”C”   作:イーストプリースト

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第二話 目覚めの時

 赤いカーペット、丸い手すり。個室への扉が左右に並ぶ。少女――美良香が一人、うつぶせに倒れている。 空調の音が静かに鳴り響く。

 どこかで時計の針が進む音がする。

 チク・タク

 チク・タク

 と。

 それは少女の目の前から聞こえている。

 チク・タク

 チク・タク

 少女の目の前に落ちている懐中時計。薔薇が巻き付いた十字の紋章が入った其れは静かに針を進ませる。

 血。伏した美良香より零れ出る血が床に広がっていた。カーペットが血を含み、赤く湿っている。彼女を襲ったものはすでにいない。

 広がった血はところどころ固まり始め、赤黒い塊がちらほら見える。

 時計の針が進む。

 

 ふと、いつの間にか彼女の前には女性が一人立っていた。

 先ほどまでは誰もいなかった廊下。巡回しているはずのセキュリティもなぜか来ず、ただ時間だけ過ぎていた。そこには人影などまるでなかったはずである。

 しかし、女性は立っていた。女性が時計を拾う。

 懐中時計と同じ紋章の入った指輪をつけた女性は、拾った女性をそっと持ち上げると。

 ポチャリと、少女の血だまりの上に落とした。

 突如、懐中時計に光が走る。

 チク・タク

 チク・タク

 時計の針が逆さに進む。

 床に零れた血を吸い上げ、少女の血を啜り、懐中時計は血を飲み干していく。

 女性の姿はいつの間にか消えていた。

 床に広がった血がなくなると同時に赤い魔法陣が時計を中心に描かれた。

 複雑な紋様を描かれた円が展開され、赤く輝く。

 チク・タク

 チク・タク

 逆に回った二つの針が零時を指し示した。

 途端、光り輝く円の中心に誰かが降り立ち、懐中時計を拾った。

 魔法陣が途切れ、懐中時計の針が通常通り進みだす。

 降り立った人物が首を振り、周囲を見渡し、美良香を見つけると、そちらへ歩み寄る。

 そっと膝を折って美良香を抱き起す。力なく弛緩する肢体、手足はだらりと垂れ下がっており、首は座りが悪いようにがくりと傾いていた。

 抱き起した美良香の胸部はぽっかりと空いており、心臓がそっくりと抜き取られていた。

 

 美良香の惨状を静かに見つめていた女性は、硝子を扱うように優しく美良香の頭を抱き起すと、そっと愛おしかむかのように、美良香の唇に己の唇を重ねた。

 

 

 とある一室。猫耳をつけた女の自室。彼女は部屋にいた少女を抱きかかえ、あぐらをかいて座っていた。

 猫の耳を生やした奇怪な姿をした女性が、少女の手を取る。少女はおびえながらも指を一本の宙に伸ばす。

 膨らむように楕円を描く指。それを舌が舐り、含んだ。くすぐったさに少女から小さく息が漏れる。一泊の後、悲鳴を押し殺したために高く引き攣った音が小さく響いた。

 少女の指先は口に含まれた先から消えており、猫耳の女性がもぐもぐと頬を動かし、何かを咀嚼している。時折、こりっと硬い物を食む様な音が鳴る。

 目から涙を浮かべる少女を無視しながら、猫の女は少女の指に口を近づけ、容赦なく再び噛み千切る。

 少女が思わず、手を振りほどこうとするが女の力は強くびくともしない。

 薄紅色をした肉と暗い赤色の血、そして、白い骨が断面からは見えている。白い脂身がぶよりと芽のよう盛り上がっている。どくどくと湧き出る様にあふれる血。女はその傷口をざらりと舐めた。

 厚い肉の匙が血を舐めとる。舐る。

 少女は女性の舌が当たるたびに熱い痛みに悶え、身をよじって痛みから逃れようとしているが、女性はそれを許さない。

 三口目に差し掛かった時に、猫耳がピクリと動いた。

 

「なんだよ、オレはいま機嫌が悪ぃんだ。下らない用なら帰れ」

 

