1
「ちょ、ちょっとリサ、これ変じゃないよね!? 変じゃないよね!?」
「大丈夫ですよ、緋村様。とっても可愛らしいです。
リサに手を引かれながら、
何かホント、ヨーロッパに来てからこんな事ばっかりやっている気がする。
ここ最近の、
その一方で、前を走るリサはとても嬉しそうにしているのが判る。
無理も無い。
なぜなら、今日はブータンジェのお祭りがある日である。
街は朝から活気に満ち溢れ、子供達がはしゃぐ声は、隠れ家の中まで聞こえて来ていた。
地元出身のリサも、朝から浮き立つ想いを抑えきれなかったらしく、キンジから1日の暇をもらうと、早速、伝統の民族衣装に着替えて祭りの会場へと向かって駆け出していた。
地元の祭り、と言う事で興味が湧いた
それが運の尽きだった。
《では、緋村様の衣装も、一緒に用意しますね》
嬉しそうにそう告げたリサ。
そして出来上がった衣装を見た瞬間、
オランダの民族衣装と言えば、温かそうなパフスリーブにロングスカートのドレスで、黒地にヒラヒラとした白い飾り布をあしらったカラフルな物である。
ただ慣れない
そのせいで、布面積は大きく露出は少ないはずなのに、どうにも色っぽさが際立つ服装である。
いざ着替える段階になって渋る
リサは割とスタイルの良い体をしているから良いのだが、当然、
そんなわけで、胸にパットを入れてドレスを着ているのだ。
とは言え、
「うわぁ・・・・・・」
風車小屋近くの防塁に設けられた祭り会場に到着すると、
まるで街中の人間が集まったかのような、盛大な活気に包まれた会場は、華やかな熱気に詰まれていた。
皆、この日を楽しみにしていたらしく、どこを見ても笑顔が溢れていた。
「さあ、私達も参りましょう、緋村様」
「う、うん」
リサに促される形で
祭りらしく、屋台も軒を連ね、ホットワインや、鶏肉の串焼きのような料理が並べられている。
「すごい、ね」
お祭り自体は日本でも珍しくは無いが、ここまで盛況である物も珍しいだろう。
言葉の分からない
「さ、行きましょう、緋村様」
「ちょ、ちょっと待ってリサ、この靴、歩きにくくて・・・・・・」
転びそうになりながらも
もし、今敵が来たりしたら、
だが、今回のお祭りに参加する事は、
女装して常に行動し、女子として振る舞う事によって得られる物は何か?
(現状、説得力は皆無以下だが)男の
その意味で「女子として何らかのイベントに参加」する事は、レポートを書く上で大いに役立つはずだった。
実のところ先日、リサから立ち居振る舞いについて特訓を受けたのも、レポートの一環だったりする。これで
そうしているうちに、リサは
そこでは、2人と同じように民族衣装に身を包んだ女の子たちが、楽しそうにダンスを踊っている。
彼女達が打ち鳴らす木靴の音が、コトコトと鳴り響き、何やら小気味いい気分になってくる。
「さあ緋村様。私達も踊りましょう」
「お、踊ろうって、僕、踊り方が判んないんだけどッ」
「大丈夫です。私がリードして差しあげますから!!」
そう言うとリサは、
それだけで、周囲からは一斉に歓声が上がる。
どうやら、リサと
踊りの輪の中へと加わる2人。
リサは慣れた体で、音楽に合わせて足を踏み慣らし、優雅に踊って行く。
対して
だが、そんな
楽しそうに踊るリサ。
そのリサの動きを見ながら、
元々、見取り稽古は武道のみならず、様々な事に応用が利く。上級者の動きを見て、イメージトレーニングし、徐々に自分の動きをイメージに近付けていく事は、あらゆる分野において必要な技能である。
その技術を応用すれば、リサや他の女の子の踊りを見て、自分の動きをトレースする事は充分に可能だった。
そして、
カッと木靴を慣らし、ロングスカートを揺らしながら踊る
その動きは完璧に音楽に合わさり、一部の狂いすら無くなるまでに、そう時間はかからなかった。
慣れてしまえば、なかなか楽しい物である。
「踊る馬鹿に見てる馬鹿。同じ馬鹿なら踊らねば」と言う言葉があるが、やはり何だかんだ言っても、祭りは楽しんだ者が勝ちである。
そんな
周囲の人間は、唖然としている。
