仮面ライダー Chronicle×World   作:曉天

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或る人曰く、食事シーンは……。


第二十三節 燔祭/雷雨

 金網の上で、赤々としていた肉が、汗を吹きながら、良い具合に焼けてゆく。

 脂がとろりと溶け出して、平たい肉をてらてらと輝かせていた。

 

 マヤが持った箸が、その肉を引っ繰り返す。

 焼けている。

 

 マヤはその肉を抓み上げ、タレを注いだ小皿にやり、そのワン・クッションの後で、どんぶりの上に移動させ、湯気を立てる白いご飯に被せて、肉で俵型のお握りを作った。

 

 ぽってりとした唇が開き、長い舌の上に、肉とご飯が載る。

 

 肉が歯に押し潰されて、内包した油とタレの、甘みや辛みが広がり、更に咀嚼してゆくと、味蕾にはご飯本来の甘さが加わった。

 

 舌の上の脂と同じく、恍惚に蕩けた表情を浮かべるマヤ。

 一旦、箸と茶碗を置いて、空いた右手でジョッキを持ち上げる。

 透明のグラスに唇を当て、金色に輝く麦汁を咽喉に流し込んだ。

 

 肌の色が濃いと言っても、それは日本人と比べればという事であり、大多数のメキシコ人の中に混じれば、十二分に白いと言えるマヤである。

 

 その咽喉が、蛇のようにうねり、ビールが彼女の腹の中に落とし込まれてゆく。

 

 三〇から四〇人は入りそうな座敷に、六基のテーブルが並んでいる。

 テーブルの中心には、何れもコンロが組み込まれており、そこで、肉や野菜を焼く。

 

 マヤは、黒井、克己、ガイストらと共に、そのテーブルに着いていた。

 

 タートル・ネックの、リブ・セーターを着ている。色は橙色で、裾の長さは足の付け根の辺りまであった。伸縮性のある生地がぴったりと身体に張り付き、編まれた縦線が大きく歪んでいる。

 下には、デニム生地のホット・パンツ。防寒という事を考えて、黒いストッキングを穿いていた。

 

 マヤと対面しているのが、黒井。

 

 黒いカッター・シャツに、ベージュのスラックスを合わせていた。シャツの袖は捲られ、第二ボタンまで開いており、筋肉質ながらも細く白いうなじに、汗の珠が浮いていた。いつもの黒いコートが、壁際に掛かっている。

 

 黒井の隣に、ガイスト。

 

 胸の真ん中に、眼のようなマークが刺繍された、トレーナーであった。下は革のパンツ。黒井のコートの隣に掛かっている、黒地にオレンジのラインのダウンは、彼のものである。

 

 克己はマヤの右手に座っていた。

 

 良く鍛えられた筋肉を見せ付けるかのように、Tシャツ一枚に、赤い革のパンツという出で立ちであった。パンツは、黒井とガイストの隣に掛けられた、派手な赤い革のジャケットと合わせる為のものであろう。

 

 テーブルには、所狭しと、料理が並べられている。

 

 焼肉では――

  タン塩

  中落カルビ

  ロース

 

 ホルモンなら――

  上ミノ

  テッチャン

  レバー

 

 サイド・メニューは――

  ニンニクの、ホイル焼き

  じゃがバター

  タンの、湯引き

  ピリ辛胡瓜

  四色ナムル

  キムチの、盛り合わせ

 

 ドリンクはと言うと――

  マヤが、ビール

  黒井が、カンタルビ・サレント・ビアンコ

  克己が、ウーロン茶

  ガイストが、二階堂

 

 そして、それぞれ、丼で、大盛りのご飯を、既に何度かお代わりしていた。

 

 「定食も良いな」

 

 ふと、ガイストが言ったので、

 

 「済みません、日替わりプレート・ディナーを、四人前」

 

 と、黒井が注文した。

 

 今夜のプレートは、牛筋カレーだ。

 漬物と、味噌汁が付く。

 

 「克己、ビビンバ、食べるわよね」

 

 マヤが、丼を空にして、隣の克己に問い掛けた。

 克己は、胡瓜を口の中でぽりぽりと鳴らしながら、頷く。

 

 「石焼ビビンバ、二つお願いしまぁす」

 

 鼻に掛かった甘い声が、言った。

 

 「ん、克己、ご飯がもうないな」

 

 頼んでやろう、と、ガイストが店員を呼び止めた。

 

 「そうだ、良い事を思い付いたぞ。……済みません、ユッケをお願いします」

 

 黒井はそう言って、又、別の店員を呼び止め、

 

 「それと、生卵、ありますか」

 

 と、訊いた。

 

 「あら、お肉が焼けていないわ」

 

