第1話「かくて黎明に幕は上がり」
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まだ車も人も少ない朝の街を、1台のバイクが爆音を響かせて駆け抜ける。
型は通常のレーサータイプの物だが、貸してくれた車輛科の友人がエンジン回りを入念に改造してくれた為、最高時速は200キロ近く出せる。最早、羽を付ければ空を飛べるレベルだ。並みの複葉機よりも速い。
もっとも、日本の公道でそんな化け物じみたスピードを出せば、事故る以前に警察がすっ飛んで来る事になる。いかに大義名分があるとはいえ、そこまで冒険する気にはなれない。
とは言え、急ぐ必要がある事に変わりはない。
緋村友哉はフルフェイスヘルメットの中で目を細め、ハンドルを握る手に力を込める
通報を受けたのは10分前。ここ数日追い掛けていた案件が、ようやく、こちらの放った網に掛かってくれた。
《急いで友哉君、もう取引が始まっちゃう》
フルフェイスヘルメットの内側に仕込んだ通信機から聞こえて来たのは、後輩であり戦妹でもある少女の声。諜報能力に長けた彼女が先行して情報を集め、自分は寮で待機。即応状態を作っておく。と言うのが作戦の骨子だが、やや出遅れた感は否めない。
連中の動きをなかなか掴む事ができず、結局昨夜は一睡もできなかった。
だが、それで疲れているかと言われれば、そんな事はない。むしろ、一晩中気を張り詰めていたおかげで、精神が研いだ剃刀のように鋭利になっているのが自分でも判る。
「判ってる。こっちはあと3分で現着予定。その間に大きな動きがあったら教えて」
《了解だよ!!》
叩きつけるような声が耳に響く。
あんな大きな声を出して、敵に見つかったりしないだろうか。と、少し心配になる。まあ、彼女は身軽だし、仮に見つかったとしても捕まる可能性は低いだろう。
そう心の中で呟きながら、速度を僅かに上げる。
スッと、心の中が落ち着く気がした。
気が付けば、周囲に流れる光景も、バイクの音も気にならなくなる。
戦場に赴く時はいつもこうだ。普通なら緊張するか、気持ちが高ぶるかのどちらかだと思うのだが、自分の場合、なぜか気持ちが落ち着いてしまう。
良い事か悪い事かと言われれば、間違いなく良い事であるのだろうが。それでも、我ながら不思議な感覚である。もしかしたら、これもまた自分の持つ「血」のなせる技なのかもしれない。
そうしている内に、目的の場所が見えて来た。
場所は東京港大井コンテナ埠頭。この場所で取引が行われる事を調べるのには随分と労力を払った。
立ち並ぶコンテナを縫うようにバイクを走らせ、一気に目標となる場所まで走り抜けた。
そして、
「あれかっ!!」
7~8人の男達が岸壁に立って、手に持ったケースの中身を確認している。遠目にも、それが何か白い物を入れたビニールの袋である事が判る。
と、そこで向こうも走って来るバイクの存在に気付いたのだろう。ぎょっとした様子で振り向くのが見えた。
ブレーキを掛け、後輪を横に傾けながらバイクを停止すると同時に、ヘルメットを取る。
一本にまとめた長い赤茶髪の下から、思わず見とれそうになるほど端正で中性的な顔立ちをした少年が姿を現した。体付きも細く、外見だけ見れば少女と言っても通りそうである。
友哉は左手で制服の内ポケットに入っている手帳を抜き取って開く。
「武偵です。麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で全員逮捕します!!」
全員が慌てたように銃を引き抜く。予想はした事だ。これで罪状は追加。銃砲刀剣類所持等取締法違反だ。
日本の銃規制も一時代前に比べてだいぶ緩くなった。こうして事件現場に出るたびに銃装備した連中に出会ってしまう。
友哉はバイクから飛び降り、同時に膝を撓めて跳躍の姿勢に入る。
