緋弾のアリア ~飛天の継承者~   作:ファルクラム

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番外編
「温泉宿の怪」(TV版未放送13話)


 

 

 

 

 

 ひどい天気だ。

 

 相良陣(さがら じん)が運転する軽自動車の助手席で、緋村友哉(ひむら ゆうや)は窓の外を眺めながら呟いた。

 

 山道に入ってから暫くすると小雨が降り始め、深い霧が立ち込めるようになった。

 

 前を行くミニバンの姿も霞んで見えるくらいだ。テールランプの明かりが無ければ、すぐに見失ってしまうところだろう。

 

 後部座席に目を転じれば、四乃森瑠香(しのもり るか)瀬田茉莉(せた まつり)が寄り添うようにして眠っているのが見える。久々の遠出とあってさっきまではしゃいでいたせいか、2人とも、車の振動を揺り籠代わりにして、ぐっすりと眠っていた。

 

 再び、視線を前方に戻す。

 

 前を行くミニバンは、相変わらず霞んで見えるだけだ。

 

「陣、気を付けて運転してね」

「おう、任せとけって」

 

 そう言って陣は請け負う。

 

 学園島を出た時は友哉が車を運転していたのだが、先にトイレ休憩を取った道の駅で陣と交代したのだ。

 

 前のミニバンには、遠山キンジ、武藤剛気、神崎・H・アリア、峰理子、ジャンヌ・ダルク30世、星伽白雪、レキ レキの飼っている狼のハイマキ、そして引率教員として尋問科(ダギュラ)の綴梅子が乗り込んでいる。

 

 今日は武偵研修として、綴が古くから付き合いがある、とある村の旅館に向かっていた。

 

 当初は温泉で研修と言う事でちょっとした旅行気分だった一同も、引率が綴と言う時点で、一気にテンションが萎えた事は言うまでも無い。何しろ、あの「綴」である。尋問科のドS教師にして、強襲科(アサルト)の蘭豹と並んで、武偵校暴力教師の双璧である。友哉達でなくても、同行はご遠慮願いたい所である。

 

「あん、何だこりゃ?」

「おろ?」

 

 友哉が考え事をしていると、隣の陣が訝るような声を上げた。

 

「どうしたの?」

「いや、ちょっとナビがおかしくねえか?」

 

 言われて画面を見てみると、確かにおかしくなっている。車を表すアイコンが、道の無い場所を走っているのだ。ちょうど、古いカーナビが、新しくできた道に対応していないかのように。

 

「壊れたか?」

「まさか」

 

 陣の言葉を、友哉は言下に否定した。

 

 この軽自動車は車輛科(ロジ)からの借り物である。乗り物が商売道具である車輛科では当然、整備は日常的に行っているし、カーナビなどの部品も新品に更新している筈。壊れる可能性は低かった。

 

「とにかく、山の中だからそうそう別れ道なんてないだろうし、前の車を見失わないようにしよう」

「おう」

 

 友哉の言葉に陣は頷き、再び運転に専念した。

 

 

 

 

 

「晴れた~~~!!」

 

 理子の底抜けに明るい声が木霊する。

 

 山道を走る事、約1時間半。目的の村の入り口に到着する頃には、あれだけ深かった霧も、雨も止み、見事な晴れ空が顔を見せていた。

 

 入り口の看板前には小さな駐車スペースがあり、ミニバンと軽自動車はそこに停め、一同はトランクから荷物を下ろしている。

 

「お~、ハイマキ~、モフモフ~」

 

 いち早く出発の準備を終えた瑠香は、レキが連れているハイマキの首に抱きついて頬ずりしている。

 

 大型バイク程の体躯を持つハイマキである。小柄な瑠香がしがみついても、行儀よくお座りしたまま全く動じた様子は無い。自分にじゃれつく子犬のような少女を、特に迷惑がる様子も無く、大人しくされるがままになっている。

 

 傍らには、飼い主の狙撃少女も立っているが、こちらも特にリアクションする事は無く、愛犬にじゃれつく瑠香を見守っていた。

 

 同じように準備を終えた茉莉も、恐る恐ると言った感じに手を伸ばし、銀狼の頭を撫でてやっていた。

 

 友哉が自分の荷物を下ろすと、何やら理子がキンジの腕に抱きついているのが見えた。

 

「感謝しても良いよ、キーくん。理子ね、晴れ女だから」

「ブラドの時も、ハイジャックの時も、ひどい天気だっただろうが」

 

 確かに。理子が《武偵殺し》として起こした事件の時は、決まって暴風やら雷やらに見舞われて、ひどい目にあったのを覚えている。

 

 だが、当の理子はキンジに突っ込みを受けても、「そだっけ?」などと、素知らぬふりをしているだけだった。

 

 そこへ、

 

「こら~ッ キンちゃんに触るな~!!」

 

 自分の荷物を出し終えた白雪が、キンジの腕に抱きついている理子を見て怒声を上げる。

 

 白雪と理子の相性の悪さは、アリアのそれを上回ると言っても過言ではない。何しろ理子と来た日には、事ある毎にキンジに絡んでは、それを周囲に見せつけているのだ。キンジが侍らせている(本人は激しく否定)女子の中では、最も積極的なアプローチを見せている。

 

 そのような状態を、自称「キンジの正妻」である白雪が見過ごす筈も無かった。

 

「ほら、いつまで騒いでるんだ。これから研修でお世話になる旅館に行くが、くれぐれも村の人達に迷惑かけるんじゃないぞ!!」

 

 自分のバッグを肩に担ぎ、綴が騒いでいる学生武偵達を窘める。一見するとまともなように見えるが、咥え煙草で注意している辺り、ヤクザの引率と大差ない。

 

 武藤もまた、そう思ったのだろう。傍らに立つ陣に近付いて、何やらヒソヒソと話している。

 

「何だか、綴のくせにまともな事言ってやがるぜ」

 

 だが、強気な態度も一瞬のうちに霧散した。

 

 如何なる地獄耳なのか、武藤の陰口を聞き逃さなかった綴が、彼の後頭部に愛銃グロック18を突きつけているからだった。

 

 これは洒落にならない。物騒な事で有名な武偵校教員の中で、1、2を争う程物騒な綴に銃口を突きつけられているのだ。下手をすれば、本当に脳天をぶち抜かれる事になりかねない。

 

「・・・・・・あ・・・あの、言い間違え、ました」

「武藤、お前、車の中でもあたしの事呼び捨てにしたよな」

 

 そんな事してたのか、武藤。

 

 あっちの車じゃなくて良かった、と友哉は心の底から思った。

 

 顔面蒼白になって震えている武藤をいたぶるように、綴はうすら笑いを浮かべ、グロックの銃口でコツコツと後頭部を叩く。

 

「今度間違えたら、あの世行きか、あたしの尋問か、好きな方を選ばせてやる」

 

 ドS教師はそう言うと、グロックをホルスターに収めた。

 

 解放された武藤は、ドッと疲れたように肩を落とす。

 

「雉も鳴かずば撃たれまいに」

「いやはや全く」

 

 無謀な友人を襲った惨劇に、キンジと友哉がやれやれと肩を竦める。

 

 と、一連のやり取りを見ていたジャンヌが、鞄を取り落としていた。顔面蒼白になって、何かに怯えるように震えている。

 

 目を転じれば、茉莉も瑠香の背に隠れて涙目になって震えている。

 

「ま、ジャンヌとマツリンは、綴先生の尋問をじっくり受けたクチだからね~」

 

 と、お気楽に言ったのは、この中にいる元イ・ウー構成員の中で唯一、上手く立ち回ったおかげで恐怖の尋問を回避できた理子だった。

 

 「綴の尋問」と言う物がいかに恐ろしいか、魔剣事件で逮捕された後、茉莉とジャンヌは嫌と言うほど味わっている。

 