 コツっと足音が鳴る。

 角から現れたのは男物のスーツを着た小柄な少女。落ち着いた青色のそれに逆に着られているように見えるような幼げな容姿であるが、彼女の無機質な雰囲気は、しわ一つの無いスーツ姿にとても良く似合っていた。

 赤い瞳が猫耳の女性をとらえる。

否定(ネガティブ)。暴食のクルースニクス、グラリス。わたしは監督役としてあなたにペナルティを与えに来た」

「ちっ、めんどくせぇ」

「夜会の規則の一つ、“一般生徒を殺してはならない”。この規則を破った罰としてあなたにはペナルティを与える。抵抗は無意味。大人しく罰を受けることを推奨」

「嫌だと言ったら?」

 

 抱きかかえている少女から五本の銀閃、何かが少女の体を貫通して監督役へと伸びた。

 少女の体を目隠しに、その背後から鍵爪を伸ばした不意打ち。弾丸もかくやという速度のそれらが監督役の小柄な体へと迫る。

 舌打ち

 少女の指からあふれる血をグラリスは舐める。気管を傷つけたのか咳き込む少女の口には血が混じっている。グラリスは少女に注意を払わず、血を啜り、気に食わなさそうに頬を釣り上げた。

 

 正面。監督役の目の前で何かに阻まれるように五本の爪は止まっていた。

 監督役の前には何もない。グラリスの超視力をもってしてもその空間には何もなかった。しかし、爪はその先へと進めない。

 突いても何の感触もなく、柔らかくもなければ固くもない、弾力のある感覚もなく、ただ何もないのに先に進めない不可解な現象。

 

「どういう絡繰だ、テメェ」

黙秘(ネガティブ)、答える義務はありません。しかして、職務は執行させていただきます」

 

 グラリスの胸に監督役の少女の手が触れる。グラリスは気づけなかった。一瞬たりとも視界を外していなかったにもかかわらず、だ。

 それがさらにグラリスを苛立たせる。

 そして、監督役の少女はグラリスの胸の前で、何か、鍵を回すかのような動作を行う。ただそれだけ。見た目には何も変わってないが、グラリスにはわかった。

 自分にとって大事な物が封じられた、と。

 

「一度目ですので、赤宝玉(ブラッドピジョン)を封印させていただきました。封印は事件経過で解けますのでご安心を。――それでは善き夜会を」

 

 蟲のように無機質な瞳でグラリスを見据えた小柄な少女は、一方的な報告を終えると、入って来た時のように唐突にこの場から消え去った。

 グラリスの目を、耳を、鼻をもってしても少女が何をしたかはわからない。ただ、唐突に現れ、消えた、としか表現のしようがなかった。

 期待を裏切られ、切り札を失い、食事の邪魔をされ、怒りが最高峰に達しかけたグラリスは、とりあえず食事の続きをしてこれからのことを考えることにするのだった。

 口を開く。

 ――かぶり

 

 

 リベトラ学園、誰かの部屋。そこには三人の少女がいた。

 一人はベッドの上に横たわっている少女。肢体は力なく伏しており、金色の髪がベッドの上に広がっている。目は閉じられており、安らかな寝顔を晒してた。豊満な胸は一定の間隔で上下し、彼女が眠っていることを示していた。

 それを四対二人の少女が見つめている。

「用意が整ったであります。さっ、先にどうぞ、プライ」

「えーとね、怒らないで聞いてくれるかな?」

「相手の怒りを誘う自覚をしながらその発言を行える愚かさを晒すの度胸を買って発言権を認めるであります。言いなさい、プライ」

 赤い瞳が少女、プライを見据える。氷の様な視線がプライに突き刺さる。冷たい視線が語る――“よく考えて発言しなさい”。

 それに気圧されたのか、視線から逃れるようにプライは顔をそらした。

「二人で一緒に吸ったら駄目かな?」

「破廉恥」

「は、……破廉恥」

「まったく……、破廉恥な。なんの因果か貴族に生まれてしまわれたご主人様でありますが、せめて小指の先ほどの節度は持っているのではないかと期待してのにこれですか」

「だって、いっつも同じような血の吸い方してたら飽きるじゃないか。たまには別の吸い方を試してみてもいいじゃないか」

「食べ物で遊ぶな、であります」

 

