第1話「タンカー・ジャック」
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戦いの余韻が齎す心地よい熱に浮かされながら、友哉は藍幇上屋上の縁へと立った。
傍らには、キンジ・孫合作によるクリスマスツリー事、元スクラマサクスが立てられている。
高圧のレーザーによって溶かされたスクラマサクスは、もはや剣としての機能は完全に消失していた。
やれやれ、と呆れ気味に見上げる。
普通こんな事、誰も思いつかないだろう。大抵の人間なら、まず無駄を承知でかわす事を考えるはずだ。
我が友ながら、キンジの閃きと度胸、そしてその二つに支えられた絶対的な実力には目を見張るものがある。
勿体ないな、と思う。
キンジは武偵活動に対して、それほど積極的とは言い難い。
だが、これ程の実力があるなら、もっと積極的に上位を狙えば良いのに、と思うのだが。
目を転じれば、茉莉が理子に弄られているのが見える。
茉莉のスカートの裾を摘まんで、めくり上げようとしている理子。
それに対し、茉莉は涙目になりながら必死に抵抗してるのが見えた。
無理も無い。何しろ、あのスカートの下には・・・・・・
そこまで考えて、友哉は考えるのをやめる。
何となく、これ以上は茉莉が可愛そうだったので。
と、その時だった。
ふと、肌寒さを感じ、友哉はコートの前を縒り合せるようにかい込んだ。
「おろ? 何だろう、急に・・・・・・・・・・・・」
首をかしげる友哉。
その時だった。
「緋村!!」
警告音を滲ませたようなキンジの声。
その指し示す方角を見た瞬間、友哉は僅かに呻き声を発した。
霧が出ている。
勿論、海の上で霧が出る事は、さほど珍しい事ではない。
だが、問題なのは、その霧が海上の一点で蟠るように発生している事だった。
明らかに、普通の霧ではない。
その霧が今、西から東へ向かって、つまり香港の方角へ向かってゆっくりと流れていた。
異常な事態に気付いたのだろう、他の面々も次々と縁に寄って、海上に発生した奇妙な霧を見やっている。
その霧を割るようにして、巨大な影がにじみ出て来た。
船だ。
しかも、かなり大きい。
目測だが、全長は270メートル強、全幅も40メートル以上あるだろう。それこそ、戦艦大和よりも一回り大きい程度である。
そして、ある意味、最大の特徴とも言えるのが、船首部分から後部まで続く真っ平な甲板だろう。
「タンカーですね」
友哉の傍らで様子を見ていた茉莉が、断定して言った。
確かに、彼女の言うとおり、タンカーに間違いないだろう。
正確には
そして、
友哉の研ぎ澄まされた視線は「それ」を見逃さなかった。
タンカーの船尾楼の上。ポールに掲げられ、風に吹かれてはためく旗。
そこに染め抜かれた紋様は、寺社のマークを逆にして逆卍型。
日本名では鉤十字と呼称される物であり、同時にヨーロッパにおいては、20世紀最大の悪夢と言って良い存在。
正式名称はハーケンクロイツ、ナチス・ドイツのシンボルマークに他ならなかった。
「ナチスのマーク、それにあれは、何?」
ハーケンクロイツの下に、もう一つ旗が掲げられている。
盾に、獅子のような黒い獣が描かれた旗。見た事のない物である。
と、
「あれは・・・・・・カツェ!!
