、

 

 ドゴッ

 

「・・・・・・おろ?」

 

 一瞬感じる浮遊感。

 

 気が付けば、視界は上下逆さまになっている。

 

 次の瞬間、友哉の体は縦に半回転し、そのまま水の中に突っ込んだ。

 

 立ち上る水柱。

 

 目と鼻と耳と口に一斉に水が流れ込み、プール水特有の刺激が激痛となって友哉を襲う。

 

「ガボガハガボッ」

 

 ようやくの事で顔だけ水面に上げると、プールサイドに屈みこむようにして覗き込んでいる陣の姿があった。

 

「遊びに来て、な~に辛気臭ェ顔してんだよ」

「ケホッ 別に、そんなつもりは無いんだけど・・・・・・」

 

 言いながら、プールサイドへ上がる。

 

「この間の体育館の事、思い出してたの」

「ああ、あの時な」

 

 言われて、陣も思いだしたようだ。

 

「ったく、あの女、一体なんだったんだよ。急に現われたと思ったら、いつの間にかいなくなってっし」

「そう言えば陣、あの時頭撃たれたけど、もう大丈夫なの?」

 

 非殺傷のラバー弾とは言え、頭に4発も食らえば、衝撃で脳に異常を来してもおかしくない筈なのだが。

 

「俺があのくらいでどうにかなるわけねえだろ」

 

 そう言って、陣は不敵に笑って見せる。

 

 確かに何事も無かったように、ここでこうして遊んでいるのを見る限り、異常があるようには見えない。

 

 ここは流石の打たれ強さと言うべきか、それとも怪物じみていると言うべきか、いずれにしても陣が只者で無い事だけは再確認できた。

 

 その時、背後から近付いて来る足音があった。

 

「心配するだけ無駄よ。こいつは文字通り脳みそまで筋肉でできてるんだから」

 

 呆れ気味にそう言ったのは、読書に飽きてやって来た紗枝だった。先日のカナとの戦闘後に、陣を診察したのも彼女である。

 

「いったい、どういう体の構造してるのか、今度救護科の知り合いにでも頼んで調べて貰おうかしら?」

「おいおい、冗談きついぜ、姐御。単に他の奴より鍛え方が違うってだけの話だろ」

「それじゃ説明がつかないから言ってんのよ。ッて言うか、姐御って何よ。勝手に変な呼び名付けないでよね」

「じゃあ、姐さん?」

「同じでしょうがッ」

 

 肩を怒らせて怒鳴る紗枝に対し、陣は飄々とした態度のままでいる。どうやら呼び方を変える気は無いらしい。

 

 そんな2人の様子を横目に見ながら、友哉は先程の思案に戻る。

 

 正直、これからカナクラスの敵が出て来るとしたら、今のままじゃ勝てない可能性もある。

 

『やっぱり・・・・・・必要になるよね、あれが・・・・・・』

 

 友哉の脳裏には、ある存在が浮かんでいた。

 

 友哉は飛天御剣流の技を、まだ殆ど使う事ができない。

 

 だが、実家の蔵の中には江戸時代からの文献が多数収められており、その中には多くの記録が残されていた。飛天御剣流の事に関する文献もそこで見付けたのだ。

 

 今まで見付けた文献に載っていた技は、武偵校入学前に全て再現し習得する事ができたが、まだ調べていない文献も数多い。その中には、きっとまだ友哉の知らない技も載っているだろう。一応、これまで調べた文献の中に、だいたいどれくらいの技があるかと言うのは載っていたのだが、習得した技の数は明らかにその数に足りていなかった。

 

 夏休みも近い事だし、一度実家の方に戻ってみるのも良いかもしれない。一応、父に頼んで蔵の中の文献を調べて貰っている。もしかしたら、新しい文献が見つかっているかもしれなかった。

 

 その時、

 

「友哉君ッ、一緒に泳ごうよ!!」

 

 いつの間にか近くに来ていた瑠香が、友哉に手招きをしている。

 

 午前中の地獄を乗り切った彼女としては、残された体力を使いきるまでにはしゃぎたいのだろう。

 

 見れば、その隣に立っている茉莉は、頬を赤くして顔を背けている。半分瑠香の影に隠れるようにしているところを見ると、まだ恥ずかしいらしい。

 

「行ってきたら?」

 

 背中を押すように紗枝が言った。

 

「あなただって、たまには息抜きが必要よ」

「そうですね」

 

 友哉は笑みを返すと、水の中へと入り2人の方へ向かった。

 

「あたし達、これから流れるプールの方に行くんだけど、友哉君も一緒に行こうよ」

「うん、良いね。僕も少し泳ぎたいと思っていたし」

 

 そう言うと、友哉は茉莉に目を向けた。

 

「茉莉も、一緒に行くんでしょ」

「え、あ・・・えっと・・・・・・」

 

 微妙に友哉と視線を合わそうとしない茉莉。

 

「ほらほら、いつまでも恥ずかしがってないで、茉莉ちゃんも行こ」

「あうっ、四乃森さんッ」

 

 そう言うと、茉莉の手を引いて水の中を走りだす瑠香。

 