 マヤが、皿の上に載っていた、まだ焼いていなかった肉を、金網に移した。

 それで、皿が空になった。

 

 「ロース追加しましょ。後、豚トロが欲しいわね」

 

 マヤに言われて、克己が指示されたものを頼んだ。

 店員がやって来て、網を変える。

 プレート四枚と、克己のご飯と、マヤと克己のビビンバが、同時にやって来た。

 

 「むむ」

 

 ガイストが、味噌汁を啜り、立ち並んだ白い山を、或いは白い谷底を見た。

 

 「ご飯は、幾らあっても良いものだなぁ」

 「え」

 

 黒井が、困ったような顔をした。

 視線は、マヤと克己の手元を見ている。

 

 石を削り出した器に、ご飯が盛られ、その上にユッケとナムルが載っている。

 

 「あったのか、ビビンバ……」

 

 そういう黒井が持った丼の中では、先に頼んでいたキムチとナムルと、プレートなどに僅かに遅れて運ばれて来たユッケと生卵が、匙で掻き回されていた。

 

 「良いじゃない、こっちは石焼よ」

 「普通のもあるぞ。……あ、二階堂お代わり……いや、ボトルで頼む」

 

 ガイストはメニューを見ながら言った。

 

 黒井は、しまった、というような顔をしながら、しかし、美味そうに手製のビビンバを食べた。……これも、悪くない。

 

 肉を、焼く。

 酒を、飲む。

 カレーを、食べる。

 漬物を、食べる。

 ニンニクを食べ、ジャガイモを食べ、野菜を食べた。

 

 京都――

 

 マヤに言われて、ショッカー基地から、彼らはやって来た。

 そうして、ここから何日か使って、京都を観光する予定であった。

 

 この日は、太秦の辺りに足を運んだ。

 広隆寺や、元はその境内にあった大酒神社、その程近い所にある木嶋神社などを見て回った。

 

 京都御苑に向かい、そろそろ日が暮れたので夕食にしようと、御所から少し離れたこの焼き肉店に入った。

 

 食事の後は、ホテル・プラトンに泊まる。

 

 「それで――?」

 

 注文したものを殆ど食べ終えた所で、ガイストが、マヤに言った。

 マヤは、チェイサーとして頼んだ水を飲みながら、

 

 「それで、と、言うと?」

 

 と、聞き返した。

 

 「とぼけなさんな。ドグマの話だったろうよ」

 「ああ、そうだったわね」

 

 すっかり忘れていたわ、と、マヤは薄く笑った。

 アルコールの為か、潤んだ瞳が酷く色っぽい。

 

 ドグマ王国――

 

 改造人間を先兵として、帝王テラーマクロを頂点とした、強き者・美しきものだけのユートピアを創建しようとしている組織である。

 

 王国とあるように、ドグマは、テラーマクロの下に思想統一された、小国家的な結社でもあった。

 

 そのドグマは、ショッカーなどと同じように、人類から争いを失くす為に創り出された組織であると言うのだが、ショッカーの思想に背反し、その討伐の為に、黒井たちが駆り出されようとしているのである。

 

 そのドグマの事を説明する為に、何故か、マヤは京都観光を提案したのだった。

 

 「ドグマを造らせた目的はね、“空飛ぶ火の車”を手に入れる事よ」

 

 マヤは言った。

 

 「“空飛ぶ火の車”?」

 

 黒井が訊き返すのに、マヤは頷いた。

 

 「古代中国の戦車――とでも言えば良いかしらね」

 

 マヤは、“空飛ぶ火の車”に関する伝承を、黒井たちに語った。

 

 曰く――

 

 かつて東北地方に、蛮族によって支配されている村があった。

 

 或る時、中国から“空飛ぶ火の車”に乗った王がやって来て、蛮族たちの支配から、現地の人々を解放した。

 村人たちは、王を自分たちの君主として迎え入れ、蛮族たちを打ち倒した“火の車”を守り神として祀った。

 

 “空飛ぶ火の車”とは、まさにその名の通り、空を飛び、火を噴く戦車であり、三〇〇〇年前の古代中国で製造されたものであるという。

 

 「尤も、正確に言うのなら、その内部に秘められた超古代の叡智――オーヴァー・テクノロジーが欲しい訳だけれど」

 「超古代の叡智?」

 「ええ。“空飛ぶ火の車”を、そうたらしめている超技術。それを、ショッカーによる人類統治の役に立てようとしているのよ」

 「ほぅ……」

 

 ガイストは、一旦首を縦に振ってから、

 

 「で、それと、京都と、どう関係があるのだ?」

 

 と、訊いた。

 