誰もが、その美しい動きに魅了されているのだ。
「
一緒に踊っているリサですら、思わずため息とともに感嘆の声を漏らした。
その時だった。
群衆をかき分けるようにして、段ボール紙のボディに、折れた箒の牙、メロンの皮の毛皮と言う、継ぎ接ぎで作った怪物が現れた。
「な、何あれ?」
手作り感抜群な怪物の出現に、呆気にとられる
どうやら、何か狼のような怪物を似せてあるらしい。
「
1人の少女がわざとらしく叫ぶと、皆が一斉に逃げ惑う演技をする。
取りあえず、
「おっと」
助け起こそうとする
だが、その手がクイッと横から引かれる。
「大丈夫ですよ緋村様。さ、こちらに」
リサに腕を引かれて下がる
見守っていると、怪物は倒れた少女を、胴部分の中に包み込んでしまった。
なるほど。どうやら「食べられた」と言う演出であるらしい。
その後、別の少女が腕を「食べられ」ながらも、怪物の額にキスをすると、怪物は大人しくなって下がって行く。
その様子を見ていた
恐らく、地方に伝わる怪物に生贄の少女を捧げる事で鎮める話。似たようなストーリーは、洋の東西を問わず、割とどこにでもある物である。
やがて、そのイベントを最後にダンスはお開きとなった。
これはこれで、なかなか貴重な経験だったと思う。あとでもう少し詳しい内容について、リサに聞いておこうと思った。
と、
「ご主人様!!」
リサの声に引かれて振り返ると、そこにはクロメーテル姿のキンジが、腕を組んで立っていた。
「おろ、キンジ、来てたの?」
声を掛けようとするリサと
クロメーテルは、アラブ系の富豪と言う設定になっている。その事を考慮したのだろう。
人気が少なくなったところで、ようやく3人はコーラを片手に口を開く。
「まさかご主人様がいらしているなんて・・・・・・油断しました」
恥ずかしそうに俯きながらも、少し嬉しそうに告げるリサ。
素の自分をキンジに見られた事が恥ずかしい反面、キンジが来てくれた事が嬉しいらしい。
出会ってから数日しか経っていないのに、リサが抱くキンジへの崇敬は、長年共にある君臣よりも深いように思える。
キンジには、こういう娘も必要だ。
「キーくんのハーレム(命名:理子)」には、何気にアクの強い面々が多い事を考えれば、リサのように大人しく、常に主よりも少し下がった場所を自分の立ち位置とする人間がいた方が、全体的なバランスの修正には便利なように思えるのだった。
「ねえリサ、あれはどういうストーリーだったの? ほら、最後の方で何か怪物みたいなのが出てきて、女の子が食べられてたりしてたけど」
キンジとリサの話がひと段落した辺りで、
今回のイベントは、帰国後のレポート提出に備えて、何としても外したくない要素である。それを考えれば、地元出身のリサから得られる情報は、大いに有益と考えるべきだった。
だが、
「リサ?」
「あ、いえ、すみません・・・・・・」
怪訝な面持ちで尋ねる
「そうですね、あれは『ジェヴォーダンの獣』・・・・・・
「吸血鬼っつったらブラドだろ。あれのライバルって言ったら、ああいう毛むくじゃならな感じのバケモノなのか?」
キンジの質問を聞きながら、
ブラドは正に「バケモノ」としか称しようがない外見をしていた。身長は3メートル以上で、その重量感から来る威容は、ゆうに人間の10倍近い物があった。
あのブラドのライバルと言うからには、それくらいあると考えるのが自然なのだが。
しかし、リサは強い調子で首を振って否定する。
「ブ、ブラド様・・・・・・とは違うと思います。もっとずっと美しい、金色の大狼です。当時のフランスで描かれたスケッチもあるのです」
地元のモンスターである故か、リサは秂狼の肩を持ちたい様子だ。
そんなリサに、
まあ、「あの」ブラドと一緒にされるのは、リサならずとも流石に勘弁なのだろう。
2
ここは、どこなのだろう?
周囲を見回しながら、
周りは霧に包まれたように白一色となり、殆ど何も見えない状態となっている。
不思議な空間だ。
足元は妙にフワフワとして定まらず、しかいもはっきりとしない。
一体、何が起こっているのか?