 

 暗い。まるで夜の海に沈んでしまったよう。

 海面に昇ろうとしようにも、灯り一つないこの場所ではどこが上なのかわからない。

 それどころか右も、左も、下も、それらがどこにあるかさえ分からない。美良香は腕を動かし、顔を触ってみるが、感触こそするものの輪郭すら見ることができなかった。

 なんとなく手を叩いてみる。乾いた音が響いただけだった。

 思考もぼんやりとしており、何か大事なことがあったような気がするがそれを思い出すことができない。ただただ、薄ぼんやりと、靄がかかったような頭のまま漂っている。

  どのくらい漂っただろうか。何時間も漂ったような気もするし、数分しか経っていない気もする。いずれにしろ此処には比べることができるものが何もないため、どのくらい時間がたったかはわからない。

 背中に気配を感じた時には、何者かに抱きしめられていた。

 柔らかい感触。きっと――性別があるなら――女性のように感じられた。

 このとき、はじめて美良香は自身が服を着ていないことに気付いた。生暖かい人肌が直に触れて、自身を抱きしめている。

 得体のしれない、しかし、それに対して偉大感情は恐怖ではなく。

 何故か安らかな感覚であった

 

 

 ふ、と目を開くと、見えたのは白い天井であった。

 さきほどまで何かあったような気がするが、思い出せない。

 美良香は起き上がろと考えるが、あまりの気怠さにその気力がわかなかった。

 頭ではわかっているのだが、体を動かそうという気力がわかない。鎖でしばりつけられているよう。

 少し呆けたように天井を見つめていたが、なんとなしに視線を動かす。

 少し違和感を覚えた。本は本棚に並び、衣類は既にしまわれたようである。鞄が隅に置かれている。机の上には開いてた本が閉じられており、本立てにたてられている。

 整理整頓が行き届いた部屋。自分の部屋に相違ないのだが、違和感を感じる。

 昨日のことを思い出す。一通り片付けたとはいえ、まだすべての整理は終わってなかったはずだ。

 

「お目覚めになられましたか」

 淡々と落ち着いた声。同時に、美良香の背を何者かの手が掬い起こす。

「夢見心地だとおもわれますが、これを」

 見知らぬ女性が美良香にカップを1つ渡す。中に入っているのは紅茶。

 紅茶なんて持ち込んだっけ?と疑問に思いながら、美良香はずっ、と口をつけた。

 少し熱い、しかし飲むのにはちょうど良い温度に調整された紅茶。口に含むと、柔らかな風味が広がった。なんの紅茶だろうか、甘くて、何か、何処かで嗅いだことのある鉄のような匂いがすると美良香は思った。

 そんなことを想いながら、赤黒く透き通った紅茶を飲み干した。一息つく。カップを受け取った女性が服を差し出す。

「ささ、お召し物を。よろしければ着替えさせていただきますが」

「そもそも、アナタは誰なのよ?」

 先ほどから当たり前のように美良香の世話を焼いている彼女であるが、美良香に彼女の見覚えはなかった。

 長い睫毛、表情に乏しく白面の顔、さらりとした髪はひとまとめに束ねられ、巻き毛状のポニーテールにしている。青いワンピースにエプロンを羽織った肢体は同性である美良香がうらやむような膨らみを持っていた。

 そして、なにより。

 ふわりとして、それでも細くしなやかな足に視線がいってしまう。

「ルクス。“色欲のクルースニクス”ルクスと申します。お見知りおきを」

 そういって、見た目通り侍女らしく丁寧に頭を下げるルクス。

 美良香は目をぱちくりとした。

 自己紹介されたはいいものの、彼女は誰なのだろうか。なぜ、自分の部屋にいるのだろうか、そもそもクルースニクスとは何なのだろうか、そして、確実に死んだはずの自分はなぜ生きているのだろうか。