 「“火の車”と、この京都――と、言うよりは、この龍の国そのものに、深い関わりがあるからよ」

 「龍の国?」

 「日本の事よ。ほら、日本列島の形って、龍に似ているでしょう」

 「――」

 「それはそうと、さっき言った“火の車”の伝説だけれど、あれは、殆ど後の時代になって創られたものよ」

 

 と、マヤ。

 

 「中国の王が蛮族の村を、という奴か」

 

 黒井が言い、首肯する。

 

 「伝説には大なり小なり尾ひれが付くもの――その神性を削いだ所に、史実があるというのが、神話や伝承に関する研究をするに当たっての前提だけれど、“火の車”の場合にも、当て嵌まるという事よ」

 「そうなのか」

 「符合する所と言えば、古代の兵器が、東の国に持ち込まれたという点かしらね」

 「東の国と言うと、日本に、という事だな」

 「そうね、ガイスト」

 「では、中国の王というのは? 三〇〇〇年前の中国と言うと、殷か、夏か?」

 「そこが創作よ、響一郎。中国を経由はしたけれど――したからこそ、今の“火の車”は、ああした形態だけれども、出発点はそこではないわ」

 

 これについては、後で話すわね――と、マヤは言った。

 

 「“火の一族”と呼ばれる者たちによって、“火の車”は日本へやって来たわ」

 「火の一族?」

 「そう」

 「その、火の一族とやらが、日本と深い関わりがあるというのは、単に“火の車”を持ち込んだからというのではないのだろう?」

 

 ガイストが訊いた。

 

 「それは、勿論。と、言うよりは――」

 

 マヤは、次のように言った。

 

 「彼らこそ、この日本を支配した者たちであると、そう言って良いわ」

 

 

 

 

 

 

 一九五五年――

 玄叉山、赤心寺。

 

 その麓の村に、花房治郎――玄海は、下りて来ていた。

 

 山の上だけでは採れない食糧を、村人たちから貰うその代わりに、畑仕事や炊事洗濯、勉強を見てやったり、仏教についての話をしたり、拳法を教えるのが、玄海の日課であった。

 

 鉄鬼は、この手の事が余り巧くないので、専ら、山を下りるのは玄海である事が多い。

 

 その鉄鬼は、今、赤心寺を離れて、何処かの山中に籠っていた。

 そのような鉄鬼のストイックな所は、玄海の憧れでもあった。

 

 自分は、樹海の許で拳法を学び、この村で人々と交流する事を、手放せないでいる。

 鉄鬼は、しかし、自らの求道に、とことんまで邁進する男であった。

 

 玄海からすると、鉄鬼は、自分よりもずっと精神的に強い人間である。

 

 まだ帰らない兄弟弟子を思いながら、いつものように、畑の世話をする。

 

 「玄海先生が来ると、本当に助かります」

 

 畑の持ち主の妻が、汗を流していた玄海に声を掛けた。

 

 「いえ」

 

 と、謙虚に言う玄海の眼が、女性の下腹部に留まった。

 かなり大きく膨らんでいる。

 

 「もうじきですね」

 「はい」

 

 女性は、膨らんだお腹を、愛おしげに撫でた。

 

 「娘も、楽しみにしています」

 

 彼女と、夫の間には、既に女の子が一人おり、やんちゃな性質であった。

 男の子たちに混じって、泥だらけになり、時には喧嘩にまで発展する。

 

 何人かの子供たちを集めて、玄海が赤心少林拳を教えるようになると、そのような事は少なくなったが、生来の気質からか、子供たちの中でもめきめきと実力を伸ばして行った。

 

 その娘が、きょうだいの誕生を、今か今かと楽しみにしているのである。

 

 玄海は、村を一通り回って、肉や野菜、調味料を受け取ると、籠や風呂敷に包んで、寺に戻ろうとした。

 

 赤かった空に、俄かに黒雲が立ち込め、ぽつぽつと雫が落ちると共に、稲妻が白く光を放ったのは、そんな時である。

 

 ぱあぁーっ、と、勢い良く、雨が降り始めた。

 ごろごろ、と、雷鳴が響く。

 

 「先生、こちらへ」

 

 と、身重の彼女が、夫と共に、玄海を家に招き入れた。

 

 それに少し遅れる形で、例のやんちゃな娘が、家の中に駆け込んで来る。

 長く伸ばした髪が、水をたっぷりと吸い込んで、重くなっていた。

 

 「あッ、老師!」

 

 少女は、玄海が自宅にいるのを見て、顔を綻ばせた。

 少林拳を学ぶのが楽しく、それを教えてくれる玄海が、大好きなのだ。

 

 尚、老師とは、先生の意であり、相手が若くとも使われる言葉である。

 