そう考えた時だった。
「友奈」
背後から声を掛けられて振り返る。
するとそこには、不敵な笑みを浮かべたキンジが、真っ直ぐとこちらを見詰めて立っていた。
「ああ、キンジ、ここはいったい・・・・・・・・・・・」
キンジの姿に安堵を覚えながら、質問しようとする
だが次の瞬間、
近付いてきたキンジの腕に、
うわ、キンジの体って、こんなに大きかったんだ。
などと考えてから、ハッと我に返る。
「な、何するの、キンジ!?」
抗議の声を上げる
だが、そんな
「怒った顔も素敵だな友奈は。けど、できれば笑ってくれないかな? 俺は笑顔の友奈の方が好きだよ」
そう告げるキンジを見て、
キンジはヒステリアモードになっている。
けど、どうして? いつの間に?
「ちょ、ちょっとッ ちょっと待って!!」
言いながら、キンジの体を引き離す
そんな
「どうかしたのかい?」
「『どうした』はこっちのセリフだよッ キンジこそいったいどうしたって言うの!? 何でヒステリアモードになっている訳!? そ、それに・・・・・・・・・・・・」
その後の、
「それに何で、男の自分に、あんな事をしたのか?」と言いたいのだが。
それに対し、キンジはフッと笑って肩をすくめる。
「可愛い子を愛でるのは、男として当然の義務だろ」
「ぼ、僕は男だよ!!」
女装なんかしているが、心まで女になるつもりはない。その事はキンジも判っている筈なのに。
だが、そんな
「何を言っているんだ友奈、君は女の子じゃないか」
「は? 何言って・・・・・・・・・・・」
言ってから
そこで、
絶句した。
胸が、ある。
自分の胸が、大きく膨らみ、その存在感を恥ずかしげに主張している。
B、いやCだろうか? 茉莉や瑠香よりも大きいくらいだ。
そして、恐る恐る下にも手を伸ばし・・・・・・
「嘘・・・・・・・・・・・・」
手の平に広がる空虚感に、絶望が心を支配していく。
そんな
「さ、友奈、目を閉じて」
「ちょ、ちょっと、待って・・・・・・キンジ、待って」
「待たない」
そのまま、キンジの顔がゆっくりと近づいてくる。
対して、
「ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
悲鳴と共に、
気が付けば、カーテンの隙間から日の光が差し込んできている。どうやら、いつの間にか朝が来ていたらしい。
「・・・・・・・・・・・・夢?」
慌てて自分の体をまさぐるが、何ともない。いたって普通な、男の体だ。
それを確認してから、
「何て夢を見てるんだろ、僕・・・・・・」
女になった自分が、ヒステリアモードのキンジに迫られて、そして最後には・・・・・・
「~~~~~~~~~~~~!!!!!!??????」
思い出しただけで、強烈な自己嫌悪と羞恥心の連合軍に、
なぜ、あんな夢を見てしまったのか?
一説によると、夢とは自己の願望が具現化して見る物であるとか。
その点から考えると、あの夢はつまり、
「ウワアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
ボスボスボスボスボスボス
思いっきり枕を連打する
と、その時。
「うるさいぞ緋村。朝っぱらから何やってんだ?」
まさしく最悪のタイミングで、キンジが扉を開いて入ってきた。
次の瞬間、
ザンッ
「どわァッ!?」
いきなり刃に反して繰り出された逆刃刀の一撃を、キンジはのけぞりながら真剣白羽どりで防ぐ。
対して、
まるで「ジェヴォーダンの獣」に取りつかれたみたいで、ちょっと怖かった。
「い、いきなり何なんだ!?」
「・・・・・・何となく?」
と、八つ当たりの張本人たる
「ったく、何となくで人を斬るのか、お前は」
「ご、ごめんなさい・・・・・・・・・・・・」
椅子に座って腕を組み、説教モードのキンジに対し、
朝食を終えてひと段落してから、キンジのお説教が始まっていた。
キンジとしては、いきなり斬り掛かられたわけだから、怒りたくなるのも判る。
今回は100パーセント、完全無欠で弁解の余地なく、一方的に
「お前の気持ちは判らんでもない。俺だって、今は他人事じゃないしな」
苛立ちを押し殺したようなキンジの言葉に、