 矢継早に疑問が出てきて、思考がまとまらない。

「ねぇ、君は誰なの?どうしてここにいるの?」

「その質問に答えたいのはやまやまなのですが、そろそろ準備を始めないと間に合わないので、質問は教室についてからお願いします」

 ルクスが申し訳なさそうに頭を下げる。不思議とはぐらかされえているという気持ちにはなれなかった。彼女を見ていると、まるで生まれた時からずっと一緒にいるかのような落ち着きを感じ、不思議な安らぎを感じ、とりあえず、彼女の言葉を信じてみることにした。

 

 ルクスの用意してくれた制服に手早く着替え、身だしなみを整えるべく洗面所へと向かう。

 鏡に打つ美良香の顔。

 黒髪。頬にかかる程度に伸びた黒髪が美良香に活動的な印象を与える。学園内の生徒ほどではないが、日本人としては鼻が高い造形なのはクォーターの血筋がなせることなのだろう。目はぱっちりと開いてる。左目は鳶色。

 そして、右目は。

 

「うそっ、どうして……」

「すいません、それは(わたくし)のせいです」

「どういうことなの――、なんで、僕の右目、赤になってるの……っ!」

 

 右目の色は赤色に代わっていた。ルクスと同じ、燃える炎のように鮮明な赤色に。

 ルクスの肩をつかんで、詰問する。

 しかし、ルクスの表情は変わらない。であったときと同じく人形の様な能面のままだ。

 

「その疑問にもきちんとお答えします。しかし、それには順を追って説明しないといけません。あと二十分、迷う可能性を考慮するとギリギリの時間です」

「いまはそんなことはどうだっていいわよっ。僕に何が起こってるの!」

「では、申し上げましょう。ご主人様は昨日死にました。それを(わたくし)が蘇生させ、その時の影響で目の色は変わってしまいました」

「え……」

 驚愕の真実に美良香は目を見開く。しかし、思ったほどの衝撃はなかった。美良香は心のどこかで思っていたのだ、あの怪我で死ななないはずがないと。

 ルクスはじっと美良香を見ている。嘘をついている様子はない。

「諸々の説明を考えると、少し長い話になります。ですから、今は教室に向かったほうが良いと進言します。初日から遅れるのは印象もよくないことでしょう」

「本当に説明してよね……」

「それは約束いたします」

 

 胸に渦巻く怒りにも似た混乱をなんとか抑え込んで美良香はルクスを睨む。ルクスはそっとタオルを手渡した。

 

 

 

 

 広大なリベトラ学園。まだまだ学園内の地理には不慣れであり、少し余裕をもって部屋を出たのだが、案の定、少し迷ってしまった。自分と同じような生徒は毎年いるのか、親切な先生が声をかけてくれて、なんとか教室まで入ることができた。

 教室にはいくつかの人溜まりと、まったく誰とも話してない2つのグループに分かれていた。前者は古くからこの学校にいる繰り上がりの学生、後者は美良香と同じく新たに転入した組だと思われる。

 そっと席に着いた後、周りを見渡す。隣の席の子が笑顔で手を振ってくれた。美良香も会釈する。

 ルクスは部屋から出る寸前に、美良香の影の中に消えてしまった。まるで水の中に溶け込むように、ルクスが影を踏んだかと思ったら、其の中に沈み込んでしまった。

 道中に受けた説明によると、クルースニクスの共通能力らしい……、そもそもクルースニクスとは何なのだろうか、という根本的な疑問が残るのだが。

 リベトラ学園は、始業式や入学式の様なものはなく、1年の始まりであっても通常通りの授業が行われる。ただし、新年度だけは美良香のように新たに学校外から転入・入校してくる生徒がいるため、学園内を上級生が紹介するオリエンテーションが1週間ほど続くらしい。

 金色の髪の女性が入ってくる。結った髪に簡素な丸眼鏡が、彼女に知的な印象を与えている。

 彼女は一礼すると、口を開いた。

 

「私の名前はシャロン=エイダ。これから一年、諸君の担任を務めさせてもらおう」

「新たにリベトラ学園に来たものは慣れないと思うが、それでも頑張って学業に努めてほしい」

「それでは、授業に入る」

 

