鬱蒼とした、森の中であった。
昼間であっても、太陽の射し込まない、昏い場所だ。
夕刻、冷たい風が、梢を鳴らしている。
木の葉が舞い落ちる景色の中に、けだものの匂いが充満していた。
ツキノワグマ――
森の中に、巨大なその影が、後ろ足で立ち上がっていた。
二メートルはある。
その眼は炯々と輝き、黒い体毛は逆立ち、咽喉元の三日月が、第三の眼のようにこわい光を湛えていた。
その右前肢の爪が、既に赤々と染まっている。
人の、血だ。
その巨大なツキノワグマの眼の前に、僧衣に似た服を着た、壮年の男が立っている。
大塚松士であった。
その頭の左側が大きく抉れ、血を滴らせると共に、その赤色の中から、白っぽい表面を覗かせていた。
顔の半分は赤く染まり、その血は乾燥し始め、鱗のように固まっている。
焼き払われた少林寺を、鉄玄と名乗る謎の拳法家と共に出て、暫く経った頃の事だ。
松士は、鉄玄と共に、と或る山中に身を寄せていた。
赤心寺という看板の掲げられた、掘っ立て小屋のような寺である。
本尊は、釈迦と、緊那羅と、達磨。
それぞれ、四寸程の大きさの座像である。
釈迦は、仏祖釈迦牟尼の事だ。
緊那羅は、八部衆の一人で、半人半獣の神である。
達磨は、中国禅宗の開祖にして、少林拳の祖として伝えられている。
その周囲の森の中で、拳法の修行に明け暮れていた。
食糧は、木の実や野草、猪などの獣、近くの川から採って来た魚など。
肉や魚は、乾燥させて、長期保存出来るようにした。
時には町に下りて、世間の情報を集めつつ、托鉢を行なった。
そうして得た米や調味料を、干し肉などと共に、食糧庫に蓄えている。
或る日、鉄玄も松士も、寺を離れていた時の事だ。
町で、クマ牧場から、ツキノワグマが一頭逃げ出したという話を聞いた。
二日酔いなどに効く熊胆は、文字通り、クマの胆汁から作られる。
この熊胆の材料を採取する為の牧場であった。
熊を檻に閉じ込め、腹に金属製のチューブを埋め込み、胆汁を採取する。
餌は、日に二度。
胆汁を採取される痛みに耐えかねたクマが、自分の腹を掻き毟ろうとするのを防ぐ為、金属製の拘束具を装着させられる。
自由に身体を伸ばす事も出来ない檻の中で、何万頭ものクマが、そうした状態にされていた。
そうしたクマの中で、栄養失調にも拘らず大きく成長したツキノワグマが、いた。
拘束具が小さ過ぎる為、大きめのものに交換しようとした所、ツキノワグマは暴れ出して、飼育員を殺害・捕食し、逃げ出した。
牧場の人間が射殺しようとしたが、返り討ちに遭い、山の中に姿を晦ましてしまった。
クマが逃げ出した方向から、嫌な予感がしたのだが、その予感が見事に当たり、脱走したツキノワグマは、山奥の赤心寺の食糧庫に、やって来ていた。
松士らは、最初は、好きなだけ喰らわせてやろうとした。
例えばキャンプなどに行った時、テントから眼を離した隙に食糧を喰い尽されていたとしても、その食糧を奪い返そうなどとしてはいけない。
クマにとっては、自分で見付けた自分の食糧であるから、それを奪おうとする人間に対しては、牙を剥く。
それが嫌なら、食糧は諦めるしかない。
そういう事もあったが、そのツキノワグマは、先が、決して長くはないと分かったからだ。
しかし、姿を見られてしまった。
人間の為に捕らえられ、自分のはらわたを抉られ続けたツキノワグマは、人間を酷く怨んでいた。
松士と鉄玄に、襲い掛かった。
「引導を渡してやれ」
鉄玄が言った。
松士は、暴走するツキノワグマと対峙し、爪の一撃で、頭をかち割られた。
それでも、松士の戦意が途切れる事はなかった。
人間への怒りがある上に、血を見、その匂いを嗅いで興奮したツキノワグマは、未だに睨み返して来る松士に対して、襲い掛かった。
体重は、倍などというものではない。
単なる突進でも、骨が拉げ、内臓が破裂する。
四つん這いになって向かって来るツキノワグマを、松士は避けなかった。
臍下丹田に気を溜め、軸足をひねり、そのひねりを、膝・股関節・腰・背骨・肩・肘――と、伝えてゆき、諸手を繰り出した。
二つの拳が、ツキノワグマの身体を叩き、蓄えられた気がスパークした。