女装をしているのはキンジも同じなのだが、それでもキンジはまだ、自制している方である。
「それで、今回は何が原因なんだ?」
「そ、それは・・・・・・・・・・・・」
まさか、あんな夢を見たとも言えず、言葉を濁らせる
ちょうどその時、救世主が帰還した。
買い物を終えたらしいリサが、戸をあけて入って来たのだ。
「ただいま帰りました」
どうやら雪が降っていたらしく、リサの肩や頭にはうっすらと雪が付いている、
「ご主人様、緋村様、今日は教会の方に聖楽隊が来るそうですよ。後で行ってみませんか?」
「おろ?」
「聖楽隊?」
嬉しそうにするリサに対し、顔を見合わせる
ブータンジェにある教会はカトリック系。つまり、バチカンと繋がっている。
そのような場所に、このタイミングで来る聖楽隊。
暫く、教会へと続く道を確認していると、数台のイタリア車が到着し、その中から白い法衣を着たシスターたちがぞろぞろと出てきた。
皆若い。欧米人は日本人よりも顔立ちが大人びていると言う通説がある事を、年齢的には
だが、
少女達が持っている楽器ケースの重心が、それぞれ微妙におかしい。それぞれに対応した楽器のバランスではない。
「キンジ・・・・・・」
「お前も気付いたか、緋村」
恐らく、あの楽器ケースは見せかけ。中には別の物が入れられているのだ。
そう思って監視を続けていた時だった。
「緋村、あれ見ろ」
キンジに促されるままに視線を向けてみると、
そこにはよく見知った人物が、指先に鳩を止めて佇んでいた。
「あれ、メーヤさん・・・・・・・・・・・・」
絶句する。まさか、こんな形で知り合いの姿を確認する事になろうとは。
恐らく、メーヤの持ち味である
間違いない。あの聖楽隊はカムフラージュ。実態は、師団の戦闘部隊だ。
とは言え、まだ悲観するには早い。
メーヤの指のとまっている白鳩は、恐らく彼女の使い魔と思われるが、メーヤが認識できるのは恐らく「大体この辺にいる」と言う程度なのだろう。それを補うのが、あの使い魔と言う訳だ。
これは、まずい事態だ。
メーヤはおっとりした性格とは裏腹に、師団きっての交戦派である。眷属と見れば一切の容赦をかなぐり捨てて斬り掛かって行く。
そんな彼女が、降伏したとは言え、元眷属のリサと会ったら、どんな反応をするか見当も付かなかった。
加えて、メーヤは自身の分かと思われる10人のシスターを連れてきている。対してこっちの戦力は
戦えば勝負にならないのは明白だった。
「逃げるぞ緋村。すぐに荷物を纏めろ。リサには俺から伝える」
キンジの決断は素早かった。
平和とは、かくも脆く儚い物。いつ何時、如何様にして終わるかは見当も付かない。
穏やかな潜伏生活は今日で終わり。ここからまた、修羅の巷へと戻る決意を固めるのだった。
3
クロメーテル姿のキンジ、メイド服ではない物の、髪をツインテールに結い、コートの前をしっかりと閉じた
ブータンジェは街の造りが入り組んでいるおかげで、入ってくる人間は判りやすいが、出ていく人間は判りにくいと言う特徴を持っている。
街さえ出てしまえば、メーヤたちに気付かれる可能性は更に下がる筈。
とにかく、それまでの勝負だ。
そう思いながら、跳ね橋まで差し掛かった時である。
橋に何やら、人だかりができている。
そこで、愕然とした。
橋が架けられた濠の中で、子供が溺れている。
その子供には、
「フランツ!! フランツ!!」
保護者と思しき老夫婦が、必死になって少年の名を叫んでいるが、誰もが助けに入るのを躊躇している様子だった。
理由は、この濠の造りにあった。
これはただの水たまりではない。外敵が塀を乗り越えて侵入した際、そこへ敵兵を落として溺れさせる為、広く深い造りとなっている。更に岸も高く急な崖状になっており、石垣の方はロープが足らせないようにデコボコの瘤に加えて、最上部には万が一にも水から上がれないように、鉄の杭まで打たれている。
この濠があったからこそ、ブータンジェはナポレオンの侵攻を退ける事が出来たのだ。
事態に気付いたシスターたちも橋に駆け寄って来るが、法衣では泳ぐ事も出来ないらしく、岸の集まって心配そうに眺めている事しかできない。
どうする?