 エイダ女史はきびきびとした動作で、チョークをつかむと黒板に文字を書き始めた。

 午前中は共通の授業。午後から、どの授業を取るのかを自身で選択して、それぞれの生徒が教室を移動し、自ら授業を受けに行くのがこのリベトラ学園のカリキュラムらしい。

 まずは一週間、オリエンテーリングを行い、それから自分が受ける授業を選択して、提出。それから本当の学園生活が始まる。

 だから、新入生の美良香としては、これからの一週間は学校に慣れるため、そして、どんな授業があるかを知るための重要な期間である。

 生徒たちがノートを開き、黒板の内容を書き写していく。

 エイダ女史が黒板に内容を書いては、生徒を当て、質問を投げかけ、それに答えを返していく。

 日本式の美良香をイメージしていた美良香としては少し困った事態である。ルクスに質問をしていて大丈夫なのだろうか。

 と、考えていると姿の見えないルクスから声がかかった。

 

(では、ご主人様。疑問にお答えしましょう。ああ、念じれば(わたくし)に声が通るのご安心を)

『……今、会話できると思うの?』

(問題はありません。(わたくし)が授業を聞いておりますので)

 平坦ながらも自信たっぷりなルクスの声。少し考えた美良香であったが疑問が絶えず湧き出て混乱している状態で授業を聞いても、頭に入らないと思い、ルクスを信じることにした。

『お願い教えて。この眼はどういうことなの? 僕に何が起こってるの?』

(先ほども言ったようにご主人様は一度死にました。その後、召喚された(わたくし)がご主人様を蘇生したのです)

(わたくし)の能力は溶血同体――血液に溶け込む力。其れを使い、ご主人様と1つになることで、(わたくし)の命を分け与え、ご主人様を蘇生させました。)

(つまり、今、(わたくし)とご主人様は命を共有している状態なのです)

(ご主人様の眼はその証。(わたくし)の体の一部が表面に出てしまったのでしょう。これは私(わたくし)の手落ちですね。申し訳ありません)

(加えて申し上げますと、(わたくし)は現状、著しく弱体化しております。お気を付けください)

『どうして弱ってるの?』

(現在、私とご主人様は1つの命を共有している状態ですので、単純に言うと1つのものを二人で使っているのですよ。夜会が始まってしまったというのに、困った話です……)

 やれやれと溜息をつく、ルクス。

『夜会?』

(わたくし)私たちクルースニクスが最後の一体になるまで戦いあうことを夜会と呼ばれております。方法はわかりませんが、最後の一体になればそのマスターの願いをなんでも1つかなえられると言われてます)

『なんでそんなことを……。その、ルクスさんには何かメリットはあるの?』

(詳細はわかってませんが……。(わたくし)たちクルースニクスは他のクルースニクスの“心臓”を奪いたくなる衝動を持っておりますので。まぁ、1つ言えるのは。(わたくし)はこの夜会の為に生まれてきた、ということの確信だけは持っております)

『なにか悲しい話だね……』

(悲しい? 役割が決まっているのは良いことですよ、ご主人様。少なくとも、(わたくし)はそのことに疑問はありません)

(さて、クルースニクスの死亡条件に付いて説明しておきましょうか。現在、(わたくし)とご主人様は二心一体であるため、(わたくし)が死ぬと、ご主人様も死にますので心してお聞きください)

『………』

(一つ、相手の心臓を奪うこと。

一つ、相手の血を全て吸い尽くすこと。

一つ、相手のマスターを殺すこと。

一つ、相手に心臓を譲渡すること。

これらのうち、どれかを満たすと、クルースニクスは死亡し、相手に心臓が譲渡されます)

『だから、昨日、僕は襲われたのか』

(いえ、昨日のはただの狩りでしょう)

『狩り?』

(ええ。(わたくし)たち、クルースニクスの力の源は血ですから。(わたくし)たちがこの世界に留まるためにはご主人様(マスター)の血が必要ですが、それだけでは十全に能力を発揮することはできません。そのため、ここの生徒を狩って血を補給しているのでしょう)

『そんな、酷い! 許される訳ないじゃない、そんなこと!』

(酷い? 食事をすることの何がひどいことでしょうか。それにご主人様。ご主人様にとって人ごとではありませんよ?)