 一体何をされたのか、2人ともその話題が出る度にマジ泣きしそうになる為、極力誰も話題を振らないようにしているから、真相は闇の中だった。

 

「ほら、アンタ達、行くわよ」

 

 準備を終えたアリアが、先頭を歩き出す。

 

 それに続いて、一同も村の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまり開発が行われていないらしく、村へ続く道は舗装もされておらず、剥き出しの地面が足元に広がっている。

 

 傍らに並んでいる六地蔵などは、よく手入れされ、村人達の信心の深さが覗える。

 

 道の左右には草が生え放題になっており、朽ちたオート三輪の残骸が、緑に埋もれるようにして放置されている。

 

 入口から村の居住区までは少し距離があるらしく、暫くは鬱蒼とした森の中にある小道を歩いて進む。

 

 一応、武偵「犬」という名目になっているハイマキも、リードと首輪に繋いでレキと並んで歩いていた。

 

「それにしても、温泉で研修なんて、武偵校も気が効いてるわよね」

「先生の趣味らしいよ」

「ここの温泉は、万病に効くらしいですよ」

「それは良いな。私の冷え症も、治ると良いのだが」

 

 上機嫌で歩くアリアと、その横に並んで白雪、茉莉、ジャンヌが楽しそうに話しこんでいる。

 

 って言うかジャンヌ、冷え性なのに、何故に氷の魔法を使っているのか。

 

 ジャンヌとの戦いで氷の魔法で磔にされた経験のある友哉は、少女達の会話を聞きながら首をかしげざるを得なかった。

 

 と、友哉の前を歩く理子が、何か思いついたかのように口を開いた。

 

「あ~あ、理子、どうせだったらキーくんと2人で研修に来たかったな」

 

 表でも裏でもトラブルメーカーである理子。今度もまた何か悪戯を思いついたと見える。

 

「混浴して~、布団並べて~、電気消して~」

「き、きき、キンちゃんとの既成事実は、私が先約なんだからね!!」

 

 お約束と言わんばかりに噛みつく白雪。

 

 と言うか、既成事実の先約とは、これ如何に?

 

 面白がって、理子も悪ノリで応じる。

 

「じゃあ理子、割り込み予約~ と言う訳でキーくん、今夜12時にズバッとお願いします」

「な、何言ってるのよ、アンタ!!」

 

 反応したのは、なぜかキンジの前を歩いているアリアだった。

 

 だが、一度点いてしまった火は、容易には消えそうもない。案の定、白雪はむきになって食い下がる。

 

「う~、10時から!!」

「じゃあ、理子6時~」

「3時!!」

「1時~」

 

 完全に理子に弄ばれてる白雪。からかわれている事にすら気付いていない様子だ。

 

 そして、とうとう、

 

「い、今すぐ!!」

 

 叫ぶや否や、白雪は諸肌を脱ぎに掛かる。両肩をはだけ、ブラの黒い紐が見えていた。

 

 慌てたのは、成り行きを呆れ気味に見守っていたキンジだった。

 

「お、落ち着け、白雪!!」

「放してキンちゃん。今すぐキンちゃんと既成事実作るんだもん。混浴して、布団並べて、電気消すんだもん!!」

「いや、訳判らんぞ、それッ」

 

 慌てて押さえようとしているが、白雪も嫌々と抵抗している。

 

 そこへ、

 

「じゃあ、いっその事、3人で・・・・・・」

 

 更に悪ノリした理子が、自分も制服の肩をはだけて来る

 

 と、

 

「うう~、星伽さん・・・・・・不憫だ・・・・・・」

 

 何やら1人、武藤が地面に手を突いて泣き崩れている。

 

 そんな彼を慰めるように、ハイマキが前足を上げて、武藤の頭をポンと叩いていた。

 

 ズキューン ズキューン

 

 雑然となりつつある状況は、銃声によって打破される。

 

「もーッ いい加減にしなさいアンタ達ッ どいつもこいつも風穴開けるわよ!!」

 

 2丁のガバメントを空に向けて放つアリア。しかし、その顔が赤くなっている辺り、怒っているのか、それとも照れているのか判り辛い。

 

「ほら、お前等いい加減にしろ、いつまで騒いでるんだ。さっさと行くぞ」

 

 先頭を歩く綴が、振り返りながら気だるげに言う。と言うか、発砲について注意しないあたりは、流石は武偵校教師と言ったところだ。

 

 そんな事をしていると、開けた丘の上に出た。

 

 遠くを臨めば小高い山が連なっているのが見え、そして、眼下には長閑な田園風景が見て取れた。どうやら、目的地に着いたらしい。

 

 

 

 

 

 山間の隠れ里と言った風情の村は、木造の家や石造りの塀など、まるで昭和の頃の風景を持って来たかのように、趣のある様相だった。

 

 皆は珍しい物を見るように、周囲を見回しながら歩いている。

 

 元々住んでいる人が少ないのか、歩いていて村人とすれ違う、と言う事も無く、一同は目的の宿へと到着した。

 

 和風造りの建物は、いかにもひなびた温泉宿としての風格があり、看板には「かげろうの宿」とあった。

 

 だが、村内同様に、宿の中もひっそりと静まり返り、誰も出て来る気配が無い。

 

 不審だった。ここに至るまで、誰も村人の姿を見ていない。

 

 不気味な想像が、脳裏を過ぎる。

 

 それは、10年ほど前に流行った都市伝説で、大戦前に大虐殺が起こった村の話。混乱の拡散を恐れた政府の主導で、その村の存在は地図上から抹消されたと言う。しかし、抹消された筈の村の中で未だに生き残った住民たちは生き続け、一種の鎖国状態を形成し、偶然村に迷い込んだ外部の人間を、集団リンチにして殺害すると言う恐ろしい言い伝えがあった。

 

 一瞬、ここがその村なのではないか、と疑ってしまう。

 

 怪訝な面持で、中に入ろうとする友哉。

 

 しかし、綴は腕を上げて、友哉を制した。

 

「先生?」

 

 声を掛ける友哉を無視し、綴は1人宿へと入って行く。

 

「女将、いないのか!?」

 

 大声で呼びかけるも、返る返事は無く、不気味さが増して行く。

 

 綴は慎重な足取りで中へと入って行く。

 

 土足のままに上がり框に上がり、玄関の中央付近まで進んだ。

 

 次の瞬間、天井の梁から舞い降りて来る人影があった。

 

 一同が「あッ」と驚く中、綴は素早く身を翻すと、懐から銃を取り出して構える。

 

 ほぼ同時に相手も銃を構え、互いに銃口を向け合う状態となった。

 

 相手は和服を着た女性だ。なかなかの美人であり、年の頃は20代から30代ほどと思われる。手にしたサブマシンガンには、強烈な違和感を感じずにはいられないが。

 

「久しぶりね、綴」

「腕は落ちていないようだね」

 

 旧友同士、互いに挨拶を交わし、顔に笑みを浮かべる。

 

 その様子を、友哉達はポカンと眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿内の造りも、予想通り純和風となっており、中庭には大きな菊人形が飾られている。時折聞こえて来る宍脅しの音が、何とも小気味良かった。

 

 早速、部屋に案内された一同は、そこでようやく一息つく事ができた。

 

 動物であるハイマキは、流石に屋敷内に上げる訳にはいかないので、女子部屋のすぐ外に繋いで、今はレキがご飯をあげていた。

 

「しつもーん!!」

 

 荷物を下ろした理子が、早速と言わんばかりに、女将に向かって手を上げて見せた。

 

「何かしら?」

「女将さんと綴先生って、どんな関係なんですか?」

 

 もっともな質問である。このような田舎の温泉宿の女将と、東京のど真ん中にある武偵校の教師、接点を想像する方が難しい。

 

「昔、一緒に仕事をした仲よ」

「女将は、こう見えて、昔は武偵だったんだ」

 