自分達にとって最善の策は、今すぐ、さりげない風を装って、この場を去る事だ。
幸い、メーヤたちは騒ぎに気を取られ、こちらに気付く気配は無い。今なら安全確実に、ブータンジェを脱出できるはず。
そうするべきだ。それ以外に選択肢は無い。
だが、
キンジは躊躇う事無く、橋の方へと駆け出した。
「お、おやめくださいご主人様ッ 死ににいくような物です!!」
キンジの意図を察したリサが、悲痛な叫びを発してくる。
彼女としても、あの少年は助けたいのだろう。しかし、この濠から人を助けるのは不可能に近い。加えて、出て行けば高確率で目を引く事になる。あまりに危険だった。
だが、今のキンジに、そのような考えは無い。
今ここで、あの少年を見捨てれば人の道に反する。それはキンジの奉じる正義にも反する行動だ。
キンジは構わず、橋へと突き進んで行く。
「ダメですご主人様ッ この濠は底に汚泥が溜まっていますッ 足を取られては、まともに泳ぐ事なんてッ」
「死にかけてるやつをスルーするなんて、できる訳ないだろ!!」
キンジは引き留めようとするオランダ人たちを振り払いながら、リサへと振り返る。
「お前は逃げろッ 今までありがとうな!!」
そう告げると同時に、キンジは濠の中へと身を躍らせた。
一方、
あれほど危険な濠だ。民家に救助用の船が無いか探すのだ。
しかし、
「何で無いんだ!?」
苛立ちまぎれに瓦屋根を蹴り付ける。
どこを探しても、ボートのような類はない。
恐らく、あの濠には誰も落ちない事を前提にしているのだろう。落ちたら最後、諦めるしかない、と言う訳だ。そうでなかったら、中世の物をそのまま残しておくはずがない。
「物持ちが良いのも考え物だよ!!」
とにかく、もう少し探そう。
そう思って駆け出そうとした時だった。
「緋村様―!!」
「おろ?」
足元から名前を呼ばれて振り返ると、リサが必死になって手を振っているのが見える。
その様子に驚きつつも、屋根から飛び降りる
「どうしたのリサ、早く逃げないとッ」
「そんな事より、手伝ってください」
「大家の方からボートを借りる事が出来ました。これで、ご主人様たちを助けに行けます!!」
「おろ、大家さんが?」
言われて
あの大家さんは何かと物持ちが良く、先日の祭りの際、
リサの案内でボートを止めてある場所まで行くと、焦る気持ちに押されながら舫い綱を解く。
「僕が漕ぐから、リサはみんなを引っ張り上げて!!」
「はいッ!!」
リサを舳先に乗せて、ボートをスタートさせる
オールを水面に付けると、まるでジェル状の液体のような感触が掌へとつながっている。
リサが言った通り、この濠には長年の汚泥が溜まっている。これでは熟練の泳者でもまともに泳ぐ事はできないだろう。
これでは濠と言うより、底なし沼に近い。一度沈めば、二度と浮かんでこれないだろう。
それでも
「あと少しです!!」
リサの声に導かれるように、ボートは進んで行く。
キンジはどうにか持ち堪えていた。
フランツと呼ばれた大柄な少年も、大量の水を飲んではいるが、どうにか無事らしい。
しかし、
驚いた事に、現場にはもう1人、女性がいた。
どうやら、助けに入ったのはキンジ1人ではなかったらしい。
「ご主人様、手を!!」
「リサ、何で逃げなかった!!」
メイドを叱責しつつも、キンジはまずフランツ少年をリサへと渡す。
とは言え、元々フランツ少年は大柄な事に加えて、大量の水を服で吸って重くなっている為、リサ1人では持ち上げる事ができない。
そこで、
次いで、キンジと、もう1人の女性にも手を貸して引っ張り上げ、どうにか全員を窮すつする事に成功する。
次の瞬間、
濠の周囲から、街が割れるのではないかと思われる程の大歓声が巻き起こった。
その後、フランツの保護者から多大な感謝をされ、シスターたちからも祝福された
とは言え、これだけ目立った以上、のんびりもしていられない。どうにかばれる前に離脱しないと。
そう思った時だった。
「遠山さん?」
呼ばれて、
振り返るキンジ。
すると、
その視線の先では、不思議そうな眼差しを向けてきているメーヤの姿があった。
第5話「ジェヴォーダン」 終わり