『………ものすごく文句をいいたいけど、今は置いとくね。そうね、僕も昨日襲われたもんね』

(何を勘違いしていらっしゃるのですか?)

『え?』

(先ほども言いましたが、(わたくし)とご主人様は命を共有しています。さらに詳しく言うのなら、ご主人様の欠損した部分は(わたくし)の体を用いて、埋めたのです。ですから)

 あまりに不吉な予感に美良香は総毛立つ、顔が青くなるのがはっきりと自覚できた。きっと、今、自分は真っ青な顔をしているのだろう、と美良香は思った。

 自分が人間ではない、と告げられるのはまだいい。なんとなく予感はしていた。

 ただ――

(ご主人様は中途半端に吸血鬼に近い状態となっております。ですから、血を吸わないと生きていけないでしょう)

『そ、それは、どのくらい、なの……?』

(そうですね。人間が食事抜きでいつまで生きられるか、と同じようなものかと)

(ああ、誤解なく言っておきますが、吸血鬼に近くなってると言っても、ご主人様に備わったのは、体を維持するために血が必要となった一点だけなのでご安心を)

『安心できる要素が一つもないよ!』

(……)

『な、なによ、何か言ってよ』

(ご主人様)

『なに?』

(どうして笑っていらっしゃるのです?)

『え? いや、僕は笑ってないよ。そんなはずないじゃないか。昨日、入学したと思ったら変な怪物に襲われて、化け物にされちゃって笑うはずがないじゃない……』

(そうですか。では(わたくし)の見間違えでしょうね。失礼いたしました)

『そうだよ。きっと、そう』

 

 

 チャイムが鳴る。

 美良香はこの授業中、ずっと話を聞いてなかったことに気付く。

 そろっとノートに視線を落とすと、ノートには授業の内容が、わかりやすく、かつまとめられていた。

 絵や必要なことに対する注釈、また強調するべきところには色線が引かれ、後で見返しせばすぐに内容がわかるようになっている

 

(さしでがましいですが、(わたくし)がご主人様の体を操り、まとめておきました)

『……そ、そう。ありがと……いやいや、そうじゃなくて、操れるの?!』

(この程度、でしたら可能ですね。完全に乗っ取ることはできないのでご安心を)

『安心できる要素が一つもないよ!』

(まぁ、このような真似は今後は致しませんから。さっさ、次の授業が待ってますよ)

『なにか都合がいいなぁ……』

 

 †

 

 新たな学期が始まったばかりであるが、今日から一週間は新入生のためのオリエンテーションがあるため、授業は半日までである。

 昼飯を食堂で取った後、美良香は船上の公園へとやってきていた。

 昼食の時にルクスに対してトマトジュースで代用できないかしら、と美良香は訪ねてみたのだが、残念ながら無理です、という答えが返ってくるだけであった。

 

「あ、いたいた。さっきはどうしたの、死人のように青い顔をしてたけど」

 

 広場できょろきょろとしてた美良香に声がかかる。教室で隣に座っていた赤みがかった茶髪の子だ。身長は美良香の胸あたりまで。屈託のない笑顔で、裏表がなさそうな子だね、と美良香は思った。

 彼女は親しい友人のように美良香の肩に手を置いて、くりっとした瞳で美良香を見つめている。

 

「ありがとう。あの時はちょっとあってね。……ところで、僕と君、どこかであったことあったけ?」

「んーん、初対面だよ。ただ、ちょっと気になっただけ。けど、せっかく暇だから何か話でもしない?」

「まず、名前を教えてほしんだけど」

「あ……、テゼレット。テゼレット=ミリアスよ。あなたは?」

「僕は美良香。駆亜 美良香だよ」

「へぇ、美良香っていうんだね。日本人なの? そのオッドアイ、綺麗だよ」

「テゼレットちゃんの髪も綺麗だけどね。いいなー、さらさらで」

「えへへ、久しぶりに褒められたー」

 