 女将の言葉を引き継いで、綴が説明した。

 

 確かに、あの身のこなしであるならば、昔武偵だったと言われれば納得行く物がある。

 

「どうして、やめちゃったの?」

「あれだけの腕前なら、まだまだ現役で通用すると思うのだが?」

 

 瑠香とジャンヌの質問に、女将は意味ありげに笑って見せた。

 

「元々、先祖代々、温泉が好きな家系だったので。だから、田舎に引っ越して温泉宿を始めたの」

「先祖は、旅をする爺さんを影から支えるくノ一、だったか?」

「そう。そのお爺さんは他にも2人のお供や、ちょっとうっかりする人なんかも連れていたみたいね」

 

 どこかで聞いたような話である。

 

 先祖が同じ忍びとあって、瑠香などはもっと話を聞きたそうな素振りを見せている。

 

「因みに、女将はこう見えて、もう還暦だぞ」

『え~~~~~~!?』

 

 これには一同も、驚かざるを得ない。どう逆立ちして見ても30以上には見えなかった。

 

「さてと」

 

 自分の荷物を整理し終えた綴は、大きく体を伸ばしながら立ち上がった。

 

「研修は明日からだからな。お前達も、今日は羽を伸ばせよ」

 

 そう言うと、女将さんと2人で部屋を出て行った。

 

 後には女子武偵だけが残される。男4人は、勿論別部屋があてがわれている。女子は人数が多い為、この部屋と、襖を挟んで続きになっている2部屋を使うように言われていた。

 

「いや~、でものんびりしたところですね」

 

 この中で1人年下である瑠香は、足を投げ出して床に座っている。

 

 確かに宍脅しの音以外は何も聞こえてはこない。ふとすると、世界から全ての音が消えたかのような感覚さえ覚えてしまう。

 

「でもさ~ こう静かだと、何か出そうじゃない?」

 

 わざとらしく声を潜めながら、理子が一同を見回して言う。

 

「な、何かって、何よ?」

 

 理子の雰囲気に気圧されたのか、アリアが若干引き気味に尋ねる。

 

 すると理子は、両手の甲を見せて胸の前でダラリと下げる。

 

「そりゃ、勿論、お化けとか?」

「な、ななな、何言ってるのよ、馬鹿じゃないのアンタッ そ、そんなの、い、いる、いる訳ないじゃない!!」

 

 声を震わせつつ反論するアリア。この時点で既に、理子の術中に嵌っているのだが、既にテンパっているアリアは気付いていない。

 

 と、

 

 ドサッ

 

 何かが倒れるような物音に、一同が振り返ると、それまで立っていた茉莉がその場で尻もちをついていた。

 

「えっと・・・・・・・・・・・・」

 

 倒れた茉莉の様子に驚きながら、瑠香が声を掛ける。

 

「もしかして茉莉ちゃん、ホラーとか苦手だったりする?」

「そ、そそそ、そんな事はッ」

 

 言いながらも、視線を逸らす茉莉。明らかに動揺が見て取れる。

 

 そして、この手の面白いネタを見逃す怪盗少女ではない。

 

「ああ~、マツリンの肩に誰かの手がァァァ!!」

「キャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 思わず飛び上がる茉莉。

 

 だが、

 

「な~んちゃって」

 

 してやったりとばかりに、舌を出す理子。

 

 当然、肩を見てもそのような物は無い。

 

 恐る恐る茉莉が振り返ると、6対の視線が向けられている。

 

「茉莉ちゃん、やっぱり・・・・・・」

「あ・・・・・・・」

 

 取り繕おうにも、後の祭りだった。

 

 1人、爆笑しているのは理子である。

 

「いや~、やっぱりね~、マツリンまだ治って無かったんだ。確か何年か前にも、一緒にホラービデオ見てさ~」

 

 嬉々として説明を始める理子。

 

 対して茉莉は、ゆらりと立ち上がり、理子を睨み据える。

 

 その茉莉の様子に、一同は思わず気圧されたように後ずさった。

 

「・・・・・・理子さん、悪戯が過ぎますよ」

「はえ?」

 

 顔を上げる理子。

 

 そこへ、茉莉が一気に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 部屋で一息ついた後、友哉は他の3人とも話し合って、取り敢えず夕食の前に温泉にでも入ろうと言う話にまとまった。

 

 既に男子の方にも綴から伝達があり、今日1日は充分羽を伸ばすように言われている。

 

 そこで、ここはやはり女将さん一押しの温泉を楽しもうか、と言う話になった。

 

 何しろ、ついこの間、イ・ウー、ナンバー2《無限罪》のブラドや、殺人鬼《黒笠》、《鮮血の伯爵夫人》エリザベート・バートリと死闘を演じたばかりである。あの時戦った者には、まだ傷が癒え切っていない者もいるくらいだ。ここらでゆっくり、体を休め、明日からの研修に備えたかった。

 

 「ごめんなさいね、混浴じゃないのよ」と女将さんに言われた時は、さすがに赤面してしまったが。

 

 そんな訳で友哉は、女子の方の予定も聞きに来たのだった。

 

「ごめん、ちょっと入るよ。緋村だけど」

 

 そう言って襖を開けた。

 

 すると、

 

「うりうりうりうりうりうり」

「あっあっ、いやっ、り、理子さ・・・やめ・・・あん!!」

 

 理子に圧し掛かられた茉莉が、何やら悩ましい声を出して、畳の上で手をバタバタと動かしている。

 

 「手足」ではなく「手」である所が重要である。

 

 なぜなら、床の上に腹ばいにされた茉莉の両足は、理子にがっちりホールドされて、思いっきりくすぐられているのだった。

 

「おろ・・・・・・」

 

 絶句する友哉。

 

「どう、降参? 降参?」

「あッ・・・んッ・・・やめ、助け・・・あぁん!!」

 

 実に楽しそうに茉莉の足をくすぐる理子。ご丁寧に、ロザリオの力で髪を操り、茉莉の足を縛り上げて、逃げられないようにしている。

 

「クフフ~ マツリンのくせに喧嘩で理子に勝とうなんて、1万年と2000年早いのだよ」

「い、や・・・ああぁん・・・くぅッ・・・・・・」

 

 必死に耐えようとする茉莉。

 

 実力的にはほぼ伯仲している茉莉と理子だが、凡そ奸智度においては、茉莉は理子に遠く及ばない。その為、イ・ウー時代から、訓練ならともかく、喧嘩で理子に勝てた事は一度も無かった。

 

 と、理子は悪戯ついでとばかりに、空いた手で茉莉のスカートの、お尻の部分をめくり上げる。

 

「お~、マツリン、ネコさんパンツとは、相変わらず愛い奴よの~」

「やぁっ み、見ないでくださぁい!!」

 

 必死に抵抗しようとするが、足をホールドされてる状態では、それもできない。

 

 尚も、容赦無く理子必殺の「くすぐり地獄の刑」は続く。

 

 対して、逃れる事も抵抗する事もできない茉莉は、ただ成す術も無く嬌声を上げる事しかできない。

 

 その様子を見て、

 

 友哉は無言のまま襖を閉めた。

 

「・・・・・・・・・・・・あ、後で出直そう」

 

 今忙しいみたいだし。

 

 だが、茉莉のパンツを見てしまった為、赤くなった顔は隠しようも無く、部屋に戻った後、武藤達に追及される羽目になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女将さんが自慢するだけあり、露天風呂になっている温泉は広く、造りも立派な物だった。

 

 天然の源泉を使用しているようで、浸かるとジンワリとした暖かさが体に伝わってくるのが判った。

 

 早速、生まれたままの姿になった女子達は、体を洗い、岩風呂になった湯の中へと体を入れる。

 

「おお~、雪ちゃん、おっぱい大きいッ!!」

 