 「凄い雨ですね……」

 

 家主が言った。

 

 俄雨と思われたものの、雷雨となり、風と水滴が轟々と唸って、屋根や畑を打ち据えている。

 

 「先生、今日は、止まって行って下さい」

 

 家主が言う。

 

 「しかし」

 「先生のお蔭で、毎年、豊作なんでさ。それに、娘も喜びます」

 

 玄海が、ちらりと少女の方を向くと、雨天とは正反対な、太陽のような笑顔を浮かべている。

 

 鉄鬼がおらず、自分も山を下りている今、寺に一人残っている老齢の樹海が心配ではあったが、少女の期待を裏切るのも心苦しく、玄海は、その提案をありがたく受け取る事にした。

 

 

 かっ!

 

 

 と、白い瞬きが、家の中を支配した。

 次いで、獣が咽喉を鳴らすが如き音が、鈍く響いて来る。

 玄海は、荒れ狂う空を頂く玄叉山を、静かに見上げた。

 

 

 

 

 同刻、赤心寺堂内――

 

 樹海が、内々陣に座していた。

 

 結跏趺坐と法界定印を結び、本尊である釈迦・達磨・緊那羅を、見ざると眺めている。

 

 雷雨となった事も、分かっていた。

 恐らく、玄海は、麓の村に泊まるであろう事も、想像が出来ている。

 

 久方振りに、独りであった。

 独りになると、過去に思いを馳せる事が多くなっていた。

 

 思い出すのは、故郷での青春――

 

 尋常中学校の受験の為に、榮世と共に、必死になって勉強をした。

 彼と共に、斎藤茂兵衛に、本覚克己流の指南を頼み込んだ事。

 柔術に明け暮れた日々、

 榮世との決別。

 狂ったように身体を鍛えた日々。

 中国での修業。

 少林寺。

 鉄玄より譲り受けた――遥かなる龍の物語。

 

 と、胸に過去を去来させていた樹海であったが、背後――本堂の扉の向こうから叩き付けられて来る、強烈な意思を感じ取って、眼を開けた。

 

 刹那、扉が音を立てる。

 

 「何者か――」

 

 問うが、答えは分かっていた。

 

 「俺です……」

 

 低く、掠れた声で言うのは、鉄鬼であった。

 

 「何か見付かったか」

 

 山籠もりで、という事だ。

 

 「失くしものを見付けましたよ」

 「失くしもの――?」

 「俺の記憶さ……」

 「ほぅ……」

 

 振り返らないまま、樹海は、自分の中で気を高めてゆく。

 

 鉄鬼は、確かに自分の弟子であるが、今、びしょ濡れで堂宇に足を踏み入れた鉄鬼は、樹海の知っている彼ではないような気がしていた。

 

 「思い出しましたよ、全部ね……」

 「それは、良かった……と、言って良いのかな」

 「どうでしょうねぇ」

 「――」

 「この地下に隠した黄金の事、果たして、思い出されて不都合があるかどうか……」

 「――ぬぅ」

 「ご心配なく、老師。今の所、黄金には大した興味はありません。いや、昔から、そこまでして欲しいと思っていた訳ではない……」

 

 氷室五郎が黄金を求めたのは、黄金の価値そのものではなく、黄金を見付けたという精神的な栄誉を欲したからであった。

 

 「但し、今の俺には、もっと欲しいものがあるのです……」

 「それは?」

 

 樹海が問うと、鉄鬼が、更に数歩、本堂の中に歩みを進めて来た。

 

 「“空飛ぶ火の車”――」

 「何⁉」

 

 ここで、流石に樹海は振り向いた。

 

 雷光が瞬く。

 光の中に浮かび上がった鉄鬼は、凄まじい形相であった。

 

 顔の半分―マヤの指に抉られた右眼を、包帯で覆っている。

 残ったもう一つの眼が、爛々と、不気味な光芒を放っていた。

 吊り上がった唇から、牙のような歯が覗く。

 身体を濡らしている雨粒が、今にも蒸発してしまいそうな熱を、その空気は孕んでいた。

 

 その余りの闘志の為に、空間が、飴細工のように拉げてしまいそうだ。

 

 「やはり、知っていたようですね……」

 「――」

 「玄海の奴も、ですか」

 「――」

 

 樹海は沈黙した。

 沈黙こそが、鉄鬼にとっての答えであった。

 

 「もう一つ……」

 

 欲しいものがあると、鉄鬼は言っている。

 

 「何じゃ」

 「――それは」

 

 耳まで裂けんばかりに、唇を更に吊り上げて、鉄鬼が駆け出した。

 

 「あんたの、命だ!」

 

 稲妻が響いた。


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