螺旋の力によって肉体を駆け上がった気が、松士の両拳の先から迸り、ツキノワグマの全身に行き渡り、体内の水分に波紋を起こすと、それらが背骨に反射して内臓を波打たせ、ツキノワグマの心臓を停止させた。
地に伏したツキノワグマの骸を眺め、鉄玄は、
「まずますじゃの」
と、ぽつりと呟いた。
そのツキノワグマを、鉈で解体して、火で炙り、喰っている。
堂宇の前に焚き火を熾し、食べる分の肉を串に刺して、揺れる赤い蛇に晒している。
食べない分は、燻製にする。
骨は、ぶつ切りにしてスープの出汁にするか、削って串や食器を作る。
「松士よ」
クマの頭部を抱え、手刀で切り開いた頭蓋骨から、脳を喰らっている鉄玄が、不意に言った。
「主には、そろそろ、あれを渡さねばならぬの」
鉄玄が松士を誘ったのは、元は、日本に持って行って欲しいものがあったからだ。
松士が鉄玄について来たのは、それ以上に、彼が修した拳法を学びたかったからである。
これまで、なかなか鉄玄は、その事について触れなかった。
それが、遂に、彼の口から語られようとしている。
「こっちじゃ」
食事を終えて、席を立った鉄玄が、松士を堂宇に呼んだ。
本尊――釈迦像を持ち上げると、その蓮台の底に、突起があった。
突起を押し込むと、本尊が祀られていた仏壇が左右に開き、床下に続く階段が現れた。
「地下ですか」
「うむ……」
鉄玄が、仏壇から燭台を取り、火を点けて、階段を下り始めた。
松士が、それに続いた。
地下の目的の場所に行きすがら、鉄玄は語った。
「儂らは、“火之一族”と名乗っておる」
「火の一族?」
「又は、
「――」
「儂らは、或るものを、永い間、守り続けておるのじゃ」
「それは……」
「それが、主に持って行って貰いたいものさ」
「一体、何なのですか、それは」
「強大な力よ」
「力⁉」
「世界を破滅に導く程の、な……」
「――」
「かつて、日出づる国へと去りし、龍の力――」
「日本へ?」
「我が一族にとっては、二つの意味を持つ秘宝という事になるのう」
そうしている内に、階段は終わり、一つの空間に出た。
玄室のように、四方を石で囲まれた部屋であった。
その部屋の中心に、奇妙なオブジェがあった。
三本の柱が等間隔に並び、その上の方に梁が渡されている。
柱には装飾が施されており、何れも蛇が絡み付いたような造形であった。
その柱が作り出す三角形の間に、棺が置かれている。
棺は、上になっている方が角張っており、下方が丸くなっている。
平面に書き出した壺の絵を、そのまま三次元に浮かび上がらせた形だ。
棺には六芒星が彫り込まれており、その内の五辺には宝玉が埋め込まれていた。
蒼
赤
黄
白
黒
これら五色の、燭台の火の光を受けて輝く宝玉であった。
「ここは……」
松士が呟いた。
外よりも尚寒い玄室に、声が響いた。
「我らが祖の墓さ」
「祖?」
「大帝国を高原に築きし、偉大なる君主……」
鉄玄が、長き歴史を語り始めた。
「チンギス=ハン……」
鉄玄が言った。
「この墓に眠る男の名よ」
「チンギス=ハン⁉」
松士が、ぎょっとなって、訊き返した。
チンギス=ハン――或いは、ジンギスカン、チンギスカンなどと呼ばれる人物だ。
一一九〇年代に突如としてモンゴル中央高原に出現し、長弓を携えて騎馬を駆り、遂にはモンゴル帝国を建国した英雄である。
或いは、その暴虐な主張から、悪人のように語られる場合もある。
その遺体は、モンゴル本土に運ばれ、ブルカン山の麓に葬られたとされているが、墓所自体は何処にあるか分かっていなかった。
しかし、まさか、こんな所にあったとは思わなかった。
しかし、何故、こんな場所に埋葬されているのか。
又、この奇妙な墓の造形は、一体、何であるのか。
「彼の素性を隠す為じゃ」
「素性を?」
「うむ。主の国からの」
「日本に?」
それは、何故――と、松士が訊く前に、鉄玄は答えた。
「主の国で、死したとされている男だからさ」
「え?」
「そして、主の国から、或る秘宝を持ち出した為に、さ」
「秘宝?」
「あれよ」
鉄玄が指差したのは、棺の六芒星の内、五つの辺に埋め込まれた宝珠だ。