 剥き出しになった白雪の胸を見た理子が、歓声を上げる。

 

 確かに、この中で白雪のバストサイズは群を抜いている。大きいという意味では理子も充分上位なのだが、白雪のそれは理子すら遥かに凌駕した質量を誇っていた。

 

「あ、あんまり見ないで・・・・・・」

 

 恥ずかしそうに身を捩って胸を隠そうと白雪。だが、その質量があだとなって隠し切れていない。

 

「うむ、美しいな」

「そんな、ジャンヌまで・・・・・・」

 

 尚も顔を真っ赤にする白雪。

 

 隅の洗い場では、レキがハイマキの体を洗ってやっていた。

 

 だが、胸の話で華やぐ湯船の中で、沈んでいる一角がある。

 

「いいなァ、みんな・・・・・・」

「うらやましいですね・・・・・・」

 

 瑠香と茉莉が、何やらズーンと言う擬音を発しながら、暗い顔で湯船につかっている。

 

「ど、どうした、お前達?」

 

 心配になって声を掛けるジャンヌ。

 

 そのジャンヌの胸と自分達の胸を見比べ、2人そろって溜息をつく。

 

「ジャンヌ先輩は良いですよね、何だか美乳って感じで・・・・・・」

「いや、あのな、お前達・・・・・・」

 

 何しろバストサイズに関しては、この中では下から数えた方が早い2人である。白雪、理子には劣るものの、適度な大きさと、張り、艶を持つジャンヌの胸は、それだけで羨望の対象だった。

 

「そ、そう気を落とすな、あれよりはマシだと思うぞ」

 

 慌ててフォローするジャンヌが指差した先には、理子達の会話を聞きながら、明らかに不貞腐れた様子のアリアが湯船に浸かっていた。

 

 確かに、アリアに比べれば「マシ」なのかもしれないが・・・・・・

 

「ジャンヌ先輩・・・・・・」

「それはフォローしてるんですか? それともとどめを刺してるんですか?」

 

 「武偵校ロリ代表」みたいなアリアと比べて勝っていると言われても、ちっとも嬉しくなかった。

 

 そのまま湯の中に沈んで行きそうな勢いの茉莉と瑠香に、フォローに失敗したジャンヌはオロオロとするしか無かった。

 

「まったく、おっぱいおっぱいと、子供じゃあるまいし」

 

 一緒に湯船につかり、優雅に徳利を持ち込んで優雅に風呂酒を楽しんでいる綴が、呆れたように言った。

 

「こんな物、あっても邪魔になるだけだろ」

「そう、そうよねッ!!」

 

 アリアが勢いよく同意の意を示す。まさに、我が意を得たりと言った風情に、先程までの不機嫌を吹き飛ばして喜色を浮かべている。

 

「だいたい、女の価値は胸じゃないだろ」

「そうそう、その通りよ!!」

 

 綴の言葉に、いちいち頷くアリア。

 

 そこで綴は、水を掻き分け立ち上がると、一同に自らの背中を見せた。

 

「女の価値は、『括れ』だろ」

 

 正に女盛りと言った風情の綴は、項に始まり、鎖骨、背中、腰、お尻と、見事な曲線を描いている。まさに、それ自体が一個の造形美と言って良かった。

 

 勿論、万年幼児体型のアリアに、そんな見事な括れがある訳も無い。

 

「こっのォ!!」

 

 風呂桶の下に隠しておいた2丁のガバメントを取り出すと、いきなり引き金を引いた。

 

「どいつもこいつも、風穴!!」

 

 火を噴くガバメント。

 

 瞬間、身のこなしの速い茉莉と瑠香は、その場から一足で飛び退いて安全圏へ逃れる。

 

 そして、

 

「防弾石鹸!!」

「防弾アヒル!!」

「防弾ヘッドホン・・・・・・」

 

 綴、ジャンヌ、レキが、それぞれアリアの弾丸を弾いて行く。

 

 そこへ、

 

「あらあら、随分と楽しそうね」

 

 遅れて入って来た女将さんが、賑やかな様子に笑顔を浮かべて立っている。

 

 体の前はタオルで隠しているが、隠しきれない胸の膨らみは、タオル越しに見ても察するに余りある。それは最早、白雪すら凌駕するレベルである。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 圧倒的物量差の前に、一同は喧騒をやめて視線を釘付けにする。

 

 そして、流石に敵わないレベルと知り、アリアはガックリと肩を落とす。その頭上には「敗 者」と言う文字が哀愁と共に浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 女子が女湯で華やいだやり取りをしている頃、男湯では、恐ろしい陰謀が着々と進行しようとしていた。

 

「おお~、やっぱ来てよかったぜ」

「全くだな」

 

 壁に耳を当てて、向こうの会話に聞き耳を立てているのは武藤と陣の2人である。はしゃぐ女子の声に、興奮は隠せない様子だ。

 

 他2名、友哉は2人の様子を苦笑しながら眺め、キンジは耳を塞いで必死に声を聞かないようにしていた。

 

「で、武藤よ、まさかとは思うが、ただ声を聞くだけで終わりじゃ、ねえだろうな?」

「フッ、甘いぜ相良。この俺が、そこを抜かる筈ないだろ」

 

 目をキラリと光らせ、武藤が取り出したのは2対のザイルと、山岳訓練用の滑車、体を固定する為のハーネスだった。

 

 女湯と隔てる壁の高さは、4~5メートルだが、既に返しの部分に支え用のねじくぎを刺し終え、準備は万端の状態だった。

 

 2人が目指す桃源郷は、今や壁1枚隔てた向こう側に存在している。

 

 わざわざ風呂に入る前に、取り敢えず無害そうな友哉をパシらせて、女子達のスケジュールを聞きに行かせたのはこの為だったのだ。

 

「だが・・・・・・」

 

 ハーネスを取り付ける段階になって、武藤が躊躇う素振りを見せた。

 

「どうした?」

「いや、向こうには星伽さんもいる・・・・・・このまま行けば、星伽さんの裸を見てしまう。果たしてそれで良いのか、俺は・・・・・・」

 

 葛藤と共に迷いを見せる武藤。

 

 と、

 

 バキィッ

 

 弱気な武藤を、陣は殴り飛ばした。

 

「馬鹿野郎、そんな弱気な事でどうするッ?」

「さ、相良?」

 

 呆然とする武藤に、陣は諭すように語りかける。

 

「武藤よ、男はな、数々の試練を乗り越えた上でこそ成長して行くもんだと、俺は思うぜ」

「そうなの?」

「知るか」

 

 心底、どうでも良いと言った感じの友哉とキンジを無視して、陣は熱っぽく語り続ける。

 

「お前が星伽を神聖視したい気持ちは判る。だが、それはそれ、これはこれだろ。俺達の崇高な目的を思い出せ」

「・・・・・・そうか、そうだったな」

 

 何かを悟ったように立ち上がる武藤。その顔には、先程までの迷いは見られず、晴れやかな様子が見て取れた。

 

「ありがとよ、お陰で目が覚めたぜ、兄弟(ブラザー)

「フッ、それでこそ男だぜ、兄弟(ブラザー)

 

 ガシッ

 

 固い握手を交わす、男と男。

 

 ここに一つ、熱き男の友情が交わされたのだった。

 

 ま、やろうとしている事は、所詮覗きだが。

 

 準備を終えた2人は、早速ザイルと滑車を使って、壁を登り始める。

 

 武藤の準備は万端だった事もあり、2人はあっという間に壁を登り切り、屋根へと取りついた。

 

 目指す天国は、あと一歩のところまで来ている。

 

「行くぜ、準備は良いか?」

「聞かれるまでもねえ」

 

 頷き合う2人。

 

 そのまま一気に、身を乗り出した。

 

 すると、

 

「こんにちは、」

 

 何とも長閑な口調で、女将さんが屋根に捕まるようにして待ち構えていた。

 