 その様子を、友哉も笑いながら追いかけた。

 

 

 

 

 

 人工的に波の出るプールは、今ではそう珍しい物でもない。

 

 プールの底が僅かな傾斜状になっており、奥に進む毎に深くなって行く。そこへ水の流れを調節して揺らぎを持たせ、まるで本物の海にいるような演出をするのだ。

 

 問題点があるとすれば、小さい子供が知らずに奥の方まで行くと、いつの間にか足がつかなくなっていて溺れてしまう事がたまにある事だろう。

 

 茉莉は1人、だいぶ深い所まで泳いで来ていた。

 

 それにしても、

 

『や、やっぱり、恥ずかしい・・・・・・』

 

 今の自分の恰好が、である。

 

 初め、瑠香に水着を買いに行こうと言われた時は、まさかこんな事になるとは思わなかった。

 

 自分だって新しい水着は欲しいし、今日みたいに暑い日には泳ぎにも行きたい。

 

 が、当初、茉莉はそれほど目立たず、露出も少ないワンピースタイプの水着を買う予定だった。

 

 が、

 

 ワンピースタイプの水着コーナーを眺めていた茉莉を、瑠香が強引に茉莉をビキニタイプの水着が置いてあるコーナーまで引っ張って行き、そのまま大量の水着と共に試着室に押し込まれてしまった。

 

 だが、試着室で一着目の水着を試着した時点で、茉莉は完全にギブアップだった。

 

 こんな物、着れる訳がない。ましてか、これを着て人前に出るなど、茉莉にはハードルが高すぎる。

 

 仕方なく、服に着替えて外に出ようか、そう思った時。

 

『ねえねえ茉莉ちゃん、これな~んだ?』

 

 瑠香が意味ありげな言葉と共に、白い布を両手の人差し指に引っ掛けて掲げて見せる。

 

 それを見て、茉莉は顔を真っ赤にすると同時に本気で慌てた。

 

『そ、それ、私のパ・・・パン・・・///』

 

 それはさっきまで茉莉が穿いていたパンツだった。いったい、いつの間に盗んだのか、今は瑠香がおもちゃのように指先でクルクル回している。

 

 二階に上がって梯子を外されるとはこの事だ。瑠香は茉莉が渋る事を見越して、先手を打って来たのだ。

 

『か、返して下さい!!』

 

 とっさに手を伸ばして奪い取ろうとするが、瑠香はひらりと身を翻して、茉莉の手から逃れる。

 

『大丈夫。それぜ~んぶ試着したら、ちゃんと返してあげるよ』

 

 がんばってね~、と無責任に笑う瑠香。彼女もやはり、忍びの末裔と言うべきか。願わくば、その才能をもっと別の方面に活かしてほしいのだが。

 

 とは言え、従わないと帰りは本当にノーパンで帰ることにもなりかねない。茉莉のスカートは例によって短い物を穿いて来てしまっていた。実行すれば完全に露出プレイになる。流石に、そこまで人生跳躍したくなかった。

 

 泣く泣く、茉莉は瑠香主催による強制水着ショーのモデルをやる羽目になった。

 

 ただ、流石に腹に据えかねたので、お仕置きとしてその日の晩の夕食メニューは、瑠香だけ茉莉スペシャル(『黒焦げのご飯』『味噌の入っていない味噌汁』『炭と化した魚』『牛肉の脂身だけ』『得体の知れない青野菜の盛り合わせ』『青紫色したゲル状のナニカ』)にしてやったが。

 

 と言うような、恥ずかしい体験を経て買ったのがこの水着である。

 

 こうして泳いでいる今も、恥ずかしくて堪らなかった。

 

 茉莉は元々、あまり露出の高い服は着ない方であった。だから、武偵校に潜入した時にはスカートの短さにも抵抗があったくらいだ。実家でも、とある事情から裾の長い服を着用していたし、イ・ウーの時は着やすさを理由に、実家にいた時の服を元に防弾服の作成を行った。

 

 だと言うのに、こんな水着を着て人前に出る事になるとは。

 

 そこで、ふと、思った。

 

『緋村君は・・・どう思っているのでしょう、私の水着姿を・・・・・・』

 

 なぜか脳裏に浮かんだのは、最近一緒にいる事が多い少年の事だった。

 

 この水着を着て彼の前に出た時の友哉の反応を見た限りでは、決して悪印象では無かったと思いたい所ではあるが。

 

 と、そこで茉莉は我に返った。

 

『わ、私は何を考えているんでしょう・・・・・・』

 

 急激に頬が熱くなる。

 

 こんな事、

 

 1人の男の事で悩む事など、今まで無かったと言うのに。

 

『も、もう上がろう』

 

 強引に思考を振り払うように、茉莉は水中で進路を変えようとした。

 

 その時だった。

 

 ピキッ

 

 右足の足関節で、何か嫌な音が聞こえたような気がした。

 

 次の瞬間、鋭い痛みが神経パルスを通じて全身に伝播する。

 

『う、うそ、攣った!?』

 

 突然の事に、茉莉は思わず焦った。

 