その存在にいち早く思い至った理子が叫ぶ。
カツェ
カツェ・グラッセ。
どうやら、次の相手が誰か、誰何するまでも無かったらしい。
理子が言うには、カツェ・グラッセは元々、イ・ウーで理子や茉莉の同窓だったのだが、魔女連隊に帰隊する為に、自主退学したのだと言う。
第二次世界大戦中、ヒトラー親衛隊、通称「SS」の隊長を務めたハインリッヒ・ヒムラーは、「北欧人種が世界を支配していた事の証明」を行う為の学術研究機関としてアーネンエルベを立ち上げた。
魔女連隊も、そのアーネンエルベに端を発する組織が発展した物で、ドイツ敗戦後はイ・ウーへと逃亡し今日に至っているらしい。
「次の相手は、
言いながら、友哉は僅かに苦い表情を向ける。
超能力は、正直なところ少し苦手である。今までジャンヌ、ブラド、エリザベート、パトラ、ヒルダ、そして先頃の孫と、幾人かの超能力者を相手に戦い勝利してきたが、基本的に普通の人間に過ぎない友哉達では、不利も否めない話である。
だが、
「飛んで火にいる夏の虫だわ!!」
そんな友哉の思惑をよそに、アリアが意気を上げる。
「相手がカツェなら、風穴開けて捕まえてやる!! ママの冤罪96年分は、イ・ウー時代のあいつの罪なのよ!!」
ある意味、母親の「仇」とも言わる相手を前にして、アリアが猛る心を抑えられるはずもない。
2丁拳銃を構え、今にも発砲しそうな勢いである。
その時だった。
藍幇城屋上の縁にある黄金龍の彫像の上に、何かが出現した。
一気に、警戒感を高める一同。
銃を持っている者は銃を構える中、イクスの4人も、とっさに警戒レベルを引き上げる。
瑠香がイングラムを構え、陣は両拳を掲げて構える。
友哉と茉莉は、刀の柄に手を掛けた。
そんな一同が見ている目の前で、現れた「何か」は、ブヨブヨと不定形に蠢き続けている。
色はやや白みがかっており、ちょうどRPG等に出てくるスライムのような感じだ。気持ち悪さを我慢すれば、辛うじてゼリーに見えない事も無い。
と、それを見て白雪が、感嘆したように口を開いた。
「厄水形・・・・・・すごい、複写
其れは何と言うか、想像するだけで悲惨な状況に思えてくる。
陸地で溺れるとか、シャレにならない話である。
その時だった。
ギャハハハハハハハハハハハハ!!
突然、厄水形から響き渡る不気味な笑い声が、居並ぶ一同を圧倒する。
それに対して、2人分の人影が動いた。
「このスライム野郎!!」
「ッ!!」
触発されるように発砲する、理子とアリア。
しかし、放たれた弾丸は、空しく厄水形を透過して、その背後へ駆け去って行くだけだった。
どうやら、物理攻撃は事実上、何の用も成さないらしい。
「無駄だよ2人とも、厄水形の本体は別の所にいる物。これは多分、ただのスピーカー。喋らせよう」
猛る理子とアリアを制し、白雪は冷静に話を進める。
流石と言うべきか、こと超能力関連に関する限り、イクス・バスカービルの中で白雪の右に出る者はいない。
そんな一同が見守る中、厄水形はブヨブヨと蠢き続け、やがて、はっきりと人の形を取り始める。
鍔広な黒いとんがり帽子に漆黒のローブ。肩に止まった、一羽の大烏。
目には鉤十字入りの眼帯をした、おかっぱ頭の不敵な少女。
間違いない。《厄水の魔女》カツェ・グラッセだ。
一同を見回して、ニィッと笑ったカツェは、右手を斜め前に高々と掲げて言い放った。
「
テレビ等で見かける事もあるナチス式の敬礼は、当然だが、友哉にとって生で見るのは初めてである。
刀を握る手に力を込める友哉。
いかに物理攻撃が通じない相手とはいえ、警戒しておくに越したことはない。同時に、自分の中で対ステルス戦術構築に取り掛かる。
勝つのは無理でも、せめて抵抗くらいはできるようにしておく必要があった。
「やあやあ諸君、戦争を楽しんでるかー? 楽しいよなー戦争は!!」
意気揚々と言った感じで、カツェは口を開く。
まるで、この場にいる全員を相手にしても勝てる自信があるかのような態度だ。
カツェは、手にした拳銃、ルガーP08の銃口で、タンカーを指し示す。
「鬼払結界の中で震えていた臆病者共、バスカービルにイクス!! あれはお前等への宣戦布告さ。ついでに裏切者のヒルダもぶっ殺す。香港は対魔性が強くて魔術のノリが悪いからよォ あのタンカーでこけら落としといこうや」
その言葉に、友哉は不穏な物を感じて目を細める。
タンカーと、それに満載されているであろう油。
どう考えても、嫌な予感しかしなかった。
「戦争は多様なバランスの取り合いだ。極東戦役で言えば西に師団のリバティ・メイソン、東に眷属の藍幇。組織力のあるおの2つのバランスを崩したくない所だぜ。と言う訳で、敗北した藍幇、裏切者には制裁を、だ!! まあ、人数が多いんで、街ごと殲滅する事にした」
カツェの言葉を聞いて、友哉は自分の直感が間違っていなかった事を悟る。
カツェは、あのタンカーを香港にぶつける気なのだ。