「あれを、我らは、禍玉と呼んでおった」
「かぎょく?」
「或いは、麻那――」
「まな……」
「そして、勾玉とも呼んでおった」
「勾玉⁉」
「主の国より伝わった言葉さ」
そう言うと、鉄玄は、
五つの宝珠は 是れ即ち禍なり
故に以て是れを 禍玉と名づく
玉とは是れ即ち霊なり 霊とは是れ即ち魂なり
是の故を以て 禍玉に別に名づく
是れ即ち禍霊なり 是れ即ち禍魂なり
と、詠い始めた。
禍玉と呼ばれている宝珠を、禍魂と呼び、この禍魂を訓で読んで“まがたま”とする旨が述べられていた。
禍魂は、“マガツヒ”である。
災いを齎す悪神、或いは、悪を許さぬ荒魂だ。
マガとは、災いの意である。
ツは接続詞で、ヒは霊魂の事を差している。
故に、禍玉は、禍霊や禍魂と読み替える事が出来るのである。
「チンギス=ハンは、つまり……」
松士が言い淀んだ。
モンゴル帝国を築いたチンギス=ハンの名は、松士も知っている。
その稀代の大英雄、或いは残虐な征服者が、勾玉という言葉で呼ばれるものを、日本から持ち出したという事は――
「日本人さ、チンギス=ハンは」
と、鉄玄。
彼は更に続けて、
「主も知っておる男さ」
「私も?」
「遮那王よ……」
「遮那王⁉」
「源義経さ」
源義経――
彼も亦、知らぬ者のいない英雄であった。
幼名は、牛若丸。
遮那王というのは、鞍馬寺での、僧侶としての名前である。
しかし、九郎義経の名を得て、武将として名を挙げた。
戦場にて大きな成果を上げながらも、その突出した才覚故に兄の頼朝に疎まれ、都から東北へと追いやられた。
忠臣・武蔵坊弁慶は彼を守る為に盾となり、矢を受けて、仁王立ちのまま死んだ。
一一八九年、平泉の地に追い詰められ、妻子と共に自らの生命を断ったとされている。
その義経が、実は生きており、しかも大陸に渡って、チンギス=ハンとなったというのだ。
彼の生存説自体は、幾度となく語られて来た。
『吾妻鏡』。
水戸光圀の、『日本史』。
林羅山や、新井白石も、その著書で義経が大陸へ渡ったルートを記している。
更には、幕末に日本を訪れたシーボルトも、彼らに関わる年代から、義経とチンギス=ハンが同一人物である事を指摘しており、一四世紀にマルコ=ポーロが著した『東方見聞録』ではチンギス=ハンの生涯と、黄金の国ジパングの、黄金の都である平泉の記述が――偶然の可能性は高いが――並列に書かれている。
「禍玉は、三種の神器よ」
「三種の神器というと……」
「主らは、単に神話に登場する宝物という程度にしか思っておらぬであろうが、あれらには、凄まじい力が秘められておる」
「力?」
「超古代の叡智――ハイカラな言い方をするのなら」
鉄玄は照れ臭そうに笑って、
「オーヴァー・テクノロジーという奴じゃの」
と、言った。
「全てが揃ったのならば、世界を支配し得る力よ。故にこそ、その真実は主の国の者たち所か……恐らくは、神器の持ち主にさえ、隠され続けていた事であろうよ」
この事については、未来、マヤによって黒井たちに語られる事と、同じ内容である。
三種の神器は、聖櫃の超パワーを起動させる為のアイテムである。
聖櫃は、現在の日本では“空飛ぶ火の車”として伝えられている。
“火の車”は、火の一族によって日本に持ち込まれた。
火の一族とは、イエス=キリストの教えを相承したエルサレム教団の一部である。
このような事であった。
では、その“火の車”起動に必要なものを、どうして義経が中国に持ち出したのか。
「壇ノ浦の戦いの事は知っていよう」
「はい」
「その際、一度、危うい所で草薙剣と八尺瓊勾玉は失われる所であった」
海に落ち、近くの海岸に漂着せねば、そうなっていたであろう。
それを、合戦に勝利した源氏が回収したのである。
頼朝の命によって、漁師が回収したとも言うが、鉄玄は、
「義経が回収したのじゃ」
と、伝えられていると告げた。
「何せ、禍玉は、義経の戦果を支えておった」
「え――」
「源義経が、その溢れる才能で、幾つもの戦場を駆けて来た事は知っていよう。それは、禍玉――勾玉の力による所が大きかったのじゃ」
無念無想――
樹海が、中国で鉄玄禅師より教わった極意である。