 絶句する2人。

 

「ば、馬鹿な・・・・・・」

「さっきまで、みんなと話してたんじゃ・・・・・・」

 

 2人の様子が可笑しいらしく、女将さんはクスクスと笑っている。

 

「くノ一ですから」

 

 女将さんがそう言った瞬間、陣と武藤は揃って手を滑らせた。

 

「なんじゃそりゃァァァァァァ!?」

「理由になってませんよォォォォォォ!?」

 

 ザッパーン

 

 下の温泉に墜落する2人。身長180以上の大男2人が落下した事で、巨大な水柱が立ち上った。

 

「先上がってるぞ」

「後片付け、宜しくね」

 

 そんな2人を、付き合いきれんとばかりに放っておいて、友哉とキンジはさっさと風呂場を後にした。

 

 

 

 

 

 楽しくはしゃぐ一同

 

 明日からのきつい研修を取り敢えず忘れて、誰もが羽を伸ばしている。

 

 だが、楽しげな声を、

 

 物影から静かに見詰める目がある事に、

 

 まだ誰も気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 風呂に入り終えた女子達は、旅館の浴衣に着替えて卓球場へと来ていた。

 

 旅と言えば、温泉と卓球とばかりに、手にラケットを持って白熱した球技に熱中している。

 

 現在の対戦は、アリアVSジャンヌ。

 

 地下倉庫(ジャンクション)以来の対決となる2人は、持ち前の身体能力を駆使して互角の戦いを演じていた。

 

 ジャンヌが打ったピンポン玉の軌道を正確に読み、アリアが素早く追いつく。

 

「貰った、ホームズ・スマッシュ!!」

 

 鋭い打ち返し。

 

 しかし、ジャンヌもまた、アリアの攻撃に追いついて見せる。

 

 跳ねるピンポン玉は、再びアリアへと向かう。

 

 その時、ジャンヌがピンポン玉に向けて、翳した手から冷気の魔力を吹きかけた。

 

 すると、玉はアリアの予測を外れて空中で跳ね、床へと転がった。

 

「ポイント、ジャンヌ~」

 

 審判役の理子の裁定に従い、瑠香が点数表を1枚めくる。

 

 納得がいかないのはアリアである。

 

「な、何なのよ今のは!?」

「何って、軌道修正。武偵卓球じゃ常識でしょ」

「聞いた事無いわよッ!!」

「イ・ウーじゃ大流行だったんだが」

 

 顔を合わせて肩を竦めるジャンヌと理子。流石は世界最大の犯罪組織。卓球一つまともでは無かった。

 

「あんなの無し、ちゃんと本気でやるの!!」

「「え~~~」」

「『え~』じゃない!!」

 

 アリアはそう言って、ラケットを振り翳した。

 

 白熱の戦いを再開するアリアとジャンヌ。

 

 そこへ、自分もラケットを持った茉莉がやってきた。

 

「理子さん、やりませんか?」

「ん、良いよ~」

 

 茉莉に誘われ、理子もラケットを持ってもう1台の卓球台についた。

 

 ジャンケンをして、先攻は理子となる。

 

「クフフ、リッコリコにしたやんよ!!」

 

 言い放つと同時にピンポン球を投げ上げ、ラケットで的確に弾く理子。

 

 ピンポン玉は2回バウンドして、茉莉の方へと飛んで行き、

 

 ズドーンッ

 

 次の瞬間、衝撃波と共に理子の顔のすぐ脇を掠めて飛んで行った。

 

「・・・・・・へ?」

 

 舞い上がった理子の豊かなツーテールの片方が、一瞬の間を持って元に戻る。

 

 恐る恐る振り返ると、茉莉が打ち返したと思われるピンポン玉が、理子の背後の壁に突き刺さって煙を上げていた。

 

 如何なる力を加えればそうなるのか。普通に考えれば、壁に当たればピンポン玉の方が破裂する筈なのだが。

 

「どうしたんですか理子さん? 打ち返してくれなきゃ卓球になりませんよ?」

「ま、マツリン?」

 

 振り返ると、笑顔の茉莉がラケットを構えてそこにいる。だが、目は全く笑っていなかった。

 

「あの、マツリン、もしかして・・・・・・怒ってる?」

「いいえ、全く、全然、微塵も」

 

 明らかに怒っている。さっき「くすぐり地獄の刑」に処せられた事を根に持っていた。

 

「レキさん、(たま)

「いや、今、明らかに字が違ったでしょ!!」

「どうぞ」

「ちょっ、レキュゥゥゥ!!」

 

 あっさり寝返ったレキに声を上げる理子。

 

 だが、そんな事をしている暇は、理子には無い。

 

 レキからピンポン玉の入った箱を受け取った茉莉は、理子に向けて「砲撃」を開始したのだ。

 

「大丈夫ですよ、痛くしませんから」

「絶対嘘だァァァァァァ!!」

 

 それに対して理子は、涙目になりながら逃げまくる事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 楽しい時間は続く。

 

 だが、

 

 惨劇は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 卓球を終えた一同は、部屋に戻りそれぞれに髪を乾かす者、お茶を飲む者に別れ、めいめいに時間を過ごしていた。

 

「あ~あ、折角お風呂に入ったのに、汗かいちゃったわよ」

 

 アリアが床に足を投げ出しながら、溜息交じりに言う。

 

 あの後も熱戦は続き、結局かなりの運動量となってしまったのだ。

 

「後で、また入れば良いよ」

「あ、あたしも入りたいです」

 

 白雪の言葉に、瑠香も同意する。

 

 その時、髪をブラシで梳かしていた理子が、何かに気付いたように振り返った。

 

「あれ、そう言えば、ジャンヌは?」

 

 言われて、一同は周囲を見回す。

 

 確かに、銀氷の魔女の姿は、何処にも無かった。

 

「部屋に入るまでは、一緒だったと思ったんですけど」

 

 茉莉も首をかしげる。何しろあの容姿だ。いなくなれば誰かが気付くと思うのだが。

 

「レキ、あんた何か知ってる?」

「気付きませんでした」

 

 アリアの問いに、レキも首を振る。

 

 この中で一番集中力と注意力に優れているレキですら気付かなかったとは、不可思議な話である。

 

 その時だった。

 

『ウワァァァァァァァァァァァァァ!?』

 

 遠くから聞こえる、明らかに常軌を逸した悲鳴。

 

「これってッ」

「武藤君の声!?」

 

 一同は弾かれたように立ち上がると、部屋を飛び出して駆け出す。

 

 途中で、同じように悲鳴を聞きつけた、女将さん、綴、更に、友哉、キンジ、陣とも合流し、声が聞こえた方へと走る。

 

 武藤は、廊下の端に座り込んで、庭の方を向いていた。そこにある何かを見て怯えているように震えている。

 

「武藤!!」

「どうしたのッ!?」

 

 駆け寄るキンジと友哉に、武藤は庭の一点を察し示す。

 

 武藤が示した方へ、皆は視線を向けた。

 

 そこには、庭の隅に大きな菊人形が飾られている。宿に入った時も、随分と立派な人形だと思った。

 

 だが、次の瞬間、一同は揃って絶句した。

 

 朝には1体だった筈の菊人形が、2体に増えていたのだ。

 

 否、元からある菊人形の脇に、同様の装飾を施されたジャンヌが、虚ろな目をして立っているのだ。

 

 元々、仏蘭西人形のような美しい外見を持つジャンヌである。装飾を施され、より美しく、それでいて途轍もなく不気味に、そこに存在していた

 

「や、八墓村?」

「いや、犬神家じゃなかったか?」

「そんな事どうでも良いわよ。だ、誰がこんな事やったのよ!?」

 

 震える声で尋ねるアリアの声にも、答えられる者はいない。

 

 一同は、恐る恐る、菊人形にされたジャンヌに近付いてみる。

 