真横に飛び退くのと、敵が引き金を引くのはほぼ同時だった。
しかし、弾丸は全て、残像を掠めるかのごとく命中しない。
全員の目が、驚愕に見開かれるのが見えた。
着地。同時に、友哉の右手は背中にまわされ、そこに背負っている物を掴んで一気に抜き放つ。
昇りかけの朝日に、銀の刃が鋭く反射して輝く。
浅く反った細身の刃に、鉄拵えの柄。その優美な外観は、それが殺傷を目的に作られた代物である事を一瞬忘れさせるほどに心をひきつける。
手にしたのは一振りの日本刀。ただし、通常の物と比べると、峰と刃が逆になっている。
逆刃刀と呼ばれるこの刀は、通常通りに振っても相手を殺す事はない。まあ、当たれば骨の2~3本は折れるだろうが。
次の瞬間、友哉は地を蹴って距離を詰める。
機先を制するのは、この流派の剣術にとって必須である。故に求めるは、究極の先の先。常に相手より速く、相手より先に動くのだ。
銃口が慌てたように友哉を向く、が、遅い。
その時には既に、友哉は間合いの内側に踏み込んでいた。
着地すると同時に、剣閃を下から斬り上げる。
ゴッ
鈍い音と共に、相手の顎を切っ先が捉えた。
強烈なアッパーカットを食らったに等しいその男は、手にした銃を取り落としてあおむけに倒れた。
まずは1人。
倒れる敵を確認しながら、次の目標に視線を向ける。
トランクケースを持っている男が背中を向けて逃走するのが見えた。
その様子に、友哉は口の中で舌打ちした。
追おうにも、残りの敵が友哉の動きに気付き一斉に銃口を向けて来る。そちらに背を向けて追う事はできない。
友哉は視線も鋭く、敵を睨み据える。
元が一対多数戦闘を目的とした流派の剣術だ。この程度の敵の数など問題にならない。
踏み込むと同時に、刃を水平に倒して一閃する。
振るった刀が、2人の男の胴を一撃で薙ぎ払った。
「グアッ!?」
「ギャッ」
一閃で2人同時に薙ぎ払う。しかも、1人目と2人目でぶつけた威力は殆ど変わらない。
倒れる男達。
「よし、次っ」
更に斬り込むべく、刀を構え直す友哉。
対して残った男達も、銃を放ってくるが、こちらのあまりのスピードに殆ど照準を付けられない様子だ。放たれた弾丸は全て明後日の方向に飛んでいく。
その間に、悠然と距離を詰めて刀を振りかぶった。
「このっ、相手は1人だぞ。もっと落ち着いて狙え!!」
リーダー格と思われる男がはっぱを掛けながら銃で応戦して来る。
敵は既に、当初の半分近くにまで減っている。このまま押し切る事は充分に可能だろう。
残った敵が盛んに銃を撃ってくるが、それが命中する事はない。全ての弾丸は友哉が駆け抜けた後を空しく通り抜けるだけだ。
反対に、友哉の剣は確実に敵を無力化していく。
「くっ、クソッ!!」
残りはリーダー格と思しき、ケースを持った男1人だけ。その男も、もはや破れかぶれとばかりに銃を向けて来るだけだ。
トランクを持った男がコンテナの間を縫うようにして走って行く。
大事に抱えたトランクの中には、末端価格で数億円にもなる量のコカインが入っている。今回の取引が成立すれば大金が入る事は間違いなかったのだ。
それなのに、
「何で武偵がかぎつけやがるんだよ!?」
とにかく走る。このトランクさえ無事なら再取り引きは充分に可能だ。何しろこれだけの量だ。裏でほしいと言う連中はいくらでもいる。
そう思った時だった。
「逃がさないよ!!」
鋭い声と共に、上空から飛びかかって来る影が目に入った。
髪を短く切り揃えた小柄な少女は、短いスカートをはためかせて急降下して来る。
男が一瞬振り仰ぐ。
しかし、遅い。
コンテナの上から跳躍した少女が、手にしたマシンガンを一連射。
放たれた弾丸は、男の膝に命中する。
「グアッ!?」
足を押さえて倒れる男。同時にその手からトランクケースが放り出され、中に入っていたビニールに包まれた白い粉が地面に散乱した。
「クッ、くそっ!!」