確かに、藍幇は眷属にとって重要な資金源であり、かつ兵力の供給源である。それが丸ごと師団側に取り込まれる事は、眷属側にとって致命傷に近いはず。
そう言う意味で、この香港での戦いは、極東戦役におけるターニングポイントであったと言っても過言ではない。
その為、カツェは先手を打って行動を起こしたのだ。
藍幇が師団に取り込まれる前に、師団側の精鋭部隊であるイクス・バスカービルごと殲滅してしまおうと。
いや、攻撃を開始したタイミングを考えれば、もしかしたらカツェは、初めから藍幇が負ける事も視野に入れて行動していた可能性がある。
「あたしは
まるで、ちょっと予定と変わってしまった。と言うくらいの軽いノリで話すカツェ。
次の瞬間、厄水形はバシャリと見ずに戻って消えてしまった。
その様を見て、理子が舌打ちした。
「イ・ウーじゃ、そこのココが爆弾戦術、カツェが
「あのタンカーはシンガポール船籍のシーマ・ハリ号ある。載貨重量15万トン。たぶん、全部原油ネ。ジャックされてる、間違いないヨ。海峡航路、正しく進んでない」
苦虫を潰した理子の説明に続いて、タンカーを観察していた
もしタンカーが岸壁にぶつかって爆発すれば、事は単純な火災事故程度にとどまらない。
流出した原油がヴィクトリア湾を覆い尽くし、それが温暖な香港の気候に当てられると、どんどん空気中に揮発していくことになる。そして僅かな火種でも引火した瞬間、壊滅的な大爆発を引き起こし、ヴィクトリア湾は文字通り火の海と化す。
更に、被害はそれだけに留まらない。燃焼は空気中の酸素を消費し尽くし、窒息と一酸化炭素中毒を引き起こす。
香港は地獄と化す事だろう。
「何とか、止める手段とか、無いんですか!?」
瑠香が震え気味に言う。
もはや、逃げる時間も手段も無い。どうにかしてタンカーを止めないと、ここで全滅する事になる。
それに対して、毅然とした声が応えた。
「手段は一つ、乗り込んで止めるしかないわ。キンジ、行くわよ」
アリアはそう言うと、二丁拳銃を手にして颯爽と歩き出そうとする。
だが、そんなアリアの行動を、キンジが制した。
「待てアリア、相手は乗っ取り犯だ。刺激したくない。それに、タンカーで発砲は厳禁だよ」
その指摘に対し、アリアは一応銃を収めつつも、尚も交戦意志を捨てようとはしなかった。
「カツェが今回の作戦を成功させたいんなら、すぐには実行しない筈よ。原油を撒くのにベストな位置まで、まずはタンカーを運ぶはず。逆を言えば、それまでがタイムリミットよ」
元より、交渉の通じる相手ではない。
ならば力づくで、と言うアリアの考えは正しかった。
「諸葛、香港の水上警察に連絡だ」
アリアの意志を受けて、キンジも交戦にシフトしたようだ。
しかし、問題はまだ残っている事を、友哉は見抜いていた。
移動手段が無い。
相手が《厄水の魔女》である以上、ボートでの接近は不可能。途中で沈められるのがオチだ。
藍幇城にはヘリポートが無いので、縁の離着陸もできない。
機嬢が水上機を手配してくれたらしいが、到着には時間がかかるらしく、移動している時点でタイムアウトである。そしてアリアのホバースカートは絶賛故障中と来てる。
まさに、事態は八方ふさがりに近い。
と、
「・・・・・・いるよキンちゃん。あのタンカー・・・・・・シーマ・ハリ号の中に大きな力を持った魔女がいる。きっとカツェ・グラッセだよ。それに、もう1人・・・・・・これは、パトラ?」
鬼道術でタンカー内部を探っていた白雪が言った。
どうやら、敵はカツェだけではなかったらしい。
イ・ウーとの前哨戦、アンベリール号で戦った《砂礫の魔女》パトラもいるらしい。
カツェとパトラ、正に眷属側のステルス2大巨頭と言える。
タンカー停止と合わせて、何とかこの場で撃破したいところである。
その時、武偵校のカットオフセーラー服を着た猴が近付いて来るのが見えた。
「遠山、緋村、あのタンカーに行きたいのですか?」
「うん、けど、移動手段が無くて困っている所なんだ」
尋ねてきた猴に、友哉が応える。
とにかく、乗り移る事さえできれば、あとはどうにかなるのだが。
と、そこで猴が、何かを決断したように口を開いた。
「今なら、行く方法があります。時間もかかりません」
その言葉に、一同はどよめきながら振り返る。どんな方法であっても、あそこまで行ける手段があるなら、躊躇うつもりは無かった。
「なに、どうやって行くの?」
「筋斗雲を使います」
尋ねるアリアに、猴はよどみなく答える。
筋斗雲
如意棒と並んで有名な、孫悟空の代名詞とも言うべきアイテムである。
物語では、いかなる場所であろうともひとっとびに飛んで行ける雲として描かれているが。
「科学で言うとワームホールを使った位相空間の連続複写移動。現代西洋魔学で言うと
「それで、シーマ・ハリ号には行けるの?」
友哉が尋ねる。
本来、瞬間移動などと言われて驚かない筈も無いのだが、最近は周りで超常現象が乱発されているせいか、今さらな感が強い。これが、感覚麻痺と言う物だろうか?