 ひまわりのような笑顔に、美良香はテゼレットの頭をなんとなく撫でる。胸に温かい物が宿り、なんとなくほっこりとした。

 

 リベトラ学園の船上はかなり異質だ。そびえ立つような艦橋を挟んだ前側には小型の公園があり、木々が植えられ、青い芝生が生えていた。

 遊具の類はないが、波の音と磯の香、そして船体の揺れがなければ、ここが船の上ということを忘れそうである。

 公園にはいくつかのグループにわかれ、それぞれの生徒が待機している。まだ、先輩が来てないから、それぞれ仲の良いグループに分かれているだけと思われる。たまに姦しい笑い声が聞こえてくる。

 見ていると上品に口を押えながらしゃべっている子もいるが、普通の大口を開けて笑い、相手の背中をばんばんと叩く子もいた。叩かれた子がつんのめって転び、相手に抗議している。どっちかというと、後者のグループの方が気軽かな、と美良香は思う。

 それ以外にもまだ小学生~中学生らしい子が遊んでいる姿がちらほら見える。彼女たちに交じって一人の女性が無邪気に遊んでいた。

 中性的な顔立ちが印象的で、髪をシニョンにまとめ白いズボンをはいてるためか、どことなく美青年に見える。彼女――多分、彼女――の声をどこかできいたことがあるな、と美良香は思い、思い返してみるが一向に思い出せない。

 

 

短期留学(スタータークラス)の子供だろうね、あれ」

短期留学(スタータークラス)?」

「そうそう、船上学園の生活が実際どういうものなのかを入学して体験してもらうコースのことだよ。あと、実際に入学するための下準備の場合もあるね。あたしも、あの短期留学(スタータークラス)から入ったんだよ」

「そんなものがあるんだ。ここに入るってわかってて、そんな便利なものがあるなら、僕も利用したんだどなぁ……」

 

 向こうから銀淵眼鏡をかけた女性がやってくる。エイダ女史と同じくきびきびとした動作で、背筋を伸ばした姿からは凛としたたたずまいが見て取れる。

 子供たちと戯れていた女性がその姿を見つけ、そちらに駆け寄っていく。

 凛とした女性は注意するかのように指をさし説教するが、中世的な麗人は笑顔で頭を下げて、凜とした女性の手を取った。

 女性が思わず赤くなり、目をそらすと、麗人が腰に回し、顔を近づけ何かをささやく。気恥ずかしそうな女性に唇を近づけたところで、女性から思いっきりビンタを食らった麗人が吹っ飛んだ。

 

「まったくもう……」

「ごめんごめん、君がかわいいからついね」

「あなたはもう少し真剣になってください!」

 

 彼女たちの後ろから、同じく看板を持って何人かがやってくる。きっと彼女たちがオリエンテーションをしてくれる上級生たちなのだろう。

 彼女らは二人ずつ別れ、それぞれ看板を掲げる。美良香は昼休み前にもらった紙に描かれた数字を持った看板を探して移動を開始した。

 テゼレットとは違うグループらしく、彼女は、またねー、と別のグループへ行ってしまった。

 美良香が自分のグループの場所へ行くと。

「やぁ、子猫ちゃんたち! ボクが君たちを案内するリゼットだよ。さぁ、僕と一緒にめくるめくる愛の園を探検しようじゃないか!」

 とハスキーな声。さきほどはたかれた麗人――リゼットであった。リゼットは即座にとなりにいた眼鏡の人に頭をはたかれていた。彼女たちがオリエンテーションをしてくれるのだろう。それにしてもテンションが高いなぁ、と美良香は思う。

(ご主人様)

『どうしたの、ルクス?』

(リゼットと名乗った女性からクルースニクスの気配がいたします。ご注意を)

『……え?』

 

 リゼットは笑顔で手を広げて。

 

「さぁ、行こうじゃないか!」

 

 と、楽しそうにはしゃぐのだった。

 


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