痛む膝を押さえ、それでも散らばったコカインの袋を集めようと手を伸ばす。
しかし、その腕を踏みつけられ、同時に鼻先に銃口を突きつけられた。
「無駄だよ。いい加減諦めなって」
東京武偵校の臙脂色の制服を着た少女は、そう言って不敵に笑った。
うなる銃撃音が少なくなっている。
敵は既にリーダー格と思しき男が一人だけという状態になっていた。他の者は全員、友哉の剣によって叩き伏せられ、地面に転がっている。
その残る1人を仕留めるべく、友哉は更に刀を構えて斬り込む。
だが、流石はリーダーと言うべきか、盛んに拳銃を撃ち、接近の隙を与えてくれない。
今日日、防弾服の軽量、高性能化に伴い、拳銃は一撃必殺の遠隔武器ではなくなった。それ故に、その高初速、大威力を利用した打撃武器としての使用、近接拳銃戦、通称「アル=カタ」が発展を遂げている。
友哉が着ている武偵校制服もまた防弾線維で編まれた物である。が、銃弾の打撃力は拳などとは当然比べるべくも無く、一撃食らえば昏倒してしまう事もあり得る。
友哉と対峙している男もまた、そのアル=カタの使い手であるらしい。ある程度型にはまった動きと洗練された動作は、軍か警察の経験者、あるいは元武偵である事が窺える。
その銃口が、真っ直ぐに友哉に向けられた。使っている銃は旧ソビエト製軍用自動拳銃トカレフTT33。安全装置が無く、そのハイパワー振りから暴発事故が多い事で有名な銃だが、低コストが相まって、今でも多くの組織の末端構成員に愛用されている。
「死ねェ!!」
対して友哉は、その銃口を冷静に見据えて駆ける。
距離にして約8~9メートル。今から距離を詰めて斬りかかるには、僅かに時間が足りない。
だが、慌てる必要はない。
銃口と目線の向き、反動で腕が跳ね上がる瞬間のタイミング。それさえ見逃さなければ、弾丸の軌道を読む事はそう難しくない。
そして、
轟音と共に発射される弾丸。
次の瞬間、
残像すら残る勢いで、友哉の体は更に加速した。
神速とも言える身ごなしが可能であるならば、銃は決して恐るべき兵器とは言えない。
「なっ!?」
一瞬目を剥くリーダー。対峙している彼には、正に友哉の体は消えたようにも見えた事だろう。
次の瞬間、友哉の姿がリーダーのすぐ真横に現われた。
リーダーはまだ、友哉の動きに気付いていない。
友哉の体が半回転する。その勢いのまま、逆刃刀を一閃。回転の威力を刃に乗せて叩きつけた。
「グアァァァッ!?」
背中に剣撃を受け、リーダーは一瞬背をのけぞらせるように硬直した後、前のめりに倒れ込んだ。
これで終了。
友哉は背中の鞘を取り外すと、逆刃刀を収めた。
「お疲れ様、友哉君」
振り返れば、トランクケースを片手に持った少女が歩いて来るのが見えた。
短く切ったベリーショートの髪に、俊敏さを思わせる小柄な体。少女と言うより腕白盛りの少年と言った風情がある。
四乃森瑠香は友哉の傍らに立つと、ニコッと人懐っこい笑みを見せた。
「はい、これ。中身は全部確認しといたから」
そう言ってコカイン入りのトランクケースを差し出す。
「逃げた1人は?」
「縛ってあっちに転がしといた。車輛科の車が来てくれたら回収に行かないとね」
諜報科に所属する瑠香は、直接的な戦闘よりも情報収集、先行偵察に向いている。その為友哉は、今回の作戦に際して、瑠香に取引情報を探ってもらったのだ。
その時だった。
「いやぁ~、実に素晴らしい。これほどの剣の使い手が武偵にいるとは驚きですよ」
突然の声に、友哉は刀の柄に手を掛け、瑠香はマシンガンを抜いて銃口を向けた。
振り返った先。
そこには、スーツ姿に無機質な仮面を付けた痩身の男が立っていた。背格好からして20代から30代と言ったところではないだろうか。あまりにも自然と現われた為、気配を感じる暇すら無かった。
友哉は刀をいつでも抜けるように、腰を落として抜刀の構えを取る。