 と、ジャンヌの目に焦点が戻るのが見えた。

 

「・・・・・・ここは、どこだ?」

 

 意識が戻ったジャンヌは、被っていた笠を取り周囲を見回す。

 

 途端に、アリアと理子が爆笑した。あまりの緊張感とギャップに、拍子抜けしてしまったのだった。

 

 そんな中で、1人、

 

 レキは、愛犬ハイマキが、何もいない場所に向かって敵意の唸り声を上げている事を不審に思っていた。

 

 

 

 

 

 だが、この時、

 

 既に、惨劇の扉はゆっくりと開いていたのだ。

 

 

 

 

 

 部屋に戻ったジャンヌは、少し気分が悪いと言ったので、すぐに布団を敷いて横にならせた。

 

 とにかく、一体誰があんなタチの悪い悪戯をしたのか、犯人を割り出すのは後回しにして、ジャンヌを休ませてやる必要があった。

 

「じゃあ、何も覚えていないのですか?」

「ああ、気付いたら、あそこに立っていたんだ」

 

 茉莉の問いかけに、ジャンヌは困ったように頷く。

 

 考えてみれば、おかしな事だらけだ。

 

 この村に来てから、誰も住人を見ていない。みんなの目の前で消えて、いつの間にか菊人形にされていたジャンヌ。この旅館にしても、これだけの規模であるにもかかわらず、女将さん以外の従業員は見ていなかった。

 

「いったい、どうなってるの?」

「ふふん、アリア、判らないの?」

 

 理子が自慢げに胸を逸らして見せる。

 

「これはね、きっと研修の一環だよ。明日からなんて言ってあたし達を油断させておいて、もう始まってるんだよ」

 

 確かに、そう考えれば、全ての事に辻褄が合う。

 

 住人や従業員がいないのは、一般人を巻き込まないようにする為の配慮と取れるし、ジャンヌを襲った事も、誠に武偵校の研修らしいと言える。

 

 だとすれば、黒幕は綴と女将さんと言う事になるが。

 

 その時、襖が開いて、キンジと友哉が部屋の中に入ってきた

 

「おい、武藤と相良は知らないか?」

「2人とも、さっきから姿が見えないんだけど」

 

 だが、女子達は揃って首を横に振る。

 

 そこでふと、理子がある事に気がついた。

 

「そう言えば、ルカルカは?」

 

 見れば、瑠香の姿も見当たらなかった。さっきまでは間違いなく一緒にいた筈なのだ。

 

 胸騒ぎを覚えつつ、一同は探しに出る事にした。

 

 間もなく日も落ちる。土地勘の無い場所で、夜中に探して回るのは避けたい所であった。

 

 まずは武藤を探す、と言う事になり、ハイマキに匂いを覚えさせてレキがリードを握り先行していた。

 

「でもさ、武藤と相良の事だから、どうせまた、2人で変な事でも企んでるんじゃないの?」

 

 それは否定できない。何しろ覗き前科一犯の2人だ。今度は何を企んでいるやら。

 

 匂いを辿っていたハイマキが足を止めたのは、その時だった。

 

「ハイマキ?」

 

 レキが愛犬の傍らにしゃがみこんだ、

 

 その時、

 

「お、おい、あれ!!」

 

 息を飲むようなキンジの声に、一同が指し示された天井を振り仰いだ。

 

 そこには、天窓がある。そして、その天窓から身を乗り出すようにして、何か粘土のような物を顔に塗りたくられた武藤が、代わり果てた姿で身を乗り出していた。

 

「「キャァァァァァァァァァァァァ!!」」

 

 白雪と茉莉の悲鳴が連鎖的に発生した。

 

 更に、

 

「あ、あれはッ!?」

 

 友哉が緊張に満ちた声で、庭の方を指し示した。

 

 そこには、両手を左右に広げた状態で壁に磔にされている瑠香の姿が。

 

 そして、その足元の地面には、首まで生き埋めにされた陣の姿があった。

 

 一瞬の間があって、天窓が破れ、武藤の体が落下してくる。

 

 その光景を、一同はただ茫然と眺めている事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 ようやく、自分達の置かれた状態が容易ならざる物と判った一同。

 

 しかし、これはまだ、氷山の一角に過ぎないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も落ち、辺りが暗くなった部屋の中で、一同は緊張に満ちた面持ちで準備を進めている。

 

 犠牲になった武藤、陣、瑠香の3人だが、取り敢えず命に別条は無く、介抱して今は休ませている。

 

 3人とジャンヌをそれぞれの布団に寝かせた後、それぞれ得物を手に終結した。

 

 キンジはベレッタを、友哉は逆刃刀、アリアは2丁のガバメント、理子は2丁のワルサー、白雪は銘刀イロカネアヤメ、レキはドラグノフ、茉莉は菊一文字を持って、それぞれ集まって来た。

 

「本当にやるのか?」

 

 キンジが気乗りしない感じで呟く。

 

 これから綴と女将さんに対し、反撃を開始しようと言うのだ。

 

 確かに、相手は手練の武偵とは言え、こちらもこれだけの戦力で挑めば勝つ事は難しくないだろう。

 

「当然でしょう。このままやられっ放しでたまるもんですか!!」

「大丈夫大丈夫。ちょっと脅かすだけだから」

 

 すでに臨戦態勢充分のアリアと理子。

 

 やられたらやり返す。まこと、武偵らしい行動ではあるが。

 

「と言う訳で、キンジ、友哉、アンタ達、ちょっと行って先生と女将さんを連れ出して来なさい」

「へいへい」

「了解」

 

 2人は顔を見合わせて肩を竦めると、アリアの指示に従い綴の部屋へと向かった。

 

 綴と女将さんは、夕方から2人で酒を飲んでいる筈である。確かに、今襲えば確実に勝てるだろう。

 

 2人が連れだって綴の部屋の前まで行くと、襖が開いており、中の光が漏れ出ていた。

 

「失礼します」

「先生、ちょっと良いですか」

 

 声を掛けて中を覗き込む2人。

 

 しかし、

 

「・・・・・・・・・・・・あれ?」

 

 部屋の中に2人の姿は無かった。

 

 周りには酒の空き瓶が転がっており、テーブル上にもビールの缶が置かれている。つい今しがたまで2人がここで飲んでいたのは間違いない筈なのだが。

 

 不審に思ったアリア達もやって来て、部屋の中を隈なく探し始めるが、綴たちの姿は無い。

 

「おかしいわね」

「何処に行ったんでしょう?」

 

 置かれている瓶の中には、まだ中身が入っている物もある。これを置いて2人が何処かに行くとは考えづらいのだが。

 

 そんな中で、ふと、白雪は何気ない仕草で、続きの間に通じる襖に手を掛けた。

 

 開いてみると、中は真っ暗で奥の方まで見通す事はできない。

 

 仕方なく、白雪は手にした懐中電灯を点けた。

 

 次の瞬間、

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 耳を劈くような白雪の悲鳴。

 

 一同は慌てて振り返り、白雪に駆け寄る。

 

「どうした、白雪!?」

 

 白雪が指し示す部屋の奥。

 

 そこには、

 

 天井から紐のような物でつり下げられた、綴と女将さんの無惨な姿があった。

 

 2人の姿に、一同は絶句せざるを得ない。

 

 今の今まで、犯人は綴と女将さんだと思っていたのだ。

 

 しかし、その2人が変わり果てた姿で発見されるに至った。

 

 普段は強気な軽口を叩く理子も、冷静沈着なレキも、驚愕を禁じえない様子だった。

 

「い、一体、誰がこんな事を・・・・・・」

 

 この宿には、否、この村にはプロ級の武偵を人知れず戦闘不能に追いやる程の存在がいる。それだけでも、恐怖は嫌が上で増幅する。

 