念じる事なく念じ、思う事なく思う。
仏教で言えば、空を悟る事だ。
空とは、この世界の本質が、実体のないものであるという事だ。
そうでありながら、この世界というものが存在している事を理解する事だ。
無より有が生じ、有は無である事を知るという、矛盾。
二重に絡み合った、存在と虚空の環状螺旋。
全ての存在を肯定する盾と、全ての存在を否定する矛をぶつけ合わせる必要など、ない。
そのどちらをも兼ね備えた鎧を纏えば、何も問題はなくなるのだ。
無念無想の果てには、鎧という概念すら存在しない。
ありのまま――
赤子のように、純な心――即ち、赤心である。
赤心少林拳の秘奥たる無念無想は、果たして、誰もが到達し得ぬものであるのか。
否である。
誰しもが、そこへ至る可能性――種子を持っている。
持っているが、種子はあれど、誰もが花を開かせられる訳ではない。
無念無想に至らんとするその強い思いや、それと共に沸き上がる煩悩や妄念の為に、結局、至る事が出来ない。至る事が出来ないと、諦めてしまう。
ならば、その無念無想の花を開かせるには、どのような方法を用いるべきか。
あるがままの自分になれば、良いのである。
それは何も、何も考えずに裸の自分を晒しだせば良いという訳ではない。
今、ここにある我が身のままに在ろうとする――それだけだ。
その心に浮かんで来た、喜怒哀楽などのあらゆる感情を、無念無想の邪魔であるからと、切り捨てる必要はない。
喜びが浮かんだならば喜びを、怒りが浮かんだならば怒りを、哀しみが浮かんだならば哀しみを、楽しさが浮かんだならば楽しさを、肯定し、受容し、そして解き放てば良い。
煩悩即菩提――
心に浮かんでくるあらゆる事は、即ち、ありのままの自分である。
故に、黒沼鉄鬼・氷室五郎は――
怒りと、憎しみと、妬みと、悔しさで、無念無想へと至った。
「て、てっき……!」
血を吐きながら、樹海が言った。
もう、殆ど言葉になっていない。
背中に突き抜けた心臓から逆流した血液が、気管に詰まっている。
「お、おうか……を、み、みご……と」
自分の胸を貫いた鉄鬼の顔に、ありったけの血の雨を叩き付け、樹海は息絶えた。
鉄鬼は、左手で樹海の右肩を掴み、樹海の胸に潜り込んだ右腕を手前に引く。
もう、血が吹き出す事はなかった。
萎んだ心臓から、どろどろと、タールのように重い赤黒の液体がこぼれ出してゆく。
鉄鬼は、本堂の入り口を振り返った。
一晩中、自分たちは戦っていたらしい。
嵐はやんでおり、もう、空は白み始めている。
麓に下りていて、そのまま帰って来ていない玄海が、そろそろ戻って来る頃だろう。
それまでに、堂宇や母屋を荒らして、“空飛ぶ火の車”について記した粘土板を発見する事は、難しいであろう。
玄海は、恐らく樹海から話を聞いている筈だ。
隙を見て、彼から、“空飛ぶ火の車”について聞き出してやろう……
鉄鬼はそのように思った。
「――ちっ」
視線を、倒れ伏した樹海に落として、鉄鬼は舌を鳴らした。
「俺は、嫌だね……」
樹海の言葉を、思い出していた。
“主は、死して眠るなら、何処で眠りたい”
俺は、嫌だ。
少なくとも、こんな風に野垂れ死ぬのは、ご免である。
こんな、自分の内臓を引き摺り出され、血塗れで、石の上にぶっ倒れて、醜く死ぬのは、だ。
醜い死にざまと言えば――そう、あの女だ。
黒沼陽子……
本物の黒沼大三郎の娘。
あの女のように、男をおちょくって、騙して、弄んで、いざ自分が殺されそうになったのなら、叶わぬ命乞いをして……
その最後は、鉄鬼・氷室五郎が、じわじわと頸を斬り落としてやったのだ。
あんなふうに死ぬのも、絶対に、嫌だった。
あんな醜い生き方をして、醜い生きざまを晒すのは、だ。
若しも、俺が死ぬのなら――
強く生き、美しく死にたい……
鉄鬼は、心の中に、一人の男の姿を思い浮かべていた。
堂宇を出る。
朝陽が昇っていた。
黄金に輝きながら、稜線よりまろび出る太陽の中に、鉄鬼は、あの日の玄海――花房治郎の套路を思い描いていたのである。
義経=チンギス説は否定されているらしいですが、物語的に面白いのでこちらではこのように。