「あい、視界内にある場所なら確実に。ただし、これは如意棒と同じで1日に1回が限度です。なので、行くなら片道で、帰りは自力でどうにかしてもらう必要があります。それに、1回で送れる重量にも限界があります。見たとところ、遠山とアリアさんの組み合わせが、ギリギリベストと思われます」
なるほど、超常現象もタダではないと言う事か。
友哉は妙な所に感心する。
一見すると便利で、使える者が有利なように見える超能力も、視点を変えれば万能ではないと言う事だ。
そこら辺、今後の対ステルス対策に使えそうだが、今は思考から外しておく。
今問題にすべきは、シーマ・ハリ号をどうやって止めるか、だろう。
キンジとアリアが行けるのなら、別の組み合わせ、たとえば友哉とアリアとかでも行けるかもしれないが、実績や相性の問題を考えれば、やはりキンジ・アリアコンビがベストだろう。
考えている時間は、もうあまり無かった。
「判った。まず、俺とアリアで行く。機嬢は水上機が到着次第、イクスとバスカービルのメンバーを運んでくれ。その際は、白雪が優先だ。理子はキャリアGAのメンツに連絡を。あいつらも香港にいるはずだ」
後詰に白雪を選んだのは、彼女のS研知識を当てにして居る為である。
因みにキャリアGAとは、クラスメイトの武藤剛気に率いられたチームであり、車輌科と装備科の面々で固められている。タンカーを止める為に、彼等の力を借りようと言うのだろう」
キンジが指示を出し終えると同時に、キンジとアリアの間に立った猴が、2人の腰に手を回した。
「
暫く目を閉じて、呪文を唱え続ける猴。
すると、
猴の胸のあたりから、光の粒子が生まれ、それが風に舞うように空間に漂い始めた。
2つ、4つ、8つ、16、32、64・・・・・・・・・・・・
倍々ゲームで数を増やしていく粒子。
それらは瞬く間に、キンジとアリアを覆い尽くしていく。
やがて光が晴れた時、
2人の姿は、忽然と消え去っていた。
文字通り、神隠しにでもあったかのように。
「・・・・・・頼んだよ、2人とも」
晴れる視界の中で、友哉は呟く。
こうなった以上、2人の奮闘を祈るしかない。
勿論、自分達とて手を拱いているつもりはない。水上機が到着次第、即座に後詰できるための準備はしておくつもりだった。
「よし、みんな。急いで1階に降りよう。水上機が到着したら、すぐに移動できるように」
友哉の指示に、一同は頷きを返した。
その時だった。
藍幇の兵士と思われる人物が、何やら慌てた様子で諸葛に駆け寄ると、何事かを中国語で報告をしている。
それを聞いた諸葛の細い目が、僅かに見開かれる。
何か、良くない事が起きたか?
そう思っていると、案の定と言うべきか、諸葛は友哉に振り返って来た。
「申し訳ありません、緋村さん。聊か、まずい事態になりました」
そう告げる諸葛の声は、緊迫感に満ち溢れているようだった。
第1話「タンカー・ジャック」 終わり