 とっさに足を伸ばして、底に着こうとするが、運悪くそこの水深は茉莉の背よりも深く、足が届かなかった。

 

『クッ!?』

 

 焦りはさらなる混乱を生む。

 

 焦った分だけ肺から空気が抜け、息が詰まる。

 

 滑稽に思えた。陸ではあれだけの神速を発揮できる筈の足が、一度水に落ちれば、ただもがく事しかできないなんて。

 

 そんな事を考えている内に、茉莉の意識は闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、仲間達が心配そうに覗き込んでいるのが見えた。

 

「・・・・・・・・・・・・ここ、は?」

 

 僅かに出す声も掠れている。が、どうやら助かった事だけは間違いなかった。

 

「あ、茉莉ちゃん、気が付いたんだ!!」

 

 瑠香は身を乗り出すと、茉莉の首に手を回して抱きついた。

 

「し、四乃森、さん?」

「も~、心配したよ~、何か急に姿が見えなくなったと思ったら、いきなり溺れ出すんだもん」

 

 どうやら、溺れてからあまり時間が経っていないらしい。背中のごつごつした感じと、水の匂いがする事から、そこがプールサイドだと言う事は判った。

 

「ほらほら、四乃森さん、具合診るからちょっとどいて」

 

 瑠香を押しのけるようにして現われた紗枝が、馴れた手つきで茉莉の手首を取ると、橈骨動脈に触れて、自分の手首に付けた時計と合わせて確認する。

 

 更に紗枝は、口内、眼球も確認してからニッコリと微笑んだ。

 

「うん、大丈夫ね。体調に問題は無いわ。けど、溺れて体力は消費しただろうから、少し休んでから帰りなさい」

「はい」

 

 医療武偵である彼女の診察に間違いは無いだろう。

 

「いや~、でもびっくりした~、急に友哉君がプールに飛び込んだから何だと思っていたら、茉莉ちゃんが溺れてるんだもん」

「緋村君が?」

 

 僅かに顔を傾けてその姿を探すと、目当ての人物はすぐに見つかった。

 

「無事で良かったよ」

 

 そう言って笑い掛ける友哉。

 

 その顔を見て、茉莉はまた顔が赤くなるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れが、地面に落ちる影を伸ばす。

 

 夏の盛りと言う事で日が落ちるのは遅く、まだ町の街頭には灯が入っていなかった。

 

 そんな中を歩いて行く。

 

「あ、あの・・・緋村君、私、自分で歩けるんで、その・・・・・・」

 

 茉莉は言いにくそうに、そう言う。

 

 が、友哉は聞く耳持ちませんとばかりに足を止めようとしない。

 

「だ~め、無茶した罰だよ。今日は寮に帰るまでこのまま」

 

 そう言って友哉は笑う。

 

 今、茉莉は友哉におんぶされていた。

 

 陣は家がお台場なので途中で判れ、瑠香と紗枝は先に帰って夕食の支度をしてくれる事になった。その為、今は友哉と茉莉、二人っきりである。

 

 体付きが細く、同年代の男子よりも明らかに華奢で、女の子のような外見をしている友哉だが、こうしておんぶしてもらうと、やっぱり男の子特有の力強さのような物が伝わって来た。

 

 それにしても、こう言う強引なところはやっぱり瑠香の戦兄なんだと納得してしまう。変なところを似ないで欲しかった。

 

 おかげで、すれ違う人にクスクスと笑われて、すごく恥ずかしい。まったく、今日1日で何回赤面すれば良いんだろう。

 

 心の中でちょっと拗ねていると、友哉の方から声を掛けて来た。

 

「ねえ、茉莉」

「はい?」

 

 最近ようやく、友哉に下の名前で呼ばれる事に抵抗が無くなってきていた。

 

 そんな茉莉に、友哉は少し真剣身を帯びた声で言う。

 

「何か、悩んでいる事でもあるの?」

「・・・・・・え?」

 

 突然の質問に、茉莉は一瞬、友哉が何の事を言っているのか判らなかった。

 

「高荷先輩から聞いたよ。茉莉が、異常な量の依頼をこなしてるって」

「それは・・・・・・・・・・・・」

 

 茉莉は言葉に詰まる。

 

 正直、あまり知られたくない類の話だった。だからこそ、茉莉は友哉にも相談しようとしなかったのだ。

 

 そんな茉莉に、友哉は優しく言葉を続ける。

 

「君が何を抱え、何に悩んでいるのか、それを僕達にも話してほしい。僕達は仲間だ。仲間は困っている時に助け合うもんでしょ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 友哉の言葉は、途轍も無いぬくもりを伴って茉莉の心に染み渡った。

 

 武偵憲章1条「仲間を信じ、仲間を助けよ」。だが、そんな物が無くとも、友哉はきっと茉莉を助けてくれうだろう。それだけの優しさと包容力を備えた少年なのだ。

 

 しかし、そんな友哉が相手だからこそ、

 

 茉莉は彼に、何も言う事ができなかった。

 

 

 

 

 

第3話「黄昏の帰り道」     終わり

 


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