『この男・・・・・・』
友哉は先程まで感じなかった緊張感を感じる。
男はあまりにも自然に現われた。否、あまりにも自然すぎた。つい最前まで剣撃と銃撃が飛び交う戦場であったこの場所に、である。
瑠香も男の異様な雰囲気を感じているのか、銃口を一瞬も逸らす事ができず硬直している。
だが男は、刀や銃が見えていないかのように悠然と振舞っている。
そこで、先程友哉が倒したリーダー格の男が、痛む体を引きずるようにして顔を上げた。
「テメェ、『仕立屋』ッ!! よくも裏切りやがったな!!」
激昂するリーダーに対し、仕立屋と呼ばれた男は差も心外だといわんばかりに振り返ってみせた。
「おや、『裏切った』とは?」
「とぼけるなッ 何で助けてくれなかったんだよッ!?」
「ですから、私は何度も御忠告を申し上げた筈ですよ。計画があまりにもずさんすぎるから、見直した方がいいと。それを強行したのはあなた達の方じゃないですか」
その言葉に、リーダーは黙りこんだ。
そんな2人のやり取りを、友哉と瑠香は黙って聞いている。
仕立屋。聞いた事のない名前である。しかし、こうして容疑者と話している以上、今回の件に何らかの形で携わっているのは間違いないだろう。
それに・・・・・・
刀を握りながら、友哉は男を注意深く観察する。
一見すると、武術の心得の無い、ただ怪しい仮面を付けただけの男に見える。しかし、そのあまりにも無防備な立ち居振る舞いが、逆に友哉に警戒を解く事を留まらせていた。
そうしている内に、男はリーダーから興味を失ったかのように友哉の方を見た。
「まったく、仕立て甲斐の無い人達ばかりで困ったものですね~。それに比べて、」
仮面越しの視線が、真っ直ぐに友哉に向けられた。
「あなたは、実に素晴らしい。そして可憐だ。武偵のお嬢さん」
その言葉に、友哉は状況も忘れて思わずため息をついた。
まあ、いつもの事と言えばいつもの事なので、今更嘆きもしないが。
「あの、僕、男なんですけど」
その言葉に、男も驚いたように肩をすくめた。
「これは失礼しました。あまりにもお美しいので、つい」
「まあ、良いですけどね。馴れてるから」
敵味方、場所と状況を忘れて随分とのんきな会話を交わしてしまう。
「では、改めて。私は由比彰彦と申します。知人からは『仕立屋』などと呼ばれております。以後お見知りおきを。それで、君の名前は?」
「・・・・・・緋村友哉です」
「なるほど、緋村君ですか。憶えておきましょう。機会があれば、ぜひ、私の仕立てにお付き合い願いたい物です」
そう言うと、身を翻す彰彦。
「ま、待て!!」
追い掛けようとする瑠香。
だが、駆けだそうとする少女を、友哉は片手を上げて制した。
背中を向けた彰彦を、友哉は追う気にはとてもなれなかった。
倒した犯人達を放置する訳に行かない。と言うのは勿論あるが、それよりも、追い掛けて確実に勝てるという確証が持てなかったのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
刀から手を放す。とにかく今は、取引を未然に防げただけで良しとしておく事にした。
傍らでは瑠香が、いかにも不満だとばかりに頬を膨らませている。
そんな彼女に笑い掛けながら、頭をなでてやる。
ちょうどその時、埠頭の反対側から1台の護送車が見えた。どうやら、容疑者護送用の車輛科が来てくれたようだ。
これにて事件解決。しかし、どうにも後味の悪い終わり方になってしまった。
「由比彰彦・・・・・・仕立屋、か」
あの男はいったい、何者なのか。結局判らず仕舞いであった。
何とも、喉の奥に棘が刺さるような感覚が抜けない。仕事は終わったと言うのに、緊張が解けない。まるで、これから更に大きな事が起こる前兆であるかのように、友哉は漠然と、しかし大きな不安を拭えずにはいられなかった。
第1話「かくて黎明に幕は上がり」 終わり