 その時、真横からカタッと言う音が聞こえ、一同が振り返る。

 

 視線の先に、1人の少年が立っていた。

 

 年の頃は小学校低学年程度。半袖に半ズボンを着た、何処にでもいそうな少年である。

 

 だが、その少年を見た友哉は、思わず目を疑った。

 

 暗がりに立っているせいで、他の皆は気付いていないみたいだが、少年の目は暗く落ち窪み、眼球がある場所には黒い穴になっているのだ。ちょうど、そこだけくり抜かれたかのように。

 

「あ、あなた、ここで何があったか、知らない?」

 

 アリアが声を掛けた時だった。

 

 踵を返した少年は、脱兎のごとく駆け出してしまった。

 

「あ、待って!!」

 

 一度も、それを追って外へと飛び出す。

 

 入ってきた入口との反対側には渡り廊下があり、少年は一目散に駆けて行く。

 

 それを追って、武偵達も駆ける。

 

 先頭はアリアとキンジ、やや遅れて理子、レキ、白雪が続き、最後尾が友哉と茉莉になっていた。

 

 だが、追えども追えども、少年との差は一向に縮まらない。

 

「クッ、このままじゃ埒が明きませんッ」

 

 そう言うと、茉莉はスッと腰を落とした。

 

 次の瞬間、シルエットが霞む程の速度で廊下を駆けだす。

 

 縮地を発動した茉莉。その姿を追う事は困難を極め、友哉ですら遅れないようについて行くので精いっぱいだった。

 

 やがて、少年は母屋のような場所へと駆けこんで行くのが見えた。

 

 迷わず、友哉と茉莉も追い掛ける。

 

 中は相当に広く、幾重にも座敷が連なっている。

 

 2人が座敷の中へと踏み込むと、少年は既に次の間の襖を閉めようとしていた。

 

 追い掛けて襖を開くと、またも少年は次の間の襖を閉める。

 

 そこも開くと、更に向こう側の襖を締める少年の姿が見える。

 

 キリが無い。まるでアキレスと亀だ。

 

「緋村君、様子がおかしいです」

「うん、警戒してッ」

 

 2人は、少年の姿を見失わないように駆け続ける。

 

 そして、何枚目かの襖を開けはなった瞬間、

 

 異様な光景が広がっていた。

 

 そこは4畳ほどの狭い部屋だった。

 

 目の前には、何かを祀った祭壇があり、壁一面に御札が貼られている。

 

「こ、これは・・・・・・」

 

 思わず絶句する友哉。

 

 と、

 

「あの、緋村君、他の皆さんは?」

「え?」

 

 来た道を振りかえる友哉。

 

 見れば、キンジも、アリアも、理子も、レキも、白雪も姿が見えなかった。

 

「そんな・・・・・・」

 

 次の瞬間、今まで開け放ってきた襖が次々と閉まって行く。

 

 あっと思った時には、目の前の襖も閉じて、2人は完全に閉じ込められてしまった。

 

「ひ、緋村君ッ」

 

 裏返った声を発する茉莉。

 

 同時に、どこからともなく読経のような声が聞こえて来る。

 

「あ、あぁ・・・・・・」

 

 ガタガタと体を震わせて、その場に座り込む茉莉。

 

 友哉もまた、立ち尽くしたまま、あまりにも異様な事態に言葉も出ない。

 

 襖の一角が突然開き、痩せこけた、黒い手のような物が伸びて来るのが見える。

 

 その光景だけで、いつ発狂してもおかしくは無い。友哉の足元に座った茉莉などは、今すぐに失神しても不思議では無かった。

 

 友哉は恐怖を噛み殺し、スッと目を閉じる。

 

『落ち着け・・・・・・落ち着け・・・・・・』

 

 心の中で、繰り返し言い聞かせる。

 

 この状況が何なのか、それは判らない。だが、この異様な事態にあって冷静さを失えば、それで終わりだ。

 

 一つ、深呼吸をする。

 

 読経の音は尚も聞こえてくるが、それに惑わされずに腰を落とし、逆刃刀の柄に手を掛けた。

 

 目に見える物、耳で聞く物が全てでは無い。己の心の中にある物を信じよ。

 

 ただ只管に、それだけを思い描く。

 

 次の瞬間、

 

「やァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 裂帛の気合と共に、逆刃刀を鞘走らせる。

 

 銀の閃光は闇を切り裂き、空間その物を断ちきるかのごとく迸った。

 

 途端、

 

 それまで聞こえて来た読経の音は途絶え、閉まっていた襖もいつの間にか開いていた。

 

「ひ、緋村君?」

 

 その光景に、茉莉は信じられないと言った感じに目を丸くしている。まさか、自分達を取り巻いていた状況を、剣一つで振り払ってしまうとは思わなかった。

 

「前にね、SSRで読んだ本が、意外と役に立ったよ」

 

 友哉は1年の頃、担任教師の使いで超能力捜査研究科(SSR)に行った時、先方の都合で少し待ち時間ができてしまった為、そこらに置いてあった本を適当に手にとって暇をつぶした事があった。

 

 その本に書いていた事だが、悪鬼、魑魅魍魎、物の怪の類と言う物は、悲しみ、怒り、恐怖等の「陰の気」に引きつけられてやってくると言う。そのような存在と戦うためには、喜び、楽しみ、元気と言った「陽の気」を強く持つ事が大事であると書いてあった。

 

 童謡「お化けなんてないさ」の歌詞にある、「おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さ」と言うのは、除霊の方法として、あながち間違いではないのだ。

 

 そこで友哉は、剣術家の放つ裂帛の気合、「剣気」で代用できないか、と思って試してみたのだが、

 

「ぶつけ本番だったけど、意外と上手くいくもんだね」

「こんな事、普通できないと思います」

 

 友哉に助け起こされながら、茉莉は呆れ気味に返事をした。

 

 冷静になり、改めて見回すと、部屋の異様さが良く判る。

 

 目の前の祭壇も、周囲の御札も、禍々しい空気を放っている。

 

「これは、何かを鎮める為の祭壇のようですね」

 

 注意深く観察しながら、茉莉が呟く。

 

 祭壇は何か祀ってある物の魂を慰め、御札は、この部屋にその存在を閉じ込めようとする意図が見えるようだった。

 

「って言うか、瀬田さん、結構詳しいね」

 

 友哉に指摘され、茉莉は「ああ」と呟いて向き直った。

 

「そう言えば、言ってませんでした。私の実家は神社なんです。それで」

「ああ、成程ね」

 

 それなら、色々と詳しい事にも納得できた。

 

 て言うか、神社の娘でもホラー物が怖いのか、と友哉は思ったが、それを言っちゃ可哀想な気がしたので、慎ましく黙っていた。

 

「それで、ここに祀られていた物って、何なの?」

「流石に、そこまでは・・・・・・」

 

 茉莉が、そう言い掛けた時だった。

 

 視界の端で、影が動いたのを見逃さなかった。

 

 振り返ると、先程の少年が、部屋の隅からこちらの方を眺めていた。

 

「あっ」

 

 声を上げた瞬間、少年は茉莉に向かって駆け寄ってきた。

 

 すれ違う。

 

 否、少年は、茉莉の体の中をすり抜けて、その後方へと駆け去って行ったのだ。

 

 次の瞬間、茉莉は色々な物を感じた。

 

 寒さ、辛さ、寂しさ、そして、計り知れないほど大きな悲しみ。

 

 それらが一瞬にして駆け抜け、茉莉は思わず立っている事もできず、その場に膝を突いた。

 

「瀬田さん!!」

 

 慌てて駆け寄る友哉。

 

 茉莉は自分の肩を抱き、何かを堪えるように震えている。

 

「瀬田さん、大丈夫?」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 絞り出すように、茉莉は返事を返す。

 

 友哉に支えられるようにして立ち上がりながら、茉莉は先程感じた、言い知れぬ悲しみに事を考えていた。

 

 あれは、もしかしたら・・・・・・

 

「・・・・・・行きましょう、緋村君」

「え、瀬田さん?」

 

 戸惑う友哉を引っ張るように、茉莉はある種の確信を抱いて歩き出した。

 

 

 

 

 

 茉莉がやって来たのは、一見すると納戸のようにも見える木の引き戸がある場所だった。

 

 躊躇わずに取っ手に手を掛けて引くと、カビ臭い匂いが、ツンと鼻の中に飛び込んで来た。

 

 中は意外と狭く、2畳ほどの広さしか無い。

 

 だが、内部は納戸では無く、真ん中にはひどく薄汚れ、ボロボロになった一組の布団が置かれているだけだった。

 

「ここは?」

「多分・・・さっきの男の子の部屋だと思います」

 

 先程、少年とすれ違った時、茉莉は少年の持つ感情と、そして歩んで来た歴史のような物が見えた気がした。

 

 それは、女将さんがここに宿を造るよりも遥かに前。恐らくは昭和初期の事。

 

 1人の少年が、ここに住んでいた。

 

 少年は早くに両親を亡くし、裕福な親戚の家に引き取られたのだが、その親戚は、まだ幼い少年をまるで奴隷のように扱ったと言う。

 

 毎日、毎日、朝から晩まで牛馬のように扱き使われる日々。僅かでも失敗すれば、容赦無く暴力を振るわれた。出される食事と言えば、粗末な物ばかり。それすら、理不尽な理由で抜かれる事もあった。

 

 遊びたい盛りに遊ぶ事も許されず、親戚家族は「自分達が身寄りのないお前を拾ってやったんだ。その恩を返すのは当然の事」と、事ある毎に繰り返しては、少年を扱き使い続けた。

 

 そんな悲しみに包まれた人生の末、少年は流行病にかかり、「体面が悪い」と言う理由で医者にも診せてもらえず、碌な治療もされないまま、幼くしてこの世を去ってしまったのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・悲しすぎるね」

 

 茉莉の説明を聞き、大きな怒りが、友哉の胸を支配する。

 

 もし自分が、その時その場所にいれば、少年を救ってやる事ができたのに。

 

 手にした逆刃刀を、力強く握りしめる。

 

 その時、すぐ背後に気配が立つのを感じた。

 

 振り返れば、先程の少年が、ジッとこちらを見つめている。

 

 今度は逃げ出す事も無く、ただ、何かを訴えるように見詰めていた。

 

「・・・・・・・・・・・・もう、良いんですよ」

 

 ややあって、声を掛けたのは茉莉だった。

 

「もう、苦しまなくて良いんです」

 

 そう言うと茉莉は、少年を怖がらせないようにそっと近づくと、その小さな体を優しく抱きしめる。

 

「もう、楽になっても良いんです。向こうに行けば、きっと、あなたに良くしてくれる人が、たくさんいると思いますから」

 

 そう、優しく語りかける。

 

 どれくらい、そうしていただろうか、

 

 やがて、

 

《ア リ ガ ト ウ オ ネ エ チャ ン》

 

 そう言う呟きが聞こえ、一瞬、少年が微笑んだ気がした。

 

 次の瞬間、茉莉の腕の中で少年の体はスーッと消えて行くのが判った。

 

「・・・・・・行ったんだね」

「・・・・・・ええ」

 

 茉莉がそう頷いた時だった。

 

 突然、視界がグルリとひっくり返るような感覚に襲われ、次いで景色が一気に暗転する。

 

 何も見えなくなり、真っ暗な奈落を落ちて行くような感覚。

 

 気付いた瞬間、意識は肉体を離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眩しい日差しが、瞼を明るく染め上げる。

 

 朝の陽ざしに似ているが、それよりもより柔らかく、優しい感覚がある。

 

「・・・・・・んッ」

 

 呻き声をあげて、友哉は眼を開いた。

 

 体が痛い。何だか、不自然な格好で眠っていたような感じだ。

 

 そこでふと、我に返った。

 

 何とそこは、来る時に乗ってきた軽自動車の中だった。

 

 隣の運転席では陣が眠っており、後部座席では茉莉と瑠香が寄り添って眠っていた。

 

「そんな、馬鹿な・・・・・・」

 

 車は、村入口前の駐車スペースに停まっており、すぐ前にはキンジ達の乗ったミニバンもあった。

 

 急いで陣達を叩き起こし、更にミニバンの扉を開いて、やはり眠りこけていたキンジ達も起こして行った。

 

「いったい、何があったの?」

「さ、さあ・・・・・・」

 

 皆、村に入って宿に行った記憶はある。だが、気が付けば、全員がこの駐車スペースの車の中に戻っていたと言うのだ。

 

「全部、夢だったのか?」

「まさか・・・・・・」

 

 全員が同じ夢を見る事など、あり得るのだろうか?

 

 まるで狐に摘まれたような面持になる。あの綴ですら、信じられないと言った面持ちをしていた。

 

 誰も、この状況を説明できる者はいない。

 

 とにかく、こうしていても始まらないので、取り敢えず村に行こうと言う事になり、半日前と同じように、皆で連れだって村の中へと入って行った。

 

 驚いた事に、先程とはうって変わって、村の中は活気に満ち溢れていた。

 

「お、先生、お久しぶりですねッ」

「今年もこの季節が来ましたか」

「また、宜しくお願いしますよ!!」

 

 すれ違う村の人々が、皆、気さくに声を掛けて行ってくれる。

 

「この村って、こんなに人がいたんだ・・・・・・」

 

 アリアが呆然と呟く。

 

 そんな事をしている内に、一同は「かげろうの宿」へと到着した。

 

 すると、そこには既に女将さんが三つ指ついて一同を待っていた。

 

「ようこそ、待っていましたよ、皆さん」

 

 溢れんばかりの笑顔には、この宿で起きた事を覚えている様子は微塵も感じられない。

 

 恐る恐ると言った感じに、アリアが尋ねてみる。

 

「あの、いきなり襲いかかってきたりはしないんですか?」

「はい?」

 

 突然の質問に、目を丸くする女将さん。

 

「だって、元武偵なんですよね」

「それに、もう還暦だって・・・・・・」

 

 白雪と瑠香の質問に、女将さんはニッコリ微笑む。

 

「あらあら、よく知ってるわね」

 

 言いつつ、綴に詰め寄る。

 

「ッて言うか綴、会ったばかりの学生さんに、何色々と話しちゃってるのよ?」

「いや・・・会ったばかりじゃないんだが・・・・・・」

 

 説明不能な事態に、綴も未だに戸惑いから抜けきれないでいた。

 

 そんな中で、茉莉は、そっと友哉に近づいた。

 

「もしかしたら、あの子はたんに遊びたかっただけなのかもしれません」

「え?」

 

 振り返る友哉に、茉莉は微笑みながら言う。

 

「私達が遊んでいるのを見て、楽しそうだったから。だから、祀られている祭壇を飛び出して、一緒に遊んでもらいたくて出て来たのかもしれません」

 

 言われてみれば、確かに。襲われたみんなも、ひどい恰好にはさせられていたが、怪我をした者は1人もいなかった。あれが、子供の悪戯だったと考えれば、納得のいく物もある。

 

「そうかも、しれないね・・・・・・」

 

 風が、優しく吹き抜けて行く。

 

 天に上るその風を感じながら、友哉と茉莉は、少年に思いを馳せて微笑んでいた。

 

 

 

 

 

番外編「温泉宿の怪」(TV版未放送13話)      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、

 

 武偵校に帰った茉莉は、

 

「マッツリ~ン、ホラー映画全特集、借りて来たよ~、今夜はオールナイトだー!!」

「イィヤァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 やっぱり、ホラー物が苦手だった。

 


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